死刑廃止ニュース

死刑に関する事件と世界的な廃止への動きの概要
       2002年 9月
AI Index: ACT 53/004/2002




死刑廃止への動き


トルコ、ユーゴスラビア、キプロス――死刑廃止
 8月3日に、トルコ議会は、「戦争および急迫した戦争の脅威」のある時を除いて、死刑を廃止する法律を採択した。その法律は、トルコのアハメト・セゼル大統領が8月8日に承認し、翌日に官報に掲載され施行された。
 2001年10月に可決された改正憲法は、刑法上の犯罪に対する死刑を廃止したが、戦時および「テロ犯罪」に対しては死刑を存置した。死刑判決は、裁判所で言い渡され続けており、2002年に死刑判決を宣告された者は、7月の時点ですくなくとも36人で、そのうち3人は刑法上の犯罪によってである。
 「新しい法は、確定囚に対して、死刑を釈放の可能性のない終身刑に代えるとした。100人以上の死刑囚が、司法省によって見直されることになる。
1923年に現代トルコ共和国が建国されて以来、 588人が刑法上の犯罪および政治犯罪で処刑された。最後に処刑が行われたのは1984年であった。トルコは、欧州評議会の一員であり、欧州連合に加盟する必須条件として、平時の死刑廃止を規定する欧州人権条約第六議定書の批准を求められている。
トルコは、2002年になって死刑を廃止した3番目の国である。6月18日に、ユーゴスラビア連邦共和国においては、唯一の死刑存置地域であったモンテネグロの法から死刑が削除されたことで、死刑が廃止された。死刑は、恩赦の権利を認めない40年の拘禁刑に代えられた。ユーゴスラビア連邦共和国は、死刑の全面的な廃止を規定している死刑廃止にむけての市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書に加入している。1999年に平時に犯されたすべての犯罪に対して死刑を廃止していたキプロスにおいて、4月19日に軍刑法が改正され、反逆罪および海賊罪という2つの軍事犯罪に存置されていた死刑が削除された。これによって、キプロスは完全な死刑廃止国となった。最後に処刑が行われたのは1962年であった。
キプロスは、死刑廃止にむけての市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書に加入している。キプロスは、戦時における死刑の存置を認める先の留保を取り消す予定である。キプロスは、欧州人権条約第六議定書にも加入し、あらゆる状況下における死刑の廃止に関する欧州人権条約第十三議定書にも署名した。

最新ニュース
10月3日、トルコの首都アンカラの国家治安裁判所は、クルド労働者党のアブドゥラ・オジャラン議長の死刑判決を終身刑に減刑した。彼は、1999年に「反逆罪と分離主義」で死刑判決を受けていた。



フィリピン――処刑の延期
 グロリア・マカパガル・アロヨ大統領は、フィリピン議会が死刑廃止法案を議論する間、すべての処刑を延期するとした。彼女の決定は、9月30日に、欧州連合からの特使との会談に続いて、外務省によって公表された。欧州連合は、フィリピンにおいて処刑が再開されるのを阻止しようと働きかけていた。
  大統領は、以前に、2002年8月および9月に処刑を予定されていた3人の死刑囚の処刑の90日間の延期を認めていた。処刑の延期は、大統領に、彼らの死刑判決を減刑すべきかどうかを決定するより多くの時間を与えるものである。
フィリピンにおいては、1999年に23年ぶりに処刑が再開された。エストラダ前大統領が2000年に死刑の執行停止を宣言する前に、薬物処刑によって7人が処刑された。2001年3月に新しく大統領に就任したアロヨ大統領は、いかなる死刑も執行しないとの公約をしていたが、同年10月に誘拐犯を処刑することを支持すると言って、立場を変えた。
しかし、2002年3月、大統領は、マラカニャン・プレス団のメンバーに、議会が死刑を廃止する前に、法案に署名するつもりであると語った。彼女は、犯罪者には「復讐ではなく、更生」が必要であるとの言葉を引用した。
 現在、千人以上の死刑囚が存在し、その大部分は貧しい者である。


