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目次


情報紙「みやぎシルバーネット」から、1面の特集記事で特に好評だったものをご紹介いたします。

ボケの予防
2004.6月号

痴呆は放っておくと悪化します。
活動的な生活がボケの予防に!

....

 脳神経疾患、脳血管障害の治療では国内屈指の医療機関とされる広南病院に、県内唯一の『もの忘れ外来』が開設されてから2年になります。アルツハイマー型痴呆の患者が確実に増えているなか、4年前にアルツハイマー型の痴呆患者に処方する薬『塩酸ドネペジル』が認可されたことで多少なりとも薬による治療的介入が可能になっており、同外来に対しても大きな期待が寄せられています。

詳しい検査が必要

 もの忘れ外来での診療は、まず最初に『もの忘れ問診票』を用意して一日の過ごし方や物忘れの度合いなどを患者ないし家族に記入してもらい、簡単な質問に答えていただく『スクリーニングテスト』『頭部CT』『身体の神経症状のチェック』などを実施。さらに詳しい検査が必要とされた方には、臨床神経心理士による『詳細な神経心理検査』『SPECT(局所脳血流測定装置)』(※初期のアルツハイマー型痴呆症の診断ではMRI検査よりも有用性が高いとされる機器)を使った検査が実施されています。こうした精密な検査によって、今まで見過ごされがちだったアルツハイマー型痴呆症などの前駆段階として注目されている「MCI(軽度認知障害)」をも見つけだし、早期の適切な対応を目指しています。MCIはその一部が将来、本格的な痴呆に移行する可能性が高いと言われ、「年相応の良性の物忘れ」と区別が極めてしにくいため、経験豊かな医師でも判断が難しいとされてきたものです。

アルツハイマーが日本でも急増

 左の表は、この春で1000人以上に達している受診者の中から438名の初診時の診断結果をまとめたものです。これを見ると、欧米に多いとされていたアルツハイマー型が日本でも増えており、逆に以前は日本人に多いと言われてきた脳の動脈硬化などから起こる『脳血管性痴呆』の割合は相対的に減少。MCIの高さも目立ちます。「アルツハイマーは、もう珍しい特殊な病気ということではなくなってきているという印象が強いです。MCIに属する方も少なくありません」(野村医師)

痴呆予防のためにはどうすれば?

「米国の研究で、日常生活の活動度の高い人の方が有利というデータが出ています。日頃の過ごし方が大切です。色々な活動をやってきた人は、脳の働きの予備能力が高い。“貯金”がある。仮に、痴呆になっても、その能力である程度カバーできるでしょう」(同)

MCIになったらどうすれば?

「なるべく活動的な日々を続けて、消極的にならないこと。そして半年とか1年ごとに診察を受けながら、MCIから『痴呆の早期の段階』へ症状が悪化していないかどうかをできるだけ早く見極めることが大切です。もし移行していれば、適切な治療、つまり薬を服用するなどの必要性が生じます。その時期を逸しないことが大切です」(同)
 参考までに、診察料は、全て保険診療の枠の中で可能ということです。
■問/広南病院(神経内科外来)電話248-2131

防犯活動で輝く

シニアの底力

2003.12月号

年末年始は犯罪が多発する時期です。夜道や銀行帰りなどは、恐いですね…。
 ところが、そんな時代でありながら、犯罪を激減させてしまった地域が仙台にあります。
その主役たちは腕力溢れる…でも、足が速い…でもなかったのです。

 犯罪を激減させてしまったうらやましい街は、青葉区宮町地区。なんと、シニア世代の方たちの活躍で、秋以降、ひったくり等の犯罪が激減しているのです。以前は公衆電話の中に入れないほど溢れていたピンクチラシも無くなり、電柱の悪質なポスターなども見かけなくなったそうです。

