クーンブ(エベレスト)エリアトレッキング
「トレッキングに行かなくては」誰かに押されるように、出発地点のジリに行く切符を買い、トレッキング・パーミット(トレッキングに行くのには、国の発行するパーミットが必要、エリアごとに色が分かれている、クーンブエリアは赤。この頃は1週間で60ルピー払わなくてはならなかった)の申請に向かった。
手にしたパーミットは、クーンブエリア(エヴェレスト方面)の4週間分。
いらない荷物を宿にデポし、出発の朝を迎える。見送りが一人。宿で知り合ったネパール人ガイドの’ラーグさん’軽い挨拶を交わし、1ヵ月後の再会を約束。一路ジリへとローカルバスに乗る。
日程表
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| 日付 | 天 気 | 日 程 | ル ー ト | 標 高 | 宿 |
| 3/22 | 晴れ | バス | カトマンズ→ジリ | 1905m | ソナム・ロッジ |
| 3/23 | 晴れ | 1日目 | ジリ→バンダル | 2250m | シェルパ・ホテル |
| 3/24 | 晴れ後曇り | 2日目 | バンダル→ケンザ | 1650m | ニューエベレスト・ロッジ |
| 3/25 | 晴れ | 3日目 | ケンザ→セテ | 2575m | サガルマータ・ホテル |
| 3/26 | 晴れ | 4日目 | セテ→ジュンベシ | 2675m | アン・チョクパ・ロッジ |
| 3/27 | 雨後晴れ | 5日目 | ジュンベシ→リングモ | 2800m | アップル・ハウス |
| 3/28 | 晴れ | 6日目 | リングモ→ジュビン | 1670m | アマール・ホテル |
| 3/29 | 晴れ | 7日目 | ジュビン→カルテ | 2600m | 民家 |
| 3/30 | 曇時々晴れ | 8日目 | カルテ→スルキャ | 2339m | スルキャ・シェルパ・ロッジ |
| 3/31 | 晴れ | 9日目 | スルキャ→ルクラ | 2804m | ルクラ・ホテル |
| 4/1 | 晴れ | 10日目 | ルクラ→ナムチェ | 3440m | クンビラ・ホテル |
| 4/2 | 晴れ | 11日目 | ナムチェ→タンボチェ | 3860m | タンボチェ・トレッカーズ・ロッジ |
| 4/3 | 晴れ | 12日目 | タンボチェ→ディンボチェ | 4412m | アマダブラム・ロッジ |
| 4/4 | 晴れ | 13日目 | ディンボチェ→ロブチェ | 4930m | ロブチェ・ロッジ |
| 4/5 | 晴れ | 14日目 | ロブチェ→ゴラクシェプ | 5150m | 季節営業のロッジ |
| 4/6 | 晴れ | 15日目 | ゴラクシェプ→ロブチェ | 4930m | ロブチェ・ロッジ |
| 4/7 | 晴れ | 16日目 | ロブチェ→ペリチェ | 4243m | ヒマラヤ・ホテル |
| 4/8 | 晴れ | 17日目 | ペリチェ→タンボチェ | 3860m | ゴンパ・ロッジ |
| 4/9 | 曇り後雹 | 18日目 | タンボチェ→ナムチェ | 3440m | クンビラ・ホテル |
| 4/10 | 曇り後雨 | 19日目 | ナムチェ→チュモア | 2950m | はたご |
| 4/11 | 晴れ後曇り | 20日目 | チュモア→ルクラ | 2804m | ルクラ・ホテル |
| 4/12 | 曇り | 飛行機 | ルクラ→カトマンズ | 1350m |
カトマンズ(5:50)〜(バス)〜ジリ(18:00)
ジリまでのバスは、本当のローカルバス(2×3という2人用に3人座るシートで、僕は一番通路側だった、はっきり言って、座る場所はなかった)地元のネパール人がほとんど、ツーリストは僕を含め5人ほど。ネパール人は通路まで占拠し、定員という言葉はこの国にはない・・と感じた。朝靄もまだ消えないうちにバス座席獲得作戦はスタートした。
しばらくは、窮屈ながらバスの中で我慢していた。朝の食事休憩はダルバート(ネパールの定食のような物:ご飯(バート)と豆のスープ(ダル)、そして野菜の炒めたのや煮たの(タルカリ)が一つの皿に出て、ほとんどがお代わり自由という貧乏旅行者にとってありがたい食べ物)を食べ、「カネパニ・ディノス(お水を下さい)」と言ったら、きちんとお水をもらえた。ネパール語が通じる・・僕は一人嬉しくなった。
次の朝の休憩の時、とうとう車内から脱出した。荷物の積んである荷台によじ登り、ネパール人に混じって場所を確保した。乗ってみれば360度の展望があり、天気も良かったので快適だった。次第に高度を上げていくと、廻りに綺麗な花が見えるようになった。ネパール国花のラリグラス(日本でいう石楠花なのだが、日本のものを見慣れていると、やたら巨大に見える。高木に真紅の花が良く似合う)なのだが、屋根の上は、景色を見るのには特等席。ただし何回か通過したチェックポストの時だけは屋根から下りて、やり過ごさなければならないのが面倒だった。
夕方、約12時間の旅を終え、ようやくジリ(エベレスト街道最初の村、多くの登山隊はここから歩いていく、トレッキングは、この村か、途中のルクラから入ることになる)の村に着いた。バス停には、客引きの小僧が何人も来ており、その1人に連れられ、今晩の宿を決めた。今日はここまで、明日から自分の足だけで5545メートルのカラパタールを目指すのだ。標高差にして3640メートル、通称”エヴェレスト街道”の旅が始まる。長い道程だが、ビスタリズム(ネパール語でゆっくりいこうという感覚)で歩いていこう。エヴェレストを早く見たいと思うが、1週間はかかるだろう。シュラフの口を固く閉めて眠りについた、カトマンズに比べたらやっぱり寒い夜だった。
トレッキング第1日目 ジリ(7:30)〜デオラリ峠(2720m)〜バンダル(17:20)
興奮してか朝早く目が覚めた。まだ、夜が明けたばかりで、朝陽はまだ射してこない。早々と荷物をまとめ、出発の準備。食堂もまだ開く時間でなかったので、街に散歩に出掛けた。少し肌寒いがすがすがしい朝の景色に心が軽くなっていた。久しぶりの山歩きが楽しみで、この時は、この先の苦難を思いもしなかった。
宿に戻りホットケーキとミルクティーで朝食を取る。いざ、出発!重い荷物を担いで歩き始める。道は丘の上へと続いていた。いつもそうだが、山に登る時も初日が辛い、背中にかかる荷物の重さに慣れていないから肩がみしみし言う。今回は、装備も充分にしてきたのでずっしりと重い。しかし、反対に心は軽い、憧れのヒマラヤにやっとの思いで辿り着いたのだから。
山を始めた頃から写真や記事を見ては、一度登らなくてもいいからこの足で山々を見て歩きたいと思っていた。そう思ってから7年の月日が経っていた。
丘を登りきると少し下りになり、遠くに建物が見えた。近づくにつれ子供達が集まってきた。そう、学校だったのだ。小さな学校だったが楽しそうに通う子供達を見ているといい処なんだなと思った。この辺りで、遠くにヒマラヤが見えるようになった。途中のシバラヤで昼飯を食べたが、まだ、食欲もありフライドライスをお代わりしたくらい。ここから先は、デオラリ峠に続く上り坂、歩けど歩けど頂上に着かず今日中に宿に着くかと思うくらい時間がかかり、それでも夕方4時頃に頂上を越えた。下りは膝がガクガクなりながらようやく宿に着いた。
