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平 成 14 年 の ひ と 月 ひ と 島

 

12月/なし

 また、出張が多くて旅をする気になれず。今月も沖縄料理屋さんに行ってお茶を濁す。

 

11月/長崎県平戸諸島平戸島・高島(平戸市) 02.11.2-11.3

 朝長重信著「竹やぶの小道を抜けて遠見に登ろう」という本があって、著者が僻地を希望して分校の先生として赴任した、昭和50年代初頭のこの高島を舞台に感じたことを纏めた本。その島が無人島化するかも知れないとの報道を耳にした。
 で、その高島に行くことにした。観光客を「全く」相手にしていない島、というのも何回か経験があるけれど、ここはちょうど離島報道のなかで島民がぴりぴりしている中の訪島だったので、チャーター船から上陸するやいなや、住民の厳しい視線が集中した。
 でも、激しい通り雨がときどき通っていく島は美しい草原と木々に被われている。そのなかにあちこち、旧海軍の施設跡がある。通り雨をそれらの施設の中に入って避けながら島内を巡った。この島の分校には校歌がある。分校に校歌があり、それに島の風光が折り込まれているというのは素晴らしいこと。廃虚のひとつのてっぺんで、もう歌われることがなくなるかもしない分校校歌をオカリナで吹いた。

  (分校校歌)ぼくらの高島

 降り注ぐ太陽 さあ行ってみよう
 竹やぶの小道を抜けて 遠見に登ろう
 どうだい 青いだろう 高いだろう
 みんな この空のように 大きな心なんだ

 頬なでる潮風 さあ行ってみよう
 芝生の岡を走って 四階建てに立とう
 どうだい 青いだろう 広いだろう
 みんな この海のように 澄み切った心なんだ

 ぼくらの空と海 さあスクラム組もう
 水平線の向こうに いま沈む夕陽
 どうだい 赤いだろう でかいだろう
 みんな あの夕陽のように 真っ赤に燃えてるんだ

 ※遠見; 島の最高峰。集落のすぐ裏にある。55.1メートル。
 ※四階建て; 戦中の日本海軍の遺跡でモトバンの山頂に建つ。

 

10月/熊本県天草諸島横浦島・天草下島。そして箕島(長崎空港) 02.10.19-20

 金曜日、広島でお仕事。早く終わったので広別航路に飛び乗った。別府で一泊。
 雨模様の九州横断豊肥線で阿蘇の火山を横切り、熊本でとうとう行き先を決めた。ワンマン列車で三角、客が二人だけの船に乗って御所浦町横浦島の与一が浦。雨の島を歩いて一周。40分しかかからない。
 翌朝、天草上島と下島の間を結ぶ改修中の可動橋、瀬戸歩道橋をくぐって船で本渡へ。バスと船と島原鉄道、空港バスを乗り継いで箕島(長崎空港)から帰還。

 

9月/なし

 最後に4連休があったけれど、どこにも行かず。代わりに母の還暦記念で箱根に行く。

 

8月/鹿児島県奄美諸島奄美大島・喜界島 02.08.15-8.25

 久しぶりに長い船旅がしたくて、沖縄行きの船に乗り込んだ。ターゲットは奄美大島の北東に浮かぶ喜界島。喜界島の小さな集落の民宿に一週間。
 帰りも、鹿児島まで船、宮崎まで電車に乗ってそこから船で川崎へ。

 

7月/なし

 出張が多くて旅をする気になれず。沖縄料理屋さんに行ってお茶を濁す。

 

6月/愛知県佐久島 02.06.22

 4月の島旅で会ったT君の結婚式2次会に関西まで行く途中、なぜか佐久島へ。
 海岸の灯台の袂でオカリナを吹く。
 最近、地域興しの本を読んで、島興しにとても惹かれるのだが、この島の「弁天海プロジェクト」、等身大の島のプロジェクトで好感が持てる。島興は、島人たちの特権。他の島では、島民でない方の活動から始まる島興しもあるにはあるけれど、やっぱり本当に熱きココロでやろうとすると島人たちの方が地に足がついている。

 

5月/鹿児島県トカラ列島諏訪之瀬島 02.04.29-05.03

0650 洲本→徳島 特急バス
0922 徳島→阿波池田 特急剣山
1054 阿波池田→高知 特急南風
1159 高知→宿毛 特急あしずり
1400 宿毛駅前→片島岸壁 路線バス
1430 宿毛港→佐伯港
1704 佐伯→宮崎 特急にちりん
結局、船の到着はほぼ定刻だったけれど、下船開始は1705。これは普通だなあとあきらめかけたけれど、タクシーで駅に駆けつけてみれば、まだ特急は来ていなかった。6分遅れ。
1916 宮崎→鹿児島 特急きりしま
A君を呼び出して、車で南埠頭へ。乗船券を購入。
その後、緑色の麺の不思議ラーメンを食し、乗船場へ。乗船場は隣の埠頭に変わり、案内板もわかりやすくなっていた。きれいになった待合室からYさんの携帯に電話を入れる。あしたからお世話になる宿のご主人だけれど、いまは子どもの出産のために鹿児島に入院中の奥さんを連れて帰るため、鹿児島にいる。
あしたから、ご主人のいない宿に泊まることになっている。これは初めての経験だ。