グアテマラ――死刑の執行停止
  2002年6月、ヨハネ・パウロU世法王がグアテマラを3度目に訪問した際に、ポルティージョ大統領は、個人的見解として死刑に反対であることを宣言し、在任中は死刑を執行しないことを保障すると述べた。彼は、議会に死刑廃止を求める法案を提出するとも述べた。
大統領声明は、グアテマラにおける数年にわたる死刑に関する最初の議論を呼ぶことになり、それは市民からも議員からも強く支持された。2000年に、議会は、大統領が死刑判決を減刑する権利を認めなかった。現在の議会議長のモント将軍は、1983年まで政権を掌握していた者であるが、ヨハネ・パウロU世法王が最初にグアテマラを訪問する前夜に、6人に対する死刑の執行を命じた。
 1983年にモント将軍が政権を退いた後は、1996年に2人の男性が銃殺に処せられるまでは、誰も処刑されることはなかった。その処刑がテレビ放映された結果、ぞっとするような実状に激しい不快感が広がり、議会が処刑方法として致死薬注射による処刑を採用するにいたった。致死薬注射による最初の処刑は1998年に行われ、再びテレビ放映された。さらに、2000年6月に2人の処刑が行われた。
2000年11月に、別の5人の死刑判決が憲法裁判所によって破棄された。さらなる処刑は行われていない。(ポルティージョ大統領の公約後も2人に死刑判決が言い渡されており、グアテマラの死刑囚の総数は39人である。)


バルバドス、ベリーズ――上訴制限への動き
 2つのカリブ諸国において発議された死刑事件の上訴を制限する憲法改正は、処刑の再開を導くことになるであろう。
 バルバドスにおいて発議された2002年憲法(改正)案は、死刑囚が死刑囚として過ごした期間の長さ、または、彼らの拘禁されている状況に基づいて、処刑に対する異議申し立てをすることを妨げ、政府間機関が死刑囚からの申立てを調査するための時間に制限が設けられることになる。改正法の採択は、現在バルバドスで拘束力のある先の裁判所の判決を無効にするであろう。その法は、8月に下院を通過し、現在、上院で承認を得ようとしている。
ベリーズでは、9月6日に、サイド・ムサ首相が、2002年ベリーズ憲法改正法案を下院に提出した。提出された憲法改正は、A級殺人事件について、現在はベリーズにおける上訴のための終局裁判所であるイギリスの枢密院司法委員会への上訴権を奪うことになる。これによって、この種の事件については、ベリーズ上訴裁判所が、終局の上訴裁判所となることになる。他の犯罪および民事事件については、枢密院司法委員会への上訴が維持される。
最も凶悪な形態の殺人を含むA級殺人は、ベリーズにおいて絶対的死刑相当犯罪である。ベリーズ及び他の諸国に影響を与える決定の中で、枢密院司法委員会は、3月に、被告人に個人的なまたは犯罪に基づく軽減事由を提出する機会が与えられない絶対的死刑を科すことは、憲法違反であると判示していた(死刑廃止ニュース2002年3月号)。ベリーズは、政治的および民衆の多くの支持を得て提出された憲法改正案によって、今後の事件について、この判決の影響を回避することができる。
 両国において、最後に処刑が行われたのは、それぞれ1984年と1985年である。


スーダン――多数の死刑判決
 7月17日に、ニアラの「特別」裁判所で、2人の14歳の少年含む88人が死刑判決を受けた。彼らは、少なくとも10人が死亡したダルフール州南部でのRizeightとMaalyiaの2つの民族集団の間の衝突に関与して有罪判決を受けた。
 特別裁判所は、公正な裁判に関する国際準則に抵触し、スーダン国内の1993年刑事訴訟法に基づいて事件の裁判をする義務もない。有罪判決に対する上訴は、8月11日に、ダルフールの司法長官によって却下された。そこで、弁護人は、首都ハールトゥームの司法長官による(通常は「特別」裁判所では免除される)裁判手続の再検討を求めた。8月25日に、Ali Mohamed Osman Yassin司法大臣は、政府はその判決を覆すつもりはないと述べたと報じられている。
ダルフールは、長年にわたって、様々な民族集団の闘争の場となっており、しばしば、反体制武装集団の南部人民解放軍に対する長い闘いのなかで、政府によって利用されてきた。殺人、武装強盗、武器の密輸などの犯罪を略式で扱うための「特別」または「非常時」裁判所が創設された1999年以降、この地域には非常事態が生じている。


