死刑廃止ニュース
死刑に関する事件と世界的な廃止への動きの概要
2003年 3月
AI Index: ACT 53/002/2003
死刑廃止への動き
ケニア、イリノイ州――大量減刑
1月13日に、アメリカ合衆国イリノイ州のジョージ・ライアン前知事は、167人の死刑囚を減刑し、犯してもいない犯罪について拷問によって自白させられたと思われる4人を放免した。州の死刑論議の中枢の役割を果たした学生および教員のいるシカゴのノースウェスタン大学での講演で、ライアン知事は、イリノイ州の死刑制度は「有罪を決定する際に誤りがあり、有罪者うち誰が死に値するかを決定する際にも誤りがあり、誤りという悪魔にとりつかれた制度である。人種はどのような影響を与えているのか。貧困はどのような影響を与えているのか。これらすべての理由から、今日、私は、すべての死刑囚を減刑する」と述べた。
ケニアにおいては、28人の死刑囚が放免され、195人が終身刑に減刑された(次頁の別の記事も参照のこと)。
共和党員のイリノイ州知事は、死刑賛成論者から、率直に死刑を批判する者の1人になった。この変化の理由の1つとなったのは、ノースウェスタン大学の学生グループが、研究をすすめるなかで、約17年間死刑囚監房で過ごしていたアンソニー・ポーターの無実を証明する証拠を発見した事件である。彼らの研究の結果、アンソニー・ポーターの容疑は晴れて釈放された。1998年に彼の処刑は50時間内にまで迫っていた。
12000年1月31日に、ライアン知事は、「私が、無実の者が致死薬注射に直面することはないと確信することができるまで、誰もそのような最後を遂げることはない」(死刑廃止ニュース2000年3月号参照)と述べて、州の死刑制度に関する調査が行われている間は、死刑の執行を停止すると表明した。その当時、イリノイ州においては、1977年に死刑を復活してから13の死刑誤判事件があったことが明らかになっていた。ライアン知事は、死刑に関する委員会を設置し、委員会は2002年4月にその制度の80以上の細部にわたる改革の勧告をした。しかし、その報告書は、委員会の14人の委員が、全員一致で「人間の本質と誤りを考慮すれば、二度と無実の者が死刑判決を受けないように完全に作用し、それを絶対的に保障する制度が考案または組成されることはないと思われるとした」ことを認めている。
2002年10月に、知事は、イリノイ州受刑者審査委員会に、死刑囚の減刑審理を開き、検察側と同様に殺人被害者の親族や友人の意見を聞くように命じた。最後に、ライアン知事は、死刑囚に判決を下す制度には欠陥があるので、一律に減刑することが最も公正な選択であると決定した。一律に減刑を適用するように知事に求めた者のなかには、南アフリカのマンデラ前大統領やローマ法王がいた。
ライアン知事は、ノースウェスタン大学での講演のなかで、死刑問題は、「われわれの時代の公民権の獲得を目指した偉大な闘いのひとつである」と述べている。
ケニア――減刑と釈放
2月25日に、内務大臣は、新しく選出されたムアイ・キバキ大統領の命令により、死刑囚になってから15年ないし20年を経過した者28人が釈放されたと公表した。別の195人の刑が終身刑に減刑された。
この声明が出されたのは、Awori内務大臣が、刑務所各所を訪問し、拘禁されている死刑囚の状態に対する懸念を表明した直後のことである。裁判所への上訴が却下され、絞首刑を待つ者が拘禁されているカミティ重警備刑務所においては、死刑囚はずっと真っ暗な超満員の監房に収容されていた。
Aworiは、釈放された死刑囚は、すべて「矯正された態度」がみられ、「改心から」釈放されたと述べた。Aworiは、ケニアにおいて死刑を廃止したいので、それを行うための法案を議会に提出するつもりであるとも述べた。
Kamakil刑務所長官は、この先例のない「歴史的な出来事」を賞讃して、死刑は無実の者の命を奪うので、廃止されるべきであると述べた。彼の言葉は、2月26日のデイリー・ネーション紙に「われわれは、議会が憲法から死刑を削除する日を待ち望んでいます」と引用された。
Murungi司法大臣も死刑の廃止を支持しており、前政府に拒否されたが、1994年と2000年の2回にわたって死刑廃止が試られた際に、議員の一員として、死刑廃止の働きかけを行っていた。
ケニアにおいては、殺人および武装強盗は絶対的死刑相当犯罪である。最後の処刑が行われたのは1987年である。
台湾――3人の釈放
