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台湾小琉球日記
10/4/28-5/6
小琉球日記を書くに当たり、まずはこの旅がいかなる理由で台湾を目指すものとなったのか、そうして、なぜ小琉球なのかについて記しておかねばならない。はじめの計画から出発まで
◆久しぶりに八重山に行こう計画(3月中旬)
・広島→石垣直行便を予約。
・しかし、連休最終日の帰りの便が取れず(5月以降、直行便は存在しない)計画は頓挫した。(この地点でまだ、5/5のH1君の結婚式の話は聞いていない)◆台湾計画始動
・石垣からの帰途の手段として、台湾経由を考え始める。
・有村産業に電話してみると、石垣→台湾は4/28便のあとはドック入りのためゴールデンウィーク中の運航はないとのこと。→4/28石垣→台湾に乗ることとして、台湾の離島に照準を変更。
・有村産業に4/28の船の時刻を訊く。定期では午後3時出航のはずが、基隆寄港のため午前1115に変更とのこと。広島便の到着と同時刻で、再び計画が崩れる。
・4/27夜の福岡→那覇最終便と4/28朝の那覇→石垣始発便を押さえて、変更。
・H2大先生に教えを請うて、台湾の勝美旅行社を紹介して貰い、インターネットで帰国便を購入。券を送ってもらう。
・これで、曲がりなりにも行き帰りの予約がそろった。大阪に行った際に、台湾の離島に詳しい、ロンリープラネットの台湾(英語)を入手する。こういった本は海外のものの方が、店やおみやげ情報がほとんど載っていない代わりに基本情報にページが割いてあり、詳しい。
・スーパーバイザーとして、Ar1氏に連絡し、日程が合うようなら一部行程を同行とすることとした。◆紆余曲折の序章
・4/27に那覇に飛ぶ時間があと数時間早ければ、石垣から乗るつもりの有村産業の船に那覇から乗れる。会社で上司にそれとなく訊いてみたところ、4/27午後は、前日までに仕事をがんばれば半日年休も取れそうであった。→4/27のお昼過ぎの福岡→那覇便も押さえる。
・久しぶりにAr2君に電話したところ、5/5に高校時代の友人の一人、H1君が結婚式を挙げるらしいとの情報を得る。「渋谷は来るの?」と訊かれたから、連絡は来てないよ、と答えた。ちなみに場所は都城だという。H1君の相手は政治家の娘だそうで、相手の招待客がどうしても多くなってしまうのに対し、H1君側の招待客は少ない。だから、渋谷君も呼びたいと言っていたよ、というから、住所をH1君に教えておいてくれ、と頼む。
・数日後、Ar2君から電話があり、H1君はぼくを呼ぶつもりだと言う。これで5/5には都城に行かねばならなくなった。そういうことならば、せっかく台湾の旅行社に頼んで購入した帰りの切符を、なんとかしなければならない。ふたたびH2大先生に連絡を取り、その方法について教えを請うたが、なにができると言うことは知っていても、具体的にこの田舎の玖珂郡和木町で、どうすればいいのかはわからなかった。(当たり前である)
・4/27午後に、仕事の会議が入りそうな雲行きとなり、那覇から船という計画は難しい情勢となる。再び、前夜那覇泊の、飛行機乗り継ぎで、石垣から船という計画がクローズアップされる。
・船の予約を兼ね、有村産業(大阪)に確認の電話を入れる。すると、4/27那覇発台湾方面の運航はないという。電話を切り、那覇の有村産業にも電話する。やはり状況は同じ。計画が変更になり、4/20の便を最後にゴールデンウィークの運航予定はないという。これでは考えていた方法で台湾に行くことができない。
・その日、帰ってみたら、Ar1君からメールが入っていて、4/30〜5/3に休みが取れ、台湾行きの格安券を購入したと書いてあった。船が欠航となり、台湾に行けなくなったのに、台湾行きは決定してしまった。金門島に行きたいと思うと書いてあった。H2大先生に連絡を取ったものの、あまりいい知恵も出ず。
・Ar1君に電話。台湾行きが宙に浮いてしまった経緯を話す。Ar1君の券の払い戻しは高くつくとのことで、行き帰りのアレンジの簡単な韓国の島に変更できないかとの申し出はあっさりと否定された。
