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20021231:nine-hundred and thirty-ninth day
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出国186日目。写真は乗換駅で去り行くKirunaからの列車。
This picture is the train leaving Boden station where we changed the train from Kiruna to Göteborg. Today is the new year's eve. In this evening, we went to see the fireworks by "Göteborgs-posten". It was beautiful but we were a little late to see the whole programme. In 2002, I had lots of precious experiences such as studies Englsh at Nab Cottage and Social Work at Göteborg University. The most important experience for me in this year was to make many friends from all over the world!! On the other hand, I had really sad experience in my life, that was my grandmother passed away in the end of April. However, I am sure that she is glad about my studies abroad. I will never forget the year of 2002.
早いもので今日は大晦日。この文章を書いている数時間前には日本では既に新年を迎えているはずなので、それを考えると何だかとても不思議な気持ちになる。今日の夕方は"Göteborgs-posten"というGöteborgで一番人気のある地方新聞主催の花火を見に行ったのだけど、"イェーテボリ留学雑記"の第3号を書いていたら家を出るのが遅くなってしまい、最後の数発しか見ることができなかった。非常に大きくて美しかっただけに残念。涙。来年は時間にゆとりを持って行動するように心がけたい。
今年も遂に今日でおしまいなので毎年恒例(?!)の一年の総括など。まず、仕事については5月以降は休職しているので、得たモノも少ない代わりに反省することも少ない。昨年は介護保険請求ソフトと格闘し、悪戦苦闘の余裕のない日々だったことを考えると、随分と遠い昔のように感じる。今年の仕事関係の思い出といえば、出勤最後の日に職場でいただいた花束と激励のコトバ、それから出国前日に荷造りを半端にしたまま、自宅から職場のサイト関係の作業をしていたことくらい。スウェーデン社会のどこかのんびりとした雰囲気のなかで生活をして、自分の気持ちの余裕があると他人に対してやさしくできるし、自分も嫌な思いをしないで済むということを痛感しているので、来年の帰国後に職場復帰しても、気持ちにゆとりを持てるように心がけたいと思っている。
次に、勉強について。う〜ん。これは手ごたえがあったような、何だか泥沼にずぶずぶと嵌まり込んでいるような複雑な気持ち。自分がこれまで"こうだっ!!"と確信していたことについて、"いや、こうではないのかも…"と考えられるようになったのは、自分の視野を広げるためには良いことだと思うのだけど、全ての視点を持つことはできないということ、自分の価値観には限界があるということ、それを知りつつもどこかに立ち位置を決めなくてはならないということなどを考えると、その大きさに時々ぞっとする。例えば、日本の公的介護保険制度というモノは、社会福祉の根本的対象を"貧困"と位置づけるのであれば、以前の措置制度に比べて低所得層に大きな負担と制限を強いるという点のみでも批判していかなくてはならないモノとなるといえる。一方では、中所得層以上にはサービス利用の機会を増やし少なくとも利用料負担を減らしたという側面は確かにあるのだと思う。さらに他の側面からは異なる評価を出すことが可能だろう。"木を見て森を見ず"ではないけれど、結局視点の違いによって、見える姿は変わってしまうのだ。
この問題に対する解決方法のひとつは、自分の価値観は排除して、全ての視点からの見解を網羅し並列化することであろう。もしかすると客観性を重視するならば、これが最も科学的で研究的な態度なのかもしれない。とはいえ、自分自身が社会の構成要素のひとつであり、社会的文化的な背景を持って生きている以上、それらによって作り出される限界を超えられないと思うのだ。私がどんなに努力したところで、カメルーン出身の友人やバングラディッシュ人の友人と同じ発想を持つことは不可能なのである。これは単に個人差の問題なのかもしれないけれど、個人差の背景には文化や育ってきた社会があることは明らかであろう。社会科学の領域において、個人はどんなにあがいても自分自身の持つ価値観や主観からは逃げられないのではないだろうか。第二の解決方法としては、自分の拠って立つ視点を明確にすることである。つまり自分にとっての"社会福祉とその価値や対象は何か"を明らかにすることである。私にとってのそれは"最も困っているヒトを支える"という勤務先の法人の基本理念と一致しているのだけど、これはどんなに客観化しようとも不可能な、私にとってはまさしく"刷り込み"のような基本的な視点である。今春に修士論文を提出した時点では、このことについては自明のこととして何の疑いを持っていなかった。現在は、他の視点もあることを理解しているので、次にすべきことは見えている。実践だけでなく自分の研究においてもこの視点を選びたいのであれば、その理由付けを理論的背景を持って説明することが必要なのである。実験で追試できる自然科学系の論文と異なり、社会科学系の論文では、自分の思考の流れを相手が辿ることができるように、自分の考え方を相手が理解できるようにまとめることが重要なのである。当たり前のことかもしれないけれど、Göteborg Universityの各コースにおいてお互いの"way of thinking"を理解しあうことの重要性を強調されて、ようやくその大切さに気が付いたのである。
もうひとつ重要だと思っていることは、社会福祉について社会福祉の内部から考えるだけではなく、外側から考察する視点を持つことである。この件については、社会経済学をきちんと学んでみたいなと思っているけれども、おそらく残り半年間では時間が足りないと思うので、帰国後の課題にしたいと考えている。
勉強について唯一目に見える成果としては、英語の論文を読むことに抵抗がなくなったことである。現在は環境的に強制されているので嫌でも読まざるを得ないけれど、帰国後もせっかく身に付いた習慣を失わないように維持していかなくてはならない。英国のNab Cottageを離れて以来は正しい英会話を習っているわけではないので、英会話に関しては全く進歩がない。相変わらず、日々悔しい思いをしている。とはいえ、"語学力はなくても何とかなるものだなあ"という妙な開き直りが生じている。ただし、例えばお店のレジで並んでいて、後ろのスウェーデン人から英語で話しかけられたときに、その場の返答は何とかできても、それ以降の会話は続けられなくて残念な思いをするので、日本に帰国後も英会話の勉強は続けてもっともっとたくさん話せるようになりたいと思う。
最後に私的生活面に関して、最も重要な出来事は悲しいことで、母方の祖母が4月末に逝去したことである。祖母は文字通り私の人生の全局面において多大な影響を及ぼしており、おそらく祖母が異なった人生を歩んでいたのならば、私は現在スウェーデンの大学院で社会福祉を学んでいることはなかっただろう。元々一緒に住んでいなかったので、今でも祖母は自分の住まいにいるような気がすることがある。半面、いつも一緒にいるような気もする。くじけそうになったときには、祖母の昔話を思い出すし、祖母に胸を張って報告できるように頑張りたいと思っている。
今年は文字通り私の人生において激動の一年で、ちょうど10年前にウィルソン病で入院中に一時帰宅で迎えた年越を考えるとずいぶん遠くに来たなあと思う。文字通りの10年一区切りである。留学をして得た最大の財産は、Nab CottageとGöteborg Universityにおいて世界各国から集まった友人たちと知り合いになれたこと、さらにはこのサイトを通じてみなさんと知り合いになることができたことである。せっかく得ることのできた縁を失わないように、気をつけて育てていきたいと思っている。
半年間の留学生活は、正直なところ決して平坦で楽な日々ではなかったけれども、家族や友人たちに支えられて乗り切ることができた。自分はひとりではないのだ、多くの人々に支えられて日々を過ごしているのだと強く実感できたことは、自分の今後の人生において非常に重要な体験であろうと考えている。
20020629から今日までの187日間、ご愛読いただき、また多数のご意見やご感想をいただきありがとうございました。来年も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。……今日で終わりではありません(笑)
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20021230:nine-hundred and thirty-eighth day
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出国185日目。写真は今日の青空。
This picture is the blue sky taken near "IKEA" in this afternoon. Today, my friend and I went to IKEA in Göteborg by bus. My friend bought some souvenirs and I bought some tablewares at the winter sale.
今日は朝は雲が多かったけれど、午後から青空が垣間見えて寒い一日となった。無料広告新聞の"metro"の予報では-8度だったけれど、夜には-14度まで下がっていた。一昨日の雪がまだ白く綺麗なまま積もっているので、Kirunaを思い出す。ちなみに昨日の写真の中央に見える白い点は月である。書き忘れたので補足。
今日は友人の希望にて"IKEA"に行く。年末で休業しているのではないかと不安だったのだけど、バスにて到着すると大きく"rea"の文字。歳末大売出しの最中で、相変わらず結構な混雑だった。子ども用の玩具売場にて、20021023に来たときには見かけなかったおままごとセットを沢山売っている。これらの出来がかなり良くて、例えば食器セットなら大人用の普通のモノと全く同じデザインで単にサイズが小さいだけである。お玉やザル、卵をかきまぜる調理道具のセットも、フォークやスプーンなどのカテラトリーセットも、掃除用のモップも、食器乾燥用の棚も、工具セットも全て同様。"おもちゃ"ではなくて、実際に使用可能なのである。子ども用だからといって、変に子ども向けの絵柄がついていたり、安っぽくなっていないところが素晴らしいと感動。もちろん他のおもちゃ屋さんでは、長靴下のピッピの絵柄のおままごとセットなども売っているけれど。件のIKEA製のおままごと用の食器セットは色々と使用用途が考えられたので、思わず購入。
気が付いてみれば、出国後183日を過ぎており、半年を経過したことになる。帰りの航空券が1年オープンなので、延長しない限りは丁度半年以内には帰国する予定。今までは無我夢中で過ごしていたけれど、ここから先は残り半年で何ができるかを考えて、欲張りすぎて中途半端にならないように取り組まねばならない。それでも当面は休暇を堪能して、来年への活力を蓄えるのだ(笑)
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20021229:nine-hundred and thirty-seventh day
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出国184日目。写真は凍りついた"Torneälv"の上の雪原。
This picture is "Torneälv(the Torne river)" which was frozen and coverd with snow near Ice Hotel. It was snowing the whole of yesterday in Göteborg. In this afternoon, we went to see "Nötknäpparen(the Nutcracker)" in "Göteborgsoperan(Göteborg opera)" with my Japanese friends live in Stockholm. It was the first time for me to see a ballet since I was a student of high school. My Japanese friend and I enjoyed it very much.
写真の"Torneälv"はデンマーク領から流れてきている大河なのだけど、現在は雪原となっている。どこまでも続く広大な白い土地から大宇宙に広がるオーロラを見ることができたのは、つくづく幸運だったと思う。写真の中央に写っているのは、サウナ小屋で希望者は"Torneälv"の冷たい水に浸かった後、熱いお風呂に入り、サウナを堪能することができる。これがまさしく本式の北欧サウナである。Ice Hotelでも受け付けていたけれど、あまり希望者はいない様子で、私たちの知る限り利用しているヒトはいなかった。
諸般の経過を経た後に、以前からお世話になっているたろ〜氏に誘われて、今日の午後は"Göteborgsoperan"に"Nötknäpparen"つまり"くるみ割り人形"を見に行く。バレエを鑑賞するのは高校生時代の芸術鑑賞教室以来であり、その時にあまり楽しめなかった私はバレエに全く興味がなかった。ところが、今日の"くるみ割り人形"は子供向けに演出されていたためか、非常に楽しく美しい印象で、期待を3倍以上上回るほどに堪能してしまった。驚異の跳躍を目の前に見て、訓練された人間の身体は綺麗だなと思った。また台詞がないので、言語の問題を感じないで済むのも重要。さらに生のオーケストラの音楽が非常に素晴らしい。終了後にたろ〜氏に聞いたところでは、"Göteborgsoperan"のオーケストラはヨーロッパでも有数の評価を得ているとのこと。ちなみに値段はたったの300sekで、非常に手頃。日本ではオペラやバレエ、歌舞伎などは何でもチケット代が高いので敷居が高くなるけれど、ヨーロッパでは手軽に行かれるのだなあと実感した。また機会があったら行ってみたいと思っている。誘って下さったたろ〜氏に大感謝。
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20021228:nine-hundred and thirty-sixth day
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出国183日目。写真は"Icekyrkan"の祭壇。
This picture is the alter at "Icekyrkan(Ice church)" in Ice Hotel in Jukkasjärvi. If you want, you can have a wedding ceremony at this church. In this morning, the overnight train which we took arrived at Göteborg. After we came back to my flat, I washed our dirty cloths and went to shopping lots of foods.