2003年1月13日に、首都台北の台湾高等裁判所の3人の裁判官は、蘇建和、劉秉郎、莊林勳について、殺人罪から無罪放免とした。高等裁判所は、彼らの有罪判決は不十分な証拠に基づいているので、「汐止トリオ」として知られている3人の男性をただちに釈放すると判示した。3人の男性の苦しい体験は、1991年8月に、強盗、強姦および殺人で告発され逮捕された時から始まる。当時、彼らは18歳であった。3人の男性の死刑判決は、1992年2月に、彼ら自身の自白と、同じ罪で1992年に処刑された別の男性の自白に基づいて下され、その判決は、3年後の1995年2月に、最高裁判所でも支持された。
蘇建和、劉秉郎、莊林勳は、常に、無実であり、勾留中に拷問を受け、自白調書に署名することを強要されたと主張してきた。彼らの裁判の後に、検事総長は、有罪判決に疑いがあることを公表し、最高裁判所によって却下された彼らに代わって、3つの特別抗告を始めた。しかし、弁護士のの尽力と、アムネスティ・インターナショナル、研究者、法律家、人権活動家および政府関係者からの訴えのおかげで、ついに、2000年11月に、3人の再審が認められた。
カタール――外国人への恩赦
3月17日に、カタールのハマド・ビン・ハリファ・アル・サーニ首長は、カタールのテレビ局で働いていたヨルダン人ジャーナリストFiras Nassuh Salim Al-Majaliに対する恩赦と、彼の即時釈放を命じる命令を発した。
Firas Nassuh Salim Al-Majaliは、2002年10月に、首都ドーハの上級刑事裁判所で、スパイ容疑で有罪と宣告され死刑判決を受けたが、その原因は、ヨルダンとカタールの関係悪化によるものであった。上訴裁判所は死刑判決を支持し、この事件は首長に委ねられていた。
国家元首で恩赦を与える権限を有する首長の命令は、ヨルダンのアブドラ国王がカタールを訪問した際になされた。国王は、Firas Nassuh Salim Al-Majaliのために介入したと思われる。
イラン――学者への死刑判決の破棄
月14日に、テヘランのモダレス大学で歴史を教えるSeyyed Hashem Aghajariに対する死刑判決が、最高裁判所によって破棄された。イスラム教最高指導者ハメニイ師は、判決の見直しを命じた。 Aghajari教授は、初めから彼を有罪とみなす裁判所で、新しい裁判を受けることになるであろう。裁判の日程はまだ決まっていない。
Aghajari教授は、2002年6月にイラン西部のハマダーン市で行った講演によって投獄された。「イスラム新教」という題で、イスラム教シーア派の宗教改革を求め、選出されたわけではない聖職者が国の終局の司法的な権限を持つという権利に疑問を投げかけた。彼は、宗教的指導者と宗教的慣行を非難し侮辱したという不明確な文言で表された告発に基づいて、2002年11月に死刑判決を受けた。
その判決によって、国中で憤慨した学生のデモが発生し、ハタミ大統領支持派とハメニイ師を指導者とする保守的なイスラム司法制度の支持派との間で、世論も対立した。ハタミ大統領は、ハメニイ師に、Aghajari教授に対する死刑判決を破棄に導く判決の法的な再審理を命じるように訴えたと言われていた。
中国――死刑囚を致死薬注射で処刑する移動式バン
1月に、ジャーナリストと甘粛省の県、市、郡の多数の裁判職員の一団が、蘭州近くの無名の刑務所に、11人の死刑囚の致死薬注射による処刑に立ち会うために、省高級法院の職員によって連れて行かれた。
致死薬注射による処刑は、1997年の刑事訴訟法の改正で、銃殺刑に代わって中国に導入され、最初に雲南省で実験的に行われた。
中国の省当局は、費用効率性を改善する努力のなかで、今や、いわゆる移動式処刑バンを導入した。雲南省の役人は、移動式バンでの処刑に必要とされるのは、死刑執行人、裁判職員、検察職員、司法医の4人だけであると説明した。
24人乗りのバスを改造した18台が、雲南省のすべての中級法院と1ヶ所の高級法院に配置された。後部の窓のない処刑室には、死刑囚を縛り付ける金属製のベッドが置かれている。国際的な医の倫理に反する行為であるが、医師によって注射針が取り付けられると、公安職員がボタンを押し、自動的に注射器が致死薬を死刑囚の静脈に入れる。処刑は、隣の運転席のビデオ・モニターで見ることができる。
