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20030515:one-thouthand and one-hundred and second day
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出国321日目。写真はとある通りの光景。
This picture is taken on a street in Göteborg. Today, I revised the draft of the degree report.
今日は、終日自室に籠もり、論文と格闘。社会庁(Socialstyrelsen, the National Board of Health and Welfare)が発行している"Äldre - vård och omsorg år 2002"と、"Samhällsguiden"というサイトを参考にしたかったので、久しぶりにスウェーデン語と取り組む。スウェーデンの省庁などが発行している文献は、ほとんど全てがweb上にてすぐに公開されるので、非常に便利。英語版は要旨のみの場合が多いのは残念だけど、それでも十分に役に立つ。ちなみに日本の厚生労働省のサイトには、2002年度の"厚生労働白書"は日本語でも要約しか掲載されておらず、英語版にいたっては1998年度版の要約のみ掲載されている状況。日本の社会福祉制度を研究しているごく少数の外国人研究者は、さぞ資料の入手に難儀していることだろうと思う。
草稿を読み返していると、次々と修正したいことに気が付いてしまい、キリがない。乏しい英語力のなかでもより良いモノを目指したいけれど、時間にも枚数にも制限があるので、切り上げる時機を見極めるのが難しい。何としても明日には加筆修正を終わらせて、まだ書いていない"分析(analysis)"と"議論(discussions)"との格闘を開始しなくては…。
おまけの話題。日本では大人気のお茶系のペットボトルを、スウェーデンでは全く見かけないので、売っていないのだと思っていたら、先日とある売店にて何と"Lipton ice tea mix peach"500mlペットボトル入りを見かける。必要なかったので買わなかったけれど、欧州でも紅茶系飲料を売っているのだなあと吃驚。某先生に報告せねば。でもその売店で売れていくのは、最も一般的なガス入りミネラルウォーターの"Loka"ばかりであった。ふと思えば、数ヶ月前には炭酸入りの水などとても飲めなかったのに、いつのまにか好きになっている自分が不思議。
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20030514:one-thouthand and one-hundred and first day
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出国320日目。写真はとある通りの光景。
This picture is taken on a street in Göteborg. Today, I revised the draft of the degree report and borrowed some literatures from one of the university libraries, again.
学部時代から、参考文献や各種資料が机上に散乱させながら、論文やレポートを書くことが習慣となっている。別に最初から散乱することを意図している訳ではないのだけど、資料をすぐに参考にできる手元に置いておこうとするために、結果的にそうなってしまうのである。今回などは格闘期間が長い上に、使用している資料もかなり大量なので、相当に悲惨な状態であった。ところが、修正のために再度参考文献を分類しなくてはならない必要があったためと、さらに週末に友人が自室を訪れてくれることになったので、一念発起して机上を片付ける。すっきりして、勉強再開。そして数時間後の現在、再び資料の散乱が開始してしまった。週末までは何としても片付いた状況を維持しなくては…。
昨日書いたスウェーデン語における"care"と"nursing"に関する概念の違いについて、とある方から大変に参考になるコメントをいただく。感謝。また昨日の午後、全く異なる件に関して、実習先で指導を担当してくれた"高齢者担当ニーズ査定員(biståndabedömare, needs' assessment officer)"のCさんからmailを受け取ったので、返事のついでにこの件に関して質問をしてみた。尋ねたのは、"'care'と'nursing'の違いについて、あなたはどう思いますか?"と"'social care'と'social service'の違いについて、あなたはどう思いますか?"という2つの問いである。後者に関しては、20030403に書いたRosemary Bland"Independent, privacy and risk: two contrasting approaches to residential care for older people" in "Aging and Society"19(1999, pp.539-560)に書いてある英国の従来型公立ホームの"社会的ケア(social care)"と、ホテル型私立ホームの"サービス(service)"という2つのアプローチの違いについて、確認したいことがあったため。
本日届いたCさんの返事は、次のような内容であった。まず、"care"と"nursing"の違いについては、"両方とも、病院にいるヒトたちに対するモノ"という。次に、"social care"と"social service"の違いに関しては、"'social care'は、ホームヘルパーが人々を彼らの自宅で'care'することである。例えば、朝食を用意したり、トイレに連れて行ったり、シャワーを手伝うこと。そして、'social service'は、掃除や洗濯を手伝うことである。また自分が情報やその他の面で手伝うことも'social service'である"と説明してくれた。
Cさんの回答はとても興味深く、実際に質問をして良かったなと思ったのだけど、まずCさんは"care"と"nursing"を大きく区別はしていないけれど、"care"と"social care"は区別していることが明らかである。Cさんの認識における"social care"と"social service"の違いは、日本でいうところの身体介護と、家事援助及び相談援助であるといえる。日本では調理援助は家事援助に分類されるのに対し、"朝食の用意"が"social care"の例として挙げられている点は異なるけれど、おそらくこれは朝食の用意には、服薬援助や食事介助が含まれる場合があることと、調理は洗濯や掃除よりも個人的な行為のためであろう。身体的介護は、英語では"personal care"と表現されるので、おそらく"個人的かどうか"は、Cさんの判断の基準のひとつになっていると推察される。また、"social care"と単なる"service"で尋ねていないので、純粋な比較にはならないけれど、Cさんの視点ではBland(1999)が述べているような違いはないように理解できる。
今回のCさんの意見については、次回の論文指導で指導教官と話し合ってみるつもりだけど、参考までに同じく実習先で指導を担当してくれたIさんにも同じ質問をしてみる予定。
おまけの話題。Göteborg Universityの図書館のweb siteにて図書館間借出の申し込みを行ったPeter Townsend"The last refuge: a survey of residential institutions and homes for the aged in England and Wales"(Routledge and Kegan Paul, 1962)を受け取る。貸出元の図書館を見ると、何と"Riksdagsbiblioteket"ということで、国の議会の図書館の様子。吃驚。ちなみに日本の国会図書館も"研究者"限定だけど、一応資料請求を行えるのだ。
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20030513:one-thouthand and one-hundredth day
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出国319日目。写真はとあるカフェの窓から見える光景。
This picture is taken through the window at a cafe. Today, I revised the draft of the degree report and borrowed some literatures from one of the university libraries.