夜間パトロールを実施

 激減した大きな理由は、住民による夜間パトロールを昨年6月頃から、より本格的に実施したこと。宮町地区防犯協会の皆さんが、1万4千世帯の地区内を、3人1組、4つのグループに分かれて見回りを行っているのです。色鮮やかな緑色のジャケットに身を包み、赤々と光り輝く回転灯を持って夜道を歩く姿は「何だあれ!?」と初め驚かれたそうですが、今ではすっかりお馴染みの光景となっています。実施するのは月3回ほど。夏場や年末は回数を増やしながら、70人ほどいる実働隊員が交代で夜の見回りを行っています。取り締まりの対象は、無灯火で走っている自転車、無登録の自転車、不法駐車、ピンクチラシなど。無灯火の自転車に乗った若者に注意すると「あんたたち何なの? 何言ってんの!」と、逆ギレされることも少なくないそうです。「初めはこっちも驚きましたが、今はコツがわかりました。強い調子で言ったらダメ。話しかけるように言うと、向こうも話を聞いてくれますね」と、防犯協会隊長の山田甚三郎さん(72)。もちろん、相手がナイフを持っていたりしたら大変なので、やりすぎは禁物!。ケースによっては、警察に任せるなどしながら、『見せる警戒。見守る活動』を行うようにしています。
 
活動の拠点「ボランティア交番」

 そんな皆さんが活動の拠点としているのは、通称『ボランティア交番』と呼ばれている自前の事務所。近隣で引ったくりやチカンが多発したことから、県営住宅の一室を県住宅課から無料で借りて平成14年6月に設置しました。事務所にはスタッフが代わる代わる滞在し、道案内や拾得物の一時保管、相談対応も実施しています。また、引ったくり事件が発生すると、事務所に貼ってある地図で場所を確認しながら周辺のパトロールを強化したり、注意を呼びかける印刷物を作ったりと、交番顔負けの活動を展開しています。大活躍の事務所、運営費は各戸から納入される会費(年100円)と市からの助成金(年8万円)で賄われています。こうした皆さんの活躍ぶりは全国から注目されており、先日は北海道から警察署の関係者が視察に来仙。高齢者が持つ豊富な経験、若者を諭す力が犯罪を未然に防ぐ大きな力になると、期待を集めているのです。「掛け声だけではダメです。みんなが率先してやらないと」と、同協会会長の青沼正さん(89)。“シニアの底力”、恐るべしです!


素晴らしい活動ですね。

宮町交番所長 熱海史虎さん

 「私一人が自転車に乗ってパトロールしても目立たないのですが、皆さんが4人くらいで回転灯を持って歩いていると大変目立つので、いろんな人から活動を見てもらえることが一番大きいです。それに、皆さん地元の方たちで顔が広いので、お店の前を歩くと声を掛け合ったり、「ゴミあるんだけど…」なんていう情報を気軽にもらえたりできるんですね。声をかけられる子供たちも、顔なじみの人だと違いますね。あまり逆らわないようですね。他の町内会でも、こちらの活動を見習って同様のパトロールを行うところも出てきています。交番としてもパトロールに同行するなど、できるだけフォローしていきたいと思っています。望むことは、もっと若い40、50代の方の参加が増えていただければいいですね。青沼会長さんなんかは90歳近いですから、冬場などは健康が心配になります…」

介護で輝く

介護研修センター

2003.11月号

温かいぬくもりのある手で、今も日本中のあちこちで介護が行われています。
赤ん坊の世話はできたのに、意外と難しい大人の介護。
不安が募りますが、ちょっと練習をしてみると、大きな自信になるようです…。

 いざ介護となったら、何をどうしていいのか分からない…という方が多いのではないでしょうか?
 介護に関する本もいろいろ出ていますが、やはり身体で覚えるのが一番! 今回は、実習を通して介護の仕方を教えてくれる『介護研修センター』に行ってきました。

身体の拭き方などを学ぶ「入門編」

 まずは、『やさしい介護講座・入門編』を取材。20名ほどの参加者を前に、講師の方がシーツの敷き方、身体を拭くための蒸しタオルの作り方、身体の拭き方、足の洗い方、福祉用具の使い方等々を、鮮やかな手さばきで指導をしていました。
 「心臓に向かっていくようにして拭いてやると、拭かれた方は気持ちがいいんです。 足を洗うときは、ぬるめのお湯にしてください。意外と手の感覚は鈍感なものですから、お湯の温度を手で見るときは気をつけてください…」と先生がアドバイス。参加した方たちはすぐに、介護する側、される側に交互になって試してみるので、先生に言われた事がすぐに理解でき、皆さん大納得!
 「祖母の介護を手伝うために習いにきました。とても参考になりました」(20代女性)
 「介護したことはありますけど、されるのは初めて。いい経験になりました」(40代女性)
 「ヘルパーの資格を持っていますけど、やらないと忘れてしまうので、復習のために来ています…」(50代女性)
などと参加していた方は喜んでいました。

