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| Story 6 : ファーストアルバム『はっぴいえんど(通称:ゆでめん)』リリース |
| 1970年8月5日、ファーストアルバム『はっぴいえんど(通称:ゆでめん)』リリース。 日本語によるロックを支持する人達からは必要以上に持ち上げられ、逆にハードなロックを指向する人たちからは『ロックではない』と言われた。 また、当時はまだロックとフォークの対立が続いており、『日本語によるロック』が是か否かで論じられていた。 同日、はっぴいえんどは文化放送の番組『OH!フリー』に出演。 『12月の雨の日』と、岡林とのコンビの演奏を行う。 8月8日〜9日、8000人の観衆が集まった『1970年第二回フォークジャンボリー』に出演。 この時の目玉は岡林であった。 4月以降ステージから離れていた岡林が、6月にリリースされた『見る前に跳べ』をひっさげ、バックにはっぴいえんどを引き連れて登場ということだった。 はっぴいえんどは単独でも『かくれんぼ』、『12月の雨の日』など8曲を演奏。 9月16日、『日本語のろっくとふぉーく・コンサート(日比谷野音)』に出演。 この時のステージには、鈴木慶一がセカンドギターとコーラスとしてはっぴいえんどに参加した。 余談:この日、高熱をおしてステージに立った大滝は、翌日地下鉄内で倒れてしまう。 話しがそれるが、鈴木慶一がはっぴいえんどと関わったきっかけ。 当時、あがた森魚は蒲田の某証券会社で黒板書きをしていた。そして彼は昼休みになると階段でギターを弾いて歌っていた。そこに『ウチの息子もギターとかやっている』と話した人がいた。それは同証券会社に勤めていた、鈴木慶一の母親であった。 それが縁で、あがた森魚と鈴木慶一が知り合う。そして一緒に音楽をやろうということになる。 その後、あがたが自主制作でレコードを作ろうということになり、あがたの知り合いでもある細野にベースをお願いしに、細野の家へ行く。 その時に、細野に1曲聞かせてくれといわれ、鈴木がギターを弾き、あがたが歌った。 それがきっかけとなった。 余談:それ以前に鈴木ははっぴいえんどと会ってはいる。はっぴいえんどのファーストアルバムのレコーディング時にスタジオで会っている。しかし、その時はメンバーと話しはしなかったそうだ。 『はっぴいえんど』は、ニューミュージック・マガジン誌が1971年4月に発表した『第2回レコード賞』において『日本のロック賞』を受賞。 その時のベスト5は 1位:『はっぴいえんど』(URC) はっぴいえんど 39点 2位:『NIYAGO』(URC) 遠藤賢司 14点 3位:『切狂言』(ロンドン) クニ河内 11点 4位:『晩餐』(ポリドール) フード・ブレイン 10点 5位:『見る前に跳べ』 (URC) 岡林信康 10点 ※カッコ内はレコード会社 2位以下とくらべ、『はっぴいえんど』の39点はダントツである。 また、ベスト5のうち、1位、2位、4位の3作品が URC の作品だということも興味深い。前年の『第1回レコード賞』での『日本のロック賞』は、岡林が受賞。やはり URC の作品であった。このことは、当時、内田祐也を『そんなに URC のレコードがいいのか、我々だって一生懸命やってんだと言いたくなる』と苛立たせた。 ちなみに、第2回レコード賞における洋楽でのベストロックアルバム受賞は、 金賞:『ジョンの魂』ジョン・レノン 銀賞:『シカゴと23の誓い』シカゴ 銅賞:『デジャ・ヴ』CSN&Y であった。 |