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平 成 13 年 の ひ と 月 ひ と 島

 


12月/兵庫県男鹿島 01.12.29

採石場に蝕まれる島。そこには砂埃と、石や土の山だけが存在する。

 

11月2回目/沖縄県南大東島・北大東島 0111.29-12/2

 12月から2月にかけて、職場ごと、千葉の袖ヶ浦に引っ越しをする。それまでにすまさなければ行けない仕事を済ませ、忙しい日々の一区切りをつける意味で少し遠いところに行くことにした。
 南大東は飛行機が寄港しただけ。それでも一度飛行場に降ろされる。以前来たときは旧飛行場だったが新しくなって、オオコウモリのキャラクターグッズなんか売っている。南大東も少しずつ変わりつつある。
 そして、北大東へ。初めて行く島に行きも帰りも飛行機でというのは初体験。北大東に着いたのは4時すぎ。民宿二六荘のマスター、浅沼さんに宿まで連れていって貰う。同じ飛行機であと3人の客が来た。みんな建設関係だ。ハマユウ荘ができたときのごたごたのせいで、役場関係者は二六荘には泊まってくれない。しかし現在島唯一の土建業者「与儀組」は、空前の好況で、二六荘も連日満員である。好況の原因はもちろん公共事業だ。
「もう、島ではやることがなくなってきた」
浅沼さんは言う。
「いま、島にいくつか池を掘ってるよ。その池の水をポンプでタンクに吸い上げて、それをホースでキビの根本まで導くわけ。ほら、ここの畑はキビの育ちが違うだろう」
「全部がここの畑のようになったら、もう島にはやることがないね。与儀組も、私の二六荘も、あと数年で終わりだな」
 道沿いには数百メートル毎に工事中だの、ダンプ出入り口だの、片側交互通行だのの標識が現れる。太平洋のまんなかに忘れられたかのように浮かぶ周囲10キロ余りのちっぽけなこの島を、いったいどうしたいのだろう。
 どうせなら、国防としてこの事業をやったらどうかとすら思えてくる。南北大東島に住民がいなくなり、尖閣諸島や竹島のように他国の実質的影響力が及ぶようなことはなんとしても避けねばならぬ。だから、この島で住民が不安なくやっていけるよう、国防としての基盤整備事業を行う。そういう大義名分を用意した方が、まだすっきりとする。そうして、いっそこれらの事業は、自衛隊にやらせたらどうだろう。
 ノンビリしに島に来たのに、やはり飛行機で来てしまったせいか、いろいろなことを考えてしまってノンビリできない。宿の自転車を借りて狭い島をぐるぐると走り回る。夜は高感度フィルムや三脚付きのカメラを手に燐鉱山あとの廃虚を撮りに行ったりする。寝る暇さえないぐらいだ。
 4日目の昼下がり、木陰でうとうとしながらオカリナを吹いていたら島の子供たちが集まってきた。みんなにも吹かせて一緒に遊んでやる。やっと島リズムに同化してきた。
 でももう帰らねばならぬ。
 やはりノンビリ島旅の、行きは船に限るというのが結論。

 

11月/岡山県犬島 0111.24

 久しぶりに岡山の祖父・祖母宅に宿泊。翌日、西大寺駅でK氏と落ち合い犬島へ。
 宝伝港は改築されてきれいになってしまっていた。帰りは犬島に岡山港から船で通勤しているという人に乗せて貰って新岡山港へ。

 

