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かんがえごと:記憶の袂屑


無関心だった分野の読書 その1
うえさきひろこ,「うんち日記」詳伝社
 “育児書”なんて、まったく無縁で、無関心でした。
しかし、それゆえに新鮮な発見が多く、一気に読みました。

 この本のスゴさは、子供や母性の成長だけでなく、「父性」の成長も描いている点にあります。
授乳が母性を発現するトリガー(引金、きっかけ)になると言われるように、
「父性」の発現にもトリガーがあることを、著者は観察しています。
その「父性」は当然、オスとしてのフェロモンにも影響するわけで...

 日常に潜むアブナい香り。男がこっそり読むべき“育児書”だと思いました。

うえさきひろこ,「うんち日記」詳伝社 平成12年 ISBN4-396-61117-X

2001年1月7日

神在月の玄圃梨(1999年のスケッチから)
植物としての知識は、検索サイトをご利用下さい。「ケンポナシ」と読みます。
神在月(旧暦の十月)、出雲の国では佐太神社の祭りの頃が旬です。
語源としては“テンボ”が有力なのですが、仙人が住むという昆崙の都「玄圃」(縣圃)の字が、 仙人の杖のようなその形態に良く似合います。

江戸期には日本中で身近な甘味料として知れ渡っていたようですが、今では知る人も減りました。
実の小ささや傷みやすさ、他の果物の品種改良や土地の開発などで、 いつしか里山から消えていったのでしょう。

物心ついた頃から口にしていたせいか、風が冷たくなると、ふと思い出します。
外観からは思いもよらぬ甘み、梨に似た深い香り。

神社には亀甲の中に『有』の字を染め抜いた幡幕が懸かります。
「神在月」が十月になったか、十月が神在月になったのか...

ここまで2000年11月7日

こんなところに『ケンポナシ抽出物』の文字を見つけました。びっくりしました。

ここまで2001年10月18日

ものすごく、自由なひと
「私は学者でないから...」で始まる手記を、いま読んでます。およそ五百年前のイタリア人です。
翻訳が岩波文庫から出たのが1958年。訳者は杉浦民平というひとです。
軽い気持ちで読んでいると...

月には水がないという反対者の矛盾だらけなこと。[下巻 P.55]
月の水の存在を、彼は直感していたのか?

...人間が地水風火から構成されているとすれば、この大地の肉体も同様だから。[下巻 P.150]
『ガイア理論』だ。

あらゆるものの部分はそれ自身のうちに全体の性質を保っている。[下巻 P.143]
フラクタル性ってことだね、これは。

ルネサンスびとの日記の類は、どれもそれぞれに面白いです。情熱的で尊大なミケランジェロ、 もっと自画自賛なベンベヌート・チェッリーニ、出納簿のようなデューラー。
でも、分野を超越した自由を謳歌しているのは、この、「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」。

権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず。ただ記憶を用いるにすぎぬ。[上巻 P.22]
これを引用するのは、矛盾ですね。
分野を超越した自由が、自分のものになるように、がんばってみます。

2000年9月12日

風呂上がりの男
 以前、台湾に居たことがあります。石材彫刻の工場で、半ば居候のようにして、 スケッチや石彫を楽しんでいました。
 ある日、親方さんが、ミケランジェロのダビデ像を模刻していました。
なかなか、上出来でした。
 ダビデ像は、そのままのプロポーションで縮小すると、頭デッカチになります。
もともとが巨大なモニュメントだから、見上げたときのことを考えたプロポーションですね。
そのあたりも配慮して、いい感じに仕上がっていました。

「親方さん、なかなか、上出来ですねぇ。」
「いいだろう、この『風呂上がりの男』。」

私は一瞬、絶句しました。コレは巨人ゴリアテを倒したダビデで、手に持つのは革製の投石具で...
親方さんは、続けて言いました。

「香港のホテルの大浴場に置くんだよ。」

そうか。私は、妙に納得しました。大浴場で、タオルを持つ、風呂上がりの男。
私は、芸術が権威であると、盲信していたんじゃないか?

「そうですかぁ。大浴場にピッタリですね!」

そう言えたとき私は、それまで抱えていた気負いを捨てて、 ニンゲンのために、なにかをつくってやろうじゃないかと思いました。

でも、コピー商品ばっかり作ってちゃ、いけないんだぞっ!

2000年9月2日



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