史実とファンタジーの狭間で

らいむいろ戦奇譚
(土曜・TVK 深夜25:15〜 他各TV局にて放映中)

 時は明治日本、日露戦争真っ只中。旅順港の攻略は、空飛ぶ甲冑「礼武(らいむ)」を操る敵に阻まれ難航していた。それに対抗するために全国から集められた礼武を操る特殊能力を持った少女5人を乗せた空飛ぶ戦艦「天之原」が、北海道から旅順へ向けて旅立った。


質の悪いコピー作品

 「サクラ大戦」という作品がある。最初はセガサターン用のゲームとして世に出たこの作品、人気が出て続編、続々編、続々々編とプラットフォームを変え何作品も発売された。ゲームだけでなくOVA、TVアニメシリーズ、舞台、小説、数多くのキャラクターグッズ等その展開は多岐に渡り、すでに「作品」というより「ブランド」と化したイメージがあり、名実ともにSEGAのドル箱である。
 「サクラ大戦」は、大正時代をモチーフとした「太正」という架空の時代を舞台とし、スチームパンクと和製オカルトの風味をブレンドした、ありモノの寄せ集めだが独特であることは確かな世界観を構築していた。おとぎ話めいているもののそれなりにリアル感のある「太正時代」という世界観、それが「サクラ大戦」の大きな魅力であったと言える。
 さて、現在放映されているこの「らいむいろ戦奇譚」だが、基本的な構造はそれこそ「サクラ大戦モドキ」と言いたくなるほど代わり映えがしない。5人の少女とその隊長、国の後ろ盾のある組織、オカルトの力を借りた強大な敵……。だが「世界観の確立」という点においては成功しているとは言い難く、正直言って「サクラ大戦の劣化コピー」以上のものにはなっていない。
 「サクラ大戦」と大きく違うのが、「架空世界のおとぎ話」ではなく、「史実を元にしたファンタジー」という体裁を取っていることだ。「明治」という年号もそのまま使われ、最終決戦の場として描かれる戦いも実際にあった旅順攻略戦をそのままの名前で持ってきている。とはいえ、ちょっとでも見れば「史実を元にした」なんてのはとんでもない話で、まるっきり架空の「オハナシ」であることはすぐに分かるのだが、こと「世界観の確立」という点において、そのような体裁を取っていることは非常に大きなデメリットになっている。


歴史を変える存在が歴史を変えない不自然さ

 世界観の確立。作品世界において描かれている世界はどういう世界なのかが明確に定まっていて、そのことが作品を見ている者にもちゃんと伝わること。そして描かれている世界を構成する要素が相互に矛盾なく存在していること。これらのことが作品世界をリアルにし、その中で繰り広げられるドラマに実在感をもたらす。「要素が矛盾なく存在する」というのはけっこう重要で、例えば電気が各家庭に送られている世界なら家の中には多くの家電製品があるのが当たり前だし、人々がみな手軽に空を飛べる能力を持っている世界であれば移動手段は現実世界(自動車などが普及した世界)とは全く異なるものになっているはずだ。こういう世界ならば、こうなっている筈……という当然のことが描かれていない世界は、まったく作り物めいた嘘っこの世界にしか見えない。そんな世界でどんなドラマがあっても、素人の舞台劇を見ているのと同じで感動もしなければ笑えもしない。
 「らいむいろ戦奇譚」では、その点において大きな欠陥がある。なまじ「実在する明治の日本」を舞台にしてしまったばかりに、空を飛ぶ戦艦や、超常能力によって出現する甲冑といったファンタジー的要素が、世界と馴染まずに完全に浮いてしまっているのだ。ここで勘違いして欲しくないのは、ありえるはずのないものが存在している、ということに関して問題であると責めているのではなく、もしそういったモノが存在していたら世界そのものが大きく変わっているはずなのに、そうなっておらず「世界」の方だけは史実と同じ佇まいを見せていることを不自然だと言っているのである。
 1つ具体的な例を挙げると、「空飛ぶ戦艦」の存在である。(史実の)旅順攻略において数万人の被害を出しながらも203高地を占領しなければならなかったのは、旅順港を見下ろせる高台を確保することにより、「1:旅順港へ高地から直接砲撃を加えること」、「2:高地越しに砲撃する際の着弾修正をすること」の2つの目的があったからである。もし明治の時代に「空飛ぶ戦艦」なんてものが存在していたら、この2つの目的はそれだけで達成されてしまう。ということは、203高地を攻める必要そのものが無いということになってしまうのだ。


風俗嬢のごとき破廉恥な言動

 当時はライト兄弟が初飛行に成功してからまだ間もない時代である(ライト兄弟初飛行は1903年12月、日露戦争勃発は1904年2月、203高地占領は同12月)。それが戦艦でなくても、もしその世界に「人を乗せて空を飛べる機械」が普通に存在すれば、それだけで歴史は大きく変わってしまう(着弾修正の観測のために飛行船や気球を使おうとしたデータはある)。
 繰り返しになるが、「空飛ぶ戦艦」が登場することそのものに問題があるわけではない。もっと荒唐無稽な機械が登場する作品は他に山ほど存在する。問題なのは、「空飛ぶ戦艦」が登場するにもかかわらず、作品内の世界は「空を飛ぶ機械が存在していない世界」と同じ歴史を辿っていることだ。これは矛盾だし、世界観の破綻である。
 この作品には、機械や兵器に限らずコスチュームや言動に関しても「明治の時代」とはまるで相容れないものが続々と登場する。どんな荒唐無稽な格好をしていても、どんなに(現実のその)時代にそぐわない言動をしても、その作品世界が「そういうこともありうる」世界として描かれていれば不自然ではないのだが、見ている限りでは「ただただ不自然で浮いている」としか見えない。特に、少女たちがことあるごとに下着をさらけ出しては股間を男性に擦りつける行動パターンは、見ていて不自然を通り越して非常に不快感を感じる。
 聞けば、韓国の人がこのアニメを見て「歴史を捏造している」と怒ったとのこと。その意見には全く賛同出来ない。「らいむいろ戦奇譚」を見ればそれが全くのフィクション、作り話であることは一目瞭然であり、視聴者が現実の歴史と混同する心配など皆無だからだ。だが、史実をベースとして中途半端にファンタジー要素を詰め込み、結果的に「史実」と「作り事」の間で大きな矛盾が生じ、作品世界そのものが激しく歪み軋んでいる様子には苛立ちを感じずにはいられない。
 史実を題材にした作品を作るのならば、時代考証はちゃんとやっておいて欲しい。そうではなく架空の世界を舞台にするのならば、徹底してその架空世界を作り込んで欲しい。こんな「間違った世界」は見るに耐えない。これは、当然の感覚だと思うのだが……。



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