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合気道の呼称について
2001年は富木謙治先生の生誕100年という記念の年にあたります。また本年10月には第4回国際合気道競技フェスティバルが大阪の舞州アリーナで開催されますので、我々の合気道にとって大変重要な一年であると言えましょう。この機会にあたって、皆様に是非とも知っておいて頂きたい富木先生の御遺志があります。
日本合気道協会が発足した当初に比べ、最近では国内外を問わず合気道人口も増加し、インターネットなどによる合気道の情報量も増大したため、日本合気道協会の目指す合気道を紹介する機会も増えてきました。その際に、一般の方々のみならず協会会員の中にも富木合気道、または富木流合気道と呼ぶ方々が少なくありません。しかし富木先生から、合気道や武道に対する幅広いお考えと熱い思いを伺っていた私としては、これらは何としても避けたい呼称なのです。
富木先生は、ご自身が心血を注がれた合気道に御自分のお名前を冠することに対して、非常に難色を示されておられました。
富木先生は植芝盛平翁から最初に八段を授かるなど、盛平翁の高弟のお一人でありましたが、翁が亡くなられた後に合気会本部道場で当時の合気会幹部から、活動に対する非難や批判を受けられ、合気道からの名称変更等を要求された事がありました。その時のお話をなさる度に「私の師匠は植芝盛平先生お一人であり、翁先生以外には誰も私を破門には出来ない」と強い口調でおっしゃられ、そして「富木流」又は「富木システム」等の名称を用いるように要請されたことに対しては、とても厳しい表情で「私は決して一流一派をつくるために競技化を目指しているのではない」と毅然とした態度を貫かれ、切々と持論をお話になった事が思い出されます。
富木先生は、何故ご自身が目指した合気道にご自分の名前をつけられる事を、そこまで拒絶されたのでしょうか。そこには先生の合気道や武道に対する、真摯で高邁なお考えがあったのだと思います。
ある時、先生は嘉納師範のお名前を挙げられて「嘉納先生は柔道を創始し、武道の現代化を目指されたが、ご自身の築かれた柔道を、決して嘉納柔道とはおっしゃらなかった。」とお話になられました。個人の名前を付することで、却って競技者の視野を狭め、頑なな旧態依然とした武道となってしまう、というお考えが先生の胸中にあったように思います。富木先生は合気道競技の発展をご自身固有の成果として誇るのではなく、合気道全体の発展につながると信じて、競技化を目指しておられました。この道程なくしては合気道の現代化は為し得ないのだ、という強い意志をお持ちでした。こういったお考え故に先生は、逆の意味で名称に拘りを持たれていたのではないでしょうか。
この先生の考え方こそが我々の合気道に対する姿勢であり、今後も見失ってはならない根本的な考え方であると、私は思うのです。たかが呼称と思われる方もおられるかもしれませんが、ここにも富木先生の思想が生きているのだという事を、どうか忘れないで頂きたいと思う次第です。
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