シャンゼリオン魂を引き継ぐもの
電光超特急ヒカリアン
(日曜・テレビ東京系 朝8:30〜)
小学生の少年「ケンタ」が、未来からきた生命体と新幹線が融合した「ヒカリアン」と共に、悪の生命体と蒸気機関車が融合した「ブラッチャー」と戦う。
●子供置いてけぼりのネタ満載時を超えた光と闇の戦い、変形する超特急、格好いい武器や必殺技など、子供が好きそうな要素を詰め込んだどこにでもある「お子さま向けアニメ」のひとつ――というのがヲタク界での一般的な評価だろう。いい年こいた大人になって毎週これを見ているような人間はあまり多くないはずだ(よほどコアなアニメファンを除けば……)。
実際、鉄道オタクというわけじゃないし変形合体マニアというわけでもない私自身、もしキャラクターデザイン(人間キャラのみ)を宮尾岳が手掛けていなければ全く興味を持たなかったと思う。ところが、見てみるとこれがびっくり、大人でも楽しめる……というよりは逆にこれを見てる子供って難しすぎてネタのほとんどが分かってないんじゃないかと思えるくらいの微妙なネタが次から次へと出てくる、マニア必見(笑)の番組だったのだ。いかにも玩具的な主役メカや可愛らしいキャラクターデザインの人間キャラ達といった「子供向け」っぽい見た目と、展開される微妙なストーリーや、あちこちにちりばめられたコアな小ネタとのギャップといったら他に例えようもない。極論が許されるのならば「子供向けの皮を被ったヲタ向けアニメ」であるといえよう。
具体的に各話のストーリーを挙げてみよう。例えば、こんな話があった。
冒頭、いきなり正義の味方に追いかけられている悪の一味。蒸気機関車に変形して線路を逃げに逃げて、トンネルを抜け山を越えて辿り着いたある田舎の駅。そこにたたずんでいた一人の老女が突然、「息子が帰ってきた」と泣きだし、リーダー格の蒸気機関車に抱きつくのだ。
人間と間違えられる蒸気機関車……。敵や味方のメカ生命体達は、列車から人型に変形するのだが、人型といっても列車の先頭車両に手足が生えて目が付くだけの変形である。間違っても人間と見間違いをするようなシロモノではない。この時点で初見の(普通の価値観を持った)視聴者は完全に置いてけぼりである。
悪の蒸気機関車は、必死になって人(?)違いだと説得し、その甲斐あって老女は「良く見れば顔が違う」と納得する。そして彼らを家に招き食事をご馳走しながら、昔「機関車の運転士になるんだ」と行って家を飛び出していった息子の話をしてくれるのだ……。機関車(の先頭車両に手足と目が付いたもの)3台がちゃぶ台を囲んで白飯と焼き魚を美味そうに食べながら、年老いた母親の語る昔話を聞いている情景を想像してほしい。こういう世界が当然のように展開しているのが「ヒカリアンワールド」なのである。
するとそこに、大人になったその息子が帰ってくる。東京で会社を作ったが不況のあおりを食って倒産してしまい、故郷へ帰ってきたというのだ。そんな深刻な事情ばっかり妙にリアルにしなくても。思わず「いまさら帰ってくるな」と追い出してしまう年老いた母。「数十年ぶりに帰ってきてみればこの仕打ちかよ」と腹を立て、「二度と帰ってくるものか」と立ち去る息子。そこで悪の一味は必死になって二人の誤解を解き仲直りさせようとする。が、上手くいかない。「機関車の運転士になる」と言って家を飛び出しておいて、その夢も果たせず戻ってくる息子なんか息子じゃないと駄々をこねる母親。そこで、悪の一味の一人(D51が変形したやつ)が機関車に変形、その息子を機関士席に乗せて走り、母親にその様子を見せてやる。立派になった息子の姿を見てわだかまりが消えた母親。二人は改めて再会を喜び合うのだった。めでたしめでたし。
なんかいい話じゃないですか。ほろりと来るじゃないですか。話の主役が完全に悪の一味なんですが。正義の味方一同は冒頭に登場しただけで完全にチョイ役だったんですが。他にも、スピードが自慢だった正義の味方メンバーの1人が自分よりもスピードの速い新キャラの登場により自信を無くし、組織を抜けて修行のため一人旅をする途中で「流れの餃子職人」に出会い、その餃子の味に感動して弟子入りして餃子を作る腕を磨く……なんて話も。新幹線が餃子を作るっていったい……?などと考えてはいけない。ヒカリアンとはそういう話なのである。すでに「戦い」なんてどこかへ行ってしまっているが、気にしてはいけない。
登場するネタも、スタッフが趣味丸出しで好き放題やっているのではないかと思えるコアなものばかり。例えば、700系のぞみ(東海道・山陽新幹線)が変形する「セブン」というキャラクターが先日登場したのだが、彼にはどこかで見たような曲線を主体としてデザインされた垂直尾翼がついており、案の定というか必殺技はそれを取り外して手で投げるというもの。「セブン処刑5秒前」なんてサブタイトルの話もあり、これまた子供どころか30代未満の若者まで完全に置いてけぼりである。
このアニメ作品を通して作者が訴えたいメッセージとはなにか、伝えたいこととは何か?
