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風待ちの島三宅島

江戸時代、流人を八丈に送った船は半年がかりだった。台風シーズンが終わってから江戸を出て、秋のうちに三宅島にたどり着く。船の客や船員・流人は三宅島で冬を越し、翌春の凪の日を待って八丈に向かった。
 三宅島と八丈島の間には黒潮が流れている。よほどの好天に恵まれなければこの流れを無事横切ることはできないのだ。
 だから三宅島は風待ちの島と呼ばれた。


「伊豆諸島なんかどうかナ」
「いいね」
「大島・利島・新島・式根島・神津島。こいつらは伊豆諸島でも比較的本土に近いグループ。東京から『かめりあ丸』で行く島々だ」
「いいね」
 高校大学の友人にニトロベンゼンというのがいて、なぜニトロベンゼンだったのかどうもよく分からないけれど、最近改名してニトロリンと名乗り出した。ぼくはいま化学会社に勤めているから、ニトロベンゼンとは懇意であって、卓上の辞典をひもとけば様々なことが分かる。物理的性質化学的性質はよいとして、安全性と毒性という欄を見れば次のようになっている。ニトロベンゼンは非常に有毒である。皮膚との接触や蒸気の吸入により迅速に体内に吸収される。ニトロベンゼンは血液中のヘモグロビンを変性させて酸素輸送能を失活させる。
 ぼくはぜんそく持ちだから、酸素輸送能を失活させられてはかなわない。それでしばらく会っていなかったのだが、改名を機に一緒にどこかに行こうということになった。フランス語でニトロベンゼンは女性名詞だけれど、この場合残念ながらニトロベンゼンは男性であるから、どこか地味なところがいい。
「ただし、大島なんかは東京に近い分だけ観光の島という感じが強い。地味じゃないナ。利島なんかはけっこう地味だけど」
「いいね」
「三宅島・御蔵島・八丈島。こいつらは遠いグループ。船は『すとれちあ丸』になる」
「いいね」
「あと、もっと南に青ヶ島がある。これだけは東京からは船が出てない。八丈島で『還住丸』に乗り換える。青ヶ島村は人口が日本一少ない。人口二百人。村長さんになるには百人買収すればいい」
「はあ」
 冴えない返事だが、その青ヶ島こそがこの旅の真打ちである。真打ちは最後に登場することに相場が決まっているが、住民二百人、観光客も年間二百人、そういう島にこの季節風の強い二月に行くにはそれなりの覚悟を要する。低気圧も接近中だし、三日や四日、船が欠航しても大丈夫なように、五日間の日程の初めにとりあえず青ヶ島に行く。東京を出て、すとれちあ丸で一泊。翌朝八丈島に着いて、還住丸が出る神湊港まで歩き、出港まで十五分あるから青ヶ島の宿に電話をする。
 年間観光客二百人の青ヶ島には、小さな民宿が数軒あるだけである。しかしなにしろ年間二百人。どれもがらがらで開店休業だろうと思っていたのだが、電話してみるとどれも満員らしい。そんなはずはない。役場に電話する。ちょっと待ってくださいと言って、電話に出たその人が親切に調べてくれたがやっぱり全部満員。どんな部屋でもいいからという条件でなんとか一軒の宿を確保した。後で聞けば、青ヶ島の宿は工事関係者や公務員、測量技師、公務員、学者、テレビや雑誌の取材、NHKの集金などで、常に満員盛況だという。

 天候快晴。潮風が頬に冷たい。
 我々のほか、神奈川から来たという自転車旅行のチャリダーをひとりだけ乗せて、全乗客三名。青ヶ島定期航路還住丸は出港した。外海に出ても波は静かで、太平洋の大海原を行く一一九トンの小船にしては揺れないなと思ったけれど、ニトロベンゼンは苦しそうである。窓には、とんがった山のてっぺんだけが海の上に取り残された、といった感じの八丈小島が見える。この島に昭和44年まで住民がいて、村では有権者全員参加の直接民主制が行なわれていた。いったいどこに人が住んでいたのか。船から眺めるかぎり急斜面ばかりで、取りつくシマがないとはこの島のためにある言葉ではないかと思わせる。しかし酔ったニトロベンゼンは、人がせっかく説明してやっているのに、窓の外にちっとも興味を示さない。なんの因果でこんな船に乗ってなきゃならんのだ、という顔でそっぽを向いている。
 大体このニトロベンゼンはニトロベンゼンのくせに数学科の大学院生で、芸術芸能文芸人情慈悲憐憫といったことを解しない。わざわざ船員が客室に入ってきて「寒くなったら、このツマミを回せば暖房がつきますから」と言ってくれたのに、
「ああ、ぼくは、使わないと思います」
と、平然としている。あわてて、
「いえ、どうも。わざわざありがとうございました」
と言っておいた。
 一時間ほどすると寒くなってきた。ツマミを回して暖房を入れた。ニトロベンゼンは知らぬふりである。