オムツや便座などを試す「清潔編」

 次に取材したのは、『やさしい介護講座・清潔編』。初めに鑑賞したビデオは、かなり刺激的。排泄の時に、どうすればいいのかが詳しく解説され、男性と女性では介護の仕方が異なることや、便秘の場合の対処法など、見ていると「自分に出来るんだろうか?」と、ため息も…。実習室に移動してからは、大人用のオムツを参加者同士で付け合ったりしながら、その履き心地や付けるときのコツなどを学んでいきます。
 「オムツにはいろんな種類があるので、試供品で試して合った物を選んで」と先生。ベッドの脇に置く便座も、いろんなタイプが用意されていて、実際に座り心地を試すことができます。「実はこれは手入れがしにくいんです」と、素人が気付かない鋭い視点で先生がアドバイス。
 市政だよりを見て参加したという73歳の女性は「寝たきりの母を、長男の嫁がクルクルッと上手に身体を回しながら介護しているんです。お手伝いしようと思ったんですが、さっぱりできなくて…。私たちも夫婦でどっちかがそうなった時のためにと思って参加しました」と一生懸命。「ご主人もご一緒に?」と尋ねると、「よく、覚えてこい!ですって」(笑)
 介護センターの田村典子所長は「老老介護の方で、相手の方がデイサービスに行っている間に来られる方もいます。先のことと思っていて、慌てないようにしていただきたいですね」とアドバイス。
 とても為になる講習でしたが、男性が少なかったのが、ちょっと気掛かりでした…。

高齢者の結婚
2003.8月号

   独身となった高齢者の方が、新たな出会いを見つけて結婚に踏み切るケースが増えているそうです。
70歳になってから新たな幸せをつかみ取ったご夫婦に、話しを聞いてきました…。

 あつ〜い季節に申し訳ないのですが、今回はお熱い二人のアツアツ〜な話題です。
 富塚和夫さん(74)と氏家孝子さん(75)は、青葉区宮町に住む結婚4年目のカップル。それぞれ長年連れ添った伴侶を失ったお二人は、『太陽の会』という結婚相談所で知り合い、平成11年5月に結婚。温泉に行ったり、ハワイへ旅したりしながら充実した日々を送っているそうです。

亡くなったご主人が幸せになれと…

 孝子さんが太陽の会のメンバーになったのは、平成8年。
 「亡くなった主人が、老後の幸せは自分で取れよ。幸せになってくれよ…と言い残してくれたものですから、亡くなって半年後に太陽の会に入りました」と孝子さん。
 会員になってからは、月1回開催される会主催の懇親会に出席。同年代の方たちとカラオケやおしゃべりを楽しみながら、焦らずじっくり出会いを待っていたそうです。
 ちなみに、今のご主人と出会う前にも、何人かの方から猛烈なアプローチを受けたそうですが、男性の年齢が若すぎたりして、「価値観も合わないだろうし、一緒になっても、私が先に逝くのでは…」と、断ってきたそうです。

プロポーズは「旅行さ行がねすか」

 一方、和夫さんは、奥さんが亡くなって8年目に入会。
 「離れて暮らす子供たちも、親父一人のところには来ないし、当てにもできないし。自分の幸せは自分で考えて行かなくてはならないと思って会に入りました」と和夫さん。
 初めて出席した懇親会で孝子さんを見初めた和夫さんは、自宅に孝子さんを招待。食事を楽しんだりする中、世話好きな孝子さんにますます惚れ込んでいったそうです。
 太陽の会に相談すると、「まあ、適当なところで、あんまり背伸びしてもあれだし、いいんじゃないですか」と言われて、告白することを決断。プロポーズの言葉は「あんだ、旅行さ、行がねすか」だったとか…。
 それから間もなく、伊豆の旅行を楽しんだ二人でしたが、、婚前旅行のため男女別々の部屋に宿泊。「いくら年とっても、女の操は大事ですからね(笑)」と孝子さん。
 正式に結婚したのは、和夫さんの奥さんの、命日の前日。晴れて結ばれた二人は、翌日、奥さんの眠る墓に足を運び、「この人、こんど入るからな…」と、ご主人は墓前で手を合わせたそうです。

