「もったいないなあ…」
思わず、僕はそう呟いていた。
僕は、ひょんなことから手に入れた「アージュマニアックス」のデモCDにカップリングされていた、「果てしなく青い、この空の下で…(以下「青空」)」の体験版をプレイしていた。「春」シナリオの選択肢2〜3つを選ぶところまでしかプレイできない、文字通りの体験版だが、音楽、シナリオ、基本的な設定などを伺い知るには十分だった。
そして思わず漏れた言葉が、冒頭のものだ。
音楽はかなり良い。絵も、どちらかといえば好みの方だ。そして設定、あるいは企画も、田舎を舞台として、田舎の「のどかさ、豊かな自然」などといった良い面だけでなく、「閉鎖、閉塞、停滞」などといったマイナス面をも描きながら、僅かに残された若者達のグラフィティを綴っていくという、それなりにユニークなものだ。なのに。それらを描くテキストのレベルが際だって低い。特に導入部のまずさは、「“青空”は傑作である」と考えるファンも感じていることだろう。
登場人物が初登場するシーンというのは、物語の進行の上では最も重要な部分の一つだ。これは現実においてもそうだが、人が他人に対して抱く印象の殆どは第一印象で決まる。そしてその第一印象というのは、当人の見た目や言動だけでなく、出会った場所や、その場のシチュエーション、そして出会ったその時に、相手ではなく自分がどういう状況だったか(急いでいたか、それとものんびりしていたか等)によっても変わってくる。小説などではそれを逆に利用し、登場人物の雰囲気をより明確かつ強烈に読者に印象づけるために、初登場シーンをキャラクターによっていろいろ工夫する。なのに、「青空」のこのシーンはなんだ。全員が朝礼のように(事実、朝礼だったのだが)一列に並び、そして順番に主人公の独白で紹介されていくという、小学生の作文でもやらないような稚拙な導入部はなんだ。「限られた部分しか見ることを許されず強制的に人物紹介を見せられる」という苛立ちを覚えずにはいられない。特に体験版ではテキストの背景が製品版のように半透明ではなかったため、画面で見える「背景」の幅が非常に狭く、ますますその思いは強くなった。
テキスト・ベースで語られるストーリーに一番大事なのは、読んでいる人間の頭にその場の情景が明確に思い浮かぶことだ。複数の人間が登場しているなら、誰がどの位置に立っていてどの方向を向いているのか。立っているのか座っているのか、読者の頭にそのシーンが鮮やかに思い浮かんで始めて、登場人物達は生き生きと動き始める。しかしこの朝礼のシーンでは、情景を思い浮かべるのは非常に困難だ。全員が校舎に向かって立っているのか、背にして立っているのか。誰が主人公の前にいて誰が後にいるのか(前にいるのなら画面に表示されるCGは当然後ろ姿になるべきだと思う)、読んでいる限りでは全く頭に思い浮かべることができない――そもそも、かなり後の方まで読まなければ、その場にいる人物全員の顔を見ることすらできない。回りを見渡したいと思っても、表示されるCGは非常に狭い範囲だけに限定され、首をずらすこともできない。
なぜ、全員が一度に揃うシーンから始めてしまったのだろう。始業式前日から始めれば、一人ずつ(双子は二人一度に出会う形でも構わないかもしれない)出会いながら、ゆっくり分かりやすく読者に登場人物紹介が出来ただろうに。
もったいない。実にもったいない――。もちろん、もっと酷いゲームなんて、世の中にいくらでもあるだろう。だが、この「青空」は読ませるテキストがウリのゲームではなかったのか? それは、僕の勝手な思いこみに過ぎなかったのだろうか?
そういうわけで手を出すつもりはなかったのだが、複数の人間に強く勧められてとりあえず製品版をプレイしてみることにした。が、ひととおりやってみて思うことは、やはり「企画は良いのだが、テキストがどうも…」というものだ。起こった出来事を順番に記していく、そのテキスト形式は「シナリオ」というよりはむしろ「プロット」と言うべき代物だ。情景描写が決定的に不足している。主人公がいるその場所が、今熱いのか寒いのか。明るいのか暗いのか。画面に表示されるCGに頼り切りで、描写をしようという気持ちがほとんど感じられない。その上、CGが微妙に季節感がずれているために(冬になれば雪に閉ざされるような土地で、春に半袖でいられるとは思えない)、かえって混乱の元となってしまう。
もったいない。実にもったいない――。
これが、僕の「青空」に対して感じた感想の全てだ。後日談――
エキスパートクリアの後にURLが表示されるWebページ上に公開されている、シナリオを書いた方によるエクストラ・ストーリーを読んだ。
ゲーム中に盛り込むにしては場違いであるが、ゲーム中で開かされていない要素について種明かしをする――という性格をもつそのテキストは、三人称で書かれた小説だった。
いや、小説のようなもの、というべきか…。三人称で書かれている以上、物語の「視点(今現在、誰を中心として話を見ているのか)」を明確にするというのは、基本中の基本である。逆に言うと、素人が書いた小説はその視点が断りもなく移り巡ってしまうという特徴を高い確率で持つ。
Webで公開されているエクストラ・ストーリーは、まさにそれだった。いきなり冒頭から、誰の視点なのかを混乱させ、中盤では段落の半ばで視点がころころと移り変わってしまう。最後には、文章の最初と最後で視点が異なる、というやってはいけないミスまで犯している。この方は、小説書きとしては申し訳ないが素人であるということが伺い知れてしまう、そんなテキストだった。企画はいい、キャラデザインもいい、プログラムも大きな破綻はない、音楽やSEでの演出のレベルも高い。
なのに、テキストのレベルだけが突出して低い。申し訳ないが、そう結論づけさせて頂くしかないようだ…。