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20030415:one-thouthand and forty-third day
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出国291日目。写真はStockholmにある王宮正門の衛兵交代の光景。
This picture is the ceremony of changing the guard in front of the royal palace at Stockholm. Today is the special day for me and my Japanese friend invited another Japanese friend and me to the dinner. We cooked lots of tenpla and enjoyed eating them with talk.
今日は、個人的に少々特別な日。それを知っていた家族や友人たちからメールをもらい、とても嬉しくなる。また、夜にはユカコ氏から招待され、彼女の友だちのAさんと3人で一緒に夕食をいただく。道に迷ってしまったために昨日に続いて再び遅刻した私を待っていたのは、天麩羅を揚げている2人の姿。日本を出国して以来、数ヶ月ぶりの天麩羅に大感激。ほぼ同じ年(?)の女性3人で色々なことを話しながら、楽しいひと時を過ごす。あっという間に夜が更けてしまった。留学をして最も痛感するのは、家族や友人の存在の有難さだと思う。多謝!!
20030408に、論文の指導教官のGerd Gustafsson博士から紹介された彼女の同僚でもある他の先生にインタビューの打診を行ったところ、"休暇でフロリダに行っているので、シノに会えるのは20030509以降になる"という返事を受け取る。インタビューのまとめから論文執筆に着手することになっており、既に始めてしまっているので、"それでは遅すぎるから(研究者に対するインタビューは)無理ではないか?"という相談を、Gerd Gustafsson博士に行っていた。ところが彼女は、"考察結果の確認としてでも良いから、あくまで研究者に対するインタビューを含めるように"ということで、とりあえずその指導には従うつもりだけど、時間的に少々困ったことになったなあというのが本音。次回の論文指導の際に、改めて相談してみる予定である。
そういえば昨日の日中に路上で、実習先の高齢者福祉部で知り合ったVさんに偶然出会った。どうやら自宅が私の住まいに近いらしい。彼女は、地区内の全ホームヘルパーのまとめ役をしており、忙しい時間を縫って私の質問に答えてくれたことがある。ニコニコしながら近づいてきてくれた彼女としばらく立ち話していたのだけど、その際に地方自治体に勤める現場職員が加入している労働組合にてストライキが行われることになったという話題が出た。Vさん自身や、私の指導を行ってくれた"高齢者担当ニーズ査定員(biståndabedömare, need's assessment officer)"のCさんやIさんは異なる組合に属しているのでストライキは行わないけれども、ホームヘルパーなどの介護職員が来週からストライキを行うとのことで、ホームヘルパー部門の配置管理を行っているVさんは"その対応で、今はとっても忙しいのよ"と話していた。
奥村芳孝氏のサイトの"最近の動向"によると、"介護職は除かれる"と報道されているとのことなので、もしかしたら私の聞き間違いかもしれないけど、でももし本当に介護職員もストライキを行うような事態が生じた場合には、どのように対応するのかに関しては非常に気になるところである。
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20030414:one-thouthand and forty-second day
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出国290日目。写真はStockholmのとある通りの光景。
This picture is taken on a street at Stockholm. Today, I met two younger Japanese friend and had a lunch together. After that, I read Erving Goffman "Asylums"(Anchor Books, 1961) and thought how I develop it into my degree report.
今日は年若の日本人の友人2人と会い、昼食を共にする。仕事関係で送らなくてはならなかったFAXがうまく送信できずに悪戦苦闘していたら、少々遅刻してしまい、申し訳ない気持ち。待ち合わせの場所に時間通りに到着していた彼女たちを見て、やはり日本人は時間に正確だよな〜としみじみ思う。同級生たちと待ち合わせすると、大抵時間通りには集まらないのだ。ちなみに私のクラスでの遅刻常習は、アルメニア人とルーマニア人の友人たちであるが、実際のところ、このような習慣が何に起因しているのかということには、興味がある。
コートを着ていると暑くなるくらいに暖かいお天気だったので、彼女たちと別れた後でカフェに入り、窓辺の席を確保し、Erving Goffman "Asylums"(Anchor Books, 1961)を読む。冒頭にて、"a total institution"という概念は、"多くの人々が、相当の期間に渡り、より広い社会から切り離されて、共に閉じ込められ、公式的に生活周辺を管理されながら、居住し働く場"として定義されている。さらに、その総合的な特徴は、"外部との社会的な交流の遮断に象徴される"と説明されている。
以前から、"施設"というコトバが"設備"と同意的に用いられるときや、または"学校"や"駅"などの"公共施設"に対しては批判が少なく肯定的に受け入れられるのに対し、特別養護老人ホームなどの社会福祉"施設"の文脈で用いられるときには、何故否定的な意味が込められるのだろうと疑問に感じていたのだけど、Goffman(1961)を数頁読んだところで、その理由を理解したように思う。彼自身も、"日常的な意味では、'施設'と呼ばれる"モノとして、"social establishments"というコトバを用いている。その具体例としては、まさしく駅や学校、郵便局だけでなく、店舗や家屋などまで挙げられているのである。
Goffman(1961)は、"全ての'施設'は、ある程度の時間とメンバーの興味をとらえ、世界の何かを彼らに提供する"のであり、従って"全ての'施設'は、囲い込みの傾向を持つ"と述べている。この後に、前述の"a total institution"の総合的な特徴に関する記述が続くのであるが、ここまで読んで、私は自分の感じていた疑問は日本語の"施設"というコトバが、"establishment"と"institution"という2つの意味を含んでいることに因るのではないかと思ったのである。
つまり"institution"という意味で"施設"というコトバが用いられるときには、それはGoffman(1961)が説明するところの閉鎖的な"a total institution"としての側面が強調されるのであり、従って否定的に理解される。一方、"学校"や"駅"、もしくは"設備"を表す場合には、"establishment"として用いられているのであり、肯定的になるのではないか、と理解できる。
ちなみに愛用の電子辞書であるsii"SR9200"に搭載された"広辞苑第5版"にて"施設"を引くと、"ある目的のために、建物などの設備をすること。また、その設備"とある。これが本義だとするならば、いつから"施設"というコトバには、"institution"としての意味を内包するようになったのだろう?