2 

揺られること三時間、青ヶ島がその姿を現した。
 青ヶ島は全周絶壁に囲まれた火山島で、過去大噴火を繰り返し、無人島になった時代もある。この船の名前の還住丸というのは、その後、島に戻った時代の人々の辛苦を偲んでの命名である。地図で見ると、黒潮の流れに逆らって懸命に泳ぐしっぽの短いオタマジャクシのような形だ。そのオタマジャクシの後頭部にある大きなくぼみに昔の集落はあった。今、そのくぼみの真ん中に活火山オフジサマが鎮座して、集落はしっぽの先っぽのてっぺんに辛うじてしがみついている。
 岩と岩のわずかな隙間にびっちりコンクリートを打ちつけた無骨な港が見えてきた。島の宝、三宝港だ。日本唯一、艀(はしけ)作業が今も行われているところとして知られる。定期貨物船の黒潮丸四四〇トンはこの荒削りな港には接岸できないので、小さな船(艀)に荷物を少しずつ載せ替えて陸揚げする。港の上のコンクリートで固められた斜面のはるか上に、ロープで引き上げられた艀が何艘か見える。ただしこの還住丸はそのまま岸壁に横付けになった。
 宿の車が来ていて、チロというちろちろ集中力のない白犬とともに宿に向かう。外輪山をくりぬく東京都有数の長いトンネルを抜け、島の真ん中の活火山オフジサマを見て、さらにトンネルをくぐって向こう岸に出る。集落は港のちょうど反対側にあるのだ。ふつう、港は集落のそばに作られるものだが、この島では急峻な地形のためそれができなかったのだろう。
 チロはフロントガラスに鼻先を押しつけ、道端を猫が歩くたびに小さく吠える。猫が現れないと運転している宿の若奥さんの首筋を嘗める。ときどき我々のほうにも首を向けて唸ってみたりする。若奥さんは神奈川県の横須賀だったか、そのあたりから、島の漁師のお嫁さんとしてこの島に移り住んで来た。
「もう慣れたけど、やっぱり来たときはねえ。いろいろありましたよ」
 何しろ大都会の女性が住民二百人のこの小さな島に嫁に行くのである。まわりだって口出しないはずがない。
「海が好きですから」
とも言った。還住丸に乗るときは初めから終わりまでずーっと甲板に立って海を眺めるのだそうだ。
 宿に着いて、お昼ご飯。島には食堂がないから、三食すべて宿で食べる仕組みになっている。焼魚が一つ付いた実質本意の献立で、満腹して部屋に引き上げてコタツに足を突っ込んで横になる。
 これが島の醍醐味だ。こんな島だから特に見どころがあるわけではない。食事、昼寝、昼寝に飽きたらぶらり外に出てみる。道で出会ったおばさんと挨拶をする。写真が撮りたくなったら宿に戻ってカメラを取って来ればいい。ビールが飲みたければ飲めばいいし、手に入らなければ飲まなくてもいい。ここに来たらこれだけは是非ともやっておかなければ、といったことが全然ないのだから気が楽だ。さて、しばらく昼寝でもするかな。ウトウトしかけると、
「渋谷君。これからなにするの」
「いや、とくに‥‥」
「どこか行こうよ」
「‥‥‥‥」
「寝ててもしようがないし」
「‥‥‥‥」
 どうも離島巡りは一人旅に限るようだ。

