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波照間の泡波
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ろんなものに狂うのはいいことだと思っているけれど、どうも最近ぼくは島に狂ってしまった。島に狂う以前からの狂気も今現在、継続中であるから、ずいぶんとアブノーマルな人間になってしまったような気がする。

病は二年ほど前の佐渡行きであって、このときは氷雨にたたられて散々な目にあった。結局予定を繰り上げて発作的に東京に帰ってきたのだけれど、しばらく経ってみると印象が非常に鮮明であった。

ぜかと考えてみるに、これはやはり島だからだ、ということが大きいようだ。

の孤島とか、谷間の盆地の周囲から孤立した集落とかいうのは、この文明社会において望むべくもないし、万が一そういうところがあっても、マスコミが殺到してあっと言う間に観光地となってしまう。とにかく地面が続いているから、ついついこちらの集中力も拡散してしまって、印象は曖昧とならざるを得ない。

も、文明開化からすでに百年以上が経過した日本国には、まったく周囲から孤立した島なんて存在しないけれど、周りには海がある。風と波が強ければ、島の中は完全な孤立系となる。印象も海を渡ってまで拡散したりはしない。周りを海という断熱材に守られて、中で感じた印象はなかなか冷めない。

にかくぼくはそれ以来、いろいろな島に行こうと心に決めた。島はそれぞれに独特な色があって、ひとつとして同じ島はない。山間の僻村だって同じでしょうと言われるかもしれないけれど、とにかくぼくは島に狂ってしまった。全国に400あまりの有人島があるけれど、しかし急いではいけない。ゆっくり、ゆっくり。島に流れる時間はたいてい、太陽が動くにつれて木々の影が動く、その速度と同じなのだから。


 

**

「オキナワ行くねん」
「へぇー、誰と?」
「いや、一人や」
「‥‥‥‥」

かし沖縄なんて、言っちゃ悪いがなんだか浮わついていて、一人で行くのに気がひける。なんとなく恥ずかしいし、話を合わせなきゃいけないから、
「ま、行きは一人や、ゆーこっちゃ」
「へー、帰りは何人?」
「それは成りゆきやな」
「ふうん」
ということにしておく。

***

にかく、一度オキナワというところに行きたいと思った。

的がそれだけならどうにでもなるわけで、例えば明日の朝、羽田を発って、那覇空港日帰りツアーというのも悪くない。

う少しゆっくりしたければ、毎週土曜日午後3時に東京港有明埠頭を出る沖縄直行の貨客船「かりゆしおきなわ」に乗ればよい。月曜の午後2時、那覇の安謝(あじゃ)新港着。即タクシーを拾って那覇空港に行けば、6時過ぎには横浜の自宅に帰れる。

っとゆっくりしたい場合は、その「かりゆしおきなわ」に乗り、那覇で下りずにそのまま乗り続けてもよい。そうすれば夜8時那覇発、翌朝9時には八重山(やえやま)諸島の石垣島石垣港に達し12時発、同日午後に宮古島、さらにその翌朝那覇に寄港して、出発日より6日後の金曜日午前9時半、東京港有明埠頭に戻ってくる。

はこうでなければならない。邪念のはいらない旅からは、旅の単結晶がとれる。下手にいろいろなところをまわってしまうと、印象どうしがぶつかりあって、結局なんだったんだ、ということになる。

、調子の良いことを言っておきながら、美しい表紙につられて沖縄関係の本を読むうちに、八重山諸島というのが気になり出した。日本列島から尻尾のようにのびる琉球弧の先っぽの、台湾と接するあたりに点在する島々をそう呼ぶ。主島は石垣島。山が多くてでこぼこした島で、その山の多さから八重山ともいう。

島の中には石垣島のほかに、イリオモテヤマネコで有名な西表島や、日本最西端の与那国島、最南端の有人島である波照間(はてるま)島などがある。

れぞれが独自の文化を持ち歴史を持つ島だ、などと案内書にある。

れは行かないといけない。八重山がオレを呼んでいる。だいいち、八重山とか波照間だなんて、語呂がよすぎて、ぼくはこういう地名に弱いのだ。

***

はいかにして八重山に行くか。

行機は嫌いではないけれど、なんだか信用がおけない。ついさっき東京にいたのに、ちょっと雲の上に出たとたん、ただ今足摺岬上空です、だなんて信じられない。那覇空港や石垣空港がどんな建物かは知らないけれど、どうせ判で押したようなガラス張りのノッペラボーだろう。ああはるばる沖縄までやって来たんだなあ、という気がしないに決まっている。と言うのは偏見かも知れないけれど、とにかく足が地についていないのはよくない。初めて沖縄に行くときぐらい、はるばる気分を味わいたい。

