善光寺奉還


    はじめに
    著者紹介
    時代背景
    登場人物

    寄り道
 塩尻峠  高ぼっち
 善光寺  花岡平
 草競馬  諏訪神社
 尾尻城  林城
 川中島

    第1巻
 第1章 牧の邑
      
 第2章 峠
      
 第3章 諏 訪
    
 第4章 念仏講
       
 第5章 隣国の雄
    
 第6章  餌 食
 第7章  遠 雷
 第8章  別れ路
 第9章  戦 気
 第10章 明 暗
 第11章 北 へ
 第12章 善光寺
    第2巻
 第1章 越州
 第2章 毘の化
 第3章 冥加
 第4章 川中島
 第5章 洛の風
 第6章 転蓬
 第7章 大河決戦
 第8章 落日
 第9章 一統の世
 第10章 法輪
 第11章 大仏殿
 最終章 山河

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第1章 牧の(むら) (5)

小笠原軍は峠南側の岡屋郷、今井の里へ陣を進めた。湖岸の西にある尾尻(おじり)城を落さねば、横河(よこかわ)川を越えて金刺氏の居城だった萩倉(はぎくら)城を攻めることはできない。
  長衛門は今井のわが家の前に立って、怒りの声をあげた。
「うぬう、有賀(あるが)の奴らめ。わが屋敷をこんなにしおって……」
  小笠原勢が攻め込むことを知った岡屋地頭の有賀備後守(びんごのかみ)は、それまで占拠していた長衛門の屋敷を完膚(かんぷ)無きまでに打ち崩していった。久方ぶりに我郷に戻った長衛門のする事は、かつてのわが家を灰燼(かいじん)に帰すことだった。どんよりと曇った夏空を(いぶ)すようにムクムクと黒煙がのぼり、先祖から受け継いだ屋敷を焼いて合戦への決意をかため、熊井勢三百の決死の覚悟を(うなが)した。
  熊井勢は、後詰めの小笠原軍に押されて尾尻城に向かって兵を進め、かつての仲間だった岡屋牧民の家々に火を放った。火かけに走り回る雑兵らは、そこいらからくすねてきた食い物を抱えて戦列にもどり、死がすぐそこにあるというのに、くすねた干し魚を(かじ)って占領者の気分にひたっている。
  天竜川の岸向こうの小山に、湖岸を背にしてたつ尾尻城は、城門向い側に、真言宗の向城山(むこうじろやま)東方坊瑠璃院(るりいん)照光寺が宿坊を連ねていた。初陣(ういじん)の五郎太たちには、その桜閣がとてつもない巨城に見えて、城壁へ取りつくまでに矢を射かけられたらひとたまりもなく思えた。
  恐怖の城を前にして川岸に居並んだ熊井勢の中から、単騎鞭くれて河中に飛び込んだ武者がいる。もと下諏訪神党(じんとう)、相撲力士の高坂孫八(こうさかまごはち)という剛の者だった。
  両軍は一勢に荒武者に注目した。ゆるゆると対岸にあがると、城門の前まで行って二度三度と輪乗りし、城内に向かって大音声(おんじょう)を発した。
「岡屋の者ども、よおく聴け! われこそは、もと下諏訪の神党、金刺家家臣の高坂孫八である。そもそもこの地は、神武天皇皇子神八井耳命(かみやいみみのみこと)を祖とする、(しも)の宮大祝金刺昌春様の所領である。それを累代の大恩をわすれ、諏訪頼満にくみして、これを略奪したは、ゆるしがたき所業なり! よって佞臣(ねいしん)どもを大祝の名において、今日こそ征伐して、この地を奪還せんとするものなり!」
  孫八の合戦口上が終ると、天竜川に居並んだ村井・小笠原軍から一勢に喊声があがった。
  これに答えるべく、尾尻城側からも口上の舌戦が返ってきた。
  櫓門(やぐらもん)に登ったのは初陣(ういじん)姿の若武者だった。代読らしく巻き紙を取り出すと、女のように透きとおる声で叫んだ。
「われは、城代花岡藤兵衛(はなおかとうべえ)が嫡子、花岡藤介(とうすけ)なり! ご領地は、建御名方神(たけみなかたのかみ)より、諏訪神氏(みわし)が神託をえて御統治におよびしものなり。そもそも、諏訪社は一の宮であるところ、二の宮を称して大祝を名乗り、金刺一族は神を冒涜する佞臣である。われらを討たんと欲するは、たちまちにして諏訪南宮(すわなんぐう)法性上下大明神(ほっしょうしょうかだいみょうじん)御神罰(ごしんばつ)のくだるは必定。正義はわれらにあり、いざ受けて立たん!」
  城内からも、意気あがる喊声が起こった。
――キョーン――
  と、小笠原軍の陣営から櫓門に向かって鏑矢(かぶらや)が放たれると、それを合図に、村井・小笠原軍の渡河が一勢に開始した。
  五郎太たちも、人の流れに乗って水中に身を投じた。川の中程を過ぎたあたりで、さっきまで干し魚を齧っていた雑兵が、流れ矢に頬を射ぬかれ(うめ)き声もあげずに水に浮いた。若者たちには、それがどうしても現のこととは思えなかった。心に何の備えもないまま合戦が始まっていた。
  作兵衛と長衛門は百戦錬磨の(つわもの)で、向う岸からの狙い撃ちをものともせずに対岸へ辿り着くと、楯を並べて陣取りを開始した。若者たちもそれに続いたが、誰が渡れたか確かめる余裕すらなかった。城壁を見あげると、老人や女の顔までが見え隠れし、一族郎党を引き連れて籠城する決死の覚悟が(うかが)えた。うしろを振り向くと、小笠原軍が渡河もせず幟旗を立てて奇声を発している。
(どうしたのだ?)
  五郎太には、その行動が不審だった。
  天竜川を渡った者は、もと下諏訪の熊井勢と塩尻郷の郷民たち総勢千人足らずだった。
「お父上、これだけで城攻めをなさるのでござりまするか? 小笠原の本軍は、なぜ川を渡りませぬ」
  五郎太は、憤慨して作兵衛に(たず)ねた。
「うむ。長時様は後詰にて、われらが働きぶりを御覧になるおつもりらしいな」
  二人の会話には、領境で牧を営む者の哀恨(あいこん)の情が(にじ)み出ている。
  それを聞いていた先鋒隊将の長衛門は、作兵衛父子の会話が(うらや)ましいと思うと同時に、元服したばかりの五郎太の末に期待を持った。
  腑に落ちないでいる五郎太に、長衛門が戦の心得を語った。
「五郎太よ、戦というもんは、他勢をあてにしてはならぬ。牧人は一所(いっしょ)に命をかけて、死ぬる時がきたら死ぬるまでよ。われらには、山野の御祖(みおや)がついておるわい」
  父の作兵衛と同じように(さと)して笑っている。
  この小父貴(おじき)には侍魂を感じたが、そうした運命への決心がどこから湧くのか分からなかった。諏訪大明神を信じているからとて、こうも平然とした心になれるものではないと思った。
  武士とは、
(そうしたものか……)
  と思いながらも、五郎太の若さが素直になれなかった。
(われらだけで戦わそうとする魂胆なら、無理をすることもないわい)
  心に雑念が湧いて、それまで何でもなかった動作に力が入り、城壁へ取りつくことができなくなった。
  作兵衛は、腰のあがらぬ息子をふり返って、
「わぬし、臆したか!」
  と、一喝した。出陣して二日目の、元号の改まった享禄元年八月二十日のことだった。

 

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