初日から大苦戦。ここには、電気がもう無い、アルコールランプが灯され、ほのかな灯りにトレッカー達の顔が浮かぶ。ザックからダウンを引っ張り出し着込む。既に寒い・・この上はどうなっているんだろう?そんなことをふと考えた
夕飯が出来るまで外で星を眺めていた。最近、出発の準備に追われ星空なんて見る余裕が無かったが、久し振り眺める星空は落ちてきそうなくらいの数の星空だった。体は、山の体質にまだ変わらず、あちこちが痛くて仕方がなかった。問題は膝だな・・
2日目 バンダル(7:10)〜ケンザ(11:40)
朝、起きてみてもどうも膝に痛みを感じ、スローペースで歩き始める。やはり荷物が多すぎたみたい。しかし、置いていくわけにもいかず、ルクラ(帰りに使う飛行場のある村)まで何とか頑張ろうと心に思う。道はしっかりしている、ただ、足が重いだけ。本当ならセテの村まで行くのが標準のペースだが、今日はその一つ手前の村”ケンザ”で泊ることにしよう。
本当に小さな村で、その中で1軒の宿を見つけた。泊るトレッカーは多くないらしく、ひっそりとしている。僕は、宿の前に出て、熱いミルクティーを頼み、暖かい日差しを浴びながら、景色を目に写していた
宿の窓からは、ヒマラヤが少しながら見えている。
久しぶりゆっくりした時間が取れたので、これまでのことを少しづつ考えた。
何処まで行けるのだろうか?、ふと、そんなことを考えた。
まだ、先は長いし、時間はたっぷりある。ビスタリズムで行こう。
ビスタイズムについて(ネパールでは、何事につけても忙しくやる、ということがない。見ていても、ゆっくり片付けていく。トレッキングの途中でよく目的地までの時間を聞いたが「普通に歩いて2時間、ゆっくり歩いて3時間」などと答えてくれる。ゆっくり、時間をかけてもいいんだ〜と思うと余り疲れない。そんな効果があるのかもしれない)
今日は泊り客が少ないらしく5人部屋のドミトリーに一人だけ。食堂で夕食を食べる時も宿の人達と話しながら食べられた。ほとんど、僕がネパール語を教えてもらっていたのだが。
ネパール語について(文法が日本語とよく似ていてカタカナ発音でも充分通じる、トレッキング中に逢うネパール人に時間を聞いたり、場所の名前を聞いたりするのに覚えると楽。顔が良く似ているので日本語を話しそうだが・・ボキャブラリーが多くなくても話が出来るのは、英語も同じこと)少し膝の具合がいいみたい。明日もセテまで行って休養に当てよう。その後のラムジュラ峠は1日掛かるだろうし、無理して行かなくても・・ビスタリズムで。さて、明日は約1000mの標高差の登りだけだ、考えただけでもしんどいが、3時間くらいで着けるだろうし、がんばろ・・
3日目 ケンザ(7:40)〜セテ(11:30)
昨日はゆっくり眠り、今朝は6時頃に目が覚めた。部屋に新鮮な空気を入れようと窓を開けたら、目にヒマラヤが飛び込んできた。きれいな空気の中で白く輝くヒマールにカメラも出すことも忘れしばらく眺めていた。
体調は昨日の休養が効いたのか、足が少し軽い。今日にも峠を越えられそうだったが、また無理して後々しんどくなったら大変。峠の前のセテの村までにする。ケンザからセテまでは宿で聞くと3時間半で着くだろうとのこと。ナビコのビスケット(バターがきいていて飽きのこない味で大好きだった)を2つ買って途中のおやつにする。宿を出る頃には、少し陽も出てきてトレッキング日和。さすがに今日は登り一辺倒なので、ほとんどが上り坂、だけど日本の山の急登に比べると随分楽に感じた。資料には「1日に上げる高度は500mくらいがいい」と書いてあったが、今日は1000mの高度差。ゆっくりと高度を上げるので大丈夫でしょう。ジリから歩くと高度障害(3000m位から心肺機能が充分に機能しなくなり、頭痛・嘔吐・発熱など起こり、最悪の場合、死に至る。肺水腫などにも罹ることがある。最良の治療は高度を下げる事だと言う)が出難いと言われる。確かに3500mくらいに高度を何度か経験してから高度地帯に入っていくのだから。時間的に余裕があるためか、あちらこちらを見ながら歩いていたんだが昼前には宿に着き、本日の行動を終了。また半日の休養。昨日と今日の2日で充分休養が取れた。
時間があると色々なことを考える。この旅を始める時のことを考えていた。自分の中の高さに限界を感じていた、「世界の最高峰の高さをこの目で見たい」それが、僕の中の枠を取り払ってくれるだろうと思っていた。色々な資料を調べ、ビザのこと、トレッキング・パーミットのこと、物価・・・(治安がいいとか悪いとかは、何処かに飛んでいた)
思えば重装備でカトマンズに降り立った。カトマンズの宿で同じ宿のヨーロピアンに「何処の山に登るのだ?」と聞かれ、「トレッキングだけだよ」と答えると驚かれた、それくらいの重装備をしていたらしい。
久しぶりの海外ですっかり忘れ去られていた緊張感・・着いて1週間も経たずに、エベレストを目指した。トレッキングを始めて間もないが、歩く楽しさを思い出していた・・背中の荷物が重いのはあったが。そんなことを考えながら半日休養した。
4日目 セテ(6:00)〜ラムジュラ峠(3530m)〜ジュンベシ(15:00)
朝から気持ちのいい日だった。軽い朝食を取り、出発した。まだ、陽が差し込んでいない為、少し寒い出発だったがすぐに暖かくなった。峠までの登り、少しづつ確実に登っていく。2時間くらい登っただろうか、峠の頂上付近にたどり着く。道は、林の中に続いているのだが、まだ早いのか凍っている。ザックの中から簡易のアイゼンを取り出して靴に付ける。ここで滑っては大変・・恐々歩を進める。林を越え、見晴らしが良くなった所が頂上、ここからは下りなのだが、道はかなり下まで続いている。歩けるだろうか?そう心の叫びが聞こえた。下りだすと案の定、膝がミシミシ言ってきた。負担をかけずに歩いているつもりだが、背中の荷物が重すぎるらしい。1時間くらい降りただろうか・・眼下に小さな町が見えてきた。空は晴れ渡っていたので、暑くもなってきたが、一生懸命歩を進める。途中で逢ったネパール人に町の名前を聞いたら、今夜泊まる「ジュンベシ」だと返ってきた。見えてからがまた遠かったが、膝が根を上げないうちに宿に到着。2つ目の峠をやっと越えた、後1つか・・・。
小さな村だった。谷間にひっそりと作られた村は、散歩するのに丁度いいくらい。膝が根を上げないように、少しゆっくり歩いてみた。大丈夫そうだ、昔から僕を裏切らなかった体だから・・壁を登っていた時も、長い縦走をしていた時も、頑張ってくれた。今回も長期の旅になりそうだし。
宿は、一緒に歩き始めた欧米のトレッカーたちで一杯だった。日本人は僕一人、まだ、自分のことで精一杯で余り話をしなかった。晩御飯を食べたらすぐ、シュラフに入った。外は雨が降り始めたのか、気温が下がったらしい。いつの間にか、シュラフの口を閉めて寝ていた。
5日目 ジュンベシ(8:40)〜リングモ(12:40)
朝、目が覚めるとやはり外は雨・・部屋の欧米人はぐっすり寝ている。起き出して食堂に行くが誰もいない。パンケーキとミルクティーで軽く食事を取って、外に出てみた。幾分、小降りになっていたので、出発を決めて用意をしていたところに他のトレッカーが起き出して来た。ほとんどが今日は逗留らしい。
レインウェアの上着だけ着て出発。村の出口で早速分かれ道・・ガイドは左を指していたが、どう見ても右の道のほうが本道みたいだった。丁度、ネパーリーが通り掛かったので、聞いてみたらやっぱり右が本道でした。ロスするところだった。雨は上がりもしなかったが、強く降りもしなかった。晴れていたなら、カメラにすぐ目をやる所だが、雨降りの時はカメラはザックの中。目で景色を楽しむだけなので、ピッチがあがる。途中の村で休憩。「ドゥチャー・エクタ・ディノス(ミルクティを1杯ください)」と頼んだら、コップになみなみくれて、2ルピーだった。少し冷えて来ていたので、暖かくなった。