最近では多くのカフェが路上にテーブルを設けているのだけど、この数日は雨が続いているために外に座っているお客さんは少ない。今日は私が帰宅する頃に晴れてきたので、おそらく写真の屋外席に座るスウェーデン人も現れたことだろう。
昨日の論文指導のなかで、"care"というコトバに関する興味深い指摘を受けた。それは、"英語では'care'には'nursing'が含まれるけれど、スウェーデン語ではその2つは別のコトバで表現される"ということである。実は、この点、つまり英語の'care'とスウェーデン人が用いる'care'が異なるのではないかということに関しては以前から気が付いており、内心困っていた。私の理解によると、おそらくスウェーデン語においては、"omsorg"と"vård"というコトバでそれらは表現されているのだと思う。従って、インタビューの回答で用いられている"care"は、おそらく"omsorg"の意味を指していると理解される。"care"と"nursing"にあたるスウェーデン語における概念の違いについては、次回の指導のときに確認をする予定。
ところで、今回の論文はスウェーデンの高齢者福祉に関して英語で書いており、しかし私の頭のなかでは主に日本語で思考が構築されている。執筆自体は最初から英語で取り組んでいるけれども、路面電車の中で徒然に思考を巡らすときには、ほとんどの場合、日本語のはずである。"care"と"nursing"の違いについて考えるときには、どうしても"介護"と"看護"というコトバが想起されるのであり、"care"と"介護"は別だと理解していても、どうしても引きずられてしまう。しかも日本語の場合は、"ケア"というカタカナで表現される概念もあり、おそらくこれは"介護"の概念と全く同一ではない。帰国後には、この論文の日本語版を作成する予定なのだけど、今から頭が痛いのは、この"care"の他に、"home"もしくは"home like"という英語表現をどのように扱うかである。
ちなみに、現在寝言を何語で話しているかは一人暮らしなので不明だけど、集中度が高まってくると、路面電車の中でもベッドの中で英語で考えるようになる。徒然に日記に書く話題を考えていても、何故か英語表現をとっていることもある。さらには、就寝前に塩野谷祐一"経済と倫理:福祉国家の哲学"(東京大学出版会,2002)を読みながら、勝手に英語に翻訳していることもある。塩野谷(2002)は、ただでさえ私にとっては難解極まりない学術書なので、"む〜。これはどう表現したら良いのだろう?"などと悩んでしまい、"あ、別に英語に訳す必要はないのだった"と気がつくこともある。しかも数行後には、再び英語翻訳を開始して、同じコトを繰り返す。我ながら謎な行為なのだ。
おまけの話題。念のために、論文の草稿だけは予備を確保しておこうと思い、現在は友人宅に居候している日本で使っていたpcにwindows xpのリモートアクセス機能にて接続する。あまつさえ、予備のADSL回線を振ってもらっているので感謝。手元のpcの操作により、東京にあるpcが、手元のpcのHDDを共有し、数千(万?)kmを超えてデータが複写されていく様子を見ていると、何とも不思議で、便利な時代になったものだ感慨にふけってしまう(笑)
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20030512:one-thouthand and ninety-ninth day
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出国318日目。写真は雨に打たれる"Vasakyrkan"の様子。
This picture is "Vasakyrkan" in the rain. In this afternoon, I had a meeting with the supervisor. She gave me some useful advices and comment on my degree report and encouraged me.
