等身大の恋愛
わがままフェアリー ミルモでポン!
(土曜・TV東京系 朝8:30〜)
クラスメイトの少年に思いを寄せる少女の元に、願いを叶えるという妖精が現れる。これで両想いになれる……と思いきや、相手の少年の元にも妖精が現れ、はてはライバルの女の子や別の少年のもとにも妖精が現れ、毎日がドタバタ騒ぎに。
●ラブストーリー大国ニッポン在日のアメリカ人が日本で放映されているTVドラマを見て、「日本人は本当にラブストーリーが好きなんですね」と感想を述べたという。確かに日本で放映されているものはドラマにしろアニメにしろ、そのほとんど全てが恋愛をメインのテーマに置いている。例外を探す方が難しいかも知れない。
ところが残念なことに、ことアニメ作品において描かれている恋愛は、主人公が男なら「男にとって都合の良い女」が、女ならば「女にとって理想の男」が相手方として登場し、主人公に甲斐甲斐しく尽くしてくれる――という、もてない男(or女)の妄想をそのまま映像にしただけのような作品が多くを占める。アニメはあくまで子供向けだからという考え方もかつては出来たが、今のアニメは内容も放映時間も純然たる子供向けとは言いづらいものも多い。それにも関わらずそこで描かれる恋愛が類型化したものに偏っているのは何故だろうか。「恋愛もののアニメはかくあるべき」というような硬直化した思想でもあるのだろうか――。
●巻き込まれる妖精達
もちろん例外もある。近年では、「GALS!! 寿蘭」などは「等身大のリアルな恋愛」を描いた代表作として挙げられるだろう。「おジャ魔女どれみ」は、描かれているテーマのうち恋愛が占める割合はかなり低いが、それゆえなのか類型化したパターンを踏襲することを良しとせず、できるだけ「身近で本当にありそうな恋愛」を描こうとする努力が見受けられる。
「わがままフェアリー ミルモでポン!」においては、基本的にヒロインである少女のほうが一方的に一人の少年に片思いをしているという形をとっている。そこに「願いを叶える妖精が現れ……」という時点で普通ならば他力本願で願望を叶える形のよくあるストーリー展開となるはずである。ところがこの作品、常道を外しまくり一筋縄ではいかない。
確かに切っ掛けこそは妖精の手助けがあったが、それ以降のアタックは完全に本人の努力によるもの。訳もなく一方的に自分に惚れてくれる格好いい男が登場するまで、ひたすらうじうじと悩みまくる昨今のヒロインとはうってかわって、珍しく前向きで積極的な元気少女としてヒロインは描かれている。
少年との仲が進展するのは妖精の手助けというよりはむしろ、少年に想いを寄せるもう一人の少女、つまり「恋のライバル」の出現によるところが大きい。ライバルのほうにも妖精は付いているのだが、妖精の手助けを借りて恋を叶えようとする少女達というよりは、少女達の恋のさや当てに妖精達が巻き込まれているといったほうが表現としては正しいかもしれない。
●ギャップの面白さ、可愛らしさ
この作品、単なる「妖精が登場する心温まるファンタジー」などと判断すると、とんでもない思い違いをすることになる。人間たちと妖精とはただ仲良しというわけではなく、基本的には私利私欲で結びついた利害関係という側面が多分にある上に、その妖精達自身からして無邪気で天真爛漫な存在とはかけはなれた、嫉妬もすれば争いも起こす極めて「人間的な」存在として描かれている。その結果、この作品は見かけによらず非常に地に足の着いた、等身大の恋愛が描かれた日常アニメとなっている。同時に「可愛らしい見かけとは裏腹に中身は実に俗物」というそのギャップそのものがギャグとして成り立っているという要素もあり、軽快にテンポ良くストーリーが進む演出と併せて見ていて非常に心地よい作品である。
そう、「ギャップの面白さ」がひと目でわかる場所が毎回ある。オープニングが終わった直後の提供バックの絵だ。この場所には本編中で使われる絵が一つだけ表示されるのだが、毎回「え、なにこれ、何が起こるの?」と驚愕させられる、とんでもない絵が使われる。本編を見てみると、「なんでよりにもよってこのシーンを使うんだかなあ……」と頭を抱えるようなシーンだったりするわけで、ある意味では「ミルモでポン」の魅力を1枚に凝縮した提供バックと言えないこともない。土曜の朝、時間があったらとりあえずオープニングとその後の提供だけでもご覧になってみては如何だろうか。