きれい事を全て無視して冷酷な市場原理だけで物を言えば、「オモチャ、売れろ」の一言になるだろう。実際、これを見ていると年甲斐もなくトミー製の変形する新幹線シリーズが欲しくなってしまう。「子供に買ってやる」という大義名分があればハードルは低い。価格も1,000円足らずで、財布の紐も緩みがちだ。全く効果は抜群である(実際、セブンは何処へ行っても売り切れ……同じ事を考える大人は多いのかもしれない)。実際にこの作品、「おジャ魔女どれみ」の裏番組ということもあり視聴率だけを見れば酷いものらしいが、玩具の売れ行きだけは良いとのこと。その点では商業作品としては成功していると言って構わないだろう。
●知る人ぞ知るカルト特撮「シャンゼリオン」
ところで、ここ最近、局所的(高田馬場近辺など)において「シャンゼリオン」がリバイバル人気なんだそうだ。
超光戦士シャンゼリオン……。覚えている人はあまり多くはないだろうが、1996〜97年の放映当時から一部の人間には少々歪んだ形で支持される、ヒーロー物としてはかなり異端に属する作品だ。
ストーリーの骨格としては、成り行きで変身ヒーローになった若者が、大して悪い事もしていない怪人をやっつけるというもの。ヒーロー側の戦う理由が、「女の子にもてたい」とか「超カッコいいから」とかいう極めて軽薄な理由であるのも異端だったが、さらに異端だったのは怪人(悪の組織)側の描写だった。やむを得ず人間社会に紛れて生活をしなければならないために、息を潜めて目立たないように毎日をこそこそと暮らしている(たまにプッツンきて暴れることもあり、そうなるとヒーローに退治されてしまう)怪人達の窮状を救うため、彼らのリーダーは何をしたか。なんと、東京都の知事選に立候補し、街宣車に乗って選挙演説で熱弁をふるい、その演説が都民の心を打ち、驚くべき事に当選してしまう。そして、「政治家」として「正義のヒーロー」達と戦うのだ。
この東京都知事、はっきりいってヘラヘラした主人公なんかよりよっぽど二枚目の色男なのだが、ただ格好いいだけじゃなくて毎回の登場の仕方も凄い。大して悪い事もしていない怪人をヒーローが寄ってたかってボコボコにしているところに、どこからともなく、一陣の風とともに、その時話題にしていたモノについてのウンチクを語りながら(ここは笑うところ)現れるのだ。
「知っているか……っ! 世界最初の○○とは……」
夕日をバックにして颯爽と現れる東京都知事。もうどっちが「いいもん」なんだか「わるもん」なんだか分からない。
●善悪の彼岸
勧善懲悪。
ヒーローが悪者をやっつけるという構図は、子供向け、特に男児向けのTVアニメの題材としては昔からよく見かけるものだ。いやTVアニメに限った話ではない。旧約聖書、西遊記、その他の多くの神話や伝説……。「オハナシのネタ」としては紀元前より存在する、普遍的なテーマの一つといっていい。
従来、勧善懲悪ものに登場する「悪」は非常に分かりやすい「悪」であり、一切の感情移入を許さない極悪非道な人非人として描かれるのが常であった。ウルトラマンシリーズの「怪獣」しかり、仮面ライダーシリーズの「悪の秘密組織&怪人」しかり。悪は徹底して悪として描かれ、彼らの行動原理に同情したり共感したりすることは基本的には許されないように描かれていた。
本来、「絶対的な悪」が存在するには「絶対的な正義」が必要になる筈である。だが実際、そんなものは存在しない。暴力で相手をねじ伏せてしまうという点で悪も正義もまったく変わりはない。従来の勧善懲悪ものではあえてその部分には目をつぶり、悪は無条件で悪であるという「お約束」のもと、「絶対的な正義」を成立させていた。そのお約束を破壊してしまうとどうなるか? そのままストレートに作ると、主人公が「自分は何のために戦うのか」とうじうじと悩み続ける陰湿な戦争物(ガンダムなど)になってしまう。
そんな中、徒花的に突如生まれ、そして消えた作品が「シャンゼリオン」であった。暴れる怪人を格好いいヒーローがやっつける、という王道の構図はそのままで、暴れる怪人の「やむをやまれぬ事情」を描写し、格好いいヒーロー側の「どうしようもないヘタレぶり」を描写することにより、善と悪の価値観が捻れ、絡まり、その区別自体が不明瞭になる。単なる逆転現象ではなく、善悪を超越した独自の世界観がそこには築かれていた。
同様のことが、実は「ヒカリアン」にも言える。ヒカリアンも基本的な構図は「光の戦士と悪の戦い」であり、黒々とした悪者面の悪役を、白い正義のヒーローが格好いい必殺技でやっつける、という形を取っている。だが細い描写を一つ一つ見ていくと、愛すべき悪者側のメンバーたち、ヘタレな正義のヒーロー達、悪も正義も分け隔て無く接するラーメン屋の看板娘(事実上のヒロイン)の存在等、善と悪の価値観が奇妙にねじくれた独特の世界観が構築されていることが分かってくる。
ありふれた勧善懲悪のフォーマットを取りながら、善と悪の境界線を曖昧にしてしまうという「シャンゼリオン魂」ともいえるべきものを、「ヒカリアン」はかなり忠実に受け継いでいるのではないだろうか。