・行きは飛行機しかないかなと思い始める。
・広島に行った際に、HIS広島にて、情報を収集する。福岡から台北直行の片道ディスカウントはないとのこと。4/29、関空からのものならば4万円台であるとのこと。沖縄からのディスカウントがないかどうか、調べてもらうこととした。しかし、約束の日になっても連絡なし。閉店時間ぎりぎりに電話をかけたところ、その担当は今日、休んでいますとのこと。非常に不愉快な対応である。今回、HIS広島は、使わないこととした。
・HIS広島は使わないことにしたものの、ほかに手段もない。大阪に行ったとき、町の格安航空券屋で格安券を探してもらったが、ノーマルとほとんど変わらない値段のものしかない。那覇→台北の正規券の価格を調べてもらったところ、\23,600とのことで、これが一番よいと言うことになる。
・ANA大阪丸ビルの発券カウンターにて、帰りの券について相談する。航空会社・便名の指定をぼくから発券旅行社に電話して解除してもらわないと日本国内での変更はできないとのこと。本当なのか、面倒だからそういうことにしたのかはわからない。ちなみにメールで台湾の旅行社に確認したところでは、日本国内でも航空会社のカウンター等で変更は可能であるはずと、書いてきていたのだが。◆結局券を購入しないまま残り1週間となる。
・行きも帰りも飛行機で、帰りだけは5/4、都城によらなければならない(H1君の結婚式は5/5お昼なので、前日に都城入りし、Ar2君の家に泊まることになっている)。なのに持っている券は5/6の福岡直行便。行きは券さえ購入していないという状況。
・中華航空に電話し、4/30の121便沖縄1120→台北と、5/4の120便台北810→沖縄を予約。行きの券は空港で購入とする。帰りの券も、台北に行ってから台湾→沖縄→鹿児島に変更することにして、これで台湾入出国の概要が決定。
・あとは沖縄入りの方法が最後まで決まらなかった。もともと船で台湾に行くことにしていたのだから、なんとしてでも沖縄までは船で行きたい。
・そんな状況で出発日となってしまう。この地点で、行き先の予定はまだ金門島である。
4/28 (土) 曇り。午前中洗濯、岩国に買い物に行く。岩国駅でJRの券を購入する。出していたクリーニングを受け取りにいく。Ar2家にH1君結婚式衣装セットを発送する。船会社に電話する。最近購入したモバイル端末のメールの設定をする。ビールを飲むからそのあと昼寝をする。非常に忙しく過ごしたあと準備にはいる。準備を万端すませ、和木タクシーの営業所まで行き、岩国まで。せっかく券は大竹から買ったのだけれど、大竹に行く余裕がなかった。
2054岩国発→岩徳線経由徳山行き
岩徳線は初乗り。トンネルが多い線だ。
2220徳山→新幹線 小倉
徳山からニトロベンゼン君に電話。パロディ学会の件
2350小倉→宮崎
小倉から、小倉に住んでいるはずのAr1君の留守電に、小倉にいるぞ、と自慢する。
コンビニで宮崎の地図を立ち読み。下車駅は宮崎駅に決定。宮崎港の記憶は曖昧模糊としており、なぜか八戸港とこんがらがっている。港の部分は覚えているのだが……。
ちなみに乗車券は南宮崎まで買った。
ドリームにちりんははじめ、ほぼ満席だったが、小倉をでていくつかの駅に止まると、がらんとしてしまった。四つまとめて空いている席に移り、向かいの席をこっちに向けてアームレストを跳ね上げ、準備完了。就寝。
4/29 (日) 0850宮崎港→那覇新港 ニューあかつき
宮崎港は、行ってみれば記憶があった。なにしろ三度目である。一度目は川崎から来て
鹿児島まで電車に乗ったはずだ。しかしそのときどうやって駅に行ったのかが今一つはっきりしない。歩いて行って、その途中でバスを拾ったような気がするのだが。
二回目ははっきり覚えている。トカラからの帰り、鹿児島港→種子島→宮崎と乗り継いでやってきた。
三回目の今回は、港までタクシーである。人間、進歩するのである。
船は1時間弱の遅れでやってきた。
