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母島日記

10/4/25-4/30
母島に行って来ました。以下はその記録です。
4/25
0910 竹芝桟橋
ぱらぱら雨が降っていたけれど、ぼくは傘は差さず、到着。すぐに券を購入。今日のおが丸は600人詰めだそうで、なかなかニギヤカ。島の人もいるのだろうけれど、ほとんどは島にアソビに行くらしい若い人たち。
まーー、ぼくも若いんだけど。
ぼくだって3点セットは持ってきているんだけど。
0930 乗船
続々と乗船。列がとぎれたところでぼくも乗船。一番底の一番後ろの部屋(E-1)で、壁際。何とか寝られるスペースが確保されていて、でもぼくは足が長いから(胴が・・という噂も)、足側の方と足が絡んでしまうのは困ったことではある。
まあ、足側の方と言ってもおじさんなので、足が絡んだとしても大したことではないけれど。ちょっと残念。
となりの人は若い女性で、これは眠っているときに、寝返りでも打たれたら困ったり嬉しかったりするなあなんて、思ったけれど、そこへ別のおじさんが現れて、
「あれ、435番は、ここじゃないのかな」
「ああ、そうですね、あ、あたし、間違えてた」
てなわけで困ったりする心配もなくなって目出度しめでたし、なのでした。(ちぇっ)
若い女性のいっぱいいる船室で、なぜか3方をおじさんに囲まれて、いやいや、そんなことはどうでもよくて、とにかく場所を確保して一安心。
0955 出航合図の銅鑼が鳴る
放送で鳴るのが物足りないけれど、まあいい。甲板は人で溢れている。陸側にも何十人か人がいて、手を振っていたりする。
でも、まだ続々乗船中。
ぼくは自販機で早速ビールを買ってきて、甲板で乗ってくる人々の顔を見ながら飲んでいる。
1000 出航時刻
やっと乗船の列がとぎれ、追い立てられるようにして数組の客がタラップを通って、やっとタラップがあげられる。
船はそろりそろりと岸を離れ、微速後進して広いところにでて、そこで180度方向転換。
1030 船室へ
実は前夜、ほとんど寝ていない。んで、船室に行って寝る。
1200 食堂
ひるめしの時間。ふらふらと起きあがり食堂に行き、カツカレーを確か食べたような・・。すぐに船室に戻ってまた寝る。
1500 頃
一度目をさまして、ヒルメシを食べたかどうかを思い出そうとする。
なんだかカツカレーを食べたような気がするのだけれど、夢の中だったような気もしないではない。胃の中に息を飲み込んで、げっぷ、といって出してみる。カレーのにおいがするようにも思われた。
どうもやはり食べたようだ。
1830 食堂
ふらふら起きあがりふたたび食堂へ。
食堂に行って思いだした。昼に食べたのはカツカレーではなくて、「ランチ」950円だった。内容は確かカツ丼だった。
きっとカツ丼と夢で食べたカレーかなんかがごっちゃになったんだろうけれど困ったことだ。あのカレーのにおいのしたような気がしたげっぷは何だったんだろう。
晩御飯はジンジャー定食1150円(だったかな)。
1900 船室
本を読む。読んでいる内に眠くなってくる。
読んでいる本は稲垣尚友著「密林の中の書斎」。ナカナカ面白い。トカラ列島平島を舞台にした再訪記で、濃い人間関係が感じられて、良い本である。まあしかし、やはり眠い。ポテトチップスを買ってきて、ビールを飲む。すぐに眠りにつく。
船はちょっと揺れている。船室の通路で靴を履くのが難しい。
通路には手すりがないのでちょっとした拍子にバランスを崩し、通路沿いに寝ている女の子の上に倒れかかりそうになる。
2100 自販機
なんだか身体が冷えるので自販機に行ってカップヌードルを作って食べる。
ひょっとして船酔いの前兆なのかとも思い、閉店間際の売店で、「トラベルミン」を購入する。そして一粒飲んだ。
甲板に出てみようかと思ったが、強風と揺れのために扉は閉められており、外に出られなかった。雨も降っているようだった。
4/26
0800 食堂
和定食。1100円だったっけ。
0900 聟島列島
波は収まっており、陽も射してきた。聟島列島の説明が放送される。
ビールを買って甲板で続けざまに2本飲む。
1120 父島入港
晴れの父島に入港。