今日の午後は、指導教官のGerd Gustafsson博士に論文指導を受ける。自分では今回指導を受ける草稿の内容に全く自信がなく、まずそのことを告げると、彼女は"いいえ、そんなことはないわよ。細かい修正は必要だけど、このままで十分だと思うわ"というので、吃驚。予想外の展開だけど、論文指導の度に同じような会話を繰り返しているような印象があるので、彼女と私の相性が余程良いのかもしれない。何とも有難いことである。特に、"先行研究(earlier research in the area)"の部分で用いた文献には大きな興味を示して、"自分も是非読んでみるわ"と言うので、とても嬉しかった。
今日の指導では、研究の作法に関する部分で非常に学ぶことが多かった。まず、20030507に書いたように、英国に関する論文を資料として多く参考にしているので、その理由の妥当性を求めるために、英国とスウェーデンの状況の相違点などに触れる方が良いかと相談。すると彼女は、"英国でも日本でもどの国の文献を参考にして構わないし、どうして他の国の文献を参考にしたかの理由を書く必要はない"という。次に、"研究方法論(method)"の"方法論的な限界(limitation)"において、"インタビュー数が少ないから、代表性は確保できない"と書いたところ、"質的調査だから代表性は確保できなくて当然であり、もし確保できていたら、それは量的調査になってしまう"とのこと。自分が、如何に今までの教育で身につけてきた自然科学的な価値観による"妥当性"に捕らわれているかを実感する。
次回の論文指導は20030522の予定となる。それまでに、今回の指導に基づく加筆修正と、"分析(analysis)"と"議論(discussions)"という結論部分を書かなくてはならない。そこまで書くと、草稿が完成することになり、残りは"要約(abstract)"や"文献リスト(references)"などのいわばオマケの部分だけとなる。ようやく山頂が見えてきたような気持ち。
大学院生としては非常に情けないことだけど、"分析"と"議論"の違い、それぞれにどのようなことを書くのかが明確に理解できていなかったので、この件について質問をする。すると彼女は、"分析は、シノ自身の視点ではなく、理論を通して調査結果を見るの。一方、議論は、シノ自身の視点から結果を見て、自分が考えたことを書くの"と非常に明確に説明してくれた。たとえ日本語で説明を受けても、これ以上明確な説明はなかっただろうと思う。これが本日最大の収穫であり、今後の論文を書いていく上でも大きな指針となることは確実なのだ。
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20030511:one-thouthand and ninety-eighth day
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出国317日目。写真は"Norrvikens Trädgårdar"の園内の光景。
This picture is taken at "Norrvikens Trädgårdar". Today, I struggled to write the draft of the degree report.
今日は終日自室に籠もり、論文と格闘。かろうじて明日の論文指導までの課題として約束していた部分は全て書き終える。結局、明け方までかかったのに、内容の出来が良くないことは自分が一番分かっていて、本当に情けない。語学力が乏しいままに留学したことが、ここにきて響いていることを痛感する。
数日前に廊下でフィリピン人の友人と立ち話をしたときに、論文の進行状況について情報交換をした。その際に、英語の問題について嘆くと、彼女は"それは自分も同じだし、他のヒトもみな同じだよ、シノ"と慰めてくれた。その他雑談をしていて、"WHOがマニラをSARS感染地域に指定した"という記事を読んだことを話すと、"え?それ本当?"と驚いていた。彼女はマニラ近郊に住んでいるので、"まあ、自分の家は離れているし、関係ないよ〜"ということであった。彼女のこのような反応を見ると、もしかして日本人が騒ぎすぎなのかな?などと思うことがある。"bowling for columbine"ではないけど、メディアが不安や恐怖感をあおっているということなのだろうか。
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20030510:one-thouthand and ninety-seventh day
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出国316日目。写真はとある通りの光景。
This picture is taken on a street in Göteborg. In this afternoon, I went to the hair salon and shopping in the Centre. After I came back, I did laundry and cleaning my flat.
今日は美容院の予約を入れておいたことを思い出したので、髪を切りに行く。だいぶ伸びてきて鬱陶しくなっていたので、さっぱり。いつものように赤く染めてもらい、終了。次に髪を切るのは日本に帰国した後で、勤務先の都合上、そのときにはおそらく黒く染め直さなくてはならないのだろうと思うと少々残念。
出かける途中で、Vasagatanの"Akademibokhandeln"に立ち寄り、Uwe Flick"An introduction to qualitative research: second edition"(Sage publication, 2002)を購入。明日までに論文の"研究方法論(method)"の部分を書かなくてはならないので、参考にするため。授業で習った内容と重複している部分も多いけれど、質的調査の歴史的背景や各国における発展、さらには具体的な手順などがまとめらていて、まさしく入門編としては良く出来ていると思う。出版の時期的におそらく第1版が基になっていると思うけど、邦訳は、小田博志他訳"質的研究入門―「人間の科学」のための方法論"(春秋社,2002)だと推察。
帰宅後、"先行研究(earlier research in the area)"の部分の簡単な校正を行い、とりあえず指導教官にメールで提出。明日1日で、"理論的枠組(theoretical framework)"を完成させ、まだ全く手をつけていない"研究方法論"を書かなくてはならない。果たして間に合うのだろうか?
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20030509:one-thouthand and ninety-fifth day
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出国315日目。写真は新緑溢れる"Haga"地区の光景。
This picture is taken at "Haga" area. Today, I struggled to write the draft of earlier research in the area for the degree report.