写真の氷でできた教会はIce Hotelの一画にあり、祭壇や椅子から全てが氷でできている。20021225に見学したときには丁度礼拝が終了した後だったので、閑散としていた。氷でできた窓には透かし模様が彫られており、光が入ってくるのが美しかった。
今日の正午少し過ぎに、夜行列車はGöteborgの中央駅に無事到着した。定刻から30分遅かったものの行きのような大幅な遅れではなく、ほっとした。今朝目を覚ましたときにはまだ雪景色が見られたのだけど、気が付くといつのまにか雪のない光景が広がっていた。Kirunaでも極寒を感じたのは2日目の20021225だけだったけれど、Göteborgに帰ってきて"やはりKirunaは寒かったのだなあ"と思い起こした。久しぶりの路面電車に懐かしく乗り帰宅後、大量の洗濯を済まし、食糧の買出しに出かける。すると雪が降り始めている。夜半過ぎまで降り続いたので、気が付くとかなり積もっている。
Ice Hotelでは接続が確立できず、ダイアルアップでの日記の更新ができなかったので帰宅後に一気に更新。hyper terminalでの接続を試みたり、ケーブルを変えて試みても駄目だったので、諦めるしかなかったのだ。日本を出国以来、回線と時間がある場合には必ず接続する方法を何とか見つけてきたのに悔しい。
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20021227:nine-hundred and thirty-fifth day
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出国182日目。写真は"Kirunakyrkan"の様子。
This picture is "Kirunakyrkan(Kiruna church)" in Kiruna. In this mortning, I took a sauna in Ice Hotel and saw snowing through windows of the sauna. After we checked out, we went to sightseeing the town of Kiruna. It is a small town but bigger than Jukkasjärvi. We bought some food and took the overnight train to Göteborg with lots of fantastic memories.
今日も昨日に引き続き朝から雪が降っており、朝食前に初めてIce Hotelのサウナに入りながら窓から雪を眺めていた。穏やかに過ぎていく時間。朝食後早々にチェックアウトをし、タクシーでKirunaの駅に行き荷物をコインロッカーに入れて、少し観光をする。ガイドブックによると市庁舎の建物は"1963年に建造され、当時のスウェーデンで最も美しい建築物のひとつとされた"とあるので楽しみにしていたのだけど、屋上に立つ鐘の塔以外はさほど特別とは思えなかった。外観のみを見たので、内装を見るとまた別の感想を持つのかもしれない。
昨晩カードを書いた時に貼った切手を何気なく見ていたら、"Kirunakyrkan"とある。スウェーデンから日本宛のカードは普段10sekだけど、クリスマスカード用には特別に8sekに値下がりし、専用の切手が毎年異なる絵柄で発売される。この特別措置は20030106まで有効であり、以降は普通の8sek切手として使用することができる。今年の題材はスウェーデン各地の教会で、そのうちのひとつがkirunaにある教会だったのだ。せっかく近くにいることだからと見に行くと、中では礼拝の最中。厳粛な時間に立ち入るのは嫌だったので、ここもまた外見だけを見て撤退。Laplandに元々住む民族であるサーメ人のテントを模したという赤い色の三角屋根の教会は、真っ白の雪に映えて美しかった。
帰りの夜行列車は2度目だったこともあり、何も困ることなく余裕を持って過ごすことができた。Kirunaの街で買い込んだ食糧をつまみつつ、のんびりと帰路を楽しむ。雪は弱まったり、止んだりしつつも、晴れることはなかったので、あの美しい夕焼けを見ることができなかったのは少々残念。
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20021226:nine-hundred and thirty-fourth day
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出国181日目。写真は犬ぞりの様子。
This picture is the dog sled which I rode on. Today, it was snowing the whole day. We had the booking for a dog sled adventure in this afternoon. I have tried it in Finland last winter. At that time, we could run the sled by ourselves and it was really fun. However, in this time, we must just sit on the sled the whole way. Actually, I felt disappointed with this way, but my friend had fun and then I was relieved. We did not have clear sky at all so that the northern lights could not be seen.
今日は朝から雪が降っており、終日降り続いた。夜になっても止まなかったので、結局オーロラを見ることは出来なかった。それでも3泊中2夜連続で非常に素晴らしい天空の光の芸術を見ることが出来たので、大満足。そしてまたいつか機会があったら何度でも再会したいと思ってしまうのだ。
今日の午後は犬ぞりに参加。去年の2月にフィンランドで体験したときは自分で手綱を持ち操縦することができたのだけど、今回のは4人乗りのそりに座っているだけだったので、少々落胆。おそらくKirunaの街のアクティビティ会社の犬ぞりは自分で操縦するコースもあることは分かっていたのだけど、移動のことを考えてIce Hotelの付属の会社を利用したのが敗因だろう。それでも雪原をハスキー犬に曳かれて走るのは楽しいし、特に初体験の友人は喜んでいたので良かった。
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20021225:nine-hundred and thirty-third day
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出国180日目。写真はIce Hotelの入口。
This picture is the entrance of Ice Hotel. It costs 100sek only to entre into Ice Hotel, however it is free for those who stay in all accommodation of Ice Hotel and the cabins. In this afternoon, my friend and I went to see the insides of Ice Hotel. There are more rooms than we expected, all rooms have beds made of ice and many rooms have very fantastic sculptures. We were glad to see them but we did not like to stay there. I have heard from a Japanese woman who stayed there that she could not sleep at all because of freezing. At the night, we could meet the huge and excellent northern lights again.
通常、Ice Hotelを見学するためには100sekの入場料が必要なのだけど、キャビンの宿泊客にはシールが渡されており無料で何度でも立ち入ることができる。せっかくなので見学に行く。かまくらのように一部屋ずつ分離しているのかと思っていたら、文字通りホテルのようになっており、予想よりも広く沢山の部屋があった。全室に氷でできたベッドが置いてあり、小さい部屋には小さな氷の彫刻が飾られているだけだけど、中にはとても大きな手の込んだ美しい氷の像がいくつも飾られている部屋もあり、またそれぞれの像は全て異なるので見ていて楽しいし、一見の価値はあると思う。ただし個人的にはあまり泊まりたいとは思わないし、実際に宿泊した日本人女性に偶然出会って話をしたところやはり寒くて眠れなかったとのことである。
この日は非常に冷え込みが厳しく、昨日は感じなかった北極圏の寒さを見事に体感することになった。さすがに−30度以下まで下がると、防寒着を完璧にしない限り寒さがしんしんと身体に染み込んでくる。夕方食料の買出しと散歩を兼ねて30分程度近隣を歩いたときに、予想通り顔と手と足が特に寒いことが判明したので、防寒対策をさらに強化して、オーロラ観測へ向かう。キャビンを1歩出たところから、昨日と同様に天の川のような乳白色のような帯がゆらゆらと動きながら天空を覆っている。日中のうちに、キャビンから数分の地点に全天を見渡すことができ、さらに明かりがなく真っ暗な場所を確認しておいたので、その地点へ向かう。そこはTorneälvという河が凍りついて雪原となっている場所である。動きと明るさは昨夜の方が見事だったけれども、規模的には今夜の方が大きなオーロラを見ることができた。天頂を頂点としたオーロラのカーテンが振り降りてきていたので、どこを見ていたらいいのか分からないという贅沢な悩み。暖をとるための休憩を挟んで計2時間以上眺めた後も、瞬間瞬間で姿を変えるオーロラを見飽きることはなかったけれど、風邪をひいては元も子もないので、後ろ髪をひかれつつ撤収する。明夜も再会出来ることを祈りながら。
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20021224:nine-hundred and thirty-second day
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出国179日目。写真は世界の車窓から@Göteborg-Kiruna間の夜行列車。
This picture is the sunset taken from the window of the overnight train to Kiruna from Göteborg. After 2 hours delay, the train finally arrived at Kiruna at 16:00. We took the hotel bus to our cabin vid Ice Hotel in Jukkasjärvi and I could see the northen lights in the bus. About 18:00, the wide northen lights coverd the sky like the Milky Way, but it was green and waving like the curtains of lights. My friend and I was very very impressed.
昨夕17:00にGöteborgを出発し、生まれて初めて乗る夜行列車で夜を明かし、乗り換えを経た後に定刻より2時間遅れにてKirunaの駅に到着する。昨日に続いて晴天に恵まれたので、車中にて北極圏では地平線をかするように太陽が昇り沈んでいくことを実感。また写真のような美しい夕焼けを見ることができた。Kirunaの市内では車がないとオーロラを見るために暗い場所へ移動するのが難しいと予測したため、少し離れた村(?)であるJukkasjärviにあるIce Hotelに付属しているキャビンに宿を予約していた。満天の星空だったので"オーロラが期待できるかな"と内心わくわくしながらホテルからの迎えのバスに乗り窓から外を眺めていると、いきなり山の稜線に従って緑色の独特の光が見えてくる。同行の友人に伝えるも向きが悪くて見えなかった様子で、ひとり大喜び。
清潔でこじんまりしたキャビンにチェックインし、無料レンタル可能という防寒服を借りた後に、夕食のために外に出ると、乳白色の巨大なオーロラが全天を横切っている。それほど激しく動いていないので同行者は感動が薄い。夕食の後、持参分とレンタル分の防寒服にて装備を固めて観測地点を探そうと道路に出ると、今までに見たこともないような深く濃い緑色の動くオーロラに遭遇。後にスタッフのヒトに聞いたところによると、この夜と前夜は今季最高の見事なオーロラを見ることができた大当たりの日だったとのこと。時に大きく広がりぼやけながらも、時に急速に光を強め、時にコンマ0秒以下の素早さで姿を変えていくオーロラを見ているうちに、いつしか友人も感嘆の声をあげるようになっていた。
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20021223:nine-hundred and thirty-first day
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出国178日目。写真は"Liseberg"のクリスマス用ミニ動物園のブタ。
This picture is the pigs in the mini zoo for the Christmas in "Liseberg". In this evening, my Japananese fried and I took the overnight train to Kiruna in Lapland. Now, I am writing this diary in a sleeping car of the train.It has left Göteborg at 17:00 and will arrive at Kiruna at 14:10 tomorrow. It is easy to go by plane even via Stockholm, however, a journey by train always gives me a feeling of holiday.