10月3回目/山口県端島・黒島 0110.20

 寮から自転車で10分、岩国港新港(しんみなと)から船が出る島々。忘れていたわけではないが、どうしても遠くの島々に目が行ってしまい一年間置き去りになっていた。なんとなく忙しさに疲れた秋晴れの日、出港30分前に思いついて、港まで自転車を飛ばした。
 端島はほとんどが高齢化世帯。島で70歳代はまだ中年、60歳代は若者だと話していた。それでも柱島群島で、将来の学校を守るべき赤ちゃんがいるのはこの端島だけ。瀬戸内の小離島の小中学校はどこも存亡の危機にある。端島小学校の校長室(?)には、10年前に一旦閉校せざるを得なくなったときの3月の行事予定表の黒板が、白墨の文字も鮮やかに保存されている。閉校式、物品搬出、etc. 見ていると本当につらい気持ちになる。そんな掲示板を消さずに残してある姿勢からは、文化灯台たる学校は絶対に守る、という気概が感じられた。
 ただ、端島の将来は決して明るくない。学校の先生方も、島の将来については半分諦めているように感じられた。島を一周する短い舗装道路すら、山に入る人がいなくなってしまったため倒木や草に被われて、一周するのに難渋するほどであった。公務員たる学校の職員を除けば、島にいるのはほとんどが年金生活者である。
 端島小学校で、校歌の楽譜を貰い、オカリナで吹いてみた。この小さな島の素晴らしい校歌、いつまで歌い継がれるのだろうか。
 端島からの帰りに黒島に寄り道。端島→黒島の乗船券の発売は一年三ヶ月ぶりだと言われた。
 黒島の山には畑が広がっていて、島人たちはまだ元気に山で働いていた。島の活気という点では黒島の方が上だろう。しかしやはり文化灯台たる学校がないというのは寂しい。

 

10月2回目/山口県黒髪島 01.10.07

 山口県の徳山沖の島で、全島石切場のため、立入禁止。
 ただ、SHIMADASにもそのような記述はなく、乗船券を買うときも何も言われなかったし、船も何も言わずに下ろしてくれたので、行けてしまった。どうも、三脚にカメラ機材を抱えていたため、マスコミの取材かなんかと勘違いされたようだ。
 鼻先を岸壁に押しつけた舳先から上陸すると、すぐに船は離れていった。目の前にはばかでかい、関係者以外立入禁止の看板がいくつも立っている。すぐに車がこっちに向かって走ってきて目の前で停まる。
「何しにきたんね」
「写真を取りに来ました。できれば山を越えて、仙島の方に行ってみたいのですが……」

 目的は黒髪ではなく、仙島の「希望の家跡地」。昭和三十年代まで、恵まれない子供たちのための私設の施設だったところで、その昔は別荘地だったとか。SHIMADASに、廃虚になっている、と書いてあって興味があったのだ。
 地形図によると丸い黒髪島を横切り、干渡と呼ばれる砂嘴を渡って仙島に渡り、細長い仙島の稜線沿いに道が希望の家跡地まで続いる。
 しかし、聞いてみると、その道は少なくとも黒髪側からは辿ることができないらしい。大潮の日ならば干潮を狙っていけば海岸沿いに歩けるそうだが、とにかく今日は作業日で発破が予定されているからウロウロされては困るとのこと。
 確かに外国の鉱山で働いているようなでかいショベルカーやらダンプカーやらがもうもうと土煙を上げて動き回っていて、とても歩ける雰囲気ではない。
 仕方がなく、次の船まで三時間、見事に真っ黒のきれいな毛並みの子猫二匹を相手に、オカリナを吹いた。オカリナを吹いていると、作業の主任がやってきて、車で坂の上の頂上まで連れて行ってくれた。生きた心地のしない道だったけれど感謝感謝。

 帰りの船は旗を振らないと寄ってくれない仕組み。船が見えたので、おいて行かれては大変と旗を何度も振った。黒猫がその旗に興味を示して飛びかかろうとするので面白半分に振り続けていたら、もうわかったよ、という感じで船が汽笛を鳴らした。

 

10月/阿多田島 01.10.01

 小方港は自宅から自転車で十分強。お昼過ぎの船に乗って島に渡った。
 そこで偶然出会った、阿多田島小学校の校長先生は、むかし銀行員だったのに、転職して学校の先生になって、そして南米の日本人学校の先生などを経て阿多田島にやってきたという方。また来てね、泊まっていくと良いよ、と言われたので、また行くつもり。
 それにしても雨上がりだったせいか、蚊が多くて参った。あと、赤い蟹が本当にたくさん島中に溢れていて、道ばたの枯れ葉が常にがさがさ行っているのが面白かった。
 帰りの船は午後六時。中秋の名月と岩国基地を離発着する戦闘機や輸送機の光がきれいだった。

 

9月2回目/和歌山県友ヶ島 01.09.23

 友ヶ島も二度目。今回は前回よりは時間をたっぷり用意したけれど、虎島までは行けなかった。
 しかし、ヘッドライトを用意していったのは正解。
 4月から航路がなくなったと聞いていたのだが、とりあえずはまだ運航しているようだ。便数も増えた気がする。

