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※肩書と年齢はインタビューを行った当時のものです。
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仙台経済同友会代表幹事
手島典男さん(68) |
東北労災病院
院長 吉永馨さん(69) |
東北大学 名誉教授
西澤潤一さん(70) |
歌手
さとう宗幸さん(47) |
歌手
門脇陸男さん(51) |
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仙台市シルバー人材センター
理事長 束松健一さん(62) |
仙台市健康福祉事業団
理事長 橋本秀男さん(63) |
仙台市社会福祉協議会
会長 熱海昭さん(68) |
宮城県医師会
会長 安田恒人さん(69) |
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シルバーネットはこれまでに各界でご活躍中の皆さまにインタビューをご協力いただいて参りました。その一部をご紹介します。
■さとう宗幸さん■
70歳になっても歌い、トキめいていたい。
シルバーネット創刊号
(発行/平成8年11月)より
Q 老後のイメージって、どんなものですか?
「ふっと目に浮かぶのは、ゴルフが好きなもんだから、のんびりと穏やかな思いでゴルフのクラブを好きなときに回せるような、そんな生活をやりたいですね。ていうことはまず、健康でありたいな〜と、そいう思いがあります」
Q 健康維持で気をつけていることは?
「ここんところ、せわしなかったりして、気をつけるようにしています。だけど、妙になんか、自分でも気づくくらい(健康維持に)神経質になりすぎてるんでね、あんまり神経過敏になるのも考えもんだなと思っているんです。家内にもそんなに過敏にならないほうがいいんじゃないって言われるくらいなんです…。だから、もっとおおらかに生きたいなと思っているんですよ(笑)それだけに余計、老後はおおらかに過ごせたらな〜と思いますね」
Q 理想の年寄り像みたいなものはありますか?
「うちのおやじって言うのは、老人クラブみたいなお年寄りが集まる場には出ていかないおやじだったんです。むしろ家の中でコツコツやるようなね。それだけに逆に、なんか歳取っても仲間と笑い会っていられるお年寄りでいたいなっていうかね。仲間と楽しんでいられるように歳とりたいなと思いますね。一つのことに没頭するのもいいことだけど、おしゃれのことだとか、スポーツのことだとかを仲間と話し合っていられるような、そういう付き合いをしていきたいと思っています」
Q 歌はどうしますか?
「なんか気取った言い方になるかもしれないけど、いまわの際まで歌い続けていたいなと思っていますんでね、可能な限りにおいて、ステージ活動は60になろうが、65になろうが、続けていこきたいと思っています。その姿勢だけは持ち続けていきたいと思っています。だから、いつまでこの命があるかわかりませんが、70ぐらいになってもギターをかかえて歌っているかもしれません(笑)。そういう歳の取り方もいいですよね。髪が白くなって、孫も大きくなって、そんななかでもギターを持ってステージをやっている、そんな風に歳をとるのもいいな〜と思っています」
Q どんな最期を迎えたいですか?
「願わくば、家族の中で旅立てるのが一番幸せかな〜と思いますね。おふくろもおやじも病院で旅立って行ってしまいましたんでね、それだけに余計、なんか家族といっしょに過ごした空気の中で旅立てるのがいいのかなと思っています」
Q 最後に生き方で大事にしていることを
「ときめき…ですかね。これは20代のときめきもあればね、40代のときめきもあれば、おそらく70とか歳をとっても、心をときめかしていたいなと思いますね。ようは、それが人間を厚くさせてくれるだろうし、人間を輝かせてくれると思います。ときめく思いっていうのを持ち続けていきたいと思っていますね」
Q 失礼ですが、先生に老後なんて言葉があるんでしょうか?
「ご存じのように、アメリカでは定年制が廃止されています。私もそれが自然だと思う。働きたいだけ働こうと思っていますよ…(笑)」
Q 大学の移転問題など、いろんな事で考えの違う方とぶつかったりしていますが、疲れませんか?
また、リフレッシュ法は?「誠意を込めて話し合えば、いつかわかってもらえるというのが私の信念です。今はキャンパスが離ればなれになっているため、雪の中を学生が行ったり来たりしなくてはならないんです。大きな交通事故も起きています。こんな状態を放っておくことはできませんね。私を悪く言う人もいますけど、時間はかかるかもしれませんが、必ずわかってもらえると思っています。リフレッシュ法は、広瀬川河畔にある勉強部屋で一人になることでしょうか…。論文を書く時に使っている部屋なんですが、いつも夜の十一時ぐらいまでそこに居て、それから家に帰っているんです。実は、僕はあまり人といっしょにいるのが得意じゃないんです。典型的なA型。それもAOじゃなくAAじゃないかと思っているんです。内向的なんですよ。仕事がうまくいかない時には、新幹線の中や寝る前に文学の本を読んで自信を取り戻したり…。でも、人からはO型とかB型じゃないですかって言われるんです。性格ぐらい人をだませなきゃ修行が足りないって、言っているんですけどね(笑)」
Q 今後、やり遂げたいことって言うと…。
「今の世界は、多くの問題を抱えています。爆発した人口をどうやって養っていくかとか、経済が破綻しているロシアをどうするかとか…。ロシアがおかしくなったら、ロシアから難民が日本になだれ込んでくるかも知れませんからね…。ですから私は、世界に安定したエネルギーを供給することに力を注ぎたいと思っています。私どもが開発した電流の変換器に、一パーセントしかロスがない極めて効率のいいものがあります。これを使えば、大陸を越えて世界規模での電力のやりとりができるんです。たとえば、中国では洪水を防ぐためにダムが不可欠です。そこの水力発電で生まれた電力を海底ケーブルで日本に持ってくるとか…。そんなことが実現すれば、火力や原子力発電も必要なくなるかもしれないですよ」
Q 最後に生き方で大事にしていることを…?
