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20030531:one-thouthand and one-hundred and eighteenth day

出国337日目。写真は知人宅の"grilla"の様子。

This picture is "grilla(a barbecue)" in my friends' home. Today, I revised the degree report and corrected its English. In the evening, my Swedish friend invited me to a barbecue party.

夏季は、屋外で過ごすことを至上の喜びとされているスウェーデンでは、バーベキューが非常に盛んで、集合住宅の中庭には専用のバーベキュー台が設置されている場合もある。窓を開けて勉強していたり、街を歩いていると、ぷ〜んと良い匂いが薫ってくることがあるので、一度は体験してみたいなと思っていた。幸いなことに、お世話になっているスウェーデン人の知人一家が招待してくれたので、今日の夕方に初めて体験することとなる。

写真の台は、彼が東京に赴任していたときに購入したということで、日本製の非常にしっかりとした造りのモノ。現在引越しの荷物が悩みの種なので、"え?コレ日本から持ってきたの?"と吃驚して訊くと、"うん。よく壊れないで届いたと思うよ"と笑っていた。最近の日照時間が長くなっていることについて話していたときに、"スウェーデンの冬は日本より日照時間が短いのに、夏は日本より長いよね。東京に住んでいたときに、わざわざテラス付の部屋を探して、このバーベキュー用の台を購入したのに、あっという間に日が暮れてしまって驚いたんだ"と彼がいうのが、とても面白かった。そのときの彼の驚いた様子が目に浮かぶようである。

せっかくのバーベキューなので焼くのを手伝わせてもらおうと思っていたところ、光栄なことに、彼らの3人の子どもたちのうち、一番下の2歳の女のコに気に入られたので、準備の間ずっと一緒に遊ぶ。彼女は、非常に独立心が強く、ひとり遊びが上手である。だから別に私が一緒でなくても全く問題なかったのだろうけど、突発的に"アレして、コレして"と頼まれるので、彼女の側を離れる時機を失ってしまったのだった。後になって、食事中に"彼女はひとり遊びがとても上手ですよね"というと、彼女のお母さんが"そうなのよ。彼女は一番注目を求めたがらないし、一番独立しているわ。でも今日はシノがずっと注目していてくれたから、喜んでいたわよ"といってくれたので、私の方が嬉しくなる。

遊んでいる途中で、彼女が庭に降りていってしまったので、自分も靴下を脱いで、一緒に庭を駆け回りつつ過ごす。裸足で芝生や土の上を歩くと、冷たさや湿気、陽射しの当たっているところの暖かさなどが直接に感じられて、何だかとても豊かな気持ちになった。裸足で外遊びなんて、数十年(?)ぶりのことなので、感動的ですらあった。

彼女の2人の兄はポケモンが大好きで、今日も2人ともそのTシャツを着ていた。"イェーテボリ留学雑記"vol.5にて、彼らのポケモン好きについて書いたところ、職場から"彼らにあげて"と、ポケモン(デジモン?)の掲載された雑誌とポケモンカードが送られてきた。前回のような騒ぎになるのは避けたかったので、"2人で仲良く分けてね"といいつつ、さらに彼らのお母さんにそれを通訳してもらいつつ、二人の手に同時に触れるように、送られてきたプレゼントを渡す。雑誌が日本語だったので、興味を惹かないかと危惧していたところ、付録のポケモン(デジモン?)一覧を発見し、2人とも熱狂状態に陥る。ベランダに広げて魅入りつつ、"コレは知っている、ソレは知らない"、さらに"コレは良いヤツ、ソレは悪いヤツ、アレは変化するヤツだ"と言い合い、彼らの両親がどんなに声をかけても、一切耳に入らない様子だった。そして遂には、"食事が先!!"と彼らのお父さんが取り上げることになったのだった。…ということで、"職場の方にお礼を伝えておいてね"と彼らの両親から伝言されたので、とり急ぎこの場にて報告(笑)

提出締切が目前に迫り、論文の英語の修正が切羽詰っており、今日の招待を受けたときも一瞬悩んだのだけど、とても楽しく貴重な時間を過ごすことができたので、やはり行くことにして良かったなと思う。さらに、少々悩んでいた英文法的な問題について、相談をすることもできたので、なおさらなのだ。

photo of 20030531
20030530:one-thouthand and one-hundred and seventeenth day

出国336日目。写真は"Domkyrkan"の様子。

This picture is "Domkyrkan(the cathedoral)". Today, I revised the degree report and corrected its English.

今日は、自室で論文の英語の修正を行った後で、雑用のために中心街へ行く。20030527に書いたように、相変わらずの大混雑。行列2箇所に並んで用事を片付けると、既に2時間が経過していた。

今週は各高校の卒業式があるらしく、中心街の混雑に拍車をかけている。スウェーデンでは高校の卒業が人生における大きな節目のようで、女のコは白い服、男のコは黒系のスーツを着て正装し、白いカバーをかけた日本の学生帽のような帽子を被っている。さらに、おそらくレンタカーだと思うけど、白樺や国旗で飾られたロールスロイスやリムジンなどの高級車やオープンカーなどに乗り、クラクションを鳴らしながら、ゆっくりと街中を練り走るのである。なかには、大きく引き伸ばした自分の子どものときの写真を持っている学生もいる。各車が何周もするので、道路が渋滞していたけど、例年のことであるし、さらには誰もが体験する(した)ことなので、バスが渋滞で全く動かなくなっても、車中では不満の声は起こらない。このような"お互いさま"の気持ちは、日本には少なくなっているのではないだろうか。

大晦日や各行事の日の様子を見ていても思ったことだけど、スウェーデン人は普段は基本的に静かで穏やかな印象だけど、一旦お祭りモードに入ると、普段からは想像もできないほど、騒々しく、悪ノリ状態になる。この差が、不思議だ。今日も彼らの様子を眺めていて、何かに似ている印象があるなと思いついたのが、日本の成人式の光景だった。スウェーデンでは18歳で成人だから、高校の卒業はまさしく成人式なのかも知れない。

ちなみに、正装している学生たちがあまりに体格が良いし、堂々としているので、当初は大学の卒業式かと思っていた。20030528にhost familyを訪問したときに、"今日は大学の卒業式なのですね〜"と話したところ、"え?違うわよ。あれは高校の卒業式なのよ"と教えてもらったのだった。

photo of 20030530
20030529:one-thouthand and one-hundred and sixteenth day

出国335日目。写真は"telia"の店舗で見かけた電話機。

This picture is a telephone taken at a shop of "telia". Today, I stayed in my flat the whole day and revised the degree report.