2350 鹿児島港→諏訪之瀬島 フェリーとしま
スワノセ到着はほぼ予定通り、ただ、荷役に手間取る。前便、切石に着岸出来なかったため、本浦港に船が入った。そのため積み荷が溜まっていたのだろう、とのことであった。
荷役が終わり、船が出ていくと、島は静かになった。
Gサンという、今現在一般住民で最も若いお兄さんに宿につれていって貰う。山木さんの親戚の方が宿の中で迎えてくれた。
「こんにちは。お世話になります」
「あ、シブヤさんね。好きな部屋使ってヨカよ」
「はい」
「何しろ、ぜーんぶ、部屋空いてっから」
「……」
「好きなように使っていいって言ってたから」
お茶を入れてくれたのでお茶を飲み、そこにテレビのリモコンがあったからテレビを見て、いくつかある部屋の中から好みの部屋を探す。玄関脇のこぢんまりとした部屋に御輿を据え、鳥の声をききながら休憩する。
鳥の声はいい。でも東京の商店街のアーケードなんかで、朝の雰囲気を演出するために毎朝、鳥の声を放送で流しているところがあったけれど、あれはぞっとする響きだった。そういえば北海道天売島のオロロン鳥だったか、伊豆諸島鳥島のアホウドリだったか、仲間を呼び寄せるために模型を置いて、テープで鳥の声を流していると読んだ記憶があるなあ、あれはどう感じるのだろう。

トカラの日々は、ずっと雨だったけれど、鳥の声が耳に残った。

 

4月/徳島県大毛島、兵庫県淡路島・成ケ島 02.04.27-29

前日は岩国での会議。夜は打ち上げ。4次会まで。ホテル帰着は2時頃。
寝て、覚めて、7時。
0942 岩国→広島 快速
1028 広島→岡山 のぞみ
岡山国立病院へ。祖父のお見舞い。
1342 岡山→高松 快速
1447 徳島→池谷 特急うずしお
1552 池谷→鳴門 鳴門線
1626 鳴門→洲本 淡路交通急行バス
洲本に着いて、町をぶらぶらして宿を物色。クラシカルな不思議なビジネスホテルを発見したのでそこにまずアタック、が、あえなく満室とのことで敗退。向かいにある何の変哲もないビジネスホテルに落ち着く。
こんど結婚するというT君を呼びだし、洲本の廃墟を見に行く。斜面に沿って家と通路が交錯し、なかなか面白い。そして焼き鳥、居酒屋、満足。

部屋に戻り、明後日のルートを考える。この旅の後はすぐに続いてトカラ・スワノセに行く予定にしている。明後日ここを出て夜鹿児島港発の船(フェリーとしま)に間に合わなければならない。
一番気になるルートは徳島、阿波池田、高知、宿毛、佐伯、宮崎、鹿児島、というものだが、佐伯の乗り換えがネックである。船は1700佐伯着、特急にちりんが1704発。ひょっとすると間に合うかもしれないが、望み薄だろう。となると1716発の普通電車となる。いちおう鹿児島まで筋はつながっていて鹿児島着2300頃となる。としまの乗船場が変わってから鹿児島に行ったことはない。だから少し不安だけれど2350の出航までにはまあ何とかなるだろう。問題は1716発に乗り遅れる可能性もあることであって、その対策が立たない。せめて船が20分ぐらい遅れても何とかなるスケジュールを確保したい。そうでないと、トカラ・スワノセに行きそびれてしまった場合にあきらめがつかない。やはり常人がやるように、洲本から船で関空に行って、鹿児島行きで飛んだ方がよかったなんて思うことになるだろう。
いちおう、関空鹿児島の飛行機の空席状況をネットで調べた。全便空席あり。ただし、特定便割引の設定はない。悩んでいるうちに面倒になり、就寝。

翌日はうだうだ過ごして、九時までになんとかベッドを這い出す。久しぶりにたくさん寝た。
今日はここに荷物を置いて、成ヶ島に行く。島旅MLのオフ会である。洲本高速BT集合。ただし、バスが軒並み遅れていて、最後のコニシ氏はまだしばらく現れない模様。他のメンバーは揃っているので、薄情にも置いてけぼりにすることにした、
成ヶ島へは由良から船が出る。今は潮干狩りシーズンで、たくさんの人が成ヶ島を目指す。無人島とは名ばかりである。普段は一時間に一本の予定にも関わらず全く船便がないことも多いらしいけれど、今日は船はピストン輸送。
潮の加減か、帰りは三時半までといわれるが、我々には強い味方がいる。T君の同僚が船を持っている。帰りはそれで帰ることにする。
島は細長い。まず北端の山に登る。一年前まで、国民宿舎の廃墟があったところはノッペラボー。なぜか下山道の途中にやかんがある。
南の灯台までは2knほど。これも行って来る。
あとは後からやってきたコニシ氏に携帯で指令を発して買ってきてもらったビールを飲みつつ、K夫妻のサンシンやK兄とその連れのジャンベを聞いてだらだらする。
だんだんと寒くなってくる。ちょっとはやいけれど洲本に帰ることにする。ちょうど路線バスがあって、洲本まで乗る。