「自分を掘り起こすこと、自分とはどんな人間なのかを追求することだと思います。それを知る上で最も単純な方法が、二者択一。女性を選ぶか、学問を選ぶか…みたいなね(笑)。そう言うことを繰り返していくと、自分というものがよく見えてくるもんですよ…」
【にしざわ・じゅんいち】
大正15年、仙台市生まれ。70歳。東北大工学部電気工学科卒。東北大電気通信研究所教授、同所長、総長(平成2ー8年)電子工学分野の「ノーベル賞」ともいわれるモートン賞(昭和58年)、文化勲章(平成元年)などを受賞。現在は東北大学名誉教授、財団法人・半導体研究振興会の研究所長として活躍中。
Q 「人生折り返し」という曲を出されましたが、門脇さん自身、『老後』に向けた準備を何か?
「人生の中で一番大事な時が、老後だと思います。そうした時期に友達がいないことが、一番寂しいことだと思う。女房がいて、友達がいて、釣りやゴルフといった趣味もないと…。そういったことを、四十、五十歳の時から無理しないで自然に時間をかけてやって、老後に近づいていくようにすればいいと思います。俺が十三年ほど前にゴルフを始めたのも、老後のことを考えて始めたんです。たとえば、ゴルフを通じて百人の友達ができたとすると、その中には自分とピッタリうまの合う人がいるわけです。そういう人と共に、『やあ、釣りさ行んか?』『あ、んで行んか…』といった感じの老後を送りたいですね…」
Q 南方町に住み続けて、農作業と歌の仕事を両立させていますが、大変じゃないですか?
「両立は大変です。だけど、やれる分だけやればいいんですよ。無理して、身体を壊してまでやるもんでもない。農家の長男ですから、親の面倒も見なければなりません。親を大事にすれば、それを見て育った自分の子供も俺を大事にしてくれます。教育っていうのは、そういうことだと思うんですよ。それに、歌一本だけっていうのも嫌なんです。まして、東京に住むなんてとんでもない。ビルばっかりの東京は人間が住むとこじゃないと思う。俺は山とか自然が大好きですから…。家では歌とは無縁なんです。カラオケにも行きたくない!(笑)。仕事中は歌ばっかりですが、家では「畑、掘って!」って言われて畑を掘ったり、釣りさ行ったり、ゴルフしたり…。それがいいんです。同じ事ばっかりやっていると、人間ってのは参ってしまいますから…」
Q 門脇さんがこだわる『歌の匂い・味』っていうのは、
そんなふうに郷土から離れないで生活しているから生まれるわけですか?「そうですね。『匂い』は、作るもんでも、付けるもんでもない。まして、教えられるもんでもない。たとえば、東京の人が南部牛追い唄を歌っても、それは『東京の南部牛追い唄』でしかない。同じく、東京の人に俺の長持唄は絶対に歌えないと思う。宮城に生活して、長い時間をかけないと歌の匂いはつかないんです。宮城に入る人なら、誰にでも宮城の匂いがどこかにある。自然に生きていればいいんですよ」
Q今後の目標を?
「ヒット曲を出すことはもちろんですが、デビュー十五周年を機にボランティア活動もやりたいと思います。先日、登米郡の老人ホームに入所しているお年寄りを招待して迫町でショーをやりました。栗原文化会館ではチャリティーショーもやらせてもらいました。招待した方の中には、涙を流されている方もいました…。これから、そういった方面にも力を入れていきたいですね…」
【かどわき・りくお (51歳)】
昭和20年、登米郡南方町生まれ。実家で農業を営むかたわら、バスの運転手(宮城交通に昭和41年から同60年まで)として勤務。昭和55年、東北放送「民謡でごきげん」の決勝大会で1位の県知事賞を受賞。同57年、同番組の作詞募集歌「祝い船」を歌いクラウンレコードよりデビュー。新しい祝い歌として全国的にヒットし、歌手業が忙しくなったため会社を退社。同60年、「第1回藤田まさと賞」受賞
■吉川団十郎さん■
あらゆるジャンルを通して
究極の美を探求する男。
夢は「秘境の国々のルポ」実現。シルバーネット第4号
(発行/平成9年3月)よりQ いろんなことにチャレンジして、人の何倍も生きているように見えてうらやましいんですが。
「歌、陶芸、絵、写真…と、いろんなことにチャレンジしてきたからね。本業は何ですか?って聞かれると『よろず作家』って言っているんだよ。日本人っていうのは職業を一つに限定したがるけど、俺の場合は全てが本業。限定されるのが嫌なんだ。それぞれに美がある」
Q 何もかも本気でやるって大変じゃないですか?
