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「Phantom of Inferno」アフター・ストーリー

降り続く雨がたとえすべてを洗い流したとしても。

All Text by しっぽ。


このお話は、「NitroPlus」による「Phantom of inferno」の二次創作として制作されています。
キャルED後のアフター・ストーリーです。


――八月二五日 午後二時 都内某所

 夏は、雨は激しく降るというのが世の一般的な認識というものだが、晩夏も近い今年の東京には、風が舞えば重力に逆らって下から上へ吹き上げてしまうような霧雨ばかりが降る。
 都心の喧騒から離れた、かといって穏やかな住宅街というわけでもない、都会のそこらじゅうにある朽ち掛けたビルの階段を降りきった志賀を迎えたのも、やはり煙るような霧雨だった。時計の針を信じる限りでは、まだ夕方というにも早過ぎる時間帯だというのに、町並みはおぼろげに霞んでまるで出来の悪いスクリーンに映した幻燈のようだった。灰色に沈む積み木細工のようなビル群を物憂げに眺める志賀の後ろから、野太い声がかかった。
「あー、とうとう降ってきちまいましたねえ。ここんとこ、いつもこうだ」
 言いながら声の主は狭い階段を降りてきて、志賀の横に並んだ。背の高さは志賀と同じぐらいだが、その体格は横方向に倍はあるのではないかというボリュームだった。肩の上には丸太のような首がにょきりと生え、その上に強面の面構えが乗っかっている。下品な色合いの開襟シャツは単なるファッションではなく、それ以外の服装がそのがっちりした腕や厚い胸板に許さないことを見る者に感じさせる。年季の入ったヤクザ者、を絵に描いたような容貌だ。
 あえて凄んで見せなくても、ただ普通にしているだけで並みの人間なら道を避けるほどの威圧感を発散するその体を、今は忠実な飼い犬のように志賀の横に並べ、その男は恐らくは彼にとって最大の丁重な口調で話しかけた。
「お車までウチの若いモンに送らせますわ」
「いや、構わん。たいした距離じゃない。このまま歩く」
 志賀は男の方を見もせずにそっけなく答えた。相手を対等の人間ではなく、文字通り忠実な動物かなにかと同様に扱う態度である。
 一見ぞんざいなようだが、これこそが、この男に限らずおよそ暴力団と名のつくような組織に流れてくるような人間達の上に立って彼らを指導するのに不可欠な態度である。社会的地位だとか、年功序列などというもので彼らを縛ることは出来ない。彼らを動かすことができる唯一かつ確実な方法、それは絶対的な力への畏怖かあるいは圧倒的なカリスマへの尊敬、もしくはその両方が合わせたもの以外には存在しない。それを常に見せ付けつづけること、これが志賀が所属しているような「組織」において上に立つものに求められる不可欠の能力である。
 だからこそ、今日のように各地にある事務所を回るのもまた、組織のトップに立つ者の仕事の一つとなる。紙に書いた規則など、彼らにとっては「違反しても怒られなければ違反してもいいもの」でしかない。定期的に事務所を訪れ、緊張感を常に持続させるようにさせなければ、気がついたら事務所のドアを警察がノックしているのにも気づかずドラッグの品評会を机の上で繰り広げているような事態になりかねない。
「あ、そうッスね。じゃあ、今日はどうもスイマセンでした」
 畏まって頭を下げる男に軽く手を挙げて挨拶すると、志賀は滲んだ水彩画のような街へ足を踏み出した。いつも乗っているベンツはすぐそこの路上に止めたままだ。本来なら志賀ほどの地位にある人間は自分で車の運転などしないのが普通だ。常に数人の舎弟を連れて歩き、車の運転を始め細かいことは舎弟に任せてしまうのが一般的な組織の幹部の生活である。志賀も普段は数人の舎弟を引き連れて行動するのだが、今日はある理由から、一人で行動していた。