きのうの伊豆諸島付近が荒れ模様だったので、なんだか通ってはいけないところを無理矢理通って、別世界にやってきたような気がする。
1130 下船
下船してははじま丸の待合所へ。
おが丸の待合所共々新しくなっていてきずひとつない。4月になって出来たばかりだそうだ。
券を購入し、荷物を置いて、ブラブラ散歩。島寿司を食べさせる店でビールを飲みつつ島寿司を食べる。
1215 ははじま丸乗船
ははじま丸の周りにもたくさんの人がいる。100人ぐらいいるかも知れない。どうもたくさんいすぎて気分が盛り上がらない。
後ろの甲板のベンチの席を確保。
1230 出航
出航はあっけない。見送りは多くない。ずんずん港外に出ていく。
1245 クジラ現る
出航してすこししてから、人が右舷に集まる。どうしたのだろうと思ったがなんだか眠いので、うつらうつらする。そのうち、テレビカメラを持った人たちまで出てきた。テレビ朝日だそうだ。
どうもクジラがいるようで、ぼくも重い腰を上げて、たくさん並んだ人の頭越しに海を見る。なんだかちょっと遠くの方でしぶきが上がって、しっぽのようなものが見えた。
しばらく見ていたがそれ以降は静かな海面。陽も陰ってきた。甲板に出ていた人たちもひとり減りひとり減り寂しくなって、ぼくも席に戻る。
1440 母島着
とうとう到着。港に民宿の車が並んで、立て看板を立てておじさんが立っている。目指す「ときわ」は一番端っこだった。
にこやかなほんわかおじさんがにこにこしながら待っていた。
1500 「ときわ」
5人部屋である。2段ベッド2つとふつうのがひとつ。
ひとりは50台(?)のおじさん。
一緒の便で母島まで来た。おじさんといっても社長さんだ。仕事で来ている。伊豆諸島・小笠原の事務機器のアフターサービスの仕事らしい。母島にも年2回は来る。
ひとりは30代後半のおにいさん。
この方も、おが丸はは丸とも同じ便で来た。母島2度目。小笠原5度目。典型的小笠原病で、むかし来たときの写真なんかを持っていて、いろいろ説明してくれる。「母島に来てびっくりされたでしょう。何もなくて」と、聞かれ、返答に困る。鳩間島や小宝島に比べちゃうとなんだしなあ。「そうですねーー。父島に比べてこじんまりとしていて、でもぼくはこんなようなのが好きです」と、答えておいた。
あとの二人はたぶん30台のフリーター。
ひとつ前のおが丸で小笠原に来て、ひとりはひとつ前の、もうひとりは同じはは丸で母島に来た。もう黒々と焼けていて、日焼けのあとが痛々しい。
帰る予定はみんな同じ。29日に母島を出ておが丸に乗り換えて30日東京着、という。
1700 集落散歩
部屋に冷蔵庫があったので、早速ビールを買ってきた。500を4本買ってきたのだけれど、すぐに2本飲んでしまい、すぐにまた500を4本追加で買ってきた。
1800 晩御飯
お魚の刺身がおいしい。おいしいけれどあんまり島のご飯、という感じはしない。ワカサギの天ぷらなんてあったけど、あれってどこから運んできたのだろうか。
仕事できているおじさんと飲みながらお話。そのあと、小笠原病のお兄さんとふらふら飲みに出かける。「タコの木」という飲み屋で「タコの実酒」というのを飲んだ。なんだかあんまりおいしくはなかったけれど。
2300 ふらふらから帰る
たぶんこんな時間だったと思う。帰ってすぐに寝た。
4/27
0300 頭が痛い
飲みすぎだ。頭痛薬を飲んで、外に出る。道ばたに座り込んでアタマをブロック塀に押しつけたりしながら、回復を待つ。
0430 夜が明けてきた
鳥が鳴き始めた。母島の鳥としてはメグロが有名だけど、泣き声を知らないから、メグロが啼いているのかどうかは分からない。
空の一部が少し明るくなってきた。部屋に戻ってカメラを取り出し、朝の雲を写す準備をする。
頭痛薬の効き目があったようで頭痛はなくなっている。
0445 朝焼け撮影
小剣先山の頂付近の雲がオレンジ色を帯びてきた。なかなか不思議な模様を作っている。写真を何枚か撮る。
そして部屋に戻り、ふたたび寝る。
0715 起床
起床。暑い。きのうのビールのせいもあるのか、大量の汗をかいた。風呂場に行ってシャワーを浴びる。
0730 朝食
ごくふつうの朝食。目玉焼きつきのご飯みそ汁セット。
0830 出発
外は暑い。快晴。こんな日は昼寝して過ごしたいけれど、同室の人たちもみんなどこかに出かけてしまったし、仕方がないので渋々出発を決意した。日差しがじりじりと照りつけている。
