斎藤拙堂研究会
百四十回例会 平成10年9月19日(土)『鐵研餘滴甲集』 巻三から
(テキストは、嘉永甲寅年刊本)「古韻」「權臣遷都」
| 權臣遷都
北魏爾朱榮既行廢立議欲遷都尚書元〓爭之榮 怒曰河陰之役君應知之〓曰天下之事當與天下 論之何以河陰之酷恐元〓乎〓國之宗室位居常 伯正使今日碎首流腸亦無所懼後數日榮與魏主 登高見洛陽宮闕壯麗乃歎曰元尚書之言不可奪 也由是罷平靜海遷都福原上下苦之山徒亦數請 復舊都靜海會公卿問兩都孰便衆希其旨曰福原 便獨左大辨藤原長方極言平安之便靜海勃然作 色而罷衆爲長方危之俄而靜海決議復都或問長 方曰子何以能知如是而敢忤相國長方曰彼有悔 心故問於人吾以導之安得不從乎靜海由此器長 方加意薦達榮之■暴靜海之狼抗忤之者死獨元 〓以直奪其氣長方以智折其鋒能使暴人感悟改 其圖抑亦偉矣 |
權臣遷都 北魏の爾朱榮、既に廢立を行ひ、議して都を遷さんと欲す。尚書の元〓之を爭ふ。榮怒りて曰はく、「河陰の役、君應さに之を知るべし。」と。〓曰はく、「天下の事、當さに天下と之を論ずべし。何んぞ河陰の酷を以って元〓を恐どすや。〓は國の宗室にして、位常伯に居る。正に今日首を碎き腸を流さしむるも、亦た懼るる所無し。」と。後ち數日、榮魏主と高きに登り、洛陽の宮闕の壯麗なるを見て、乃はち歎じて曰はく、「元尚書の言、奪ふ可からざるなり。」と。是れに由りて罷む。平靜海(清盛)都を福原に遷す。上下之に苦しみ、山徒も亦た數しば舊都に復せんことを請ふ。靜海公卿を會し、兩都孰れか便なるを問ふ。衆其の旨を希ひて曰はく、「福原便なり。」と。獨り左大辨藤原長方、極めて平安(京)の便なるを言ふ。靜海勃然として色を作して罷む。衆長方の爲めに之を危ぶむ。俄かにして靜海議を決して都を復す。或るひと長方に問ひて曰はく、「子何を以って能く是くの如きを知りて敢へて相國に忤らふ。」と。長方曰はく、「彼れ悔心有り。故に人に問ふ。吾れ以って之を導く。安くんぞ從はざるを得んや。」と。靜海此に由りて長方を器とし、意を加へて薦達す。榮の■暴、靜海の狼抗、之に忤ふ者は死す。獨り元〓は直を以って其の氣を奪ひ、長方は智を以って其鋒を折き、能く暴人をして感悟して其の圖を改めしむ。抑も亦た偉なり。 |
〓 〔言+甚〕 シン
■ 〔鳩−鳥+虎〕 コウ
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