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岩国藩は長州藩の支藩にあたりますが、五竹は宗藩と異なり勤王の志気が乏しいことを憂い、尊王攘夷をもって大義を明らかにするよう諄々説き、建尚隊なる組織を作り、士気の挽回と学問の振興を目指しました。さらに、宗藩奇兵隊に呼応しようと同志に諮りますが、機が漏れて縛に就き独り自若同志の責めを担い、斬刑に処せられます。その後、五竹の同志達は戊辰の役に建尚隊は征討軍に従い北越に力戦し、大いに岩国藩の武勲を顕しました。五竹は志半ばで世を去りましたが、彼の功績は死後顕らかにされ、岩国城の麓に建立された三士誠忠之碑にその銘が刻まれています。
五竹が生きた時代の日本は諸外国、露米英仏蘭が開国を迫り、我が國の周辺に巨艦を泛かべ窺い威嚇するといった時代でした。外に眼を移せば、清國は先の諸外国に割拠され侵略同然の中に在り、庶民は奴隷の如く塗炭の苦しみを味わい、滅亡の寸前にありました。わが神國日本もまた幕府は弱体化し国防意識に乏しく、諸侯もまた二百六十年の太平の夢未だ醒めずといった状態でした。この危急存亡の時に何を成すべきや、五竹は岩国という辺境の一小藩の儒学の士でありながら、隣國の清の情勢を感知してその轍を踏まないためにも夷狄を攘うべしと、尊王攘夷の急先鋒として藩政改革に命を賭し、斬により散華したのです。
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