昼寝をする予定を急遽変更してコタツから這い出し、青ヶ島の最高峰、大凸部(おおとんぶ)に登ることにした。大凸部とはいい名前だ。青ヶ島では外輪山のピークのことを凸部(とんぶ)と呼ぶらしくほかにもいろんな凸部がある。その中で一番高いから大凸部というのはわかりやすくていい。
 しかし観光客が年間二百人の島だから道がわからない。国土地理院発行の二万五千分の一の地図によれば大凸部の頂上に行く道があって、その通り歩いたはずなのに、となりの凸部に着いてしまった。こぢんまりとした四畳半ぐらいの広さの神社があり、数え切れぬほどの様々な大きさのミニ鳥居が周りに並んでいる。そこでひとまず休憩をして今後の作戦を練る。神社の一隅にある、高さ一メートルほどのブロック塀に囲まれたコンクリート建て高床式の空中散布式公衆便所(程よい大きさの細長い長方形の穴があり、下を覗くと日当たり良好な斜面で草が生えてたりする。景色良好。最初穴に気づかず簡易展望所かと思った)に立って、地図と周りの地形を見比べる。
「なるほど、うん、なるほど」
もっともらしくうなずいてニトロベンゼンを安心させ、
「とりあえず、下りようか」
とりあえず集落の近くまで戻ることにした。
 直径二十センチぐらいのつるつるの玉石をびっしり積み上げてできた階段は美しいけれど、斜度四五度の玉石垣みたいなものだ。苔むして滑りやすい。四つんばいになって後ろ向きにそろそろ下りる。倒木が横になって行く手をふさいでいたりする。なにしろ年間観光客二百人の島だ。少々の不便は覚悟の上である。しかし、ぼくは身長百八十二センチ、体重九十二キロ。障害物リレーなどに出れば網をくぐるのに人の二倍かかる身体なのに、ニトロベンゼンはぼくより二た回りは小さくて身軽で、ひょいひょいと倒木をくぐって先に行ってしまう。なんて薄情な奴だろう。
 ようやく玉石階段の下まで辿りつくと鳥居があった。その下でニトロベンゼンが待ちくたびれたといった顔で立っていた。ぼくは提案した。
「なかなか充実した一日だった。今日のところは帰るか」
「ウソでしょう。大凸部、行こうよ」
「そろそろ夕方だし」
「まだ三時前だよ」
「‥‥‥‥」
 再挑戦することにしたけれど、結局道がわからず撤退。宿に戻り作戦を練って翌日出直すことにした。

 翌日快晴、ほとんど無風。朝ご飯を食べ、大凸部に登る。途中道を失ったが、強引に突っ切って行くとちゃんと頂上に着いた。実にめでたい。ダイナミックな造形を見せる青ヶ島の外輪山の四周は海だが、急な傾斜だから海岸線は見えない。北の水平線には遠く双乳形の島。八丈島だ。
 あそこからここまで六十七キロメートル、欠航も多いらしいが一一九トンの還住丸で三時間弱。今年からは悪天候にも強いヘリコプターの定期便もある。しかし青ヶ島八丈島は黒潮の急流のど真ん中に浮かんでいて、人力航海の時代、両島間の交通はまさに命がけであった。『八丈実記』(巻八)によれば
「文明六年ヨリ享保四年迄、二百四十六年ノ間無恙に著岸シタルハナシ。多クハ國地ヘ漂流シ、或ハ行末ヲ不知ニ至ル」
とある。底の知れぬ黒潮の海はただただ黒い。この流れを地元の人は海暗(うみくら)と呼ぶ。なんだか自然の猛威に対する諦観のようなものが感じられる言葉だ。ただ、今日は海は静まり返って霞んでいる。鈍く輝く海にいくつものちぎれ雲が影を落として一面のまだら模様をつくっている。
 風に乗って集落のほうからスピーカーの声が聞こえてきた。
「村役場からのお知らせです。本日、黒潮丸は午前八時、八丈島を出港いたしました。青ヶ島三宝港入港は十二時ごろの予定です。荷受け希望者は午前十一時半までに三宝港岸壁に集合してください。本日の入荷品目は‥‥」
 貨物船黒潮丸は週一便。島の生活物資はすべてこの船によってもたらされる。
 今日は八丈島まで戻る予定だ。大凸部から下りてお昼ご飯を食べ、宿の車で三宝港に行く。ちょうど艀(はしけ)作業が終わったところらしく、艀船が二艘コンクリートの斜面はるか上まで引き上げられて行く。黒潮丸が岸壁から少し離れた波間に浮かんで静かに上下に揺れている。
 まもなく還住丸がやってきた。最大の難関たる青ヶ島は何事もなく日程どおり脱出できそうだ。実はこれはほんとうに奇跡的なことなのである。昨日(二月十八日)乗った還住丸は今月やっと三度目の運航だという。日曜休航だからその就航率は十六分の三で約18パーセントに過ぎない。この確率でしか出ない船に二回連続で何事もなく日程どおり乗られる確率はなんと、0.18×0.18=0.0324だから約三パーセントである。
「日頃の行ない、てヤツですかネ」
「‥‥」
「マ、とりあえず目出度い目出度い」
「‥‥」
 祝杯を上げたいところだけれど、港には売店がない。ビールの自動販売機もない。船の中にもなかった。島の醍醐味は、ビールが飲みたければ飲めばいいし、手に入らなければ飲まなくてもいいところだなんて書いたけれど、いやしかし、こういうときにビールがないのは言語道断、じつに困る。


