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当サイトにおける瑞語表記では、"o:"はウムラウトの付く"o"を、"a:"はウムラウトの付く"a"を、"a*"は上に小さな点の付く"a"を意味します。
In my website "o:" means "o" with umulaut, "a:" means "a" with umulaut and "a*" means "a" with a dot.

20021031:eight-hundred and eightieth day

出国125日目。写真はStockholmに向かう"X2000"。

This picture is the express called "X2000." In this evening, I took this "X2000" from Go:teborg to Stockholm, because I would see the professor from Japan. After 3 hours after, I could meet him and my friend whose house I would stay in Stockholm.

明治学院大学院の松原康雄教授が各国を経由した後にStockholmにいらしているので、週末を利用して会いに伺う。長距離列車の旅は、20020803にNab CottageからMancherster Airport に向かって以来なのでわくわくする。ただ残念なのは、夜なので車窓から見えるのは闇ばかりなことだ。"X2000"は横揺れがするので、酔うヒトもいると聞くが、私は全く大丈夫だった。4人掛けの座席には大きなテーブルが付いているので勉強がしやすい。車中では終始Esping-Andersen"福祉国家の可能性"(2001, 桜井書店)を読む。現在私が考えていることに対して、非常に納得/共感できる解答が満載されているので、読書に没頭している間に目的の駅に到着。

駅には泊めていただくことになっているStockholm在住の知人と松原先生が迎えに来てくれていて、とてもとても嬉しかった。そして知人宅に到着すると、昆布のお出汁の芳醇な香りがする。奥さまが素晴らしい和食を用意してくださったのであった。感激。

photo of 20021031
20021030:eight-hundred and seventy-ninth day

出国124日目。写真は本日の抜けるように青い空。

This picture is the beautiful blue sky. Today, we had no class and I had a guest in my flat. She is a Japanse student in Go:teborg University and her major is design. We talked a lot with coffee and cakes.

この数日は青空が美しい穏やかなお天気が続いている。晴れているけど、それほど寒くもないので不思議な感じ。11月のGo:teborgは雨が多く、風が冷たい日が続くと聞いているので、今のうちに青い空を堪能しておきたい。この辺りの発想は、すでに北欧や英国湖水地方の住人に近くなっているかな??

今日の午後はHさんが私の部屋に遊びに来た。双方の都合によりあまり長い時間ではなかったけれど、同年代の日本人女性の友人とお喋りできるのはとても楽しい。私は自室には基本的に日本人の友人しか入れない、というか入れられないので、友人が部屋にいるというのは珍しい光景。

私は日本から文献資料を中心に荷物を送ったので、部屋にはかなりモノが多い。一方、同じアパートに住む東欧やアフリカ諸国の友人たちの部屋には、部屋の備品と学校で配布されたモノしかなく、ガランとしている。彼らの部屋を見ていると、その空間の広さに憧れ、モノまみれの自分が悲しくなってくるのだけど、大体日本の自室だって、紙製品と金属製品が溢れているのだ。モノが少ない部屋に住む日本人も多いと思うけど、これが自分なのだから仕方がない。とにかくそのような状況で、しかもFAX付の電話はあるし、hostfamilyが貸してくれたミニコンポもある。電話に関しては携帯電話を持っている同級生たちはいるけれど、それも限られている。だから第一には、貸して欲しいといわれるのを避けるために、第二には"金持ち日本人"に見られたくないために、自室には日本人以外の友人は入れられないのだ。

同級生たちには、私は電話も持っていないし、PCは日本人の友人からの借り物ということになっている。自分の生活を護るためとはいえ、そのような嘘の回答をしなくてはいけないことがあるたびに、憂鬱な気持ちになる。しかも最近同級生たちとの親しさが増しているので、なおさらなのだ。さらにそうやって偽りを見せるということは、"発展途上国"から来ている友人たちへの蔑視的な意識が自分の根底にあるのではないかと気が付いてしまったので、憂鬱な気持ちは三倍増。出身国に経済力の格差があるのは事実なのだから、そんなことを気にしないでモノに溢れたことを伝えたとしても、同級生たちは気にしないのではないだろうか。けれども、たとえ同級生たちは気にしなくても、情報はどこから漏れるかわからないので、地上階に面した部屋に住んでいるという危険性を考えると、やはり今までどおりの方針を貫いた方が良いのだろう。既に不法侵入が数件発見されているとのことだし。

こんなことを考えながら土居健郎"「甘え」の構造(新装版)"(2001,弘文堂)を読んでいたら、私がそこで"憂鬱な気持ち"になっていること自体が、"すまない"といって許してもらうことを望む"甘え"の現れなのだと気が付いた次第。なるほど。

業務連絡:明日の夜から週末にかけてStockholmに行くので、次回更新は20021103になる予定。

photo of 20021030
20021029:eight-hundred and seventy-eighth day

出国123日目。写真は現存する市内最古の建物"Kronhuset"

This picture is "Kronhuset(the crown house)" that is the oldest house in Go:teborg. According to the brochure, "it was built in 1654, in Dutch style, as a warehouse for the Swedish artillery." After the class, I visited to "Stadmuseum(the museum of city)" and had a break in the cafe next to "Kronhuset."

今日は授業の前に実習担当の先生から希望の確認と簡単な説明があり、どきどきしながら自分の番を待つ。20021027にメールで提出した半頁の希望を手にした先生からいくつかの質問を受けると、"君の希望が一番簡単だよ"と言われたので吃驚して内心大喜び。ということで、今までの視察だけでは実際の動きが理解できなかった"bista*ndabedo:mare("査定員"や"ニーズ判定員"などと訳される)"の仕事を実際にこの目で見る機会を得られそうなのである。他の同級生たちは、それぞれ自分の関心領域の機関や政策決定担当部門での実習を希望していたけど、私は今回の実習では高齢者福祉でなくて構わないからもう少し全体像を見たいと願っている。実際に実習が予定されているのは2月末からの5週間で、実習先が決まるのは1月中旬頃とのことなので、どうなることかが楽しみ。ちなみに実習開始前に実習先の担当者と会うことになるのだけど、その際に自分の希望と一致しなければ実習先の変更希望を担当の先生に依頼することが可能であるとのことで、これは日本とは大違い。もともとの学生数と受入先の機関数の割合が決定的に違うことが背景にあると推察する。

そして現在のコースの最終授業。最後にひとりずつコメントを述べる。コース開始当初の頃、私も含めて全員が教授の英語や授業の進行方法について不満を感じていたにも関わらず、最後にはみんな心から満足していたし、全員が感謝の気持ちを口にしていた。不満で一杯の頃は、教室の雰囲気が悪くて嫌な感じだったけれど、試験の発表を行っている間などは教授も含めてみんなで授業を作り上げていることが実感できて、とても良い雰囲気に終わった。数週間前には想像もつかなかったこの変化に、担当のPa*l Wiig教授の力が現れているような気がする。スウェーデン人の学生には非常に人気があるということも納得。しかし20020924にて授業改善検討会の主催者であったJordan(ヨルダン)出身のスウェーデン人学生が、"あなたは最初の頃は英語に苦闘していたけれど、あなたが自分に自信を持ってからは非常に良い授業であった"と教授に対してコメントしたので仰天。当の教授は多少苦笑交じりだったけどニコニコしていたので、"なるほどスウェーデンではここまで学生と先生が対等なのだなあ"と感じた次第。ちなみに授業に対する評価といえば、全てのコースについて終了後にずばり"evaluation"という評価表が配布されて無記名で記入する。日本の大学でも導入されているところがあるようだけど、大学の組織としてではなくて担当の先生の意思の場合も多いと聞くし、少なくとも私には初体験だった。

午後は自由時間になったので、食料の買出しを兼ねて中心部に向かう。突然気が向いて"Stadmuseum(市立博物館)"に行くことにする。建物は元々東インド会社の本社ビルとのことで、中にはオークション用の部屋があったり、陶磁器や中国製のチェスセットなども展示してある。またvolvoの初代試作型やヴァイキングの遺跡などもあり、興味深かった。唯一英語の解説があったのが"INFRA"の部屋で、初めて知ったことは、"Go:ta A:lv(イェータ運河)"沿いで現在大規模工事しているのが、 "Lillabommen"から"Ja:rntorget"までを繋ぐためのトンネルで、その名前は "Go:taleden"ということである。完成予定は2005年なので、その頃にはまた来ることができたら良いなあと思う。

せっかくの機会なので"Kronhuset"まで足を伸ばす。パンフレットによると、1654年に建築された武器庫なのだそうである。現在はガラスの実演販売や金銀細工、アンティーク時計などのお店があるのだけど、夕方だったのでほとんど閉まっていて残念。他のヨーロッパの都市も同じだと思うけど、Go:teborgで観光するなら10:00から15:00までの間に動かないとだめであることを再確認。古い煉瓦作りの堅牢な建物を見上げながら、ここから大砲や弾が"Skansen Lejonet""Skansen Koronan"に運ばれていったのだろうかなどと想像していた。

気が付けば出国から123日、丁度4ヶ月が過ぎた。思わず4か月分の日記を読み返して、結構忘れていることが多いことに気が付く。ちなみに先日の"社会福祉の領域では、<理論>というのはgivenなのかどうか?"という問題について、20020918の講演会においてJeremy Kearney氏が"理論は実践のなかにあり、実践から現れる"と言っていたことなどすっかり抜け落ちていた。ともあれ、この1ヶ月はその前の1ヶ月より"勉強した"という実感があるので、引き続き頑張っていきたい。ってこの"頑張りたい"というコトバも頻出。

photo of 20021029
20021028:eight-hundred and seventy-seventh day

出国122日目。写真は走り去る路面電車と停留所。

This picture is the leaving trum and the trum stop near my flat. Today, we had no class and some of us had a small tea party in our house in this afternoon. I made Japanese green tea for my colleagues and it became their favorite tea. They separately asked me another cup, so I was glad to hear it.

