神の力を我が物に 1月26日、ニトロプラスの新作、ヴェドゴニアが届きました。
いきなりオープニングが再生できませんでした…(泣)
聞けば、なんでもMP3で作られた今作品のオープニング、そしてエンディングは各方面でトラブルが続出だったようですね。僕の場合は音は流れるのだけれども画面はずっと真っ黒なまんまという症状でした。直接ファイルを叩くと問題なく再生できるので、とりあえずその映像を頭の中に叩き込んでおき、真っ黒な画面に心で映像を投影するという方法で対処します。ってそれ…対処っていうんでしょうか。それはおいといて。
相変わらずテキストのレベルは高く、情景や登場人物の心情がリアルに伝わってきます。恋愛ものでこのレベルの描写力があると、それはそれは読んでいて恥ずかしい作品になるのですが、こういう猟奇ものでそれだと、気持ち悪さ――という表現は余り妥当ではありませんね、普通だったら「気持ち悪い」とか「怖い」とか思うものを、美しいとか香しいとか思うその心情がリアルに伝わることで、まるで自分まで人ならざるものになってしまったかのような気持ちになります。
具体的には。人の血ってなんて上手そうなんだろう、とか。ともあれ、詳しいレビューやら評論やらは、たぶん本のほうでやります。
細かいところも面白いですね。小説って、本筋とは関係ない登場人物のさりげない一言ってのが意外と重要な役割を果たします。それによって、登場人物の奥行きを出したり、物語世界を単なる「設定された架空世界」ではなく、「ここではないどこかにある自分が知らなかった世界」と読者に感じさせたりするわけです。
具体的には、「電気の力は神の力」というところでした。一番印象に残ったのはリァノーンが夜の街を見てその明るさに驚き、「電気とは何か」ということを、古代の人間にどうやって伝えたら良いのかと窮した惣太が、「カミナリみたいなもの。小さなカミナリを使ってるみたないものだ」と説明する、あのシーンです。
それを聞いたリァノーンは、「現代のヒトは、雷神の力を意のままに扱うのか」と大層驚嘆します。確かに言われてみればそのとおりです。多くの多神教では、カミナリは最高神(ゼウスなど)、そうでなくても最も力の強い神(トゥールやハタタ神など)の発揮する力、あるいは神の姿そのものであるとされています。もっとも御しがたい脅威として恐れられている存在というわけです。現代社会においては、我々はその力を思いのままに制御し、ありとあらゆる神の業を我が物としているわけです。こういう発想――電気の力は神の力であり、それを我々は既に手にしているのだという発想はしたことがなかったので、実に新鮮でした。普段見ているもの、なにげなく接しているものでも、ちょっと見方を変えるだけで全く異なる意味を持つということ。現代社会に暮らしている「自分」の観点からではなく、全く別の世界から来た「誰か」の目から、改めて自分が暮らしているこの世界を問い直してみること。そこから生まれる思いもかけない発想というのは、小説に限らずどんな分野でも大切なことだと思いますが、なかなかそれが難しい。人間って、結局の所は自分以外の者にはなれませんから。