20030501の"Valborg(春の始まりの日)"を過ぎたら、本当に一気に緑が増えたように思う。数日前にも通りかかった"Haga"地区でも、"あれ?ここにはこんなに緑があったかな?"と感じるほど。今日は終日晴天で気温も高く、風は多少冷たかったけれど、春というよりも初夏のような気候であった。
今日は、"先行研究(earlier research in the area)"の部分を一応最後まで書き終える。ただ本当にこのような書き方で良いのかどうかが不明なので、来週の論文指導の後で大量の修正が必要になる可能性は大きい。日本語で書いていても、確信を持って書くことができる場合などないけれど、"こうすればより良くなるのではないかな?"と思うことがあっても、その案を表現する方法が分からない故にまとめられない状況はしんどい。…などと泣き言をいっていても始まらないので、とにかく今できる限りを尽くすだけ。
Göteborg Universityの図書館のweb siteにて図書館間借出の申し込みを行った文献が届いたとの連絡があったので、受け取りに出向く。そのなかの1冊はBengt Nirje"The normalization principle papers"(Uppsala University, 1992)なのだけど、これは私が調べた限り唯一のNirje氏の単独著作である。単独著作とはいえ、過去に発表された論文を再録した文献であることは事前に知っていたのだけど、実物を見て驚いたことに、ほとんどコピー本みたいなモノだったのだ。つまり活字や段組などの体裁が論文ごとに異なり、手作りの資料集みたいな印象。頁数が一貫して振られていたのが、せめてもの救い。"normalization"の父として名高いNirje氏の文献に対する扱いが、どうしてこのような状況になっているのかの事情は理解が難しい。ちなみにNirje(1992)の目次を眺めていて、河東田博他訳"ノーマライゼーションの原理:普遍化と社会変革を求めて"(現代書館,1998)は、この論文集の完訳であることに気づく。
図書館間借出として受け取ったなかに、Smith, Bucklin and Associations, inc."The complete guide to nonprofit management"(John Wiley and Sons, inc,2000)という文献があるのだけど、実はこの書籍を申し込んだ覚えがない。この数週間でかなり大量の図書館間借出の申請を行ったので、もしかしたら自分の記録漏れかもしれない可能性もあるし、内容的にも微妙に有り得そうだけど、謎。図書館側では苗字でしか取り寄せた学生の管理をしておらず、確認を取るのが大変そうだったので、そのまま借りてきてしまったけれど、万が一、Göteborg Universityに私以外の"Suzuki"という学生もしくは研究者がいて、彼もしくは彼女が申請していたのだとしたら、大迷惑をかけてしまうのではないかと心配。もしお心当たりの方がいらしたら、是非ご一報を。
おまけの話題。昨日でweb日記を始めて3周年。まさか3年前には本当にスウェーデンの大学院に留学できるなどとは思わなかった。2年前の春に現在のコースの情報を入手し、丁度今頃に挑戦することに決めた。去年の5月後半に、留学のためのvisaを受給した。来年の今日、何をしているのかは皆目見当がつかないけれど、とりあえず今は論文を書き上げることに全力を尽くす。それでは、4年目もよろしく(笑)
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20030508:one-thouthand and sixty-sixth day
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出国314日目。写真はとある通りで見かけたラッパズイセンの様子。
This picture is the daffodils taken on a street in Göteborg. Today, I struggled to write the draft of earlier research in the area for the degree report.
復活祭の挨拶用のカードには、しばしば写真のラッパズイセンが描かれている。20030504に、"Norrvikens Trädgårdar"を訪問したときに、スウェーデン語では"påsklilija"ということを教えてもらい、"påsk"は復活祭の意味なので、まさしく復活祭のための花であることを知る。おそらく復活祭の時期に盛りを迎える黄色の花だから、その名前になったのだろうな、というのは勝手な想像。ちなみにウェールズの国花でもあるらしい。
今日はまずカフェに行き、残っている資料に全てざっと目を通す。入ってくる情報が膨大過ぎて、どのように整理したら良いのか、今ひとつ見えてこない。要約という作業には、最も語学力の差が現れるように思う。おそらく論文の提出後に書き残した重要なコトに気が付くことは必至だけど、仕方がないので先へと進むしかない。
帰宅後、今日読んだ資料をもとに、"先行研究(earlier research in the area)"の部分を少し書く。さらに、ポストには20030505に知人に依頼した資料が届いていたので、読む。感謝。ひたすらに読むことと書くことを繰り返す日々。
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20030507:one-thouthand and sixty-fifth day
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出国313日目。写真は"Norrvikens Trädgårdar"の園内の光景。
This picture is taken at "Norrvikens Trädgårdar". Today, I struggled to write the draft of earlier research in the area for the degree report.