今日は授業がなかったので、試験終了祝いのお茶会が私たちが住んでいる学生用アパートの共同台所で行われ、同級生たち10人弱が集まった。持寄パーティだったのでお菓子と日本茶を持っていったところ、日本茶がみんなの注目を浴びる。中国人の友人以外は"緑色のお茶"というだけで吃驚していた。珈琲カップに注いであげたところ、"ミルクは入れるのか?"と尋ねられたので"入れないよ〜"と答えると、次んに"では砂糖は?"と聞かれたので"そのまま飲むのよ〜"と答えると、目を白黒(白碧?)させて恐る恐る口に運ぶ。そんな様子だったので、不評かと思っていたら、次々にお代わりの希望が出されたので嬉しかった。

ルーマニア人の同級生はお茶の包装に吃驚していた。元々が8月の視察旅行の時のお土産(?)だからアルミの袋に入ったお茶葉が箱に入って、さらに包装紙で包まれていたのだけど、その丁寧な包装と箱の美しさを絶賛していた。次のお茶会には、餞別にいただいた和紙の折り紙でも持参しようかなあと考えている。

ちなみにスウェーデンではスーパーの袋はビニール袋も紙袋もほとんどのお店で有料である。フィンランドも有料だった記憶があるので、北欧はどの国も同じなのかもしれない。さらにスウェーデンの店員さんは不器用(?)なので、贈り物用の包装を頼んでも日本のデパートの店員さんみたいに綺麗な包装にならない。それが理由なのか結果なのかは判らないけど、包装用品売場は日本と同様に色々な素材や美しい包装紙が置いてあり、自宅で包装して贈るのが習慣の様子。そのような社会で生活していると、確かに日本の包装がいかに丁寧で過剰なのかを実感する(笑)

photo of 20021028
20021027:eight-hundred and seventy-sixth day

出国121日目。写真は"Haga"周辺の光景。

This picture taken in "Haga." Today, I wrote a half page report about the field study placement. In spring term, we will have the field study and the first meeting the professor who has the responsibility for it will be on Tuesday.

今日から冬時間になり日本との時差が8時間となる。自分の身の回りの時計は適当な時機に修正できるけれど、公式な時計は何時修正するのだろう。今日の夜中の0:00になった瞬間に昨日の23:00に巻き戻すのか、それとも1:00になったときに0:00に戻すのか。もしくは例えば朝7:00になったときに6:00に修正するのだろうか。謎である。ちなみにVAIO PCG-VX7/BDというかwindowsXPは夜中の2:00には夏時間のままだったけど、午前10:00に気がついたときには既に冬時間に移行していた。そんなわけで2:59、3:59、4:59、5:59、6:59とVAIOの時計を変更して、どこで1時間戻るのか待ってみたけれど何も起こらなかった。実験失敗でがっかり。グリニッジ標準時を司っている時計は何時変更されたのだろう??

春学期に5週間の実習を行う予定になっており、実習先の希望について半頁のレポートを提出する。外国からの学生はGo:teborg市内での実習を、スウェーデン人の学生は外国に行き実習を行うことになっているのが、"International Maseter"らしく面白い。たとえ高齢者福祉領域とは異なる実習先に決まっても、何かしらを学ぶことはできると思うので、今回の希望ではスウェーデン語ができないと多分難しいだろうなあと思われるけど、何よりも学んでみたいことを第1希望として提出することにした。さてさて結果はどうなることやら(笑)

photo of 20021027
20021026:eight-hundred and seventy-sixth day

出国120日目。写真は"Shalgrenskasjukhuset"からの光景。

This picture taken in "Shalgrenskasjukhuset(Shalgrenska Hospital)." Today, I had to clean my flat and wash my clothes, bacause my flat was so dusty and no sockes were left. After house working, I felt so good in clean room and had a cup of herbal tea.

20021024に書いた理論と実践について、同時に2人の方からメールと掲示板にて感想をいただいた。最近"この日記を読んで"とメールをいただくことが増えており、とてもとても有難く嬉しく感謝しているのだけど、同一テーマについて同時に感想をいただくことは初めてだったので吃驚。掲示板での感想には掲示板でお返事したいと思うけど、メールをいただいた方からは"日記で私の感想を書いて構わない"とのおコトバをいただているので、引き続き少しだけ考えてみたいと思う。

メールを下さったA氏からは"社会福祉の領域では、<理論>というのはgivenなんでしょうか?"という問題提起をいただいているのだけど、この問いからは再び"社会福祉における理論とはなんぞや?"という問題が生じてくる。今回の授業においては、"social work theory"を"ありとあらゆる文献"から"経験則"まで"言語化されて共有できること"を条件にかなり幅広く位置付けていたように理解している。そして "<instruction>と<theory>は同じか、正反対なのか?"という質問が教授から出されたときには、"<instruction>は一方的に与えられるモノだが、<theory>は自ら作り出し選択できるモノだ(従ってその点において正反対)"という意見が提出された。このことから今回の授業における"theory"は"given"ではないといえるし、教授が満足そうに頷くだけで特にコメントしなかったことを考えると、スウェーデンやヨーロッパにおける位置付けがそうだといえるのかも知れない。

では日本における社会福祉領域の"理論"はどうかというと、あくまで"技術/方法論"の範囲にとどまっているような印象がある。ただ日本にいるときは"理論"にほとんど興味が無く軽視していたために、私の見方はきっと著しく偏っていると思うので、もし異論や反論やご指摘をいただければ非常に有難い。とりあえず現状の私の認識においては、今回の授業では"methodology"もしくは"practice theory"と表現されていた非常に狭い範囲に"理論"が位置付けられているのではないかと思う。そしてそれらの"技術/方法論"も日本における実際の実践を元に体系化されたというよりもは、アメリカを中心とする海外の"理論"を紹介されている場合が多い。そしてこれは修士1年のときの小野哲郎 先生の"社会福祉原論"でも昨年履修していた松原康雄先生の"ソーシャルワーク研究論"でも度々議論になった課題だけど、海外から紹介された"理論"が日本の実践にどのように活かされるか、位置付けるかという、より"実践"的な問題について触れられることは少ない。もちろんそうした"理論"を実践の現場に位置付けるべく努力されている研究者も、現場実践の中から理論を導き出そうとしている研究者もいるけれど、そのような地道な作業は地味で時間のかかる場合が多いので、あまり多数派にはならないという状況なのだろうか。そして日本で"理論"と呼ばれるためには、"言語化されて共有できること"などという条件ではなくて、"抽象的(理論的?)に体系化されていること"が求められているような気がする。

つまり日本では"理論"の範囲が狭いために、もしくは"理論"と呼ばれるモノになるための敷居が高いために、実践のなかから生まれてくる"経験則"が"理論"として認められる可能性は低く、実践における"理論"は(選択はできても)"given"なモノになるといえるのではないか。しかもそれらの多くがアメリカ等から輸入されているとすれば、二重の意味で"given"なモノといえるのではないだろうか。

A氏がご指摘下さった"理論"と"実践"問題における私自身の関心事項に関しては、自分でも整理できていなかったけれど、ご指摘の通りだと思うので、教えていただいた参考資料を読んでから改めて考えてみたいと思う。

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20021025:eight-hundred and seventy-fifth day

出国119日目。写真はとある通りの光景。

This picture taken in one street in Go:teborg. In this afternoon, when I went to the Centre by trum, the trum stopped because of a traffic jam. After I got off with other passengers, I saw the long line of trums. I found the shop dealing science fiction novels, VTR and DVD on the way to the Centre. It was so fortune for me, because I could buy my favorite DVD.

冷蔵庫が見事に空になっていたので、久しぶりに"Nordstan"へ買物に出かける。路面電車に乗っている途中で放送が入り乗客が次々降りていくので、隣のスウェーデン人に放送の意味を尋ねると"渋滞しているからしばらく停車する"ということだった。こういう放送が理解可能なくらいにスウェーデン語が分かるようになったら良いだろうなあと思う。路面電車を降りて、いつもは使わない細い道を抜けていくと、"Kungsportsplatsen"に近い"Vallgatan"で"science fiction bokhandeln"という書店を発見。先日日本語版で読了したElizabeth Haydon"プロフェシイ"(2002,ハヤカワ文庫FT)の続きが原書で出ていないかと探したけれど見つからずに残念。その代わりというわけではないけれど、迷いに迷った末にとあるDVDを購入。既に何度も見ているのだけど、やはり"光学迷彩"は良いのだ(笑)

"Nordstan"の中にあるいつも行くカフェで読書。来週から始まる次のコースは "Welfare Systems"ということで、非常に興味のある領域。大量に課されている資料の中からBarr N."The Economics of the Welfare State"(1998, Oxford University Press)を読み始める。後1日で終了する現在のコース"Social Problem and Social Work - Theory and Practice"で用いられた資料より、文献中で参考にされている資料も著者を知っているモノが多いのだけど、知っているだけで読んだことのない文献や買ったまま積読になっている文献も多いので、反省。"どうして今までもっと勉強しておかなかったのだろう"という気持ちに苛まれるけれど、そう思うのなら来年以降に後悔しないように"今"勉強するしかないのだ。

photo of 20021025
20021024:eight-hundred and seventy-fourth day

出国118日目。写真はHallowe'enの飾り付けの紅茶屋さんの店頭。

This picture the decorated window in a tea shop in "Haga." Today, we discussed what is social work in the class. Finally, we reached one conclusion that social work is the discipline. In addition, I think that every "science" has a perspective to human-beings and the world and the originality of social work is the perspective based on those who have social problem in their lives. If one social problem in the society be solved, the other social problem must be caused. So, social work can never end.