おまけの話題。以前に森泰人氏から教えていただいた"おそらく市内で最大で最も安いCD店"という"skivhugget"に寄る。"Masthuggstorget"にあり、確かに広い。さらにDVDやクラシックなどは別店舗に分かれている。森氏自身が参加されていて以前から探していたLars Jånsson/Bohuslän Big band"one poem, one painting"を見つけたので、視聴して気に入ったMarits Bergman"3.00am serenades"と併せて購入。書籍とCDだけは買い損ねると後悔すること必至なので、気に入ったら買うことにしている。各国音楽を集めたコーナーに少ないけれど日本のコーナーもあり、高橋幸弘氏の昔のCDを見つけて吃驚。さらにはsoul flower unionの"復興節"が収録されたコンピレーションCDがあり、日本盤ではなかったので一瞬購入しようかと迷ったけれど、他の収録曲が惹かれなかったので我慢したのであった。DVD専用店舗に入ると、B級SF映画として名高い"Barbarella"が、何故か99sekという値段で売られていたので、散々悩んだのだけど、やはり我慢。帰宅後調べたところ、日本語版も3,980円にて発売中らしい。廉価版で復旧されたのかな。
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20030413:one-thouthand and forty-first day
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出国289日目。写真は"社会福祉庁(Socialstyrelsen)"の本部ビルの様子。
This picture is the building of "Socialstyrelsen(the national board of health and welfare)". Today, I stayed in my flat the whole day and did some domestic works, such as laundry and cleaning.
今日は終日自室に篭り、洗濯や掃除やメールの返事書きなどに励む。予約していた時間に少しだけ遅れて洗濯室に行ったら、他のヒトが使っており、"またか…"と憂鬱な気持ちになる。定刻どおりに行くと、大抵前のヒトがまだ終わっていないし、どうすれば良いというのだろうと、困惑している。
周囲の同級生たちと自分を比べてみて、"他人に迷惑をできるだけかけたくない"というのは日本人の美徳なのかもしれないと思うことがある。今回の旅行で気が付いたことだけど、例えば、南アフリカ人たちは非常に社交的である反面、他人に何かを頼むことにほとんど抵抗を感じない様子である。旅行中も、自分たちのカバンに入らない荷物を私のカバンに入れてくれと頼まれたり、"Nils Ericson terminalen"に到着後、アパートに帰らずそのまま遊びにいくために、私や中国人の友人に自分たちの荷物の一部を持って帰ってくれと頼んだり、非常に気軽に言ってくる。私はお金の貸し借りは絶対にしないと決めているし、できないことはできないというのだけど、中国人の友人は私よりもずっと優しいのでいつでも引き受けている。ちなみにフィリピン人の友人は、この南アフリカ人の依頼癖について強い嫌悪感を持っているので、彼女は一切断っている様子。
今回の旅行で一緒に行動した5人組のうち、カメラを持参していたのは中国人の友人と私であり、彼女も私もたくさん写真を撮った。ただし、私は日記用の風景写真を多く撮るのに対し、彼女は自分の写真を撮りたがる。従って、景色が良いところであれば、たくさんヒトが歩いている歩道であろうが、カフェであろうが、気にせずに"撮って〜"と頼む。南アフリカ人とフィリピン人の友人たちが文字通り苦笑しつつも見守っているのに対し、カフェでフラッシュを焚いて写真を撮ったときには、"もうちょっと周囲を気にかけない?"と我慢できずにいってしまった私である。この短気さは私の欠点だと自覚しているのだけど…。
このような特徴が、個人的なモノなのか、文化や習慣によるモノなのかは分からないけど、とにかく"ヒトの価値観は様々だなあ"ということを改めて実感した数日間であった。
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20030412:one-thouthand and fortieth day
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出国288日目。写真はStockholmのとある通りの光景。
This picture is taken on a street at Stockholm. In this afternoon, I went to the cinema. The movie was "Bowling for Columbine" and I think that is worth seeing.
今日の午後は、"Bowling for Columbine"という映画を見に行く。19990420にコロラド州のコロンバイン高校で起こった同高の生徒による銃乱射事件を中心的題材に、"何故アメリカでは銃犯罪がこれほどまでに多いのか?"という問題にMicheal Moor監督が突撃アポなし取材を繰り返すこの映画は、その内容の重さとともにエンターテイメント性も兼ね備えている非常に大きな見る価値のある作品。"なんで?どうして?"を繰り返し、インタビュー相手の回答の矛盾をときには指摘しつつ、掘り下げていく監督の姿に、個人的にはインタビュー調査の基本的な姿勢を見るような思いであった。何というか、自分の足を使って調べることの重要性を痛感する。また書物でも写真でもなく映像という媒体を選んだことを十二分に生かす構成、特に深刻なだけではなく見ていて"面白い"と感じさせる力については、本当に素晴らしいと思う。いやはや、とにかく色々な意味で衝撃的な作品であり、早くも私の2003年最高映画と決定(笑)
悔しかったのは、登場する人物は全て一般のアメリカ人であり、当然彼らにとっては普通の速度で話すために、他の映画と比べて私には聞き取れない部分が多かったということである。おそらく内容を全部理解できたら、少し異なる感想になると思うので、帰国後に改めて見たいと思っている。たくさんある初めて知った事実のなかでも驚いたのは、20020911のあとアメリカのショッピングモールである"wal-mart"では銃の売り上げが70%も伸びていること、また日本の銃殺害被害者が年間に39人なのに対して、アメリカでは11,127人にも上ること。この2箇所では、隣に座っていたスウェーデン女性も息を飲んでいた。もう少し英語が堪能に話せて、南アフリカ人と同じくらいに社交的だったら、隣の席の彼女に感想を聞くこともできたのかもしれない、と思うとかなり残念。スウェーデン人が、この映画を見てどう思うのかについては非常に興味があるところである。
本編が始まる前に、"en dödda barn"というスウェーデン語の映画が開始したので、最初は劇場を間違えたのかと思って吃驚した。ナレーションだけで進んでいく静かな映画で、内容も題名の通りひとりの子どもが死んでしまう話なのだけど、これがなぜ放映されたのかが謎。スウェーデンでは短編映画をこのような形で併映するのが一般的なのか、それともこの映画だからこの短編映画を併映したのか、それとも安全運転推奨のための啓蒙映画だったのか、見当がつかないのである(笑)
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20030411:one-thouthand and thirty-ninth day
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出国287日目。写真は"Röda Båten"の様子。
This picture is "Röda Båten" in Stockholm. Today, we visited to "Riksförsäkringsverket(the national insurance board)" and "Socialdepartmentet(social ministry)".