歩き始めると、前からトレッカーが来る。なんと日本人。「雨の日に歩いてるのは日本人くらいですかね・・」と話をしてまた、歩き始めた。今日の泊まる「リングモ」はさっきから前方の斜面に見えていた。ただ、まだ一つ川を渡らないと辿り着けない。大きな川ではないが、橋は下のほうに架かっていた。その下り坂を降り、橋を渡ると登りが待っている。今日の雨でぬかるんでいるために歩きにくかった。1歩、1歩、歩いていくしかない。そうしなければ、エヴェレストに近づけない。雨のトレックは、何処かハイペースになりがち・・自分のペースで歩かないとバテルからな。
昼を少し廻った処で、今日の宿「アップル・ハウス」に到着。ここのリンゴを使った料理は美味しいと聞いていたので、「アップル・パンケーキとアップル・ティ」をオーダー。美味しい・・確かに美味しい・・・・。まだ人の少ない食堂で書き物をしていたら、空の雲が流れて晴れ間が見えてきた。外に出てみると、雲間からヒマーラヤが顔を覗かせていた。「綺麗だな〜」・・・自然と声が出た。宿の親子が話しかけてきた、「ここから見るヒマーラヤは綺麗だよ・・・」って、僕は「そうだね」と答え目に山々を映していた。
まだ、時間があったので、ホットシャワーを浴びることにした。ジーパンもシャツもそういえば着替えてないことに気がついた。シャワーを浴びた後に洗濯をするとヤッパリ汚れていたのか、黒い水が・・綺麗になったジーパン・シャツなどを庭に干させてもらった。少し風が出てきたので、今日中には乾くだろうと思った。
そこに一緒にジリに着いたヨーロピアンのトレッカーが到着した。ネパーリーのガイド兼ポーターを二人連れていた。聞くところによるとアイランド・ピーク(6000m級の山でトレッキング・パーミットで登れる山の一つ、最期は雪壁を登らないといけないらしいので、誰でも登れるというわけではないらしい。登山用のパーミットになると、申請費用がすごく高くなるし、装備・メンバーが大変)に登頂する予定だと言う。装備も用意もしてないので、次に機会があれば登ってみたい。夕飯を早めに済ませて早々とシュラフに潜り込む。外はまた雨が降り出し冷えてきていた。明日も降っていたらいやだな〜と思いながらいつの間にか睡魔に引き釣り込まれていた。
6日目 リングモ(7:30)〜タクシンドー峠(3071m)〜ジュビン(14:30)
朝、寒くて目が覚めた。外を見ると雨は止んでいたが、お腹の調子が今ひとつみたい。トイレに行くと少し軟らかい。原因は分からないが、気をつけなくては・・昨日泊まっていたのは、僕とヨーロピアンのグループだけ。今日は峠を越えていくのだが、道がはっきり分からないらしい。とり合えず峠までは一緒に行けば迷わないだろうと思っていたが、トイレに行ったりしてるうちに置いて行かれてしまった。急いで準備をして追い駆けるが、既に後の祭り・・何処にも見えなかった。ぼちぼち行くか・・と歩き出すが道が数本もありどれが本当の道か定かでない。案の定、道を間違え、変な所に出てしまい、戻る羽目に。次は間違わなかったが、約1時間のロス、ついてない。
今日はお腹に力を入れないほうがいいかもしれない。今日は最期の峠越えなのに、体調が優れないなんて・・重いザックが肩に食い込み、初めて辛い出発だった。峠に立ったのは、2時間経った9:30。ここからも長々とした下りだった。景色は開放的でいいのだが、体調が今ひとつだったので景色を楽しむ余裕が少なかった。途中のマニディンマに着いたのが既にお昼、ここに泊まろうかどうしようか迷い、お店でビスケットを買って少し休憩しながら考えた。街中にはたいした宿も見つからず、次のジュビンまで行こうと決意。
目指す村は、対面に見えている、一度ドード・コシ(ヒマラヤを源流にする乳白色の川という意味)まで下るのだが、ここの下りが辛かった。最下部まで下ると、川には吊り橋が架かっている。昔から高所恐怖症の気があり、一瞬、足が竦んだ。下を見ないように、前だけ見て橋を渡った。山で壁を登っていた時も下を見ると恐くなっていた記憶がある。その後は登りばかり・・ハーハー言いながらようやくジュビンの村に到着。村はずれにあった宿に飛び込む、1泊5ルピー(1ルピー:4〜5円位だった)で、ベットに倒れこんだ。食事を取る元気も無いくらい疲れていた。今日は、他のトレッカーと話することも無く、一人早々とシュラフの中に潜り込んだ。明日は良くなっていますように・・祈るような気持ちだった。
7日目 ジュビン(7:30)〜カルテ(12:45)
今朝も辛かった、腹がなかなか治らず一晩中浅い眠りでした。今日は本当にポーターが欲しい。風邪気味なのと腹の調子の悪いのとダブル・パンチです。重い体を引きずりながら、シュラフから出て、ヌードル・スープを1杯だけ食べて出発。次はカリコーラの村、途中で子供に「カリコーラ・サンマ・カティ・ガンタ・ラグツァ?(カリコーラまでどれくらい?)」と聞くと「普通なら1時間半だけど、重い荷物持ってるから3時間かかるよ」との返事・・景色も何もあったものじゃない、ポーターになろう、そう言い聞かせて黙々と歩いた。やっぱり、カリコーラには3時間かかり、到着。この村はバザールのある大きな村、1軒の店で、久しぶりコカコーラを飲んだら18ルピー(カトマンズでは3ルピー50パイサだった、約5倍の値段)に値上がっていた。ククリ(ネパールの煙草、他に何種類かあるが一番安い)も買って1服する。そこで、カルテまでは2時間、パヤンまでは6時間かかると教えられた。パヤンまでは行けないな〜と心に思った。
腹の調子の悪い原因が分かった気がした。パスポートなどが入った貴重品入れが丁度お腹の辺りにあって、汗でいつも濡れているのが原因なのかも・・歩いてる時は、貴重品入れをザックに入れようと思う。
カルテの場所を教えてもらうと、丘の上を指差す。あ〜また登りか・・・歩き始めるとヨーロピアンのトレッカーに追い越される、一体、何処まで今日行くんだろう?歩いているとすれ違う人と挨拶をするんだけど、はたと迷うことがたまにある。欧米人は「ハロー」と声を掛ければいい、ネパール人には「ナマステー」、問題は、日本人。本当なら「こんにちは」なのだが、日本人の現地化は群を抜いて進んでおり、日本人かネパール人か迷うこと、しばしば。「ナマステー」と声を掛けると「こんにちは」と返ってきたり、僕はほとんど「ナマステー」って挨拶されていたんだが・・・。
やっとチョルテン(ラマ教のもので仏塔みたいなもの、村の入り口や出口にあることが多い)のある峠に着いて、ホッと一息。近くのロッジに聞いてみたら、「今はクローズだ」の返事。どうしようか?考えていたら、隣の人が「うちに泊まるか?」と誘ってくれた。今日は民家に1泊です。明日の朝、お礼にいくらか渡すことにしよう。ここの子供達が寄ってきて一緒になって遊んだ。お腹の調子も風邪も良くなったみたいで、一安心。ネパールの子供達は働き者だ、お兄ちゃんは弟妹の面倒をしっかり見ている。他にも水汲みや薪拾いなども遊びながらやっている、それを少し手伝ったが結構大変な作業だった。