写真の電話機は、実習中に訪問したほとんど全ての高齢者宅で利用されている"magni"という機種で、数字が大きく見やすく押しやすくなっている。ちなみに隣には真赤な色の同機種と、"universa"と名づけられたuniversal designの新機種(?)が展示してある。

今日は、終日自室に籠もり、論文の修正を行う。正午頃に、ラトヴィア人の同級生が来訪。"質問があるのだけど…"というので、何だろうと思うと、先日課程責任者のTorunから届いたmailに書いてあった論文提出の締切期限についての確認であった。そこには、"before the 2nd of june 15.00[sic]"と指定されており、彼女は"それは明日の金曜日までに提出しなくてはいけないということ?"と私に尋ねる。当初から締切は20030602と指示されていたので、"当日中の指定された時間以前にということだと思うけど"と答える。すると彼女は"シノはいつ提出するの?"と重ねて訊くので、"もちろん当日だよ。多分午前中かな"と答えると、安心した様子。何でも彼女は同じ質問を他に2人の同級生に確認しているとのことで、私だけでなく同級生それぞれが緊張の渦中にあり、論文に対して過敏になっていることが分かる。

昨日は路面電車の中でアルメニア人の同級生に出会い、下車するまで話をする。その際に、彼女が今年の秋に結婚する予定になっていることを知る。お祝いを述べた後に、ふと思いついて"アルメニアでは、結婚すると夫婦の名字は同じにするの?"と尋ねてみる。すると"名字をひとつにすることもできるけど、ほとんどの場合は各々自分の名字を使い続けるのよ"という。つまりは夫婦別姓である。当然のことながら、"日本ではどうなの?"と訊かれたので、"日本ではどちらかの名字に統一することが法律で決められていて、ほとんどの場合は、女性が男性の名字に変更しなくてはならないの"と説明すると、"え〜?なんでそのようなことをする必要があるの?アルメニアでは名字を同じにする夫婦はとっても少ないけど、全く問題ないよ"と彼女は全く腑に落ちない様子。実際、自分自身も彼女に同意である。

夫婦別姓が基本の社会の場合、子どもの名字はどうなるのだろう?と思い、この点について尋ねてみると、"基本的には父親の名字をもらうのだけど、子どもが18歳で成人した際に母親の名字を選択することも可能よ"という。従って、彼女自身の名字は、彼女の父親と同じであり、母親とは異なるのだそうだ。

photo of 20030529
20030528:one-thouthand and one-hundred and fifteenth day

出国334日目。写真はとある通りの光景。

This picture is taken on a street in Göteborg. In this afternoon, I visited my host family because they checked my English of the degree report.

今日の午後は、以前からお願いしていた論文の英語の修正指導を受けに、host familyのおうちを訪問する。成り行きで、まずは内容や方法論に関しての議論から始まってしまったのだけど、彼らに指摘される点がことごとく指導教官の指示に基づいて行ったコトや彼女の提案により用いている表現だったので、文字通りの板ばさみ状態に陥る。もちろん自分の論文なので、たとえ元々は指導教官の見解であっても、自分の責任で書いているのだけど、非常に困る状況。仕方がないので、基本的には指導教官の指示に従い、ただし加筆修正が可能な指摘に関しては、対応を行うことにする。もしも試験官が、指導教授ではなくhost familyに近い考え方を持っている場合、果たして私は無事に卒業できるのかどうかが、非常に不安なところ。とはいえ、それは考えても仕方がないことなので、人事を尽くして天命を待つしかないのだ。

最近は移動時間に、齋藤純一"公共性:思考のフロンティア"(岩波書店,2000)を読んでいる。以前から"公共性"という概念は、社会福祉の諸価値と関連しているのではないかと感じていたのだけど、関連書籍を読むのは初めてのこと。齋藤(2000)が批判的に継承しているというHannah ArendtやJurgen Habermasの名前は知っているものの、著作を読んだことはない。同じ哲学倫理学分野の専門書とはいえ、齋藤(2000)は入門書としての性格もある様子なので、塩野谷祐一"経済と倫理:福祉国家の哲学"(東京大学出版会,2002)と比べて格段に理解しやすい。稲葉振一郎先生が、大学院の授業用教材として挙げていることから、齋藤(2000)を知ることができたので、感謝。

全く知識の無い概念なので、知らないことを理解する楽しみは大きいけれど、結局、自分の馴染みのある領域にひきつけて考えている。例えば、齋藤(2000)において、公共的空間は"自らの「行為」と「意見」に対して応答が返される空間"(p.vii)と定義されているけれど、ここから私が想起したのはBengt Nirjeの"normalization"の概念とのかすかな共通点であり、欧州を中心に近年社会福祉領域で論じられている"社会的排除/社会的孤立(social exclusion)"という問題である。頭の片隅でそのようなことを考えながら、読んでいたら、さすがに"normalization"に関する言及はないようだけど、続く第1章にて"都市部の高齢者"と"孤独(loneliness)"という、まさしく"社会的排除/社会的孤立"との関連が論じられていた。第2章以降で、どの程度この問題が論じられるのかは不明だけど、"公共性"という視点を基に考えると、"社会的排除/社会的孤立"の定義が明確になるかもしれないと思った。趣味関連では、当然internetという場の"公共性"が想起され、そこで遅ればせながら、Lawrence Lessigが同じ授業の教材に挙げられている理由を理解する。

同じく第1章では、"公共性"からの排除もしくは"accessibility"も取り上げられており、"実質的なアクセスを根本から左右する"要素として"言説の資源"が論じられている。自分自身が留学生活を通して直面してきた最大の問題、そして論文と格闘しつつ改めて痛感せざるを得ない問題が、まさしくコレなのではないか?と思う。