"Röda Båten"は名前の通り、写真中央に見える赤い船のユースホステルである。ただし、私たちが宿泊したのは、写真奥にかすかに写っている白い船の客室であった。
今日の午前中は、"社会保険庁(Riksförsäkringsverket, the national insurance board)"を訪問する。"Riksförsäkringsverket"は、年金や家族政策のうちの現金給付部分、また障碍者に対する現金給付などを担当している中央行政庁である。まず最初に1999年に実施された高齢者年金制度の改正についての講義を受ける。20021129に提出した"Welfare System"というコースのレポートで年金制度について取り上げていたので、とても興味深い講義であった。以前からの疑問であった"今回の改正が討論された際の年金者組合やその他の組合の反応はどうだったのだろうか?"ということについて、質問をしてみる。すると、説明を担当してくれた男性は"それが自分たちも予想外だったのだけど、年金者組合は全く反対せずに賛成したのだ。なぜ彼らが賛成したのかの理由については我々にも謎なのだが…"ということであった。次に、"研究者の中には、今度の年金の改正は働くことを強制する方向が強くなった点が最大の問題であると批判している人々がいるが、これについてどう思うか?"という質問をしたところ、"もともとスウェーデンの社会保障制度は働くことを前提としているのであり、それは批判として成立しない"という回答が返ってきたので、"それが問題でないとするならば、何が最大の問題だと思うか?"という質問を重ねる。すると"う〜ん、それはなかなか興味深い質問だね。そうだねぇ、それはやはり政治の問題が大きいな。今回の制度は景気が悪くなって年金の財源が減ると、給付額も減る仕組みだから、一気に経済状態が悪化した場合には、国民の政党支持に大きく影響するだろうと考えられる。もしその時期と選挙が重なった場合には、かなり大きな問題となり得るね"ということであった。
家族政策と障碍者政策に関する講義に入る前の休憩時間に、説明を担当してくれたヒトと立ち話をしていたところ、"え?君は日本から来たの?実は数日前に日本の官僚と会って、年金制度について話してきたばかりなんだよ"という。そこで私が"確かに、この制度は日本の厚生労働省が興味を持つと思いますね。ただスウェーデンと日本は大きく他の制度の状況が異なるので、スウェーデンで成功する見込みだからといって、日本で上手く行くとは思いませんけど"と率直な感想を述べてみた。すると彼は"うん。そうだね。日本に導入するためには、他の制度の調整が必要になるだろうね"と同意を示してくれた。
実際にどの立場の"日本の官僚"と会ったのかは不明だけど、スウェーデンと日本のの社会保障制度改革を両方追っていくと気づくように、スウェーデンの制度を参考にしていることが多いと思われる厚生労働省のことなので、おそらく数年後に今回の年金改正を参考にした改正案が浮上するのではないだろうか、と推測してみる。昨年のレポートを書いているときに知ったのだけど、今回の改正については日本の政治家のなかにも強い関心を持っているヒトがいる様子。先行している立場の成功事例を参考にするのは良いことだと思うけれど、モノゴト全て単体で機能しているわけではなく、特に社会保障制度や政策などは、他の制度政策や社会状況、家族文化、社会で共有されている価値観などと強い関係を持つと理解する。従って、そこに流れている哲学や理念を無視して、制度単体のあり方だけを導入しても、結局穴だらけのパッチワークのようになってしまうだけではないのかな、と強く危惧する。この状況は、アメリカで発達している相談援助の技法だけを次々と紹介して、それを日本の状況に即して定着させる努力がなされていないと度々批判される、日本の"ソーシャルワーク方法論"の状況に非常に通じるモノがあるように感じてしまうのは、少々うがち過ぎな見方であろうか?
午後は、"社会省(Socialdepartmentet, social ministry)"に行き、政策立案の手順についてなどの講義を聞く。講義時間が1時間と短かったのが残念で仕方がない。もっと余裕があれば質問をしたいことは、たくさんあったのだけど、無念。
15:15にバス帰宅組の計5名にて"Socialdepartmentet"を離れ、中央駅のコインロッカーに預けておいた荷物を取り、15:45に"Swebus"にて"Cityteminalen"を出発。Söderälje Syd, Nyköping, Norrköping, Linköping, Ödeshög, Gränna, Jönköping, Uirecehamn, Boråsの各都市にて停車した後に、22:40にGöteborgの"Nils Ericson terminalen"に無事到着する。自室に帰宅したときにはかなりくたくただったけれど、広いと感じられる空間でシャワーを浴びて、ひとりきりの部屋で眠ることが出来たのは幸せであった(笑)
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20030410:one-thouthand and thirty-eighth day
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出国286日目。写真は雪降るなかの"Röda Båten"の舳先の光景。
This picture is "Röda Båten" in Stockholm under snowing. Today, we visited to "Socialstyrelsen(the national board of health and welfare)" and had the lectures there the whole day.
