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昭道館と日本合気道協会
(日本合気道協会師範・常任理事 志々田文明)
昭道館は、その歴史に見られるように、富木謙治師範がその活動の拠点として期待した「場」であります。現在、日本合気道協会の中央道場として、世界の競技合気道界の注目を集めるこの道場が、三十年目をむかえるに当たり、旧稿「昭道館と日本合気道協会」の再録をもって、お祝いの言葉に代えさせて頂くことにしました。それが、昭道館と日本合気道協会との関係、また師範と内山雅晴先生、成山哲郎師範はじめ要路の方々との関係を簡潔に記して、参考に供することができると信じるからです。益々の発展を祈念いたします。
日本合気道協会は、富木謙治師範を中心に早大、国士舘大、成城大などの大学合気道部OB及び社会人クラブで活動していた愛好者らによって、師範の構想する理想の合気道(以下「競技合気道」と仮称する)を目ざす日本の統括団体として1975年3月9日に結成された。これによって、1966年に早大OBを中心に既に組織されていた同名の「日本合気道協会」は発展的に解消し、新生の協会が全国的組織として誕生したのである。その傘下には大学及び社会人の大小様々なクラブがあるが、なかでも競技合気道史の発展に中心的役割を果たして来たのが、早稲田大学合気道部と昭道館道場である。
早大合気道部は、1958年春に創設され、合気道競技創案のための実験場としての役割と、国内及び海外への競技合気道普及の先兵として決定的な役割を果たしてきた。その詳細については「早大台気道部三十年誌」等が記す通りである。これに対して昭道館道場は、67年4月に設立された師範の最初の専用研究道場であった。 本稿では昭道館設立に至る経緯と師範の御意志を歴史的に明らかにしたい。
五階建のモダンなビルに約百畳の稽古場をもつ現在の昭道館道場(88年3月27日落成)は、昭和土地建物株式会社社長で日本合気道協会副会長の内山雅晴氏の富木師範に対する絶大な後援によってなったものである。現在、関西本部が置かれ協会の中央研究道場としての役割を果たす昭道館は、師範と内山氏の出会いから始まった。二人は63年頃、師範の友人西村秀太郎氏とその友人西村敏男氏を通して親交を結んだ。師範の合気道に対する情熱と理想に深く共鳴した内山氏は、63年、会社の社員寮二階の一角を道場として提供し、稽古が開始された。(同じ頃東大阪の神社境内でも一時行われた)指導は師範の指示で大庭英雄先生(毎月一回)が中心となり、早大合気道部の部員(昭和38年卒の村上悠一氏ほか同42年卒までの歴代の幹部諸氏)が継続して指導にあたった。その後、専従の指導者をと言うことになり、67年春に国士舘大を卒業した三宅順吉氏(現内山姓)が内山氏の会社への就職を兼ねて4月に派遣された。こうしてこの年の夏に、師範の最初の専門道場がその産声をあげたのである。
二年後の69年10月10日、大阪の合気道界の実力者小林裕和師範の御好意で富木師範が来阪、桃山学院大学の昭和町校舎に於いて、関西の六大学の学生に対する合気乱取法紹介の講習会が行われた。合気道界に於いて、試合方法である乱取法は批判の対象となっていたが、師範の理論と実体はほとんど知られていなかった。小林師範は、自ら富木師範に接し、その心と技を確認された上で、まずは学生に見させるという英断をされたのである。
翌70年3月11日には第二回の講習会が柔道場ニュージャパン(師範の道友浜野正平柔道九段の道場)で行われた。この二回の講習会によって関西の学生の乱取法への関心は大きく、そして一気に高まった。こうして小林師範の理解と内山氏はじめ関係者の御後援など情熱あふれる学生を包むあたたかい雰囲気の中で、東西の学生幹部は全国大会実現のため話し合いを重ねた。70年の11月15日の第一回全日本学生合気道競技大会はこのようにして挙行されたのである。
話は同年3月に遡る。師範は早大の定年退職に際し、某大学の教授招聘を断り、合気道の指導普及に専念する道を選ぶ事にした。大阪の新たな指導者として、この年3月に国士舘大学を卒業した青年が派遣されることになった。現師範成山哲郎氏である。以後富木師範は定期的に来阪して成山氏らを指導することとなった。成山氏は昭道館を中心に小林師範傘下の関西諸大学等への乱取法の指導に奔走する一方、小林師範の下で内弟子並の修行を重ねて実力の向上に努めた。いずれも師範と小林師範の信頼関係からくる導きによるものであった。しかしながら成山氏の6年間に渡る奮闘にもかかわらず、乱取法の定着は思うようにはかどらなかった。このような状況と成山氏の苦境を見抜いた師範は、意を決して内山氏に本格的な中央道場の建設を依頼(75年7月)した。その時の師範の気持ちは、成山氏に宛てた手紙の次の一文の中にみることができる。
「来年からは是非。”昭道館”を中央道場として東京、福岡からも集めて定期的に研修会が開かれるように。”昭道館”建設のことをお願いしたいと思っております。内山社長さんにも別便でお願いしました。」
内山氏はこれに応えて道場を改築、70数畳の斯道場が、師範の中央道場(師範が館長となる)として設立された。76年3月28日のことである。以後師範は亡くなるまでの三年間、以前にも倍して来阪し、成山氏以下に最新の研究内容を徹底して指導した。その内容は師範の指導で行われた成山氏の武道学会に於ける研究発表並びに資料演武8ミリフィルムによって知ることができる。また師範のこの道場にかけた情熱は、道場内に掲額するために自ら筆を執った長文の挨拶文、「無心無構」の揮毫、そして同時に日本合気道協会のシンボルマークともなった標章の作製をみる時、その深甚なることを知らされるのである。
昭道館という名称は、当時の元号と内山氏の社名から昭の一字を取っているが同時に武道理論の師である講道館柔道の創始者嘉納治五郎師範への特別な思いが反映されていたといえよう。それは次のようなことである。嘉納師範は合気道を含むあらゆる古武道を講道館で保存継承するぐらいの大きな構想を抱いていた方であった。一方、富木師範はその導きによって植芝盛平師範から学んだ合気道を大きく発展させようとしてきていた。その恩師の”道を講ずる館” としての「講道館」に対して、富木師範は”道をあきらかにする館”、つまり研究道場「昭道館」を設立することになったからである。
以上のように師範にとって昭道館は自ら「中央道場」と称す程に特別な意味をもっている。75年に全国統括組織・日本合気道協会が創立するに及んで、それは伝統ある早大合気道部等と共に形式的には一支部ということになったが、その歴史のもつ重みとともに、協会最高指導者の成山師範の直属道場として協会発展の要に位置することはいうまでもないであろう。
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