日焼け止めを塗ってから出発。目的地は北港。母島の北端の港。戦前はそこが母島の中心の港だったらしい。北港までは10kmぐらいある。アップダウンも激しいようだ。
まずは港の観光協会に行って相談することにした。
0905 北港へ
結局ちょうど北港で体験カヤックをやる車があって、それに乗せてもらって北港に行くことになった。帰りは歩いて帰るつもりだけれど、ぼくは意志が弱いからどうなるかは分からない。
車に乗り込んでみれば、運転するのは30後半ぐらいのちょび髭を生やしたお兄さんで、助手席にはインストラクターなのか、かわいい女の子がいる。体験カヤックに参加するのはひとりで、ぼくと同年代ぐらいのオトコである。
なんだか羨ましくなった。ぼくも体験カヤックがしたくなってきた。「カヤックやりましょうよ」と、その女の子も誘ってくれる。
途中、新夕日が丘とか、探照灯跡とか、見所ごとに車を止めて、説明してくれた。
その間中迷っていたけれど、結局やらないことにした。
写真を撮りたいし、今回は実質2日なので体験カヤックをやるには忙しすぎる。
そう言うと、その女の子は残念そうな顔をした(ような気がした)。目には一筋の涙がこぼれそうに見えた(りはぜんぜんしなかった)。(ちぇっ)
1000 北村跡
北港でシュノーケリングでもしようかと思っていたのだけれど、なんだかいろいろ人がいるので歩いて東港に向かう。
この間の道は昔の北村のメインストリートである。戦前の母島の中心である。学校跡があって、石段が残っている。中に入ってみると、校庭だったはずのところは鬱蒼とした林になっていた。林の中にもいくつか石組みは残っていた。さび付いた金属の棒が落ちていたりした。
1020 東港
東港にも先客がいた。へんな女性グループである。
どうも最近ぼくは小さな島の人気のない海岸ばかり見ているので、先客がいる、というだけでなんだか損した気分になってしまう。
そこへ工事関係者が車で来て、「乗っていくかい」と誘ってくれた。
なんだか泳ぐつもりで来たのではあるけれど、あんまり泳ぐ気にもならなかったので、帰り道の上り坂の終わりの桑の木山というところまで乗せてもらう。
港の建設関係の方々らしい。
1030 空港問題
いろいろな話をする中で、「(父島か兄島に)空港は出来たほうがいいと思いますか」と、聞かれた。
ぼくはぼくなりに、「旅人としての立場から言えば、出来ないでくれた方がありがたいですが、住んでいらっしゃる方々のことを考えると、やっぱりないといけませんよね」などと答えたけれど、真意が伝わったかどうかは分からない。
ぼくはそうやって旅人に意見を求める人たちが、どういう答えを期待しているのかが分からない。旅人は旅人として小笠原を見ていて、住民とは視点が違う。旅人は不便な母島にわざわざ来る人たちだから、不便さゆえのオモシロサやフンイキの良さ、などを重視すると思うのだ。
しかし島の人に「このフンイキや自然が壊されないためには、空港は出来てほしくないですね」といったところで、島の人たちは「やっぱりね、そんな考えなんだろうな」と、ハナで笑うに違いない。
島の人が、島の人の利便のために空港がほしいのであれば、それを堂々と主張するべきだと思う。
本土で聞いている限り、今、空港問題は都と環境保護団体との対決の構図になっているように聞こえる。しかしそれが住民と環境保護団体との対決であればもっと柔軟に、いろいろな方策が出てくるはずである。接点だって必ず見つかるはずだ。
要はなんだかこの空港問題では、外野ばっかりがワイワイ言っていて、内野の主張が全然聞こえてこない、ということが気になるのである。
そんなことを考えた。
1100 桑の木山
桑の木山は標高約300メートル。沖港と北港を結ぶ道路の中間点であり、もっとも標高が高いところでもある。近くにこぶの木がある。こぶの木とは名の通り、幹の一部がこぶ状に膨れ膨れした木で、木によってはなかなか表情がある。
ここから細い道が下の方に分かれていく。それに沿って降りていくと結構どこまでも続いていそうだった。きっと旧道で、きっとどこかで今の道に出るに違いないと思い、どんどん歩いていったけれど、だんだん廃道の様相を呈してきて、倒木がとうせんぼしていたりする。道を外れて歩くと迷いそうだったし、仕方がなく桑の木山まで戻る。