 

9月/第二海堡・猿島 01.09.15-16

 出張中の一日、第二海堡に友人を連れて行った。二度目だ。軍艦島と同じく廃虚の島だけど、こちらはなんだかのびのびあっけらかんとしていて気持ちがいい。
 翌日、猿島にも行く。人が溢れており、つまらない。

 

8月2回目/長崎県端島 01.08.25-085.26

 念願かなって、端島に行って来た。しかも泊まりである。あるパーティと一緒に一夜を過ごす。はじめての離島キャンプ。
 実は端島の写真はいろいろなメディアで公開されていて、でも、「軍艦島グラフィティ」という絵本を見て以来、なんだかそれらが非常に表面的な気がして、写真に満足できなくなった。逆にその廃虚の写真だけではそれほど感じなかった、「島」または「ムラ」としての軍艦島を、その絵本が感じさせてくれたと言ってもいい。とにかくそれ以来、以前からも行きたいな、程度に思っていた軍艦島に強烈に行きたくなった。
 行ってみて、強烈な印象を受けた。島の建物は確かに廃虚なのだけれど、その建物のてっぺんにたって空を見上げればその空はきっと数十年前と同じだ。再び目を下ろしたら、たくさんの子供たちや主婦が端島銀座や潮降り街を歩いているのではないかという錯覚に何度もとらわれた。
 まだ、あまり印象が整理できないので、そのうちもう一度行ってみるつもりだ。
 ちなみにこの島はほぼ全域が私有地のため立入禁止です。渡島は法律を侵し、危険を冒す行為ですので、お奨めできません。

 

8月/周南諸島野島 0108.15

 夏休みで一週間の休みなのだけれど、最近出張続きで遠出をする元気はナシ。近場もそんなに行きたくないのだけれど、そんな状況ではどうも納得いかないので友人を急遽誘って野島に行った。野島を選んだ理由は友人の住んでいる場所とぼくの住んでいる玖珂郡和木町のちょうど中間であると言う理由。
 お盆でたくさんの子供が島に戻って、ニギヤカだった。

 

7月2回目/沖縄県渡名喜島・久米島・奥武島・オーハ島 01.07.19-24

 大坂那覇航路の飛龍21で那覇へ。これで鹿児島航路のみの就航船舶を除く全ての沖縄航路船舶を制覇したことになった。
 前半は夏休み初日、三連休で久米島は満杯。渡名喜に避難。赤瓦とフクギが美しい素晴らしい集落。人も少なく快適。
 そして後半、とうとう、あこがれの島、オーハ島に渉ってきた。渉って、という字面の通り、久米島と架橋されている奥武島から大潮の干潮に歩いて行った。島のオバアに孫の写真を見せて貰いながらユンタクをして、帰ってきた。

 

7月/厳島(宮島) 01.07.01

 カメラを買った。試写をするのに、べつに寮の周りでもいいのだけれど、折角だから宮島に行った。
 行きは連絡船に乗ったけれど、帰りは宮島から宇品への船に乗ってみた。

 