家屋敷は全て妻に

 お二人の名字が違うのは、籍を入れてしまうと年金の受給が取り消されてしまうため、籍を入れずに結婚する『別姓同居』という形を取っているからだそうです。
 とは言っても中途半端な形ではなく、将来のこともしっかり約束。80歳になってどちらかが不自由になったら、子供の世話にはならず、家を処分して老人ホームに申し込もうと約束しているそうです。
 そして、もしも、ご主人に万一のことがあったら、「家屋敷は奥さんに全て与える」という公正証書遺言も作ってあるのだそうです。

 年金の多い男性が人気!

 ところで、太陽の会でモテるには、何かコツがあるのでしょうか? お二人に尋ねてみたところ、男性がモテるには年金の額が多く、借金が無いこと。そして年齢よりも若々しく見えること。性格はそこそこであればいいとか。
 また、高齢者の結婚には、遺産や財産問題、子供や親戚の反対が付きものですが、その点に関しては、「親戚や子供がどう言おうと、反対を押し切って自分の幸せを考えることが大事」と、和夫さん。
 結婚後については、炊事洗濯などは分担して、なるべく食べ物の好みを同じにし、互いのいい所を認め合っていくことが大事だそうです。
 最後に、今の心境を尋ねると、「みんなに幸せになってもらいたい。結婚して本当に良かった!」と、孝子さん。 

お寺の予備知識
2003.3月号

永遠の住み家、チェック術

 お彼岸に墓地を求める方も少なくないと思います。永遠の住み家となるお墓ですが、
意外と分からないことが多くて戸惑ってしまいがち。じっくり慎重に選ぶことが、何より大切です。

 一昨年、泉区朴沢に完成した仙台市営墓地の供給量は、たっぷりあと35年分はあるそうです。しかし、それでも「今後ますます仙台圏で墓地が不足していく」と言われています。それは、交通機関が不便な泉の市営墓地よりも自宅近くに墓地を求めたいとする方、心の安らぎが得られる僧侶との触れ合いや寺院が持つ独特の雰囲気に憧れたり、宗派へのこだわりを持つ方が少なくないからです。加えて、兄弟が大勢いた団塊の世代が、これから続々と墓地を必要とすることも不足する大きな要因となります。

厳しい寺の事情
 ところが、需要は山ほどあっても、寺院は新たな墓地の拡張を制限されています。そのうえ、管理費すら得られない『無縁墓』が増え続けるなど、お寺の経営は年々厳しくなっています。そんなこともあって、都市部の墓地では、お骨があったとしても跡取りのいない人が墓地を求めることは至難の業。さらに、生前に墓地を求めることさえ、急に葬儀が発生した時のために残り少ない墓地を空けておかなければならないなどの理由で断れることがあります。たとえ寺院といえども、経営にシビアに成らざるを得ないのです。

トラブルも
 せっかくお寺が決まったのに、お寺と檀家がトラブルになることもあります。「檀家を辞めたいと言ったら、法外な離檀料を請求された」、「思いも掛けない高額な寄付を請求された」等々。檀家が団結して住職を追放したケースもあります。特にこれからは、お寺との付き合い方を知らない世代が檀家になっていくわけで、新しい檀家にとっては「今の世の中では通用しないだろう」と思うようなお寺との考え方の食い違いに戸惑うことが、起こることが予想されます。双方に言い分があると思われますが、できればそんなことにならないために、日頃からいろんな寺院を訪ね、住職さんの人柄に触れたりしながら、自分が「ここだ!」と思える寺を見つけだす努力をしておくことが良さそうです。

親しまれる寺へ  一方、寺院側でも、昔の良き時代のように地域の人々が気軽に立ち寄れるような寺にしていこうと、努力を積み重ねているところがあります。各地の市民センターで一般の方々を対象にユニークな講演を行ったり、檀家を中心としたコーラス隊を結成するなど、さまざまな試みにチャレンジしている福聚院の伊達廣三住職(写真)は、新たに『福聚院観音講』という講座を3月から開講し、参加者と月に1回、親睦を図っていくそうです。「気楽な気持でお寺に来ていただき、お茶を飲んで漬け物を持ち寄ったりしながら、町内でも行き来の無かった方同士が、お話をできるような場所になれればいいですね」と伊達住職。また、同院では、跡継ぎのいない方など現在の制度では墓を持つことが難しい方のために、永代供養墓苑『やすらぎの塔』の建立を計画。現在の申し込みは5件で、10件に達っしたところで建立に踏み切る計画でいます。