昨日出かけた"Liseberg"内にはヤギやブタなどクリスマスに縁の動物ばかりを集めた小さな小さな動物園が設置されていた。20021217に書いたようにヤギは"tomte"の乗り物のためである。ブタについては、クリスマス用カードにサンタクロースと共に描かれていたり、ブタをモチーフとした装飾を多数見かけたりしていて疑問だったのだけど20021213のLuciaのパーティで先生に尋ねたところ、クリスマスに新鮮なブタを殺して食すのが伝統であるために、ブタはクリスマスの動物なのだそうだ。さすがに市内でブタを自ら絞めて調理する家庭は少ないと思うけど、確かにスーパーマーケットの生鮮売場においてブタ肉が占める面積は広くなっているように思う。
留学期間中唯一の長期休暇であり、友人もいるので、どこかへ出かけようと考えた末に、Kirunaへ行くことに決めていた。格安バスツアーが出ているParisやフェリーで行かれるKielなども考えたのだけど、観光地的な土地よりも自然を見に行きたいと思ったのだ。Kirunaは Laplandと呼ばれるスウェーデンの最北端の地方にあり、北極圏内である。零下30度を体感し、犬ぞりで遊ぶだけでも行く価値はあるけれど、できることならば天候に恵まれ、オーロラが見られるといいなと願っている。
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20021222:nine-hundred and thirtieth day
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出国177日目。写真は"Liseberg"の巨大ツリーの内側からの様子。
This picture is the huge Christmas tree in "Liseberg". In this evening, my Japananese fried and I went to "Liseberg". It is the wider amusement park than I expected. We enjoyed seeing the Christmas decorations, buying some Christmas card, eating junk food and riding the roller coaster. It was -8 degree and we felt very cold but it was really happy time.
今日は夕方から友人とともに"Liseberg"に出かける。本当は先週来る予定だった友人と行く予定にしていたのだけど、彼女が高熱のためキャンセルになってしまったので、今回来てくれた友人を誘う。写真は巨大な展望台に飾られた電飾で、20021201の写真後方に写っているクリスマスツリーの背面から撮影したもの。Copenhagenにある"Tivoli"よりもは小さいと感じたけど、園内は予想外に広くて、吃驚。
今夜は零下8度とかなり冷え込んだ。最近数日間は2度くらいの日々が続いていたので、比較して非常に寒く感じる。昨日は凍っていなかった市内を流れるGöat Älvの支流も再び凍結。"Liseberg"内の随所におかれた暖炉(?)に手をかざしたり、お店などに入って暖をとりつつ、園内を一周する。家族連れや老夫婦、友達同士、恋人たちなど実に幅広い年齢層のお客さんで賑わっており、"Liseberg"が市民に如何に親しまれているかを感じさせた。夕方だったので、乗り物類はほとんど終わっていたけれど、いくつか営業していたモノに挑戦。実はジェットコースターの類が大好きなので、久しぶりに堪能する。勉強や仕事など"やらねばならぬコト"を一切思い出さずに、のほほんと楽しんだ一日であった。乗り物に乗らなければ、入園料は40sekだけなので、日本の大規模遊園地で遊ぶことを考えると安いと思うのだ。
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20021221:nine-hundred and twenty-ninth day
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出国176日目。写真は"Landvetter Airport"のクリスマスツリー。
This picture is the Christmas tree in "Landvetter Airport" in Göteborg. In this evening, my fried arrived at Landvetter Airport and I went there to pick up.
今日は日本から旧友が到着することになっていたので、空港まで迎えに行く。さすがにクリスマス休暇なので、20021112に知人を迎えに来たときと比べて、迎えに来ている人数が多い。大混雑。
"hotwird Japan"における稲葉振一郎先生の"地図と磁石"を再読。前回のコースである"Welfare States"論では、"平等"は福祉国家の"価値"として自明のこととされていたけれど、そこで言われている"平等"とは何なのかがずっと気になっている。クリスマス休暇中に少し整理してみるために、とりあえずWilliam Robson"福祉国家と福祉社会 幻想と現実"(1980,東京大学出版会)を読み始める。自明のことが自明でなくなると、疑問が次々沸いてきてキリがなくなるのだ。
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20021220:nine-hundred and twenty-eighth day
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出国175日目。写真はとあるカフェの店頭の装飾。
This picture is the window displays of the cafe. Today, I got up at noon and went to shopping. The Christmas sale has been started in many shops. I bought some cloths and the gift for my friend who will come tomorrow from Japan.
今日は正午頃まで惰眠を貪り、午後から買い物に出かける。既にセールが始まっており、"Nordstan"などはものすごい混雑だった。毎年この時期に買い物に出かけていた新宿の伊勢丹なども同じような状況なのかなと思い出しつつ混雑の中を歩いていると、度々他のヒトにぶつかってしまう。とりわけ早足で歩いているわけではなかったので疑問に感じていると、要するに前をヒトが横切ったりする場合につい譲ろうとして速度を落としたり立ち止まったりすると、後ろや横から追突されるということだった。でも譲らないと、今度は前を横切るヒトにぶつかりそうになるので、どうしたら良いものなのか困ってしまう。
帰り道の路面電車にて土居健郎"「甘え」の構造(新装版)"(2001,弘文堂)を読了。中断期間をはさんだので、読み通すのに時間がかかった。個人的に印象的だったのは第1章の
"「甘え」の着想"の部分で、第2章以降は読み進めていくうちに"何もそんなになんでもかんでも「甘え」という概念で説明しようとしなくてもいいいのではないだろうか?"という疑問が沸いてきてしまった。……と思っていたら、第5章の冒頭にて"もっとも著者はなんでもかんでも「甘え」で説明して得々としているのではない"(p.221)という一文があり、土居氏自身もそういう風に自問することがあったことが伺われる。多少の違和感を感じる箇所はあるけれど、20021030に書いたような内省を行うためにも、日本社会の問題点を考える上でも、土井氏の「甘え」の概念を知ることができたのは有意義である。やはり次は中根千枝"タテ社会の人間関係−単一社会の理論"(1977,講談社現代新書)を読むべきかな。土居(2001)には夏目漱石の小説が度々引用されており、日本の近代を考えるためには漱石の小説を読むことが重要なのではないかと改めて気づいた。私自身の"自分−他人"関係に関する考え方は高校時代に読んだ夏目漱石の"私の個人主義"から大きな影響を受けているのだけど、漱石の小説に関しては当時の私は筋を追うだけにとどまってしまった覚えがあるので、是非再読してみたいと思っている。
帰宅後、夕食を食べながら知人から借りたBertrand Puard"夜の音楽"(2002,集英社文庫)を読み始める。予想外に引き込まれたため、食事終了後も読み続けて、一気に読了。何を書いてもネタバレになりそうなので、感想はひとつだけ。実は私、最後に殺されるのは別のヒトだと思っていたのであった。以上(笑)
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20021219:nine-hundred and twenty-seventh day
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出国174日目。写真はお菓子で作られたサンタクロースのおうち。
This picture is the window displays of the bakery in Haga. Today, we had the last class in this year and we had to present our analysis of the research field work. After the class, we had a tea party in the class room. I feel so relieved now.
今日は年内最後の授業があり、予定通り先日行った予備調査の実習の分析結果の発表を行った。私たちのグループは設問数は先生から支持された最低限に留めたけれども、分析は全設問について行った。なぜならいくら予備調査であっても、そうでなければ調査する意味がないと思ったからだ。ところが、他のグループは設問数はやたらに多い一方で結果の提示を一部しか行っていない。その上、対象の総数が12〜15人程度なので元々明らかな傾向など見るのは困難なのだけど、総体が少ない場合にはグラフ上では1人差が大きな違いとして描かれるので、そのグラフを根拠として"赫々云々の特徴がある"と断言されてしまうと、"何だかなあ"と腑に落ちない気持ち。これまでのコースの討論においては、やたらに厳密な意見を発していた同級生がそのような態度をとっていたので、何故調査についてはその厳密さが発揮されないのかが非常に疑問であった。授業終了後にグループ内で一緒に調査のことについて話し合ってきた中国人の友人とその問題を話していたら、やはり彼女のも同じように感じていたことが判明した。今回の発表については、他のグループの調査課題と質問項目と分析結果について批判的に短いレポートをまとめることが課されているのだけど、中国人の友人との話し合いで書く内容を整理することができた。
明日から20030112までは待ちに待ったクリスマス休暇。とはいえ0113にはすぐにレポートの提出と発表が待っているので、気は抜けないけれども。明日の朝一番の飛行機で里帰りをするラトビア人の友人に声をかけられ"日本のお金でコインを持っていたらもらえないか?"とのこと。"何故日本円?"と尋ねると、お土産にするために同級生全員に頼んでいるのだそうだ。もちろん了承して、取りに来るのを待っていたのだけど、全然来ない。同じアパート内に住んでいるので、訪ねに行っても留守。夜中や明け方に来られても困るので、封筒に入れてドアに貼り付けておく。さて彼女は孔のあいた5円玉と50円玉を見てどう思うのかな(笑)
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20021218:nine-hundred and twenty-sixth day
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出国173日目。写真はHagaにある"Marimekko"の店頭。
This picture is the window displays of a shop of "Marimekko" in Haga. Today, we had
the group meeting for the presentation of our research field work the whole day. I slept for 5 hours lasnight and so I feel tired after that.
明日は年内最後の授業で、先日行った予備調査に関するグループ発表が予定されている。それは今回のコースの試験の一環でもあるので、それなりに緊張する。今日は明日に向けてのグループ討論を終日行った。20021216に行ったグループ討論では、
結果の統計的なまとめは行えたが、2項目は含めることが条件とされていた自由記述方式の回答の分析や発表の形式については、話し合うことができなかった。担当である男性の先生からも"できれば表や図などを活用するように"と言われていたし、統計的な分析について表や図を使わずにどのように発表できるのか見当もつかないので、今日の討論の資料にするためにも自発的に作成することにした。
ということで昨夜は24:00から作業を開始して一応終了したのが27:00だったので、今日は眠い一日。自分で考えても何だか愚かなことをしているような気がするけど、それは同時に発表において自分の語学力のなさの大きな助けになる。結果的には、グループのみんなも喜んでくれたし、先生も吃驚していたので嬉しかった。グループのみんながOHP用のフィルム代を割り勘にするというので、勝手に自分で始めたことだし"別にいらないよ〜"と言ったら、クリスマス用のジンジャービスケットである"pepparkakkor"を差し入れてくれることになった。
意外だったのは先生も含めて"excel"の使い方を知らないということで、社会調査分析ソフトの"spss"を使えるという中国人の友人でさえ全く使ったことがないという。ヨルダン人の友人が"今度みんなでシノに習おう!!"というので、"別に構わないよ"と答えたものの、教えること自体は構わなくても、それを英語で行わなくてはならないというのが難しいところ。その点について率直に話したら"ああ。そうしたらシノには英語の勉強になるからいいじゃない?"と言われてしまった。なるほど(笑)
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20021217:nine-hundred and twenty-fifth day
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出国172日目。写真はとある雑貨屋さんの店頭。
This picture is the window displays of a shop in Göteborg. Today, we had no class. I stayed in my flat the whole day and struggled to make "The Guide to enjoy your days in Göteborg". Sorry, it is only in Japanese.