今回の"Social Problem and Social Work - Theory and Practice"というコースにおいて学んだことはたくさんあるけれど、そのうちのふたつは"<理論と実践の乖離/実践のなかでの理論の位置付け>は日本だけでなく世界各国における課題である"ということと"<social work>が学問足りうるのかという議論も世界各国で行われている"ということである。"context"が全く異なる社会において同一の課題が生じているということから、前者は"その課題が<social work>の本質/本態に基づく課題なのだろうか"という疑問が生じる。

授業の中では"理論(theory)"は"我々の案内人(guide)となるもので、我々が選択できるモノ"として位置付けれられたのだけど、その理論と実践の乖離というか、実践を行う"social worker"の乖離が"理論"を重要視しないのは何故かという問題に関しては、"目の前の仕事で手一杯だから""時間が無いから"などという回答が出た。これに対して、教授と自国では社会学の教授をしている同級生からは"勤務時間の間に自分の仕事を振り返る("reflective")時間を持つべきだ"などという意見が提案された。とはいえ"social worker"のみならず仕事をしている社会人でその日の仕事について一瞬も振り返らないヒトがいるのかどうか疑問だし、もし "reflective"を"social worker"の業務内容の一部に位置付けるべきだというのなら、それを出来るような勤務(労働)環境を作り上げるためにはどうすれば良いのかということまで考察してくれないと理論(研究者)側の理想論で終わってしまう。なのに教授は、"そういう環境を作れるように自分の組織で働きかけたまえ"みたいなことしか言わず、落胆。

個人的な見解としては、理論と実践の乖離が生じてしまうのは、理論を学ばなくても実践が行えるという"social work"の本質/本態によるのではないかと思う。例えば、高齢者福祉領域における実践から介護を抜いて、あくまで相談援助活動に絞ったとしても、理論をたくさん身につけた新卒の職員よりも、"social work"の勉強などしていなくて現場で経験を積んできたベテランの職員の方が利用者から信頼を得られる"良い実践"を出来ることは現実に多々ある。これは"social work/社会福祉"が"生活において生じる/出会う社会的問題とそれを抱えるヒト"を対象としているからだといえるのではないだろうか。つまり"social work/社会福祉"は人間の"生活"を対象としているわけで、"生活"を知らないヒトはいないから、たとえ"social work/社会福祉"の理論を知らなくても"実践"できてしまう、とはいえないだろうか。

20020918においても書いたように、私は今まで"ソーシャルワーク理論"及び"social work theory"というモノに対して強い抵抗感だけを感じていた。だけど今回のコースを通じて、それらを学ぶことの必要性や重要性を意識するようになった。それは何故かというと、"social work/社会福祉"の理論を知らなくても"実践"できてしまうということも事実だと思うけれど、理論を学ぶことにより実践の質をあげることや実践を行うことが楽になるだろうと考えるようになったからだ。例えば、理論を全く知らない場合には相談援助業務の場面場面で必要とされる判断を"経験則"に基づいて行うことになると推察できるけど、"経験則"に基づいた判断はその根拠を求められたときに説明するのが非常に難しいし、説得力を持たせることはさらに難しいだろう。"ソーシャルワーク理論"及び"social work theory"を身につけることにより、その判断を行うときの自分自身の根拠とすることができるし、他者に対する説明をも容易にする。まさしく"実践における案内人"である。従って、経験則に基づいた判断の場合にも自分と他者を納得させられるような説明ができるのであれば、それはそのヒト自身の"理論"といえるだろう。ただし、人間の生活は多様なのでたった1つだけの理論がどの場合にも当てはまることは有り得ない。従って、理論を多く身につけて引き出しにいれておくことが出来れば、その場その場で適切な案内人を用いることができるということになるので、理論を学ぶことの有効性が生じる。

"<social work/社会福祉>が学問足りうるのか"という問題は、その理論が社会学や心理学などの近接領域に基づいていることが多いためにその独自性はあるのか、という問題とともに提起されることが多いと思う。社会福祉の独自性については、修士1年のときの社会福祉調査論の授業で新保幸男先生たちと"社会福祉調査の客観性と社会福祉学"(明治学院大学社会学・社会福祉学学会/『Socially』第9号/2001)をまとめて以来、その"視点"にあるのではないかと考えている。つまりありとあらゆる学問は"人間と人間を取り囲むコトやモノ"を対象としている点は共通で、だけどそのどこに焦点を当てるのか、どの視点から見るのかということが異なるのではないだろうか。"social work/社会福祉"について考えてみると、"生活において生じる/出会う社会的問題とそれを抱えるヒト"に基づく視点を持って"人間と人間を取り囲むコトやモノ"を見ているのではないだろうか。そして学問足りうる条件に"独自性"が重要な要素となるのならば、このことから"足りうる"と言えるのではないだろうか。

というわけで、拙い英語を振り絞って、この独自性に関する持論(?)を展開したところ、"何を当たり前のことを言っているのだ"という雰囲気になってしまい、あっさり流されてしまったのだ(笑)

photo of 20021024
20021023:eight-hundred and seventy-third day

出国117日目。写真は"IKEA"の階段の手すり。

This picture is the handrails in "IKEA" near Go:teborg. In this afternoon, my hostfamily took me to "IKEA" and I found the lower handrail imitated a snake for children. There are a lot of good designed furnitures. I enjoyed to see them very much and bought a small clock, a lantern and candles.

種々の経過の後、hostfamilyが"IKEA"に連れて行ってくれることになった。以前から路線バスを利用して行ってみようかと思っていたのだけど、きっと色々欲しくなることが予測されていたので自粛していたのだった。hostfamilyは特定の売場に用事があるとのことだったので、ひとりでのんびりと広大な店内を見学することが出来たので非常に幸せだった。店内はすでにクリスマスモードになっており、一足先にスウェーデンのクリスマスの様子を垣間見る。予測どおり、好みの雑貨がたくさんあり、物欲を押さえるのはなかなか難しい。気になる売場では何度も何度も往復してその度に悩んでいたので、完全に怪しいアジア人である。迷いに迷った末に日本に持ち帰ってからも使えるモノを数点購入した。以前は地味な色が好みだったのに、何となく明るい色や綺麗な色に惹かれるようになったのは気候のせいだろうか。

写真の手すりは、下段が子ども用になっていて黄緑色のへびが模してある。これは色が可愛いのだけど、ぬいぐるみ売場にも1.5m程度の巨大なへびのぬいぐるみがあり、私の目にはあまり可愛くなく映ったが、数人のお客さんがカートに入れていた。へびだけでなく、1m以上の巨大なぬいぐるみが結構売れている様子なのは、やはり部屋の広さが関係しているのだろう。

photo of 20021023
20021022:eight-hundred and seventy-second day

出国116日目。写真は雨にぬれる"Go:taplatsen"のポセイドン像。

This picture is the sculpture of Poseidon at "Go:taplan" in raining. Today, I had to have the presentation of the examination report. Last night, I made some abstracts for transparancy, however, there was no extra transparancy film in my room. Then, I had decided to print them at school, but no one use transparancy in class because we could get photocopies of our papers, which were submitted to the professor. Then, I changed my mind to present without transparancies. After my presentation, some of my colleagued spoke well of my writing and thanked that I mentioned the page where I was stating while my presentation. In the evening, I felt really free and happy at all.

午後の授業で、発表の順番を迎える。昨日の締め切りまでに提出されたレポートは全文がコピーされて配布されたので、15分の制限時間に収まるように考察の結果だけを述べることにした。発表者はどこを発表しているか把握していても、聴衆は該当箇所を見つけるのに苦労するのは日本語でも英語でも同じなので、発表のときに"どの頁を見て欲しい"と触れつつ進めたら非常に好評で、それ以降に発表した同級生の多くが同様にしてくれた。また私が英会話の乏しさを気にしていることを知っている友人たちが、レポートの文章を褒めてくれたので、その気持ちが嬉しかった。とはいえ他の同級生たちのレポートを見ると表現が格段に豊かなので、精進しなくてはと思った次第。

こちらに来て予想外だったことに、授業の内容がスウェーデンの社会福祉についてではなくて、一般的な理論や状況が中心となっていることがある。これに関しては少しだけ目論見が外れた感もあるけど、そのおかげで今回の発表でも日本にはなかなか情報が入ってこないアフリカやアジア諸国の生の状況を知ることが出来て非常に興味深い。スウェーデンの社会福祉に関する日本語文献は数々あれど、2000年前にさかのぼる中国の社会福祉制度の歴史段階比較やモザンビークの児童労働問題について知る機会を持つことは日本では難しいだろう。ちなみに中国では "social problems"はないと言いつつも"practice"だけはあるという状況なのだそうだ。

授業のあとで、奥村芳孝氏経由で依頼された岩手県からの高校生の視察ツアーの夕食に同席する。奥村氏自身も同行されているとのことだったので、夕食の前に少しだけ時間をいただきお話しすることができた。自分が読んで勉強させてもらっている文献を書いた著者の方と会う機会を持つことができるのは、大学院に来て良かったなあとしみじみ感じる瞬間である。明治学院大学院での指導教授を初め、現在は非常に親しくお世話になっている先生方とお会いしたときも同様で、ときどきふと信じられない気持ちになることがある。

高校生たちは全員で20人くらいだったけど、直接話せたのは近くに座っていたごく一部の数人だけだったので、何だかこんなことで夕食をいただいてしまっていいのだろうかと申し訳なく思った。自己紹介を終えて、まず最初に質問を受けたのは"博士課程って何ですか?"ということで、"医学部以外では、4年制大学を卒業すると学士がもらえて、その上に修士があって…"という説明をしていると、自分が実像とは離れて投影されているような気持ちになって落ち着かない。直前までレポートと発表と格闘していたこともあり、高校生から出される"○○さんってえらいヒトですか?"というようなシンプル(?)な質問に対しても、"えらいってどういう意味で?"とつい理屈的な反応になってしまう自分に反省。とはいえ私が回答したことをあまりにも素直に受け止めてくれる様子なので、迂闊な対応はできないなあと思っていたのも事実。そして唐突に自分が小さい頃"天皇ってえらいの?"と父に質問したときのことなどを思い出した。思い返してみれば、そのときの父の回答も"それはえらいということをどういう意味にするかによって異なる"というような主旨だったような気がする(笑)

今回話をした高校生たちがどう感じたかは分からないけれど、"モノの見方はひとつではない"ということと"自分が納得するということの大切さ"を多少なりとも伝えられたのならいいなあと思う。余計なおせっかいと自覚していたので直接的には触れなかったけれど、それはずっと以前から中高生に会う機会があったら伝えたいと思っていたことなのだ。特に日本出国以来はその前者の意味を自分自身が痛感している。とはいえ全県から選抜されたという優秀さ故なのか、真っ直ぐで素直な視点には吃驚するほどで、結果的にはこちらが刺激を受けさせてもらうことになった。

今回の件は個人的に少々感慨深く、それは留学中の院生(研究者の卵)としての立場で夕食1食分を現物支給で稼いだ(!?)といえないことはないからだ。つまり社会人院生として二足の草鞋を履いてきて、二足目の方で初めて自分の生活の一瞬を支えたことになる。仕事というのは基本的に共同作業だし、諸般の事情により一足目の方は時々どこまで"自分"の力で稼いでいるのか分からなくなることがあるので、何だかとても嬉しかったのだ。

photo of 20021022
20021021:eight-hundred and seventy-first day

出国115日目。写真は"Ja:rntroget"周辺の光景。

This picture is taken in "Ja:rntroget." At last, I finished writing the report and submitted to the professor in this afternoon on just time. Then, I was surprised, because when I visited to the professor's room to submit, some colleagues consulted how to write the report!! I could not believe it. They told me that they had never write a report with theoretical analysis, however, they had enough time to ask before. Anyway, I had to preapre for the presentation. I felt quite anxious about my English speaking.