あとで調べたらやっぱりこれは旧道で、新道の新夕日が丘よりもやや集落よりの地点まで続いているようだ。ということは今の新夕日が丘は道が付け替えられるのと同時に、移設されたもののようだ。昔のものより標高は高いけれど、昔のものの方が海が近い。昔の新夕日が丘にも行ってみたいと思った。
1140 昼食
桑の木山まで戻る途中、海が見える曲がり角にちょうどいい感じのブロックがおいてあって、それに腰掛けて海を見ながら昼御飯を食べる。
売店で買ってきたパンと、トマトジュースである。持ってきた水も飲む。
1200 桑の木山発
日焼け止めを塗り直し、今度はアスファルトの道をどんどん下っていく。車は一台も通らない。
ときどき木々の間を飛んだりする小さな鳥がいるが、よく見たらそれがメグロだった。目の周りが黒く、おなかが黄色い。なかなか物怖じしない鳥で、結構近くに平気でとまっていたりする。
1230 新夕日が丘
小休止。
とても気持ちのいいところで、風もふいているし申し分ない。ベンチがふたつ少し離れて置いてあって、その片方に腰掛けて、水を飲んだり写真を撮ったりする。
集落の方から一台の車が上ってきて、ぼくの目の前を通り過ぎて、もう一つのベンチの前で止まる。中から若い女の子が二人出てくる。誰もいない山の中で、三人が景色を眺めているわけだけれど、ベンチもちょっと離れているし、お互いの間では会話はない。ぼくは軽く会釈したが、気づいたのか気づかなかったのか、反応はない。
しばらくしてその女の子二人組はまた車に乗って行ってしまった。
やっぱり母島は観光の島である。父島ほどではないけれども。
ぼくも歩き始める。
1250 夕日が丘
もう、アタマの中に宿の冷蔵庫の中に冷えているビールがちらつきだした。それで、立ち止まりもせずに通過。工事をしていてちょっと騒々しかった、というのもある。
アタマの上では相も変わらずカンカンの太陽。
1320 帰還
とうとう宿に着いた。もちろん他の人たちはまだ帰ってきていない。きのうは使わなかったコインクーラーに100円投入。ごくごくごく、ぶはーーー。やっぱりビールだ。汗が吹き出た。しばらくして汗が引いてくる。ベッドに横になって昼寝をする。
1700 散歩
小剣先山、という山が集落を見下ろす位置にあって、15分程度で登れるという。三脚つきのカメラを持って出発。しかし思ったよりも険しい山道だったので、やっぱり撤退。何カ所も蚊に喰われた。
部屋に戻ってまたビールを飲む。
1730 放送
集落のスピーカーから放送があって、「共勝丸」(東京-父島-母島の貨物船)は明日8時出航で父島に向かうという。この船には客室が8名分あって、便乗できるのである。何とかこれにも乗ってみたいのだが今回は無理かも知れない。もう、帰りのおがさわら丸は取ってあるし、明日の朝出航では、母島が今日で終わりということになり、それではさすがに消化不良である。
明日の夕方のははじま丸で父島まで追いかけていって、父島から乗るという手もあるけれど、父島で果たして追いつけるのかどうか問い合わせる必要がある。
1800 夕食

今日は晩御飯はノンアルコール。部屋に戻り、本を読む。しかし他の方々がビール飲むのを見ていると、ついつい。どうも飲みすぎですねえ。
2100 就寝
今日は早く寝る。
4/28
0430 夜明け
カメラを持って外に出て、朝焼けを写そうと思ったが、外に出たとたん、雨が降ってきた。あきらめて部屋に戻りまた寝る。
0630 散歩
雨は嘘のように上がっていて、今日もギンギラ太陽。今日は南崎まで行くつもりである。
とりあえず散歩に出る。港に共勝丸を見に行った。船の乗組員に聞いて、今日の共勝丸の予定を聞くためである。
チョフサー(チーフオフィサーのこと)は、待合室横のベンチにいた。なかなかにこやかで優しそうなおじさんである。
共勝丸の父島出航は15時半か16時、ということで、ははじま丸追いかけ父島乗り換え作戦はもろくも崩れ去った。母島丸の父島到着は16時10分頃である。あと少しなんだけどなあ。
0730 朝食
朝食後もだらだらして過ごす。なかなか出発する気にならない。冷房がついているため室内は涼しいが、外はどんどん暑くなっていく。早く出発しなければ。
0930 出発
