日常と非日常の剥離
フィギュア17〜つばさ&ヒカル
(放映終了)
父親の仕事の関係で北海道に転校してきた少女のもとに、事故で地球上にばらまかれてしまった怪物を回収しているという男性が現れる。宇宙から来たというその男のいうまま、彼が使うのと同じ生体プロテクターを身に付けることになった少女。プロテクターを分離してみると、そこには少女とそっくりのもうひとりの女の子がいた。
●穏やかな日常と血生臭い戦闘宇宙から来た戦士の力となって地球の平和を守るために戦う……。ウルトラマンシリーズを始めとして古より幾度と無く使われてきた王道的な設定であり、本作品もその王道パターンを踏襲しつつ小さな女の子の可愛らしさを描いていくような作品だと思われたのだが……。
蓋を開けてみれば、執拗なまでに細かい日常描写ばかりが印象に残る作品であった。もちろん、「日常描写が細かい」ということそのものは決して悪いことではなく、むしろ物語にリアルさを与え感情移入をしやすくさせるために必須のことなのだが、あまりに日常がリアルで細かいために、怪物との戦闘シーンとの雰囲気の剥離具合といったらそれはもう凄い物があり、同じ30分内でも「怪物が出るまでの日常」と「出てからの戦闘」ではまるで違う作品を見ているかのようであった。
しかも、その二つがほとんど互いに影響しないという点でも徹底していた。怪物が暴れてもそれはほぼ発生直後に退治されるために、被害は普段の生活圏まではほとんど及ばない。例えば物語中盤で少女が思いを寄せていた少年が突然死亡するのだが、それも別に怪物のせいでもなんでもない。
唯一の「影響」が主人公の少女そっくりの姿をしている生体プロテクター(の仮の姿)である。基本的にストーリーは、姿形は同じでも性格はまるで違う彼女との生活を通して、主人公である少女が成長していく様子を描いていく。先ほどの少年の死亡事件も、普通だったら戦いのモチベーションを高めるためのイベントとして使われるところだろうが、本作品では二人の少女の絆を深め、ヒロインが成長するためのエピソードとして使われている。そこだけを抜き出せばごく普通の青春小説と同様のテーマだ。怪物との戦闘は全くのオマケであり、本編とは全く関わりがない。
怪物そのものの描写も、ただビームを撃ち込めば雲散霧消してしまうような綺麗なものではなく、血と肉で出来た生き物としてリアルに描かれる。攻撃を加えると丈夫な殻の中に閉じこもるため、殻に小さな穴を開けて刃物を突っ込み、殻を閉じている筋肉の腱を裁ち落として殻をこじ開け、開いた隙間にミサイルを撃ち込む……などという、非常に生々しい描写でもって怪物退治は行われる。ヒロインにとって怪物との戦闘は、「誰かを守るため」などではなく、「無理矢理やらされているもの」「日常生活には全く関わりが無いもの」「気持ち悪い行為」として描かれる(※)。
●偏執狂的にリアルな日常描写
引っ込み思案でうじうじしたところのある自分が嫌いな女の子の元に、姿形は自分そっくりだけれど性格は正反対、ものごとをハッキリと主張し誰にでも親しく接する「もう一人の自分」が現れる。最初は戸惑う女の子が、「もう一人の自分」と心通わせるうちに、引っ込み思案な自分を変えていこうと努力し、少しずつ成長していく……。本作品はひとえにそういう作品であった、と言えるだろう。最終回において「成長した自分」を見せるエピソードがあるが、それは怪物との戦闘においてではなかった。学校生活の中の一こまである、「発表会において立派に発表係を勤める」という行為においてであった。本当にNHK教育的なエピソードである。
本作品について特筆すべき点があるとすれば、やはりそれは日常描写の緻密さであったといえるだろう。小学生の学校生活を描く作品は数多いが、ここまでリアルで地に足の着いた描写がされている作品はそんなに多くはない。体育の時間でのポートボール、学校でのお泊まり会、給食の配膳、研究発表会など、本物をビデオに撮ってきてトレースしてるんじゃないかと思えるくらいのリアルさだった。
ただ、それが作品そのものの評価を上げるのに寄与しているかどうかとなると……すこし疑問だ。ただリアルにすればよいというものではないのか、それともこのような手法で描くのに効果的なテーマは他にあるということなのだろうか。※これは、何か別の行為――強制的な売春行為の類を想像せずにはいられない。携帯電話で呼び出されるところあたり特に。