ういうわけで何年も前から、沖縄に行くのなら船にしよう、それも琉球海運のかりゆしおきなわにしよう、と心に決めていた。

京から沖縄に行く船にはほかに、大島海運のフェリーありあけがあるけれど、これはフェリーである。設備も豪華で居心地よく、ファーストクラスの部屋には新婚さんなんかがいるだろう。

れはそれでいいのだが、対するかりゆしおきなわは沖縄本島や宮古、八重山諸島の人々の生活物資を運ぶ貨客船である。お客さんはオマケで乗せているに過ぎない。料金は大島海運と同じだけとるのに、食堂のメニューはカレー、スパゲティ、親子丼、定食のみ。風呂はなし。特等客室はあっても、新婚さんなんかには似合わない無骨なつくりだろう。この方が不本意ながらぼくに似合っているし、こういう船に石垣島まで3泊4日貨物と共に旅をすれば、昔、苦しい航海をしたであろう人々の気分を、少しは味わうことができるかもしれない。

れにかりゆしおきなわとは、これまた素晴らしく語呂がいい船名ではないか。


 

**

しろ長い船旅だから、賢明なる読者の皆様は前置きの長さを我慢しなければならない。今回の沖縄八重山の旅は9泊10日214時間の予定であるが、かりゆしおきなわ滞在は3泊4日74時間。全体の3分の1よりもまだ長い。

***

の中に、大きく分けると四種類の人種があって、人類は、晴れ男、晴れ女、雨男、雨女に分類される。その構成比は地域によって異なっており、大部分が温帯湿潤気候に属する日本国に於いては、当然、比較的雨男と雨女が多い。

なみにぼくは雨男である。

近二年ほどの実績で見ても、平成3年9月の「九州縦断山越えの旅」は、あの台風19号とその後の宮崎県の集中豪雨で交通網が寸断され、予定がメチャクチャ。平成4年3月の「佐渡早春紀行」では、1週間の旅程のうち、氷雨が止んだのは1日だけ。平成5年3月の「オホーツク紀行」では、網走に着くや否やちらちら雪が降りだし、すぐに猛烈な吹雪となって、それからぼくが北海道をはなれるまでの5日間、北部北海道に住む善良な人々に多大なる迷惑をかけた。

のように、ぼくは、雨男の名に恥じない一人前の雨男として、立派な実績を残してきているのである。

***

ころがである。

が力も衰えたり。

成5年10月2日午後1時。フェリーターミナルへの連絡バスの出る新木場の広いバスターミナルは、抜けるような秋晴れのもとで静まり返っていた。空気は涼しく、ささやかな風となって肌を撫でてゆく。雨男のぼくとしては恥ずかしくなるような好天である。

辺はまだ開発途上で、バスは1時間に何本かしか来ない。新しい高架線路をときどき電車が走ってゆく。

陰にザックを置いて、日溜まりの木のベンチに腰を下ろし、空に浮かぶ雲など眺める。 学生のころは、部屋に近い荒川の堤防の草の上にひとり座って、変わりゆく空の色が水面に映るのを飽きもせず眺めていた。

岸の堤防沿いの高速道路はいつも渋滞していたけれど、川面をたまに小さな舟がぽんぽんと通っていった。河川敷のどこかから少年野球のかけ声が風に乗って聞こえてきた。

月から社会人になって、ヒマは学生の頃に比べて多くなったような気もするけれど、空など眺めるのははじめてかもしれない。

とすじの飛行機雲を残して、飛行機が音もなく飛んで行った。

***

りゆしおきなわは有明10号埠頭に横たわっていた。

が青、上が白の薄汚れた二分割ツートンカラー。窓もほとんどなく、味も素っ気もないノッペラボーだ。周りでフォークリフトが忙しげに動き回っている。

庫を改造したような、染みだらけの薄暗い待合室で乗船を待つ。

かのサークルで沖縄に遠征でもするのか、大学生ぐらいのグループがいて、紙テープなんか用意して騒々しい。しかしそれ以外の人たちは静かにスポーツ新聞などを読んでいる。沖縄の人たちだろう。太陽をたくさん受けて色が黒いおじさんが多い。