夜、主人が戻ってきて、色々と話をした。昔はクライミング・シェルパ(ヒマラヤの登山隊に同行し、登頂することもある、シェルパ族は、登山に係わっている人が多い)でアンナプルナW峰(ネパールの西側にあるアンナプルナ山群のひとつ:7525m)のサミッター(登頂者)だった。僕に「何処まで登ったことがある?」と聞くので、「3000m位かな」と答えると、「ここでは、人が住む高度だな・・」と笑って言った。奥からチャン(ネパール産のドブロクのようなもの、米やトウモロコシから作るらしい)を持ってきて、飲ませてくれた。お代わりもと言ってくれたが、体調のこともあり、1杯だけにした。楽しい話と美味しいお酒ですっかり気分良くなって、その日は、久しぶりぐっすり眠った。ありがとう・・・
8日目 カルテ(7:30)〜スルキャ(14:20)
朝、6時半に目が覚めると、子供達はもう外にいた。外に出てみると、少し雲が出ているが、心配はなさそうな天気だった。子供達の写真を撮らせてもらい、話をした。お兄ちゃんは「エベレストに登りたい」と話してくれた。お母さんが家の中から呼んでいた、チャーとオムレツで朝ご飯を作ってくれたようだ。僕も一緒によばれ、お腹を満たした。あれ程気になっていたお腹の調子が嘘のように快調なのは、これからの旅を象徴しているかのようだった。出発の時に、主人は「スバ・ヤッタラ、ペリ・ベタウンラ(気をつけて、また逢おう)」と言ってくれた。幾らかのお礼を渡して家を後にした。道は上り下りの道が丘の上に続いている、ハーハー言いながら歩いていく。この頃は、ヒマールがほとんど見えなくて、日本で言うと南アルプスの道を歩いているみたいな感じ。木々の間から洩れるお日様が綺麗に見えている。パヤンまで4時間と聞いていたが、3時間も歩いていないのにパヤンの村を確認。やはり、4時間かからずにパヤンの街に到着。バッティー(村にある小さなお店のこと)で休憩、ヌードル・スープを頼んだらララ(インド産のインスタント・ラーメン、結構日本的な味がして僕は好きだった)だった。チャーを2杯飲んで昼食にした。今日の宿のあるスルキャまで「ビスタリ・ビスタリ・ドゥイ・ガンタ(ゆっくり行っても2時間でしょう)」と言われ、気が軽くなった。充分に休養を取ってから出発。お昼を少し廻った頃だったので、夕方までには着けるという安心感があった、今まで調子の悪かったお腹も快調だし。
しかし、まだまだ楽にはしてくれなかった。スルキャの村は、遠くから見えていたのだが、歩けど歩けど一向にに近づかない、村は遥か下のほうに。本格的な下りに入ると、70度はありそうな急な坂道(本当にそんなにあったら、歩けないでしょうが・・それほど急に思えた)を恐る恐る下っていく。流石に膝は観念したのか痛くならず、右足首が少し痛くなった。体調だけには敏感になってしまいます、これからは未知の高度に入っていくし、体が資本ですから。1時間以上下ってやっと宿に着いた。パヤンから2時間半・・やっぱり下りには弱いな〜とつくづく感じた。
部屋に荷物を下ろして食堂に行くと、おばちゃんが迎えてくれた。チャーを2杯飲んで落ち着いた所でパンケーキをオーダー。おばちゃんは、僕の向かいに座って色々と話をしてくれる。パンケーキを食べてる時に「ミーツゥ・ツァ(美味しい)」と言ったら喜んでくれ、もう一枚パンケーキを焼いてくれた。お腹一杯になり、陽の差す食堂でのんびりした。
明日は、やっとルクラです。重い荷物ともお別れ、少しは楽に歩けるようになるでしょう。これからがエベレスト街道のハイライト、ヒマーラヤがたくさん見える高地ルートです。長かったな〜峠越えも辛かったが、ヌンブールなどのヒマールを見ることも出来たし、アップル・ハウスやスルケの民家の人達との出逢いも楽しかった。ルクラまで飛行機に乗ってしまっていたら、こんな経験は出来なかったんだろうから・・・ジリから歩いて良かった。でも、やっとルクラってのが実感です。
9日目 スルキャ(8:30)〜ルクラ(11:30)
今朝はゆっくりしていた。ルクラまで1時間半位で着くと聞いていたから。朝の陽射しの中をシュラフに包まれて時を過ごすのって気持ちがいい。少し起き出して煙草を吸う、元気が体にみなぎる感じ。いつもこう云う目覚めだと気持ちがいいんだろうけど、中々朝はゆっくり出来ない性分なので。シュラフを仕舞い、準備して食堂に行く。ゆで卵を2個とヌードル・スープを食べてしまった、朝から食べ過ぎかも。
挨拶を済ませ、出発。普通なら、ルクラには寄らずにエベレスト街道をまっすぐ行くのだが、僕は荷物のデポ(いらない荷物を帰りまで預かってもらうこと)と帰りのチケットの予約をしなくてはいけないので、ルクラに寄ってからまた、エベレスト街道に戻ります。まだお日様もも暑くなってなく、ルクラへの坂道を登り始めた。途中、二又に道が分かれており、ガイドでは右がルクラになっていたが、心配性がでて、人待ちをした。10分しても誰も通らない・・30分くらいして一人のネパール人が通りかかったので、聞いてみると「右がルクラの道だと」教えてくれた。今日は短いながら、ずっと登り、500m位高度を上げないと着けないんだから。
気分的には楽なので、休み休みながら登坂していく。しばらくすると、頭上を双発のツインオッター(ネパールの山岳ルートを飛んでいる16〜7人乗りの小型飛行機、計器でなく有視界飛行するらしい)が飛んでいく。もうルクラが近い証拠です。そうこうしながら歩いていくと、滑走路の端に出た。ルクラに着いたんだ、やった〜って一人喜んだ。丁度、次のフライトの準備をしていたので、出発を見てから、村に入ろうと滑走路の横に腰掛けて眺めていた。ここルクラの飛行場(三方を丘に囲まれ、開いた一方は谷に向かっている、そこに谷に向かって下る様に滑走路が造ってある、しかも砂利道。)はすごい、ちょっと恐怖心をあおる。12時くらいに一度一番上から出発して坂道の滑走路を下り始めたのだが、途中でブレーキをかけ、一番上まで戻ってきた。何かのトラブルかな?と思ったら、風が止んだために中止したらしい。風が吹いてきたら、一気に滑走路を下り、飛び上がりました。ほとんど落ちてゆくような感じで、ジェットコースターに乗ってるような雰囲気なのかも。
ルクラの村に入ってRA(ロイヤル・ネパール航空)のオフィスで帰りのチケットを予約しようと行ってみると、何故か扉はクローズ。ベンチに腰掛けて煙草を吸っていると、子供が寄ってきて「チュロット・エクタ・ディノス(煙草を1本くれ)」と言う。「RAのオフィスは午前中で閉まったのか?」と聞くと「4時に開く」との返事。仕方ない、出直しだ。
その子供のロッジに行くことにした、ドミトリーが5ルピーで、荷物のデポは無料だと言うので。部屋に行くとまだ誰も着ていなく、これから先の装備品とデポしていく荷物を分ける。テントやピッケル、着替えやフィルムの予備など、大きな袋に3つ程デポしていく予定。残った荷物を見て、少なくなったな〜と思った。これくらいで充分なのだ、過剰の装備だったと納得した。
シャワーを浴び、着替えをしているところに、日本人の女の子が2人部屋に入ってきた。今日、上から降りてきたとのこと、「上では雪に降られて道に迷って大変でした」と言っていた。明日のフライトでカトマンズに戻る予定らしい。昼を宿で食べたのだが、美味かった、今までも美味しかったけど、今まで以上に美味しかった、値段はそれなりに高くなってましたが。
4時になったので、RAのオフィスに出かけていく。4月14日のフライトを予約(予約リストに載せるだけで、チケットの購入は前日に行う、山の天気は変りやすく予定通りに飛べないことが多いため)。その晩は、上から降りてきた女の子達と一緒にご飯を食べながら久しぶり日本語で話をした。やっぱり、日本語の会話っていいな・・そうつくづく思った。
10日目 ルクラ(7:15)〜チュモア(10:45)〜ナムチェ・バザール(15:00)