写真は少し分かりづらいけれど、20021210の写真と同じくヤギを模したクリスマスの装飾。先日判明したところによると、これはヤギだったのだ。何でもスウェーデンの伝統的なサンタクロースはヤギに乗ってくるのだそうである。便宜的にサンタクロースといっているけれど、サンタクロースというのはとある特定の人物像であり、スウェーデンの"サンタクロース"は"tomte"と呼ばれる妖精というか小人たちである。hostfatherから聞いたところによると、クリスマスの日にお粥をあげないと、翌年は不作の年になるといういわれがある。何故スウェーデンのクリスマスカードにはお粥が描かれているのかが疑問だったので、ここで納得したのであった。
手元にある"Norsedts Engelska Fickordbok"という小型の英瑞瑞英辞典によると、"tomte"の項には"hustomte=brownie"、"jultomte=Father Christmas"とあるので、"サンタクロース"のことは特に分けて"jultomte"と呼ぶのかもしれない。赤いとんがり帽子を被った地上に住む小人といえば思い出すのは"gnome"のことで、昔はサンリオから発売されている"ノーム"と続編の"秘密のノーム"をほぼ丸暗記するほどに愛読していた。amazon.co.jpには邦訳がなかったので、原書のWil Huygen "Gnomes"にリンクしておく。確か"秘密のノーム"の方だったか、"森に住むノームは松ぼっくりの羽で家の屋根を作る"というような記述があり、地元の公園に落ちている小さな松ぼっくりしか知らなかった私は、ノームの身体の大きさを考慮しても、どのようにそれを可能にするのだろうと不思議に思っていたのだけど、スウェーデンの森に落ちている松ぼっくりはこぶしよりも大きいモノもあるので、合点がいったのであった。
今日は授業がなかったけれど、別に"tomte"に思いを馳せていたわけではなく、週末に引き続き終日自室にて件の"生活ガイド"と格闘。シェアウェアのPDF作成ソフトであるpdfFactory proの余白初期値がおかしくて原因究明に苦闘したり、ベクターの支払いシステムがなかなか上手く認識してくれなかったりと、細々トラブルが多発した果てに、ようやく公開まで辿り着いたのでほっとする。"pdfFactory pro"は最初のトラブル以降は問題なく動作してくれるし、気軽にPDF文書を作成できるのは素晴らしい。ただしメモリをかなり使うらしく、処理中に他の作業を行うと画面描写が数分遅くなる。それでもOSごと強制終了しないのは、やはりWindows xpの改善点なのかな。
完成した"イェーテボリ快適生活ガイド"のページには各ページの左側メニューの"sweden"からもリンクしているけれど、コチラである。本文のpdfファイルはコレ(397KB)。 当初の予定よりもかなり中途半端なモノになってしまったけれど、現在把握している有用情報は全て含めたつもりなので、興味のある方はお目通しいただければ幸い。配布も引用もちろん自由にしていただいて構わないけれど、このガイドによって不都合や不利益を被った場合の責任は一切負わないので、その点だけはご了承いただきたい。ちなみに冒頭の文章の"ご挨拶とか言訳とか、そのようなもの"というふざけたタイトルは、20021210に書いたPaul Krugman"クルーグマン教授の経済学入門"(1998,メディアワークス)巻末の山形浩生氏による"あとがきと解説とか、そんなもの"を拝借した。自己満足(笑)
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20021216:nine-hundred and twenty-fourth day
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出国171日目。写真はとある建物の中で見かけたクリスマスの装飾。
This picture is the Christmas ornament in the house in Göteborg. Today, we had the class the whole day. In this morning, we had the class about qualitative research analysis and in this afternoon, we had our group discussion about the results of our own interviews.
今日の午前中は、質的調査の分析についての講義があった。男性の先生曰く、調査の分析("analysis")というのは2つに分けられる。1つには自然科学と同様に"分析素材に深く入り込んで、主にそれは何によって構成されているのか"を考えること。2つめは、"それぞれの素材がどのように関係しているのか"について考えること。言うまでもなく、質的調査における分析とは後者が中心になる。
午後は自分たちでインタビューを行った予備調査の結果をまとめるグループ討論。私たちのグループは全員インタビューを終えていたので、すぐに結果の集計に入れたのだけど、中にはその時間にインタビューを行っている同級生もいて吃驚。
20021202に書いたように男性の先生は博士課程に在籍中なので授業の際の説明にも自分の論文における調査方法論を例として出してくれるのだけど、彼の論文のテーマは"男性同性愛者の性行為とHIVについて"なので、グループ討論の間の雑談における話題として、その問題が取り上げられることが多い。そのような流れから、男性の同級生の1人が同性愛者であり、違う都市に恋人がいるという噂が提示された。真偽の程は不明なのだけど、そのことに対するグループ内の反応が非常に面白かった。
私自身は同性愛者ではないけれど、かつて友人からカミングアウトを受けたときも全く気にしなかったし、今後もそれは同じだと思う。一方、フィリピン人と中国人の友人は"何で同性を恋愛感情の対象としてみることができるのか、自分には理解できない"と非常に困惑した様子。ちなみにフィリピンでは、以前はタブーだったけれども最近は徐々に社会に受け入れられているとのこと。中国ではまだタブーの模様。ラトビア人の友人は"彼はなかなか格好の良い男のコなのに、もったいない"と笑う。そして、ヨルダン出身のスウェーデン在住歴の長い友人は、"ヨルダンではゲイを気持ち悪い、と思ったとおりに言うことができる。でもスウェーデンではそのようなことを口にすると自分が裁判にかけられてしまう。自分の感じたことも自由に話せないで、どこが自由の国だと言うのだろう"と憤慨していた。ちなみにイスラム教圏では同性愛者は完全なタブーであり、万が一明らかになった場合には社会からはずされるのだそうである。
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20021215:nine-hundred and twenty-third day
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出国170日目。写真はGöteborgの中央駅前のクリスマスツリーの様子。
This picture is the Christmas tree in front of Central Station in Göteborg. Today, I stay in my flat almost the whole
day and wrote "The Guide to enjoy your days in Göteborg".
今週末に日本から遊びに来る予定だった友人が残念なことに高熱で来られなくなったので、数ヶ月前から少しずつ作成していた生活ガイドを年内に完成させるべく、昨日からほぼ終日自室に篭って作業をしている。当初の予定では、例えばお店などには全て正確な住所と連絡先を明記するなど、詳細まで完成させた状態で公開する目論見だったのだけど、そのためにはまだまだ時間がかかるので、未完成な状態でもとりあえず公開することに方針を変更。細部にこだわりたい、ある意味での完璧主義は介護保険の請求業務には有効だと思うけど、時々自分自身の欠陥ではないかと思うことがある。
まだ書いていない項目もあるし、スウェーデン語併記の統一性やインテンド幅などの細部に気になるところは残しつつも、一応原稿は完成まで後一歩まで辿り着いた。とりあえず暫定公開に向けての作業に入ろうと、フリーのpdf作成ソフトであるGhostscriptと格闘するも、どうしてもうまく動かない。以前にもNT4.0server機とWindos98機で挑戦して失敗しているので、きっと何か方法を間違えているのだろうとは思うけど、追求している余裕がない。明日以降に今度はシェアウェアのソフトに挑戦してみる予定。
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20021214:nine-hundred and twenty-second day
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出国169日目。写真は"julbord(クリスマスの食卓)"の光景。
This picture is "julbord(Christmas table)" at Torun's home. Last night, I had a very bad nightmare two hours after I got asleep. I got up with screeming and could not sleep anymore. Now, I feel exhausted.
昨日の日記に書いた"Lucia"について、掲示板にてserow225氏から、補足のコメントを頂く。感謝。実は昨日、"Lucia"の行列の正式名称について調べたけれども見つけらなくて明記できなかったのだけれど、serow225氏によると"Lucia Tåg(ルシアの列車)"というのだそうだ。なるほど、スウェーデン人の同級生が英語で何と表現していたのかはっきり聞き取れなかったのだけど、"Lucia Train"と言っていたのかと理解。しかも私は夜に行われる慣わしと思っていたのだけど、早朝に行われるのが正式とのこと。人数についても、スウェーデン人の同級生は"正式には8人"と説明してくれたと理解しているけど、学校などで行う場合には人数は柔軟になるのだそうである。
20021207に書いた"現在はクリスマス前で華やかな街は終了後にはどうなってしまうのだろう"という疑問については、同じく掲示板にてミカ氏から"クリスマスの後には、セールで華やかになる"と教えていただいた。感謝。私が到着した8月には夏のセールをしていたし、つい最近までは秋のセール、そして冬のセールが来るのなら、確かにセール以外の時期に買い物をするのは得策ではないと改めて実感した次第。ちなみにスウェーデン語でセールは"rea"というけれど、"rea 70%"と表示されている場合、日本の感覚で"7割掛"つまり"30%安"として計算してしまうのだけど、実は"70%安"つまり"3割掛"を意味している。未だに慣れないので、"7割掛"でお買得と思って、会計のときにさらに得した気持ちになることが度々あるのだ(笑)
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20021213:nine-hundred and twenty-first day
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出国168日目。写真はprogramme cordinatorの自宅で行われた"Lucia"の様子。
This picture is "Lucia" in our programme cordinator's house. In this early morning, my group had the group discussion as the exsamination. After that, I interviewed three foreign student in Art study as my assigment of the reserch field work. In this evening, our programme cordinator called Torun invited all of us to her home, because today is "Lucia day" and some Swedish student will go abroad tomorrow in order to do their field study for the degree paper. In Sweden, every 13 December is called "Lucia day" and they celebrate St.Lucia who is the saint of lights. So, "Lucia day" means the celebration of lights during such a dark and long winter in Sweden.
スウェーデン(北欧全体?)では毎年12月13日は"Lucia"という特別な日である。元々はイタリアの聖人であるSt.Luciaを祀る日であり、St.Luciaは光の聖人であるために、長く暗い北欧の冬の間の光に満ちた1日ということで非常に重要な意味を持つ。地区や学校ごとに選ばれた8人の女のコは同じ真っ白の衣装に赤いサッシュを腰にしめて、先頭の女のコは頭に5本程度のロウソクを飾り、他の7人は手にロウソクを持つ。最後尾は三角の長い帽子を被った男の子が務める。そしてSt.Luciaを讃える聖歌を歌いながら家々をまわるのだ(というのが私の理解)。
私が在籍するInternational Master of Science in Social Workの課程全体の責任者(programme coordinator)であるTorun Österbergが外国からの留学生である私たちに"Lucia"を体験させようという配慮と、来月からの春期にはスウェーデン人の同級生4人は海外での実習と学位論文執筆が課されており、明日出発する同級生がいるので最後に半年間のお別れをするという意図により、今日の夕方、自宅でのパーティに招待してくれたのだ。宴もたけなわという頃合で、近所に住んでいるTorunの友人たちが"Lucia"の行列の扮装をして訪れてくれたのが写真の様子。基本的には人物の写真は掲載しない方針なのだけど、今日だけは特別。
実はスウェーデン人の知人から、昨夜行われる予定の子どもたちが屋外で行う正式(?)の"Lucia"を見に来ないかと誘われていたのだけど、何せ今日は朝早くから試験だったので、とても行きたかったけれど叶わなかった。また昨夜は"Liseberg"においてもGöteborgを代表する今年の"Lucia"の乙女を決めるコンテスト(?)があったらしいのだけど、これも行かれず。テレビもないから、今朝放映されたという各地の"Lucia"の様子を見ることもできず。というような事情で、せっかくこの時期にスウェーデンに住んでいても、名高い"Lucia"の実際の様子を見ることはできないのかと心中密かに嘆いていたので、今日のパーティでの思わぬ飛び入りはとってもとっても嬉しかった。説明をしてくれた写真左側(行列先頭)の女性は"私たちが乙女かどうかはともかく、最後尾の男のコは本当はこんなに太っててはいけないのよ"と笑わせてくれた。
Torunは、2歳の小さなとても可愛い女のコとダンナさんとの3人で郊外にある1軒家の2階に住んでいる。食事のときに、誰かが"1軒の家に2家族が住むなんて珍しいよね?"と彼女に尋ねたところ、"もともとは1970年代に娘と同居するためにと造られた2世代住宅だから"という返事。1軒の家に2家族が住むこと自体はスウェーデンでは時々聞くけど、双方の自立心が強く親と子が別居することが当然のこの国では子どもと同居するための2世代住宅というのは珍しいような気がする。それとも現在は他人同士で住んでいる住宅の多くは元々親子2世代住宅なのだろうか。
怒涛の2週間が過ぎ、今朝早くに今回のコースの第1回目の試験も無事に終了し、20021216までの課題の調査実習としてのインタビューの自分担当分は済ませることができた上に、その調査ではほぼ期待(調査仮説)通りの結果を出ているので、久しぶりの心からの解放感。さらにはケータリングとはいえ、正式の"julbord(Christmas table)"と呼ばれる伝統的なスウェーデンのクリスマス用のお料理と飲物各種、さらにはスウェーデン語の歌を聴いたり、みんなで持ち寄ったプレゼントを交換しあったり、たくさん話して笑って、過ぎていくのが名残惜しくなるくらい楽しい時間だった。ただ、明日旅立つスウェーデン人の同級生と再会するのは来年の6月の最終試験のときだし、他の3人のスウェーデン人の同級生も順次旅立つ予定なので、それを考えると無性に寂しくなる。同時に、それは私自身がスウェーデンでの勉強を終えて、日本に帰らざるをえない日が近づいているということなのだ。
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20021212:nine-hundred and twentieth day
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出国167日目。写真は"Nordstan"の中のクリスマスの装飾。
This picture is the Christmas decoration in "Nordstan" that is the biggest shopping mall in Göteborg. Today, we had no class and I studied in my flat the whole day. In this evening, my colleagues and I had the meeting for our field work of research again.
