大正12年(1923年)の関東大震災の時に、流砂現象によって、茅ヶ崎市の国道1号線の南側の水田に直径60cmのヒノキ材3本が出現しました。 また翌年1月15日の大地震でさらに4本が出現。 日本最古の橋ぐいとして、大正13年7月史跡保存指定があり。広さ100平方メートルの池で保存されています。
この橋は源頼朝の重臣 稲毛三郎重成(いなげよししげ)が、亡き妻の追善供養のために建久9年(1198)12月2日に落成したものと言われています。 当時の相模川は水量も多く、川越は難渋を極め、渡船事故などで多数の命が失われていました。 重成は妻の没後、出家しましたが社会への報恩のために3年かかりで架橋したと言われます。この作られた橋の長さは60m、幅員は7m位(3本が横一列に並び、4列あるのでこう考えている)もある巨大なものと推定されています。
頼朝はこの橋の渡り初めをしたのですが、祝宴を終えたころ馬が暴れだし、頼朝を乗せたまま馬が川に飛び込みました。しかし冬なので寒気が厳しく、体調を崩し、さらに頼朝は帰途落馬し、病もさらにひどくなり、翌正治元年53歳で亡くなりました。以来このあたりの川を馬入川と呼ぶようになりました。
江戸時代は相模川に木橋がかけられたのは明治11年ですから、それまでは渡し舟が東海道の交通を支えていたのです。しかし、この地震の時から川水が激減して、舟運がさびれてきたということです。
茅ヶ崎市下町屋橋の南(1号線の脇)にこの池があります。