6月2回目/芸備諸島向島・岩子島。因島、上島諸島岩城島、越智諸島伯方島・見近島・大島 01.06.17

 天気は快晴。梅雨入り前の最後の晴れ間だとテレビが言っている。だから自転車を持ち出して、サイクリング。でもちょっともう、サイクリングには暑すぎる。だからあまり気合いを入れず、下調べもしなかった。
 まずはしまなみ海道起点の尾道の駅前からの船で向島へ。そこで自転車を組み立てる。所要時間僅か一分。組み立て終わると船員さんがやってきて、さっきお金取りすぎたみたい、といいながら100円渡してくれた。
 なんだか得した気分で漕ぎ始める。橋で繋がった岩子島にも足を伸ばす。なんてことはない田舎の集落といった面もちだ。橋で戻りまた橋を渡って因島。重井西港から細島に渡ろうとも思ったけれど、ちょうど船が出た直後で諦める。沖を見れば細島の方に向かう小さな船が見える。あれが「こまたき」なのだろう。しかし「こまたき」って何だろう。
 土生はなかなか大きな町だった。お好み焼き屋さんに入って店のおばさんとしゃべりながらお好み焼きを食べる。このあたりもだいぶん活気はなくなったけれど、それでも斜陽とはいえ造船所があって、その下請けの会社があって、小さな会社が多くて社長さんなんかも多いから、なかなか気っぷのいいおじさんが多いんよ。今日は来てないけれど、時々来る社長さんは、必ず若い人がいると奢ってくれるよ。私もね、今は引退したけれど、昔は船に乗って関西から九州まで荷物を運んだよ。鉱石とか煉瓦が多かった。木造船の時代は時間がかかったからほとんど船の中で生活してたな。周りの島は気の毒なほど寂れているけれど、それに比べたら因島はまだ元気よ。造船があって、下請けがあって、社員がいるからお好み屋もできるしね。
 船に乗りたくなったので、しまなみ海道をはずれて岩城島に渡る。自転車で丘を越えて島の向こう側に出る。すぐに船があって伯方島に渡る。岩城島の印象は立派な道路のみ。
 そろそろ疲れてきたけれど、せめて大島まで渡りたい。島を三分の一周して、伯方大島大橋の途中の橋脚の島、見近島で小休止。ペットボトルのぬるい水を頭からかぶって再び走り出すけれど、もう疲れた。大島の山を越えて、吉海町役場前からバスに乗って帰途についた。

 

6月/愛媛県青島 01.06.03

いまどき、自動車はおろか、自転車さえない自販機もない、島。
でも、この島にはいくつかの廃虚。
「鉄塔」……昭和なかばに建設された鉄骨を無骨に組み合わせて作った鰯漁の魚群を探すための塔。集落からちょっと離れた山の中腹、灯台の近くにある。錆びついたハシゴが鉄塔の上まで続いていて、鉄塔の上は朽ちかけた板が物干し台よろしく並んでいる。上に登れば景色が良さそうだが、怖くて登れない。
「青島公民館」……昔の青島小学校。公民館とは名ばかりで、小学校そのままだ。コンクリート二階建て。昭和52年廃校。中はつばめの巣。音楽室のなかに、ピアノ(ちょっと音は狂っている)、足踏みオルガン、太鼓、鉄琴等があった。放送室には校時を区切るチャイム代わりに使われたと思われる手持ち式の鐘があった。振ってみたらいい音がした。いろいろ弾いて、もちろん持参のオカリナも吹く。足踏みオルガンも懐かしい響き。
 ぼくのおじいさんが現役時代、地元の学校でいらなくなった足踏みオルガンを持って帰ってくれたことがあった。田舎に帰ったたびに一日中、足踏みオルガンをめちゃくちゃに弾いていたことを思い出す。
 校庭は草ぼうぼうで、ジャングルの様相。その中に、朽ちかけたジャングルジム。
「旧簡易宿泊所」……その昔の青島公民館で、さらにその昔の青島中学校。昭和43年廃校。今にも崩れそうな二階建てのコンクリートの建物。中を歩くと、なんだか建物全体がゆらゆら揺れている気がする。窓枠はほとんどはずれ落ち、中は簡易宿泊所当時の状況がわずかに推察できる程度。学校だった頃の遺物は壁が崩れ落ちた奥にある黒板を取り外した跡ぐらいか。階段でてっぺんまで登ったら、屋上は気持ちがいい展望台であった。集落すべてを見下ろせる。昼寝ビールに最適。

 

5月/台湾小琉球 01.04.27-05.04

 宮崎までJR、船で沖縄、飛行機が欠航になって焦ったけれど、二つあとの便に乗って台湾へ。
 台北から飛行機で高雄、バスで東港、そこから高速船で30分ほど。乗船券には「東港←→琉球」と書いてある。台湾では沖縄のこともいまだに琉球と呼ぶ。それぞれを区別するために、大琉球・小琉球といういい方もあるらしい。今回の行き先は、周囲十キロほどの小さな小琉球だ。
 モーターサイクルはどうだとしつこい勧誘を振り切り、島にしては立派な店構えの中華料理屋でお昼ご飯を食べる。何とか島に到着してもちろんめでたいから、ちょっとだけビールを飲む。
 宿を決め、荷物をおいて、昼寝と行きたいところだけれど、同行のAr君はなぜか臨戦態勢である。三脚まで持ち出している。
 しかし、またどういうわけだか(天気予報に反して)、大変な好天で、なんとなくこんな天気に外へ行かないのももったいない気がしないでもない。こんなことではいけないのだが、まずは適当に歩き出す。まっすぐ歩いていっても、なかなか海に出ないところからすれば、島の真ん中の道をまっすぐ南の端に向かっているらしい。
 南の端に近いところに店があったから、そこで台湾ビールを飲む。オリオンビールに似た系統の味だ。
 夜、島の料理屋で様々な海産物を食べた。台湾ビールもたくさん飲んで、幸福である。部屋に戻ってケーナとオカリナを吹く。

