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踏まなければ殺されるのに、踏めなかった人たちがいました。 宗教だから、と言ってしまえばそれまでですか、これは物凄いことです。 即物的な目で見れば、一片のブロンズなのに。 アフガニスタンの巨大石仏を壊すひとたち、またそれを阻止しようとするひとたちがいます。 壊す側の目は、それを邪教の痕跡と見ます。 (いまの日本人が「サティアン」という言葉で連想するものを考えたら、近いかも知れません。) 一方、守るほうはそれを「文化財」や「美術品」として見ているようです。 もちろん、壊さないほうがいいと私も思います。 このような崇拝の対象としてのかたちを、聖像(イコン)と言います。 イコンには、美術としての上手さなどは、とりあえず関係ありません。 そのものが何を具現化しているかを見る見かたです。 そのような目で、かたちを探る学問を、図象学(イコノロジー)と言います。 絵は、いわば、「なにを、どのように描いたか」と見ることができます。 この『なにを』をかんがえるのが重要なのですが、『どのように』の部分、 たとえば様式や技法のみが“美術”と思われている現実があります。 踏み絵を踏めなかったひとたち、石仏を壊すひとたち。 彼らについて考えるとき、この「イコン」を見る目が、不可欠です。 そしてこれは蛇足ですけれど、私もまた、図象としてのかたちにこだわりを持って、 つくってきたつもりです。 隠し絵や知恵の輪といった怪しい技法だからこそ、 「それが何なのか」が最も重要だと思うのです。 現在も崇拝の対象として息づいているはずのものを、博物館のガラスケースで見ることにも、 違和感をおぼえます。 日本で買った仏壇を、下足箱として使ったアメリカ人がいたのだそうな。 その話を聞いたときと同様の、違和感を感じます。 しかし、唐招提寺でなく博物館で、鑑真和上に合掌するような宗教性を私が持っていないのも、 また現実です。 ここまで2001年3月7日 踏絵や切支丹を調べたくて、天草・島原を旅してきました。 わかったことも、さらに謎が深まったことも、たくさんあります。 とりあえず、現場で見てきたこと、その場で感じたことを、まとめました。 画像が多いので、4ページに分けてあります。 「旅日記 天草 1」 「旅日記 天草 2」 「旅日記 天草 3」 「旅日記 天草 4」 PDF版「旅日記 天草」(Adobe Acrobat Reader 用、143キロバイト)もあります。 (Adobe Acrobat Reader は、アドビシステムズ社 にあります。 ご覧のブラウザでPDFファイルをご覧に慣れない場合、 上記URLからダウンロードできます。) エラーが出るようでしたら、PDF版「旅日記 天草」をファイルに保存してから、 ブラウザでなく Acrobat Reader 単体でご覧くださいませ。 ページ送りでエラーになることがあるようです。そのため、 PDF版「旅日記 天草 1」、 PDF版「旅日記 天草 2」も用意しました。 ここまで2001年4月2日 現存する踏絵のうち19点は、長崎奉行の命令で、仏具師が制作したものだそうです。 私が見た範囲では、オリジナルに忠実なものや、東洋的な出来栄えのものなどがありました。 そこで、以下のような疑問が頭に浮かびました。 その仏具師が、切支丹に対して同情的・好意的だった場合、かれは踏絵を上手につくるか、 それともブサイクにつくるのか?踏むのにためらいを感じないように、ヘタクソにつくるという予想もできます。 それとは逆に、天国を信じて、処刑されることを覚悟した切支丹の信念を尊び、 上手に仕上げると考えることもできます。 私がその仏具師だったらどうするかなぁ、と考え、次のような妄想を浮かべています。 踏絵の制作という極秘プロジェクトゆえに、こっそりと作業を進めるうちに、 隠れ切支丹への共感が高まり、神々しいものをつくる行為に没頭した。それは一体どんなものなんだろう、については、また後日アップします。 ここまで2001年4月9日 続きを書くのにずいぶん間があいてしまいました。 上記の“異教徒も踏めない踏絵”は、私の思う『美』のたとえ話です。 冒頭に書いた、石仏を破壊したタリバンたちのいるアフガニスタンは、 これを書いている現在、米英の空爆に曝されています。 ニューヨークでのテロに対する報復らしいです。 ブッシュ大統領が口を滑らせた『十字軍』という単語が象徴的でした。 それにも増して「正義と悪との戦い」という表現が、あまりにも幼稚でした。 ここまで2001年10月9日 |
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