おまけの話題。20030525に、一気に読破したConnie Willis"ドゥームズデイ・ブック:上巻"(ハヤカワ文庫,2003)の続きの下巻だけど、実は同じ日の寝る前にふと手にとってしまったのが運の尽き。再び読破してしまった。1日で趣味関連の文庫本計1,000頁以上を一気読みというのは、現状では非常にもったいなかったけれど、そのくらい引き込まれたのだ。SF好きの方だけでなく、"物語"という世界が好きな方にも是非お勧めの1冊。ちなみに、私は最終試験の終了後に、再読に入る予定(笑)

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20030527:one-thouthand and one-hundred and fourteenth day

出国333日目。写真は"Slottssogsparken"のクジャクの様子。

This picture is a peacock in "Slottssogsparken(the palace park)". In this afternoon, I told the telecommunications company called "telia" to cancel the line after a month. After that I revised the degree report.

今日で、帰国まで丁度1ヶ月になってしまったので、日本の "NTT"に相当する"telia"の店舗に出かけ、電話回線の契約解消の依頼を行う。学校の授業がほぼ終了しているためか、それとも既に夏休みに入っているスウェーデン人が多いのか、平日の日中だというのに、中心街はかなり混雑していた。冬季に通りかかったときにはいつも空いているように見えた"nordstan"内の"telia"店舗でも、30分程度待つことになる。

担当者に"回線の契約を解消したいのだけど"と告げると、質問されそうな事項をあらかじめメモにまとめて持参したこともあり、あっけないほどすぐに終了する。私は1年未満の滞在のため個人番号を受けていないので、昨年8月に回線開設の申込をしたときに、3000sek(*14円)のデポジットを支払っている。契約を解消した際には、それを返してもらえることになっているので、その旨告げると、担当のお兄さんは、一瞬きょとんとした表情を見せた後、"ちょっと待っていて"といって奥の部屋に消えてしまった。15分以上待たされて、"もしや忘れ去られたかな?"と思い始めた頃、彼は1枚の書類を持って出てきた。既に端末に登録された事項の他に、銀行の口座番号を質問され、終了。この間、1度も身分証明の提示を求められなかったのが、非常に意外。

これから1ヶ月はできるだけ帰国準備の体験について、書いていきたいと思っているけど、とりあえず電話回線の契約解消は1ヶ月前までに連絡しておくことが必要。デポジットの返還を求める場合には、必ず念を押すこと。さらにその際には、スウェーデン国内の銀行の有効な口座が必要になる。

雑用を片付けた後、カフェにて論文の原稿の再読を行う。読んでいると色々と細かい誤りを発見する。未だに納得のいかない"分析nalysis)"部分に関して、数行加えることで多少改善されることに気が付き、嬉しくなる。帰宅後、課程責任者のTorunから試験の日程と議論相手の一覧が届いている。私の試験は、20030612の午前中に予定されている。

日本での修士論文の審査は、専攻科目の教授全員対執筆学生だったけれど、今回の審査は、審査担当の教官("examiner")が座長になり、実際に私の論文の発表を行うのは私ではなく、"opponent"と呼ばれる同級生の1人になる。執筆者自身は、最初に綴りの間違いなどの訂正を行う最後の機会を与えられ、簡単に要旨の発表を行う。後は、"opponent"から提起される問題について議論を行うことになる。さらに最低5つ以上の試験に同席することが求められており、その際も質問等を行って良いことになっている。つまりは、教師対学生の構図ではなく、あくまでその論文に関する議論を行うのである。日本とスウェーデン(欧州?)の高等教育の違いが、端的かつ明確に現れていると思う。

私の"opponent"は、仲良しのヨルダン出身の友人となり、ほっとする。というのは、私の最大の不安は"opponent"の英語が聞き取れるかどうかであり、自分の耳が彼女の英語には慣れているからである。またスウェーデンに9年間暮らしてきた彼女が、スウェーデンの高齢者福祉を対象にした私の論文について、どのような意見を述べるのか、非常に興味深い。不思議なことに、"opponent"が彼女だと判明し、試験が楽しみになる。ちなみに、私自身が"opponent"となるのは、ルーマニア人の友人の保健制度における利用可能性(accessibility)に関するルーマニアとスウェーデンの比較研究。彼女は、英語が非常に堪能なので、きっと論文の文章表現から学ぶことも多いと思うし、第一彼女はルーマニアの保健関係の政府官僚なので、密度の濃い比較研究がなされていることと推察。単に両国の政策が並列され違いが明記されているだけでなく、本来の意味での"比較研究"になっているだろうと期待しているのだ。

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20030526:one-thouthand and one-hundred and thirteenth day

出国332日目。写真は"Slottssogsparken"の高台から見下ろす市内の様子。

This picture is taken at a hill in "Slottssogsparken(the palace park)". In this afternoon, I had the last meeting with the supervisor and after that I revised the degree report.

今日の午後は、指導教官のGerd Gustafsson博士に論文指導を受ける。提出は来週なので、今回が最後の指導になる。修正した"分析(analysis)"と"議論(discussions)"や"要旨(abstract)"を見てもらい、話し合いを行いつつ、最後の助言を受ける。ところが前回は何も言われなかった"議論(discussions)"の構成について、変更の指示が出て、少々焦る。構成だけの変更なので、手間は大したことがないのだけど、それにより頁数が増えてしまうのが問題。指定されている頁数制限に"文献リスト"が含まれる場合には、頁数を削減するために修正が必要になるので、課程責任者のTorunの回答を待っているのに、まだ来ない。非常に精神衛生上良くない状況である。

今日の指導では、論文の"題目(title)"についても相談を行い、予め作成しておいた候補のなかから決める。私が"名前を付けるセンスが無くて…"と冗談めかしていうと、Gerd Gustafsson博士も"大丈夫よ、シノ。私もないから"と笑う。彼女が"このなかでは、コレが良いのでは?"と指差した候補が、自分で一番収まりが良いなあと思っていた候補と一致したので、あっさりとそれに決まる。その後で、最終試験のときにどのような箇所が議論になると予測されるかなどについて質問をして、何となく名残惜しさを感じつつ退室。帰国の前にはまた会うことになっているし、時間が合えば、最終試験である口頭試問にも同席してくれるというので、感謝。

photo of 20030526
20030525:one-thouthand and one-hundred and twelfth day

出国331日目。写真は"Slottssogsparken"にて見かけたカモメの様子。

This picture is seagulls in "Slottssogsparken(the palace park)". Today, I had a free day and went for a walk there.