乗ってしばらく就寝。お昼ご飯のアナウンスで起きてカツカレーを食べる。その後、喫茶室で飲み、そこで飲んでいたほかの方々と一緒に深酒する。若い二人がつまらぬことで喧嘩をする。片方が額に傷を負う。酔っぱらい同士だから始末に負えない。言いくるめて仲直りさせても、しばらくするとまたつかみ合いの喧嘩をしている。愛想を尽かしたので風呂にはいる。風呂に浸かって船の振動を感じているとなんかいい心地になってきた。船の中の湯船につかり、いい気分。
風呂から上がったらもう晩御飯で、さきほど一緒に飲んでいたおじさんに奢ってもらう。ぼくはそのまま寝てしまう。
夜にかけて、奄美に寄港したのは雰囲気で記憶しているが、大量のアルコールのせいで起きあがる気力もなく眠り続ける。
夜半、頭痛で目を覚ます。二日酔いの際の処方箋は頭痛薬ちょっと多めとコカコーラである。ふらふらしながら船内を徘徊し、甲板に出たり入ったりする。
4/30 (月) 徳之島寄港。着岸を見届けてから再び横になる。
沖永良部寄港の放送で目を覚ます。午前3時。だいぶん二日酔いも治癒したようだ。外に出てみると霧だ。はじめ、煙が充満しているのかと思った。霧の中、船は動いているのかどうか不安になるほどの速度で入港しているらしい。しばらくすると暗闇の霧の中にぼうっと光る光が見えてきた。黄色い光が岸壁に沿って一列に点滅している。幻想的な風景だが、近づいてみればその黄色い光はフォークリフトのウィンカーで、岸壁の位置を示すためにそのこに並んでウィンカーを出し続けているのであった。
そのときはアルコールにおかされたアタマで、きれいな風景だな、などと思っただけだったが、実はこれはさらなる混乱の序章だったのである。
霧笛を始終ならしながら、微速で那覇港入へ。その結果は知人へのメールをご覧下さい。知人へのメール------------------
こちらは何だか凄い霧でした。そんなわけで、宮崎から船で、那覇に着いたのが朝10時。2時間遅れ。タクシーを飛ばして那覇空港へ。なんとか飛行機に間にあったと思ったのですが、何か、えらく静かなのです。飛行場を見て唖然。飛行機が1機もいないのです。濃霧のため、離陸は出来るけど着陸ができないとか。我が中華航空121便も、間もなく欠航が決定。
というわけでまだ、那覇です。1955発の便に乗れそうなのですが。ではでは。
--------------------------------------欠航のため、沖縄ワシントンホテルで休憩となる。船から飛行場までタクシーをとばしたときに一緒だった徳之島の方の仲間と一緒に、部屋をあてがわれる。ホテルのバイキングの昼食にゴーヤーチャンプルーと三枚肉がある。外に出てみればむわっと熱気が体を包み込む。国際通りに歩いて向かい、公設市場の入り口で瓶詰めのゲンマイを飲んで帰ってきた。
1955那覇→CI-123→台北
5時、集合時刻となって、バスで空港へ。空港のロビーで台湾のロンリープラネットを読んでいたら、隣の台湾人に声をかけられる。張さんという方で台北にすんでいる。金門島に行くのだ、と自慢したら、不思議そうな顔をした。
飛行機は今度はちゃんと出発した。暗闇の中を飛んで、台湾の光が見えるまで、一時間。あっと言う間なのに機内食の配布、免税品の販売など、乗務員はベルト着用のサインが出ているのになかなか仕事が終わらない。こちらがひやひやとする。
空港には、Ar1君が待っていてくれた。待ってないかもしれないとも思ったのだが、ありがたい。バスに乗って台北へ。
ホテルを探して荷物を置き、ビーフンの入ったスープを飲みながら、明日の計画を考える。
Ar1君が旧知の金門島にすんでいたこともある知人から得た情報によれば、この時期金門島には霧がよく発生し、一週間閉じこめられることを覚悟しなければ行けないと言う。今回の旅はどうも霧に魅入られているようだ。
行き先は鳩首協議の末、小琉球に決定。金門行きは雲散霧消してしまった。
5/1 (火) 朝、朝御飯は近くの店に食べにいく。バスに乗って勝美旅行社に行く。帰りの航空券を変更するためだ。