今日は終日自室にて明日の試験のための勉強。Nigel Gilbert ed."Researching Social Life"(1993, sage publication)とRobert K.Yin "Case Study Research: Design and Methods"(1994, sage publication)及びC. Hagquist"Youth uneployment, economic deprivation and suicide" (1998, in "Scandinavian journal of social welfare")などと格闘。
今回の試験は、Gilbert(1993)について課された21項目の質問については個人で解答を用意し、Yin(1994)について課された8項目の質問についてはグループ内で分担した上で解答を用意し、Hagquist(1998)については用いられている調査方法論や調査課題と結論の対応などについてグループでの考察を加えるという内容。それを明日のグループごとに割り振られた時間において、討論することになっている。
ところが夕方のグループでの最終打合せの際に、Yin(1994)に対して出されている課題のうちのいくつかが第2版のテキストにしか掲載されていないということが発覚し、大騒ぎになる。私も含めて多くの同級生が持っているのは教授から借りてコピーした第1版で、フィリピン人の友人が図書館から借りた第2版と掲載されている図版が異なることから、両版の内容がかなり異なっていることが判明。私が担当することになっている質問については、手持ちの第1版に答えが見つけられたので良かったのだけど、運が悪かった中国人の友人は大大大激怒。グループ一同でなだめるのが一苦労なほどだった。"中国人は物静かだよ〜"というのが彼女の持論で、私はその度に内心"そうかなぁ"と思っていたのだけど、今回の一幕で私の内心の反論が立証されたことになるかな。
今日は月が綺麗な夜で、路面電車から中空にぽっかりと浮かぶ青白い半月を見ていると何だか安倍仲麿のような気持ちになってくる。"多摩丘陵に出でし月かも"などとつぶやいてみたり(笑)
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20021211:nine-hundred and nineteenth day
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出国166日目。写真はとある茶葉屋さんの店頭。
This picture is the window displays of a tee leaf shop. Today, we had no class and I studied in my flat the whole day. In this evening,my colleagues and I had the meeting for our field work of research in the shared kitchen of our house.
市内にはカフェもたくさんあるけれど、お茶の葉を各種売っているお店も多い。いわゆる紅茶の葉各種だけではなくて、フレーバーティとでも言えば良いのか、お花や果物が入っているお茶や中国茶、日本茶も見掛ける。しかも計り売りをしてくれるので、色々な種類を少しずつ楽しむこともできる。"sleeping tea"というのもあり、寝つきの悪い私は気になっているのだけど、これが"眠れない時"用なのか"眠くて仕方がない時に目覚める"用なのかが分からないのだ。先日は"ujicha"とラベルに書いてある瓶を見つけ、吃驚(笑)
昨日書いたPaul Krugmanの"肉体労働の復権"について、掲示板にて稲葉振一郎先生から"ホワイトカラー真っ青"という文章を教えていただいた。感謝。このような即時的な反応を得られるのは、やはりnetで拙いながらも文章を表すことの最大の利点で、都度ごとに日記には書かないけれど、メールや掲示板で色々なご感想やご意見を下さる皆さんにはいつも頭を大きく下げている。もちろん感想をいただかなくても、読んでいただいているだけで感謝の気持ちで一杯なのだ。みなさんに、多謝!!
本題の"ホワイトカラー真っ青"なのだけど、"クルーグマン教授の経済学入門"(1998,メディアワークス)と同様に山形浩生氏訳で一見読みやすく、読んでいる間は理解しているような気持ちになりはしても、内容はかなり様々な要素が入り組んでいるので、正直なところきちんと理解できたのかどうかは怪しい。最低限理解したところによると、おそらく一番答えが凝縮されているのは第3、4段落。第3段落には"経済は消費者にこたえる必要がある"→"消費者は情報ではなくて手でさわれる材(物理世界)を求めている"(→"経済は情報ではなく物理的な材を提供しなくてはならない")ということと、"物理世界に対応するためには常識が必要で、常識はものすごく高度で複雑な情報処理である"という2点が書いてある。第4段落には"何かが豊富になったら、同時にそれは安くなるのが経済学の基礎"→"情報経済社会においては、情報が豊富になる故に、情報は安くなり価値を失う"→"従って伝統的なホワイトカラー労働者はいなくなる(に違いない/予測)"とある。
ここで"ホワイトカラー労働者"と言われているのは、"大卒の学位、あるいは大学院の修士号や博士号"を持つ高等教育を受けた"コンピュータのスクリーン上でアイコンをつついてまわる「シンボル分析家(symbolic analysts)」"である。うん。彼の論理は理解できるから、"シンボル分析家"に対する需要が減ることは納得できる。だけど、従って高等教育の価値が低下するという論理は納得できないのだ。何故なら、高等教育を受けて完成するのは"シンボル分析家"だけではないと思うから。否、思いたいから、かも知れないけど(笑)
彼がこの文章において述べている高等教育の価値が低下する要因に、"職業訓練6ヶ月から12ヶ月しか必要としない仕事―準看護士、大工、家政業"が修士号取得者や博士号取得者など同じくらいかさらに高給を稼ぐことを挙げている。だけどここで挙げられている"準看護士"と、看護学で修士号を習得したヒトと比べた場合はどうなるのだろう?さらに"大工"と、建築学の高等教育を受けて大工になるヒトはどちらが稼げるの?
誤解を避けるために添えておくと、私は決して高等教育を受けたヒトの方がより稼ぐべきだとか、偉いとかそんなことはこれっぽっちも思っていない。私は、自分の職場で今この瞬間もお年寄りの対応に追われている"博士課程には在籍していない"ベテランの介護職のヒトの方が、体位交換ひとつ満足にできない"博士課程に在籍中"の自分よりも、格段に"偉い"と思っている。為念。
"ホワイトカラー真っ青"で述べられているのは情報産業の衰退と肉体労働の復権である。そして肉体労働にも高等教育は存在する。とするならば、価値が低下する高等教育は一部であって、例えば少なくとも医学や看護、社会福祉などという対人領域及び工学や建築学などのモノつくり領域に関しては、程度を問わずして教育に対する需要が残り続けるのではないのだろうか?やはり教育により人的資源を充実することは可能なのではないだろうか?
ちなみにスウェーデンではいわゆる"ホワイトカラー労働者"つまり事務作業を行う仕事は単調だから人気がないと聞く。7年前に来たときは、学生に一番人気なのは"美容師"と教えてもらった。現在、大学における専攻で最も人気があるのは、"心理学"と"ジャーナリズム"なのだそうだ。理由は対人関係の仕事につく機会が多くなるからとのこと。Esping-Andersenの出身であるデンマークでも同じかどうかは分からないけれど、もし同様の傾向があるとすれば"教育"に対する認識自体がPaul Krugmanとの間で大きく異なることになるのではないかと思う。
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20021210:nine-hundred and eighteenth day
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出国165日目。写真はとある建物の窓に飾られたクリスマス用の装飾。
This picture is the special ornament for Chrismas by the window of a house in Göteborg. Today, I have a heavy bachache, nechache and headache, and feel ill. In this afternoon, we had the meeting for our field work of research.
この写真の飾りもスウェーデンのクリスマスにおいて典型的なモノで、藁(?)でトナカイか何かの動物を模してある。IKEAでは大量に売られていたし、先日、スウェーデンに到着した当初にお世話になったhostfamily宅にお邪魔したときにも数体飾られていた。実は、このときに"pepparkakor"という名のジンジャービスケットを1缶差し入れにていただいた。これもまたスウェーデンのクリスマスには欠かせないお菓子なのだけど、珈琲を片手に食べていると止まらなくなるほど美味しい。……という感想をスウェーデン人の同級生に話したところ、"わかるわかる!!そうなのよね〜。止まらないのよ、あれは"と盛り上がってしまった。
今日の午後は調査実習のための打ち合わせ。20021206に男性の先生に提出した質問票へのコメントを聞くまでは先へ進めないので、巡回を待つ間は20021213に予定されている試験の準備。同じグループにて討論を行うのが試験の形式なので、お互いの理解の確認と助け合い。文字通りのグループ作業である。
現在就寝前にPaul Krugman"クルーグマン教授の経済学入門"(1998,メディアワークス)を1章ずつ読み進めている。発売当初に山形浩生氏の訳に惹かれて購入したものの、第1部だけ読んだ後そのままになっていた。数日前にふと巻末に山形浩生氏が書いている"あとがきと解説とか、そんなもの"を読んでいて次のような一節に出会った。
"いちばん近々生じる具体的な帰結としてかれがはっきりと述べているのが、高等教育の価値低下であり、肉体労働の復権だ"(p.385)。
この文章の次の文で山形氏が引き合いに出している"教育や人的資源を重視するゲーリ・ベッカー"氏の著作を私は知らないのだけど、Esping-Andersenも"工業化社会のあとに来るのは知識社会であり、従って教育により人的資源を充実することが必要"というような主旨を述べているのであり、私はそれに影響を受けたので20021202の内容を書いた。う〜ん。どうしてPaul KrugmanとEsping-Andersenはこんなにも正反対のような見解に達しているのだろう?
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20021209:nine-hundred and seventeenth day
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出国164日目。写真はとある建物の窓に飾られたクリスマス用の星型のランプ。
This picture is the special lamp for Chrismas by the window of a house in Göteborg. In this morning, we had the last class by the female professor before the examination. It was very cold day and -8 degree. After I came back home, I have studied the whole half day.