春の訪れ以降、市内では始終カモメを見かける。学生アパートの周辺でもよく鳴いているので、フィリピン人の友人などは"カモメがうるさいわ"と嘆いているほどである。東京都多摩地区出身の自分にとっては、カモメを街中で見かけるということ事態が、非常に新鮮な体験。Göteborgが海辺の街なのだなあ、ということを実感する。

論文も一段落したので、今日は終日休日にする。引っ越してきた当初からずっと気になっていた"学生アパートの裏側を通っている細い道はどこに通じているのだろう?"という疑問を追求するために、散歩に出る。地図を持っていなかったので、途中で適当に曲がって行くと、予想外のことに実習先の比較的近くに辿り着く。吃驚。普段は通らない道を歩くことができて、楽しい。

次に、最寄の路面電車の駅から、"Slottssogsparken(the palace park)"という市内最大の公園へ向かう。"Goteborg Posten"のサイトにて、公園内の小さな動物園でヘラジカの仔どもが生まれたことを知ったので、園内をのんびり歩きつつ、動物園に足を向ける。さすがに晴天の日曜日だけあり、"Slottssogsparken"には結構な人が訪れており、芝生やベンチで日光浴したり、ローラブレードやキックボードで遊んだり、老若男女問わず思い思いに楽しんでいた。日本のよりも娯楽が少ないといえばそれまでだけど、子ども時代からお年寄りになるまで、お天気の良い休日の過ごし方があまり変化しないというのは、却って豊かなことのように思える。また、日本の公園でしばしば見かけるような"芝生立ち入り禁止"の看板は皆無であり、自由に過ごすことが出来る。さらに、園内はリードさえつけておけば、犬の散歩も自由に行えるので、犬と犬がすれ違うことも多いのだけど、吠える声を一切耳にしなかった。これは普段の市内でも同様であり、おそらく犬を飼うことの責任として、きちんとしつけてあるのだと推察する。

"Slottssogsparken"内の動物園は、"動物園"というコトバから想像するほど色々な動物がいるわけではないけれど、敷地内は広いので、じっくり廻ると結構な時間がかかる。20030208に訪れた"skansen"でも感じたことだけど、1種類の動物に割り当てられている区画の範囲が広く、人間の住環境と同様に、動物園の動物たちも日本とは比べものにならない良い環境に生活しているように思う。目的の仔ヘラジカはもちろん、生まれたばかりのようなコガモの泳ぐ姿なども見ることができて、幸せ。

自然と動物たちを堪能した後は、再び路面電車に乗り、市の中心街へ移動。映画館に立ち寄ると、満席だろうと予想していた"matrix reloaded"の当日券を未だ売っていたので、幸運なことに観ることができた。冬季のスウェーデン人の最大の娯楽は映画鑑賞だと思うけど、やはり春夏季の娯楽は屋外で過ごすことなのだろう。日曜日の夕方なのに映画館はそれほど混んでいなかった。肝心の内容は、前作の設定をほとんど忘れてしまっている上に、会話で説明される部分が多かったので、電脳世界モノで要となる世界観に関してよく理解ができず、残念。以下、ネタバレになるかもしれないけど、主人公が究極超人になるとご都合主義的な印象が否めなくなり、コメディに見えてしまうと思う。とはいえ、多少不満はありつつも、やはり好きなシリーズなので、日本に帰国したら第1作"animatrix"を観て予習してから、再度観に行く予定(笑)

おまけの話題。"matrix reloaded"が不完全燃焼だったので、帰宅後、唯一手元にある未読の趣味関係書籍であるConnie Willis"ドゥームズデイ・ブック:上巻"(ハヤカワ文庫,2003)を解禁する。読み始めたところ、ついつい途中で止められずに全591頁を一気に読了。勿体無いけど、下巻もあるので楽しみ。最高の休日を満喫した1日だったのだ。

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20030524:one-thouthand and one-hundred and eleventh day

出国330日目。写真はとある通りの光景。

This picture is taken on a street in Göteborg. Today, I stayed in my flat the whole day and wrote the refereneces list and abstract. The title of the degree report has not decided yet.

今日は、終日自室に籠もり、"要約(abstract)"や"文献リスト(references)"の作成に勤しむ。"文献リスト"は、本文中で参照した資料だけで、計4頁55件になった。それが多いのか少ないのかは分からないけど、来週に参照はしなかったが参考にした資料を加える予定なので、もう少し増える見込み。ただし、指定されている頁数制限に"文献リスト"が含まれる場合には、これ以上は増やせないのが悩みどころ。頁数制限に含まれるのかどうかに関しては、課程責任者のTorunの見解が、質問する場合によって変わるので、再度確認中なのだ。

ようやくこれで残すは"謝辞(acknowledgement)"だけになったかと思いきや、重大なことを忘れていたことに気づく。それは論文の"題目(title)"である。日本語の論文でも題目を考えるのが、非常に苦手なので、頭が痛い問題。これまでの授業でも、スウェーデン人の同級生などは、非常にひねりのある、そして内容を的確に表した題名をレポートにつけており、自分の名付けセンスの欠如を痛感する。仕方がないので、今回も直球になる予定。

相変わらず、就寝前に少しずつ読んでいる塩野谷祐一"経済と倫理:福祉国家の哲学"(東京大学出版会,2002)は、まもなく第1章の終わりに辿り着く。第1章の最初に、下記のような一文があった。

18世紀末における科学としての経済学の成立は、経済のメカニズムに関する認識が社会の倫理的規範から独立を勝ち取ることを意味した。経済は経済だけで独自の秩序と規則を持つことが経験の中から見出されたのである。存在(is)が当為(ought)から切り離されて議論されるようになった。これが今日まで主流派経済学のあり方として続いている(p.13)。

経済学についてはほとんど知識が無いので、ただ"なるほど"と思うのみだけど、上記の文章からは、ある学問領域が"科学"として成立するためには、"社会の倫理的規範"から独立することが必須である、という趣旨が読み取れる。これを社会福祉という学問領域に適用した場合、どんなにあがいても社会福祉はやはり"科学"には成り得ないのではないだろうか?そもそも価値指向的な性質を内在する社会福祉が、その社会の"倫理的規範"から離れた独自の秩序と規則を持つことなど想定できるのだろうか?