昨夜はさすがに疲れ果てて帰宅後すぐに寝てしまったので、今朝は思いっきり早起きして最後の仕上げに取り掛かる。ぎりぎり出かけないと間に合わない時間まで粘って、何とか提出できるところまで完成させる。いつもながらの自転車操業というか駆け込みというか、修士論文のときの反省は生かされていないなあというべきか、もう少し余裕を持って完成させたいものだと毎回思うのだ。案の定路面電車のなかで読み返していて","が"、"になっているのを1箇所見つけたり、もう少し良い表現を思いついたりして憂鬱になる。時間通りに教授の部屋に行き、"英語の間違いがあると思うのですが受け取ってもらえますか?"と尋ねると"自分もたくさん英語の問題を抱えているから気にしないで良いよ"と言ってくれた。英語の苦手な教授で授業は聞き取り難かったけど、この瞬間だけはそのことに感謝したのだった。

帰ろうとすると、教授の部屋の近くで同級生2人が何やら話し込んでいるのに気が付いた。どうしたのかと思ったら、"このようなレポートを書いたことがなく、どうやって書いたらいいのか分からない"と言う。"学部時代に卒業論文を書いたのでしょ?"と聞くと、"調査論文は書いたけど文献に基づく分析はしたことがないので、どうやって書いたらいいか今から教授に聞きに行く"という。書いたことのない形式のレポートを書かなくてはいけないのはさぞや重荷だろうとは想像がつくけれど、試験の課題が出されてから既に2週間以上経過しているし、その間に何度も教授は説明していたし、参考資料も大量に配布されているし、彼女たちはきちんと出席していたのに、何故まさしく締め切りの時間にレポートの書き方を質問しなくてはならないのか、何故もっと前に尋ねなかったのかが私には理解できない。確かに今回の課題は何が求められているのかが非常に分かりづらくて、課題が発表されてから同級生同士の話題はそれで持ちきりになるほどだったけど、何故"今"なの?

もちろんそのような内心はおくびにも出さずに、"それは大変だね。頑張ってね"とだけ伝えてその場を去る。何せまだ試験は終わりではなく、英語の発音に大いに問題がある私にとっては明日の発表を思うと気が重いのだ。

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20021020:eight-hundred and seventieth day

出国114日目。写真は"Ostra Hamngatan"からの"Vallgraver"の光景。

This picture is "Vallgraver" taken from "Ostra Hamngatan." After I wrote the examination paper over the night, I visited to hostfamily to correct my English in the paper. They kindly read it and suggested lot of alternative. I thanked them very much.

一変して今日は快晴。晴れたので気温は下がり寒い。再びの徹夜でレポートを一応最後まで書き終えたあと、hostfamilyに英語の間違いを見てもらうために出かける。日曜日の午後だというのに、彼らは私のレポートを目を通した上で、丁寧に助言をくれた。書くときには、会話のときのような単純な文法ミスは少なくなるけど、微妙な表現のニュアンスの違いや同意義語のなかでどういうときにどのコトバを使うのが適切なのかなどについての知識がほとんどないので、このように助言をもらえるのは本当に有難いことだし、とても良い勉強になる。スウェーデン人の研究者の英文論文のなかで"虚弱/要介護高齢者"について"the frail elderly"という表現を使っていたので、真似をしていたら、"frailだと感情的な意味が強くなるから"the vulnerable elderly"の方が良い"と教えてもらった。

資料として厚生白書英語版のMinistry of Health and Welfare"Annual Report on Health and Welfare 1999-2000"(2001, Japan International Corporation of Welfare Service)を大いに参考にしているのだけど、本当にそのままの直訳なのでこれだけを読んだ外国の研究者/読者が果たして本当に理解できるのかどうかは疑問。翻訳は外注に出しているのでそうなってしまうのだろうかもしれないけど、厚生省訳が用語の定訳になるのだから、もう少し気を遣って欲しいなあと思う。ただこれは翻訳をするときには付きまとう問題で、例えばスウェーデンの高齢者福祉機関で直接"介護"に携わるのは主に"va*rdbitra:de"という(教育課程を終了した)職種だけど、日本語の文献のなかでは"准看護婦""看護助手""介護助手""介護保健士"などと様々に訳される。"准看護婦"と言っても日本の"准看護婦"とは教育の内容も、業務の内容も位置付けも大きく異なる。また多少なりとも知識があれば、各々の文献で登場するそれらが同じ職種を表していると分かるけど、違う職種として理解されてしまうことも大いにありうるだろう。"翻訳"というのはつくづく難しい作業なのだなあとつくづく感じる今日この頃である。

私は今回のレポートで、スウェーデンと日本の比較を(出来はどうあれ)行ったのだけど、スウェーデンの制度に関する英語の資料と言うのが予想外に少ない。日本語の資料はたくさん手元にあるのだけど、これをレポートに使う際には日本語の文献で用いられている制度や職種に関する表現がスウェーデン語ではどれに該当していて、さらにそれは英語ではどう訳されるのかを調べなくてはならないので非常に苦労した。この作業に際しては大阪外語大学デンマーク語・スウェーデン語研究室"スウェーデン・デンマーク福祉用語小辞典[新装版]"(2001,早稲田大学出版部)に大いに助けられた。持ってきて良かった資料の最高峰である。

訳のあとに原語表記がある文献もあり、大変に参考になったので、できれば全ての文献でそうして欲しいものだなあと切実に思うのだ。今回のレポートなどどこかに発表できる出来ではないけれど、それでも良いことは自分でも真似をしようと原語併記方式を導入した。しかしそれにより新たな悩みも増えてしまった。つまり"The Long Term Care Insurance (Kaigohoken Seido)""Requiring care level (Youkaigodo)"などと書くときの"ローマ字をどこで区切るのか"という問題が生じてしまったのである(笑)

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20021019:eight-hundred and sixty-ninth day

出国113日目。写真は部屋の窓からの光景。

This picture is taken through the window in my flat. It has been continued snowing over night and snow cover all around. In this after noon, I went to cut hair. Then, I look like a just boy now.

結局雪は一晩降り続き、朝には世界は一面白い世界だった。というわけで今日の写真は昨日とほぼ同じ場所。初雪観察日記?

ほぼ徹夜でレポートを書き進め、寝たのは明るくなってから。2ヶ月前に予約を入れてあったので美容院に髪を切りに行くために睡眠4時間で起床。いつものことながらもっと計画的に進めておくべきだったと反省。完全なpowder snowを踏みしめながら、何となく気分はうきうき。日本にいるときもこちらにきても基本的に美容師のお兄さんにおまかせなので、かなり短くなり小僧化進展。さっぱりして帰宅し、仮眠。夕方起床し、再び英文との格闘を再開する。

ちなみに美容師さんいわく"昨日の天気予報では昨夜から今日は快晴と言っていたのに"とのこと。どこの国でも天気予報が当たらないのは共通らしい。天気予報が当たらないと腹立たしいけど、自然が人智を超えていることを感じるのは嬉しい。ところで美容師さんはストックホルムでオーロラが見られることを信じてくれなかった。"オーロラは-20〜30度と寒くないと見えない"と言っていたけど、オーロラが見えやすい場所が寒いだけであって、見える条件と気温は関係ないような気がするのだ。

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20021018:eight-hundred and sixty-eighth day

出国112日目。写真は部屋の窓からの光景。

This picture is taken through the window in my flat. Today I struggled to write the report in my flat all day. When I went out to buy some snacks in the afternoon, I found it was snowing and it is continuing on still now.

今日は終日在宅にてレポートと格闘する。午後に一度外に出たときに、細雪が降っていることに気が付いた。夕方からは粒が大きくなって、知らないうちに積もっていた。というわけで右の写真が午後の様子、topの写真が深夜の様子。初雪記念(笑)

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20021017:eight-hundred and sixty-seventh day

出国111日目。写真は"Shalgrenskasjukhuset"からの空。

This picture is taken in "Shalgrenskasjukhuset(Shalgrenska Hospital)". In these a few days, it is clouded and cold. The weather forecast in "Metro" that is free newspaper says the highst tempeture in Go:teborg today is only 2 degrees. It will be below 0 degree soon. This is the first time for me to spend autumn, winter and spring in Sweden and so I am looking forward to winter. How cold it is?

試験のレポートの提出前最後の授業だったのだけど、21人の同級生のうち来ていたのは10人以下だった。午後の特別講義の最後まで残っていたのは、たったの7人。特別講義は今ひとつ興味をひかれる内容ではなかったので、率直なところ帰宅してレポートに取り組もうかとも一瞬考えたけど、どんな講義であれ聴けば聴いただけの得るものはあると思うので、"授業にはきちんと出席する"という基本姿勢を貫くことにした。今週の授業を昨日まで欠席していた同級生たちは口々に"もうレポートは書き終わった"と言っている。もしかして自分は要領が良くないのだろうかと思った瞬間(笑)

この数日間は雨混じりの重たい雲が垂れ込めているお天気が続いていて、太陽の光や青い空を見ていない。写真は夕方の空だけど、日中も概ねこのような様子。いよいよ北欧の冬が訪れているのかなと感じている。暑いと何もする気が起きなくなるけど、冷たい空気は緊張感があるから、"寒い寒い"といいつつも冬は嫌いではない。教室は何故かまだ暖房が入っていなくて時々寒気が足元からあがってくるけど、自分の学生用アパートも含めて室内はセントラルヒーティングが完備されているので快適。夏以外のスウェーデンを体験するのは今回が初めてなので、どのような様子になるのかを経験できるのが実は楽しみである。

……あ。今気が付いたことだけど、スウェーデンどころか、考えてみれば東京以外で"生活"するのは今回が初体験なのだ。

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20021016:eight-hundred and sixty-sixth day

出国110日目。写真は"Tradgardsfo:reningens Park"の紅葉。

This picture is taken in "Tradgardsfo:reningens Park". In this morning, we visited to the office of one NGO called "the voluntary centre". It is NGO for supporting other NGO but a part of public senctor. We are wondering if it can be called "voluntary" or not. I felt angry a little with most of my colleagues did not come because of writing the examination report.

