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20030215:nine-hundred and eighty-fifth day

出国232日目。写真は"Skansen"で見かけた狼の様子。

This picture is the wolves at "Skansen" in Stockholm. Today, I stayed in my flat the whole day and struggled to write the report. At the last, I finished to write the draft.

今日も終日篭ってレポートと格闘。9:30から始めて、途中度々休憩を入れつつもず〜〜っと続けて、30:30に一応書き上げる。参考資料があるとはいえ、ほぼ1日半で10枚の英文を書き上げられるようになったのは、少し進歩しているようで嬉しい。ただ今回は20030127に提出した要旨という"限定"があり、そのときにつけたレポートの題名と内容が少しずれてしまったので、明日その調整を行わなくてはならないのだ。

今回のレポートではとある論文から1つの図を引用せざるを得なくて、しかもその図には細かい数値が入っていないので、出典を入れた上で自分で模倣することもできない。そこですっかり忘れていたスキャナ(canon, 型番不明)の存在を思い出し、無事解決。出国前は英文を読む時に使うかと思い、わざわざトランクに入れて英国経由で持参したものの、半年以上経過して初登場。英文を読むのにいちいちスキャナを利用するようでは、とても課題の量に追いつかないことには英国到着後すぐに気が付いたのだった(笑)

photo of 20030215
20030214:nine-hundred and eighty-fourth day

出国231日目。写真は"Skansen"のとある通りの光景。

This picture is taken at "Skansen" in Stockholm. Today, I stayed in my flat the whole day and struggled to write the report.

今日も日中は自室に篭ってレポートとひたすら格闘。締切が近づくと、少しずつ捗り始めるのはいつものことだ。毎回毎回"どうしてこの調子でもっと前から書けないのだろう"と嘆息するのだけど、もはや習性のようなので仕方がない。"間に合わないかも"と思いつつも、不思議と毎回ギリギリで完成するので救われる。自転車操業でもまわっているうちは良しとしておこう。

知人経由の依頼で、夕方から東京近郊の某大学の社会福祉学部の学生さんたちと一緒に夕食をいただく。90名の一行のうち、直接に話をできたのはほんの数人だったけれど、普段あまり交流のない現役学部生と接することができたのは楽しかった。ただ自分が"大学院生"で相手が"大学生"なので、2002102220021108に会った高校生たちと違い、自分の世代に近いつもりで集合場所へ向かったところ、予想以上の世代間格差を感じてしまった。よく考えてみれば当然のことながら、"大学生"と"高校生"の実年齢差は、私と"大学生"の差よりも近いのだ。日ごろあまり"年齢"というモノとは関係のない生活を送っているので、何だか妙に自分の年齢を痛感した次第。まあ、痛感したからといって、何も変わらないのだけど(笑)

photo of 20030214
20030213:nine-hundred and eighty-third day

出国230日目。写真は"Skansen"で見かけたルーン文字の石。

This picture is the rune stone at "Skansen" in Stockholm. Today, I stayed in my flat the whole day and struggled to write the report.

今日は終日在宅にてレポートを書くべく格闘するも、なかなか捗らず。おそらく何らかの資料には記載されているはずの1960年から2000年までの65歳以上の高齢者と80歳以上の高齢者の全人口における比率の変遷を図書館で見つけることができなったので、仕方なく生データから自分で計算する。該当する人口数と全人口比をグラフにしてみると、1980年代後半以降はいわゆる高齢化率(65歳以上の高齢者の全人口比率)は17%台で一定しており1990年代後半には減少しているものの、80歳以上の高齢者に関しては1985年の3.7%から2000年の5.1%までじわじわと増加していることが一目瞭然になった。生データを自分で整理/加工するのは、確かに手間と時間はかかるけど、その過程で気づくことや実感することは多い。

生データが掲載されている"Statistisk Årsbok för Sverige (Statistical Yearbook of Sweden)" by "Statiska Centralbyrån(SCB)"の5歳ごとの年齢層別人口数の表では、超高齢者に関して1994年までは95歳以上でまとめられているけど1995年以降は95-99歳、100-104歳、105歳以上と分類が細かくなっている。2002年版の最新情報は2000年分のデータで100-104歳では男性153名、女性792名となっているのに、105歳以上では男性が36名、女性が10名となっており一見しておかしい。最新版である2003年版に掲載されている2001年のデータでは100-104歳では男性152名、女性838名、105歳以上では男性が8名、女性が43名となっている。2000年から2001年の1年間で、105歳以上の男性が28名亡くなるのはあり得るかもしれないけど、女性が33名増加するのは変な感じ。2000年は104歳の女性が多かったとも考えられるけど、やはり素直に2000年分の105歳以上の性別別人口数の数値が入れ替わっている誤植のような気がする。

日本では後期高齢者は75歳以上とされているけど、私の手元にある英語文献ではいずれも"the oldest old"は80歳以上のことを指している。日本はこの類の定義は国際基準に則っていると思っていたので、これも不思議。それともそれだけ欧州の後期高齢者問題が切迫しているということの表れなのだろうか。

photo of 20030213
20030212:nine-hundred and eighty-second day

出国229日目。写真はStockholm近郊のとある通りの光景。

This picture is taken on a street in the outskirts of Stockholm. In this morning, I overslept and got up at noon. After drinking a cup of coffee, I went to the library to get some figures in the past "Statistisk Årsbok för Sverige(Statistical Yearbook of Sweden)" by "Statiska Centralbyrån(SCB)".