今日は夕方まで自室に籠もり、論文と格闘。"理論的枠組(theoretical framework)"は未完成なのだけど、とりあえず仮終了にし、"先行研究(earlier research in the area)"の部分へと進む。"特別な住まい(special accommodations, särskillda boendeformer"に関して英語で書かれた文献はごく一部しかないので、"居住ケア(residential care)"全体に範囲を広げている。
主に参考にしているのは英国とスウェーデンにおける研究なのだけど、調べているうちに英国の居住ケアの状況は、スウェーデンよりも日本に似ているのではないかということに気が付いた。つまり英国では1990年の"国民保健サービス及びコミュニティケア法(the national health service and community care act)"の制定以降、高齢者や障碍者を対象とする居住ケアやホームヘルプサービスの供給主体として民間部門が非営利営利ともに参入可能となった。そして、Raymond Jack ed."Residential versus community care: the role of institutions in welfare provision"(Macmillan, 1998)をはじめ、多くの論文においては、このことが引き起こしている諸般の問題について指摘されている。一方、日本では言うまでもなく、2000年の介護保険制度の施行により、在宅サービス及び施設サービスの一部においては非営利営利問わず民間部門の参入が可能となり、現在では介護保険サービスのなかで社会福祉法人による運営規定が残されているのは、特別養護老人ホームのみである。さらに、厚生労働省老人保健局においては、特別養護老人ホームの運営についても、民間供給主体の参入が検討されているらしいので、おそらく数年後には現実となるであろう。
福祉サービス供給主体の"民営化(privatisation)"もしくは"市場化(marketisation)"自体は、英国や日本だけでなくスウェーデンや他の北欧諸国も含め、いわゆる先進諸国共通の傾向だといえる。ただ、"民営化"という概念には、20021106に述べたRebecca M. Blank"When can public policy makers rely on private markets? The effective provision of social services "(2000, in "The economic journal"110, March)において分析されているように、大きく4つの類型が含まれる。つまり、ごく端的にいえば、スウェーデンにおける"民営化"は、"公設公営"から"公設民営(+財源は主として税金)"であるのに対して、日本の状況は"公設民営"から"民設民営+公的規制(+バウチャー制度+財源は保険料と利用料)"への変化である。英国については、不勉強ながら財源については明確には理解していないけれど、明らかに"民設民営+公的規制"の意味での"民営化"だといえる。
今回の論文ではとてもそこまで広げる余裕はないけれど、スウェーデンと英国と日本の3ヶ国を念頭に置きながら、居住ケアのあり方について考えてみるのも興味深いかも、などと思う。これは、今後の課題のひとつとして保存しておく。
夕方からは、食糧の買出しを兼ねてカフェに行き、読書。何故か半分読んだまま放置状態になっていたGun-Britt Trydegård "Tradition, change and variation: past and present trends in public old-age care"(Stockholm University, 2000)を読了。彼女の博士論文であり、4本の個別論文が掲載されている。主にはホームヘルプサービスを主題としているけれど、対比として居住ケアも取り上げられているので、非常に参考になる。
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20030506:one-thouthand and sixty-fourth day
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出国312日目。写真は"Norrvikens Trädgårdar"の園内の光景。
This picture is taken at "Norrvikens Trädgårdar". Today, I struggled to write the draft of theoretical framework for the degree report.
今日は終日自室に籠もり、論文と格闘。"理論的枠組(theoretical framework)"の一環にあたる高齢者福祉に関する社会政策についてまとめる。当然中心になるのは"社会サービス法(Socialtjänstlagen,the social service act)"と"保健医療法(H¨lso- och sjukvårdslagen,the health and medical service act)"である。社会政策関係は資料も沢山入手してあるし、書きたいことはたくさんあるのだけど、論文全体の枚数制限があるので、非常に簡略化した説明に留める。乏しい英語力の悲しさで、簡略化しようとすると、今度は既に簡略化されている各種資料上の説明の表現を少しずつ変更しながら半ば写していることになるので、情けなくて悔しい。
昨日書いた知人から提供していただくことになった論文が早速届いたので、読む。Bengt Nirje"The normalization principle-25 years later"には、私が非常に知りたかったNirjeの"normalization"理論の8原則の英語表現が掲載されていたので、大変に助かる。該当論文の邦訳は、河東田博他訳"ノーマライゼーションの原理:普遍化と社会変革を求めて"(現代書館,1998)に所収されいるのだけど、そこに掲載されているのは当然日本語表現だけだったのだ。
数日前から就寝前に、塩野谷祐一"経済と倫理:福祉国家の哲学"(東京大学出版会,2002)を読んでいる。格調高い学術専門書なので内容は言わずもがな、表現も大変に難しいし、そもそも経済の知識も倫理哲学の知識も薄いので、理解度は10%以下という状態。でもだからこそ、知らないことを知ることが出来るのは、楽しい。果たして読了できるのかどうか甚だ疑問を感じるけれど、進めるところまでは読んでいきたいと思う。どちらにしても経済学と哲学、英語、スウェーデン語は帰国後の重点課題だと痛感している今日この頃。
おまけの話題。しばらく前からあちこちで"味の素スタジアム"という名称を目にして、てっきり新しいスタジアムが建築されたのかと思っていたら、旧"東京スタジアム"であることに気づく。サッカーには全く興味がないものの、職場が近所にあり、建造中から"東京スタジアム"として認識していたので、違和感が強い。確か飛田給駅の駅名表示には"東京スタジアム前"と併記されていたように覚えているけど、あれもやはり"味の素スタジアム前"に変更されたのだろうか?