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20030523:one-thouthand and one-hundred and tenth day

出国329日目。写真は"Röhsska museet"建物内部の光景。

This picture is taken at "Röhsska museet". Today, I stayed in my flat the whole day and revised the draft of the degree report.

今日の午前中は、久しぶりに目覚まし時計を設定せずに惰眠を貪っていたところ、電話が鳴り、飛び起きる。寝ぼけた頭のまま受話器をとると、課程責任者のTorunという先生からで、一瞬大混乱。彼女は普段、mailで連絡を寄越すので、電話がかかってきたのは初めての事態。何事かと思ったところ、"来月の発表を行う人数を確認中なの。シノは発表する?"と訊くので、"もちろん、そのつもり"と答える。電話を持っていないフィリピン人の友人にも伝えて、と頼まれたので、廊下をはさんで斜め向かいの彼女の部屋へ向かう。

同じく寝ぼけ眼で出てきたフィリピン人の友人に、用件を伝えると、"その件については、Torunからmailをもらって翌日に返事をしたのに…"と驚いたようにいう。一方の私は、彼女のコトバを聞いて、吃驚。"え?そんなメール、私はもらってないよ"というと、彼女は"そうなの?先週届いたのよ"と教えてくれた。おそらく単純にTorunがmailの送信先に私のアドレスを入れ忘れただけだと思うのだけど、留学手続きをしていた頃から、この手の連絡不行き届きは非常に多い。スウェーデン人の合理的な側面と、この大雑把さが両立しているのが、非常に不思議。振り返ると、日本の学校関係の連絡は実に徹底していると思う。

今回の件などは、Torun自身の利益(?)に関係することだったから、わざわざ電話をくれたけれど、これがこちらから何か質問をしたり、依頼をしている場合だと、先方の都合次第で後回し、さらにはそのまま無視されてしまうことがある。この点は、学校関係より、企業への問い合わせや依頼の場合でも同じ。従って、"そういえば、あれはどうなっているのだろう?"と思ったときには、すぐに確認もしくは催促の連絡を入れることが必須となる。個人主義が貫かれていることの裏表のようにも思うけど、スウェーデン(欧州?)社会では、実は、声の大きいヒトに有利になる場合が多いのだ。

photo of 20030523
20030522:one-thouthand and one-hundred and ninth day

出国328日目。写真は"Kungsportsbron"の上からの光景。

This picture is taken on "Kungsportsbron(the bridge King's gate)". In this afternoon, I had a meeting with the supervisor and she gave me some helpful advices on the degree report. I must correct the laguage mistakes.

写真は、市内中心部を流れる運河の支流にかかる"Kungsportsbron"という橋の上から撮影したのだけど、そもそものGöteborgはこの運河の支流の内側で囲まれた非常に狭い部分だけである。つまりこの運河は、街を外敵からまもる"お堀"であり、両端には堰が設けられている。20030517の写真は別の支流だけど、同様に"お堀"であり、堰が写っている。

今日の午後は、指導教官のGerd Gustafsson博士に論文指導を受ける。挨拶を終えると、開口一番に彼女が"まず最初にいいたいのは…"と切り出したので、内心緊張して待っていると、"シノの論文は非常によく出来ているということ"と続いたので、一瞬何をいわれたのかよく理解できないほど嬉しかった。さらに彼女は"たった1つの問題は、言語の問題ね"といってくれたので、涙が出そうになった。

英語力の乏しさは自分自身が一番痛感しているし、どちらにしても英語の堪能なhost fatherに見てもらう予定。さらに、たとえ文法的な誤りは減ったとしても、母国語同然の南アフリカ人や、英語が堪能なキューバ人、ルーマニア人、スウェーデン人の同級生たちにはとても叶わない。もちろん"もっと英語の勉強をしておくのだったなあ"という反省は日本を出国して以来ずっと思っていることだけど、今すぐに対応できる問題ではないので、"論文の問題点が語学上のことだけ"というのは、私にとっては最高の評価なのだ。論文指導のたびに、不安を抱えて行って、予想外の評価を得ることを繰り返しているので、"実際はダメなのだけど、仕方ないから良いといってくれているのでは?"などと疑念を感じたり、"でもそれならこんなに頻繁に熱心に指導してはくれないかな?"などと揺れている今日この頃。

もちろんまだ完成したわけではないし、英語の修正や超過している頁数の調整、さらに"要約(abstract)"や"文献リスト(references)"などのオマケの部分も残っている。提出まで気を抜かずに頑張りたいと思う。

ところで20030516に書いた"care"と"nursing"に関する質問に関しては、結局返事は来なかったのだけど、彼女はきちんと今日の論文指導の際に説明をしてくれた。実は、昨日会ったとある財団の管理者の女性にも同じ質問をしており、そのときには、"'care'は'omvårdnad'で'nursing'は'sjukvård'であり、'特別な住まい(särskilda boendeformer, the special accommodation)'においては、前者は行うけれど、後者は行わない"という回答であった。ところが、Gerd Gustafsson博士は、"'care'は'omsorg'で'nursing'は'omvårdnad'であり、'特別な住まい'は前者が中心であり、後者は基本的に行わない"という。