 高い天井を眺めているうちに寝てしまう。いつの間にか、朝になった。今日も素晴らしい天気である。
 昨日はがんばって動きすぎた。9時までゆったりと過ごし、朝御飯を求めて集落を徘徊する。琉球香腸というソーセージ状のものを焼いている屋台がある。そこでライスバーガーのようにしてそのソーセージを食べる。Ar君はおみやげ用にそれを箱で購入している。これはあとにぼくも買うことになる。船員の携帯食として出来たものらしい。おいしかった。
 部屋に戻り、今日はオカリナも携帯して、歩き始める。昨日の半分ぐらいの速度が目標である。今日は夕方五時の船で島抜けするのが目標だから、是が非でもゆっくりしなければならない。昨日歩かなかった残りの半分を歩くつもりで出発。昨日はAr君もずいぶんせっかちだったが、諦めたのか、今日はぼくのペースに合わせてくれている。
 隆起珊瑚の海岸で小休止。
 近くの小学校から、なにかの標語かそれとも公式か何か、みんなで声をそろえて読み上げている。今日も晴れ。天気予報からは予想もつかないすばらしい天気である。ちょっと靄がかかっているから、これから天気は悪くなるのだろう。オカリナを吹く。
 歩き出すと海岸沿いに、迷彩色に塗られたかわいい見張り台があり、思わず写真を撮りたくなる。大きな双眼鏡が備え付けられていて、軍人が一人、それを覗くわけでもなくイスに座って海をみている。草木の生い茂る南の島の海岸にあって、そこだけきちんと草が刈られ、見張り台への道は丁寧に石で縁取りされている。門の白いペンキも手入れが行き届いている。レンタバイクが走り回り今一つ落ち着きの感じられないこの島で、そこだけが時間が止まったようだった。

 

4月2回目/滋賀県(琵琶湖)沖島 01.04.21-22

 非公式組織の集会である。アヤシイ非公式組織なのでメンバーもアヤシイ。アヤシイ散歩をして、アヤシク食べて、アヤシク眠って、アヤシク島内を徘徊する。そういえば、鮒鮨を食べた。アヤシク美味。

 

4月/五島列島小値賀島・斑島、長崎県池島・高島 01.04.06-08

博多港発の夜行の船で小値賀に渡った。フェリー太古。地元民は太古丸と呼ぶ。二等室はほぼ満席。この船は前乗ったときもそうだった。
0450小値賀着 未明の小値賀を自転車で漕ぎ出す。斑島にも行く。やっぱり三脚を持ってくるんだった。
島を一回りし、朝の船で佐世保行き。フェリーなみじ。乗り換えて、1130佐世保→池島 れぴーど2。高速船だ。
1246池島着 自転車を組んで島内徘徊。まず坂がある。小学校低学年くらいの女の子が登っている。ぼくが止まるとその子も止まり、満開を少し過ぎた桜をカメラに納めているとその子は座り込んで待っている。自転車にまたがり全速力で登るとその子も駆け登る。島内の高層建築は空き家が多い。スーパーで買ったお弁当とビールを港に戻り食べる。何故かレタスがうまい。
1510の船で池島→瀬戸。高速船。そこからバスで長崎。駅前のビジネスホテルに投宿。
翌朝、長崎港から高島に行く。0924高島着。自転車で一周。軍艦島が見える。KさんとY兄にケイタイメールを打つ。

 

3月2回目/神戸ポートアイランド 01.03.24

 大阪に行った日、夜行で着いたので朝が早かった。店が開くまで時間がある。それでポートアイランドに行った。
 いちばん端っこの遊覧船乗り場の建物は、新しいのだけれどガラスが割れたところに板が打ち付けてあったり、なんだか廃虚予備軍、と言った感じであった。

 