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20030505:one-thouthand and sixty-third day
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出国311日目。写真は"E6"を駆け抜けるヘラジカの様子。
This picture is a mooth taken on the motorway called "E6". Today, I struggled to write the draft of theoretical framework for the degree report.
"E6"という高速道路を駆け抜けたヘラジカはこのまま写真左手の方にある出口に向かって去っていった。もしそのまま一般道に出てしまったら、またきっと渋滞を引き起こすに違いない。
一昨日は不調にて、昨日は気分転換にてほとんど勉強をしなかったので、今日は気持ちも新たに論文に取り組む。"理論的枠組(theoretical framework)"の続きを書き進めた後に、明日以降の作業のための資料を収集しに、図書館へ行く。ところが一番必要としていた資料が掲載されているとある雑誌の該当号の所蔵がないことが判明し、落胆。帰宅後、所蔵されている大学図書館の近くに住む知人の好意により入手の目処がたつ。さらに別の知人からも他の資料を提供していただけることになる。感涙。
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20030504:one-thouthand and sixty-second day
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出国310日目。写真は"Norrvikens Trädgårdar"の桜の様子。
This picture is the cherry tree in full bloom at "Norrvikens Trädgårdar" in Båstad. Today, my Japanese friend took me there to look the cherry bloom. It was clouded and a little cold but a nice day for me.
今日の午前中は晴天だったので、"早く勉強を片付けて散歩にでも行こうかな"と思っていたところ、ユカコ氏から誘いの電話があり、"Norrvikens Trädgårdar"という美しい公園に連れていっていただく。"Norrvikens Trädgårdar"は、Göteborgから車で約2時間ほど南に下ったところにあるBåstadという街にあり、Skåneと呼ばれるスウェーデン南部の地方の最北にあたる。高速道路をぐんぐん下がるにつれて、岩が少なくなり、視界が開けてくる。両脇に見える畑もあきらかに土壌が豊穣そうで、心なしか緑の色も濃いように感じる。さすがスウェーデンの穀倉地帯である。
"Norrvikens Trädgårdar"に到着し、写真の桜の下にユカコさん持参のレジャーマットを敷き、お花見の開始。途中から空が曇ってしまい、少々寒かったけれども、まさかスウェーデンに来てお花見ができるとは想像もしていなかったので、感激。桜を堪能した後で、園内をゆっくりと一周。"Norrvikens Trädgårdar"は1800年代にRudolf Abelinという人物が自分のために(?)色々な植物を集めて築いた庭園とのこと。何だか怪しげな日本庭園もあった。本人の墓所も庭園内にある。胸像にお礼を伝えて、近所の砂浜の海岸に降りてから帰路につく。
スウェーデンの高速道路は当然無料である。というよりも、日本のように高速道路が有料の国の方が少数派なのではないか?高速道路の通行料とそれによる物流費用の底上げ分で、日本とスウェーデンの間接税率の差など差し引きゼロになってしまうような印象があるのだけど、そのような推計を行っている研究はないものかな。
さらに人口密度も格段に少ないので、高速道路で渋滞なども通常は有り得ない。その有り得ないはずの渋滞に帰路で出会ったので、"事故でもあったのかな?"と2人で話していると、何とヘラジカが道路を横切っていたために、車両が一斉に徐行もしくは停止していたのである。20030208に"Skansen"で見て、その大きさと勇姿に惚れ惚れしたけれど、まさか野生のヘラジカを実際に目にする機会があるとは思いもよらず、吃驚。慌ててシャッターを切ったので、近日中に道路を歩くヘラジカの写真を掲載予定。ユカコ氏のおかげで、最高の気分転換を行うことができた。大感謝!!
帰宅後、Erving Goffman "Asylums"(Anchor Books, 1961)を少し読む。単語と表現が難しく、文字通り苦闘している。ただ重要なことは導入部分にまとめられているので、要点は既に把握しているつもり。"google"で検索していて、"total institution"の日本語定訳が"全制的施設"だと知る。なるほど。
その後、懸案だった仕事の対応を少し進め、関係2箇所にメールを送信。こんなことをいうと職場の皆さまには申し訳ないけど、あと数ヵ月後にはまた介護保険制度の世界に戻るかと思うと、心の中を暗雲が覆う。"4種類以上の居宅サービスを定めた計画を作成する場合"に報酬を加算するというのは、自事業所のサービスに偏らせないための手段なのだろうけど、加算目当てに不要なサービスを計画する可能性についてはどういう議論が行われたのだろう。さらに、サービスの種類が多いから良いサービス計画とは断じて限らないと思うのだけど。以前に上司が述べていたことだけど、介護保険制度は本当に"介護"という行為を矮小化し、専門職の専門性を軽視しているとつくづく実感する。
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20030503:one-thouthand and sixty-first day
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出国309日目。写真はとあるカフェの店頭に飾られた草花の様子。
This picture is taken in front of a cafe. Today, I felt very ill and could not write the draft of theoretical framework for the degree report. I just read some pages of literature and did laundry.