八月の記憶
2002.8月号

読者をつないだ大撤退作戦

 終戦直後、攻めてくるソ連軍からモンゴル高原に住む四万人の日本人を救い出す撤退作戦について、二人の読者が投稿を寄せてくれました。当時、兵士だった方と救い出された女性。紙面での対面です。



 終戦記念日を迎える前に、二人の読者からいただいたお手紙をご紹介いたします。
 一人目は、元国鉄職員の藤島勇雄さん(80)からの手紙。内容は、兵士として中国大陸に渡っていた頃、自らが所属していた二万人の部隊が四万人の民間人を進攻してくるソ連兵から守るため決行した撤退作戦について記されています。昨年の本紙「エッセイ大賞」の受賞作でもあります。

■(※以下、藤島さんのお手紙より)

『張家口大撤退作戦』
 終戦を迎えて間もない頃、中国の天津貨物厰(工場)で復員するのを待っていた時、内蒙古(※モンゴル高原の南、ゴビ砂漠にあたる地域)からの引揚者の一団と一緒になった。「無事に引き揚げることができたのも兵隊さんと鉄道員のお陰です」と話しかけられ、満州のような惨状を招くこともなかったことを兵士として誇りに思っていた。
 それから三十年後、現地で作戦指揮をしていた辻田参謀の手記が世に公表され、初めて「大撤退作戦」であったことがわかった。
 昭和二十年八月十五日敗戦。モンゴルにいた約四万人の民間人が全員帰国したので、旧蒙彊地区は当時、平穏無事と思われていた。
 ところが、日本軍はソ連桟甲師団の進攻を終戦の日から七日間に亘り戦死者多数を出し食い止めていた。その間、全民間人を鉄道輸送し、完了を確かめ二万の軍は北京地区まで昼夜不眠の強行軍で撤退した。鉄道大輸送は二日間で成し遂げ成功した。
 これらは、根本駐蒙軍司令官の大英断を、軍民一体になって決行したからである。
 今、これらの史実は永久ならんと銘記し、慰霊碑と蒙古語鎮魂碑をモンゴルとゆかりのあった仙台大梅寺に建立されてある。犠牲者の出身地は全国にわたる。私は兵二万の一員であったことを誇りに思い、お参りして新たな感動を覚えた。また、巨大な珍石材を遠く蒙古から搬入した人々に感謝したい。
雨にぬれだんまり石は語り出す
  

 藤島さんの手紙を紙面で発表してから半年ほどがたって、青葉区小田原にお住いの折笠美智子さん(74)が手紙を持参して編集室を訪ねてこられました。
 折笠さんはこの撤退作戦によって命を助けられた方で、掲載された藤島さんの手紙を読んで初めてそのことを知ったとのことでした。

■(※以下、折笠さんのお手紙より)

『張家口大撤退作戦』によせて
 毎年八月十五日が来ると、あの時のことがよみがえります。戦争は終結したはずなのに、なぜソ連兵は国境を越えて内蒙古に進攻してきたのでしょうか。毎日が恐怖でした。私は、戦局がだいぶ厳しくなった十八歳の春、蒙古自治邦政府職員として首都張家口に単身赴任しました。
 終戦から七日目の夕ぐれ、突然私たちの官舎に日本軍のトラックが何台か来て、「今夜は危険で、もうここには居られません。荷物を持てるだけ持って乗ってください」と言われ大慌てでした。
 一晩中、月もない暗やみの中をひた走り、次は無蓋車(※屋根のない貨車)で昼も夜も走り続け、北京ではいっぱいで受け入れられず、やっと天津に落ち着くことができたのです。
 日本租界の女学校や小学校、軍人会館等を移動し最後は引揚げを待つために天津貨物廠へ集結しました。ここは四里四方もあり旧日本軍の倉庫がいろは順に整然と並び、線路も通っておりました。
 エッセイ賞に選ばれていた藤島様の『張家口大撤退作戦』を拝読し、私もこの作戦の中で救出されたうちの一人で、なんとか帰国できた事を初めて知り、しみじみと感謝の念で胸がいっぱいです。
            