今日から4月です、日本では新入社員が生まれている頃です、僕はと言えばネパールの奥、高度2800mの地でエベレストに向けて歩き出そうとしています。
昨晩、明日はジョルサレまで行こうと決めていたのだが、今朝になってナムチェまで登って行くと後々楽だな・・などと欲が出てしまい、朝食もそこそこに宿を出た。ザックを担いでみると軽い軽い・・思いのほかピッチが上がり、チュウのパクディンまで休憩なしで歩いた。ドード・コシの横を道が通り、何度か吊り橋で渡る。高度が無いので恐い気はしないが、壊れそうな恐さはどの橋にもあった。背中にかかる荷物が今日は無いみたいに軽快に歩ける。廻りの木々は花をつけ、春の装い、気持ちもうきうきしていた。そうしているとチュモアに着いた、ここまで3時間半。いいペースで歩けている。
ここには「はたご(オーナーは萩行さんという日本人、野菜を自分で作り宿で出している。今は何処かに行かれたらしく若いシェルパが宿を切り盛りしていた)」という宿があり、休憩、少し早いが昼飯にしようと野菜料理を2品(野菜サラダと野菜の春巻き)頼む、どちらも美味しい。本当なら野菜サラダは恐くて手が出ないのだが、安心して食べてしまった。ここで、ナムチェにある宿の主人と逢い、今日の宿泊を決めた。トレッキングしていると、よく声を掛けられて、「宿に泊まらないか」と勧誘される、何処でも一緒なので大抵はOKしてしまうんだが。
昼飯を終えて歩き出すとジョルサレでトレッキング・パーミットのチェック(パーミットを持たずに歩くトレッカーが時々いるためにチェック・ポストが何箇所かある)初めてハンコを押された、そこにあるサガルマータ(エベレストのネパール名)国立公園事務所で入園料(60ルピーだった)を払い、無事通過。ここからがナムチェに続く長い長い登りのはずです。両側にヒマラヤのヒマール(雪山の意味)その間をドード・コシが岩をかみながら流れています、すごい自然美で圧倒されます。余り早いペースで歩くと高度障害がでる高度なので、ポーターの後ろについてゆっくり登ります。ドード・コシに架かる橋が今にも落ちそうで恐いです、ユラユラ揺れて高所恐怖症でなくても恐いでしょう。その川原を歩き、一度山の中に入ってから再度、川原に出て歩く。本当にナムチェの道か心配になって、ポーターに聞いた「サンマ・ナムチェ・ヨ・バートーティク・ツァ?(ナムチェはこの道でいいの?)」そうしたら、そうだととの返事だった。ペースはポーターと一緒のペースだし、荷物も軽いので全然平気でした。
とうとう本格的なのぼりが始まった、ここからの道がひどかった。片や岩肌の絶壁、片やドード・コシの絶壁、落ちそうになる道を恐々歩いていく。ここを歩かないとエベレストには近づけない、ナムチェにも行けないのだから。途中にエベレスト・ビュー・ショップという店があった。ガイドにもここからエベレストが最初に見える場所と書いてあるが、どれがエベレストか分からなかった。少し休んで歩き出すと、少し坂が緩やかになりハーハー言わなくなった、空気が既に薄い気がして呼吸が速くなる感じがしていた。
曲り角を回った所で、前方に村が見えた、それもかなり大きい。ポーターに「ヨ・ナムチェ?(あれが、ナムチェ?)」って聞いたら「ヤー(そうだ)」と返ってきた。やっと着いた、あそこが憧れていたシェルパの村、ナムチェ・バザールだ。そこから30分くらい歩いて村に着いた。登り始めてやっぱり3時間掛かっていた。宿を見つけて荷物を解く。ここにもチェック・ポストがあるというので、明日寄るのは面倒なので今日行っておこうと歩き出す。丘の上にあり、少し探したがなんとかパーミットとパスポートのチェックを終える。
今日は1日、よく歩いた、今までの歩き方とは違っていたのは、やはり荷物のせいかもしれない。明日からも頑張って歩こうと重い、夕食はバフ(水牛のこと、牛はヒンズー教の教えから神の使いとして食べてはいけない神聖な動物)の料理を頼んだ。この村は電気がついていて明るいので何処か3400mの高地のような気がしない。ステレオもあってスピーカーからはなんとマドンナの「ライク・ア・バージン」が流れていた。何処か現実感がなく、音だけが僕の隣を通り過ぎていった。明日は週に一度のバザールのある日、果物があれば買いたいと思う。
11日目 ナムチェ(8:00)〜プンキ・テンガ(11:00)〜タンボチェ(14:00)
今日はとうとう日本では考えられない高度まで達した。3860m、富士山の80m位上の場所です。昨日は600m、今日は420mと二日で1000mの高度を上げています。明日は4300mくらいの処へ行く予定です。これから、毎日標高の高い地点を歩くので高度障害だけには気をつけないと。
今朝も早起きをして、バザール(毎週日曜日に開かれる、近隣から何日もかけて物資の調達に来ている人も多い、バザールに並ぶ品は、ポーターが下から担ぎ上げてきたものがほとんど)を見に行く、ありました、バナナ・・でも、幾らか聞いても僕らツーリストには売ってくれないのか、教えてくれなかった。仕方ない・・。宿に戻って、朝食を食べて出発。バザールを覗きながら歩いていく。バザールの中の店で、揚げパンを一つ買って食べながら歩き始めた。チェック・ポストは昨日のうちに寄っていたので、今日は素通りです。
ナムチェからタンボチェまで6時間と聞いていた。ナムチェの坂を登った所で振り返るとすり鉢状の村が一望できた、正面にはタウツェがそびえている。少ししたら、シェルパの子供が一緒に歩いてきた。「何処まで行くのか?」「いつ、日本に帰る?」と話をしながら歩いていく。
30分も歩くと、山腹を巻く道に出た。遠くに初めてエベレストが顔を出した、ヌプツェ(7879mの山で、丁度エベレストの前に見え始める)の後ろに頂上部だけだが、確かにエベレストです。この山が見たくて、歩いてきたんだから感動は大きかった、やっと見える所まで来たんだと思うと嬉しくなった。ここからは、エベレスト・ローツェ(世界第4位の高峰8511m、イエローバンドがある南壁は登山隊の登頂を随分拒んだ絶壁)・ヌプツェ・カンテガ・タムセルク・アマダブラム(母の首飾りという意味、綺麗な山容で見る角度によって随分形が変る山)などが望めます。ヒマラヤが見える道を歩いてみると、まるで夢心地のように気持ち良かった。
小さなバザールが開かれてたキャンズマでシェルパの子供と別れ、プンキへの道を行く。道はここから、またドード・コシまで下っていく、昨日、やっと登ったところなのに・・仕方ない。ドード・コシに架かる吊り橋はやっぱり落ちそうだった、落ちることは無いんだろうか?と疑問が頭の中に渦巻く。橋には5人の定員と書かれているのに、シェルパの人達はお構いなしで渡っていく。僕が渡り始めた時も、反対から10人以上が橋を渡ってきて、冷や汗を掻いた。落ちたら助からないな、記事にもならないんだろう・・と思った。
プンキを過ぎるとタンボチェへの長い登り。ガイドには2時間半となっていたが、ゆっくり登っていったつもりなのに2時間でタンボチェに着く。ここで、ジリで一緒に出た日本人の人と再会し、同じ宿に泊まった。明日はまた、6時間以上の行程です。頑張ってエベレストに近づきます。とは言っても、一度チュクンにいってローツェの南壁を見たいと思ってます。それからカラパタールに登ってエベレストを真近に見るつもりです。もうすぐです、心が軽くなっていく。
12日目 タンボチェ(8:15)〜パンボチェ(10:15)〜ディンボチェ(14:20)