3月/島根県大根島・江島そして、南大東(?). 01.03.19-20

 久しぶりに18切符を買った。大竹を始発列車で出て、各駅停車を乗り継いで、まずは「南大東」に、行ってみようと思った。南大東はもちろん沖縄ではない。木次線というローカル線の無人駅である。しかし寝過ごした。二時間遅れで出発したけれど、木次線の接続はなかった。だから、接続の駅、備後落合で自転車を組み立て、自転車で行くことにした。はじめ一時間弱登ると、「おろちループ橋」である。爽快に下る。並行の木次線もスイッチバックと大蛇行で高度を落とす。ヤマタノオロチ伝説の斐伊川に沿ってどんどんと降りていって、しばらく行くと崖崩れで通行止めになった。仕方なく木次線の列車に乗った。いくつかの駅を過ぎてついた南大東は本当に小さな駅だった。そこからまた自転車を組み上げて海潮(うしお)温泉に入りに行った。途中に「雲南総合病院」とかいう名前の病院があった。出雲の南だから雲南である。でも、中国にも行きたい。JA大東とかもある。だから沖縄大東諸島にも行きたくなる。旅心をくすぐるエリアである。
 翌日、松江から自転車で大根島・江島に行く。途中矢田の渡しを使おうと思ったけれど、押しボタンを押して待ってもちっとも対岸の船は動かない。朝と夕だけの運航で、別に祝日運休ではないはずだけれど、今日はまだ寝ているのか。なんだかぽかぽかと暖かい春の朝だ。春眠暁を覚えず。仕方がないからちょっと遠回りになるけれど橋を渡る。橋の上は風が強かった。
 橋を越えて中海干拓の堤防を越えて、大根島にはいる。なだらかな起伏が続く低い島で、特産は牡丹と朝鮮ニンジン。朝鮮ニンジンは茅葺き屋根付きの畑で栽培されている。茅が新しいものは一年生。年季の入った色の茅は五年生の朝鮮ニンジンだ。朝鮮ニンジンは五年生になってはじめて収穫する。自転車で島を走り、もう一つの名所、溶岩洞に行ったけれど、こちらはこの間の地震のせいで入ることができなかった。
 江島を通り抜け、境港線の小駅にたどり着くなり汽車が来て、自転車をたたむ暇もなく列車に持ち入り中でたたむ。乗客の注目を浴び、左となりの子供は目を輝かせている。右隣のおばさんは自転車があっという間に小さくなるのにいたく感心したようで、自転車はいくらぐらいするのか、どこで買えるのかなど、根ほり葉ほり聞く。船もあれば世界中に行けるね、と言うから、フォールディングカヌーというものもあることを教える。そのおばさんは隠岐出身だった。シマダスを見せて話に花が咲いた。

 

2月3回目/山口県八島 01.02.18

 天候が不安定なので、自転車は止めて電車とバスと船で八島に行った。老齢化の進んだ山口県の島々の中でも、ひときわ老人の割合の多い島のひとつだ。島人たちは人との接触に餓えていた。ここ十数年で急激に人口流出が進んだからだろう。道で島人に会うときっと島人の方から声をかけてくる。
 八島は移民の島だ。明治の頃から八島の人々は世界へと旅立っていった。そのことがふるさとの島人の心を外へ向けていることは否めない事実だ。移民から流れて来るお金で作った八島の立派な屋敷街を歩いていると、複雑な気分になる。
 詳しくは、八島メモをご覧下さい。

 

2月2回目/広島県下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、斎島、愛媛県岡村島、小大下島、大下島、大三島、広島県大久野島 01.02.11-12