 丁寧にワックスがかけられたベンツは、霧雨を集めた水滴をボディいっぱいにまとりつかせながら、モノクロームに沈んだ町並みの中に溶け込むようにたたずんでいた。志賀はポケットからキーを取り出しながら車に近づく。この車の購入時には赤外線によるキーレスエントリーが付いていたが、一度恐らくはトラック等の違法無線が原因と思われる誤作動を起こして以来、志賀は無線でのキー操作を信用せず、不便を承知で鍵を使ってドアを開けている。だが、取り出した鍵を鍵穴に差し込むより前に、志賀の手が止まった。
 細かい、霧吹きで吹いたような雨粒一つ一つに、明確な敵意が混じる。ぼんやりと霞んだ風景そのものから、びりびりとした緊張感が伝わってくる。
 この気配を、志賀は今日の朝からずっと感じていた。だからこそ、いつもは数人を引き連れる舎弟を置き去り、一人で行動していたのだ。
 緊張感と敵意はやがて形となって現れた。曲がり角の向こう、看板の後ろ、路地の影から、三人の男が姿をあらわした。両手には拳銃を握り締め、その銃口は志賀のほうを向いている。
「ど、どうしたんだ、今日は舎弟は連れてねえのかよぉ?」
 一人が下卑た笑いを浮かべながら言った。だが、その笑いが余裕からではなく、不安感と恐怖を必死でごまかそうとして無理に出していることは、志賀の目には子供がつく嘘を見破るのよりも容易いことだった。
「好都合ってやつだよなぁ、不死身の志賀も今日で終わりだぁ」
 もう一人が、嘲るように笑って言った。だが、その手は銃を掴んでいるのも厳しいほどにこわばり、足も立っているのがやっとというほどに震えている。
「さ、最後になんか、言うことはねえのかよぉ」
 問いは、答えを期待して発せられたものではなかっただろう。しかし志賀は、ポケットから鍵を出したときのそのままの姿勢で、言った。
「誰に、頼まれた?」
 ただ、一言を発しただけで、その場の空気が凍った。志賀の、薄い色のサングラスの向こうに見える目が、比喩ではなく本当に光ったように、三人には思えた。背筋が凍りつく。手がこわばる。口の中がからからに乾いて、舌が上顎に貼り付き、息がうまく出来ない。
――何を恐れるんだ。俺達は今、銃を相手に突きつけているんだぞ……それも三対一だ。俺達のうち誰か一人でも、指先をちょっと動かすだけで、目の前にいるこいつはただの死体になる。圧倒的有利、それが俺達の状況だ。なのに、なぜ……?
「誰に頼まれた?」
 同じ言葉が、再び志賀の口から発せられた。
「し、知ったこっちゃねえよ! 貴様はここで、しししし」
 死ぬんだ、と言いたかったのだろう。だが彼がその言葉を発するより前に、志賀が動いた。
 銃声が三つ、連続して響いた。いや、三つの銃声を「三つ」として聞き取るには、その三つの銃声はあまりにも連続しすぎていた。少なくても、その場にいた三人の男は、銃声を三つどころか一つでさえも「聞いた」と認識する暇がなかっただろう。
 耳をつんざく轟音に続いて、楽器のような4つの金属音が続いて響いた。志賀の持つコルト・コマンダーのエジェクション・ポートから吐き出された45ACPの薬莢が地面に落ちる音と、銃に手を伸ばす前に手から離した車のキーが地面に落ちる音だ。志賀は、三人の男が完全に絶命しているのを確認しようとしたが、止めた。実際、確認するまでもなかった……頭が半分ばかりつぶれた状態で生きていける人間がいるとすれば話は別だが。
「志賀サン! 何事ですか!?」
 すぐそばのビルにいたはずの連中がその場にやってきたのは、コマンダーをホルスターに戻し、かがんでアスファルトの地面に落ちた車のキーを拾い上げた後だった。
「どっかの組の鉄砲玉らしいな」
「どこの組か分からないんスか?」
 先ほど、ビルの出口で志賀に話し掛けた男が志賀に近づいて訊ねた。
「聞いてみろよ。口がきければ教えてくれるだろうさ」
 志賀は、口を利くどころかくしゃみ一つでさえ、もう二度とすることは無いであろう三人の男を見下ろしながら言った。
「もったいねえなあ、一人くらい生かしといてくれりゃ……」
 言いかけた男の口が、凍りついたように止まった。志賀の、射るような視線を感じたからだ。
「貴様、いつから俺に意見できる身分になった?」
「す、すいません志賀さん」
