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第3章 諏訪 (5)
熊井城に使者を走らせた三日後、藤介は捕縛した罪人を引いて、作左殺害現場である高ぼっちへ向った。現地で浅田内牧衆に引き渡す約束にしていて、そこで斬首されることになっている。
高原への通り道には、東山峰を越えたところに憲定の蓬堂があった。
「憲定さま!」
外から大声で呼ばわると、ガタゴトと滑りの悪い引戸を開けて憲定があらわれた。
「いよいよ、おゆきなさるか」
馬上に括られたガッタを見あげ、憐憫を込めた声で言った。
「ご同道いただきたく立ち寄り申した」
ガッタが処断される場に、憲定にも立ち合って貰おうと思っている。
「そうさな。拙僧の口利きによって、死出の旅に立つ羽目となったゆえ、引導を渡さずばなるまいな」
罪人を焙り出した因縁をたぐって、ひとり呟いて言った。
春とはいえ高原の風は肌を切るほどに冷たく、荒漠とした枯野はガッタを送るに相応しい悲鳴をあげている。
「今日は、なんじの逝くを悲しんで風も泣く。人の一生などというものは、朝露のごとく、ほんにたわいない。おのれの所業に因果の報いが帰したのじゃ。今度生まれ来る時は、この叢のたんぽぽにでも生まれ来よ」
憲定の言葉は同道する者の心に沁みた。どんな科人であろうと、おのが最期は僧侶の神妙なる引導に耳をかたむける。しかしガッタは、刑場が近づくにつれて馬上で身悶えをはじめた。
「おらいやだ、死ぬのはいやだ!」
あらびるガッタを制して、捕史は搦め縄の先で皮の剥けるほどに打ちすえたが、それでももがきは治まらなかった。
捕史が冷やかな声で訊ねた。
「肝を突きまするか?」
藤介は静かに頭をふった。どんな人間でも、この世に未練のない者などいない。あがきは人の常である。今しばらくの命ゆえ、あがかせてやろうと思った。
作兵衛ほか浅田内牧衆は、尾尻城からの科人の到着を首を長くして待った。五郎太は刀の下げ緒を外して襷にかけ、業物国光の目釘を確かめ、いつでも首を打てる用意をしている。
みすずは大きくなった腹を抱えて、不安そうに五郎太を見守った。そこは作左が息を引き取った場所であり、腹の子を宿した処でもある。枯草の中に置かれた石が、あの日のことを生々しく思い起こさせた。女とは悲しいもので、すでに過ぎたことを忘れたかった。今悩むことは、五郎太が悪鬼となって人を危めなければよいということだった。目の前にいる五郎太は、自分の知らない冷酷な男である。
(五郎太とは、こんな男だったのか)
みすずは、自分よりひと回りも大きい巨漢をまじまじと見つめ、この幼なじみとは結ばれぬ運命にあることを心の底から思った。
突然、遠目の利く又吉が尾根を指して言った。
「岡屋衆が来た!」
馬上に括られている科人がはっきりと見えるが、動きはもどかしいほどゆっくりで、大自然の中の人間は小さな存在だった。
先頭にいる凛々しい若武者が、作兵衛と五郎太の方へ真っすぐに馬首を向けてくる。
「お待たせした。御首級交換のおりのお約束、本日お果たし申す!」
若武者は、内牧衆に向って高々と言い放った。
作兵衛が深々と頭をさげると、後ろの捕吏に命じてガッタを連れて来させ、作兵衛らの前へすえた。
「この男が、作左をやったに相違ないか」
作兵衛は、みすずをふり返って静かに訊いた。
これから起きんとすることに戦くみすずは、叢にへたり込んで震えるばかりで質問に答えられなかった。
「わぬしがやったに相違ないか!」
今度は声を荒げてガッタに訊ねたが、これも返答はなかった。
五郎太は首を落すべく柄に手をかけた。又吉も脇差しの鯉口を切って、ガッタの背後に回り込んだ。
殺気を感じたガッタは、叢をにじりさがって、
「おら死にたくねえ! 助けてくんろ!」
と、必死の形相で叫んだ。
我慢しきれなくなった五郎太は、二尺四寸の国光の太刀をスラリと抜き放った。
「いやーッ!」
悲鳴をあげて、間に割って入ったのはみすずだった。大きな腹を抱えて五郎太の前に立ちはだかった。
「切っても作左は戻って来ぬ! うぬも悪鬼となって地獄に落つるか!」
五郎太は、みすずの言葉に薄ら笑いを浮べて醒めた声で言った。
「われが地獄に落つるは、とっくに覚悟のこと。一人殺るも二人殺るも、手間にたいした違いはないわ」
そう言って、ゆっくりと太刀を大上段に振りかぶった。
「暫時聴聞! なんじがなさんとすることが地獄じゃ。なま悟りをもって居直るなかれ!」
憲定は大声で五郎太を制した。
五郎太も振り返って憲定を睨みつけ、憎しみを顕にして言った。
「うぬらは、今頃になって仏心を起こして善人ぶるが、やられた兄者はどうなる。もとはといえば、この女のふしだらに便乗して、かの牧夫めのなした所業、弟のわれが仇を討って何が悪い!」
「五郎太……」
みすずはうち震えて、その場にへたり込んだ。
女が哀れだった。幼き時に母の悲しみを見てきた藤介は、みすずの切なさが手に取るように沁みた。
(救わなければ)
と、咄嗟に思った。
「五郎太殿! これは、われらが牧人のなした悪業。みすず殿を、わが妻に迎えまするに、このガッタの命を助け給いませぬか!」
五郎太は太刀を上段にふり冠ったまま、藤介の意外な申し出に動くことができなくなった。おのれの我欲をどこかに置き忘れたような、それでいて世のすべての人を慈しむような温かさだった。それが阿弥陀信仰からくる慈悲であるとは、憲定を除くほかは、誰ひとりとして掴むことのできない心であった。
ただ、みすずだけは、二度三度と変転するおのれの現し身が、信心する阿弥陀如来のご加護によるものだと思い知らされていた。
そこにいる内牧と岡屋牧の誰もが、この提案が実現すれば山深い領境から血生臭い争いがなくなり、この地に新たな平和が訪れるであろうと確信するのだった。
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