今朝は、パンケーキとミルクティ、これが最近の朝のメニューになってます。ここんと頃、大が出てなかったが今日はすっきり出て、一気にお腹が軽くなった気がした。同宿の日本人と一緒に歩くことにしたのだが、体調を崩したらしくポーターを連れていた。シェルパーニ(シェルパ族の女の人のこと)のラクパさんという20歳の子だった。少なからずパーティになって歩き始める。
タンボチェからパンボチェはほとんど下り道、上高地の徳沢園辺りの林間に似ている。今日は、少しスローペースで歩いていく。30分歩いては休憩、そうこうしてるうちに、パンボチェに到着。この先、村らしい村も無いので、少し早いと思ったが昼食にした。メニューはヌードル・スープのみ、それもインスタントのララだけだと言う。それしかないのなら、仕方ない。ポーターは泊まる所で食べると言って食べなかった。
ネパールはヒンズー教が国教、山岳民族のシェルパ族はラマ教を信仰しているが、その中にもカーストが根付いている。シェルパはアウトカーストとして色々なことに制約を受けていた。ポーターが食事をしなかったのも、そのためだと思われた。僕ら日本人もアウトカーストとされているが、実際、制約を受けたことは無かった、ツーリストは特例のようだ。
ここから少し道をそれると、日本人の人が開いているホテルがある。「ホテル・エベレスト・ビュー」だ。丁度丘の上に建ち、展望がすごいらしい。ホテルの中に、高度障害の治療のため酸素ボンベが置いてあると聞いたことがある。寄ってみたいと思ったが、帰りにしようと断念した。まだ、今日の予定地に着いていない。
パンボチェを過ぎると景色は一変した。高木が無くなり、低木のハイ松が出てきた。荒涼とした広々とした道になった、エベレストB.Cの帰りだと思うヤクの大部隊(今年は日・中・ネパール三国合同登山が行われていた、既に本体はベースキャンプに入っていたため、その物資をヤクの背で運んでいた、多いときには20頭を越える事もあった、物資の多さを物語っている)に何度もすれ違う。エベレストがヌプツェの後ろに影になり、とうとう見えなくなった。その代わりローツェが更に大きく見え出した。ツロの分岐点まできた、ペリチェは左へ、ディンボチェはまっすぐ行かなくてはいけない。僕はディンボチェに行くためにまっすぐに、もう一人の日本人はポーターがどうしてもペリツェに行くと言って聞かないので、左の道をペリチェに向かった。僕はローツェ南壁が見えるチュクンまで高度順応も兼ねて行くつもりです。イムジャ・コーラ(エベレスト・クーンブ氷河を源とする川、水量はたいしたこと無かったような気が)を渡り、ディンボチェへの登り、さすが高度が高いだけに一歩・一歩が重い。それでも一生懸命の登高で、ようやくディンボチェに到着。パンボチェを出てから3時間くらい掛かったが、とうとう4000mを越えました。高度障害もなさそうです、一安心。明日は、チュクンまで行って出切れば、トュクラかロブチェまで行きたいと思います。ここで、一緒にジリから出た欧米のトレッカーを一緒になりました。僕は、かなりゆっくり歩いてきたというのに、どんなペースで歩いているんだろうか?ちょっと不思議でした。天気がもってくれているので、助かります。明日も晴れますように。
13日目 ディンボチェ(8:00)〜チュクン〜ディンボチェ(12:30)〜トュクラ(14:30)〜ロブチェ(16:10)
今日は早起きだった、6時にはシュラフを出て準備。チュクンに行くためだが、ローツェの南壁を見たくて、どうしてもチュクンには行きたかった。誰もいない食堂で親父さんにチーズ・トーストを作ってもらう、チーズがチベッタン・チーズで塩味が効いて美味しかった。
チュクンまで2時間で行ける・・と教えてもらい、みんなが起き出した頃に出発。ディンボチェの村を通り過ぎ、丘の上をチュクンに向かって歩いていく。右に見えているアマ・ダブラムがどんどん姿を変えていく。ローツェが見え隠れしながら、道は続いている。廻りには、ヒマールがたくさん見えている、この景色をもっと見てみたいと思い、チュクンに1泊しようと思い歩いていくが、いざ着いてみると荒涼とした泊まる宿も無い土地でした(後から分かったことなのだが、村の宿はもう少し先にあったらしい、入り口で間違えたみたい)仕方ないので泊まるのは断念、休憩しようと大きな岩の上に腰を下ろす。チョコやビスケットを食べながら、ローツェ南壁、アマ・ダブラム、クンデ、ヌンブール、それにヒマラヤ襞を無名峰を眺めていた。 ローツェ南壁は、イエローバンドをくっきり見せた大岩壁として、僕の目の前にあった。あの壁を登るのか・・考えただけでも背筋が凍りそうな壁だった。ヒマラヤ襞は、強い風が雪を飛ばし、削って襞をつける。自然の芸術品です。その無名峰でも6000mは越えている、やっぱり地球は大きいな〜、神々が住む土地だな〜と思った。1時間位眺めてから、帰り支度。 調子にのって歩いていたら、急に左膝の力が抜けて、転んでしまった。2箇所擦りむいてしまい、取りあえず応急処置をして歩き始める。ディンボチェの宿に戻って、昼飯を頼む。その間に怪我の手当てをして、トゥクラまで行こうと思う。
飯を食べてから、トゥクラ間での道を教えてもらい、時間を聞くと2時間だと言う。宿の後ろから、段丘に上がりそのまま歩いていく。遥か下は氷河のU字谷になっているのがはっきり分かる。ペリチェの村も見えた、まるでミニチュアを見ているような気がしてしまう位小さく見えた。
標高は高いが、天気もよく、廻りが良く見えていたので、気持ちよく歩けた。トゥクラに着いたが、いい宿が見つからず、シェルパにロブチェまで2時間だと聞いたので、ロブチェ行きを決意。休憩もそこそこに歩き出す。ロブチェへの坂をゆっくり登る。ここは既に4700mの高地、高度障害に気を付けながら、やっと峠に立つチョルテンを越す。越してからモーレン(氷河の最下部で土や岩を巻き込んで丘のようになったところ)の上を少し下っていく。もう、既に氷と雪の世界、転ばないように足元を気を付けながら1歩1歩トレースを進んでいく。下っていくと、氷河のブルーアイスが見えた。初めて見る氷河の青は夕暮れの陽の中でも充分綺麗だった。少しボーとなったのは、綺麗な氷河見たせいか?果して高度障害か?分からないです。
やっとのことで、ロブチェに着く。今日は良く歩いたな、標高の高い場所で頑張りすぎたかな?と思うくらいですが、ジリから歩いて高度順応出来ているのか、苦しくないです。明日は、カラパタールに登る予定ですが、天気だけが心配です。5000mも近くなるとさすがに寒く、今日は暖かい食事をしたいと思います、寝る時にはお湯をもらって湯たんぽ代わりにしないと寝れそうにないです。
14日目 ロブチェ(8:15)〜ゴラク・シェプ(11:30)〜カラパタール(14:30〜15:50)〜ゴラク・シェプ(16:50)
今日は、とうとう5000mを越える日。7時半に起きて、ポリッジ(米や麦・トウモロコシを砂糖と牛乳で解き熱した物)で朝食。準備をして、いざ出発。初めは氷河を巻く平坦な道を行く。さすが標高が高いだけに1歩1歩が重い、軽いはずのザックが肩にずしっとのしかかる。昨晩の寝不足が効いているのか体が重い。
ゴラクシェプまで2時間の行程とのこと、歩き始めて1時間位たつと、急登に差し掛かる。5000mの高地(酸素量が平地の半分になると言う)は、まともに5歩歩けない、足は上がらないわ、息は苦しいわで休憩の連続。昨日の頑張りが影響しているのか、レストの声が多い。ハーハーハー・・こんな中で登攀を続ける人がいるなんて信じ難い。8000mは平地の3分の1の酸素量らしい(無酸素でエベレストの登頂するなんてどんな肺を持っているんだろう?)