今日は授業の一環としてとあるNGOの事務所に見学に行く。このNGOはいわばNGO連合みたいな組織で、他のNGOの活動を資金や活動方法などの面で支援し、新たなNGOの設立の手伝いも行うとのことである。正式名称のなかに"voluntary"を意味するスウェーデン語の"frivillig"が含まれており、説明のときにも"public sector"とは違うということを強調していた。一方で資金自体は公共(税金)に担っており、また業務も無償ではないことから、どういう意味で"voluntary"なのかという点に疑問を感じていたら、当然のことながら質問もその点に集中し、最終的には"スウェーデン語ではその意味かもしれないけど、誤解を招くからそのように訳さない方が良いのでは?"というとある同級生の提案によって落ち着いた。さらには"税金によって運営されているという意味では、公共部門の出先機関と言ったほうが正確かもしれない"という台詞までNGO側の代表者から聞かれたので、それまでの説明の認識を改める発言がすんなり出てきたことには少々驚く。ともあれ良くも悪しくも、この国が"福祉国家"であることを改めて実感したのだった。

試験としてのレポートの提出締切が来週に迫っているので、昨日から授業の出席者が極端に少なくなっている。ほぼ半数は欠席。考え方の違いだし、日本の大学(院)生にも多いけど、個人的にはそれは本末転倒だろうと考えている

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20021015:eight-hundred and sixty-fifth day

出国109日目。写真は"Go:taa:lb Ron"から見た光景。

This picture is taken from "Go:taa:lb Ron(the rest of Go:ta river)". Today, in the class, I had to have the presentation about my experiences as a social woker in Japan. I prepared some transparencies for the explain. They were very understandable in spite of my poor English speaking. I wish I could speak English as well as my writing.

20021001以来行われている自分たちの"social worker"としての実践経験を発表する"mini lecture"の担当の日をついに迎える。簡単に終わらせる方法もあったけれど、できるだけ制度全体のなかで機能していることを伝えなければ、自分が納得できないので、勤務先法人の組織から勤務先施設の組織、業務内容、地域のなかでの他機関とのネットワーク、そして最後に実際の具体的な例を用いてそれらがどのように機能するかについて説明した。本当は措置制度と介護保険制度の違いや、制度が変わったことによって生じた利点と新たな課題などについても触れたかったけれど、"実践経験"の範疇からはずれてしまうので今回はあきらめることにした。

自分の意図していたことがどれだけ伝わったかは不明だけど、市内全体や地区内、法人内、施設内など様々なレベルにおけるネットワークによって総体として機能していることが少しでも伝わっていれば嬉しい。とはいえ、高齢者福祉領域で働いている同級生はいないので、みんなあまり興味をひかれなかった模様。同じ法人内の児童福祉施設に関する質問や"日本では高齢者は尊敬されて大切にされているのではないのか(なのにそのようなサービスは必要なのか)?"という質問を受けることは予想していたことだけど、出来ればもう少し踏み込んだ質問を期待していたので少々残念。

何よりも悔しいのは自分の英語力のなさで、せめて英語を書くのと同程度に会話が出来たらいいのになあと切望する。しかもウィルソン病による講音障害のときと違って、今回は自分の努力で何とかなることだからその努力を怠ってきたことが悔しくて仕方がない。こんなに劣等感を瞬間瞬間に感じるのは実際生まれて以来初めてのことかもしれないと思うけど、この経験が役に立つときもいつか来るのだろう。

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20021014:eight-hundred and sixty-fourth day

出国108日目。写真は"Stena Line"のフェリー乗り場。

This picture is the pier of "Stena Line". Today, we had no class and I studied almost whole day in my flat. I got the package from my parents in this afternoon. It was full of Japanese food, newspapers, books and other Japanese things. I feel very happy with them.

今日は授業がなかったので、ほぼ終日明日の発表のための準備など勉強をし、夜には合気道の練習に出かける。スウェーデン人の師範が"イッキュウテンカ"や"フナコギバアサン"などの技の名称をいうたびに思わず笑ってしまう。前者はともかく後者は本当に正式の名前なのだろかと疑問に思っている。準備体操のときに用いる数の数え方も先日来"イチ""ニ"…と日本語になっており、スウェーデン人のなかで堂々と日本語を口に出せるのが不思議な感覚。練習も5回を過ぎて、徐々に難しくなってきており、自分の運動神経のなさを痛感する。

午後、日本から"宝箱"第2弾が届く。再び久しぶりに堪能。

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20021013:eight-hundred and sixty-third day

出国107日目。写真は"Go:teborgsutkiken"から見た光景。

This picture is taken from "Go:teborgsutkiken". Today it was clouded and cold and so we decided to go to "Konstmuseet" to see the exhibition of "Munch". Before that we went to the top of "Go:teborgsutkiken" and had a coffee there. At last, we went to the pier of "Stena Line" and said good bye. I was so glad with her in this weekend that I felt very sad at that time.

昨日とは対照的に重い雲に覆われた寒い日。昨日を外で過ごす計画にしたことに感謝しつつ、ムンク展を見るために"Konstmuseet"に行く。夜には彼女はフェリーに乗って帰国の途につくので、荷物を全部持って駅のコインロッカーへ。昨日の"Skansenkronan"が不完全燃焼だったのか、彼女が高いところから景色を見たがったので"Go:teborgsutkiken"へ向かう。これは運河沿いにある赤と白の建物だけど、最上階には展望台とカフェがあって360度を見渡すことができる。土日のみ開いているようだけど、ここの珈琲は美味しかった。近日中に作成予定の"Go:teborgでの生活快適ガイド"には市内展望台一覧なども掲載したいと思っている。

天気が悪いためか"Konstmuseet"は結構込んでいたが、もちろん黒山の人だかりというほどではなくゆっくりとムンクの絵を楽しむことが出来た。予想していたより出品点数は少なかったけどとても印象に残る展覧会だった。"Tradgardsfo:reningens Park"にて市の中心部にある緑を愛でつつ、公園内のカフェでNab Cottageでの共通の友人たちに葉書を書く。薔薇園の中にあるこのカフェは春にはきっと混雑することだろう。その後、彼女の荷物を回収するために駅を経由して、"Stena Line"のフェリー乗り場へ行きお別れをする。彼女と過ごしたこの週末は予想を遥かに超えて楽しかったので、別れを言うのが辛かった。またいつか再会できることを心から願う。

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20021012:eight-hundred and sixty-second day

出国106日目。写真は夕暮れの"Christkyrkan"近辺の光景。

This picture is "Christkyrkan(Christ church)". When we got up in this morning, it was so fine day that we went to "Skansenkronan". After we enjoyed the view from that old fortress, we went to "Haga" and spent on shopping. I felt very happy with her.

今日はお天気がとても良く、珍しく雲ひとつない真青な空が広がっていた。当初は美術館に行く予定だったが、変更して"Skansenkronan"に行くことにした。今回は中にも入れたのだけど、窓には角度がついているので景色が見えるわけでなく、 "Milita:rmuseum(museum of the militaries)"の展示もそれほど大したことがなかったので少々残念。英国でもスウェーデンでも一般家庭や学校、施設などに見られる"芸術の身近さ"とは反対の印象なのが不思議だけど、小さな博物館をいくつか見学した経験からは、意外なことに日本の博物館の程度はかなり高いような印象。私が見た限りでは、英国やスウェーデンでは大きな博物館とこのような小さな博物館の格差が非常に大きいように感じる。きっとイタリアやフランスに行けば状況は異なるのだろうけど、日本だと個人所有のような小さな博物館や郷土博物館でも本物の展示物による展示を行っているところが多いように思う。ちなみに、博物館でもどこでも額が斜めになっているのを見かけると思わず直したくなってしまうので、"Milita:rmuseum"では手を伸ばさないようにするのが一苦労だったのだ。

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20021011:eight-hundred and sixty-first day

出国105日目。写真は"Haga"地区のとある通りの光景。

This picture is taken on the street in "Haga". In this afternoon, I met one of my friends in my days at Nab Cottage, who is Verena coming to see me from Switzerland. We met at the Central Station in Go:teborg at 5:30pm and came to my small flat together. After we had a dinner that was cooked by us, we talked a lot of topics and discussed with the justifications of education and social work in capitalism.

今日の夕方、スイスから会いに来てくれた友人と再会した。彼女は英語が堪能でスイスの高校の先生なので、Nab Cottageでは非常にお世話になったのだった。17:30にGo:teborgの中央駅で待ち合わせをして、そのまま私の小さな部屋に移動。一緒に買い物をして、一緒に夕食を食べて、その間もその後もずっとお喋りを楽しむ。Nab Cottage時代と変わらず、私の拙い英語に熱心に耳を傾けてくれる彼女に感謝しつつ、共通の友人の話や私の現在の生活について、彼女の家族について、お互いの国や文化についてなど話題は尽きない。スイスも経済状況が良くないとのことで、最後には資本主義社会のなかで教育や社会福祉の存在意義をどのように位置付けたら良いのかという大議論に発展した。

資本主義の利潤追求原則から考えれば、障碍者や高齢者など"労働しない=利潤を生まない人々"は"負担"といえる。彼女は、"その原則から論理的に考えたら、高齢者は75歳の誕生日を橋の上で祝ってもらい、そのパーティ終了後に橋の上から飛び込むしかないのだ"と冗談とも本気とも付かない調子で言う。私も"資本主義において利潤を生まない存在は負担である"という理屈は分かる。だけどそれを受け入れるわけにはいかないし、それを受け止めたくはない。ただこの場合には、感情的に反論することは何の力も生まないので、その理屈に反論するための自分で納得できる理屈/理論を見出したいというのが大学院に入学して以来の願望。もちろん多くの研究者が、福祉国家や社会保障制度の必要性/重要性について数々の論文を発表している。だけど読んでいるときは"ふむふむ、なるほど"と思っても、完全に納得できる理論には未だ出会っていないのだ。この問題について、私にとって最も重要なのは"自分で納得できること"なので、やはりそれは他のヒトの意見や見解を参考にしつつも、自分のコトバで整理しなくてはならない課題なのだろう。

……とこのようなことを英語表現に苦闘しつつも彼女に伝え、"いつか自分で見つけた答えについて話せるといいな"と言うと、彼女は"それは是非教えて欲しい。それは我々が教育に関する予算を獲得するときにも有効なはずだから"と言ってくれた。とても嬉しい一言だったけど、果たして答えが見つかる日はいつになることやら(笑)

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20021010:eight-hundred and sixtieth day

出国104日目。写真はGo:teborgのとある通りで見かけた建物。

This picture is taken on the street in Goteborg. In this afternoon, we had a special lecture by Ms.Sorette Kruger from University of Stellenbosch in Africa. She talked about "casework as a method in social work". She mentioned that the important three aspects in casework are "a holistic approach", "system theory" and "strength perspective". Yes, I know these three already but this is the first time that to understad why they are important in casework. I cannot completely agree with her, though.