今回のStockholm視察旅行に参加したのは、私を含めて計9人の学生と引率役である課程責任者のTorunだったのだけど、そのうち中国人、フィリピン人、南アフリカ人2人と私の5人が、"Röda Båten"という船のユースホステルに宿泊した。格安の代わりに、水道も湯沸しもない部屋で、蚕棚のようなベッドが3つ設置されている3人部屋。小さなトイレと洗面所、50cm四方の狭いシャワー空間が廊下にあり、共用になっている。朝と夜はシャワー兼トイレ室前に列ができるなど、当然不便はあったけれど、たぷ〜んたぷ〜んと水のあたる音を聞きながら、ゆりかごのように揺れる停泊している船の客室で寝るのは、なかなか貴重な体験であった。
昨夜は私が南アフリカ人2人と少しお喋りをして部屋に戻ったところ、20:30前だというのに同室の中国人とフィリピン人の友人は既にベッドに入っており、普段から早寝の中国人の友人は寝息を立てていた。慌ててシャワーを浴びた後に、仕方がないので私も就寝。21:00前に就寝するなど、病気になったとき以外は考えられない。今朝は8:00に起床したのだけど、寝過ぎてだるいほどだった(笑)
外では相変わらず雪が降り続いており、帽子は持参していなかったので、マフラーを変形真知子巻きにしてしのぐことにする。すると同じく帽子を忘れた中国人の友人も真似をしたので、2人で笑いあう。私以外はStockholm初訪問だったのと、全員が"自分は方向感覚がないから、シノについていく"というので、何故か今回の旅行を通じてガイド役を務めることになる。今までにStockholmに来たときは大抵知人に案内してもらっていたので、今回地図を見ながら自分で考えながら歩いて、ようやくStockholmの地理が少し理解できた。
今日は、"社会福祉庁(Socialstyrelsen, the national board of health and welfare)"を訪問し、終日各部門の担当者から話を聞く。"Socialstyrelsen"は、私たちにとっては最も馴染み深い政府機関であり、医療や社会福祉などの社会サービス全般に関する日常行政業務責任を負う中央行政官庁である。まず最初の講義は、医療と保健について。この講義において、私が一番興味を引かれたのは、昨今の医療の現状の問題について、政府機関の公式見解的とはいえ率直に語っていたところである。特に人材不足については、第一に、"改めて教育には力を入れているけれど、現在働いている1940年代のベビーブーマー世代が高齢化しつつあるなかで、ちょうど中間層の人材が足りておらず、それが問題の一因となっている"ということ、第二に、"高度教育を受けた人々はフルタイムで働くことを好まないために、人材が不足してしまう"ということであった。別の視点ではあるけれど、この"1940年代生まれ世代の高齢化"ということについては、先月の実習中にも話を聞いた。つまり、絶対数が多いこと、スウェーデンの豊かな社会を享受してきた世代であること、従ってより質の高いサービスを求める傾向にあることなどが特徴として指摘できるために、財源不足の中でどのように対応していくかが大きな課題となっている様子である。日本における団塊世代の高齢化と全く同じではないかな、と個人的には理解している。
次は、薬物依存の問題に関する講義だったのだけど、まずはこの領域における"治療(treatment)"というコトバの定義の難しさについての説明から始まり、その整理のために現在ガイドラインの作成プロジェクトが進行中なのだそうである。この問題についての説明を担当してくれた女性は、このプロジェクトと"治療"の質の指標を作成するプロジェクトに関わっているという。後者は、異なる"治療"方針を持つ機関における"治療"の効果をスケールを用いて調査し、どの方法がより効果の高いのかを探るのだそうである。この説明のあと、ルーマニアの社会福祉保健省から来ている友人が、かなり専門的な質問を次々と繰り出し、この分野に詳しくない私にはほとんど理解できなくなったのであった。実際のところは、説明役の彼女も去年の9月から薬物依存担当の部門で働き始めたばかりとのことで、多くの質問には答えられていなかった様子。
この後、昼食をはさんで、午後から民族性の問題への取り組みに関する講義と、社会福祉領域の知識開発に関するプロジェクトについての講義があり、最後の講義が個人的には最も面白かった。この講義に関しては、また後日改めてまとめてみたいと思う。
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20030409:one-thouthand and thirty-seventh day
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出国285日目。写真は世界の車窓から@Göteborg-Stockholm編。
This picture is taken through the window of the coach from Göteborg to Stockholm. Today, my colleagues and I taken the coach to Stockholm, bacause our course coordinator arranged some national organisation visit for us.
課程全体の責任者であるTorunの調整により、クラスの希望者によるStockholm政府機関訪問が実現することになったので、参加。今回の訪問は、出身国の中央もしくは地方政府から派遣されて来ている同級生のひとりが希望したことが契機となっている。訪問自体は明日と明後日なのだけど、仲良しの中国人とフィリピン人の友人たちと相談の結果、費用をできるだけ安く押さえるために、長距離バスにて行くことになった。いつもひとりで行くときに使うx2000だと3時間程度なのだけど、バスの場合には約7時間かかるため、前日である今日に出発しなくてはならない。
というわけで、8:25に"Nils Ericson terminalen"を出発した"Säfflebussen"による長距離バスは、Trollhättan, Vänersborg, Lidköping, Götene, Mariestad, Örebroの各都市での停車を経て、15:45にStockholmの"Cityterminaelen"に到着した。長時間座り続けたのは少々疲れたけれど、おそらく訪れることはないだろう様々な都市の市街地を見ることが出来たのは楽しかった。ちょうど正午前に停車したMariestadでワゴンに珈琲とサンドウィッチを積んだ車内販売の女性が乗り込んできたのは、予想外で吃驚。また長距離にも関わらず、時刻表に掲載されている通りの時刻に決められた停車地点に到着、発車していたことには、感動的ですらあった。まあ、信号も渋滞もないので、当然といえるかもしれないけど(笑)
Göteborgを出発するときは、快晴の良いお天気で、道中も写真のように青い空の下の景色を満喫していた。ところが、ほぼ3分の1を過ぎたあたりで徐々に雲が現れ始め、Örebroに到着したときには曇天。そしてStockholmまで50kmの道路表示を越した周辺から、雪が降り始めたのである。Stockholmに到着したときには、すでに積もりつつあるほどの本格的な降雪になっており、"スウェーデンの春を侮ってはいけないな…"と痛感することになった。
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20030408:one-thouthand and thirty-sixth day
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出国284日目。写真は"Nils Ericson terminalen"の様子。
This picture is "Nils Ericson terminalen". In this afternoon, I had a meeting with my supervisor of the degree report. She gave me some usefull suggestions and I should try to describe the answers of the interviews.
