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ぐるーぷ・あいらんだあ紹介

 「ぐるーぷ・あいらんだあ」は1978年に発足した島の愛好家集団で、非営利活動の会です。約100人の会員がいます。

 「あいらんだあ」は、英語の island (島) と er (人) を一緒にしたもので、「島を旅する人」、「島が好きな人」、「島に住んでいる人」という意味を持っています。そして、島と島を結ぶパイプ役になることを目的とした活動を行っています。


もっと詳しく知りたい方へ

表紙から、様々な情報のページに飛べます。是非、ご覧下さい。


あいらんだあは30年

河田真智子

 あいらんだあの活動を始めてこの秋で23年間になります(管理人註; 2001年9月執筆時点)。
 私が25歳の時に活動を始めるとき
「あいらんだあは30年は続ける!!」
と決意して始めたのを思い出します。
 この会を始めるときに島に関わる先輩に相談しました。
『あなたは、島にとってよかれと思い島の人とつき合って行くだろう、だから島の人もあなたの熱意にあわせてつき合ってくれるに違いない。でも、都会の人間が、都会の論理で島にとって何がいいか考え、その考えを押しつけるとしたら(そのつもりがなくても)、長い「歴史」という時間の単位で考えた時に本当は他人が何もしない方が「島にとっては」いいのかもしれない。島の人が自分たちで必要と考えることを「島の人自身で」やっていく方が「島にとっては」いいのかもしれない』
 この話のたとえとして、方言のことを話されました。戦後、奄美の島々では学校教育の一つとして、方言を話すと罰として「方言札」を首から掛けられて、共通語を話すように指導されたのです。そのことが島独自の文化を尊重する心を削いでいったのではないかと考えられる訳です。

 23年前、「島の人と友達になりたい」という私の提案は少し「浮いて」いました。「交流」活動とか、島と島のつながりを持てたら素晴らしいのではないか、という「あいらんだあ」の提案は、「甘い考え」と受け取られました。「ぐるーぷ・あいらんだあ」は、何人かが集まって会を発足させたものではありませんでした。島のことをライフワークにしたいと思った私が、まず、島のことを勉強していくために島に関心を持つ「友達が欲しい」と考え、その友達を見つけるために「自己紹介誌」を作ったのが始まりだったのです。
『あなたが、やってみたいと始めるのは勝手だけれども、いい加減な気持ちで途中でやめるのなら、始めない方がいい』
 会の発足の時の先輩のアドバイスは厳しい、そして当然のものでした。

 そして、「あいらんだあの活動は30年」と決めたのです。
 自分で決めた30年!には、二つの意味があります。
1. やり始める以上、「途中で投げ出さない」。30年やれば途中ではないかな?
2. そして「30年で解散する」。25歳から55歳までの30年間といえば、人の一生の中で最も活動的な年齢です。その30年間はグループ活動をするのだから、55歳になったら肩書きを持たない一人の旅人に戻る。
 もともと、旅は一人でするもの。私自身は組織に所属するのがあまり好きではないし、苦手なのです。「自分の思ったことを発言するために」、どこかの傘下には入らずフリーランスでいるわけですから。歳をとれば、力は弱くなり、きっと強い傘の下にとどまりたくなるに違いない。自分が始めた会だからといってそれを傘にしてはいけない、と思ったのです。

「あいらんだあ」創刊号で、ビキニ島の核実験の原稿を書いていただいたのをきっかけに、のちに国岡宣行さんに会の顧問になっていただきましたが、創刊号を作っているときに多くのことを国岡さんから学びました。
 フリーランスとしての「姿勢」、旅人としての「美学」、会を運営させる上での「考え方」。
 国岡さんは言いました。
「評価はあとでついて来るもの。河田さんが、やりたいと思うことをやってみればいい。まわりが解ってくれるかどうか、などど考えていたら始まらない。評価を気にしてはいけない。自分を信じてやってみることが大事」と、励ましてくれたのです。
 なにかを始めようとするときに厳しい助言をしてくれる人もいますし、励ましてくれる人もいます。
 国岡さんは創刊号にこう書いてくれました。「ビキニ島の核実験は、アメリカのビキニに住む人に対する人体実験だったのではないか」と。当時、この発言はマスコミ媒体を通して決してできなかったものでした。
「国岡さん、あいらんだあがどんなに小さな媒体でも、誰が読むかわかりません。書いてしまっていいですか?」と、私は聞き返しました。彼は、
「ハイ」
と、ハッキリ言いました。
 あいらんだあ創刊号の「はなむけ」に、書くこと、発言することの「覚悟」を自ら示してくれました。
「国岡宣行」は私にとって「師」であり、「旅の神様」でもあるわけです。
 そして、「こわがっていたら、何もできない」とも言った国岡さんは自ら世界の辺境の地へ赴き、1991年、アフリカのナミブ砂漠で車ごと風に吹き飛ばされて亡くなったのです。人は亡くなっても、人の心の中に生き続け、「大地」のように支えてくれるのだということも、知りました。

「あいらんだあ」を始めるとき、厳しい助言に対する返事として「せめて30年、投げ出さない」と心に決めたわけですが、今まで23年間継続して来れたのは、「助言」よりも「励まし」の方が力になったように思えます。
 会を支えてきた人たちの「力」以外の何物でもないことは、詳しく書かなくてもいいですよね。娘が、重度の脳障害を持って生まれて来た14年前、仕事を続けていくことは不可能だと思えたのを、支えてくれたのは「あいらんだあ」の仲間でしたから。

 さて、あと7年。

 あと7年だから、ちょっと、これからは何をしたいかな、と考えたいわけです。
 初心に戻って、島に住む人たちと、島にとって何がよいことなのか、旅人にとってその夢を共有することが可能なのか。島にいて行動する人を応援するような行動ができないだろうか……。
「島びと」と「旅人」が行動を共有する会でありたいと思うのです。

 さて、あと7年、ゲリラ的に、「激的」に、刺激的に行こうではありませんか!

あいらんだあ92号より
2001/9




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