静岡市葵区伝馬町10-25 中央ビル'90 2F
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団体見学は閉館日、開館時間外でもお受けします。電話、メールで事前に予約をお願いします。ご利用案内もご覧ください。
【写真:体験者から空襲の話を聞く静岡大学院生のみなさん/2012年2月17日】

2011年11月23日に静岡平和資料館をつくる会の主催による「第9回戦争体験を聞くつどい」を行いました。
【写真:あいさつをする市原壽文会長】
□ ニュースレター「明日へ…2012年5月号」(静岡平和資料館をつくる会・会報)を発行しました。
市民有志が「静岡平和資料館をつくる会」を結成し、静岡市長に平和資料館の設立 を要望してきましたが、今日まで実現に至っていません。しかし、平和資料館が設立されるまでの過渡的な措置として、「静岡平和資料館をつくる会」が市の助成を得て民間施設を借り、会員によるボランティアで「静岡平和資料センター」を運営しています 。
「静岡平和資料センター」では戦争を知らない世代に戦争の惨禍を語り継ぐとともに、平和への思いを新たに図ることを基本に、静岡・清水の戦争にかかわる事実を静岡・清水空襲を中心に市民が遺した実物資料・体験画・写真、米国立公文書館の発掘資料などで展示しています。【写真:米爆撃機が撮影した静岡空襲で炎上する駿府城跡周辺/米国立公文書館所蔵・工藤洋三氏提供】

静岡空襲
1945年(昭和20年)6月19日の午後6時(日本時間)過ぎ、空の要塞といわれた124機の超大型重爆撃機B-29がグアムを発進。硫黄島上空から伊豆七島の神津島を経由、伊豆半島西岸の波勝崎に達し、そこから一気に静岡を襲いました。
攻撃時間は20日午前0時51分から午前2時54分。照明弾の他は焼夷弾ばかりが約868トン投下され、市街地の3分の2が焼失し、死者は1952人とされます。【写真:静岡空襲で焼け野原となった静岡市。左上は安倍川、右上は賎機山。中央を斜めに本通り。】

清水空襲
1945年(昭和20年)7月7日に133機のB-29が清水を攻撃。午前0時33分から午前2時10分までの間に、1,030トンの焼夷弾が投下され、市街地の半分が焼失し、死者は351人とされます。【写真:空襲3日後に米軍機が撮影した清水港・巴川周辺。白いところが焼失地/米マクスウェル空軍基地歴史資料室所蔵・工藤洋三氏提供】
静岡・清水の空襲 空襲死没者名簿 静岡空襲の体験画(80点)

静岡はなぜ空襲されたのでしょうか、アメリカ軍は私たちの街を焼き尽くすためにどのような準備をしたのでしょうか、焼夷弾が降り注ぐなか…人々はどうしたのでしょうか。
こうしたことがアメリカ軍の資料やB-29の来襲を監視していた防空監視哨(ぼうくうかんししょう)の記録、空襲体験者の証言などから明らかになってきました。B−29による無差別空襲の悲惨を貴重な米軍フ ィルムとCG動画で再現しました。
開館日には映像で見る「静岡空襲」を大型画面で常 時上映(21分)しています。【写真:映像に見入る来館者/2012年2月4日】
東日本大震災の津波被害により、休館している釜石市戦災資料館の一日も早い再開を私たちは応援しています。
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