浄土真宗親鸞会 親子ネット
親不孝な私の最高の恩返し
東京都 松村篤さん(仮名)
「お前なんか親じゃない!!」
高校時代、私が、母に向かって吐いたセリフです。
学校では教師に反抗し、叱られても悪びれずに悪態をつく。
つまらない授業は早々に切り上げ、悪友と共にゲームセンターに入り浸る。
遅くまで遊んで帰ると、目を三角に吊り上げた母が玄関に仁王立ちになって待ちかまえていました。
「こんな遅くまで、どこで何をしていたの」
「うるせぇな!お前には関係ねぇだろうが」
罵り、泣き叫び、激しい親子喧嘩の末に逃げるように自室の布団に潜り込む。
「ああ、苦しい、苦しい。こんなものが人生なら、いっそ死んだ方がマシだ。死にたい。」
この世のジゴクでありました。
「こんな人生、なぜ生きねばならないのか?
こんな苦しい人生が死ぬまで続くのなら、今自殺した方が、よほど幸せではなかろうか?
苦しくとも生きねばならない理由は、一体あるのか?
人生の目的が、知りたい」
人生の目的を知りたくても分からないことが、私をいらだたせ、狂わせていたのです。
「人生の目的は、人間に生まれてきた目的であるから、どんな人にも共通した目的であるはずだ。しかし、そんな万人共通の人生の目的など、あるはずがない。やはり、人生の目的は無いのだろうか」
「人生の目的は無い」とハッキリすれば、迷わず自殺していたかもしれません。
しかし、「ひょっとしたら」という一縷の望みからか、あるいは単に自殺への恐れからか、私は自殺に踏み切ることなく、ただ諾々と人生を歩んだのでした。
そして周りに流されるまま大学受験をし、一浪の後、大学に合格することが出来ました。しかし当時の私は、生きる意味が分からず、何もかもが色褪せて見えました。
「どうせ、どの大学に行っても同じだ。今までと変わらない、苦しい人生が待っているだけだ。」
華やかな入学式、溢れる笑顔に囲まれながら、私は1人絶望のどん底に叩き落されていたのです。合格の喜びも、これからの4年間の大学生活も、少しも魅力的ではありませんでした。
その時、私に声をかけてくれた1人の先輩がありました。
それが私と、親鸞聖人の教えとの出会いだったのです!
この時、私の人生は、闇に覆われた地獄の日々から、光り輝く人生へ180度大変わりしたのです!
ある時、先輩から「お釈迦さまが教えられた親の大恩十種」という話を聞きました。
自分がこの世に無事に生まれてきたのは、そして今の今まで無事に生き延びてきたのは、一体誰のお陰であったのか。そう思い起こして、それまでは忘れていた幼い頃の嬉しかった記憶が、一気に蘇りました。
物心ついて間もない頃、オムツを替えてくれた母の手には、とても安心できました。
オネショをして、叱られると思って泣いていても、母は嫌な顔一つせずに後始末をし、自分の布団に招き入れて一緒に寝てくれました。
幼稚園の学芸会でも、小学校の運動会でも、母はお弁当を作り、父は仕事で忙しい中駆けつけ、家族みんなで笑顔でした。
その幸せは、何物にも代え難いものでした。
その幸せが、いつまでも続けばよかったのに。
しかしその幸せを壊したのは、他ならぬこの私なのです!
「ああ!何たることか!今までオレは、大恩ある親を踏みにじり、恩を恩とも思わず、逆恩の限りを尽くしてきた。親の心を抉(えぐ)り取り、すり潰してもなお飽き足りない奴とは、私であった!この大罪を償い、親の恩に報いるには……悔悟の涙とともに心に浮かんだのは、お釈迦さまが言われるとおり、親にもこの仏法を伝たいということでした。」
そんな時、地元で、高森光晴先生を講師に招いた講演会が開かれることになったのです。
場所は家から歩いて5分のところ。演題は、なんと「親の大恩十種」でした。
早速両親を誘い、父が会場に足を運びました。
「こんないい話を聞いているんだなぁ。周りの先輩達も、最近の若い者にしては珍しく礼儀正しい。感心だ。」
その後も父は、講演会に何度もご縁があり、今年の6月、ついに富山県射水市の親鸞会館に初めて参詣しました!
その父が、今度は祖母と姉、そして、私が最も悲しませた母を誘って、親鸞会館に参詣しました。
最低の親不孝者であった私が、私に出来る最高の恩返しをすることが出来た!しみじみと、喜びををかみしめずにおれません。
お父さん!お母さん!産んでくれてありがとう!大変な苦労をして育ててくれたことに、僕は、今、感謝の心で一杯です。