写真のランプは20021206に掲載した山型のランプと並んで一般的なクリスマス用の装飾。多くの窓にはどちらかのランプが飾られている。星型のランプは帰国時に持ち帰るのが大変なので、山型のランプを購入したいと思っている。電圧が異なるので、日本で飾ると少し暗くなるらしい。
今日は試験前最後の女性の教授の授業があった。休暇の分だけ非常に凝縮されているので、あっという間に今回のコースもそろそろ終盤に入っている。今回のコースの教科書となっているNigel Gilbert ed."Researching Social Life"(1993, sage publication)には"研究者の視点は、自分の教育的背景や職業的背景から大きな影響を受けるのであり、それは避けられない。だからこそ、自分がどのような背景を持っているのかを読者に明らかにするために、調査/研究の方法論を述べる章にはそれらの背景を書かなくてはならない"というような主旨のことが書かれており、授業内でも強調されていた。教授によると社会調査の"客観性(objectivity)"に関する論議は以前から盛んであり、現在では"調査の視点は調査者が誰であるかに基づく(the perspectives of research depends on who I am.)"という考え方が主流となっているということである。これは、つまり社会調査/社会学の"客観性"は非常に限定されており、自然科学と同様の意味において位置づけることは難しいということだろう。
今回のコースが始まる前日の20021201にY氏と"研究における客観性は成立しうるのか"、"研究者の価値観を一切反映しない価値中立的な研究は可能なのか"という問題について話していたので、何とも時機の良い授業であり、我が意を得たりの気分であった。ところが今日の授業で、質的調査にせよ量的調査にせよ、調査の第一目的は調査結果の"客観化/一般化(generalizability)"ではない、と教授が断言するのを聞いて、改めて大きな衝撃を受けてしまった。
私の知る限り、日本における"科学性"とは"客観性"であり、それはやはり実験という形で条件を設定し、その手順に従えば再現可能であるという自然科学の"科学性"なのが基本となっているのだと思う。従って、社会調査に関しても、量的調査の方が主流であり、より"科学的"であるとみなされている。そして社会調査において最も重要視されるのは、調査対象が全体に対しどれだけの代表性を持つか、調査結果とその考察はどれだけの広範囲に適応することが可能かという"客観化/一般化"である。逆に言えば、調査を設計するときに、"客観化/一般化"をどうすれば確保できるかを考えることが求められる。
私は自分の修士論文で都内の1つの養護老人ホームを対象に、曲がりなりにも調査を行ったのだけど、そのときに最も苦労したのは、"その養護老人ホームが少なくとも東京都内においてある程度の代表性を持つことを理由付けること"、つまりはその養護老人ホームを調査対象に選んだ理由を"客観性"という見地から述べることである。ところが、これを現在のコースの観点で考えるならば、自分が小さい頃からその養護老人ホームに遊びに行っており、施設や運営主体の歴史も背景も、生活しているお年寄りも働いている職員の人々のこともよく知っているから、より深い理解が得られるため、という実際の率直な理由付けで十分なことになる。
さらに言えば、日本で受けた社会調査論の授業では質的調査の存在については習っても、実際の調査方法論を習ったことはないように思う(失念しているだけかな?)。ところが今回のコースでは、社会調査全体の概念を除けば、質的調査やインタビューの方法(対象者との間の距離など具体的な点も含む)などが中心となっている。量的調査は、質的調査との比較とのなかで触れられているだけである。質的調査のサンプリングの方法なんて、初めて学んだのだ。いやはや。
つまりは、日本はより"実証主義(positivism)"的な傾向が強く、スウェーデン(少なくともGöteborg University)はより"論理的解釈(hermeneutics)"的な傾向が重視されるということなのだけども、これは私にとっては半年間で最大のカルチャーショックであった。例えば"考えることが重視される"などの教育制度や社会における違いはほぼ予測していた通りだったけれど、まさか社会科学の"科学"の位置づけが異なるなんて考えてもいなかった。
その代わり、というよりも、それ故にだと思うけど、研究方法論は日本よりも厳密に確立しているような印象である。研究方法論という枠組みに基づいている限りは、思考追跡が可能であるという意味において"科学的"な研究として認められるのであろう。修士論文の審査においても博士課程入試の面接においても、研究方法論の曖昧さを指摘され続けており、その必要性は自覚しつつも"研究方法論"が何のことなのか今ひとつ納得のできる理解をしていなかった立場としては、今回のコースにおいてようやく自分に何が欠けていたのかと、研究方法論の正体(?)が理解できたように思うので非常に嬉しい。それにつけても、丁度去年の今頃に格闘していた修士論文は着眼点は良かったものの、まさしく研究の方法というか作法をあまり理解していなかった、率直に言って重視していなかったために、何とも勿体無い結果となってしまったなあと後悔しきりである。機会があるならば、同じデータを使って書き直してみたいものだと思う。
放課後の発表にて、20021129に行われた前回のコースの試験結果が明らかになる。無事に合格。真剣に再提出になるのを心配していたので、大きく安堵(笑)
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20021208:nine-hundred and sixteenth day
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出国163日目。写真は"Julmarknad(クリスマス市場)"@Gustav Adolfs Torget。
This picture is "Julmarknad(Christmas market)" at Gustav Adolfs Torget. Today, my hostfamily invited me to their dinner. I brought a little gift and a card for them and they gave me a very classical ornament for Christmas and a card. I feel so happy with them.
今週末に日本から友人が来ることになっているので、午前中は部屋の大掃除。試験前なので机の上は片付けられず、断念。大掃除の割には全く片付いていないように思うけど、許してもらうことにする。掃除をしていて、半年間で増殖した本と資料の多さに愕然とする。どこに暮らしていても書棚の容積が足りなくなるのだ。
路面電車に乗りながら、つらつらと高齢者福祉施設における"個室化"の問題を考えていた。確かに"個室化"は利点もたくさんあるし、自分が生活をすることを考えても病院への入院以外で相部屋は嫌だなあと思う。今後、団塊の世代が入居者層になったときには、個室化は必須になるだろう。だけど、現在の日本の状況において"個室化"が全面的に"良い"モノとして進められていくのは危ういような気がしている。
高齢者福祉施設の居室が"個室化"されて、さらにそこが本人の"家"として位置づけられた場合、ドアを開けておくのも閉めておくのも本人の意思になるし、部屋に呼ばれもしない職員が立ち入ることはできなくなる。例えば3食付の"老人ホーム"であれば、食事ごとに居室という家にいる入居者に声をかけることは求められるサービスの一環になるけれど、食事と食事の間に部屋に篭りきりであっても、そこで本人が何をしていようと、それは職員の感知しない、関与してはならないことになる。極端に考えれば、食事を終えて自室に戻りドアを閉めた瞬間に転倒しても、それを周囲が気がつくのは次の食事のとき、という可能性がある。もしそれを恐れて、例えば居室のドアに覗き窓をつけたり、居室への職員の自由な立ち入りを認めるのであれば、つまり見守りという名の"監視"を継続するのであれば、それは本人の"家"ではなく"施設"だろう。
例えば、より自由の多い在宅と施設を比較してみると、現状において公営アパートで独居高齢者が亡くなり、朝訪れたホームヘルパーさんもしくはデイサービスの送迎担当者が"発見"したとしても、誰も彼らに対して"なんでもっと早く来なかったのだ?!"とは追求しない。もちろん、そのヘルパーさんや送迎担当者本人は、自分を責めるかもしれない。でも彼らもその時間が自分がその家を訪れる"時間"だったのだからと、自らを納得させることが可能だ。一方、現状の特別養護老人ホームで居室で夜間の早い時間に転倒した入居者が朝食時もしくは朝の活動開始の時刻まで、そのままにされているということはおそらく稀だと思う。なぜなら夜間の巡回という"見守り"があるし、もしくは同室者の目という存在もある。従って、その稀なことが起こったときには、おそらくそれはかなりの大きな出来事となるし、場合によれば家族からの追求やジャーナリスト/マスコミ等による"弾劾"報道も行われるかもしれない。
少々極端に考えすぎなのかもしれないとは自覚しつつも、それでも"個室化"の推進は、お年寄り自身と家族、職員、そしてジャーナリスト/マスコミも含めた社会全体に対して、例えば自室という"家"で転倒し、朝まで気がつかれずに亡くなっても、それを"自由を尊重した結果"、"自己選択の結果"として冷静に認めることが求められるのだと思う。自由を尊重するということ、自己決定を第一の原則とするということは、その選択にともなう危険性や負の側面も本人が引き受けるという責任が伴う。自由と責任/自己決定と自己責任は表裏一体だということは、スウェーデンを代表としてヨーロッパの人々を見ているとつくづくと痛感する。
蛇足だけど、スウェーデンの安全アラームは腕時計型もしくはペンダント型が主流だけど、日本の"施設"で同じ働きをするナースコールは、私の知る限り、ベッドサイド等固定型が多いので、転倒しても職員を呼べないままになる危険性は高いのではないだろうか。
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20021207:nine-hundred and fifteenth day
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出国162日目。写真は驚くほど澄み切った青空。
This picture is the blue sky. When I got up in this morning, I was surprised with the blue sky thourgh the window. It made me so happy. However, it was so cold that I was getting almost freezed when I waited the tram in this evening.
正午近くに目が覚めたときに、部屋が明るかったので吃驚する。カーテンとブラインドを開けると、青い空。感動。雲ひとつないどこまでも青い空なんて、何時以来だろう。まさかこの時期にこんな空を見ることができるなんて、予想外だった。何というか、空は宇宙なのだなあとしみじみと実感してしまうほどの静謐な空だった。ただし晴れると放射冷却で寒くなるのはもちろん日本と同じで、特に日暮れ以降に路面電車を待つ間は凍える思いだった。
カフェで勉強をするために、中心部へ出かけるとクリスマスの雰囲気がさらに高まっている。旧市街であるHaga地区でも、市庁舎前広場であるGustav Adolfs Torgetでも"Julmarknad"というクリスマス屋外市場を行っている。さらに市内最大のショッピングモールである"Nordstan"に入った途端に、大変な混雑でもみくちゃにされる。
暗さと寒さを吹き飛ばすかのようにクリスマスの飾りで家々や店頭が華やかになっていくのは見ていて楽しいけれど、クリスマス終了後の街はどうなってしまうのだろうと少々心配になる(笑)
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20021206:nine-hundred and fourteenth day
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出国161日目。写真は校舎の窓辺に飾られたクリスマス用の山型のランプ。
This picture is the special lamp for Chrismas by the window of the Department of sociology at Göteborg University. In this afternoon, we had the group meeting for our own reserch field work. We discussed for 5 hours.