 最近、ひとつの島にじっくり滞在することの楽しみに目覚め、そうした旅を最高のものと考えて島旅をしている。しかし仕事は自由には休めず、長期滞在の旅をする余裕はない。かといって日帰りや一泊二日の旅では、なんとなく満足できない。これは不幸なことだ。
 そこで考えた。たまには行った島の数を増やすのも一興ではないか。それがサラリーマン島旅ニストの健気で正しい姿ではないか。
 橋の多い瀬戸内の島旅には、組立式自転車がいい。そう信じて組立式自転車をネットで買った。これを持っての初の島旅である。
 2/11 0636呉線仁方駅着/自転車組み上げて出発 0710安芸灘大橋 下蒲刈島 0800蒲刈大橋 上蒲刈島 0933大浦港→豊島まて船。 
 ここの切符売りのおばさんがよかった。
 港で船を待っていると、おばさんが現れた。「どこに行くの」「豊島まで」「大浦豊島……とよしまとよしまっ、と、……ないかな」と、カバンの中の切符の束を探す「……」「ないね」「えっ」でも、おばさん、ちっとも慌てる風もなく、「いやぁ、これをこうして」と、大浦→(子供)→仁方、の、切符を2枚、ちぎって、ホッチキスでとめて、一枚目の上に鉛筆で、「トヨシマ」と、記入。「はい。???円」「あ、はい(^^;)」
 しかし、恐るべき機転。臨機応変な対応ぶり、人生80年(たぶん)、切符がないくらいで慌てていてはいけないのかもしれない。おばさんは満足したようにゆっくりと家に戻っていった。
 豊島の港に着いたら、豊島のおばさんが切符の回収に来た。おそるおそるそのインチキ臭い切符を差し出すと、笑いながら、「いつも、これなのよね」えっ、いつも、ってことは、あの、探す動作とかは、芝居だったのか。恐るべし蒲刈のオバア。
 0941豊島着 豊島 1030豊浜大橋 大崎下島 1128大浜港発→斎島へ 斎島 1250斎島港発→大浜へ戻る。おいてあった自転車に乗り換え、大崎下島を走る。1450平羅橋 平羅島 1455中ノ瀬戸大橋 中ノ島 1500岡村大橋 岡村島……シマダスにも載っている「弓祭り」をちょっとだけ見学。1550岡村港発→小大下島 小大下島……同じく寂れた島なのに、どうして斎島とこうも違うんだろう。斎島は非常に居心地が良さそうだったが、ここは、荒れ果てた雰囲気。 1729小大下発→大下島 大下島泊……民宿のおじさんおばさんがとてもいい方。話好きで、いつまでも話が尽きない。あした、大三島まで船で送って下さることになった。タダで!!!。……お金払うと言ったのに、受け取ってくれなかった。宿泊料は二食付き5000円。お土産にビニール袋いっぱいのミカンを貰った。
 そして翌日、2/12 0800大下島→(民宿の小さな釣り船)→大三島宗方港 大三島 サイクリングで北端へ。 1355盛港→大久野島 大久野島……サイクリングで一周。ここも廃虚の島。でも、面白そうなところには、入れない。1553大久野島→忠海(呉線で帰る)
 以上、自転車走行距離は約、65km。有人島だけで10島。うち9島は初上陸。他、無人島二つ。安芸灘大橋の橋脚となっている女猫島を入れると三つ。しかし気になる女猫島。何と読むのか。

 

2月/和歌山県友ケ島 01.02.03

 大阪オフ会に参加するため大阪へ。時間があったので和歌山の廃虚を鑑賞しに行った。でも2時間ではまったく時間が足りず、後ろ髪引かれる思いで帰途に。今度は是非懐中電灯持参で、二泊三日ぐらいのスケジュールで行きたいものだ。

 

1月/東京都御蔵島01.01.05-07

 北風が荒れ狂う中、行ってきた。こんなことができるのもへりのおかげ。それでも行こうとした初日はヘリは飛ばず、八丈泊。二日目、へりで渡った御蔵は風に包まれていた。鈴原湿原に登ったけれど湿原に入った途端凄い風で身動きができなくなり、這って戻った。
 次の日、風はだんだんとおさまる。森の木々の間を歩いていくと、昔の火口だという池があった。静かで、物音といえば鳥のさえずりと時々思い出したように吹く北風。オカリナを取り出して鳥と共に歌った。御蔵島は巨樹の島だ。人間より遙かに長い時間を生き抜いたこぶだらけの木々。そしてそんな木々の生育もただほんの短い時間なんだと言っているような風化した火山の地形。目をつぶると、島が噴火したあとの荒れた島の土に草が、そして木々が育って枯れて、また育って森が生まれ、そのうちにまた島が噴火して不毛の地となり、そしてまた森が出来……。そんな映像が浮かぶ。いま自分がこの御蔵にいるというのは、木々の種がこの風に乗って海を越えてやってくるのと同じ偶然に過ぎない気がする。
 次の日は雨。緑の島には雨が似合う。旅人は逆らえない。一週間ぶりに寄港した船に乗って帰るのみだ。



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