すに腰掛けて、売店で売っていたお弁当を食べる。ご飯の上にちょっとした肉片が載っているだけで、冷たくてまずい。

ばらくして乗船開始。船室に荷物を運び込んで、二段式寝台の下段に落ち着くことにする。船の寝台というのは広いと相場が決まっているものだが、中で座ろうとしても頭がつかえる。横になるしかない。

ち着くつもりだったけれど、これでは落ち着かないから、甲板に出てみる。

で例のサークル大学生どもが、横一列に並んで何か叫んでいる。傾きかけた太陽が彼らの顔をオレンジ色に照らしている。

***

かったかりゆしおきなわの影がだんだん伸びていって、とうとう出港のアナウンスがある。『蛍の光』が流れる。見送り大学生どもが紙テープを投げる。甲板が非常に高い貨客船だから、ほとんどこちらまで届かない。引き上げられたタラップに引っかかったりしている。船と岸壁との間に見えていた黒い海が少しずつ広がってゆく。

笛が鳴った。

男を少なくとも一人乗せて、かりゆしおきなわは東京湾を行く。

陽は傾き、西の雲に隠れた。空の色が変わってゆく。町の光が輝き出す。

うして東の地平線のスモッグの中から、真っ赤なまるい月が現れた。とんでもない赤色の、巨大な輪切りの京ニンジンが、じっとこちらを睨んでいる。どうにも気味悪いから船室に戻った。

***

夜、目覚めて、甲板に出る。
風が強い。小さな雲の切れはしが飛んで行く。
太陽が月を照らし、その照り返しで、波のない海に、伊豆七島の影がぽつぽつと見える。
水平線も見える。
青白い光の濃淡のみで構成された光景。船はその中をしずしずと進む。

がて島影は水平線の彼方に小さくなり、そして消えた。


 

**

室に窓はない。一室定員八名の船室の入り口を閉め電気を消せば真っ暗である。ベッドのかすかな振動で、自分は船に乗っているんだなあと思う。ほかのベッドから、すうすう寝息が聞こえている。

もとの蛍光灯をつける。朝だ。朝だろう。時計の針が7時を指している。

ッドから這い出し、ドアを開けて廊下に出る。天井に並ぶ蛍光灯が目にまぶしい。

板に出る。雨だ。ざあざあ降っている。憮然として中に戻る。

販機コーナーにテレビがある。衛星放送で天気予報をやっている。ひまわりの画像が映し出される。見れば画面の下のほうに、大きな雲の渦が二つも並んでいる。昨日まではあんなものなかったぞ。だいいち、わざわざこんな時期に沖縄に行くのは、この時期になると台風が来なくなって天気が良くなると、何かに書いてあったからではないか。

「台風だね」
「はあ。そうみたいですね」
「どこまで行くの」
「石垣までです」

しかけてきたのは、スポーツ刈りの人なつこそうなおじさん。おじさんといってもまだ若い。きっと三十代半ばだろう。

「ああ、そうなの。ぼくも石垣までだよ」
「あれえ、そうなんですか」
「この調子だと、ちょうど台風が来そうだね。向こうでの予定はどうなってるの」
「石垣に着いたら、すぐ波照間行きの船があるから、まず波照間に行って1泊。それから西表で2泊。ええと、あと竹富で1泊。それから‥‥」
「はは、ずいぶん忙しいなあ」
「ま、駆け出しのサラリーマンとしては、行きのこの船だけでもずいぶんと贅沢ですから」「船が好きなのかあ」
「そうですね。でも片思いなんで。ぼくは船に嫌われてるんです」
「というと」
「船に乗ろうとしても、欠航になることが多いし、たまにすんなり乗れても、到着はかならず十時間ぐらい遅れるんです」
「嵐を呼ぶ男ってわけかあ」
「まあそうですね」
「今回もほら、台風が。それも二つ」
「でも、嵐とは限らないんでして。おととし釧路に行こうとしたのは、非常に天気のいい波も風もないおだやかな日だったんですが、それでも船は欠航になりました」
「へえ」
「なんだか船を修理するとかで。しょうがないから、列車で行きました。次の日も出ない、言うんで」
「ははは、これは、この船も遅れそうだなあ」「きっと、遅れますよ。しかし困るなあ」