今日は早起きをして午前中から図書館に行く予定だったのだけど、思わず寝過ごしてしまい、大いに焦る。慌てて図書館に行き、"Statiska Centralbyrån(SCB)"のサイトでは得られない統計情報を、過去の"Statistisk Årsbok för Sverige(Statistical Yearbook of Sweden)"にて探す。帰路カフェに寄り、Per Gunnar Edelbalk“Economics of Elderly Care: the state of knowledge in Sweden 1"(paper present at The Swedish-Japanese Conference on Aging, Care and Welfare of Elderly, Stockholm, May 7-9, 2001)と、Walker Korpi(1995), “The Position of the Elderly in the Welfare State: Comparative Perspectives on Old-Age Care in Sweden”in “Social Service Review"vol. 69(2)という2つの論文を読む。

一昨日以来書いている所得格差の問題と関連して、Korpi(1995)のなかに興味深い表が掲載されている。欧州において通常相対的な"貧困"とは所得分布全体における中央値(median)の50%以下を指すのだけど、Korpi(1995)は"Luxembourg Income Study"の数値を用いて、アメリカ(米国)、英国、フランス(仏国)、西ドイツ(西独)、オランダ(和蘭)、スウェーデン(瑞典)における、65歳以上の高齢者の1979年から1983年の相対的な"貧困"の程度を計算しているのだ。その結果は以下の通りとなっている。

国名−中央値の40%−同50%−同60%
米国−11%−21%−29%
英国−2%−20%−46%
仏国−5%−12%−28%
西独−5%−9%−16%
和蘭−3%−3%−5%
瑞典−0%−0%−6%

英国における貧困線を中央値の40%に設定した場合の2%という低さに比べて、60%になると実に高齢者の半数近くが含まれることなど、興味深い点は多いけれど、やはり注目すべきなのは、スウェーデンにおける"貧困"高齢者の少なさであろう。貧困線を可処分所得分布の中位数の40%、50%に設定したときには、"貧困層"に含まれる高齢者はいない(0%)のであり、中央値の60%としてもたったの6%しか含まれないのである。

対象となっている時期が1979年から1983年という、1980年代後半から1990年代前半の経済的不況期以前であるは影響があるかと思うし、おそらくこの数値の対象に含まれていない移民/難民高齢者などに貧困層が多いことは知っているけど、それらは欧州各国における共通の問題なので、おそらく全体的な傾向は、Korpi(1995)が提示しているこの表と大差がないと考えられる。

"Luxembourg Income Study"に日本は含まれていないので、日本における同様の数値は見つからなかったのだけど、2000年度の"国民生活基礎調査の概況"の数値から計算してみると、65歳以上の高齢者世帯の所得分布は以下のようになる。

所得(円)−高齢者世帯における比率(2000年度)
200万未満−39.4%
200万以上400万未満−38.0%
400万以上600万未満−13.7%
600万以上800万未満−4.3%
800万以上1000万未満−1.3%
1000万以上−3.2%

単純な計算として、高齢者の77.4%が年間所得400万円以下の層に含まれることが分かる。全世帯の所得の中央値は500万円と書かれているので、中央値の80%以内に高齢者世帯の8割近くが含まれることになるのである。中央値の60%である300万円以下の層には、59.9%と高齢者世帯の6割が含まれる。さらに社会政策学会編"社会政策学会誌"第7号(法律文化社、2002)に掲載されている河合克義先生の論文"大都市における高齢者の社会的孤立と社会保障・社会福祉の課題"にて計算されている1996年度の国民生活基礎調査を基にした同じ数値を比較してみる。

所得(円)−高齢者世帯における比率(1996年度):差異(2000-1996)
200万未満−27.2%:+12.2
200万以上400万未満−30.1%:+7.9
400万以上600万未満−14.7%:−1
600万以上800万未満−8.7%:−4.4
800万以上1000万未満−6.7%:−5.4
1000万以上−12.7%:−9.5

いやはや、正直なところ、自分で試して自分が吃驚。まさかこんなにはっきりと低所得層の増加が明らかになるとは予想していなかった。よもや計算間違いではないと思うけれど、一体全体何が要因でこんな状況が生じたのだろう?"所得"の定義に変化があったのだろうか?年金制度や課税体系など、日本の制度に関する勉強不足を痛感するけれど、本当に何故こんなことに?

photo of 20030212
20030211:nine-hundred and eighty-first day

出国228日目。写真は"Skansen"で見かけたキツネの様子。

This picture is foxes at "Skansen" in Stockholm. Today, I stayed in my flat the whole day and prepared to write the report of this course called "Theoretical Framework". We have to hand in the report on 17 and have a presentation on 19. I must rush to it.

今日も終日部屋に籠もり、雑用及び勉強に勤しむ。先日授業が終了した"Theoretical Framework"というコースの試験としてのレポート提出が20030217であり、そのレポートに基づく発表が20030219に予定されている。今回の課題は、"スウェーデンの社会政策もしくは福祉国家に関してなら何でもOK"ということなので、修士論文の指導担当の先生とも相談をして論文に活かせるような課題を設定する。

社会政策の変化には、特に削減が行われた場合に、経済的要因が背景として指摘されることが多い。それはもちろんごく当然のことだと思うけど、実際のところどれくらいの関係性が見られるのかを調べてみたいと思い、今回のレポートでは1950年代以降の高齢者福祉政策の変遷と経済状況及び人口状況の変化の関係性について少しまとめる予定。というわけで、スウェーデンの統計庁(?)である"Statiska Centralbyrån(SCB)"が毎年発行している"Statistisk Årsbok för Sverige(Statistical Yearbook of Sweden)"やSCBのサイトにて統計情報を探しているのだけど、細かい制度変更が頻繁に行われているために、"Statistisk Årsbok för Sverige"に掲載されているデータの形式が途中から変わっていたり、最新版には掲載されているデータが遡っていくと掲載されていなかったりで、なかなか思うような長期間にわたる表やグラフを作るのは難しい。あう。