現在の私に手に負える問題ではないし、今回の論文に含めるつもりは毛頭無いのだけど、ますますこの問題には興味が高まる。両者ともに、"'care'は'特別な住まい'に含まれるけど、'nursing'は基本的に含まれない"といいつつ、それらに該当するスウェーデン語は異なるモノとして認識しているのだ。知人から教えてもらったところによると、"omsorg"は元々知的障碍者領域にて用いられていたコトバであり、つまりは"養護/擁護"という意味を含むと理解できる。この点について、指導教官のGerd Gustafsson博士は"take care of"という表現を例として挙げてくれた。

指導終了後、"Röhsska museet"に立ち寄り、数度目の正直でようやく鑑賞することができる。常設展示コーナーの一部を改装中のようで、展示品の数が少なかったのが残念。それでも古いタペストリーや新進デザイナー(?)の作品を見ることが出来て、楽しい。最上階に上ると、階段の踊り場にいきなり巨大な仏像が登場して、吃驚。展示室のなかにも仏像が一列で並んでおり、その他にも銅鏡や陶器などが沢山飾ってある。何も考えずに日本の美術品だと思いつつ見ていたところ、ふとキャプションに中国らしき地名が書かれていることに気づき、日本の文化がいかに中国の影響を受けてきたかを認識する。展示品だけ見ていると、全く区別がつかない。またスウェーデンの工芸品を見ている続きで、仏像や象嵌工芸品などを目にすると、その違いが際立つ。東洋文化を神秘的だ感じる感覚を理解したように思う。一画で、印籠の企画展を行っていたけれど、印籠は日本独自の文化なのだろうか?それともやはり中国から伝来したのかな?

photo of 20030522
20030521:one-thouthand and one-hundred and eighth day

出国327日目。写真はとある"särskilda boendeformer"の内部の光景。

This picture is taken on "särskilda boendeformer(the special accommodation)". Today, I struggled with the degree report, again. I feel very nervous, still.

今日の午前中は、知人の好意により、市内のとある"特別な住まい(särskilda boendeformer, the special accommodation)"を訪問する。そこはとある財団が市からの委託により運営しており、私の実習先にある公設公営の"特別な住まい"とは、良くも悪しくも細かな違いが感じられた。その財団の最高管理者(director)である女性と話す機会を作ってもらったのだけど、市との折衝が大変そうで、その点はスウェーデンも日本も全く違いがない。日本での自分の勤務先が、公設民営の特別養護老人ホームなので、彼女の抱えている問題には深く共感してしまう。

彼女は非常に明確な理念を持っているので、実習を通じて高齢者福祉の現場の総体を一応把握することができた後で、このような機会をもつことができたのは、非常に有意義であった。ただスウェーデンにおける管理部門と現場部門の意識の差の大きさについても実習を通じて実感してしまったので、もしいつか出来ることなら、彼女の勤務先で実習をして、彼女の理念がどうやってまたどの程度実践されているのかを、確認してみたいなと思う。

帰宅後、論文との格闘を再開。相変わらず、不調。自分を追い込みつつ、何とか一応は書き上げる。自分自身で手応えがないので、"完成した〜!!"という達成感は未だない。明日の指導を受けて、修正をする予定。

余談になるけど、現在05:20amで、外は明るくなっている。真冬の頃を思い出し、改めて北欧の日照時間の変化の激しさを実感(笑)

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20030520:one-thouthand and one-hundred and seventh day

出国326日目。写真はとある通りの光景。

This picture is taken on a street in Göteborg. Today, I stayed in my flat the whole day and struggled with the degree report, again. I feel very nervous because I am not sure what I should write in analysis part of the degree report yet.

今日も終日自室に籠もり、論文と格闘。絶不調にて、ほとんど捗らず。ここまで来たのに、我ながら情けない。不調の原因は、未だに"分析(analysis)"の部分で何をどう書いたら良いのかが見えないため。20030512の論文指導にて、分析は、理論を通して調査結果を見ること"だと理解したけれど、それを実践するのは難しい。先にこの点を理解していれば、もっと分析しやすい理論を"理論的枠組(theoretical framework)"に位置づけるのであったと数日前に気が付いたけど、もはやそんな根本的な部分を変更している時間的余裕はないので、自分の勉強不足を反省しつつも何とか進めるしかない。

ここにきて、改めて"さて、'理論(theory)'とは何を指すのだろう?"などと悩んでしまう。Erving Goffman "Asylums"(Anchor Books, 1961)に書かれている"total instituions"は、やはりあくまで"概念(concept)"であって、理論ではないのだろうか。次回、論文を書くときには、もっと明確に"理論"として確立している"理論"を、枠組みに用いようと決心。前回は、"理論的枠組"の重要性に気が付かずに失敗。今回は、選択をやや間違って失敗。少しずつ進歩しているのかな?同じ失敗を2回続けなければ、良いことにしよう(笑)

"議論(discussions)"部分には書きたいことがほぼまとまっているので、それが"分析"なのか"議論"なのかについてはあまり気にせずに、とにかく書き進めることに方針決定。書いてみないことには、指導教官の指導も受けられないのだ。

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20030519:one-thouthand and one-hundred and sixth day

出国325日目。写真はとあるカフェの内部の光景。

This picture is taken at a cafe. In this afternoon, I borrowed a leterature from one of the University libraries and struggled with the degree report, again.

写真のカフェは初めて入ったのだけど、店内に中2階があり面白い構造。日本にいた頃から、"café au lait"もしくは"caffe latte"を頼むことが多いのだけど、実は両者の違いを理解していなかった。何となく、"caffe Latte"の方が味が強いとは思っていたのだけど。今日は写真のカフェで、"café au laitを下さいな"と頼んだところ、店員さんが珈琲のポットを指差しながら"珈琲にするの?espressoにするの?"と訊くので、咄嗟に長時間ポットに入っていた珈琲はイヤだなあと思い、"ではespressoで"と答えたら、"それならcaffe latteね"といわれて、ようやく違いを理解した次第。なるほど、espresso+milk=caffe latteの方程式だったのか。ちなみに、おそらく"珈琲で"と頼んでも、ポットの珈琲がそのまま使われたのではない思う。