3 

八丈島で一泊してその翌日昼過ぎ、予定通り三宅島三池港着。ここのユースホステルで一泊して、明日は御蔵(みくら)島に行ってみるつもりだ。御蔵島でも一泊し、週一便だけ御蔵島にも寄港する東京行きのすとれちあ丸に乗って、あさっての夜には東京に戻る予定である。計画は完璧である。非のうちどころがない。唯一あるとすれば、はじめに書いたように低気圧が現在接近中で、海が少し荒れてきている。
 三池港から徒歩三十分弱、サタドー岬で累々たる溶岩を眺めたあと、村営バスに乗ってユースホステルへ。宿泊の手続きをすませてとりあえず食堂でテレビの天気予報を見る。
 予想気圧配置図がすごいことになっていた。
「‥‥台風並みに発達した低気圧が接近中で、日本付近は非常に強い冬型の気圧配置となるでしょう。等圧線が混み合っている東日本では強風と大時化が予想されますので充分ご注意ください」
 アナウンサーの声が何となく遠く聞こえる。
「これは御蔵島は無理かも知れんね」
「‥‥」
 ひょっとすると予定通り東京に帰られないかもしれないとも思ったが、これは口には出さなかった。
「ま、計画通りの旅もいいけど、いろいろあってまた旅の思い出も深まるものだ」
「‥‥」
「明日は三宅島逗留だな。万が一、御蔵島への船が出ても、乗ってしまうとなかなか戻ってこられない可能性が高い」
 夕食に伊豆七島名物の明日葉(あしたば)が出た。香りの強い木の葉で、今日摘んでも明日にはまた葉が出ることから明日葉という。毎日食べているとくせになるものらしいが、よそ者にはちょっと香りの強いガサガサしたただの木の葉っぱである。まずいわけではないけれど、明日葉のお浸し、明日葉の天ぷら、あとは小魚の天ぷら、味噌汁、ご飯。何となくおなかが寂しい。ご飯のおかわりをした。ビールを買って飲む。
 食卓を囲んでいるのはぼくとニトロベンゼンの二人だけ。広い食堂の片隅のテーブル。電灯はその上だけついていて、ほかのは消してある。かすかに汲み取り式トイレの匂いがする。
「今日はボクらだけですか」
「そう。冬はほとんどお客さんいないからね」
「‥‥」
「お兄さんらはあしたはどうするの。明日のすとれちあ丸出ないよ」
すとれちあ丸というのは東京行きの船の名前である。
「あ、そうなんですか」
「さっき役場の放送があったから」
「‥‥」
「飛行機もたぶん出ないし」
「はあ、あしたはまだ島にいる予定なんです。あさって帰るつもりですけど」
「あさってねえ」
「船、出ないですか」
「いやあねえ、出ないと決まったわけでないけれども」
「‥‥」
 海側の窓ガラスがカタカタ鳴り出した。ほんとうに嵐が来るらしい。
「いちおう、飛行機も予約しておこうか」
「‥‥」
 十円玉を何枚も用意して三宅島空港に電話をした。留守番電話の女性の声が聞こえてきた。
「本日の、営業は、終了いたしました。明日の、営業は、午前、九時から、と、なって、おります‥‥」
 声はずいぶん遠く、かすれるようだった。

三宅島阿古港にて  PENTAX LX Tokina80-200/2.8 F4AE

 夜、宿の車で温泉に入りに行く。夜道の右側は山、左側が海。左側の闇で海が騒いでいる。海からの強風に乗って細かい飛沫がフロントガラスを濡らす。ヘッドライトに照らされるアスファルトも濡れている。木の枝が風にあおられて飛んで行く。
 温泉から戻って、二段ベッドの下段に横になって有吉佐和子の『海暗(うみくら)』を読む。明日行く予定だった御蔵島を舞台とした小説。ほんとうは御蔵島の宿で読もうと思ってニトロベンゼンに頼んで図書館で借りてきてもらったものだ。
 半分ほど読んで本を閉じる。カーテンを細く開けて外を覗くと横殴りの雨が降っていた。
「雨が降ってるよ」
 返事はない。ニトロベンゼンはもう眠ってしまったらしい。ベッドから這い出て電気を消した。横になって天井の闇を見つめる。闇の中に会社の上司の顔が浮かんだ。
「一週間も無断で休むとはどういうつもりだ。この忙しい時期に何を考えてるんだ。まだ学生気分なんじゃないか」
「‥‥」
 窓の外で海が吠えている。
 三宅島は風待ちの島である。昔から、ずっと‥‥。

[完]


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