緊張感が途切れたわけではないと思うのだけど、今日は絶不調。起床直後から眼精疲労、偏頭痛、肩背中凝りが激しさを増し、3重苦。しかも昨夜から何故だか分からないけど寒気がしている。少しでも論文を書き進めようとモニタに向かったものの、頭が全く働かないので中止。カフェに出かけて、Raymond Jack ed."Residential versus community care: the role of institutions in welfare provision"(Macmillan, 1998)を読み進める。
帰宅後、予約しておいた洗濯を行いつつ、今後必要となる資料の収集を行う。借りたい本はほとんどGöteborg Universityの図書館には所蔵されてないので、図書館間借出(interlibrary loans)の依頼を行う。このような依頼をweb上にて行うことができるのは素晴らしい。明治学院大学の図書館にも是非見習っていただきたいと切に願う。
資料収集の過程で、amazon.ukのz-books(古書部門)にGillian Wagner"Residential Care: vol.1: a positive choice: report of the independent review of residential care"(UK publication, ?)を発見し、即購入。日本で修士論文を書いたときに、とある教授から薦められて邦訳を読み、大いに感銘を受けたのだ。"居住施設に入居していても、周辺地域の医療機関を自由に利用することが可能でなくてはならない"、"入居前には試験的な入居を可能にしなくてはならない"などと当然だけど、現在の日本では実現が困難な場合が多い問題について書かれていた、記憶している。そのときに読んだのは当然邦訳である山縣文治"社会福祉施設のとるべき道:英国:ワグナーレポート"(雄山閣出版,1992)であり、当時入手したくて出版社にまで直接問い合わせたのに"絶版です"とあっさり一言で終了。いつか余裕ができたら神田古書店街を彷徨って探してみたい本の1冊。
資料収集は多少捗ったものの肝心要の論文執筆が1日分遅れてしまったので、明日の午前中には取り返すべく、頑張らねば。
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20030502:one-thouthand and sixtieth day
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出国308日目。写真は"Sjöfartsmuseet"の運河側にある鐘の様子。
This picture is taken near "Sjöfartsmuseet". Today, I stayed in my flat the whole day and struggled to write the draft of theoretical framework for the degree report.
今週末は本当はStockholmとVisbyにでも行こうかと思っていたのだけど、論文の進捗状況と自分の気分的な余裕のなさで中止にした。"残り少ない留学生活のうちにあちこち行っておかないと"という気持ちと、"でも旅行はまた出来るし"という思いが交差し続けている今日この頃。
今日は"理論的枠組"の部分を少しだけ書き進める。予定していた最小限の箇所しか終わらなかったので、反省。執筆のために、詳細に読んでいたところ、昨日書いたWolf Wolfensberger"Principles of normalization in human services"(national institute on mental retardation,1972)に対する自分の理解が間違っていたことに気づく。
Wolfensberger(1972)では、確かに具体的な場面においては環境について多く述べているけれど、"Nirjeたちの定義を分かりやすく再定義した"という彼自身の"normalization"の定義では"個人の行動や性格を、可能な限り文化的に'normal'だと認められているモノに構築し維持すること"(p.28)とされている。一方で、Bengt Nirjeが"normalization"の原理を初めて明確に定義した"the normalization principle and its human management implications" in Robert Kugel and Wolf Wolfensberger"Changing patterns in residential services for the mentally retarded"(President's committee on mental retardation,1969)では"社会の主流となっている規範や形態にできるだけ近い、日常生活の条件を知的障碍者が得られるようにすること"となっている。ちなみに、Nirjeの定義に関しては、河東田博他訳"ノーマライゼーションの原理:普遍化と社会変革を求めて"(現代書館,1998)に所収の該当論文"ノーマライゼーションの原理とその人間的処遇とのかかわり合い"(p.22)より引用。
Wolfensberger(1972)による定義や彼の理解に関しては、Bengt Nirje自身もBurt Perrinとの共著論文である"Setting the record straight: A critique of some frequent misconceptions of the normalization principle" in "Australia and New Zealand journal of developmental disabilities" (no.2, 1985) において、"逸脱である"と批判している。NirjeとWolfensbergerは当初は共に活動していたので、おそらくこの論文にいたるまでに様々な紆余曲折があったのだろうなと想像してしまう。
今日理解したことから考えると、昨日触れたMagnus Tideman"Normalisering och kategorisering(Normalization and categorisation)"(Johansson and Skyttmo förlag, 2000)による北欧とアメリカの"normalization"概念の違いは、おそらくNirje(1969)とWolfensberger(1972)の定義の違いに基づいているといえる。別に"変節"ではなくはじめから異なる性格を持っていたということであり、昨日の文章は自分の理解不足を露呈したことになる。反省。
ただ今回なかなか入手できない資料のなかで苦労しながら"normalization"の概念の系譜を理解したので、今後は2度とMikkelsenとNirje
のどちらが"生みの父"でどちらが"育ての父"かと迷うことも間違えることはないはずだし、非常に良い機会であった。また再度確認したのは、"normalization"の概念は確かに知的障碍者を中心とする障碍者領域で語られているけれども、Nirjeも、そして特にWolfensbergerは、決して障碍者領域だけに限定して述べているのではなく、まさしく"全てのヒト"を対象としていることである。
以下余談。しかしどうしても理解できないのは、何故Göteborg Universityの図書館にはどこにもNirjeの著作が所蔵されていないのかということ。英語どころかスウェーデン語でも一切見つけられなかった。大いに謎である。
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20030501:one-thouthand and fifty-ninth day
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出国307日目。写真は"Järntorget"で見かけた桜とデモの様子。
This picture is a demonstration march at "Järntorget". In this afternoon, I read Wolf Wolfensberger"Principles of normalization in human services"(national institute on mental retardation,1972).
