斎藤拙堂研究会 百四十三回例会  平成11年5月8日(土)


『鐵研餘滴甲集』 巻四から (テキストは、嘉永甲寅年刊本)

「賀陽豐年」「日本後紀論大同改元」の二編を講読

賀陽豐年

日本後紀一書亡已久矣但某王府藏一本秘不

傳世近世塙保己方便借寫其十巻刻以公世餘猶

焉可恨哉然得窺其一斑實塙氏之賜也和氣

清麻呂之忠烈賀陽豐年之高潔此紀所書特詳大

日本史立清麻呂傳拾續日本紀日本紀略宇佐

託宣集等書成之其事粗備比此紀不過有小異同

至於豐年通篇無所概見屬一大憾事今録全文如

左紀曰弘仁六年六月丙寅播磨守贈正四位下賀

陽朝臣豐年卒右京人也該精經史射策甲科秉操

守義無所屈橈自非知己不好造接大納言石上朝

臣宅嗣禮待周厚屈芸亭院數年之間博究群書中

朝群彦皆以爲釋道融御舩王之不若也尋友人小

野永見命筆勒公字其詩曰白眼對三公貴勝悪之

延暦年中任東宮學士及踐祚叙從四位下拜式部

大輔既而女謁屡進英賢見排獨抱素懐任運玄黙

厥後天皇不豫傳位上嗣遷御平城不預追從猶守

本職及于後亂自辭退今上惜其宏材任播磨守

令得終身在任三年移病入京臥于宇治之別業昔

仁徳天皇與宇治稚郎相讓之事具著國典故老亦

語風俗病裡聞之追感不已託左大臣慕爲地下之

臣卒日有勅許葬陵下贈正四位下以崇國華也時

人猶謂天爵有餘人爵不足時年六十有五其志行

卓出如此而世或不知故不憚煩而記之

賀陽豐年 かやのとよとし

日本後紀の一書、亡づること已に久し。但だ某王府(伏見宮家か)一本を藏し、秘して世に傳へず。
近世塙保己はなわほきいちはじめて便はち借りて其の十巻を寫し、刻して以って世に公にす。餘は猶ほ禁
す。恨むべき哉。然れども其の一斑を窺ふを得るは、實に塙氏の賜なり。和氣清麻呂の忠烈、賀陽豐年の高潔、此の紀の書く所特に詳し。大日本史、清麻呂傳を立つに、續日本紀・日本紀略・宇佐託宣集等の書拾して之を成す。其の事粗備にして、此の紀に比べて、小異同有るに過ぎず。豐年に至っては通篇概見する所無く、一大憾事に屬す。今全文を録すること左の如し。紀に曰く、「弘仁六年六月丙寅、播磨守贈正四位下賀陽朝臣豐年卒す。右京人なり。經史に該精し、射策は甲科、操を秉り義を守りて屈橈くつどうする所無し。知己に非ざるよりは、造接を好まず。大納言石上朝臣宅嗣いそのかみのあそんやかつぐ、禮待すること周厚にして、芸亭院うんていいんに屈す。數年之間、博く群書を究む。中朝の群彦、皆以爲おもへらく、釋道融・御舩王(淡海三船)も若かざるなり、と。友人の小野永見を尋ねて、筆するを命じて公の字を勒せしむ。其の詩に曰く、白眼もて三公に對す、と。貴勝之を悪にくむ。延暦年中、東宮學士に任ぜらる。(平城天皇の)踐祚に及びて、從四位下に叙せられ、式部大輔を拜せらる。既にして女謁屡しば進み、英賢排せらる。獨り素懐を抱き、運に任せて玄黙す。厥その後天皇不豫にして、位を上嗣(嵯峨天皇)に傳へ、平城に遷御す。追從に預らずして、猶ほ本職を守る。後の亂(薬子の変)に及びて、自めて辭退するも、今上其の宏材を惜み、播磨守に任じて、身を終ふるを得しむ。任に在ること三年、病を移して京に入り、宇治の別業に臥す。昔仁徳天皇、宇治稚郎うじのわきいらつこと相ひ讓るの事、具かに國典に著はる。故老も亦た風俗を語る。病裡に之を聞き、追感已まず。左大臣に託して、地下の臣と爲るを慕ふ。卒するの日に勅有りて、陵下に葬むるを許さる。正四位下を贈られ以って國華を崇ぶなり。時人猶ほ謂ふ、天爵餘り有りて、人爵足らず、と。時に年六十有五なり。」と。其の志行の卓出すること此くの如し。而して世或ひは知らず。故に煩を憚からずして之を記す。

一行目 〓 〔去〕+〔鼻―畠〕 キョ

三行目 〓 〔門+必〕 ヒ

五行目 〓 〔拾―合〕+〔綴―糸〕 テツ

十七行目 〓 〔輯―車+戈〕 シュウ やめる、おさめる

 

日本後紀論大同改元

延暦二十五年三月己卯桓武天皇崩其年五月辛

巳平城天皇即位於大極殿改元大同日本後紀論

之曰非禮也國君即位踰年而後改元者縁臣子之

心不忍一年而有二君也今未踰年而改元分先帝

之殘年成當身之嘉號失慎終無改之義違孝子之

心也稽之舊典可謂失也其議甚正足繼春秋傳之

後蓋唯春秋有褒貶遷固以下有是非而無褒貶諸

史之體當然國史直書其事并是非無之實録之體

亦當然而今有此議論殊爲奇特

日本後紀、大同の改元を論ず

延暦二十五年三月己卯、桓武天皇崩ず。其の年の五月辛巳、平城天皇大極殿に即位し、大同と改元す。日本後紀之れを論じて曰く、「禮に非らざるなり。國君即位し、年を踰えて而る後に改元するは、臣子の心として、一年に二君有るに忍びざるに縁ればなり。今未だ年を踰えずして改元し、先帝の殘年を分ちて、當身の嘉號を成すは、終りを慎みて改むる無きの義を失ひ、孝子の心に違ふなり。之を舊典に稽ふるに、失と謂ふべきなり。」と。其の議は甚だ正しく、春秋の傳の後を繼ぐに足る。蓋し唯だ春秋にのみ褒貶有り。(司馬)遷・(班)固以下、是非有りて褒貶無し。諸史の體、當に然るべし。國史直ちに其の事を書き、是非を并すこと之れ無し。實録の體、亦た當に然るべし。而して今此の議論有り。殊に奇特と爲す。

 

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