今日の午後は4度目の特別講義。今回はアフリカのStellenbosch大学から来ているSorette氏による講義だった。題目は"social workにおける方法としてのケースワーク"というもので、彼女はケースワークにおいて最も重要なのは"ホリスティック・アプローチ"と"システム理論"と"ストレングス・パースペクティブ"であると述べていた。もちろんそれぞれについては日本においても習ったことだけど、今回の講義を聞いて"何故それらがケースワークにおいて重要なのか"がようやく理解できたように思える。

それは彼女と日本で習ったときの先生方の教え方の違いではなく、きっと私の姿勢の問題なのだろう。日本にいるときは、それらの理論を知っていれば"専門家"という一部の見方に対する反発もあり、"そんなことは別に知識として学ばなくても、現場の(少なくとも在宅介護支援センターの)相談業務担当職員はみんな自然に行っていることではないか?"と思っていたので、どうしても素直に気にならなかったのだ。現在でも"理論を知らなくても、自然に行える場合もある"という認識には変わりはないし、"エコマップを全利用者に作成できるほどの時間的余裕はないけど、頭のなかで利用者の周辺の関係性を考えなかったら相談業務なんてできないじゃん"という思い(込み?)にも変わりはないのだけど、それでも"理論"を身につけておくことの意義について理解するようになった現在は、もう少し素直な気持ちで耳を傾けることが出来ている。

もし少しだけ先生方の教え方の違いがあるとすれば、こちらで習う先生方は特定の理論を教える場合も"それだけが正しい"という姿勢はとっておらず、授業中に学生から異なった見解や反論が提出された場合も"うんうん、そういう見方もあるわね。でもこの場合はね…"というような受け止め方をする。"これが正しい"という姿勢で教えられると、どうしても全面賛成か全面反発をしがちになるけど、相手がこのように柔軟な姿勢の場合には、聞き手側も"なるほど、そういう見方もあるなあ"と受け止めることができる。考えて見ればこれは教員学生間関係だけでなく、きっと全ての人間関係に共通している傾向だろうし、おそらく日本人の議論下手などとも関係しているのかとも思う。ただ私が学んできた学校全ての経験と比較すると、20020924で書いた授業改善要求なども含めて、スウェーデンの、少なくともGo:teborg University の先生方の方が学生と相互交流的に授業を作っているような印象がある。

ところで最近時々思うのは"カタカナって便利だな〜"ということなのだけど、"カタカナ"で輸入できてしまうからこその弊害もあると思う。"a holistic approach"が"ホリスティック・アプローチ"になった途端に、その背景("context")の部分がすっぽり抜け落ちてしまってコトバだけが宙に浮いてしまうような気がするのは、うがちすぎな見方だろうか。でもやはり言語はその社会を形作っている根本的な文化なのだから、"カタカナ"で音だけを輸入するのではなくて、その意味をも含めて表現できるような輸入をした方が、輸入する意義は大きいと思うのだ。一方で、一度根付いてしまった"ホームヘルプサービス"や"デイサービス"、"ショートステイ"を、制度が変わったからといて、"訪問介護"や"通所介護"、"短期入所生活介護"に変更するのはどうかと思ってしまう。我ながら矛盾しているけど(笑)

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20021009:eight-hundred and fifty-nineteenth day

出国103日目。写真は落ち葉が一杯の"Hagakyrkan"の構内。

This picture is taken in the yard at "Hagakyrkan". Today we had no class and I studied in my flat until the evening. Then, I went to "Nordstan" to buy gloevs, because my hands seem to be nearly freezed in these mornings.

通学時にこの光景を見るたびに、地元の某大学の構内で落ち葉を足でがさがささせながら歩いて遊んだことを思い出す。時々この構内でそれをしてみたくなる衝動にかられるのだけど、怪しいアジア人になってしまうのでぐっと我慢。

今日は授業がなかったので、終日在宅勉強。最近急に冷え込んできて毎朝の通学時に手が凍えそうになるので手袋を買いに夕方出かける。本屋のセール("rea")のコーナーで、J. Marr and B. Kershaw "Caring for Older People" (1998,Arnold)とY. Hasenfeld "Human Service Organizations" (1983,Premyice-Hall)とF.B. Tinpton "The Rise of Asia" (1998, Macmillan Press)を購入。3冊合計の定価は1,365sekだけど購入価格は250sekなので2割以下だったことになる。全部読めるかどうかは疑問だけど、後で後悔するのが嫌なので本だけは気になったときに買う主義なのだ。ともあれ"シノの興味のありそうな高齢者介護の本がセールのコーナーにあったよ"と教えてくれたスウェーデン人の友人に感謝。色々なヒトに支えられて生活しているのだなあということを実感している日々。

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20021008:eight-hundred and fifty-eighteenth day

出国102日目。写真はGo:teborg Universityの"Kurs- och tidningsbibliotek"。

This picture is "Kurs- och tidningsbibliotek(undergraduate and journal library)" of Go:teborg University. Today we had a special lecture by male resercher, sorry but I forget his name, from Kenya. He talked about "AIDS orphan adopting gradmother". It was not familiar issue for me and I would have like to linsten to him. However, his English has so much African accents that I could hardly understand.

今日の午後はケニアから来ているという博士課程の研究者の男性が講義をしてくれた。内容は"AIDSで母を亡くして祖母に育てられている孤児について"で、引き取る側の祖母は59〜98歳に渡っているそうである。私にとっては新聞等で目にしたことはあっても、ほとんど知らない問題だったので聴きたかったのだけど、彼の英語はあまりにもアフリカ的な抑揚でほとんど聴き取れなかったのが残念。せめてOHPを使用してくれれば助かったのだけどと思う一方で、非常に失礼な感想だけど、このくらいの英語でも博士課程に留学できるのだと思ったら少し気が楽になった。語学力の乏しさについては意識しない日がないので、せめてもう少し流暢に話せるように、そして瞬間的に対応できるようになりたいものだと切実に思う。

スウェーデン人を除く同級生たちは全員が所謂"途上国"から来ており、私以外に高齢者福祉領域で働いているヒトはいない。例外的に、中国の修士課程に在学している友人が高齢者関係に興味を持っているけれど、彼女は実習以外に実践経験はない。従って他の同級生たちのテーマは、"ストリートチルドレン""女性に対する暴力"や"AIDS""薬物中毒"などがほとんどである。同級生たちの国に高齢者がいないのかといえばもちろんそういうことではなく、雑談のなかで聞くとみんな胸を張って"必要になった場合には家族で世話をする"と言う。このクラスで学び始めて私は"工業化の進展"→"長寿化/核家族化/少子化/女性の社会進出"等々→"高齢者介護の<社会問題>化"という教科書で習った知識と"高齢者の介護<問題>"は先進国特有の<問題>であるということを実感として理解するようになった。みんなは"拡大家族であり、高齢者の介護が<社会問題>になっていない自国の状況"には大いに誇りを持っている一方で"スウェーデンや日本みたいな先進国(=豊か)にしたい"と思っている様子なのが少々不思議。

日本という"先進国"出身だから思うのかもしれないけど、"発展"することはそんなに"良い"コトなのかなあというのが最近の疑問。もちろん"停滞"が良いと思っているのではないけど、"発展"という変化は新たな"利点"と"問題"を同時に社会にもたらすとつくづく感じるからだ。私がスウェーデン社会に関して、最も評価しているのは、変化がもたらす"問題"に対しては恐れずに対応していこうと、さらに変化していこうとする点だ。このことは変化が"利点"と"問題"の両側面を持っていることをきちんと受け止めている証拠だと思う。しかし果たして日本で、そして世界で、一般に"利点"と思われていることは本当に"利点"なのだろうか?さらに"問題"と思われていることは本当に"問題"なのだろうか?

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20021007:eight-hundred and fifty-seventeenth day

出国101日目。写真は"Majorna"地区から見た18:20の光景。

This picture is taken from the western district called "Majorna" at 6:20pm. Today we had no class but I have to get up early in order to go to "Ink Art" for taking photo copies. When I found some colleagues in front of the shop at 9:00am, it was still closed. Tt was very cold morning and we were getting freezing, so we decided to wait in another shop. After 15 minutes, the assistant of "Ink Art" came and we could take our photo copies for the next course.