今日も風は冷たかったけれど、晴天だったので、市街地に出たついでに少し足を伸ばして中央駅の付近を歩く。"Nils Ericson terminalen"は中央駅の北側にある長距離バスの発着場。写真には、黄色や緑のバスが小さく写っている。
今日の午後は、論文の指導があり登校。指導教官のGerd Gustafsson博士から、相変わらず有意義な助言をたくさんいただき、多謝。当初は英語のインタビューに答えてくれる介護職員を見つけることが難しいと予測していたので、高齢者福祉を専門とする研究者を2名含める予定であった。結果的にCさんの協力により、2人の介護職員を確保できたのだけど、前回の指導の直後に、彼女は彼女の同僚でもある他の先生にインタビューの打診をしてくれており、その先生も私の質問内容に興味を持ってくださっているとのことなので、急遽7件目のインタビューを行うことに決定。正直なところ、ようやく6人全員のテープ起こしが終了して、ほっとしていたところだったので、少々荷が重い気もするのだけど、より良い論文をまとめるための努力は惜しんではならないのだ。
インタビューの結果のまとめ方などについて指導を受けた後に、私の論文の"理論的枠組み(theoretical framework)"について相談をする。いつものことだけど、私のテーマは主に私の個人的な経験から生じているので、明確な理論的な枠組みに基づいて研究しているわけではない。とはいえ、コレがないと"論文"とはいえなくなってしまうので、率直にいって、一番苦手な部分。日本で書いた修士論文では、コレの重要性を理解していなかったために、非常に情けない思いをしたので、二度と同じことは繰り返したくないのである。ただし、私の理解している限り、日本(の社会福祉学領域)では、"理論的枠組み"は"研究方法"と呼ばれているモノのなかに含まれてしまっているような気がする。英文の論文では、"research method"といった場合はまさしく"調査"の方法論であり、"theoretical framework"は研究全体の分析の枠組みであると理解している。…もし違っていたら、是非ご指摘を。
ところで、"どのような理論が、私の理論的枠組みとなり得ますか?"と質問したところ、それまで歯切れよく質問に答えてくれていたGerd Gustafsson博士は"えっ!?"という表情になる。そこで一応考えておいたいくつかの案を述べたところ、"ええ。いいのではないかしら。理論についてはあまり考えていなかったわ。私も考えてみるから、シノも考えてみてね"ということであった。彼女も高齢者福祉の現場から研究者に転身したヒトであり、どちらかというと"理論"よりも"現実の問題"について重きをおいている様子。もしかすると、"だからこそ波長があうのかも知れないな〜"と思った瞬間であった(笑)
この件にに関して、目下の最大候補はErving Goffmanの"total institutions"という概念であり、日本にいた頃から"読まなくては…"と思っていて後回しになっていた"Asylums"(Anchor Books, 1961)を図書館で借りる。施設論にずっと取り組んでいながら、未読であったというのは恥だけど、後悔しても遅いので、とりあえず今回読むことで良しとする。英語版は注文をしたので、日本語訳も入手したいと思ったけれど、誠信書房から出版されている日本語訳は既に品切れ。"日本の古本屋"や"スーパー源氏"や"BOOK TOWN 神田"などのオンライン古書店を検索しても、発見できず。残念。
ちなみにGerd Gustafsson博士の教え子のなかに、Goffmanの理論を基本にして"小規模個室ユニット型高齢者福祉施設で如何にして施設化が生じるか?"という問題に取り組んだ学生がいるという。この論文を読んでみたいと思ったけれど、スウェーデン語で書かれているそうで、落胆。読むことができないのは非常に残念。それでも、20030403に書いた"個室化すれば、脱施設になるのでは決してない"という問題を考えたスウェーデン人の学生がいることを知り、何だか強い味方を得た気持ちで嬉しい。
業務連絡。諸般の事情により、数日間更新が滞る予定。次回更新は20030411もしくは0412の見込み。ご了承のほど、よろしく(笑)
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20030407:one-thouthand and thirty-fifth day
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出国283日目。写真は木の枝の芽吹きの様子。
This picture is taken on a street in Göteborg. Today, it was a fine day and we had the clear blue sky, but it was very windy. Some friends of mine get a cold now.
植物に関する知識は疎いので、名前や種類は分からないけれど、歩いていると木の枝の先に芽が膨らんでいる光景を見かける。東京の満開を迎えた桜には及びもつかないけれど、少しずつ春を感じる機会が多くなっている。ただし、最近の数日間は晴天だけど、冷たい風が強い日が続いているので、体感温度は非常に低く寒い。学生アパートには風邪をひいている友人たちが数人いるので、私も気をつけなくては…。
今日はきちんと朝起床して、洗濯をしつつ、夕方まで自室で勉強。所用があったので中心街まで行くも、結局用事が実行できず。さらに合気道の継続コースにカードを購入しようと思って、fysikenまで行くも、結局購入できず。合気道の先生は"すでにそのカードが適応される学期の途中だから、初級を終えているといえば割引になるわよ"と教えてくれたのに、fysikenの窓口の担当者は"初級を終了したという割引のための証明書が必要である"という。確かに、今回の割引は特例なので、提示された証明書の書類は、私が問い合わせを行っていた合気道の先生が特別に作成したモノ。せっかく来たので、"初心者コースを終了したことは、そこにあるpcでも確認できるでしょう?"と粘ってみたものの、駄目であった。む〜。
無駄足を2件も踏んだのでいささか憂鬱な気持ちになりつつ、とりあえず合気道のコースに行く。参加はさせてもらえなくても、証明書だけは受け取りたいと思ったのだ。ところが、証明をしてくれるはずの先生が今日は来ないとのことで、本日3度目の落胆。そこに顔見知りの他の先生がやってきて、事情を説明すると、"カードを売ってくれないのは彼らの都合で、僕らの問題ではないから参加しなよ"といってくれた。
前回までのコースは初心者対象だったのだけど、今度のコースには有段者以外の継続者が対象なので、充実度が全く異なる。それでも秋に参加していた初心者コースで一緒だったヒトが参加していて、私のことを覚えていてくれたり、先生がきちんと英語で全部説明してくれたり、上級者のヒトほど初心者に親切だったので、安心して自分のペースで続けることにする。基本的に運動は苦手だけど、身体を動かすことによって、それまで持っていた憂鬱な気持ちや負の感情が解消されていくのが、とても心地良い。ストレス発散、気分転換、肩凝りと偏頭痛の解消、寝付きの悪さの解消等々と良いこと尽くしなのだ。
話題転換。今月から施行された介護保険制度の改正(?)にて、施設サービスの一種として小規模生活型特別養護老人ホームというのが新設された。これはいわゆる個室ユニット型の特別養護老人ホームに対して、従来の特別養護老人ホームとは異なる介護報酬が設定されたモノである。ところが、この小規模生活型特別養護老人ホームは、生活保護受給者は利用できないのだそうだ。従って、もし従来型の特別養護老人ホームが、個室ユニット型に改修して転換を図った場合、生活保護受給者は他の従来型へ移動させられることになるとのこと。いやはや、吃驚。つまり"金持ち"は個室で良い環境に生活して良いけど、生活保護受給している"貧乏人"は以前の基準によって設置された複数人数部屋に住め、ということである。こんな風に実質的に介護保険制度のなかで、低所得者層を分離していく方向ならば、いっそ利用料の1割負担できる"中〜高所得者層"対象の介護保険制度と、"低所得者層"対象の措置制度を分けてしまった方が、まだ"社会福祉"の生き残る道があるように思うのだけど…。
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20030406:one-thouthand and thirty-fourth day
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出国282日目。写真は本日20:10の日暮れの様子。
This picture is the sunset at 20:10 in this evening. In this afternoon, I met a Japanese friend. We had a lunch together and visited to her flat which was a very nice home.