北京日報は、3月6日に、雲南省の司法当局によってバンの使用が承認されたと報じている。同日の後に、21歳のLiu Huafuと、25歳のZhou Chaojieという麻薬取引に関わった2人の農民が、移動式処刑バンによって処刑された。雲南省高級法院院長のZhao Shijieは、新しい方法を賞讃して「致死薬注射の使用は、中国の死刑制度がより文明的で人道的であることを示している」と言った。しかし、中国の司法委員会の委員は、死刑の適用の増加を導くだけになるおそれがあるとしている。
短 報
チェコ共和国――3月に、ブルノの地方裁判所は、中国人のWen-min Zhangを処刑しないという保障が中国から十分に得られないと思われるので、彼を引き渡さないと判示した。
Wen-min Zhangは、中国で強盗を犯して告訴されたが、引渡請求は、強盗を犯したと思われる場所について矛盾していた。Wen-min Zhangの共犯者とされる7人は、すでに処刑されている。
コンゴ民主共和国――1月6日から7日の夜の間に、銃殺刑執行隊によって15人が秘密裏に処刑されたと報じられている。彼らは、首都キンシャサの刑務所に拘禁されていたが、そこから郊外の軍キャンプに移送された。処刑された者のなかには、国際法の公正な裁判に関する準則に合致しておらず、約200人が処刑されることになった死刑判決について責任のある軍事法廷で、死刑判決を受けた者もいると思われる。軍事法廷の判決に対する上訴権はなく、ジョセフ・カビラ大統領は、判決を減刑する特権を行使しなかった。
これらは、2001年3月にカビラ大統領が死刑の執行停止を明言してから、最初に行われた処刑であった。2002年9月に、死刑の執行停止が解除されたことによるものである。
ベトナム――公式報道によると、今年の初め以降、10人が処刑され、そのうち6人が殺人罪、4人が薬物間犯罪を犯した者だということである。26人が死刑判決を受け、そのうち18人が薬物関連犯罪、5人が殺人罪、2人が詐欺罪、1人が強姦罪だということである。
これらの数字は、すくなくとも34人が処刑され、すくなくとも48人が死刑判決を受けた2002年よりも、死刑の適用が事実上増加していることを示している。
タイ――3月13日に、上院は、刑法改正法案の第一読会を承認した。その法案は、18歳未満の少年犯罪者に対する死刑および終身刑を廃止することにしている。上院は、処刑方法として、銃殺刑執行隊ではなく致死薬注射による方法を採用することも可決した。その法案は、今、別の読会に受理される前に、上院特別委員会で再検討されている。
アメリカ合衆国――ハーグの国際司法裁判所(ICJ)は、2月に満場一致で採択された命令のなかで、メキシコがアメリカ合衆国に対して提起した事件に関する裁判が係属中の3人のメキシコ人について、アメリカ合衆国は彼らの処刑を妨げるのに「必要なあらゆる措置」を講じるように警告した。メキシコ政府は、
アメリカ合衆国の死刑囚監房にいる50人以上のメキシコ人の領事権の侵害をめぐって、アメリカ合衆国に対する訴訟手続が始められた1月に、このような「予防策」を求めていた。国際司法裁判所(ICJ)の命令のなかで名前を挙げられたCesar Roberto Fierro Reyna、Roberto Moreno Ramos、Osvaldo Torres Aguileraの3人は、処刑日が迫っていた。
アメリカ合衆国には、100人以上の外国人死刑囚がいる。大部分の事件において、彼らには、領事関係に関するウィーン条約に規定されているように、援助を受けるために領事に連絡する権利についての通告が逮捕時になされていなかった。
オクラホマ州───4月3日に、32歳のScott Hainが、17歳のときに犯した2つの殺人のかどで処刑された。1998年以降に世界で処刑された少年犯罪者18人のうち、13人がアメリカ合衆国で記録されている。国際法は、犯行時18歳未満の者の処刑を禁じている。
メリーランド州───3月18日に、メリーランド州議会は、州において死刑に関する司法制度の人種的および地域的偏向についての研究が続いている間は、死刑の執行を停止するという法案を、24対23で退けた。立法化されれば、死刑の執行停止は、2005年まで続けられることになっていた。
2002年の死刑判決と処刑
2002年にすくなくとも31カ国で1,526人が処刑された。すくなくとも67カ国で3,248人が死刑判決を受けた。これらの数字は、アムネスティ・インターナショナルが把握した事件のみであるので、実数ははるかに多いとおもわれる。2002年においては、すべての処刑の81パーセントが、中国、イラン、アメリカ合衆国で行われている(アムネスティ・インターナショナルのウェブサイトwww.amnesty.orgを参照のこと)。