閑話休題。昨日の続きのようになるけれど、所得保障の問題は低所得者層だけを対象としているのではないと思うのだ。第一には、底上げが行われることで全体に対する基準もあがるはずである、ということ。第二には、現状の流れでは、今後おそらく高齢者だけでなく、日本における所得格差は大きくなってくるだろうと思うからだ。稼働収入のない高齢者は根本的に所得問題を抱えているけれど、そのような一番弱い層で生じている現象は、おそらく社会全体において波及していくべき問題の表れなのだと思う。

私の理解だと、スウェーデンに代表されるように欧州の福祉国家はアメリカと比べて失業率は高いけれど、所得格差は少ない。アメリカは、所得格差は激しいけれど、失業率は低い。日本は今まで低い失業率と少ない所得格差を享受してきたけれど、すでに訪れている失業率の上昇に加えて所得格差の拡大が生じるとすると、一体どのような状況になるのだろう。だからこそ、今、所得保障の問題は日本社会全体にとって大きな意味を持っていると思う。

とはいえ、日本に一時帰国したスウェーデン在住の知人たちは"モノが一杯でどこが不況なのかと思った"と声を揃えて言うし、確かにinternet上で眺めている限りでも、外から見たら豊かな国だ。杞憂ならばそれに越したことはないけれど、その"一見豊かに見えること"が何となく恐いな〜と思う今日この頃。

photo of 20030211
20030210:nine-hundred and eightieth day

出国227日目。写真は凍結した"Mälaren"越しに見る市庁舎の様子。

This picture is the city hall in Stockholm taken on frozen "Mälaren". Today, I stayed in my flat the whole day and did some domestic works and studied.

今日は終日在宅にて雑用と洗濯を片付け、勉強を少々行う。日本からFAXにて送られてきた"介護保険制度の見直しで新部会"という見出しのシルバー新報20030207付けの記事にて、2005年度の改正に向けて社会保障審議会に介護保険制度見直しのため部会が来月にも設置されることを知る。記事によると、現行制度にて40歳以上からとなっている保険料の徴収を20歳以上に引き下げ、障碍者も給付対象に含めることが論点に含まれているとのこと。導入以前にあった議論が再燃しているとも言えるけれど、記事でも指摘されているように要介護認定や給付限度額の設定などの介護保険制度の原則を高齢者と若年障碍者に共通して当てはめるのは不可能ではないのか。

最近、痴呆症高齢者と知的障碍者、加齢による身体機能の低下と身体障碍者の相違点について少し考えているけれど、日本だけでなくほとんどの先進諸国において、社会保障制度と社会福祉実践がそれぞれに分かれて存在していることからも、やはり対象層の特性として異なるモノがあるといえるだろう。実際のサービス提供機関は、従来通りの分類で別々に行われるとしても、例えば痴呆症高齢者対象のデイサービスと知的障碍者対象のデイサービスでは活動内容が全く異なるのであり、それに対してどのように給付額を設定しようというのだろう。大体、障碍者福祉に関しては、今年4月から支援費支給制度が導入されるのではないのか。さらに2年後に根本的な制度が変更になったら、大混乱が起こることは避けられないだろうし、第一、制度が変わると各種書式が変更になるから、全国の自治体で生じる膨大な費用は全くの無駄ではないのか。一体全体、日本の介護保険制度、というよりも、社会保障制度はどこへ向かっていくのだろう?

同じ記事によると、以前から話題になっているホテルコストや"施設でもなく、自宅でもない「第三のカテゴリー」"などが、その他の論点として挙げられているらしい。この"第三のカテゴリー"問題は、私の課題である"施設とは何か?"に直結してくる。全くトレンドなど無視しているのに、何故か同時代性が高まっているのは不思議だ。とりあえず日本に帰ってから論文を書くときの"研究の意義"を考えるのが楽になりそうなのは、実は嬉しい。少なくとも私自身にとっては、研究なんて自分が知りたいから勉強して考えるだけのことだと思うのだけど、対外的には常にその研究の社会的な価値を提示しなくてはいけないのが研究の作法なのだ。

"施設の給付範囲が広く在宅よりも安く済むことが、施設人気の背景にある"というのは事実だけど、だからといって"ホテルコストを導入するなど給付バランスのあり方を検討する"となるのはおかしい。経済的理由を入居要件としている養護老人ホームを起源とする日本の高齢者福祉施設は、そもそも救貧対策の一環として成り立っている。さらに住宅が私的財として位置づけられ、住宅政策が社会政策に位置づけられていない日本では、養護老人ホームと特別養護老人ホームに代表される入居型の高齢者福祉施設は、そもそも所得保障と住宅保障の代替的機能を持っている。特別養護老人ホームが、生活の場として住+食+生活支援+介護を丸ごと保障せざるを得なかったのは、本来的に対応すべき制度が不十分だったことの表れなのだと考えられる。

だから本来は、養護老人ホームを除く高齢者入居施設が、所得に応じた応能負担の措置制度から、利用量に応じた応益負担の介護保険制度に移行するときに、公的年金による所得保障をきちんと整備することが必要だったはずなのだと思う。否、おそらく国民年金と老齢福祉年金の給付額を、介護保険制度の自己負担分を支払えるように引き上げ、さらに養護老人ホームにおける在宅サービスの利用を認めれば、養護老人ホームの経済的入居要件を撤廃し、介護保険制度に含めることも可能だったかもしれない。