今日の午後は、市街地でユカコ氏と待ち合わせ、一緒にお昼を食べる。初対面なのだけど、先日電話でゆっくりお話していたためか、同年齢のためか、それほど緊張することもなく、とても楽しく色々なことについてお喋りする。お店を覗きながら散歩した後に、彼女のおうちにお邪魔する。
彼女のお部屋は、インテリアがとても素敵で、まるでスウェーデン人のおうちを訪問しているような気持ちになる。スウェーデン人のインテリアのセンスは子どもの頃からの環境のなせる業かと思っていたのだけど、日本人にもこのような暮らし方が可能であることを知る。もちろん基本的に、日本の住まいよりも空間が広いことは大きな要因となっていると思うけど。最近の疑問であったフック付のカーテンの作り方などを教えてもらったので、嬉しい。自分で気に入った布を買ってカーテンやクッションカバーなどを手作りするスウェーデン式の生活に憧れるけれど、それを実践できる日が自分に来るのかどうかは、甚だ疑問。暗くなる前に帰る予定が、あまりに居心地が良いお部屋だったのと、ユカコさんと色々お話しするのが楽しかったので、結局夕飯までご馳走になってから帰宅。誰かに作ってもらったお料理の美味しさに感激する。久しぶりに休日らしい休日を過ごすことができた。感謝。
帰宅後、留守中に入っていたFAXに従い、昨日の仕事の続きをする。時差のある中での仕事は何かと不便。外資系企業に勤める方の苦労を思ってみたり。完了後、別件の仕事関係のメールに対応する。よく遊んで、良く働いた週末であった。満足(笑)
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20030405:one-thouthand and thirty-third day
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出国281日目。写真は"Masthugkyrkan"の様子。
This picture is "Masthugkyrkan(the mast church)". In this afternoon, I made some papers under my boss's directions by facsimile from Japan. After work, I went shopping and looked in at "Masthugkyrkan". The wind was too strong against me to stay there longer but I enjoyed the nice sight.
夏時間に移行したこともあり、最近は日が暮れるのが遅い。真っ暗になるのは、20:30を過ぎたころである。数ヶ月前には、16:00で夜になっていたことを考えると、非常に不思議な気分。活動時間が長くなるのは嬉しいことなのだけど、元々夜更かしの傾向のあるために、就寝時間が大幅に後ろへとずれ込みつつあるのは、大きな問題。単に自己管理が甘いためであることは、重々承知しているのだけど(笑)
今日の午後は、久しぶりに仕事をした後に食糧の買出しに出かける。空は青いものの、所々に不穏そうな黒い厚い雲があり、風も冷たく強い。夏の空のような印象だった。先週から、自室に篭っていることが多かったので、少々足を伸ばして"Masthugkyrkan"に出かける。路面電車の"Stigberstorget"で下車し、徒歩5分で到着。高台にあるので、風がさらに強くて呼吸困難になったけど、眼下に市街と運河とフェリーと橋とを見下ろすのは、非常に爽快であった。
今日の仕事は、今月から実施された介護保険制度改正に関するモノだったのだけど、介護報酬の改正(?)により、施設サービスは重介護度の高齢者を対象とさせるための誘因が、明確に現れていることを実感する。スウェーデンでも、"できるだけ長く在宅(一般の住まい)での生活を続けること"が原則となっており、"特別な住まい(särskilda boendeformer, the special accommodation)"はほぼ常時の介護を必要とするヒトを対象とするとされている。
ただし、日本とスウェーデンで大きく異なる点は、スウェーデンでは、所得保障は年金と住宅手当で行われ、住居保障は住宅政策にて、また在宅で暮らすために必要なサービスは、利用者や家族の所得の多寡に関わらず、原則として保障される。もちろん原則は原則であり、現実には、様々な問題が生じているにせよ、所得保障も住宅保障も、在宅サービスの保障も十分な基盤整備がなされていない日本とは大きく状況が異なる。
所得保障と住宅保障の欠如を代替しているという施設の"社会福祉"的な側面を無視して、"介護"という要素にだけ重きを置くならば、どこにしわ寄せが行くかは明らかなように思うのだけど、どうなのだろう?このまま進むと、"何でも手に入るお金持ち"と、"必要なモノすらも手に入れることができない貧困層"との格差が開いていくばかりだと、私には思えてならないのだけど、それで本当に良いのだろうか?そして"社会福祉制度"とは、誰のための、何のためのモノなのだろうか?
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20030404:one-thouthand and thirty-second day
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出国280日目。写真はとあるお店の復活祭の装飾の様子。
This picture is the window decorations for the easter in a shop. Today, I stayed in my flat and tryed audio-typing with the cassette which was recorded the formal interview yesterday.