次のコースである"Welfare States"の教授が資料をくれたので、希望者はコピーをまとめて発注することにした。机に積まれたその資料は大げさでなくて高さ20cm程あり、それ以外にも参考文献が2冊指定されているので、読む前から圧倒される。とはいえ"Welfare States"については私の主要な関心にも大きく関与してくるので、逃げ腰にならずに取り組まなくてはならないのだ。校舎の周辺には"Ink Art"という名前のコピー屋さんがあり、もちろん自分たち自身でコピーをすることも可能だし、依頼しておくとまとめてコピーしておいてくれる。しかもオプションで束ねてもくれるので非常に便利。ただし明らかに著作権に抵触する行為も行われているので、大丈夫なのかなと勝手に不安になったりもする。

"Welfare States"の参考文献の1冊としてEsping-Andersen"Welfare States in Transition: National Adaptations in Groval Economies"(1996, Sage)が指定されているので早速購入。日本では名高いEsping-Andersenだけど、同級生たちは誰も知らない様子。スウェーデン人の同級生も知らなかったので吃驚。とはいえ私自身も随分前に読んだ記憶があるのだけど、内容についてはほとんど忘れてしまったので他人のことは言えないのだ。路面電車の移動時間には日本語の本を読むことにしているので、早速Esping-Andersen"福祉国家の可能性"(2001, 桜井書店)を鞄に入れる。ああ、日本語の本ってなんて読みやすいのだろう。内容は難しくても、少なくとも辞書は必要ないのだ(笑)

午後、日本から"宝箱"第1弾が届く。久しぶりに堪能。

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20021006:eight-hundred and fifty-sixteenth day

出国100日目。写真は"Go:teborgs Konstmuseum"の天井。

This picture is the ceiling of "Go:teborgs Konstmuseum(the art museum of Go:teborg)". In this afternoon, I met a Japanese girl who studies design at HDK. After I came back to my flat, I study hard until early morning.

早いもので気がつけば100日が経っていた。あと3回繰り返すと、帰国の日が目の前に迫ることになる。その日を心待ちにしているような、残念なような。この部屋を離れるその日には、私は何を思うのだろう。

今日の午後はHさんという日本人の留学生に会った。Go:teborg Universityの大学院修士課程でデザインを専攻しているとのこと。彼女の同級生の韓国人の女のコが私と同じ学生アパートに住んでいて、その韓国人の女のコの友達がInternational Master in Museum Studyに在籍していて、先月の"Academic Writing"の授業用に作成されたメールアドレス一覧から私のアドレスをHさんに教えたことから、メールを貰ったのがきっかけとなった。メールアドレスの個人情報性なんて言及したところで意味がないからしないけど、日本で同じことされたら一言冗談交じりでいわせてもらうところ。そのような場合には、その韓国人のコがHさんのメールアドレスを私に教えて、私から彼女にメールするのが本筋だと思うのは了見が狭いだろうか。まあ、どちらにしてもHさん自身には何の責任もない経緯だし、もちろんこんな話は全く口にしない。何はともあれ同世代の女性の日本人留学生と知り合いになるのは初めてだったので、日本語で他愛もない話をしたり、買い物を一緒にするのは楽しかった。

Hさんの話を聞いていると、やはり2年間の普通の修士課程では授業が毎日あるのではない"part time"なので 、英語や瑞語を習いに行く余裕があるそうな。もちろん実技中心の様子のデザイン専攻と講義中心の社会福祉専攻という違いもあるだろうけど、なるほど現在の課題の量の多さは、私の属しているのが1年間で毎日授業のある"full time"の課程だからという理由だったのか、と思い至る。私の現状では合気道に行くのが精一杯で、英語や瑞語など他の課題が出そうなコースをとる精神的/時間的余裕はとてもない。瑞語も英語もきちんと学ぶことを願っているのに、悔しい。

……とはいうものの語学はコースに通わなくとも、独学でできるものだし、忙しいのを理由に逃げていてはいけないなと思う今日この頃なのだ。

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20021005:eight-hundred and fifty-fifteenth day

出国99日目。写真は"Masthuggskyrkan"から見た夜景。

This picture is taken from "Masthuggskyrkan" at night. In this evening, my Swdesh friend and his family invited me to their home party. I could meet their friend's family there and talk with them mainly in English but a little in Swedish as well. One of them is a very good at cooking and he made dinner for us. It was really nice dinner and I enjoyed it very much. The family live near "Masthuggskyrkan" and they took me there on the way to back to home. It was so fantastic sights.

元々は母の仕事上の友人であるスウェーデン人の友人一家がホームパーティに招いてくれた。ホームパーティというので大勢集まっているのかと思っていたら、その友人の友人一家が来ているだけだったので正直なところほっとした。日本にいたときですら立食パーティなどで挨拶をしながらヒトからヒトへと渡り歩くことは苦手だったので、それを英語でしなくてはならないのではと予想して憂鬱な気分になっていたのだ。客であるその一家のお父さんがとても料理が得意とのことで、今日のお料理も彼が準備していた。ちなみにスウェーデンでは、男性が料理を主に担当している家庭は多い。別にだからスウェーデンの方が良いなどと言う気は全くないけれど、ただ昨日の授業との関係でいうと"料理は女性が主に行う"という性的役割分担("gender role")は男女の生物学的差異ではなく社会によって作られているのだなあということはよく分かる。

帰りはその一家が車で送ってくれた。"夜のMasthuggskyrkanに行ったことがあるか?"と聞かれたので、"昼間しか行ったことはない"と答えると、わざわざ連れて行ってくれたのだけど、運河沿いに密集している光と真っ暗な運河の対比はとても美しい。夜の首都高速から見る新宿副都心のような近未来的な感じではなく、人間が真っ暗な闇の中でいかにして生活を営んでいるか、明かりの有難さが実感できるような夜景だった。

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20021004:eight-hundred and fifty-fourteenth day

出国98日目。写真は市内で見かけたとある建物の入り口。

This picture is the entrance of one building in Go:teborg. Today we had a special lecture by Ms.Barbro Lenneer-Axelsson who is Assistant Professor of Psychology at the Go:teborg University. My Swedish colleague told me that she was one of the most popular lecturer here and I felt interested in her lecture, although her theme, "gender" and "sexuality", was not my much concern.

今日は心理学部のBarbro Lenneer-Axelsson氏による特別講義が行われた。最初に彼女の名前を見たとき、痴呆症ケアの専門家のBarbro氏かと思い非常に嬉しかったのだけど、全くの別人であった。けれどもスウェーデン人の友人によると心理学部のBarbro氏は大学内で最も人気のある先生の1人とのことで、実際に今までスウェーデンで受けた講義のなかで、見学を除いては、最も面白い授業であった。講義の題目の"gender"や"sexusality"について、特別に関心があるわけではなかったにも関わらず、一瞬も退屈することなく、あまつさえ授業が終わるのを残念に感じたくらいだったので、これはいかに彼女の教授力が高いかということの表れであろう。

つまり彼女は、非常に明確な英語で、丁度良い大きさの声量で、時にユーモアを交え、笑いを起こし、基本的には統計や自分の行った調査のデータを用いながら、一方では自分自身の実生活における個人的な体験にも言及し、自分の見解も付け加え、さらに我々の出身国の状況なども紹介し、該当国出身者に意見を求めながら、講義を展開していったのである。一言で表すなら、"どうすれば聴衆を自分の話(舞台)に引き込めるか"ということを意識しているのだと思う。現在の通常の授業を担当している教授が、他の研究者の文献を紹介するだけで、彼の授業運営方法に不満が高まっている状況なので、今日のBarbro氏の講義は私だけでなく他の同級生たちも大絶賛だった。年末前に再度講義を行ってもらえるかもしれないとのことなので、今からとても楽しみである。

彼女が取り上げた内容も非常に興味深い。例えば"性欲(sexuality)"と"攻撃性(aggression)"は人間の最も基本的な衝動であり、"生存(survive)"のために必要であるが、一方では"制御(control)"することが必要であると彼女は述べる。そして、制御を容易にするためには、第一に、率直にそれらについて話し合うことのできる環境を作ることが重要であり、保守的な規範において率直に話すことができない場合、それらの衝動は自分の中だけで抑制しなくてはならないため、制御は難しくなると、ここで彼女は先日来世界的大ニュースになっているカソリック司祭の児童性的虐待について言及していた(ちなみに私はこのとき頭のなかで日本の昨今の状況について想起していた)。第二に、"自信(self confidence)"をつけることが重要であり、自分を信じることができれば、特に女性が男性に対して"No!"ということが容易になるとのことであった。ここで彼女は多くのスウェーデン男性は自分たちのパートナーが頻繁に"No!"と言うことが問題だと考えているという冗談(?)を紹介。さらにそのような自信をつけるためには、何よりも"教育(education)"が重要であると繰り返し強調していた。ここで彼女が述べた例が傑作で、彼女が自分の小さな孫にキスをしようと引き寄せたときに、その5歳の女のコは"私には自分の身体に触れられることを拒否する権利があると子どもの権利条約には書いてあるのよ、おばあちゃん"と言って拒否したそうである。きっとBarbro氏もこれには参っただろうな(笑)

その後、中絶の権利について討論していたときに、ヨルダン出身でスウェーデンに既に19年在住している女性の同級生が、"確かに人間(human)としては、自分のしたいことを何でも自由にする権利を持つけれど、一方で社会のなかの個人(person)としては、宗教などの行動規範があり、そのヒトはどのように振舞わなくてはいけないかを学ばなくてはならないのではないか。そしてそこから対立が生じるのではないか"という意見を展開した。これに対して、南アフリカから来ている25歳の若い男性の同級生が"確かにその通りだけど、我々は、異なる意見を持つ人々の意見を聞かなくてはならない(そうすることで、その対立は解消できる)"という発言を行った。多くの他の同級生が、後者の意見に頷いてたし、私ももっともな意見だと思った。だけど、彼の意見は少々理想的かなという印象がある。圧倒的に説得力を持っていたのは前者の意見で、それは彼女の意見が現実だからだと思う。……という私の感想を昼休みに中国人とフィリピン人の友人に話したら、"う〜ん、確かにそれはそうだね"と同意してくれ、"おそらくそれは彼らの年と経験の差による見方の違いではないか"と分析していたので嬉しかった。

Barbro氏が"ある意味では宗教を固く信じるということは生きることをより容易にすることだ"と述べたときに、深く頷いてしまったのだけど、それは出国以来色々な国の友人たちと触れ合う中で、宗教という価値判断のための規範を大多数の人々が持たない日本社会のなかで行動規範を見出すことの難しさについて気がついたからである。宗教という明確な規範があれば、賛成にせよ反対にせよ自分の行動規範を明らかにすることが可能である。そしてその社会規範を変えるために働きかける対象は自明となる。けれども社会における価値判断の基準が明文化されておらず、どこまでもあいまいで、"何となく"身につける/身につけざるを得ない、"何となく"察する/察しなくてはならないから、だからこそ付和雷同型というか、"赤信号皆で渡れば恐くない"というか、そのような状況が生まれてしまうのではないだろうか。そしてそのような"何となく"で築きあげられている価値基準は正体不明というか、とらえどころがないので、もし変えようとするときにどこから手をつけてよいものやら分からなくなってしまうのではないだろうか。さてさて。少々短絡的すぎるかな(笑)?

