原発は安全です

 ちょっと前…というよりはむしろ、ずいぶん前のことになったが、東海村の原子力処理施設の事故は、原子力行政というものがどういう体質を持っている代物なのかってことを改めて思い知らされた気がする。
 最近、幹部および実際の作業に当たっていた人間が逮捕されるなんて報道もあり、ついに刑事事件にまで発展しそうな雰囲気を見せているこの「事故」だが、勝手な外野の意見を言わせてもらえば、問題は「ずさんな管理態勢」にあったといよりはむしろ、「非現実的なほどに厳しい安全基準」にあるんじゃないかと思えてならない。事故を恐れるあまり、過剰ともいえる安全基準が定められ、その非現実的な安全基準は当然のことながら「無視するのがあたりまえ」という風潮が広まり、結果的に取り返しの付かない問題が引き起こされてしまう。こういう構造はなにも原子力に限ったことではない。例えば自動車の制限速度に代表される道路行政もそうだし、もっと身近な例で言えば中学高校の校則なども「規則を全て文字通りに守ってるヤツなんてバカ」と言って構わない代物だ。

 安全基準が、非現実的なほどに厳しすぎるものになるのは何故か。それは、「原発は100%安全で絶対に事故を起こさない」という建前があるからだ。実際にはそんなことは不可能だってことは考えればわかる。人が作ったものである以上、事故が起こる可能性は絶対にゼロに出来ない。ありえていに言ってしまえば、「100%安全で絶対に事故を起こさない」というのは「ウソ」だ。
 だが、その「ウソ」を信じている人も意外に多いらしい。事故当初、近辺住民のインタビューでこんなことを答えている住民がいた。
「怖いですよね、我々一般人にとっては、放射能が出てるかどうかなんて確かめようがないんですから」
 なんてお気楽なことを言っているんだこいつは…というのが、この報道を見たときの僕の正直な感想だった。放射能が出ているかどうかを確かめる手段はいくらでもある。それほど高い精度を求めなければ、放射能を測定する装置なんか、通信販売でいくらでも手に入る。いつ放射能にさらされるか分からない原発処理施設の近くに住んでいるというのに、放射能に対するこの意識の低さはいったいなんなんだろうか。
 そう、彼らは、
「原発は安全です。事故は絶対に起こりません」
 という言葉を無邪気に信じ込んでいるのだ。なんと脳天気な。

「東京に原発を」っていう題名の本があった。原子力が、推進派の言うとおり「100%安全で絶対に事故を起こさない」のであれば、人口密集地に作った方が送電ロスもなく効率的なのだから、そうするべきだというものだ。
 実際にはそんなことは不可能だということは、その本の著者だって理解しているだろう。なぜなら、「万が一の事故」が起こった場合のリスクが多すぎるから――逆に言えば、人口のあまり多くない場所に原発を作る理由は、事故が起こったときのリスクが小さいからだということだ。避難しなければならなくなる住民の数も、それが間に合わなかった場合に被爆する住民の数も、予想される数は人口密集地に作ったときよりもずっと少ないからだ。

 水力発電所だって火力発電所だって事故の一つや二つ起こすが、それによって引き起こされる事態と原子力発電所によるそれを比べればその規模も深刻さも比べ物にならない。原子力には様々な問題があるが、一番の問題は「原子力は絶対安全」というウソを一度ついてしまったという、そのことにつきるのではないだろうか。
「原発はかなり安全なものだが、万が一事故が起こったときには非常に大規模な被害が出る恐れのあるものだ」という疑いようもない事実をしっかりと認識さえすれば、様々な問題は大きく解決に向かうだろう。

 だがそれもまた、「少しでも危険があるのなら、NOだ」という思考停止を行なう人がいかに多いかを考えれば、見果てぬ夢だ。
 どんなものにだってリスクはある。それと引き替えに得られる利益とリスクを比べて、リスクが十分許容できる範囲内であると認められたときに、それは実用化にむかって動き出す。だが世の中には、一切のリスクを認めない人種というのが少なからず存在する。そんなことは不可能なのに…。「原発は、絶対安全」と言い張らなければならない理由の一つには、きっとそういう連中の存在もあるのだろうな。



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