Story 3 : 細野×大滝×松本×鈴木=

1969年10月、細野大滝松本の3人は車で東北へ旅行をする。
旅行から帰り、細野松本の家で、鈴木も呼び、ギタリストの選考を兼ねたデモテープの作成を行う。
大滝が作った「雨あがり(「12月の雨の日」の原曲)」を細野が生ギター一本で歌い、鈴木がエレキギターを絡ませた。このとき鈴木はすぐに、あの「12月の雨の日」のギターフレーズを弾いたという。
これによりギターは鈴木と決めたが、鈴木は『スカイ』がいい状態で活動しており、また、まだ高校生だったこともあって『ヴァレンタイン・ブルー』への参加は乗り気ではなかった。
しかし鈴木は興味を持ち、参加することになる。

そしてついに、細野大滝松本鈴木のバンドが誕生する。

1969年10月28日、『ヴァレンタイン・ブルー』として『ロックはバリゲードをめざす(御茶の水・全電通会館)』に出演、初ステージとなる。
この時のステージは、練習不足に加え、どのように日本語を歌えばいいのかなどが手探り状態で、よい状態ではなかった。このステージをきっかけに、名前を変えるという話しが出る。

1969年11月23日、代々木区民会館でのフォークコンサートに出演。
ヴァレンタイン・ブルー』として出演したが、実際に出演したのはフォークのコンサートということで、細野大滝の2人だけ。
コンサートの帰り道、このコンサートを見に来ていた小倉栄司(URCレコード:ディレクター)、早川義夫(URCレコード:ディレクター/元ジャックス
が2人にレコーディングの話しを持ちかける。
小倉エイプリル・フールのファンで特に細野の音楽性に惹かれており、エイプリル・フール在籍中に細野から新しいバンドを作ると聞き、なんとしてもそのバンドのレコードを自分で出したいと思っていた。

1970年1月16日、正式にアルバムの制作が決定する。

小倉は『ヴァレンタイン・ブルー』のレコードを出す話しを進める一方で、あるミュージシャンのバックバンドとして彼らを推していた。『ヴァレンタイン・ブルー』のアルバムの制作を承認させるため、またプロモーションとして有効と考えていたらしい。
そのミュージシャンは、「日本のボブ・ディラン」、「フォークの神様」といわれた岡林信康だった。そして岡林は蒸発中だった。

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