スウェーデンには、starbucksdoutorもないけれど、カフェは非常に多くあるし、お店ごとに使っている機械が異なり、また手順も異なる。ただほとんどのお店で、"café au lait"も"caffe latte"もカップではなく、グラスに入って提供される。最初の頃は、その光景を見て、"スウェーデン人は冷たい飲み物が好きなのだなあ"と誤解していた(笑)

今日の午後は、Göteborg Universityの図書館のweb siteにて図書館間借出の申し込みを行った文献が届いたとの連絡があったので、受け取りに出向く。申し込みを行ったときには、どのくらいで届くのか見当もつかなかったので、大量に手続きをしたために、今頃になって次々資料が集まっている。やれやれ。

おまけの話題。毎日新聞のサイトに掲載されていた"課題多いレセプトの電子化:被保険者の立場が見えず"を読む。"レセプト情報をいかに有効活用し、被保険者の健康促進にどうつなげていくか、という方向が不透明"どころか、そのような視点は皆無なままに、介護保険制度の報酬請求は強制的に電子化されてしまったのに、全く問題にならないのは何故だろうと疑問を感じてしまった。病院における報酬請求電子化のためにかかる費用は問題視されるのに、社会福祉施設におけるその費用は省みられないのだなあと、少々悲しくなる。

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20030518:one-thouthand and one-hundred and fifth day

出国324日目。写真はとある通りの光景。

This picture is taken on a street in Göteborg. Today, I stayed in my flat the whole day and struggled with the degree report.

今日は終日自室に籠もり、論文と格闘。"先行研究(earlier research in the area)"に大幅な加筆修正を行い、"研究方法論(method)"の修正も終える。予定よりも遅れてしまったけれど、ようやく先週書き上げた部分の修正作業が終わる。格闘しているうちに、"しまった、'理論的枠組(theoretical framework)'はこうすれば良かったのだ!!"と改善案を思いついたものの、既に手遅れの段階。現状の草稿で、指導教官が了承してくれているのだから、大丈夫だろうということにしておく。

昨日の帰路、路面電車の中でラトヴィア出身の同級生と偶然出会う。彼女はしばらく帰省していたので、久しぶりの再会。当然のように論文の話題になると、彼女は"自分は経済学部出身なので、何を求められているのか未だに分からない。指導教官に聞いても、それで良いよといわれるだけで不安なの。指導教官が良いといっても、試験官が落第にすることもあるわよね?"と嘆く。

私自身は、今回のコースにおける今までの様子から、おそらく締切期限までに提出すれば、落第することはないだろうと見込んでいる。見通しが甘いかな?また、論文やレポートの評価が、先生の視点や興味関心によって大きく左右されることは、日本でもスウェーデンでも同じなので、それは仕方がないことだ。自分の今回の論文も、指導教官のように近い関心領域の先生が見れば興味深いと評価してもらえると思うけれど、全く異なる領域の先生が試験官になった場合には、おそらく何故このような課題を設定したのかすら理解してもらえない可能性もある。もちろん、論文の形式や作法をまもることで、そのような事態をできるだけ減らすようには努力しているけれども、人事を尽くした後は天命を待つしかないのだ。だから個人的には、第一に自分が納得できること、第二に指導教官に評価してもらう論文を書くことを目標に据えている。自分が納得している場合には、結果がどうであろうと、悔いはない。後悔するのは、常に手を抜いたことを自覚しているときなのだ。

とはいえ、上記のような個人的な考えを説明するには私の英語力は乏しすぎ、また彼女が困っているのは"論文の作法"に関してのように思えたので、"指導教官がOKといっているのなら、きっと大丈夫だよ"というしかできなかった。それでも、彼女は不安そうに"シノは今までに落第したヒトのことを聞いたことがある?"と聞いてくるので、"う〜ん、私は聞いたことがないわ。個人的には、これまでのように提出さえすれば合格できると思うけど"と答えるしかなかった。

確かに、自分が納得できる程度に仕上げられれば、結果がどうであろうと、悔いはないと思う。だけど、万が一の場合には秋学期に再提出になってしまうので、できればそれは避けたいな…。あう。

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20030517:one-thouthand and one-hundred and fourth day

出国323日目。写真は臨時連絡船から眺めた"Drottoningtorget"の光景。

This picture is taken from a boat. In this afternoon, they have a big sport festival in Göteborg and tram lines were very confusing.

今日の午後、Göteborgでは"Göteborgsvarvet"という市内一周マラソン大会(?)が行われており、開催時間中は路面電車の路線が大幅に変更されていた。以前から掲示はされていたのだろうけれど、この数日間は外出をしていなかったので、乗っていた車両が突然予想外の路線に入っていったときには少々慌てる。窓から外を見ているうちに、路上を走る大勢の人々を発見し、事態を把握する。

今日は週に1度の休日にしようと思い、"Röhsska museet"という手工芸美術館へ向かう。ところが、この美術館のある"Vasagatan"という大通りも会場の一環となっており、一瞬の切れ目もなく大人数のヒトが走っている最中。結局、美術館の向かい側まで行ったにも関わらず、道を渡れずに建物に辿りつけなかった。残念無念。9ヶ月前にスウェーデンに到着して以来、"Röhsska museet"には何度か足を運んでいるものの、たまたま休館日に重なってしまったり、理由不明で鍵が閉まっていたり、何故か縁がないのだ。

詳細は分からないのだけど、"Göteborgsvarvet"は一般市民による大会のようで、文字通り老若男女人種も肌の色も様々な人々が走っていた。スウェーデン国旗の他にノルウェー国旗を振っている人たちも大勢いたので、国際大会の意味もあるのかもしれない。沿道にも普段の市内の様子からは想像もできない程の人数が応援や見物に出ていて、市民にとってはきっと大きな行事なのだろう。しばらく見学しているうちに、競技用の3輪車椅子で走っているヒトを見かける。追突防止のためにオレンジの旗を椅子に立てて、走っていた。選手が走りぬけていくときに、沿道の観客が応援の拍手をするのは日本もスウェーデンも同じだけど、車椅子の選手に対して特にその拍手が大きくなることもない。このような大会に車椅子のヒトがごく普通に参加し、観客も当然のこととして受け止めている様子を見て、"normalization"などと意識されないほどに社会に根付いている"normalization"のあり方を痛感する。