パキスタン――集団強姦と「部族裁判」
 6月のパンジャブ地域での集団強姦に関与したとして、6人の男性に対して、9月1日に絞首刑が言い渡された。別の8人の男性は無罪放免となった。その部族のカースト制度の上位にある村の長老10人に、被害者の弟と部族の女性が関係を持った報復として、強姦するように命じられたということである。パキスタン最高裁判所で「21世紀において最も憎むべき犯罪」であるとされたこの強姦は、パキスタンの非合法な部族会議制度を象徴するものである。
 6人の男性は、州の高等裁判所の有罪判決と刑罰に対して上訴し、国は無罪放免になった8人について上訴した。政府は、非合法に裁判を行う部族的な法制度自体に対して、何の行動も起こしていない。


アメリカ合衆国――連邦最高裁判所の指標となる決定
 6月20日に、合衆国連邦最高裁判所は、Atkins対Virginia 事件について、知的障害者に対する死刑は、合衆国憲法修正第8条の「残虐で異常な」刑罰の禁止に違反すると判示した。この決定は、このような処刑を認めた13年前のPenry対Lynaugh判決を覆すものとなった。Atkins判決において、裁判所は、経過した数年のうちに、合衆国における「相当な水準」は変化し、今や知的障害者に対する死刑の適用に反対するのが「国民の合意」であるという程度にまでいたったとした。
 1989年の Penry判決当時、このような処刑を禁ずる法律を制定していたのは、1つの州だけだったが、Atkins判決の時には18州になった。Atkins判決の裁判官の多くも、「世界においても、知的障害の犯罪者が犯した犯罪に死刑を科すことを禁ずるのが圧倒的である」と認めた。  6月24日、Ring対Arizona判決において、合衆国連邦最高裁判所は、裁判官によって必要的加重事由が決定された死刑判決は、陪審による裁判を受けるという被告人の憲法上の権利の侵害であると判示した。このような事件の最終結果がどうなるかまだ明らかではないが、この判決は、数州の約800の死刑判決に異議を唱えることになった。


アメリカ合衆国――連邦の死刑は憲法違反であるとした2人裁判官
 7月1日に、ニューヨーク州で、Jed Rakoff地方判事が、UAS対Quinones判決のなかで、合衆国において無実の者が処刑される危険性は非常に高いと推断し、2人の連邦被告人の次の裁判で死刑を選択することを認めないとした。彼は、「無実の者に死刑相当犯罪で有罪判決を下す割合が容認できないほど高いことは、無実の人間に対する殺人を国家が支援しているのと同じであるとみることができる」と言って、連邦の死刑は憲法違反であると判示した。
 9月24日に、バーモント州で、William Sessions地方判事も、USA対Fell判決のなかで、1994年連邦死刑法は憲法違反であると判示した。彼の決定の根拠は、その法が死刑が適当であるとする「緩やかな証拠に基づいた基準」を認めていることである。彼は、「われわれの司法制度の一部に死刑があるならば、陪審が考慮できる証拠の種類は厳密でなければならず、それらの基準を緩和することは乱用を引き起こし、死刑を科す決定に対する信頼性をおおいに揺るがす」と述べて、Sessions判事は「死刑は包囲されている」と言及した。


アメリカ合衆国――2人の少年死刑囚の処刑
 8月8日にT.J.Jonesが、8月28日にToronto Pattersonが、テキサス州で処刑された。2人の少年は、17歳の時に犯した犯罪で有罪判決を受けていた。テキサス州は、今年になって3人の少年犯罪者を処刑しており(死刑廃止ニュース2002年6月号)、2002年に少年死刑囚に対する処刑を唯一記録している州である。
 アムネスティ・インターナショナルは、9月に、少年死刑囚に関する2つの報告書を公表した。150頁からなる“USA: Indecent and Internationally Illegal: the death penalty against child offenders”(AI Index: AMR51/143/2002)と、短い記事の“Children and the Death Penalty: Executions worldwide since 1990”(AI Index: ACT50/007/2002)である。