 大男は、気の毒になるくらいに小さく畏まってしまった。見た目は、さほど大柄でも筋肉質でもない志賀に、プロレスラーのような体格の男がへこへこと頭を下げている様子は滑稽にも思える。だが、実際にその場にいて、その場の空気を吸っていれば、二人の力関係に疑問を持つようなことはないだろう。体から発している空気の質そのものの違いを感じ取ることが出来るはずだ。
 志賀は、男に向かって言った。
「まあいい……。だがな、これだけは言っておく。チャカを持ってる人間はな、指先一つ動かす力さえ残ってれば人を殺せるんだ。これがどういうことかわかるか?」
 志賀の喋り方は、とくに乱暴というわけでもなく語気が荒いわけでもない。むしろ優しく語り掛けていると言ってもいいくらいに、淡々とした口調だ。だがそこには、多くの修羅場を潜り抜けた者だけがもつ凄みがあった。淡々としているからこそ、地の底から響いてくるような恐ろしい響きがその声にはあった。
「チャカを手にして向かってくるやつとケンカを始めたら、確実に殺すか、殺されるかしなければケンカは終わらねえってことだ。チャカはオドシに使うモンじゃねえ。抜いたが最後、相手か手前のどっちかが死ななきゃ懐には戻せねえ、そういうモンだ。良く覚えときな」
「へ、へい。すいません志賀さん、出過ぎたこと言っちまって」
……このくらいでいいか。
 志賀は男の様子を見ながら判断する。ここらで、ひとつ頼み事をしてやれば完璧だろう。
「すまんが、後始末は頼むぞ」
「わ、わかりました、まかせて下さい」
 男は、ブンと音がするくらいの勢いで頭を下げ、蛇ににらまれた蛙と同じか、もしかするとそれ以上に生きた心地のしない状況から逃げ出せる口実を与えられたことに心から感謝しながら、あたふたと事務所へとって返した。その後ろ姿を見送ることもせず、志賀は拾い上げたキーで車のドアを開け、エンジンをかけた。ドイツの職人魂がつぎ込まれた傑作エンジンが、聞き取ることが出来るか出来ないかのかすかな音をあげる。そして、下手な建売住宅がはだしで逃げ出すくらいの金額を積まなければ手に入れることのできない「高級車」の代名詞とも言える車は、雨の町を滑るように走り出した。
「また、三人も殺っちまったか……」
 早撃ちの志賀。不死身の志賀。いつのまにか、志賀のことを好き勝手なニックネームで呼ぶ輩が裏社会には増えた。今日の事件でまた、志賀自身は少しも誇らしくは感じていない名声に拍車がかかることだろう。
「誰でも、ちょっと訓練すればあのくらいできる。……あいつらに比べたら、お遊戯みたいなもんさ」
 志賀は、完全密閉された車内で、誰に言うともなしにつぶやいた。こんなときは……人の命を絶った後、一人になる時間があったりするときには、四年前のことを否応無しに思い出してしまう。命のやり取りをすることになった、三人の化け物のことを。
 「亡霊」。……その三人は、それぞれそう呼ばれていたかあるいは、かつて呼ばれていたことがあった。アメリカの裏社会を影で牛耳る謎の組織「インフェルノ」。そのインフェルノの、事実上の最大の武器である「暗殺」を実行していた最強の暗殺者に与えられる称号、それこそが「ファントム」である。
 そのファントムの一代目、そして二代目の二人が、組織を裏切り追われる身となった。そのことは別にいい。付き合いのある組織だとはいえ、遠い海の向こうで内輪もめをしている分には、まったく構わない。だが、その二人が潜伏先として日本を選び、あろうことか志賀が命にかえても守り抜くと誓った一人の少女を人質としてインフェルノとの交渉材料に使おうとしたとなると、話は別だ。
 志賀は、必死で戦った。当時、すでに組織の若頭の地位にあった志賀は、持てる兵隊の数もその士気も、日本の暴力団組織としてはかなり高いレベルにあった。並の相手だったら、叩き潰し土下座して謝らせ泣き叫ぶその顔を踏みつけることなど、たやすいことだっただろう。
 そう、並の相手だったら、の話だ。
 「銃社会」とも呼ばれるアメリカの、それもさらに裏社会において、無敵の暗殺者と恐れられた存在を相手にしては、日本のヤクザの集団など、プロボクサーに小学生がケンカを挑むに等しく、まさに無力だった。三人のファントムのうち、かろうじて一人をしとめることに成功したものの、十数人……いや、数十人におよぶ志賀の兵隊はほぼ全滅した。まさに化け物だった。