ここで、Ar1君が高雄まで飛行機で行こうかと言い出す。飛行機については、ぼくは基本的に反対だけれど、Ar1君の計画は明後日までである。ある程度忙しいのは仕方がない。
あまり積極的に賛成したわけではなかったけれど、これが非常にうまく行った。
0945勝美旅行社前→TAXI→松山空港0955
1000松山空港→高雄空港1100
1115高雄空港→バス→東港1205
1230東港→高速船→小琉球1310
モーターサイクルはどうだとしつこい勧誘を振り切り、島にしては立派な店構えの中華料理屋でお昼ご飯を食べる。もちろんめでたいから、ちょっとだけビールを飲む。
宿を決め、荷物をおいて、昼寝と行きたいところだけれど、Ar1君はなぜか臨戦態勢である。三脚まで持ち出している。
しかし、またどういうわけだか、大変な好天で、なんとなくこんな天気に外へ行かないのももったいない気がしないでもない。こんなことではいけないのだが、まずは適当に歩き出す。まっすぐ歩いていっても、なかなか海に出ないところからすれば、島の真ん中の道をまっすぐ南の端に向かっているらしい。
南の端に近いところに店があったから、そこで台湾ビールを飲む。オリオンビールに似た系統の味だ。
夜、島の料理屋で様々な海産物を食べる。台湾ビールもたくさん飲んで、幸福である。部屋に戻ってケーナとオカリナを吹く。
5/2 (水) 昨日はがんばって動きすぎた。9時までゆったりと過ごし、朝御飯を求めて集落を徘徊する。琉球香腸というソーセージ状のものを焼いている屋台がある。そこでライスバーガーのようにしてそのソーセージを食べる。Ar1君はおみやげ用にそれを箱で購入している。これはあとにぼくも買うことになる。
船員の携帯食として出来たものらしい。おいしかった。
ほかになにか、煮こごりのように見えるゼリー状のものも買う。甘くて、なんだかよくわからぬ味である。まずいわけではない。でも、とらえどころのない味だ。
部屋に戻り、今日はオカリナも携帯して、歩き始める。昨日の半分ぐらいの速度が目標である。今日は夕方五時の船で島抜けするのが目標だから、是が非でもゆっくりしなければならない。
今日は昨日、歩かなかった残りの半分を歩くつもりで出発。昨日はAr1君もずいぶんせっかちだったが、諦めたのか、今日はぼくのペースに合わせてくれている。
隆起珊瑚の海岸で小休止。
近くの小学校から、なにかの標語かそれとも公式か何か、みんなで声をそろえて読み上げている。今日も晴れ。天気予報からは予想もつかないすばらしい天気である。ちょっと靄がかかっているから、これから天気は悪くなるのだろう。オカリナを吹く。
歩き出すと海岸沿いに、迷彩色に塗られたかわいい見張り台があり、思わず写真を撮りたくなる。大きな双眼鏡が備え付けられていて、軍人が一人、それを覗くわけでもなくイスに座って海をみている。草木の生い茂る南の島の海岸にあって、そこだけきちんと草が刈られ、見張り台への道は丁寧に石で縁取りされている。門の白いペンキも手入れが行き届いている。レンタバイクが走り回り今一つ落ち着きの感じられないこの島で、そこだけが時間が止まったようだった。
あんまり見張り台ばかり観察しいていると、何か文句を言われそうな気がして、早々に立ち去る。
海岸沿いの道は途中で工事中となり、昨日歩いた道まで出て集落に戻る。ビールと遅めの昼食。1600小琉球→高速船→東港
1700頃 東港→高雄
ホテルを決め、荷物を置いて街に出る。小琉球でとうとうその寿命を全うしてしまったズボンの替わりを買う。屋台をいくつか冷やかして、そのたびにビールを飲む。帰りにフルーツを買って、ホテルでビールと一緒に食べる。ビールのせいか、非常に眠い。うとうとしてから風呂に入り寝る。
夜、なんだか寝苦しい。暑いせいばかりではない。蚊がいて、手を噛む。
今日は会社の出勤日だった。上司の顔が少しだけ浮かぶ。
5/3 (木) Ar1君は今日が最終日。ぼくは今日は単独行動。本当はAr1君と一緒に今日帰ることにした方が、あとが楽なのだが、単独行動の日を作りたかった。