フィジー――軍法を除く死刑の廃止
 フィジーにおいては、3月11日に、ジョセファ・イロイロ大統領が、フィジー議会を通過した刑法(改正)法2002年第5号を承認し、刑法から死刑が削除された。その法は、刑法に存置されていた反逆罪、武力を伴う外患誘致、大量虐殺に対する死刑を廃止した。殺人に対する死刑は、1979年に廃止されている。
 軍法に死刑は存置されている。最後に処刑が行われたのは1964年である。


日本――通告なしの処刑
 9月18日に、殺人を犯したとされる浜田美輝と春田竜也が処刑された。彼らの家族には処刑日が知らされなかった。
日本には、少なくとも54人の死刑囚がいる。この2人の処刑日は、小泉首相の北朝鮮訪問という歴史的な出来事と同時期が選ばれたと思われる。日本の全メディアの注目がこの会談に集まり、それゆえこの処刑に対する世論の非難が避けられた。
 欧州評議会議員会議のペーター・シーダー議長は、日本政府に対して「非人間的で、文明国において価値がなく耐えられないので、この野蛮な行い」を中止するように求めた。欧州評議会における日本のオブザーバーとしての地位は、現在、審査中である(死刑廃止ニュース2002年6月号参照)。




短  報

イラン――強姦、誘拐および強盗に関与したと告発されて死刑判決を受けた5人の男性が、首都テヘランで9月29日に公開で絞首に処せられた。絞首刑に処せられた者の1人Amir Karbala'iは、処刑直前に「われわれに死刑判決を下したのは裁判官ではなく、世論だ」と述べたと報じられている。
 イランの新聞のなかには、処刑は、裁判官が安全に対する国民の不安を重く受け止めていることと示したいがために行われていると指摘するものもあった。


イラン――イランにおいては、石打による処刑が懸念され続けている。2001年には、すくなくとも2人が石打によって処刑された。10月に、イラン西部のナグーデで男性と女性が石打によって処刑されたとの確かな報告がある。石打による死刑判決を受けた女性の死刑囚が4人いると報告されているが、アムネスティ・インターナショナルは確かな起訴がなされたかを知らない。


ジャマイカ――現政権の人民国民党は、今度の選挙で再選されたならば、処刑を妨げる先の裁判所の判決(死刑廃止ニュース2000年9月号参照)を無効にするように憲法を改正することを公約した。
 パタソン首相は、ジャマイカの終局上訴裁判所であるイギリスの枢密院司法委員会を非難して、「われわれの法制度の基礎を侵害する行為」であると述べた。ジャマイカ政府は、カリブ司法裁判所を枢密院司法委員会に代えようとしている。最後に処刑が行われたのは、1988年である。


タジキスタン――6月21日に、SheraliとDovudのNazriev兄弟が、彼らの有罪と裁判の公正さに大きな疑いがあるにもかかわらず、秘密裏に処刑された。彼らは、2001年5月に、首都ドゥシャンベでMakhmadsaid Ubaydullayevの暗殺未遂で有罪判決を受けていた。
 アムネスティ・インターナショナルは、9月30日に“Tajikistan:Deadly Secrets ─ The death penalty in law and practice”という報告書(AI Index: EUR60/008/2002)を発表した。タジキスタンにおける秘密の死刑の状況や、公正な裁判が欠如していること、家族への通告なしに死刑囚がどのように処刑されるのかが述べられている。


トーゴ――9月5日に、Komlan Agbeviadeが、彼の兄弟に対する謀殺で死刑判決を受け、判決に対する上訴が申し立てられた。トーゴにおいて、最後に処刑が行われたのは、1978年である。


国際条約

 欧州人権条約第13議定書に、2002年7月3日にはクロアチアが7月24日にはスロバキアが署名し、署名国は全部で35カ国となった。
( 辻本 衣佐 訳 )



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