第1章 牧の邑 (1)
山と川に象徴される信濃は、北に善光寺の阿弥陀信仰が栄え、南に太古からの諏訪神道が根づいた農耕と牧畜の国で、その信仰の分岐点が、諏訪湖を縁どる『塩尻峠』という小さな水分だった。
山谷に住む人々は、ふたつの信仰に影響されて生きてきたが、大地の傷口のような地形は、北は千曲・犀川へ、南は天竜・木曽川へと谷が裂けていて、谷ごとに国がいくつにも分かれていた。
ここは、峠から北へ三里ほどくだった小笠原家の領する筑摩郡埴原郷内牧といって、地元ではこの一帯を『片丘』と呼んでいた。
大永八年(一五二八)四月。野は雪解の水音とともに若草の季節を迎えて、浅田作兵衛の厩では今日も栗毛の木曽駒が産まれた。
「また牡じゃ」
昨夜から出産につき添ってきた総領の作左は、湯気のあがる産駒の背を拭きながら落胆の声を洩らした。
外では次男の五郎太が、野焼きに集まった牧人に、どこで聴き込んできたものやら戦情報を吹聴して緊張感が漲っている。
「諏訪頼満殿と武田信虎殿が、一戦する動きがあるぞ!」
牧手たちは小童からの凶報に身を慄かせた。
『牧手』とは牧場の職種のひとつで、とりわけ調教師といったところであり、ほかに飼手・馬医・占部・足工など、浅田内牧の牧人は作兵衛を牧主とする、総勢二十八名の波多判官代の下司(管理人)たちだった。
「熊井の駒のほとんどは、諏訪下社の別当殿に召しあげられたそうじゃ!」
五郎太は隣りの熊井郷の状況を、さらに詳しく報じた。緊急に駒の徴収があるということは、近々合戦のあることを意味した。
熊井の地は、信濃守護職である小笠原家の国府費用をまかなうための国衙領である。
隣領諏訪の内紛で、上諏訪の諏訪頼満に追われた下諏訪の金刺一族が、塩尻峠を越えて小笠原長棟を頼ったため、ここを南北二郷に分け、南熊井を諏訪下社に寄進して一族を住まわせ、大祝の金刺昌春の叔父である小屋の村井伊予守を別当として、辺境の警固にあたらせていた。
『大祝』は、神を祭って罪けがれを清める神主で、上社では諏訪氏が、下社では金刺氏がそれぞれ世襲のものとしていて、その争いからつくられた筑摩郡の新領地初の施政が、駒の徴収であった。
牧手のひとりが、五郎太に訊いた。
「戦は、諏訪領南の甲斐国との国境と聞くが、なにゆえ、熊井の別当殿が戦支度をなされるんじゃ?」
十五になったばかりの五郎太は、その質問者へニヤリと笑みを浮かべた。
「下諏訪の奪還じゃ!」
牧人たちは、年端もゆかぬ五郎太の言った意味を考えたが、誰もわけの解ける者がない。皆答えを求めて身を乗り出した。
「どういうことじゃ?」
「簡単なことじゃよ」
うしろの厩から声がして、総領の作左が産駒を取りあげた手を拭きながら、物憂げな顔でのっそりとあらわれた。
今度は、一勢に作左を振り返って、つぎの言葉を待った。
「この戦、甲斐へ落ち延びた大祝金刺一族の弔合戦。武田は加勢じゃ」
そこまでなりゆきを聴いた牧人たちは、やっと合点がいった。つまり、諏訪領南側で国境を接する武田信虎が上諏訪へ攻め入った隙に、反対側の下諏訪の地を村井・小笠原勢で奪還しようというのだ。
「して戦は、いつ頃になるんじゃろうか?」
牧人の不安は次々と湧いてくる。甲斐に身を寄せている金刺昌春が下社の奪還に立ちあがれば、これに加勢する府中の小笠原長棟も兵を招集するは必定であり、筑摩郡のここからも戦に狩り出される。
「さあ……」
作左はそれ以上は答えず、首をひねって口ごもった。
「夏じゃ、夏にきまっとる!」
話の腰をおられた五郎太が、立場を取り戻すように憶測した時期を告げた。
「いい加減なことを申すな」
気張っている弟の五郎太を制したが、聴く耳を持たない。
「別当殿は熊井城の増築を、ふた月のうちにあげろとの仰せによし。さすれば、戦支度の間をとっても葉月に始まる」
自信に満ちた読みに、牧人たちの腰がすっかり浮いてしまった。厩前の日だまりから、ひとり、またひとりと離れていく牧人を尻目に、兄は弟を叱りつけた。
「確証のないことを申すものではない。わぬしのひと言が、とんでもない波風を立てておる。ご信府様の知下があったわけでないぞ!」
「兄者、戦というものは動きが見えてからでは遅すぎる。その前に察して、手を打つが常道ぞ」
兄の説教に増々興奮して戦手立てを言い放った。
黙ろうとしない弟の耳元に、作左は口を寄せてささやいた。
「わぬしの予測におののいて、牧夫が逃げ出したら何とする」
「兄者、そんな信のおけぬ腑抜けどもを味方に、戦に勝てると思うておるのか?」
五郎太は近在の邑衆から『天童』と呼ばれるほどに気敏の利く子ではあるが、人を食った言い草が何とも鼻についた。
「わぬしは、合戦の怖さを知らぬわ!」
呆れ返った作左は、言葉を投げつけるように言い捨てて母屋へと消えた。
その背に、
「駒を、高ぼっちへ放ちませ!」
と、怒声を送った。
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