ナウンスがあって、朝食になった。650円。オーソドックスな塩鮭つきご飯たまごセットである。こまごまと色々おかずがついている。

堂のテレビも天気予報をやり出した。あの台風はぼくが呼んだんです、すみませんと言わなきゃいけないような気もしないでもないけれど、罪悪感を感じているようでは、まだ雨男としての修業が足りないのかもしれない。

年の夏は台風が少なくて、沖縄は少々水不足気味だという。そこへ雨男が乗り込んで、雨を降らせてやるわけだから、ご乗船の皆さん、そんなに嫌な顔して窓の外を見んでよろしい。

***

日中暗くなるまで雨が降っていたが、夜、外に出てみると上がっている。小さな雲がたくさん浮かんでいて、雲間からときどき月が顔を覗かせる。突然俳句をひとつ思いついた。

  風よ吹け月は雲間でかくれんぼ

来不出来はともかく、俳句なんか思いつくというのはどうかしている。

角的かつ経験的さらに総合的に判断すれば、結局今回の旅も大いに雨にたたられること、間違いなさそうではある。



 

**

縄寄港の日。雨は止んでいるけれど、よいお天気というわけではない。

、甲板にたくさんの人が出て、あれが伊平屋(いへや)島だとか、伊是名(いぜな)島だとか言って賑やかである。

前方に、平たい島の端っこに、とんがった高い岩山を載せた伊江(いえ)島が見えてきた。左側には沖縄本島がつらなり、大きく突き出した本部(もとぶ)半島と小さな水納(みんな)島が近づいてきた。

名にいちいち読み方を付記しないといけないのは面倒だが、意味不明のものが多くて、無味乾燥な旅行記の雰囲気を盛り上げる効用があるようにも思われる。

岸線が見えてきた。お天気が悪く雲が垂れこめて海の色は鉛色だけれど、そこの海岸線のところだけ、観光案内書のグラビアでよく見る「オキナワのビーチ」の色をしている。珊瑚礁なんていう言葉は、某女性アイドル歌手の歌いらい、歯が浮くような語感を持ってしまったが、実際に見ると、ほんとうにまわりの景色から浮いていて、まさか雲いっぱいのこんな日にまでそんな色をしているとは思わなかった。

***

よいよかりゆしおきなわは安謝新港に入港する。かりゆしとは沖縄の言葉で、めでたい、とかいう意味だそうで、まずはかりゆしといったところである。

りゆしおきなわでの6度目のご飯を済ませ、再び甲板に出て、入港の一部始終を観察する。ずいぶんと狭いすき間に入っていって、船と船の間に割り込むようにしてとまった。

刻午後2時。船の中に荷物を置いてタラップを降りると、マイクロバスに乗せられて、フェリー乗り場の建物まで連れて行かれた。船の中で話をした、石垣まで行くスポーツ刈りおじさんと一緒になる。

「さすがだなあ」
「え、何ですか」
「いやあ、参ったよ。嵐を呼ぶ雨男の威力」
「はあ」
「なんだ、知らないのか。石垣着は遅れるってさ」
「えっ、そうなんですか」
「さっき聞いたらそう言ってた。先に宮古に行くらしい」

りゆしおきなわは時刻表の上では、那覇発は今日夜の八時。明日はまず石垣に寄港し、そののち宮古に向かうことになっている。それが台風を避けるため、宮古に先に寄り、それから石垣、というぐあいに変更になったらしい。

まったなあ、と思う。石垣島では1時間の乗り換え時間で、波照間行きのフェリーに乗ろうと思っていたのだが、こうなっては間に合わない。そのフェリーは週3日の運行。綿密に立てた計画はどんどん崩れ、ほんとうは波照間、西表、竹富、与那国に各1泊ないし2泊するつもりが、どれかひとつを諦めなければならないかもしれない。

くが旅をすると、最近どうもこうなってしまう。まあいいか、と諦めることにしてはいるけれど、今度からはどこかから晴れ男か晴れ女(後者のほうがもちろんいいが)を調達してきて、連れて行くことにしようかとも思う。