 えっ! この坂道をっ!
 バイクで降りてきたのっ!
 あんたいくつっ! 
 と、大梅寺のご住職に驚かれた白髪頭の私自身も、必死の思いで石ころだらけの急な坂道をバイクで降りましたよ。記事を拝見し、昨年十一月に訪れることができました。
 ご住職も張家口におられたとのこと、碑の前でしばし五十余年前の彼の地に想いを馳せ、祈りを捧げ感無量でありました。お花代を託し、胸を突くような坂道を這い登るように帰路についたのでした。

 五十七年もの時を経て、新たな出会いと感動を与えてくれた撤退作戦は、大梅寺の慰霊碑に刻まれています。

【備考】◎写真上左/お二人から送られてきた手紙 ◎写真上右/慰霊碑 ◎写真下/大梅寺

遺言と公証人役場
2001.1月号

トラブル防ぎ、安心して長生き。

 悲惨なトラブルを避けるため、遺言を書く方が増えている。中でも、最も確実な方法と言われる「公正証書遺言」は、宮城県内だけでも年間一千件を越えており、ますます増える傾向にある。

「遺言を書くなんて縁起でもない!」。そんな風に思っている方のために、まず遺書と遺言の違いを明確にしたい。
 遺書は、自殺を決意した方がその思いを書き記すもので、遺言は、あとに残るものが困らないように、争いにならないように、ごう慢な人物が独り占めにしないようにと、遺産配分を指定しておくもの。両者は全く違うのである。遺言は、愛情に満ちた家族へのラストメッセージと言える。

二つの優れた効果
 また、遺言には2つの優れた効果もある。1つは、『法律をくつがえす効果』。民法の規定では、夫が死亡すると、遺産は妻が2分の1、子供たちがあとの2分の1を均分に相続しなければならない。しかし遺言があれば、法律より遺言が優先される。「全財産を妻に相続させる」という遺言があれば、その通りになる。
 何もかも法律にゆだねるのではなく、自分の思い描いた相続ができるという特権を、行使しない手はないのだ。
 2つ目の効果は『安心できるという効果』。気にかけていたことをスッキリ形にできて、ストレスから解放される。これによって「安心して死ねる」のではなく、「安心して長生きできる」ようになるのだ。

公正証書遺言がベスト
 遺言書は自分で作れないわけでもないが、内容や形式の面からみて、有効かどうかが心配される。また、紛失や偽造の心配もある上、家庭裁判所の検認の手続も必要となる。
 しかし公正証書で作成した遺言は、そうした心配が全く必要ない。さらに、土地建物の名義変更の登記や預貯金の払い戻しなどの手続も簡単にできるというメリットがある。
 公正証書遺言を作るためには、『公証人役場』という専門の機関に行く必要がある。宮城県内には5カ所設けられており、9人の『公証人』が相談や依頼に応じている。
 公証人は国家公務員だが、一般の公務員と違って弁護士や公認会計士に似た面があり、収入は嘱託人から受ける手数料(※政令で定められた全国統一の適正金額)に依存している。
 青葉区二日町にある『仙台合同公証人役場』には、現在3人の公証人が依頼に応じている。いずれも裁判官や検察官(検事)として約30年間の豊富な経験を積んだスペシャリストたちだ。
 その1人で、検察官出身の小西武彦さんは「刑事事件の背景には財産問題がからんでいることが多く、在職中から民事問題の勉強もしており、また相続や遺言などの問題は、人間に関するいろいろな問題が含まれていて、やりがいがある」と、仕事に情熱を注いでいる。
 依頼者からは、「想像していたより費用もかからなかったし、手続も簡単だった」、「親切に相談に乗ってもらえた。短期間でできた」と好評だ。 
 ちなみに、遺言を書いた後に訂正したくなった場合は、取り消すことも可能だ。また、ベッドから離れられない方に対しては、病室まで公証人が訪ねても来てくれる。無料相談を随時受け付けているので、詳しくは電話で問い合わせを。