入居型施設における居住環境を向上させ、居室に対する賃貸契約を結び、家賃としてのホテルコストを徴収するという流れ自体は、決して反対ではない。ただ現状のまま導入するのであれば、"ホテルコスト等を支払うことができて、個室などの恵まれた居住環境に生活する裕福な高齢者"と"ホテルコストを支払うことができず、従来の複数人数部屋に生活する低所得層高齢者"への二極化が進むことは明白だろう。

おそらくホテルコスト導入に関して参考にされているのであろう、スウェーデンにおける"特別な住居(säriskilda boendeformer, special accommodation)"における賃貸契約及び家賃負担が可能になった背景には、1960年代から1970年代にかけての年金制度の充実により、スウェーデンにおいてはほとんどの高齢者が救貧政策の対象ではなくなったことが大きい。また就労経験のない高齢女性など、十分な年金給付のない高齢者には住宅手当などにより所得保障が行われている。そしてスウェーデンにおける社会政策の大きな柱には、住宅政策が位置づけられており、高齢者福祉施設も住宅政策の一環だったからこそ、"特別な住居"に発展していくことができたのだと理解している。

決してスウェーデンの社会制度の全てが良いといっているわけではないし、そもそもの文化や社会のあり方が全く異なるので、真似することは無理なのである。でもスウェーデンが辿ってきた経緯は、日本の状況を外の視点から考えるときに、大いに役に立つと思うのだ。日本には、高所得の高齢者がいる一方で、まだまだ多くの部分において高齢者福祉が"救貧政策"の意味を持っていることが無視されつつあるのではないか、と危惧している。

photo of 20030210
20030209:nine-hundred and seventy-ninth day

出国226日目。写真は"Skansen"の"Moragåden"の建物。

This picture is "Moragåden" at Skansen in Stockholm. In this morning, my friend whose home I stayed at the last night, took me to "Mälaren" that it the biggest lake in Stockholm. It is completely frozen and we can walk on the lake. It was very fantastic experience for me. I thank them very very much!!

昨日の"Skansen"散策は、時間が限られていて、説明を読んでいる余裕がなかったので、この建物がどのような意義を持つのか皆目分からない。"Skansen"の地図を見ていると、まだまだ見ていない場所がたくさん残されていることが判明したので、是非機会を作って再訪してみたい。どちらにしてもStockholmには数多くの見てみたい博物館などがあるので、いずれ観光だけでゆっくり滞在したいと思う。

知人の好意により、中央駅まで行く途中で"Mälaren"に連れて行ってもらう。かなり大きい湖なのだけど、完全に凍結しており、湖上スキーを楽しんでいるヒトもいる。湖畔近くの氷の上を歩く。楽しい。しかも反対側の岸には、市庁舎や大きな教会などが見えて、非常に美しい光景。夏のスウェーデンも確かに美しいけれど、雪が積もっているなかでの晴れた日もまた格別。連れてきてくれた知人に大感謝。

ところが小さな計算違いから、列車の出発時刻に間に合うか間に合わないかのギリギリの時間になってしまい、湖上での優雅な気持ちから一転大いに焦る。Stockholmの中央駅は不慣れなので、荷物を手に知人と共に駅に駆け込み、走りながら掲示板で出発ホームを確認し、ホームに辿り着いた瞬間は車掌さんがまさしくドアを閉めている。"wait!!""vänta!!"と叫びながら走り寄ると、再度ドアを開けてくれた。ホームが駅の入り口から近かったことと、一応はサービス精神のある車掌さんだったことは幸運であった。たくさんお世話になった知人にきちんとお礼をできなかったのは心残りだけど、とにかく間に合ってほっとしたのだった。やれやれ。

photo of 20030209
20030208:nine-hundred and seventy-eighth day

出国225日目。写真は"Skansen"で見かけたヘラジカの様子。

This picture is a mooth taken at Skansen in Stockholm. Since I saw "Skansen in Snow" on Dr.Murata's site the last winter, I have eagered to see it for one year. In the last evening, one of my friend in Stockholm called me and said "the time is now!!" Then, I decided to go there today. It was really worth seeing. I was very impressed there.

昨年の冬、まだ日本にいた頃に、村田敬先生の"www.drmurata.com"にて"雪のスカンセン"の写真を見て以来、実際に自分の眼で見てみたいとず〜〜〜っと願っていた。そして昨晩、そのことをご存知だった村田先生御自身から電話をいただく。"Skansen、雪積もっているよ"と。

20030119に試験を控えている上に、家賃、電話代、学生組合費と立て続けに請求書が届いており、財政的にも少々厳しい状況。スウェーデン国鉄であるSJのサイトと首っ引きで時間と値段を計算し、学生割引と休日割引の二重利用でかなり安くなることを発見したので、心中は8割方決まり、"残り数ヶ月、やりたいことはやらなくちゃ損だよ"と良く分からない理屈で2割を決める(笑)

そのような経緯で午後早い時間に到着したStockholmの中央駅。駅前のバス停から47番のバスに乗り、一路"Skansen"へ。入り口でもらうパンフレットには日本語もあり、それによると"1891年につくられた世界で最初の野外博物館"とのこと。"地球の歩き方−北欧'02-'03"によれば、Hasseliusというヒトが"スウェーデンが他のヨーロッパ諸国と同様に、急激な工業化によって古い伝統を失ってゆくのを嘆"き、"全国から約150種の建物が集められた"のだそうである。何となく、20020713に英国で訪れた"Beamish Museum"を思い出す。