写真のランプは、スウェーデン(北欧全体?)のクリスマスに欠かせないらしく、先月から家々の窓辺に飾られているのを見かける。特に12月に入ってからは、市内中の窓の7割程度には飾られているような印象。カソリックでは、確か12月になると毎週1本ずつロウソクを立てて、クリスマスを待つ習慣があると思ったので、この習慣が少し形を変えて残っているのかもしれないと思う。ただしランプではなく、ロウソクを窓辺に飾っている場合でも、5〜7本のロウソク全てに明かりが灯されている。再三書いているように、最近はすっかりお日様を見ることが少なくて、青空などは数週間見ていないような状況なので、このランプは装飾としてだけでなく、実用的な意味でも必要なのだろう。"weather underground"によると本日の日の出は8:36am、日の入りは3:27pmとのこと。この時刻について同級生たちと話していたところ、件の中国人の友人は"いや。日の出も日の入りもないよ。一日中夜だよ〜"と嘆いていた。
今日の授業は、調査実習のためのグループ討論。私のグループは、中国人、フィリピン人、ラトビア人、ヨルダン人、そして日本人(私)という編成。フィリピン人の友人の機転と画策のおかげで、予め先生に希望しておいた比較的親しくて考え方の似ているメンバーによる構成が実現した。それでも文化の違う友人たちと共同作業をしていくのはなかなか難しくて、3人のアジア人同士ではすぐに理解が得られることについて、残りの2人からそれぞれ別の視点での異論が提示されたり、特にヨルダン人の友人がこだわる点について私たちは理解できなかったりする場面が多い。改めて"文化"というものが個人の思考に与える影響を実感した。
調査実習はクラス全体に与えられた"性差と高等教育(gender and higher education)"という"問題領域(problem area)"において、グループ毎に"調査問題(research problem)"を1つと"調査課題(research question)"を2つ定め、それらを分析できるような質問項目を作成し、実際にインタビュー方式により予備調査を行い、結果を分析する、という内容。さらに、質問は12項目以上、調査件数は15件などという詳細な条件が指定されている。しかも女性の先生の方の課題や試験もあるのに、この予備調査の結果の報告と発表は20021219という厳しいスケジュール。
私たちのグループで決めた"調査問題"は、"Göteborg Universityの美術専攻における性差による不均衡(Gender assymetries in Art studies at Göteborg University)"というモノで、これは私たちと同じ国際修士課程の美術専攻(international master in museum study)の学生たちが全19人中15人が女性という偏りを持っていることから提起された。他に、彼らのほぼ多数が私たちと同じ学生用アパートに住んでいるから調査が行いやすいという実際上の背景もある。正直なところ、私は国際修士課程における男女学生数の不均衡は、"美術"や"社会福祉"という領域の故なのか、それとも"女性の方が留学をしやすい/したがる"という理由なのかが分からないので、巡回にきていた担当の先生に質問したところ、"それは面白い問題だけど、博士論文の調査になってしまうよ"と言われてしまった。
次に、"調査課題"を"どのような要因が彼らの専攻選択に影響しているのか?(What factors might influence their choices?)"と"(彼らの専攻選択には)どのような教育上及び職業上の背景があるのか?(What are the educational background and the professional background?)"と決めた。さらにこの後で、実際の質問項目の作成に入ったのだけど、ここでは日本でわずかながらに手伝った指導教授の調査や職場で作成したアンケート(?)の経験などが大いに役に立った。概略は比較的簡単に決まったものの、細部の討論に入った途端に、激しい議論で喧々諤々な状態に突入。
前述の文化的な差による意見の相違に始まり、他方ではできるだけ簡単に終わらせたいラトビア人の友人と、できるだけ正確さを求めたい中国人の友人と私との見解の相違などなど。後者は文化的な差というよりもむしろ教育的背景の違いも大きいのだろう。中国人の彼女は、母国で修士を卒業したばかりのどちらかというと研究者志向である上に、市場調査のアルバイトもしていたということで、調査方法についてかなり詳しい。話を聞くと、日本の大手広告会社の市場調査も請け負っていたとのこと。激論を5時間交わした挙句に、何とか本日の目標を達成して終了。
アジア人3人組で帰路につきながら、特にあまり意見を表さなかったフィリピン人の友人に"きっとたくさん意見もあるだろうに、口に出さずに大人だよね"と話しかけたら、"うん。確かに自分も調査の経験があるし、意見は多少あったけど、もう十分に色々な見解が出されていたから…"と言う。その姿勢が徹底的な議論を評価するスウェーデンの教育制度のなかで"正しい"かどうかは分からないけど、その穏やかさに感服。
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20021205:nine-hundred and thirteenth day
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出国160日目。写真はとある雑貨屋さんの店頭。
This picture is the window displays of a shop. Today, we had the class the whole day and I feel really exhausted.
今日は午前に女性の先生の授業があった上に、午後に初めての男性の先生の授業があったために、同級生一同疲れ果てる。それでもテキストを読み進めておかねばならないので、放課後カフェにてNigel Gilbert ed."Researching Social Life"(1993, sage publication)と格闘。帰りの路面電車のなかで中国人の同級生と会ったので、おしゃべりしながら帰宅する。彼女は夏以来激しいホームシックにかかり続けており、さらに日照時間の少ない冬の気候に慣れずに10時間以上眠ってもまだ眠いとのこと。前回のコースから続いている厳しいスケジュールに、ほとんど全員が疲労を顔に浮かべているなかで、ルーマニア人やキューバ人など数人の同級生だけは変わらずエネルギッシュなのはどうしてなのかという話になり、やはり英語の苦労が少ないからではという結論に落ち着いた。
ただし今回のコースはしんどい分だけ得るものも大きいと思うし、勉強をしている間は楽しい。現在学んでいる調査方法論を来夏提出する学位論文や今後の勉強及び仕事にどのように反映しようかと考えるのはわくわくするのだ(笑)
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20021204:nine-hundred and twelefth day
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出国159日目。写真はセブンイレブンのクリスマス広告。
This picture is the publicity poster for special bread of Chrismas on the window of "7-11." Today, we learned two important issue in the beginning of a reserch. One of them is "Validity" and another is "reliability." High validity needs high reliability, however, high reliability does not alwasy need high validity. Reliability relates measuments, interviewer-situation, surroundings and interviewee. Doing same things in other setting can prevent random errors, but if question formulation is not correct, that research cannot have validity.
市内にあるセブンイレブンどこにでも貼られているポスターなのだけど、女性が手にとって広告しているのはクリスマス用のサフラン入りの特別なパン。そのパンが大学のカフェテリアに置いてあったので知らずに手にとって食べていたら、スウェーデン人の同級生に"シノは本当にスウェーデンの生活に適応しているね。何も聞かずにそのパンを手に取るなんて!!"と何故か驚かれてしまった。そんなこととは知らずに美味しそうだから手に取ったのだけど、確かにカフェテリアの食事を倦厭している他のアジア人の同級生と比較したら、全然違和感なく適応しているのかもしれない。こういう点では日本の"西洋化"は有難いものだと思う(笑)
今日の授業では主に質的調査における2つの重要な事項である"有効性(validity)"と"信頼性(reliability)"について学ぶ。"有効性"とは調査の基礎となる"理論(theory)"と"経験/観察(empirical)"との相互作用的な関係における側面と、社会調査から"科学的な背景(scientific context)"に対して働く側面があるという。"信頼性"は、測定方法、インタビューするヒトの立場や服装などの状況、環境、そしてインタビューを受けるヒトから構成される。そして高い"有効性"は高い"信頼性"が必須だけれども、高い"信頼性"には高い"有効性"は必ずしも必須ではない。
つまり信頼性を高めることは、異なるセッティングでも全く同じことを行い、無作為に生じる誤差を押さえることによって可能になるが、質問項目の形成や表現が正しくなければ、"有効性"は保証されないからである。
今日の授業では、先生が行った雇用事務所と社会福祉事務所が協働で行った若年失業者向けのプロジェクトがどれだけ社会福祉の費用を抑えたかという評価のための調査が例として提示されたが、詳細を聞くことができなくて残念。20021202に書いた内容にも関係するけど、"社会福祉サービスの提供がどれほどの効果をあげられたのか"という事後評価を行い数値で提示することは、社会福祉サービスの必要性を表明するための有効な手段であると思うし、次のより良いサービスを提供するための手段でもある。
最近では社会福祉施設や在宅サービスにおいても、年度ごとに利用者や家族の意見を聞くためのアンケートを実施しているところも多いと思うし、それらをきっと次年度へと繋げていくのだろう。ただしいわゆる"アンケート"と"社会調査"はやはり明らかに異なるので、
仮に"社会調査"の方法論をもう少し意識して、"社会調査"に近づける努力がなされるのであれば、より説明可能な根拠を持って、そこから得られる結果を実践へ反映することができるのではないかと思う。実践における"理論"とは、おそらく"説明する力(accountability)"が最も大きな役割ではないかと思うからだ。
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20021203:nine-hundred and eleventh day
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出国158日目。写真は"NK"というデパートのクリスマスの電飾。
This picture is the big department store called "NK" with Chrismas illuminations. In this morning, we had the class and we learned the differences between "quantitative research" and "quality research." In Japan, I have learnt mainly "quantitative research" and so it was very fresh knowledges.
"NK"というのは比較的高級な方のデパートなのだけど、この電飾の下のショーウィンドウでは、等身大(?)のサンタクロースがアイロンかけなどの様々な家事をしている光景が作られていて、それぞれのサンタクロースが動くので、夕方などには人だかりができている。せっかくなので今月はできるだけクリスマスならではの光景を写真でお送りしたいと思っている。
昨日の導入部分を経て、今日から本格的に女性の先生の授業が開始した。今日はまず"社会科学"と"社会調査"の歴史的背景から。私の理解したところによると、自然科学や法学、哲学、医学などは1900年代の初めまでに学問として確立していた。その後で遅れて心理学と社会学が生まれた。ところが当初はそれ以前に確立していた"科学"に制約を受けており、社会調査も量的なものだけだった。1930年代にアメリカのシカゴ大学でシカゴという都市が急速に発展していくのに伴って生じていたスラムなどの諸問題を検討し解決するために多くの科学者が集められ、そのことで社会学はより自由で学問的な科学に発展していった(シカゴ学派?)。1970年代になると、スラムの問題について量的/統計的な調査だけではなく、そこに生活して行う研究(参与調査?)の手法が生み出された。このように社会調査は、当初は量的/統計的な調査から始まり、次に質的調査が重視されるようになり、現在は再び量的/統計的な調査の必要性が認識されつつあるので、両方が一緒に働くことが求められている。量的調査と質的調査のどちらを選ぶかは"問い"による、とのことだった。
この後でさらにもう少し詳しく、実証主義(positivism)、構造主義(structuralism)、相互作用主義(interactuionism)、エスノメソドロジー(ethnomethodology)などの発展についての説明があった。元々はスウェーデンは"単一文化社会"だったのだが、最近は多文化社会に移行して、そのことによる問題も多いので、相互作用主義やエスノメソドロジーが主流になりつつある。さらに最近では、フェミニズム(feminism)も重要になっている、そうである。正直なところ、哲学/経済学/社会学等々における"○○主義"というのが苦手できちんと理解できていない上に、それらの英語表現もほとんど知らず、さらに今回の先生はOHPをあまり使わずに口頭でこれらのことをスウェーデン語なまりの英語で説明するので、とりあえず耳で聞き取ったとおりに書いておき、後で辞書を使って正しい綴りと意味を調べている。前回のコースで経済学に興味を持ったので、経済学の"○○主義"も理解したいと思うのだけど、そうするとやはり哲学を抑えないとダメということになるのかな。
20021201に歯学部の研究者であるY氏から"スウェーデンには1年制の修士と博士の間に2年制の修士があるのを知ってますか?"と尋ねられた。それは"licentiat"というスウェーデン独自の修士なのだそうだけど、初耳だった。私が入学時にもらった資料には現在在籍中のinternational masterを卒業すれば英語で"Master degree in Social Work"の学位記かスウェーデン語の"Magisterexamen i social arbete"の学位記をもらえると書いてあり、スウェーデン人の同級生によるとinternational masterはフルタイム1年制だけど、普通のスウェーデン語で授業が行われるmasterは週数回のパートタイムで2年間であり、卒業必要単位は両方とも40単位で同じ学位と聞いている。Y氏の話では、2年制の修士は"licentiat"を取得できて、そちらの方が本来のスウェーデンの修士とのことだったので、混乱してしまって、調べてみた。
"Swedish Institute"内の"The Higher Education System"という文章によると、まず"Högskoleexamen(University Diploma)"というのがあり、80単位が要求されている。次に、"Kandidatexamen(Bachelor's degree)"があり、これは専門分野での60単位を含んだ120単位と論文10単位以上が求められる。英訳が"Bachelor"なので、日本で一般に4年制大学を卒業するともらえる"学士"に相当していると思われる。
3番目に私が卒業できればもらえる予定の"Magisterexamen(Master's degree)"がある。日本の学位だと"修士"にあたる。これには2種類あるとのことで、"Magisterexamen med ämnesdjup"はおそらく"Master's degree with subject in depth"とでも訳せると思うのだけど、"より深くまで専門を極めた修士"ということなのだろう。最低でも160単位を得ている学生が対象であり、80単位分の専門科目と20単位分の論文が必須となっている。"Magisterexamen"内の2種類目は、"Magisterexamen med ämnesbredd"であり、これは"Master's degree with broad subject"とでも訳せばよいのだろうか、大学ごとに定められた特定の領域で"より幅広く学んだ修士"ということであろう。"Kandidatexamen(Bachelor's degree)"を持っている学生が対象であり、40単位が必須となっている。私の在籍するinternational masterはこの後者に当てはまる課程であることが理解できた。
さらにおそらくスウェーデン独自の学位として"Yrkesexamen (Professional degrees)"というのがあり、これは特定の領域での45単位を取得するともらえるらしい。この学位と"Kandidatexamen"や"Magisterexamen"との関係性は分からない。そして話題(?)の"Licenciatexamen (Licenciate degree)"であるが、大学院での80単位と論文40単位分が要求されている。最後が"Doktorsexamen(Doctorate or PhD)"で、日本の"博士"にあたる。160単位と博士論文80単位が課されている。
Y氏は、"Licenciate"を取った後で1年間学んで論文を1本書けば"博士"がとれるらしいよと言っていたけど、これはつまり1年間で取得する単位を80単位で論文1本が40単位とみなしているからだということが分かった。"Licenciate"の英訳がないことを考慮しても、この学位は本当にスウェーデンに独自の"master(修士)"と"ph.D(博士)"の中間の学位なのだといえるのだろう。ちなみに松下正三/古城健志編"スウェーデン語日本語辞典"(1993,大学書林)には"magist/er:修士と学士と間の学位、中・高校教諭"、"licentiat:修士"と書いてあるのだけど、これは"magist/er:修士、中・高校教諭"、"licentiat:修士と博士の間の学位"と個人的には訂正して欲しいなあ…。
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20021202:nine-hundred and tenth day
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出国157日目。写真はGöteborgのとある通りの光景。
This picture is taken on the street in Göteborg. In this morning, the new course, called "Social Work Research and Reseach Method", started. After a few hours, I found it must be very hard course, because we have three text which we had to read completely, we have the class from Monday to Froday and the examination is separated into three times!!
