昭道館合気道国際本部
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富木謙治師範日本には古くから武器を持たずに素手で、相手の暴力を封ずる 「やわら」、すなわち柔術と呼ばれる武術がありました。

そして、その流派の数は、記録に残るものだけでも179流におよびます。その「わざ」は、あらゆる場合に備えるために、多種多様ですが、大別すると2つになります。

接近して、相手の襟袖に組みついてかける「わざ」と、離れて、相手が殴る突く、蹴る、または、武器で斬りかかるのを防ぎながら、かける「わざ」となります。

そして、その「わざ」の性格は、楊心流柔術の伝書に「わが術に殺無し」(覚悟之巻)といい大東流合気柔術のいい伝えに「斬られない斬らない、殴られない殴らない、蹴られない蹴らない。」という語がありますように、柔術は、どんな攻撃に対しても、完全に防御をしながら、相手を殺さずに「倒し」て「抑え」ることを中心の目的 にしていました。

現在の柔道競技は、明治初年に、嘉納治五郎師範(1860〜1938)が、古い各流柔術に一貫する説明原理を帰納して、近代化した武道です。

師範は、この「柔道原理」を基本として、組み合った場合の「投技」と「固技」について「乱取」の練習法を編成して、「試合」ができるようにしました。

いっぽう、会津藩には、大東流合気柔術という柔術が、ひそかに伝えられていました。 この合気柔術は、特に「当身技」と「関節技」に優れていました。

明治時代この流の中興の祖、武田惣角翁(1860〜1943)は、幼にして小野派一刀流を、長じては直心影流の剣術を学び、さらに宝蔵院流槍術をも学んだので、柔術の技法の中に剣術の技法を吸収消化しました。

もっとも、江戸時代の初期にさかのぼれば、各流が「当身技」と「関節技」の研究を大いにすすめました。

それは、戦場の鎧組討ちから、平時の平服組討ち時代にうつったからです。すなわち、相手の斬突に備える護身武術としての柔術に変わったからです。そのために素手の柔術の中に剣の術理をとり入れたのでした。しかし、この点で大東流合気柔術がとくに優れていました。

武田翁の高弟、植芝盛平先生(1882〜1969)は、初め天神真楊流、起倒流、柳生流などの柔術を学び、大正4年32歳のとき、大東流の武田翁に師事して天禀の才能を発揮しました。先生は、まれにみる敬神家であって、「神人合気」の悟りから、合気柔術を合気道と改称して、道主となりました。

従来の合気道の練習方法は、形による方法です。つまり、古来のままの投げるものと投げられるものとを、あらかじめ定めた約束稽古です。合気道競技は、この形による稽古法に、さらに乱取稽古法を加えることによって、形稽古のみでは不可能に近かった古流柔術の「わざ」の自由な応用、とくに、厳しい攻防の間における勝機のつかみかたや、「わざ」と「わざ」との連絡変化の妙を会得できるようにしたのです。合気道競技の「乱取法」は、柔道競技では、ほとんどはぶかれている「当身技」と「関節技」とによって編成しました。

大正15年、嘉納師範のラヂオ放送「昔の柔道と将来の柔道」という講話の中に、次の言葉があります。

『当技(当身技)を含めた乱取や試合は、追々工夫もし、深く考究すれば、その方法は無いでもあるまいと思うが、唯それは、投げたり、抑えたりすることの優劣をきめる程たやすくはない。』 (「嘉納治五郎伝」講道館発行)

これによって知られるように、嘉納師範は、「当身技」を含めた乱取や試合を考えられたが、しかし、在世中実現には至らなかったのです。嘉納師範の教育思想を踏襲して、古流柔術の「わざ」を現代化するためには、「柔道乱取法」のほかに、もう一つの乱取法を必要とします。

私が当時、恩師植芝盛平先生に入門して「当身技」と「関節技」の研究に入った動機もここにありました。その後試行錯誤五十年、ようやくここに「合気乱取法」をまとめることができました。だが、その完成には、剣道競技や柔道競技の歴史が教えるように、長い年月と衆知を集め、多くの人々の協力がなければなりません。

私は、合気道を日本武道の中で、剣道、柔道につぐ、第三の武道として、とくに学校武道として位置づけたいと思っております。合気道は、それにあたいする歴史的事情と内容とをそなえています。

そのためには、合気道は、「形」だけの練習のほかに「乱取−試合」の練習法も持たなければなりません。

古流柔術は、たくさんの流派があり、それが分派を生んで対立しました。だが、剣道では江戸時代の中期に、柔道では明治の初期に「乱取−試合」の練習法ができてから、しだいに統一結集されて「和」の武道として発展しました。

合気道は「わざ」の数が多く、挌闘形体も多様ですから、これを極めることは長年月を要します。いわゆる生涯の修業道です。けれどもそのうちの重なる「わざ」と代表的挌闘形体について、競技として「試合」のできるようにすることが大事です。

武道の「わざ」には、「形」でなければ学べない部分があるとともに、お互いが「わざ」を競う厳しい修練を経なければ自得できない面もあります。勝負の「場」は厳しく、「わざ」とともに精神をも磨く「場」です。ことに、実力を客観化して他を鏡として反省向上することができます。

青年時代にこの厳しい修練を体験して、さらに生涯「形」の修練をも継続することが、日本武道の特性を生かし、現代の求める生涯体育の理想にも合致することです。それには、合気道は最も条件をそなえた武道であることを確信致します。
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