残念ながら園内で当時そのままの状態で営業している各種のお店や建物は全て閉まっていたけれど、雲ひとつない晴天の下、雪の積もった古いスウェーデンの家並みを眺めながらのんびりと歩くのは、最高に気持ちが良くて、少々無理した甲斐がある。のほほ〜んと散歩をしていたら結構な時間が過ぎてしまい、慌てて最大の目的である動物園の地区へ足を速める。最初に出会ったのは羊と山羊と牛。次が、アシカ(?)などの海洋生物。さらに進むと、馬。熊の等身大看板が立っていたので、冬眠中の様子でも見られるのかと近寄ると、熊の代わりにキツネがいた。周辺には、山猫や野豚、猪などもいる。

何といっても今回魅了されたのは、写真のヘラジカと狼の雄姿である。トナカイは見たことがあったのだけど、ヘラジカを見るのは初めて。話では聞いていたけれど、想像以上の大きさで吃驚。足だけで1m以上の高さがあるような印象。スウェーデンの高速道路では、冬季にヘラジカが飛び出してきて大事故が起こることがあるというけれど、確かにあの大きさの動物が勢いをつけて飛び出してきたら、小さなバス位なら簡単に横転してしまいそうだ。さらに立派な角もあるのだ。

狼は日本の動物園でも見たことがあると思うけど、白い雪を背景に銀色の毛が非常に映えて、美しい。しかも結構元気が良くて、動き回ったり、じゃれあったり(?)している。基本的にスウェーデンの動物は冬の方が元気なのだろうか、今回見た動物たちは予想以上に活発に活動していた。もちろん動物たちの居住空間が日本の動物園に比べると、格段に広くて、自由になる空間が大きく確保されているということもあると思うけど。寒さもそれほど気にならず、何時間でも動物たちをぼぉ〜〜っと眺めていたかったけれど、閉園時間になってしまったので、後ろ髪を大いに引かれつつ立ち去る。

夕方からは、泊めてもらうことになっていた知人にとあるパーティへ連れて行ってもらう。普段は出会うことのない企業関係でスウェーデンに滞在している駐在員のご家族の方々に会うことができて、とても楽しかった。さらに持ち寄りパーティだったので、一人暮らしでは絶対に作らないような手の込んだお料理をいただくことが出来て、とてもとても美味しかった。幸せ(笑)

photo of 20030208
20030207:nine-hundred and seventy-seventh day

出国224日目。写真は凍結した"Stora Hamn kanalar"の上を歩く鴨夫妻の様子。

This picture is a couple of ducks waking on frozen "Stora Hamn kanalar(the large habour canal)". Today, we had the last class of this course, and it means that today was the last lecuture at G&outeborg University. We will have the examination of this courese on 19, and after that the field placement will be started.

今日は今回のコースの最後の授業。このコースの後は実習が始まり、実習の後は論文執筆期間に突入するので、つまりは今日が全課程における最後の講義形式の授業の最終日となる。乏しい英会話能力は相変わらずだし、学んだことがどこまで身に付いたのかは、今後に試されることになるのだけど、とにかくここまで単位を落とすことなく、怪我も大病もなく、辿り着けたことは、素直に嬉しい。再来週の20030219には、今回のコースの試験としての発表があるので、来週はレポート格闘週間となる(笑)

昨夜就寝前に、藤井威"スウェーデン・スペシャル[1]−高福祉高負担の背景と現状"(2002,新評論)を読了。例えば、スウェーデンにおける"ナーシングホーム"は"我が国の特別養護老人ホームにあたる施設"(p.202)ではなくて、入居者層からいうと"療養型病床群にあたる施設"であろうという点や、ときどき論理的というよりも藤井氏自身の感覚から断定的に表現している点など、細かいところで多少気になる箇所はあるものの、非常に密度が濃くて、スウェーデンについて総体的に理解できる貴重な1冊。スウェーデンの社会福祉/社会保障制度に興味関心があるヒトや、視察の予定があるヒトは必読であろう。

業務連絡。まだ確定はしていないのだけど、明日は少々遠出をする予定。従って、次回更新は明後日の夜の見込み。

photo of 20030207
20030206:nine-hundred and seventy-sixth day

出国223日目。写真は学生アパート周辺の様子。

This picture is taken near my house a few days ago. We had the classe from the early morning to the late afternoon and all of us became exhausted.

昨日に続いて、今日も終日授業。ただし異なるのは、昨日の特別講義の先生が対話型だったのに対して、今日の授業を行った今回のコースの担当の先生はどちらかというと一方的な講義であることである。20030128にも書いたように、今回のコースの授業は、先生がOHPを提示し、そこに書いてある通りに説明を行うという形式なので、ひたすらにそのOHPを写さなくてはならない。授業中は、人間複写機になった気分。なので先生が教室の意見や質問を求めても、みんな写すのに必死で、考えたり発言する余裕がない。

スウェーデン人はほとんど全員が英語を話せるということは事実だし、もちろん大学の講師や教授は全員が話せる。だけど英語を話せるということと、英語で授業を行えるということは別モノなのだろう。今回の先生など、人柄はとても好ましいし、熱心なのは伝わってくるだけに、スウェーデン語で行う場合にはきっと充実した授業を行うのだろうなと容易に想像ができるので、残念。加えて、彼の研究領域である"交通事故/身体障碍者福祉"を領域とする学生がいなかったことも、教室中に漂う倦怠感の理由だろうと思う。同級生たちは"出席する価値のある授業/ない授業"を判断するので、今回のコースの出席率はかなり低い。OHPを写すだけなので、仲良し同士で出席する日を調整して、ノートだけ確保している友人も2組4人ほどいる。