***

覇の街に出る。

際通りの本屋さんに入る。沖縄は地方出版が非常に盛んなところで、沖縄文庫シリーズや、「おきなわキーワードコラムブック」など、名著が多い。買いたいものを全部買っていたら、荷物が多くなりすぎる。いろいろ悩んでようやく数冊を購入した。

らずら並んだ本の背表紙を見ただけで疲れた。どこかでおなかを膨らませて、もう船に帰ろうと思う。沖縄本島は今回の目的地の中に入っていない。寄り道してあちこち気を散らすのもおもしろいけれど、それより沖縄本島はまたの機会にとっておいたほうがいい。寄港時間はわずか六時間。こんなものでオレは沖縄本島を見た、などと言っては、沖縄本島に対して失礼にあたる。

角の定食屋さんで晩ご飯を食べた。どうも、ゆうらゆうらと椅子が揺れている。テーブルも揺れている。アルコールは入っていなのに、便所に行く足もとが何となくふわふわする。平衡感覚をつかさどる三半器官が、船の揺れに順応してしまって、地上に戻るとちょうど船上にいるように錯覚するのだろう。

港予定時刻1時間前。

りゆしおきなわの横っ腹の大扉が開いて、たくさんのフォークリフトが出たり入ったりしている。宮古島に先に行くことになったので、荷物の総入れ替えをしているらしい。

だ岸壁にはたくさんのコンテナが散らかっていて、とてもあと1時間ほどで出港できるとは思えない。

ォークリフトは忙しげに動き回り、急いでいるのはわかるけれど、そのうちどこかで衝突事故が起こりそうだ。それに船への出入り口は、フォークリフト一台がやっと通れる大きさで、入り口のまわりにフォークリフトがいっぱい待機して、渋滞している。

局、出港は予定より二時間遅れの夜10時になった。明日以降のことを考えなければならないけれど、もう今日は寝ることにする。

つかれないので、自動販売機のオリオンビールを500ミリリットル二本飲んだ。その夜は結構揺れたらしいが、ぼくはちっとも感じなかった。ただ夢の中で、上に行ったり下に行ったり、ふわふわどこかを飛ぶ夢を見た。

古島平良港入港で目を覚ました。よく寝たものだと思う。10時間睡眠、朝8時である。 風が強く、雨も降っている。ざあーっと降って
ちょっとあがったりする。いよいよ台風が来るらしい。

が小降りになったので、陸に上がってみる。雨に濡れた赤いコンテナの間を抜け売店まで行き、深緑色の雨傘を買った。

うして帰りはその傘をさして、船に戻ってきた。

のまわりでは、雨の中、フォークリフトが動き回り、9時になっても10時になっても、出港の気配はない。午後3時前に石垣島に着けば
高速船に乗り換えて波照間に渡ることができるのだが、それはもう絶望的である。

京の江戸川区から来たという、例のスポーツ刈りおじさんは、今日、竹富島まで行くつもりらしい。船の時刻をしきりに気にしている。竹富行きの高速船の最終は午後5時30分。これは微妙だ。

11時、ようやく宮古島発。石垣着は午後5時ごろとのことで、ますます微妙である。石垣港のフェリー埠頭と、高速船の出る離島桟橋とは、ちょっと離れていて、地図で見る限り10分か15分ぐらいはかかりそうだ。ひとごとながら、気になる。

「タクシーかなんかがいればいいけど」
「でも多分‥‥」
「いないだろうね」
「でしょうね」

ッドに石垣市街の地図を広げ、2人で考えるのだけれど、とにかく着いてみないことには分からない。午後5時ごろというのが、どれくらいの誤差を含んだ数字かが分からないから、埒があかない。

くの方はもう諦めた。今日は石垣島に泊まることにして、明日以降の計画は、未定である。

古と石垣のあいだにある、まるくて平べったい多良間島が近づいてきた。そこだけ日が照って、白い砂浜が輝いていた。

***

局石垣には午後4時20分に到着。竹富に向かう江戸川のスポーツ刈りおじさんを見送り、市内をまっすぐユースホステルに向かった。

、扇風機にタイマーをかけて寝た。蚊が飛ぶので、蚊取り線香を焚いた。

重山の10月上旬はまだ夏である。



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