復活祭が2週間後の0419に迫っているので、店頭の装飾も卵やニワトリ、ヒヨコなどが多く使われて、すっかり復活祭モードになっている。それらの装飾のなかには、ほうきに乗って空を飛ぶ魔女の姿もあり、"何故に魔女?"と疑問に思っていた。Peco氏の"スウェーデン報"に掲載されている"喜怒哀楽"33号によると、復活祭の魔女はスウェーデン特有で、"ドイツの青い山に住んでいる悪魔とダンスをするために、スウェーデンの魔女達がイースターの日に飛んで行くのだそうだ"とのこと。なるほど。
20030402に友人たちと話していたときに、厳格なキリスト教徒にとっては聖誕祭(クリスマス)よりも復活祭の方が重要な意味を持つという話を聞く。スウェーデンにおける宗教はキリスト教プロテスタント系が90%以上を占めると読んだことがあるけど、実際には"神"の存在を信じないヒトが、特に若者層では、非常に多いのだそうだ。これを聞いて、毎週日曜日の午後に"Hagakyrkan(ハガ教会)"で行われる英語の礼拝に欠かさず出席しているフィリピン人の友人は、非常に大きな衝撃を受けていた。
この話題が出たときに、中国人の友人に"中国では仏教を信じているヒトが多いのだよね?"と聞いたところ、意外なことに"ううん。半数以上のヒトは何も信じていないよ。信仰を持っているヒトの半数以上は仏教だけど"という返事が返ってきて、吃驚。そのときに実は、在スウェーデン歴9年のヨルダン出身の友人の宗教観について質問をしたかったのだけど、傍らに件のフィリピン人の友人がいたので、万々々が一にも宗教論争に発展してしまうと大変だと思い、自粛。いずれ機会があったら、質問してみたいな〜と思っている。
このときに、フィリピン人と中国人の友人に"自国の重症急性呼吸器症候群(SARS)の状況について何か聞いてる?"と尋ねたのだけど、フィリピン人の友人は"え?何それ?"と全く知らない様子。ヨルダン人の友人と2人がかりで説明すると、"まあでも、そういうのが流行るのは田舎だけだし"と、全然気にしない。中国人の友人は"だって香港のことだし、香港は小さい(から広まって当然)し"というので、フィリピン人の友人が"そうだよね。香港は中国じゃないものね"とフォロー(?)のために発言すると、中国人の彼女は"ちがうよ。香港は中国だよ"ときっぱり。そこで私が、"だけど香港のヒトって、'中国人'って名乗らないで、'香港出身'って名乗るよね〜"とコメントすると、彼女は"確かにそうだけど、でも中国だよ"と当然の回答。きわどい質問かなと思いつつ、"じゃあ台湾はどうなの?"とあえて聞いたところ、"台湾も中国だよ"とあっさり。
200208の授業開始の当初から、どうしても同じ国出身、同じ言語圏、同じ文化圏同士でグループが出来上がっており、それぞれ母国語の同級生がいないフィリピン人、中国人、日本人の私たちは、東アジア圏グループとして仲良しになった。正直なところ、"クラスに日本人が1人で良かったな"と思っている。さもなければ、彼女たちとこのように親しくなることはなかったかもしれないと思うからである。で、ヨルダン人の友人は、他にアラブ圏出身の同級生も数人いるのに、"何故かわからないけど、自分はこのグループに属している気分になる"と言って、私たちと行動することが多い。私自身、時々"彼女が一番考え方が近いかも"と思うことがあり、これが何故なのかさっぱり分からないので、非常に面白いなあと思う。
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20030403:one-thouthand and thirty-first day
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出国279日目。写真はとある通りの光景。
This picture is taken on a street in Göteborg. In this afternoon, I had the last interview for my degree report with the staff of the old people's home(ålderdomshem).
親しい知人であるG.P.S.氏の著作"the answer"(新風舎,2002)の内容を少し確認しようと思って手に取ったところ、思わず再読開始してしまう。20020629に英国へ向かう飛行機のなかで読んでいたときとは、また少し異なることを考えながら読み進める。何というべきか、1頁ごとに"そこに書かれていることを自分の考えにどう結びつけるか"について思いを巡らせてしまう。
G.P.S(2002)には、架空の特別養護老人ホームにおいて、褥瘡(床ずれ)のために、"唯一の趣味である"喫煙の制限を看護職員から提起された男性利用者の喫煙問題に関する職員同士の議論が登場する(p.66)。この議論における職員間の立場の違いは、"可哀相だけれど、いくら本人が吸いたくても医療的指示なら規制は仕方がない。ADL(Activities of Daily Life)第一、禁煙賛成"派と、"それは本人が決めることであって、周囲に迷惑が及ばない限り職員に規制する権利はない。QOL(Quality of Life)第一、禁煙反対"派として描かれているのだけど、このような議論はスウェーデンの"特別な住まい(särskilda boendeformer, the special accommodation)"では、起こりえない。
なぜならば、第一に、スウェーデン社会には基本的に"自己決定/自己責任"の原則が根底に流れていると理解している。そして第二には、社会福祉領域の枠組法である"社会サービス法(Socialtjänstlagen, the social service act)"にて、"自己決定とプライバシーの尊重"が社会サービスの原則として明確に位置づけられているからである。さらに第三には、職員が何かを強制した場合にはその場所は"施設"になる、という共通認識があるように思う。この"自己決定とプライバシーの尊重"に関しては、日本の高齢者及び障碍者福祉領域でも理念的原則として位置づけられているけれど、その"実践"の程度に関しては、日本はまだまだスウェーデンに遠く遅れているといわざるを得ない。
論文のための資料として昨日読んだRosemary Bland"Independent, privacy and risk: two contrasting approaches to residential care for older people" in "Aging and Society"19(1999, pp.539-560)では、英国における、従来型公立ホームの"社会的ケア(social care)"と、ホテル型私立ホームの"サービス(service)"という2つのアプローチの違いについて分析を行っている。 私は今まで、"施設"と"一般の住まい"という概念で考えていたので、"施設"と"ホテル"という対立項の立て方は非常に新鮮で興味深い。
Bland(1999)では、喫煙自体の自由をどうするかというような、いわば"低次元"の"自己決定の尊重"に関する論議は行っていないけれども、"自室での喫煙を許可するかどうか"、また"煙草とライターの管理を誰が行うか"という点について考察を加えている。つまり"サービス(service)"というアプローチをとる場合は、一般的にホテルでは自室での喫煙は自由であり、煙草やライターも宿泊客自身が管理することから、"自室喫煙許可"及び"煙草とライターの自己管理"という"判断"がなされる。そして、火災の危険性などのリスク管理はホテルと同様、スプリンクラーや警報装置などの機器によって予防する。一方、"社会的ケア(social care)"アプローチでは、リスク管理を利用者の行動抑制すること、例えば"自室喫煙不許可"及び"煙草とライターの職員管理"などにより行う、という。やや"サービス(service)"アプローチに肩入れしすぎではないかという点が気になるけれど、質的調査による具体的な例なども述べられていて、とても参考になる。