しばらく見学した後、"Röhsska museet"はあきらめて、中央駅の近くにある"Trädgårdsföreningenspark"に向かう。すると、この公園の正門前の通りもマラソンのコースになっており、同じ状況。仕方がないので、"Nordstan"に行くことにすると、"Östra Hamngatan"という"Nordstan"と"Gustaf Adolfs Torg"の間にある大通りも会場になっており、またまた渡れない。どうやらこの大会の開催時間中は、コースの外側と内側で市内が完全に分断されていた模様。

とはいえ、"Nordstan"や中央駅に行きたいヒトは大勢いるだろうし、何か手段はあるはずだと思い、近くにいた会場整理係に尋ねると、"そこからボートが出ているから、それを使うように"と教えてくれる。指示された方を見ると、既に大勢のヒトが行列を作ってボートを待っていた。文字通りの渡し舟。つまり、夏季の観光用ボートを運営している"Peddan"が、20030318の写真として掲載した"Lejontrappan"から中央駅のある"Drottoningtorget"までをつないでいたのであった。言うまでもなく、料金は無料。自分で歩くと5分間もかからない距離を、ボートの待ち時間も含めると20分以上もかかったけれど、普段は見ることのない運河上からの景色を見ることができて、貴重な体験。当初の予定とは大幅に異なる結果となったけれど、なかなか楽しい休日であった。

おまけの話題。遠回りしてようやく到着した"Nordstan"はほとんどのお店が閉まっていたけど、"presbyrån"にて、"camera nature""mobile""m3"と"dreamwatch"の4誌を購入。来週上映開始の映画"matrix reloaded"の表紙に惹かれて購入した"dreamwatch"には、"star wars episode III"のオープニング映像の撮影が開始された記事などもあり、面白かった。日の丸国旗のついているコラムには、清水崇監督の"呪怨"が中田秀夫監督の"リング"に続いてハリウッドでリメイクされる話題と、深作欣二監督の"Battle royale II"の話題が掲載されていた。"リング"については、日本版は"Ringu"とローマ字表記されており、リメイク版の"The Ring"と区別されている。以下ネタバレを含むけれど、"Battle royale II"に関しては、映画内で東京都内の某ツインタワーがテロで崩壊する設定のために"アメリカでの上映は難しいだろう"と結ばれていた。もともとホラー映画は全く興味ないし、"Battle royale"も見ていないのだけど、日本の文化(?)が紹介されている記事を読むのは、楽しい。

photo of 20030517
20030516:one-thouthand and one-hundred and third day

出国322日目。写真は"Norrvikens Trädgårdar"近くの光景。

This picture is taken near "Norrvikens Trädgårdar" where I visited on 20030504. It is the flag of Skåne. Today, I stayed in my flat the whole day and rewrited the draft of the degree report.

写真の旗は、スウェーデン南部の地方であるSkåneの旗である。赤地に白十字のデンマーク国旗と青地に黄十字のスウェーデン国旗とのまさしく折衷案であることが、Skåne地方の歴史的背景を象徴している。

今日も終日自室に籠もり、論文と格闘。"理論的枠組(teoretical framework)"をほとんど全面的に修正する。手間はかかったけれど、その分良くなったと思いたい。昨夜遅くに、"'care'と'nursing'をスウェーデン語では何というのか?"ということと、"英語の文脈とスウェーデン語の文脈における、その2つの違いは何か?"という質問を指導教官にメールで送ったところ、いつもは即日で返事をくれるのだけど、未だ返事が来ない。単に忙しいだけなのか、それとも説明が面倒なので時間がかかっているのかは分からないけど、質問を無視するような先生ではないので、回答を楽しみにしているところ。もちろん指導教官の理解が"絶対"ではないし、おそらくスウェーデン人のなかでも見解が大きく分かれそうな印象だけど、だからこそ非常に興味深い問題。帰国後は、"介護"と"看護"と"ケア"について考えてみようと思う。

スウェーデンの地方自治体に勤める現場職員が加入している労働組合がストライキを行っていることは、20030415に書いたけれど、実はこのストライキはまだ続行中である。"Sveriges Radio"の英語ニュースでは、最初は連日掲載されていたのに、何も進展がないので"ストライキ何週目、未だ変化なし"のような記事のみになってしまった。数日前の記事によると、電気技術者たちもこのストライキに賛同して、同時にストライキに突入したらしい。20030514の時点で、47,000人の地方自治体現場職員と5,000人の電気技術者がストライキを行っているとのこと。

実習先ではどのような状況になっているのかな?と気になっていたところ、全く別件で、実習先で指導を担当してくれた"高齢者担当ニーズ査定員(biståndabedömare, needs' assessment officer)"のCさんから電話がある。以前にメールで"ストライキの様子を教えて"と伝えてあったので、ふと思い出したように"そういえば、まだストライキが続いていてね"と話し出した。そこで"4週目になるのよね。何人くらいストライキに入っているの?"と聞くと、Cさんは"Göteborgではそれほど大規模にはなっていないのだけど。病欠が出ると、代わりを調整するが難しくなっている状況かな"という。そして、"おそらくこのストライキはもっと長引くと思うわ。問題なのは、彼らの要求通りになると、'准看護士(undersköterska, assistant nurse)'の賃金が'看護士(sjuksköteska, nurse)'と同じになってしまうのよ。それは納得がいかないわ"という。彼女が納得いかないのは、20030327に書いたように、両者は教育年数と内容が異なり、従って業務上の責任も大きく異なるためである。ちなみに便宜的に、"准看護士"と"看護士"と訳しているけれど、日本の区分とは全く違うので、誤解なきよう。

さらにCさんは、"もうすぐ、私の賃金についての組合交渉も始まるのよ"というので、"では、もしかしたらあなたもストライキをするかもしれないわね?"と冗談を返すと、"ええ。ありえるわね"と彼女も笑う。実際、彼女が属している組合の交渉がどうなっていくのかも、なかなか気になるところである。

photo of 20030516