Story 9 : 風都市

前島邦昭石浦信三上村律夫石塚幸一の4人は、音楽舎/URC系とは別にはっぴいえんどを中心に彼等の周辺の若手ミュージシャンを含めて、自分達にあった活動をしていくことを目的に『風都市』という団体を結成した。

余談:『風都市』というのは、元々ははっぴいえんどのセカンドアルバムのタイトルだった。しかし石浦が団体名として使用し、さらにはコンサートのタイトルとしても使用してしまったため、松本と石浦は相当揉める。結局、松本は仕方がないので、セカンドアルバムのタイトルを『風街ろまん』に変更した。

1971年4月、渋谷に『BYG』というライブ・スポットがオープン。風都市はこの店のライブのブッキングをまかされていた。そのため、BYGははっぴいえんどはちみつぱいのライブの拠点となっていった。

4月、
はっぴいえんどのセカンドアルバム『風街ろまん』のレコーディングが始まる。
ディレクターは、この頃URCでディレクターの仕事をやり始めていた歌手の
岩井宏

5月9日、『BYG』に
はっぴいえんどが初出演する。

余談:5月29日には大滝が『BYG』ソロでライブを行う。このライブは大コピー大会ということで、エルヴィス・プレスリーやビージーズなどのコピーをやりまくるという、なんとも大滝らしいライブだった。

5月25日、松本隆が結婚。

6月、風都市として初の大規模なコンサートが開かれる。それも2日続けて。
6月5日『DANCING 古事記(京都大学西部講堂)』。

6月6日『風都市(京都:丸山公園)』。

風都市の活動が本格的になってくる。


余談:7月30日、全日空機と自衛隊機が空中衝突するという事故『雫石事故』が起きる。細野と鈴木はこの全日空機に乗る予定だったが乗らず、事故にあわずに助かった。

8月3日、『風街ろまん』のレコーディングが思うように進んでいないことから、細野はミキサーの吉野金次とミーティングを行う。細野吉野南正人のレコーディングで知り合っていた。細野のレコーディングでの吉野の仕事振りから、吉野に『風街ろまん』のレコーディングを依頼する。
吉野は元東芝のミキサーだったが、ランチャーズ喜多嶋修とビートルズのサウンド研究の成果であるアルバムを全部英語で、ジャスティン・ヒース・クリフという名義で作ったことが問題となり、それがきっかけとなって東芝を退社。その後フリーのミキサーになった。


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