偶然、今日の午後は論文のためのインタビューのうち、実習期間中に予定が合わなかった最後のひとりと会うことになっていた。彼女は、20030312に実習させてもらった"老人ホーム(ålderdomshem, the old people's home)"の介護職員であり、インタビュー終了後の雑談のなかで、"喫煙する入居者の場合の煙草とライターは誰が持っているの?"と尋ねてみた。すると、"え?ライター?それは本人が持っているわよ。自室は禁煙だけど、テラスでならいつでも煙草を吸って良いから。だけど、ただひとりだけすぐに煙草を落としてしまう男性がいるので、彼だけはライターを職員が預かっていて、吸いたい時は声をかけてもらうの"という。"何故、彼のライターは預かっているの?"と質問を続けると、"彼は車椅子に乗っているから、煙草を落として足に火傷することが多かったの。それに周囲に落とした場合は火事の危険もあるし"ということであった。
もちろん彼女には言わなかったけれど、Bland(1999)の分析でこの状況を考えるならば、火傷や火事というリスク管理を"ライターを預かる"ことで対応した点は、"社会的ケア(social care)"アプローチであるといえる。もし"サービス(service)"アプローチで対応しようとするならば、おそらくライターは彼自身の管理としたままで、例えばテラスには可燃物を置かない、火災報知器をつける、もしくは彼がテラスに向かったらそれとなく職員が同じくテラスで喫煙するなどの対応が考えられると思う。
Bland(1999)も書いているけれど、"自己決定の尊重"と"専門的なケア"の兼ね合いはとても難しい。ただ先日の5週間の実習で思ったことなのだけど、日本では、"より多く介入すること"もしくは"多く手を出すこと"が"専門的なケア"として見られているような気がする。そして、実際のところ、それは利用者の家族や周囲から期待されている"専門的なケア"でもあるのだと思う。G.P.S.(2002)が描いているように、ADLの追求を第一義とする医療モデルの対峙として、生活モデルにおいては生活の質(QOL)が第一義となる。医療モデルはすなわち施設モデルともいえると思うので、現代的な意味での脱施設化を本当に考えるなら、当然のことながら"生活の質(QOL)の向上"が重要になる。
と、ここまではほとんど合意に達していると思われる議論。相変わらず日本では個室化が注目されているのかどうか知らないけど、別に個室化すれば、脱施設になるのでは決してない。個室化は、"自己決定"の範囲を広げ、その尊重を容易にし、"生活の質(QOL)"を向上するために重要なのだ。個室化することが目的となってしまった場合には、さらなる施設化が進む可能性もありうる。そこで次に問題となるのは、社会福祉施設における"生活の質(QOL)"とは何か、または"生活の質(QOL)"の構成要素は何か、ということだと思う。英文論文を読んでいると"生活の質(QOL)"の評価に関する研究をいくつか散見することがあり、今後の参考になる。
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20030402:one-thouthand and thirtieth day
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出国278日目。写真はとある子ども用品店の前のセール箱の様子。
This picture is taken on a street in Göteborg. In this morning, we had the presentation of the field study. It was the very nice meeting, because we could learn each other.
今日の午前中は、実習レポートの発表。誰もohpなど使わないなかで、ひとりだけ使うのは照れくさいのだけど、緊張するとただでさえ下手な発音がボロボロになるので、やはり用意しておいて正解。一人暮らしで虚弱な高齢者の"孤独感"について述べた箇所では、高齢者福祉には全く関心のない友人たちの興味もひいたようで、嬉しかった。
実習先の地区には"出会いの場所(träffpunkter, the meeting points)"と呼ばれる自由参加のデイサービスが数箇所にあるのだけど、公共交通機関は高齢者の住まいの入り口に停まるわけではないので、結局自力で外出が可能な健康なヒトしか利用していない現状がある。自力の外出が難しく、"出会いの場所"を最も必要としているいひとり暮らしの高齢者のためには、ミニバスを巡回させることが必要なのではないかと、"孤独感"の解消策案のひとつとして提起した。するとその地区の政治家でもあるところの担当の先生が、"今年の夏から、呼べば5分で来るミニバスを巡回することにしたんだよ。だからその提案は実現されることになっているのさ"と教えてくれた。
この問題は、実習指導を担当してくれたCさんやIさんとも話していたはずで、彼女たちがこの決定を忘れていたか、知らなかったのか、
もしくはおそらく私が聞き取り損ねていたのかもしれない。何にせよ、痴呆症でない身体的に虚弱な高齢者のためのデイサービスが欠如していることは確かなので、このミニバスが上手く機能するといいなと思っている。願わくば、その効果を数年後に自分の眼で確認することができますように(笑)
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20030401:one-thouthand and twenty-ninth day
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出国277日目。写真はとある通りの光景。
This picture is taken on a street in Göteborg. Today, I stayed in my flat the whole day and fixed to write the assignment about the field study. At last, I sent it to the lecturer by e-mail. We will have the presentation of the field study tomorrow.
今日は終日曇天。夕方には雨が降り出した。東京ではそろそろ桜が盛りと聞いているけれど、Göteborgではようやく木々の芽吹きが始まり、灰色から灰緑色に変わりつつあるかな、という感じ。知人から"スウェーデンでも桜は咲くわよ"と教えてもらったので、楽しみにしているのだ。
昨日寝たのが今朝だったので昼頃に起床し、レポートの校正に勤しむ。自分に見つけられる範囲の間違いは訂正したと思い、担当の先生にメールにて提出。なのに、明日の発表用のohpを作成していたら、細かい誤りを2箇所発見。あう。いつになったら正確な英文を書けるようになるのだろう…。
とうとう4月が始まってしまった。日本の職場では年度始恒例の辞令交付と職員会議、大学院では入学式が行われたことだろう。今年は博士課程への入学生が多いので、仲間が増えて嬉しい。私自身も博士課程の2年へと進級したことになるのかな。介護保険制度の改正(改悪?)も施行になり、帰国する頃には色々と大きく変わっている予感。当面は、ついに3ヶ月を切ってしまった残りの留学生活を悔いのないように過ごしたい。
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