ホテルに帰って少し昼寝。そして夜は大御馳走。店の好意で日本酒を貰う。
これはそのうち一本がぼくのものとなる。スワノセに持っていくつもり。

夜、昨日の悩みの続き。
時刻表の高速バス欄に1705大分発の長距離バス延岡行きを発見。始終着の時刻しか書いてないけれど、きっと途中にも停まるはずである。ネットで検索。残念ながら佐伯は通らないけれど、そこから30キロほど内陸の宇目町を通ることがわかった。宇目町通過時刻は1800過ぎで、これで延岡まで行けば佐伯で逃した鹿児島行きの最終接続のスジに戻れる。ということは船が遅れても岸壁から宇目までタクシーを飛ばせば大丈夫である。
これでようやく明日の予定が決定。


3月2回目/第一海堡 02.03.10

 島旅MLのメンバー、Aさんのゴムボートに便乗して第一海堡へ。てっぺんでビール呑んで帰ってきた。
 また、暖かくなった頃にもう一度行こうとその場で決めた。

 

3月/宮城県江ノ島・出島・網地島 02.03.02-03

 このころの東北島巡りは、宿の確保がなかなか厳しい。今回も、その例に漏れず島の宿は断られ、結局女川泊まりだった。
 まず、北風吹く江ノ島へ。立派なコンクリの小中学校は今は廃校。「学校のあゆみ」の石碑の銘文が完結しているのが悲しい。
 女川で一泊。朝一番の船で出島寺間港下船。港の前でドラム缶焚き火に島人と共に当たる。島からは対岸の原発がよく見える。島経済も原発に依存しているようだ。原発経済の地はどうも好きになれない。島人たちもどことなくよそよそしい気がする。
 出島までであとは一路帰るつもりだったけれど、出島が消化不良だったので網地島にも行く気になった。女川から鮎川へタクシーを飛ばし、網地島へ。一つ目小僧のドワメキ灯台は面白い。
「いい灯台ですねえ。なんだかカワイイ」
「うん、ほれ、こっちきてみい」
「はい」
二人で灯台の裏側(海側)に回り込みました。
「この灯台は珍しいんじゃよ」
「わあ、ほんとうですね。一つ目小僧みたい」
「普通の灯台はくるくる回るけど、この灯台は回らない」
「へー。でもそれだと不便じゃないですか」
「いや、この灯台はこれでいいのじゃ」
「どうしてですか」
「海の上の、ほれ、この方角だけを照らしておるじゃろ」
「はい」
「その方角には何がある?」
「白波が立ってますね。岩も突き出している」
「じゃろうが」
「ということは、この灯台の光が見えるとアブナイと」
「そうそう。隣の金華山の灯台の光が見えなくなって、網地島の灯台だけが見え
るとアブナイという訳じゃ」
「詳しいですねえ。おじさんは漁師さんですか」
「いや、もう、辞めたね」
「昔は」
「漁師やってた」
「遠洋ですか」
「うん。そうじゃ。よくカムチャツカの方まで調査漁業やってたな」
「いつ頃ですか」
「昭和の・・・30年代かな。この灯台のできた頃じゃ」
 ちょうどその近くで潜っていたおじさんに取れたての柔らかいアワビ戴きながら、一時間半も立ち話していた。危うく帰りの船に乗り遅れるところだった。

 

2月/なし

 やたらに無意味に忙しく、島には行かず。

 

1月/屋代島・浮島 02.01.06

 Ar氏との突発的島旅も、取り敢えずこれが最後である。二週間後には私は千葉県民である。そうなればこんな事はしにくくなる。
 ぼくの山口県民としての山口の島巡りも取り敢えず終了だ。
 朝、大畠駅でAr氏と待ち合わせ、ローカルバスに乗って屋代島(周防大島)・土居港へ。ここから船で浮島に渡る。
 ぶらぶら歩いているうちにAr氏のカメラが壊れる。前の旅ではAr氏のオカリナが壊れた。だからAr氏は島旅と相性が悪いのだと思うのだけれど、どうもAr氏としては島旅に惚れてしまったらしい。聞いてみれば年末年始は台湾の金門島に行き、島があんなに面白いところだとは思わなかったなどと言っている。これは悲劇である。片思いというのはつらいものだ。Ar氏は今後も様々なものを島で壊すに違いない。



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