少しづつ標高を上げていく。なんとか乗っ越しに出て、高巻きの道を歩いていく。この道からはエベレストが見え、プモリや他の山も手に取るように見えてます。3度ほど高巻くと下の方に今日泊まるゴラクシェプの季節ロッジが目に入った。そこから30分位かかり、ようやくゴラクシェプ着(5150m)3時間ほど掛かってしまった。
昼を食べて、カラパタールに行く準備をする。カメラと水筒、食料を持ってカラパタール(5545m:プモリという山の稜線上にある丘のような場所、エベレストの展望台としてトレッキングの目的地になっている)へ向かって歩き出す。約400mの標高差を登らないといけない、最初が急登、次が平坦、そしてまた急登と続いている。登り始めると、エベレストはヌプツェの横で赤茶けた壁を見せています。息が上がり、それこそゼーゼー言いながら登っていきます。5545mの頂上はまだ見えてません。重い足を運んで、少しづつ高度を稼いで行きます。最期の処はガレ場(登山用語で岩が集まった場所)で、自分でルートを探しながら登っていった。そのガレ場を抜けると5545mの頂上に飛び出す。振り返るとエベレストが更に大きく南西壁を見せており、世界最高峰の威厳を放っていた。
廻りは吹きっさらしで、風も強く頂上に留まるのは難しかったので、エベレストが正面に見える場所で風を避けられる場所を探した。小さな窪みを探し出し、腰を下ろす。チョコやビスケットを食べながら、エベレストを眺めていた。この景色を見るために、言葉も分からないこの国に飛んできたのだった。僕の中で何かが確かに変った、写真の感覚よりも心の中でもらもやしていた物が消えていた。サガルマータは、やはり世界最高峰だな・・・夕焼けに染まるエベレストが撮りたかったが、風は強くなるし寒くなってきたので、夕焼けを断念して下山にかかった。下りは気持ちも体も軽くすぐにロッジに着いた。
このロッジ、季節営業のせいかやたらと風が吹き抜ける。ほとんど外気温と変らない気がする。夕飯はダルバートを食べ、早々と寝ようとシュラフに入るが、寒くて眠れない。ザックの中から服や靴下を出したくさん着込んで、更にダウンも着てシュラフに入る。暖かくなってきたので寝れると思ったら、今度は軽い高度障害か頭が痛くなってきた。眠れば大丈夫とシュラフの口を絞り眠りに着いた。やっとカラパタールに登れた・・・・
15日目 ゴラク・シェプ(8:00)〜ロブチェ(10:30)
今日から、下山開始です。エベレストも見たし、カラパタールも登ったので一応、目標は達成しました。これから先はアンナプルナ(ネパールの西にある一大山群)です。これから、どんどん高度を下げ、ナムチェまで4日、ルクラまで6日位の行程になりそうです。朝は7時半に起床、最近、7時半に起きる事が多いです。ポリッジで朝食を取り、宿を出発。気分が軽いためか体まで軽く感じた。昨晩は、思いの他良く寝れたので体調も万全。昨日あんなに苦労して登って来た道を今日はポンポンと降りていく。振り返り、振り返りエベレストを眺めながら歩いていた。今回は登山隊が入っていたのでベース・キャンプには行かなかったが、次に機会があったらベース・キャンプまで足を延ばしたいと思った。
今回のトレッキングは、天気に恵まれていいものになった。これからも天気でいて欲しいと思いながら歩いていたら、ロブチェに着いてしまった。時にまだ10時半、今日の行程はここまで。もう一つ下のペリチェまで下っても良かったのだが、急ぐ旅でもないし、ここロブチェは好きな場所なんです。何故かと言うと、ここから望むヌプツェは綺麗な三角錐の秀麗な山なのです。一般の人が知らない山だがその美しさに「嫁さんになる子には、この景色を見せてやろう」と真剣に思った。有名な山よりも知られてないヌプツェという山を見せてやりたいと思ったのは、何処か自分と似た所が見えたのかもしれない
トレッカーの数も少なくなってます。日本人も何人かいるので、今日はカラパタール登頂記念に「チャン」を一緒に飲もうと思ってます。さすが、ここで煙草を吸う気がしないのは、やっぱり高度のせいでしょうか・・昼からも外に出て日向ぼっこがてら、山をずっと見ていた。次はいつ来れるかな?と考えたが、いつかきっとまた来れる・・そう思えた。
食堂で宿の親父さんと話しているうちに、夕方になり、夕飯のオーダーを取ってくれたのだが、僕らの分を一番最初に作ってくれた。これには、欧米のトレッカーがクレームを着けていたが、親父さんは取り合わなかった。そっとお湯をくれるのも一番最初だった、僕らに親近感を持ってくれているみたい、ありがとう。
16日目 ロブチェ(8:45)〜トュクラ(10:30)〜ペリチェ(12:20)
今朝は眠くて仕方が無かった、昨晩はどうした訳か寝付かれず、隣に寝ていた日本人が夜中に何度も起きていたのを知っていたくらい(高度障害らしく頭痛で寝られなかったと言っていた)。そんな訳でいつもよりボーっとした頭で起き出した。これが上に向かう日なら停滞も考えるが、これからはどんどん高度を下げていくほうなので、出発をすることに。朝食をいつものポリッジで取り、ビスケットが切れたので3つ購入、チョコレートも1つ買うと55ルピーにもなった。1日の生活費の半分以上だ・・物価が高い、仕方ないかと思う。
ザックを担いで宿を出る。今日も晴れ、トレッキング日和、気持ちいい。くだりになって精神的に楽になってる自分がいる。少し上りがあっても、全体的には高度を下げるわけだから、下りのほうが多いに決まっている。氷河のへりを歩いていく、それこそ何度も振り返りながら。ヌプツェがどんどん姿を変え、他の山も見え隠れするようになってきた。最期のモーレンの上りに差し掛かる。行きは滑りそうで恐かった道も今日は、スキップ出来そうな位軽やかに歩いていく。
丁度、ヤクの部隊が来たので、それを避けて休憩。「来月の5月5日には、登頂出来るんだろうか?」「何処までルートが伸びているんだろうか?」とヤクを見ながら一人物思いにふける。ケルンの立つ峠を越えた時に僕は一つの目的は達成したと実感した。ありがとう、サガルマータ(エベレスト)。本当に行きはすごい上りだったのに、いざ下ってみるとあっけなくトゥクラに着いた。チャーを飲み、休憩。さ〜後はU字谷の川原をペリチェまで行くだけだ。だけど、久し振りここからがしんどかった。川原と言っても草が生えた草原のような道で、遠くのほうにペリチェの村は見えていた。見えているのに、着かないという精神的に疲れる道で、気を紛らすように辺りの山々を眺めながら歩いていく。
何度も休憩しながら、ようやくペリチェ着。村の中を歩きながら、宿を探す。村には何件か宿があることが多く、宿によって居心地が良かったり、食事が美味しくなかったりしていたので、他のトレッカーから情報を貰ったりして、探したりしていた。石積のしっかりしたロッジを見つけたが、部屋が暗くて止め、他の宿を探す。1軒の宿を見つけて、今夜の宿にする。既にお腹は限界状態、急いで昼食をオーダー。出てくるのが遅くて、もう動く気力もなく、食堂でぶっ倒れていた。
この宿は、明るくて良かった。トレッカーは少なかったので、ゆっくり出来たし。ここペリチェはメディカル・センターがある、高度障害や高高度における人間の生活環境の研究をしているらしい。宿の前で暖かい陽を浴びて、ノンビリしていた。標高はまだ高いけど、陽射しは空気が澄んでいる分、きついのかもしれない。4200m位まで下がってくると肺に空気がべとつく感覚がある。酸素量が多くなるが、肺はまだ高地仕様になっているからかもしれない、息がとっても楽に出来る。明日はまた、400m位下がる予定。
17日目 ペリチェ(8:45)〜パンボチェ(11:00)〜タンボチェ(14:00)
昨晩は夜中に3回ほど起きてトイレに行った。少し寒かったが、ダウンを着て夜空を30分位眺める時もあった。星は落ちそうな位に瞬いていた。三脚をルクラに置いてこなければ、星空の撮影も出来たのに、残念。夢も何度か見たが、ぐっすり眠ることが出来た。朝はすっきり目覚めて快調、朝食を腹一杯食べてしまい、休憩しなければ出発できそうにない。ゆっくり準備をして、出発。昨日同様、川原を歩いていく。
行きにディンボチェ行くのに分かれたツロの分かれ道に着く。ローツェの南壁のイエローバンドが大きく見える。アマ・ダブラムも秀麗な姿を見せている。ここからは、イムジャ・コーラの吊り橋まで下りです、それこそ散歩気分で歩いていく。パンボチェで、また早めの昼食を食べて、どうしようか迷う。行きに寄れなかったシャンボチェのホテル・エベレスト・ビューに寄って行くか、どうするか?・・寄ると時間的にしんどそうだったので、寄らずにタンボチェに向かった。