 力が要る。誰にも負けない、とまではいかなくてもいい。
 必要なときに必要なだけ発揮できる、いくばくかの力でいい。

 志賀は「事件」の後、一ヶ月の休暇を申し出た。若頭の地位にあるものが、突然「一か月間、自由にさせてほしい。理由は聞かないでほしい」と言い出したのだから、周りは驚いた。だが、独断で動かした兵隊に大勢の犠牲者を出したという責任をとらなければいけなかったこともあり、「謹慎」という名目でそれは受け入れられた。
 そしてその一か月間、志賀はアメリカへわたってタクティカル・トレーニングを受けた。
 タクティカル・トレーニング……実践的な射撃技術を主に習うスクールがアメリカには数多くある。本来は警察官やSWATなどのロー・エンフォースメント向けのスクールなのだが、銃を使っての自己防衛技術の習得を目的に一般からも多くの受講者がある。
 建前としては犯罪者や犯罪組織の人間は受け入れないことになっているのだが、そこは蛇の道は蛇。「ガン好きの日本からの観光者」という偽りの肩書きでスクールに入り込むのはたやすいことだった。
 スクールでの訓練は、基本的なガンの扱い方から、静標的の射撃、動的の射撃、そしてランダムにマネキンが配置された建物へのドアエントリー訓練などその内容は多岐にわたった。かなりハードなものだったが、志賀は極めて優秀な成績で全ての過程をこなしていった。
 だが、志賀の目的は当たり前のことだが優秀な成績を納めることではない。より高度な、銃を使っての戦闘技術を身につけることにこそ、その目的があった。その結果が、成績として現れただけの話だ。

 スクールの課程を終え、日本に戻ってきた志賀は、その当初こそ、以前どおりの若頭の地位には戻れなかった。
 裏社会とはいえ、日本ではアメリカのように銃撃戦など滅多に起こるものではない。だが、普通に暮らしている一般人に比べたら、銃撃戦に遭遇する確立は桁外れに高いのも事実だ。せっかく身につけてきた技術も、発揮する場所がそうあるわけではない。
 そのくらいはもともと承知していたことだが、それ以前に、いくら本格的とはいえ、所詮はスクールを卒業しただけの技術では、普通だったら現場で活躍できるようなことはないのもまた事実である。
 だが、ここは日常的に銃が存在するアメリカではなく、日本である。建前上は、犯罪者は一切銃を持てないことになっている日本である。戦いの技術というものは、みながそれを持ってしまえば持っていることの優位性は消えて無くなる。だが逆に、みながそれを持っていなければ、わずかでも持っているものは無敵の優位性を手に入れる。
 アメリカ帰りの志賀がまさにそうだった。
 身につけた技術を発揮する場は、ほどなく現れた。抗争でカチコミをかけるとき。逆に今日のように鉄砲玉が自分の命を狙ったとき。志賀の持つ銃から放たれる弾は、その場にいるほかの誰よりも早く、正確に、敵の命を奪っていった。
「早撃ちの志賀」
「不死身の志賀」
 いつのまにか、彼はそう呼ばれるようになっていた。その呼び名を、志賀はあえて否定せず、呼ばれるままに呼ばせていた。それが実態とはかけ離れたイメージでも、イメージは存在するだけで、ある種の力を持つ。
 志賀は、その力を最大限に利用するつもりだった。

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