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| Story 4 : はっぴいえんど登場 |
| 岡林信康は9月6日の東京労音公演以来、蒸発してしまっていた。 この蒸発中に、URCと岡林の間で、ロックバンドを引き連れ、自分自身もフォークギターをエレキギターに持ち替え再登場するという方針が決定していた。そしてそれはボブ・ディラン&ザ・バンドと同じスタイルだった。 1970年2月4日、レコーディングのための練習のとき、スタジオに秦政明(URCレコード社長)、遠藤賢司、そして蒸発中の岡林が現れる。 『ヴァレンタイン・ブルー』は岡林のバックをやることを一旦は断るが、再度依頼され、その時細野はエイプリル・フールと比べて低下した演奏力が、岡林のバックをやることで向上するのではないかと考え、そして何よりもギャラの問題で引き受けることになる。 これにより岡林のバックとして、岡林のセカンドアルバム『見る前に跳べ』のレコーディングと全国30ケ所のツアーに参加することになる。 一方で『ヴァレンタイン・ブルー』は、独自の活動も行う。 2月〜3月頃、バンド名を『ヴァレンタイン・ブルー』から『はっぴいえんど』に変更。当初はカタカナ表記だったが、レコードが発表される段階でひらがな表記に変更された。 3月18日、レコーディング開始。 ディレクターは早川義夫、サブディレクターとして小倉栄司。 URCレコード初のロックバンド、そして岡林のバックバンドということで注目されていたこともあり、レコーディングにはURCの社長を初め、多くの見学者が集まった。 しかし、この時のレコーディングは失敗に終わる。 まだバンドのスタイルが試行錯誤の中だったことに加え、多くの見学者による緊張などにより最悪の演奏となる。 このレコーディングの失敗により、メンバーはショックを受け、URCに2つの要望を出した。 ・ディレクターを小倉栄司ひとりにする。 ・見学者をできるだけ少数にする。 これらの要望は承諾される。 4月9日、ファーストアルバムのレコーディング開始(4月13日まで)。 レコーディング最中の4月12日、『はっぴいえんど』は『ロック反乱祭(文京公会堂)』に出演。このコンサートのポスターには『ヴァレンタイン.ブルー』とクレジットされているが、司会のおちゆうじから『ヴァレンタイン・ブルー』と紹介された時に、『はっぴいえんど』と改名したことを発表する。 余談:4月、岡林の『見る前に跳べ』のレコーディングのためのリハーサルで、このときたまたま見学に来ていた鈴木慶一とあがた森魚は、音合わせのため早川義夫がはっぴいえんどをバックに歌っているのを見て、その組み合わせの凄さに感動したらしい。 余談:6月7日、はっぴいえんどはTBSラジオの公開録音に出演。いつもと異なる編成で、センッションメンバー2人を加えた6人編成だった。 ひとりはコーラスとして中田佳彦、もうひとりは松本隆の実弟、松本裕。松本兄弟によるツインドラムとなった。 7月28日。大滝は22歳の誕生日を迎える。この日をもって大滝は、それまで使っていた本名の『栄一』からアーティスト名として『詠一』を使用するようになる。 |