もちろん得るモノは多少なりともあるのだけど、ただやはり、今回の授業における彼の授業の進め方には疑問を感じざるを得ない。例えば、"今日は身体障碍者に対する政策について取り上げる"と言いながら、どのような具体的な政策があるのかには一切触れずに、当事者団体の説明、しかも"最大の当事者団体は6000人の参加者を含んでおり、最小のは600人"というような情報を伝える意図は何だろう?私たちは、"社会サービス法(Socialtjänstlagen, The Social Service Act)"に関しても、LSS法(Lag om stöd och service till vissa funktionshindrade, The Act about support and service for the function disability)に関しても授業では全く習っていないというのに…。

講義形式の授業はこのコースで終わりなので、最後の最後で何となく不完全燃焼な気持ちになるのがとても悲しい。

photo of 20030206
20030205:nine-hundred and seventy-fifth day

出国222日目。写真は本日16:40の空の様子。

This picture is taken at 16:40 in this afternoon. Conpared with a month ago, hours of sunlight are much longer. Spring will come soon.

論文指導を担当してくれるGerd Gustafsson博士から借りたGun-Britt Trydegård"Tradition, Change, and Varition: past and present trends in public old-age care"(2000, Stockholm University Department of Social Work)を自分でも購入したいと思い、何度かStockholm Universityに電話をしたのだけど、学部に回されるといつもお話中。ようやく繋がったと思うと、既に受付時間は終了したというテープの声。埒が開かないので買うのはあきらめて、Gustafsson博士に事情を説明しコピーをさせてもらっても良いかとメールで尋ねたのが昨夜。本日夜に帰宅し、彼女から"Trydegårdに直接連絡して、あなたのところに送ってもらうようにしてあげる"という信じられないくらい親切な返事を読んで大感謝し、ポストに入っていた郵便物を開封すると、そこにはまさしく新品のその本がStockholm Universityからの請求書とともに入っていた。吃驚仰天。これはどういう魔法?

今日の授業はStaffan Lindkvistという先生による組織の運営に関する特別講義。もともとは法学出身で、銀行や企業での勤務経験があり、自分でコンサルタント会社も運営していたことがあるということで、社会福祉だけではなく組織一般論の運営についての内容。社会福祉領域において、組織とは、政策というマクロと現場での実践というミクロをつなぐ非常に重要な装置だと考えている。従って、高齢者福祉における政策と実践の関係に興味を持つ私にとって、組織運営論は大きな関心を持つ課題なのである。…というのはおそらく後付の理由で、大学の学部で履修した"労務管理"の授業で聞いた"ホーソン実験"がきっかけなのだろう。"ホーソン実験"に関してはコチラなどを参照のこと。

日本でもスウェーデンでも大学院にて組織運営論を聴くのは初めてのことなので、楽しみにしていたのだけど、今日の講義は期待を裏切らない見事なモノで、この授業で習った"Learning Change Strategy(LCS)"と20021106に書いたBlank(2000)の民営化/民有化の4類型に関する論文を知ることができただけでも、留学した甲斐があったなあと思ってしまうほどである。

"Learning Change Strategy(LCS)"とは、変化の非常に激しい状況(現代の市場など)において、どのようにしてその変化に効果的に対応していきながら、短期的な効率性の発展と長期的な競争力をつけていくかという方法論である。ごく端的に言ってしまえば、伝統的な"Programme Change Strategy(PCS)"がtop-down式で雇用者の指示に従って被雇用者は働くのに対し、"Learning Change Strategy(LCS)"はtop-downとbottom-upの両方の側面を持ち、被雇用者は自分たちが定めた目標に向かって働く。また前者が外部からのアドバイスなどの力を変化の起爆剤とするのに対し、後者では組織内部の潜在能力を利用する。つまり"LCS"では、"自分たちの問題は自分たちで解決方法を見出す"のである。思わず"踊る大捜査線"のなかで叫ばれていた"事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!!"という名台詞を思い出してしまった私である(笑)

結局のところ、ヒトは自分がその行為を行うことの意味を納得したときに、その行為に力を発揮することになるのであり、納得の度合いが高いほどその意欲(動機)も高まるのだと思うけど、要するに"LCS"はそれを目指しているのだと思う。またここまでだと単なる理想論のようにも聞こえるけど、"LCS"にはきちんと実践段階に落とし込むための各種ツールも開発されているとのこと。今日の特別講師であるStaffanは、本来"LCS"について1学期(半年)をかけて教えているのだそうで、今日1日ではとてもその具体的な局面までは教えてもらえなかったのが、泣きたくなるほど残念。でもきっと日本でも書籍が出ているのだろうし、英文の論文などはたくさん出ていると思うので、とりあえずはその存在を知ることができただけで良しとするのだ。

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20030204:nine-hundred and seventy-fourth day

出国221日目。写真は学生用アパートの庭に作られた雪だるまの様子。

This picture is the snow man in our house. Today, we had no class and I read Gun-Britt Trydegård"Tradition, Change, and Varition: past and present trends in public old-age care"(2000, Stockholm University Department of Social Work). Because I would like to have my own copy of this book, I called Stockholm University. However, the office at Department of Social Work open only 9-11 and 13-15 in weekday. It was 15:30 when I callled them.

夕方出かけようとしたときに、庭に雪だるまが忽然と現れたことに気が付いた。広告で作られた兜型の帽子を被っていることから、おそらく中国人が作ったのだろうなと思ったところ、後になってやはり私の同級生の中国人が作成者のひとりであることが判明した。紙を使って造形を作る、折り紙という行為が自然にできるのは、私の知る限り中国人と日本人だけなのである。そしてこの学生アパートには日本人は私ひとりという要因からの推察は当たっていた。あれ?韓国人は折り紙をするのかな?