日焼け止めの威力は絶大だ。きのうは半日の間炎天下を半ズボンで歩き回ったのに、足はまったく日焼けしていない。ただ、塗り忘れた首の後ろ側がひりひりする。今日はそこにもたくさん塗りたくっていざ出発。
1000 御幸の浜
御幸の浜というのは昭和2年の天皇の行幸に由来する。御幸の浜の入り口に到着。浜はどうでもいいけれど、浜入り口のところにしつらえてある木陰の机が気に入った。ここで30分ぐらいぼーっとする。
1040 御幸の浜園地
意を決して出発、しかし50メートルほど進んだところに、今度は木と竹でつくり草で屋根を葺いた休憩所を発見。今度はここに横になり、ヒルネを決め込む。
1230 出発
なんと2時間もヒルネをしてしまった。いよいよ歩き出す。
しかし島旅というのは一日に何度も意を決したりしなければならない。意志の弱い人には出来ない趣味であることだなあ、と思う。
その証拠にぼくは何度も意を決して起きあがったりを繰り返し、こうやってちゃんと南崎に向け歩いている。
1330 車道終点
やっと車道終点まで来た。
途中、大きな橋のところで気持ちがいい風が吹き抜けるので、15分ぐらい休憩した他は真面目にゆっくり歩いた。しかしここからまだ3kmほど残っている。
しかしよく働いたご褒美に15分ほど休憩をする。
そしてぼくは意志が強いのでまたまた意を決して立ち上がり、次の休憩場所を求めて歩き出す。
1410 擂鉢
擂り鉢状に落ち込んでいるところがあって、その脇に休憩所がある。そこにすわってまたまた休憩。いい風が吹き抜けていき気持ちがいい。15分ほどでまた出発。自分の意志の硬さにほれぼれする。
1440 南崎海岸
到着。
ほんとうは右に見える日本最南端の郷土富士、小富士に登りたいのだけれど、まあそれは次回に取っておくことにして、今回はもう帰ることにする。30分休憩。
なんだか達成感があったのと、それからアタマの中をまたもやビールが飛び交い始めたので、早めに出発しようと思う。
1510 出発
実に堅固な意志の持ち主である私は出発。なんだか鼻歌混じりにさくさくと歩く。来るときとはえらい違いである。途中でひとり追い越し、またまた元気倍増。
鼻歌歌う歌は即興の変な歌。

♪す、す、め、渋谷探検隊(そーれ)
す、す、め、渋谷探検隊(渋谷探検隊)
す、す、め、渋谷探検隊(そーれ)
す、す、め、渋谷探検隊(渋谷探検隊)
前に何が現れようとも、全ての困難乗り越えて
進め、す、す、め、渋谷探検隊(そーれ)・・・

あああ。なんだか名曲だったような気がするんだけれど、どんな曲だったか忘れてしまった。
1545 車道終点まで戻る
来るときのちょうど半分の時間でここまで戻ってきた。5分休憩。
そしてまた歩き出す。写真も撮らずにひたすら歩く。アタマの中ではビールが踊りだした。踊りの歌は当然、「♪進め、渋谷探検隊」である。
なかなかノリのいい歌だったのに、どんなのだったか思い出せないのが残念でならない。これは大ヒットとなるかも知れなかったのに残念である。一攫千金のチャンスを逃したような気がする。
1625 集落着
すごいスピードでここまで戻ってきた。すべてビールのダンスのおかげである。感謝の意を込めて早速ビール500mlを2本購入。
港の近くの休憩所でとりあえず一気に飲み干す。身体の穴という穴から汗が吹き出て、一気に力が抜けた。
1650 宿に戻る
ビールをまたまた飲んで、疲れたので一眠り。
1800 晩御飯
ビールはもういい感じだけれど、夕食は最後の日だからか、島寿司である。これはビールを飲まねばならない。
1930 部屋でノンビリ
部屋に戻って、本を読んだりお話をしたりする。飲みに出る元気は残っていない。今日は祝日前だからどの飲み屋もいっぱいだろうし。
2230 就寝
最後の夜である。なんだか忙しい日々であった。しかし考えてみると素潜り3点セット、せっかく持ってきて、さらには北港や南崎まで持って歩いたのに、使わなかった。まあいいか。次回来たときはもっとゆっくりしよう。
4/29-30
帰還の日。もう帰るだけ。なーんにもしない。
ははじま丸、今日はクジラは見えなかった。
父島でおみやげを買い込み、乗り換えて竹芝に向かう。
ベタ凪で全然揺れない航海であった。


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