道はまだ下りで、ドンドン下って行きます、余り下ると上りがしんどいと思うが、仕方の無いこと。イムジャ・コーラの吊り橋も落ちそうなくらい、落ちて事故になったことはないんだろうか?と不思議に思います。その吊り橋もクリアーして、残りはタンボチェへの上りだけです。明るい林間の道を1歩1歩歩いていく。高度順応が出来ているのか、息は苦しくならなかったが、タンボチェのゴンパ(ラマ教のお寺)は見えているのになかなか着かない道でした。その坂を小1時間登り、やっとロッジに着く。最初は行きに泊まったロッジに行ったのだが、今日は合同登山の登山隊が来てるらしく、一つのベットに2人で寝てくれというので、向かいにあるゴンパ・ロッジに宿換えをした。この宿で、既に7ヶ月目の滞在になる日本人の人と逢い、色々と話をした。ネパール語がペラペラに喋っているのをみて、僕も勉強しなくちゃと思った。明日はやっと、ナムチェに着きます。ナムチェまで来たら、ルクラはすぐそこですから。そう思うと、トレッキングも終わりなんだな・・と少し感傷にふけってしまった。夜は、一緒に泊まっていたシェルパの男達が騒いでうるさかった、どうやら、夜這いをしていたらしい。
18日目 タンボチェ(7:45)〜プンキ・テンガ(9:00)〜キャンズマ(11:30)〜ナムチェ(14:00)
今日は、どうした訳か早く目が覚め、外に出てみる。少し寒いが、上のような身を切る寒さではなくなってきている。まだ、陽は差してこないが、山々をラインアウトに写し出している。それがなんとも言えず美しく、ザックの中からカメラを取り出し、撮影する。6時半頃に食堂に入り、早々と朝食にする、気持ちのいい朝で、食欲も旺盛だった。出発の準備をして皆より
早く宿を出る。取りあえず600mほど下った後、250mほど登るとナムチェです。最初はずっと下り、快調に足が出る、また、恐い吊り橋を渡らなくてはいけない・・下りきった所にあるプンキ・テンガの村に着いてちょっと休憩。
気持ちを奮い立たせて、吊り橋に向かう。今日もシェルパの定員無視の行動に冷や冷やしながら、無事渡り終わる。そこからは上り坂が林の中に通じている。少し歩いてはレスト、まだまだ時間があると思っていたので、ノンビリ歩いていた。
なんとかキャンズマに着いたが結構時間が掛かっていて、少し不安になっていた。それは天気・・いままで晴ればっかりだったのに、今日の天気は雲が多くなり、さらに早く流れ出した、「崩れる」とっさにそう思い、ピッチを上げる。
そこからは、山腹を巻く道になり、本当なら展望を楽しめる道なのだが、今日は山々は雲の中、空は今にも泣き出しそうになっていた。こんな天気、初めてだった・・どうしたことだろう?。
ナムチェの村が見え出した頃にポツリ・ポツリ・・とうとう降り始めた、雨かと思えば大粒の雹。バチバチと音を立てて降ってくる。急いで、行きに泊まった宿に飛び込む。入った途端、土砂降りの雹、どうしたんだろう?よっぽど冷え込んでいたんだろう。少し遅い昼食を食べている時も外は雹の嵐。ご飯の後、上では浴びられなかったホット・シャワーを浴びて心身共に温まった。食堂で音楽を聴きながらゆっくりしていると、宿の親父さんが来て「今晩、飲みに行かないか?30ルピーでいいから」と誘ってきた。何事も経験かな・・と思い、OKした。
雹が少し小降りになってから、村に出かけた。銀行や郵便局まだる大きな村です。散歩しようと思ったが、さっきの雹で気温はぐっと下がったみたいで、早々と散歩を切り上げて宿に戻った。夜ご飯の後に親父さんと一緒に出かけると、1軒の家に入っていく。そこの土間で、シェルパの踊りを見ながらチャンを飲んだ。チャンの酔いも手伝ってか、いい気分になり眠くなってしまった。親父さんに言って1時間位で退散した。
宿に戻るとベットに吸い込まれるように眠りに着いた。ちょっと寒かったのだが、アルコールが入ったので気にならなかった、確かに寝るときは。酔いが醒めた後は、少し体が震えるくらいの寒さが襲ってきた。
19日目 ナムチェ(12:00)〜ジョルサレ(14:00)〜チュモア(15:00)
今朝は心地よい目覚めでした。体調も良し。ここで、銀行で両替をしてから、今日、出発するか泊まるか決めようと思ってます。9時頃にバンクに行くと10時からとの返事で、一度宿に戻り、荷物をまとめる。再度、10時にバンクに行きT/Cを両替。これでこの先の資金が出来た。バンクで両替するなら、こんな山の中でもカトマンズの街中でも同じレートです。ブラック・マーケットは人によってレートがかなり違ってきますが。
宿に戻り出発することを決め、少し早い昼食を取る、ヤクのフライド・ライス。これが絶品、騙されたと思って食べてみて欲しい。少し遅くなったが、宿を出発、最初は順調に下って行ったが、ジョルサレへの下り道を旧道に入った頃から急にお腹が痛み出し、ジョルサレにつく頃には頭の先まで痛さが来てました。峠のバッティで買って食べた揚げパンが悪かったのか、何かに当たった感じです。
雨も降ってきたので、雨宿りも兼ねて休憩、チャーを2杯も飲んでお腹を暖める。少し痛さは和らぐが、まだまだの模様。小降りになった所で、チュモアに向けていくことにした。どうせ休養するなら、はたごのほうがいい。どうにか重い体を引きずってはたごに到着。3時なのにお腹が減ったので、フライド・ヌードルを食べて、少しの間は良かったが、またお腹がゴロゴロ言い出して夕飯も取らずに寝込んでしまいました。何かの病気にかかったかなと思うくらいに、ひどい下痢を夜中に何度もして体力も気力も出し切っちゃったみたいです。行きでなくて良かったと思うが、現実、今も辛いです。明日は体調次第で停滞の予定です。
20日目 チュモア(9:30)〜パクディン(13:00)〜ルクラ(16:40)
今朝は朝から辛く、まだ下痢を引きずっていた。それでも、昨日の感じだと、このはたごで停滞しても良くなりそうになく、思い切って出発しようと決めた。皆が出発した後の食堂で、パンを少し食べて、歩き始める。
お腹に力が入らないので、その分スピードが上がらず、次のパクディンまでがとてつもなく遠い道のりに思えた。途中で何度も挫折しそうになり、それでもどうにか歩けたのは、ルクラに行けばどうにかなる、そう思えたから。パクディンの村を越えた処で昼飯を食べた。油っこいものは止めたかったが、ご飯が食べたくてフライド・ライスを頼んで、ゆっくりかみ締めながら食べた。ルクラまでの時間を聞いたら「ドュイ・ガンタ・ビスタリ・ビスタリ・ティン・ガンタ(2時間くらい・ゆっくり行って3時間くらい)」と教えてくれた。時は既に2時を指そうとしていた。
その後もお腹はゴロゴロ言い続け、ルクラの丘が見えた時には、九死に一生を得た気がした。それでも、見えてから着かないのは、ここでも一緒でした。這いずるようにルクラに着いたのはチュモアを出て7時間位たった後だった。辛かった。
宿に荷物を置いて、RAの事務所に顔を出す。明日の4便の予約が取れた。もしかしたら明日、カトマンズに戻れると思うと気分が楽になった。多分、カトマンズに下りたらこの腹痛は治ると思えた。ただ、一昨日・昨日と全然フライトしてないとの事、その乗客をどうするんだろうと・・ふと不安が頭をよぎった。
宿に戻って、デポしていた荷物を返してもらい、ザックに詰め直す。ずっしり重いザック、よくこんなに重いザックを担いでここまで来たな〜我ながら感心してしまった。お腹の調子も少し良くなった気がしてきた。クーンブのトレッキングも終わったな〜って思い、次のアンナプルナのトレッキングにもう気は飛んでます。計画を練り直さないといけないんだろうし、また、トレッキング・パーミットの申請にも行かないといけないんだろうから。
取りあえず、明日4便まで飛ばないと明後日になるそうです、明日の午前中だけでも晴れていて欲しいとそう心から思わずにはいられません。天気が悪くなっているので、心配ですがこればっかりは神頼みしかないですから。
21日目 ルクラ(11:40)〜(飛行機)〜カトマンズ(0:20)
今朝はまだお腹の調子が本調子でなかったので、エッグ・サンドイッチを頼んだのだが、これが失敗。出てくるのが遅くて、ボーディングに間に合わないかと思った。昨日、朝8時半頃までには来て、チェックインしてくれと言われていたから。食べ終わると、既に8時を越えていた。急いでザックを担いでRAのオフィスに行き、搭乗手続きをする。オレンジ色のカードの搭乗券をもらい、ザックを計ると25Kg、重いはずだ。9時半頃に1便が来てすぐフライト、その後も2便がすぐ飛んできてすぐ取って返して行った。この調子なら4便も早いな・・と思っていたら、RAの職員がさっきの1・2便が3・4便になるから、当分来ないし、もしかしたら今日は来ないかもしれないと言い放った。来てもまだまだ先のことか・・・気が大きくなり、ルクラの街に戻って、お菓子を買ってきた。来るまでお菓子でも食べながら待っていようと。飛行場の脇に座り、景色を眺めながら食べ始めた。願いが天に通じたのか3便が11時に、4便が11:20に飛んで来た、やった〜来た〜って飛び上がって喜んだ。早速、荷物を自分で飛行機に積み込んで、搭乗を待つ。20分くらい外で待たされたが、搭乗を始めるとすぐ一杯になり、勢い良くプロペラを回し始め、ジェットコースターのような滑走路を一気に下り始めた。谷に落ちるのかと思うくらいの場所で飛行機は飛び上がり、一路、カトマンズに向けて機首を向けた。外はもう雲が出始め、ヒマラヤはすっかり雲の中です。もう少し遅かったら、今日の4便は飛ばなかったかもしれない。ようやく、カトマンズに下りていきます。また、クーンブには戻って来たい。次はいつになることやら・・・ありがとう。
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