外出の目的は、日本にとある荷物を発送するために郵便業務を受託しているお店に行くことだったのだけど、おそらく5kg以上はある"kartong med porto"の箱を抱えて目的の"Billhälls"というスーパーマーケットに辿り着き、窓口の計量器に載せたところ、カウンターの中にいた若い女性がスウェーデン語でペラペラペラ〜と何事かをいう。何となく嫌な予感がして、"スウェーデン語分からないから、英語で話して下さいな"と乏しいスウェーデン語で頼むと、"がっかりさせると思うのだけど…"との英語での返事。"え?"と聞き返すと、何と"郵便業務の担当者が病欠しているから受け付けられない。明日再度持ってきてね"というすげないコトバ。

そこで発送して、食料品の買物をする予定だったので、5.8kgだった"kartong med porto"の箱を仕方ないので"Billhälls"の籠に入れて、最低限の買物だけ済ませる。海外発送用の黄色い"kartong med porto"の箱は目立つので、レジで並んでいる間の注目を浴びてしまった。

帰路は往路と同じように"kartong med porto"の箱を抱えた上に、買物袋をぶらさげて、住まいの一番近くの郵便業務を請け負っている小売店に立ち寄る。20021107に書いたように、この小売店はアラブ系の一家(?)が経営しており、人懐っこくて親切なのだけど、業務の習熟に今ひとつ疑惑を感じている。だから発送はわざわざ"Billhälls"まで出かけて行くのだけど、果たして今回の荷物は無事に届くのだろうか?

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20030203:nine-hundred and seventy-third day

出国220日目。写真は雪に覆われた"Hagakyrkan"周辺の様子。

This picture is taken near "Hagakyrkan(the church of Haga)" in this morning. In this afternoon, we had the special class with the professor who is a expert on intellectual disability. When she taled about the transfer from institutions for intellectual disability to group homes in Sweden, one of my colleague commented that group homes are still institutuions. It is a very acute question and I always think so.

今日の午前中は雪が降り続いており、午後に一旦止んだものの、夜には気まぐれに再開。ただ気温が零度から−3度程度と高いので、道路では雪が溶けかけており、歩くとぐしょぐしょになる。転倒したら悲惨なことになるのは明白なので、精一杯気をつけて歩くことを心がけていた。

今日は"交通事故"専門の男性の先生ではなく、知的障碍が専門の女性の先生による特別講義。Janne Larsson et al."スウェーデンにおける施設解体−地域で自分らしく生きる"(2000,現代書館)などにより、日本でも広く紹介されているように、スウェーデンでは1960年代から大規模施設に対する批判が起こり、1994年の"入所施設解体令"により、原則としてスウェーデンには入居型の"施設"は全て無くなった。従来、入居"施設"に生活していた知的障碍者は一般のアパートやグループホームに移動した。私は、もちろん、この流れ自体には賛成であるけれども、日本ではグループホームが"在宅"の範疇に含まれていることについては、非常に大きな疑問を感じており、"グループホームは施設の一形態である"と考えている。

さて。今日の授業でその先生がスウェーデンにおける施設解体の政策について説明したときに、何が起こったか?

クラスで一番の論客(?)であるキューバ人の友人が"何故グループホームへの移行が施設解体になるの?グループホームだって施設じゃないの?"とコメントしたのである。彼女は母国では大学で社会学を教える教授なので、おそらく非常に素朴な疑問として感じたのだと思う。ただ私はあまりにあっさりと日頃から感じていて、まさしくそのときに質問しようかと思っていたのと同じことを、全く異なる背景を持つ友人のコトバとして聞いたので、何だかやたらと嬉しかった。色々と質問したいことはあったのに、嬉しさと驚きで相槌を打つのが精一杯だったほど(笑)

彼女のコメントに対する先生の答えは"グループホームの居室を賃貸契約にすることなど大きく異なるけど、確かに従来の施設の習慣をグループホームに持ち込んだことはあるかもしれないわね。だけど今は政策の話をしているのよ"と、逃げて(?)しまったので、残念。

その他にも、"知的障碍者同士で結婚して子どもが生まれたときに育児はできるのか?"ということから、"知的障碍者の女性と結婚する男性は、男性自身もアルコール依存症や薬物中毒などの社会問題を抱えていることが多いのではないか?"などまで議論され、後者の問題提起のときには"普通の男性が知的障碍者の女性と結婚しようなんて思わないだろう"という発言が出て、それに大きく頷く同級生が多かったので、正直なところ"ぎょぎょっ!!"と驚いた。私の経験では、日本の社会福祉専門教育の授業において、このような"自分が偏見/差別を持っていると思われるかもしれない"発言はまず出てこない。この発言を聞いたときの私自身の心中でも、"そんなことを認めるのは偏見差別に繋がる"と思う気持ちがあり、"だけど現実としてはどうなのだろう?"という疑問が激しく揺さぶりをかけていたのであった。理論的な視点では、知的障碍の程度により異なるのではないか?という疑問も感じていたけれど。

ちなみに"グループホームは施設か否か"という問題については、まず"(入居型)施設とは何か?"ということから考えなくてはならない。かれこれ10年以上も考え続けている、かなり難しいこの問いに対する現時点での自分なりの答えをまとめなくてはと思っている。その上で、"施設"の持つ長所と欠点を整理し、"どのように欠点を克服し、どのように長所を生かしていくのか?"ということに取り組むことが次なる課題となる。

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20030202:nine-hundred and seventy-second day

出国219日目。写真は本日午前中の雪の光景。

This picture is taken near my house in this morning. It has been snowing since the last night and snow covered all over the city of Göteborg. I enjoy it very much. Today, I stayed in my flat and read Gun-Britt Trydegård"Tradition, Change, and Varition: past and present trends in public old-age care"(2000, Stockholm University Department of Social Work). It gives me a lot of suggestions.