朝御飯は台湾式ハンバーガー。荷物を準備し、バスターミナルでAr1君を見送る。0908高雄→自強号→台東新站
隣のおばさんは台東から北に海岸沿いをしばらく行ったところにある「成功」という場所の方だそうで、高雄にいる息子のところを訪れての帰りだそうだ。台東新站から台東站への行き方を尋ねたところ、一緒に行くことになった。おばさんはバスで台東站、そこからまたバスで成功に帰るそうだ。
1150頃台東新站→台東駅前
バスで台東駅へ。
台湾銀行で外貨両替。
小琉球で購入した琉球香腸と似たものを屋台で売っている。一切れ5元。
屋台で、(沖縄風に言えば)三枚肉丼を食す。非常に少なかったけれどおいしかった。時間がないのでタクシーで台東新站に戻る。
1315台東新站→?光号→桃園站2125頃
途中まで定刻だったが、基隆からの線が合流する手前からのろのろ運転となり、台北駅は13分の延着。(晩13分と表現する)
そのままあと30分。桃園駅におり、站横の怪しげなホテル(富士旅荘だったっけ)に投宿。
夜の街をあるいて、餃子、おでん風のもの、などをビールとともに持ち帰る。100元の目覚まし時計もゲットした。これで明日は万全。
5/4 (金) 5時40分出発。タクシーに交渉し、450元でCKS空港へ。エバー航空明後日発福岡直行便を、今日の台北→沖縄→鹿児島に変えるため、中華航空→エバー航空(第2ターミナル)→中華航空と、手続きする。ターミナル間の連絡バスはこの時間帯20分毎なので、結構時間を消費した。でも、手数料もかからず完了。ただし返金もなしとのこと。
人様向けのおみやげをいくつかと、自分向けのお酒を一つを購入。馬祖の酒。60度の酒だ。810CKS国際空港→沖縄国際空港
行きに一緒だった徳之島の方々とまた一緒になる。到着後再び、国際通りを歩き、定番の公設市場二階の食堂で、ゴーヤーチャンプルーとオリオンビールを飲む。
オリオンと台湾ビールは似ているけれども、やはりずいぶんと違うものであった。
1400那覇→鹿児島
1540鹿児島空港→都城Ar2家に二泊。はじめの夜、琉球香腸(香料入りと香料なし)を食べた。
それと前後して、おなか具合が悪くなる。
5/5 (土) H1君の結婚式は途中退場。お酒が入るとなおいけないようだ。
二次会も辞退。
ぼくがいる間、Ar2家の子供たち(ユウタとセイタ)は興奮状態。なかなか寝付かず迷惑をかけた。
5/6 (日) 相変わらずおなか具合は良くないが、医者でもあるAr2君に薬を貰って出発。
0718都城→南宮崎
0820南宮崎→にちりん4号→臼杵
ハイパーサルーン型。一番前の特等席に陣取る。沿線にたくさんの鯉のぼりが泳いでいる。絶景かな。温帯湿潤気候の風景は、やはり実に心地よい。すべてがみずみずしい。
1135臼杵→九四フェリー→八幡浜
船は、「九州」。どうももと東日本フェリーの船らしい。前の名前、「びすば」。意味が分からず。でも、東日本フェリーらしい名付け方である。船籍は長崎県。不思議な船だ。船内の自動販売機で焼きそばを買って、ビール一缶飲み始めたが、全くだめだ。ビールは半分でリタイヤ。20分ほどの遅れで八幡浜着。
八幡浜港から八幡浜駅まで歩く。徒歩15分と書いてあったけれど、体力が消耗しているせいか、30分近くかかった。薬局に行き、ビオフェルミン止しゃ薬と栄養ドリンク、カロリーメイトで止しゃ薬二包を一気飲みし、八百円也の高級ドリンクで元気をつける。1512八幡浜→海線→松山1705
予讃線海線部は初乗り。朦朧としているうちに列車は海線に入り、いつの間にかすばらしい天気で、光る海に沿って走る。
しかし、台湾からの帰りにこんな線に乗るのはなんだか馬鹿馬鹿しくも痛快である。ただし、八幡浜で飲んだ二倍量の薬のせいか、頭がなんだかぼんやりしている。
1716松山→三津浜
タクシーで三津浜港へ。
1745三津浜港→岩国港以上、こんなとりとめのない文章におつきあいいただき、ありがとうございました。
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