今日から新しいコースである"Social Work Research and Reseach Method"が開始した。実習と修士論文を除けば、講義は5コースから構成されているので、4コース目が開始した今日で折り返しに入ったと言える。そして授業の内容と日程はどんどん過密になっていき、脱落しつつある同級生も数人現れている。
今回のコースは名前の通り、調査方法論についてだけど、2人の先生が担当となっている。片方のベテランの女性の先生が担当するのは理論分野で、Nigel Gilbert ed."Researching Social Life"(1993, sage publication), Robert K. Yin"Case Study Research: Design and Methods"(1994, sage publication)という2冊のテキストを中心に調査方法論の理論を学ぶ。もう片方の6年前のInternational Masterの卒業生で現在は博士課程にいるという若い男性の先生は、実際にグループに分かれて調査を設計し"予備調査(pilot study)"を行う作業を担当する。
試験は3回に分かれており、20021212-13に予定されている女性の先生の第1回試験では、先生から提示された21項目にわたる質問について、同じく先生から指示された論文で用いられている調査方法論のなかでそれらの質問がどのように実現されているかをまとめるレポートと発表。その21項目の質問は前述の2冊のテキストの内容からとられており、その質問に答えられれば調査方法論の理論の基礎的なことを理解していることになる。続いて、第2回目の試験は年内最後の授業である20021219に予定されており、男性の先生の授業で行った"予備調査(pilot study)"の結果についてレポートをまとめて発表する。最後の第3回目の試験は、年明け20030113-14に、女性の先生から提示された200頁以上の博士学位論文について、その内容を簡単にまとめた上で、どのような調査方法論が用いられており、それらの理論と実際の調査の結果がどのように関係しているか、またその問題点などをレポートにまとめて発表する。
途中に休暇が入るために授業時間数が少なくなるので、連日授業があることになるので、テキストを読んだり、レポートをまとめる時間をどのように捻出するかが懸案なのだけど、このカリキュラムはとてもよく考えられていると思うし、もしついていけたらきっと自分の力がつくと期待できる。つまりこのカリキュラムは、女性の先生の方で調査方法論を教える傍ら、それらの理論が実際の論文のなかでどのように使用されているかを学生に考えさせることを意図している。そしてさらに男性の先生の部分で、自分たちでそれらの理論を用いて調査の設計を行うことになる。
明治学院大学院で調査を得意としている指導教授に師事しているにも関わらず、仕事の忙しさを口実に調査を手伝ってこなかったことは大いに悔やまれるし反省している。でも、それでも、私は某校研究科の社会福祉士養成課程でも、大学院の修士1年のときにも一応"社会福祉調査論"を学んできている。それなのにちっとも調査理論が身についている気持ちにはなれなくて、今回は身につけることができるかも、と期待してしまうのは何故なのだろう?別にこれは社会福祉調査論に限ったことではなくて、英語だって世界史だって数学だって経済学だって社会学だって、一応学んできているのにちっとも身についていないのは何故?そしてこの半年で得られている手応えを、自分の視野がぐ〜っと広がる感覚、本当に勉強しているという実感を日本で得られないのは何故?
もちろん英語にしても上手な日本人はいるし、他の科目についても同じだろう。だけど仮にも大学、研究科、修士と経て博士課程まで来たのに、こう並べてみると自分ではないみたいで何だかとってもすごそうに見えるけど、実際はちっとも知識が身についている実感はない。自分の知識となっていると感じられるのは、わずかに自分自身が心から納得していることや自分自身で苦闘しながら考えて出した結論だけだ。社会福祉士の国家試験のために必死になって暗記した膨大な情報など、ほとんど忘れてしまった。大学や大学院の授業で、教授の話として聞いたことは多少頭のなかにこびりついているけど、それを自分で使えるかと言われば自信はない。そう、おそらく鍵となるのはやはり"考える"という行為だ。受身でいるうちは決して自分の血肉にはならない。自分のコトバで、自分なりに考えて、自分のなかに納めたときに、初めて自分自身の知識となるのだろう。
教育というものが、ある程度までの知識を身につけさせることを目的としているならば、やはり現状の日本の教育は間違っている、少なくとも非常に効率が悪いとしか思えない。例えば、英語1つとっても、自分自身でとても頑張ったヒトや元々才能のあるヒトしか、最低限の日常会話以上の会話ができない、英文が読めない、書けないなんておかしくない?公教育のなかで、ある程度まではそれらの知識を自分のモノとさせることを保障しないのは非効率ではない?
結局のところ、日本には"教育が人的資源を作る"、"教育を受けた国民は資源である"、という視点がない、もしくは薄いのではないかと思う。これについて、スウェーデン在住のある知人は"スウェーデンにその視点があるのは教育が税金(授業料は無料)だからで、日本にその視点がないのは教育が本人もしくは家族負担だからでしょう"と言っていた。それは確かに背景にあるのかもしれないけど、でも私費だから教育を受けたヒトが社会の資産とならなくても良い、というのは少し違うと思う。なぜなら税金だって元々は国民が稼いだ"私費"だし、本人や家族が負担する授業料という"私費"だって、社会の総体としての"お金"であることには変わりがないと思うからだ。
"教育が人的資源を作る"という視点からは、おそらくもう少し効率の良い教育方法が導き出せると思う。かけた費用とかけた時間だけ、きちんと本人の知識として身につけられる教育。同じ時間を費やせば、多少の個人差はあれども、ある程度までの"知識"は保障される教育。
そして"教育を受けた国民は資源である"という視点からは、それらの人的資源が効率よく機能するような仕組みが導き出せるのではないだろうか。つまり人的資源が働いて、いわば"元を返してくれる"、受けた教育(時間と費用)を社会に還元する仕組み。例えば、私の友人たちや職場の先輩や同僚たちなど専門職として働く女性が結婚して、出産になると仕事を辞めるという選択をせざるをえないことが多いけど、これは彼女たちに投下された費用と時間の大いなる損失ではないのかと思う。保育所を増やす費用(しかも保育所を増やせば雇用と消費が生まれるのだ)と、保育所が不足しているために職場を去らなくてはならない女性たちの教育に費やされた費用とどちらが多いかという調査はできないものなのかな。そして、別に専門教育に限らず、基本的には全国民が義務教育までは終了しているのだから。
もちろん小さい子どもを持つ女性が仕事を続けていく必要条件は保育所だけではないと思うけど。ただひとつだけ明らかだと思うのは、女性が仕事と育児を両立できる環境を整えない限り、日本の少子化は止まらないということだろう。Esping-Andersen"福祉国家の可能性:改革の戦略と理論的基礎"(2001,桜井書店)にも書いてあることだけど。
20021011にスイスから来てくれた友人と激しい討論をした"資本主義社会のなかで教育や社会福祉の存在意義をどのように位置付けたら良いのか"という問題についての1つの答えはこのあたりに見出せるのではないかと最近考えている。つまり教育にしても社会福祉にしても、それだけで見ると確かに利益も生み出すことは少ないかもしれないけど、その波及効果を含めて考えたら、投下された費用以上の効果をあげているのではないかと思うのだ。…って?あり?これはもしかしてMarx"資本論"を読まないとだめかな??
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20021201:nine-hundred and ninth day
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出国156日目。写真は"Lisebeg"のクリスマスの電飾。
This picture is "Lisebeg" with Chrismas illuminations. In this afternoon, I went to see "Harry Potter och hemligheternas kammare(Harry Potter and the cehmber of secret)" with two of my Japanese friends. After the cinema, we went to Japanese restaurant and had sushi. It was the first time for me to eat sushi since I left Japan at the end of June.
今日は日本人の友人であるY氏とHさんと一緒に"Harry Potter och hemligheternas kammare(ハリーポッター秘密の部屋)"を見に行った。1作目でも思ったことだけど、やはり"ハリー贔屓"が強すぎるような気がする。ハリーが窮地に陥ると、どこからともなく助けの手が差し伸べられるので、本当にハリーが実力があるのかという点の説得力が弱いように思う。ただし、もちろん幸運に恵まれることも才能のうちだとするならば、ハリーはそういう人物なのだろう。"面白いファンタジー小説を読みたい"と思っているのに、どうしても原作を読む気にはなれないのである。……などと言っていて実際に読んでみたら夢中になるのかもしれないけど(笑)
映画のあとでY氏の提案により日本料理屋さんの"Koto"へ行く。20020629の日本出国以来初めてのお寿司を食べた。お味噌汁も美味しくて幸せ。Y氏曰く、"市内で一番美味しい日本料理屋さんではないか"とのこと。学校からも近いので、今度ランチに行くつもり。
帰りの路面電車で読了したPetora Oelker"ある貴婦人の肖像"(2002,扶桑社ミステリー)はドイツとイギリスが舞台の美術品ミステリーで面白かった。映画を満喫して、美味しい日本食と日本語でのおしゃべりをゆっくりと楽しんで、勉強とは関係のない小説を読んで、とても休日らしい良い休日だった。明日からはまた慌しい日々が始まるので、頑張るのだ。
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