20030105のように大荷物を持って移動するのではない限り、雪は楽しい。朝目覚めたら粉雪が結構な勢いで降り続いていたので、思わず散歩に出かける。強い風がときどき吹くと、地面に積もった雪の表面から切片が舞い上がって、一瞬の雪嵐。その様子を写真に撮ろうと挑戦したのだけど、無理であった。フラッシュを焚くと手前の雪ばかり写ってしまうし、焚かないと降っている雪は撮れない。掲載している写真も本当はゴンゴン雪が降っている様子なのだけど。残念。

帰宅後は夕方までずっとGun-Britt Trydegård"Tradition, Change, and Varition: past and present trends in public old-age care"(2000, Stockholm University Department of Social Work)を読む。4編の発表済み論文を基にした博士論文なのだけど、最初の1編は高齢者福祉に携わる専門職の立場や業務、教育内容の変遷からスウェーデンの高齢者福祉の変遷について考察している。2編目は、一般の住宅と特別な住宅(施設)の双方における利用者の特性や社会経済状況を考察している。後半の2編の論文では、一般の住宅で生活する高齢者に対する社会サービスの自治体間格差に関する研究である。この研究により、各基礎自治体(kommun, municipality)における80歳以上の高齢住民に対するホームヘルプサービスの対応率(該当年齢層住民の全数に対する利用住民数)は、5%から52%もの格差があることが明らかになっている。

また彼女は1本目の歴史的変遷を辿る研究で、スウェーデンの高齢者福祉100年の変化を"救貧対策から普遍的福祉を経て必要度に応じた援助へ(from poor releif via general welfare to needs-tested help)"(p.62)というひとつのまとめを行っている。高齢者に対する福祉と保健、そして医療の一部に対する責任を基礎自治体に全面的に移行した1992年のエーデル改革(Ädelreformen, the Ädel reform)は、日本語文献では"画期的"と全面的に評価されていることが多いし、確かに評価される面も多いと認識しているけど、実は"介護の必要の高いヒトにのみ、サービスが集中するようになった"という新たな問題を生み出した。このことは社会庁(Socialstyrelsen, National Board of Health and Welfare)自身の報告書においても指摘されているのだ(English summary of "The Ädel reform final report 1996")."介護の必要の高いヒトにのみ、サービスが集中するようになった"ということは、例えば買い物や散歩の付き添いなどの日常生活上のちょっとした援助があまり行われなくなったということであり、その分主に家族の力を借りるようになったということである。家族の負担増は同じ社会庁の報告書でも指摘されている。

この地域間格差の問題と、サービス提供の偏りの問題は、スウェーデンの研究者が多く取り上げており、最近の資料収集のなかでもたくさん見かけている。もちろん地方分権はその地域毎の状況に応じたサービスの提供を可能にするという点だけでも重要だし、"必要度に応じた援助へ"の流れも、後期高齢者の増加と経済の不調という状況においては、社会資源の効率的な分配として有効であろう。ただTrydegård(2000)が述べているように、従来のスウェーデン福祉国家が目的としていた"平等"や"普遍性"という価値には、(ある程度は)相反する流れだといわざるを得ない。

…と、ここまでは納得できるものの、"では自分はどう考えるのか"ということに関しては、未だまとまらない。福祉国家論における"平等"や"普遍性"という価値の意味も含めて、今後も考えていきたい、否、考えていかなくてはならない問題だろうと思っている。

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20030201:nine-hundred and seventy-first day

出国218日目。写真はとある電灯の柱の装飾。

This picture is the pole of public light on a street in Göteborg. Today, I stayed in my flat and read Gun-Britt Trydegård"Tradition, Change, and Varition: past and present trends in public old-age care"(2000, Stockholm University Department of Social Work). My supervisor of the degree report lent me this book a few days ago.

気が付けば、2月になっている。残り半年ではなく5ヶ月になってしまった。最近、知れば知るほど、自分が知らないことを知り、ますます知りたくなる、ということを実感している。結局、ヒトは自分の経験と知識に基づいてのみ、モノゴトを理解できるのだということを痛感している今日この頃。

20030127に、修士論文指導を担当してくれるGerd Gustafsson博士から借りたGun-Britt Trydegård"Tradition, Change, and Varition: past and present trends in public old-age care"(2000, Stockholm University Department of Social Work)を、終日在宅にて読む。今回の自分の論文の最大の参考文献になる見込みなので、じっくり読み進めていきたい。

昨日"Nordstan"内の"Hemköp"でパック入りの豆腐を見つけて購入したので、食してみる。生で食べるのは少々不安があったので、湯煎して、サラダにして、刻んだネギと鰹節を大量にかける。う〜ん、久しぶりの味。幸せ。日本で販売されている木綿豆腐よりもだいぶ固いけれど、豆腐であることには変わりはない。以前にも中華食材店で購入したことはあるけど、"Hemköp"で他の食糧と一緒に買えるのはとても助かる。"Scandinavia Soya Company"というデンマークの会社が生産している様子。私が購入したのは20.9sek(*13-15円)の種類だったけれど、横には30sek以上する種類もあった。果たして、味はどのように異なるのだろうか?

今年の読書記録には論文も含めようと思って、最初は書いていたのだけど、とても更新が追いつかないので1ヶ月にして中止(笑)

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