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20021003:eight-hundred and fifty-thirteenth day

出国97日目。写真は"Shalgrenskasjukhuset"の構内の紅葉。

This picture is taken in "Shalgrenskasjukhuset(Shalgrenska Hospital)" that is the university hospital. There is a gymnasium where "Aikido" and other courses taken place in and I go to the gymnasium every Monday and Thirsday. "Aikido" is not so easy to do, because my body is very hard. However, it is good for my health to do some exercises and I can get ease stress by doing "Aikido".

20020923の繰り返しになるけど、"Shalgrenskasjukhuset"はGo:teborg Universityの大学病院である。この写真の向かいの建物に合気道のコースが行われいる体育館というか運動用の部屋が数室ある。ちなみに合気道の他には剣道、柔道やダンスなどが行われている様子。

今日は授業の後で大失敗をしてしまって、かなり気分的には低下した状態で"休んでしまおうかな"などと思いつつ合気道に向かった。合気道のコースは基本的に師範と準師範(?)の組み手を見学し、その後それぞれ組を作って自分たちで実践するという方式で進んでいくので、とにかく自分で身体を動かさなくてはならない。従って余計なことなど考えている余裕はなく、ただ組み手に集中することになる。このことが実は非常に良い気持ちの切り替え、ストレスの発散になっており、今日も合気道の練習が終了した1時間半後に汗でびっしょりになったときには、何だか急に気持ちがすっきりしていた。後日談的には、その後数時間後にはもともとの大失敗も復旧することができて、めでたしめでたしだったのだ(笑)

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20021002:eight-hundred and fifty-twelfth day

出国96日目。写真は"coop konsum"の前で買物中の主人を待っている犬。

This picture is a dog waiting for his master in front of the supermarket called "coop konsum". Today we had the second field work in one district community of Go:teborg. We visited the social security centre for older people and disabled at home. All of their clients have a little alarm and speaker. If a client presses the alarm-button, it will call that centre directly. They have about 500 calls every day. Needless to say, it is one of the public service in Go:teborg. According to the papers that the social worker in that centre gave us, the most reason why the clients press the alarm-button is "feel insecure/want to talk" occupied 27% and the most care taken by the centre is "conversation" occupied 59%. I think that it shows the social exclusion/isolation/lonliness is the big difficulty in older people's life in Sweden as well in Japan.

今日は授業の一環として市の中央部に見学に行く。ここは一般住宅で生活する高齢者と障碍者を対象にした安全アラームの受信と対応を行う施設で、Britta Johansson"私にもできる−障害があっても自立した生活"(萌文社,1997)を読んで以来、安全アラームの仕組みについて大きな関心を持っていた私にとっては願ってもいない見学であった。

私が理解した説明によると、ここでは24時間を通じて7〜8名程度のassistant nurse("undersk:terska"か"va*rdbitra:de"と思われる)と日中は2名、夜間は1名のsupervisor("socioomsorg")が常時勤務している。合計では11名のsupervisorと55名のassistant nurseが勤務しているとのことである。利用者が安全アラームを押したときに直接つながる電話の対応を行うのはsupervisor、実際に訪問するのはassistant nurseという風に役割分担がなされている。合計で6地区4000人の利用者がおり、1日に平均500件の電話があるとのことであった。見学の最中にも電話がかかってきた。受信する電話と利用者情報を管理しているデータベースがリンクしており、受話器をとる前に誰からの電話なのかがPC上に表示される。担当していたsupervisorが受話器をとる。

1本目、いくら話しかけても無言の様子。一度電話を切り、切断後も3分間は画面表示が維持される利用者情報を基に利用者宅の一般の電話にかける。安全アラームのボタンをうっかり押してしまったことが判明する。データベースにその旨記録。2本目、初回訪問に出かけたassistant nurseからの連絡。地区のsocial welfare officeからの情報提供に基づき訪問したところ、名前と階数に誤りがあったとの連絡。電話で対応をしながら、データベースの情報を修正する。続けてsocial welfare officeにも修正依頼の連絡。3本目、寂しくて安全アラームのボタンを押した利用者。数分会話した後、切断。利用者台帳に基づき、本人の娘さんに連絡し、娘さんから連絡をいれてもらうように依頼。続けてsocial welfare officeにも報告。

このセンターでは週末と夜間には予め予定された訪問も行っているとのことだったが、主には随時対応のための訪問が中心である。もらった資料によると対応として最も多いのは"会話"で59%を占め、続けて"assistant nurseの訪問"24%、"地域のホームヘルプサービスの派遣依頼"5%、"看護職の派遣依頼"2%、"機器の修理などの派遣依頼"1%、"親族への連絡"0.2%、"救急車の派遣依頼"0.2%となっている。つまりどのような対応が必要かを瞬時に判断して、該当機関に連絡するのが、このセンターのsupervisorの役割である。個人的にはスウェーデンに来て、初めて"うわ〜、出来るものならやってみたい!!"と思った仕事であった(笑)

今回の見学でも"職員間/機関間の業務分担"から"データベースの利用"まで色々なことを考えさせられたけど、"施設を住宅に近づける方向性と、一般の住宅を施設に近づける方向性"の両方があることを確認できたことが最大の収穫だった。つまり入居型社会福祉施設の最大の利点(必要性)は"24時間職員がいて、呼べばすぐに手助け/援助が受けられること"ではないかと考えているのだけど、ボタンを押せば30分以内で誰か(専門職)が駆けつけてくれることが保障されているこの安全アラーム制度があるということは、一般の住宅に住んでいても施設に近い生活の安全性が保障されているといえるのではないかと思うのである。20020807にも書いたことだけど、日本でも独居高齢者が増えている現状ではアラーム制度の重要性は高まっていると思われるし、せめて在宅介護支援センターなどの24時間対応が可能な専門機関に直接連絡が可能なようにした方が良いのではないかと思う。ちなみに同行した同級生たちの出身国では同様のアラーム制度を持っている国はなく、その点から考えても現在の日本のアラーム制度は"宝の持ち腐れ"のような気がしてならない。まずは"緊急"アラーム制度ではなくて"安全"アラーム制度に位置付けを変更するところから始めるのはどうだろうか?

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20021001:eight-hundred and fifty-eleventh day

出国95日目。写真は"Vitlycke Museum"の古代(?)羊。

This picture is a sheep in "Vitlycke Museum". Today We had the class and two students from South Africa and one student from China had mini lectures. All of the students in our class have to had mini lectures about our own experiences as a socal worker. My turn will be on 15 October so I have to prepare it.

今日は5日ぶりの授業があった。今日から順番に生徒が自分の"socal worker"としての経験について20分程度の発表を行う。自分の発表のことを考えていて"自分の業務を説明するためには、制度の説明をしなくては理解してもらえない。はてさて日本の複雑な制度や仕組みについてどのように説明すればよいのだろう"と頭を悩ませていたのだけど、今日の発表を聞いていたら自分の属する組織とそこでの業務内容について説明すればよいようなので、"それならば"と一気に気が楽になる。とはいえその国の制度を知らずに、個別組織のことだけ聞いても、今ひとつ理解できないと思うのだけど。

社会福祉サービス供給組織の形態については"public"と"private"と"NGO(Non Govermental Organization)" という3分類が授業内では用いられているが、大体"NGO"と言ってもスウェーデンでは財源はほぼ100%税金(その他はEUからの援助等)と聞いているし、日本の状況とはかなり異なる。"社会福祉法人"なんて奇妙な組織形態を説明するには骨が折れそうな気がして不安。措置制度下なら"財源は税金で、運営は独立して"と言えるけれど、介護保険制度が導入されている高齢者福祉分野の社会福祉法人の位置付けはどこまでも曖昧だ。財源的には"コムスン"や"やさしい手"などと同様で、"税金控除があるから公的な役割がある""営利企業では対応できない利用者を"と言われている状況において社会福祉法人の位置付けはまだまだ整理されていない。とても私の乏しい英語力で説明する自信はないし、このような点まで説明する時間はないと思うので、実際には取り上げないというのが賢明な選択かもしれない(笑)

ただ先の3つの分類について、"組織の財源"という視点でみるならば介護保険事業所の指定を受けている場合は社会福祉法人も営利企業も同じ位置付けになり、介護保険制度が保険料と利用者負担と税金で賄われている以上、それは "public"と"private"の混合型の"third sector"になる。保険料と税だけなら "public"といえるかも知れないけれど、利用者負担については利用した分だけ負担する応益負担であるので"private"としての意味が含まれてしまう。一方で"組織の目的"という視点でみるならば、営利企業の目的は利潤の追求にあり、"社会福祉法人"の目的は本来的には"国民の福祉の実現"にある。何故なら、"社会福祉法人"は憲法第25条を具体化するためにための装置として同第81条を背景に作られた組織形態だからだ。従って、"組織の目的"の視点からは、営利企業は"private"だけど、"社会福祉法人"は"public"ということができるだろう。もしこれを説明するとなると、やはり介護保険制度について触れなくてはならず、気が重い。

誤解されるのは嫌なので付け加えておくと、憲法については政治思想的にどうとかというのでは全くなくて、単純に歴史的事実を認識しているだけである。為念。

ちなみに社会福祉組織や施設について厚生労働省が定めた定訳というのがあり、日本ではそれが基準とされているけど、"social welfare juridical person"という見事な英訳では、同級生達はおそらくイメージができないのではないかと危惧される。そこで以前に大学書林の英会話の先生が提案してくれた"special organization for social welfare"を併記の上で説明していくことを検討中。論文を書くときにはもちろん定訳を守らなくてはならないけれど、結局のところ、このようなコトバ(専門用語)を規定しているのも制度なので、制度を理解してない場合にどれほど正しいコトバを用いても実態は通じない。それならば実態をイメージできるような、容易なコトバを用いた方が最終的には通じる割合は高いのではないかと思っているのだ。

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