今日の午後はカフェに籠もり、Wolf Wolfensberger"Principles of normalization in human services"(national institute on mental retardation,1972)を読む。Nils Bank-MikkelsenとBengt Nirjeに続くかなり初期の研究者であり、Bengt Nirjeの思想を色濃く引き継いでいると考えられる。Wolfensberger(1972)自体が、実際にはBengt Nirjeを筆頭とする数人に加筆されている。
昨日読んだMagnus Tideman"Normalisering och kategorisering(Normalization and categorisation)"(Johansson and Skyttmo förlag, 2000)では、北欧では周囲の環境を変えることで"normalization"の実現を図り、アメリカでは基本的には北欧の流れを引き継ぐけれども、当事者個人に働きかける傾向が強い、というような主旨にて整理されていたけど、Wolfensberger(1972)をざっと読んだ限りでは、まさしく人的資源も含めた周囲の環境を変えることに主眼が置かれていると理解する。Tideman(2000)の整理は、アメリカのsocial workが医学モデルの影響を多大に受けていることからも、感覚的には容易に理解できるけど、もしWolfensberger(1972)に対する私の理解が正しいのだとすれば、アメリカにおける"normalization"の変節はどこから生じたのだろう?
出かける際に廊下に出たところで、フィリピン人の友人が中国人の友人の部屋を訪れている場面に遭遇し、しばらく3人で立ち話。彼女たち各々の指導教官は論文草稿をメールで送っても何も返事をくれないのだそうで、2人とも勝手に進めているとのこと。他の同級生たちの話を聞いていても、おそらく私は最も頻繁に論文指導を受けているらしい。みんなには申し訳ないような気がするけど、自分の幸運に感謝している。
ひとつの理由としては、高齢者福祉領域で論文を書く学生が学部生も含めて少ないために、私の指導官が担当している学生数が相対的に少ないことがある。例えば、フィリピン人の友人は児童福祉領域、中国人の友人は雇用政策を課題にしているけど、それらは現在のクラスにおいても、学部生においても人気のある領域であり、それらの領域を専門とする教員は必然的に多くの学生を担当することになってしまうのだ。
中国人の友人が"シノはこれからどこに行くの?"と訊くので、"部屋だと読書に集中できないから、カフェに行くの"というと、彼女が"え?何で!?"と非常に驚くのでこちらが吃驚。"何でといわれれても、部屋だと集中できないのよ"と答えると、フィリピン人の友人は"うん、わかるよ。私もいつもそうしてるから"と同意を示してくれる。中国人の友人は"私は反対だよ。外に出たらあちこち歩き回りたくなるし、他のヒトとお喋りしてしまうから"というので、彼女の寂しがり屋の傾向を思い出し、内心激しく納得。これは正午過ぎのことだったのだけど、彼女は"実は今起きたばかりでさ〜。14時間も寝ちゃったのよ"というので、フィリピン人の友人と2人で思わず苦笑する。さらに"何だかとてもだるくてだるくて、寝ても寝ても寝たりないのよね〜"と続けるので、"それは寝過ぎのためではないのかな?"と思ったけれど口には出さないでおく。中国では彼女のように長時間の睡眠をとるのが一般的なのかな?それとも単に彼女だけの習慣なのだろうか?
別れ際にフィリピン人の友人が、"Järntorgetで労働デモを行っていたよ"というので、20030322に見学及び参加した反戦デモとの違いはあるかと思い、ついでに足を伸ばす。ところが現地に到着すると、人々が持っているのはイラク関係の旗ばかり。集まっているのもアラブ系の人々が中心のように見える。う〜ん。時間差で2つのデモが行われたのか、彼女が見間違ったのかは謎なのだ。
おまけの話題。20030423に"従来通り行う"と書いておきながら、後回しになっている仕事に取り組まなくては、と思いつつ1週間が過ぎてしまった。"normalization"の思想を学びながら、介護保険制度関係の資料を読んでいると、愕然とする。あまりの格差に気持ちが悪くなってくるほどだけど、今週末には何とか対応しなくては…。
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