「もちろん、四十代、五十代、六十代…と、歳を取ると共に肉体は衰えて行くから、その時の自分の体力に合わせたものを選んでいくつもりだよ。
二十代は芸能界に憧れたし、三十代は焼き物に夢中になった。これからは、絵をやっていきたいと思っている。というのも、焼き物は体力がかなりいるから、老後にやるのは難しいんだ。俺もそろそろ歳だからね…。これまでに、いろいろやってきたけど、芸術にジャンルというのはないんだよ。絵を描くことも、陶器を焼くことも、作詞や作曲をすることもどれも共通している。つまり、どの芸術も目指している頂点にあるものは、『美』なんだ。だから、人からはあっちもこっちも手を出して計画性がないなんて言われるけど、俺は誰よりも計画的な生き方をしていると思っているんだよ。着実に美に向かってね…」Q 今後は?
「このまま芸術を続けていくつもりだよ。ただ、焦っていることがあるんだ。肉体が衰える前にやりたいことがあるんだよ。それは、秘境の国々のルポをやりたいということ。取材して写真を撮って…アマゾンやチベットを歩きたい。心の触れ合いの美を求めてね…。しかし金がないんだ…」
Q 健康面での貯蓄は、順調なんですか…?
「特に気遣っているわけじゃないんだけど、自然にやっていることが身体にいいようだよ。酒は小学生の時に飲まないと自分で自分に誓って今でも守っている。タバコも吸わない。肉は食わない(※食わず嫌い)。かけ事もしない。夜は外に出かけない。一日八時間寝る。ごはんは一膳。国分町に行くのは年に二回くらい。その時も飲むのはウーロン茶…」
Q 団十郎さんは、いったいどんなお年寄りになっているんでしょう?
「(しばらく考えてから)女房にだけは逃げられない爺になりたいな〜(笑)。子供が成長したので出ていきます…なんて言われたりしてな…(笑)」
Q 最後に格言を一言…。
「何をせずとも陽は暮れる。人生は短い、なのにすべきことは多い…」
【きっかわ・だんじゅうろう】
昭和23年生まれ。昭和50年に世界歌謡祭へ日本代表として出場。TBCラジオの深夜番組「ジャンボリクエストAMO」のパーソナリティーとしても大活躍。同51年に芸能界へ入り、環境問題を歌った「ああ宮城県」がヒット。翌年、芸能界を引退して宮城県に戻る。同56年から陶芸活動を開始。
最近では中国貴州省少数民族の風土病を救済するための運動を展開。
著書に「愚か者に捧げる本」「どろんこ白書」「みんな生きている(写真集)」「同じ時代に生まれて」など。
※みちのく古代史研究会 会長、宮城県写真連盟 副会長、村田町名木を守る会 副会長、宮城県民全員が大地に空き缶や空き瓶を捨てたりしなくなる日を夢見る会 会長、宮城の芸術「ジョンタの会」会長、日中友好倶楽部「しん」会長
Q 老人福祉センターが、とても好評のようですね…。
「社協の一番大きな仕事は、高齢化対策です。お金も必要ですけど、高齢者の皆さんに生きがいを提供することが最も重要だと思っています。そのためには、元気な方々の集まる場所が必要。ですから、市から管理を委託されている老人福祉センターには力を入れています。施設では、ダンス、カラオケ、将棋、いろんなことを楽しんでいらっしゃる。必要な物は何でもそろえています。お弁当を持ってくれば、一日、風呂に入ったりして楽しめます。皆さん、センターで仲間をどんどん増やしています。家族からも、家に居るよりいいと、喜ばれているようです」
Q 課題やジレンマみたいなものがあったら?
「一人暮らしとか、老夫婦の方の扱い方が非常に難しいです。プライバシーもありますし、人から何かされることを嫌いだという人も少なくない。来るなって言われることもあるんです。また、社協の現状は、施設の管理や市から委託されていることをやるので精一杯なんです。人手がない。ですから、ボランティアの皆さんの協力が必要です。福祉プラザにある『ボランティアセンター』をぜひ活用して欲しい。ここで、ボランティアをしたい人と、して欲しい人との橋渡しをしています。また、それぞれの地域で、もっと積極的に地域活動をしてもらいたいですね。一番いいのは相互扶助。お互いがお互いを助けるのが理想的です。社協を大きくすることは、できませんのでね…。ところで、市民のみなさん方は、自覚している、していないにかかわらず、社協の会員ということになっているんですよ。会費もいただいています。年間300円。町内会費の中に入っているケースが多いんです。お金をいただく際に、きちんと説明すればいいですが、仙台市には30万世帯もありますから、そうもいかないんです…」
【熱海 昭】
昭和25年から市役所に勤務。仙台市助役、財政局長、収入役、顧問等を経て、仙台市社会福祉協議会の会長に就任。【社会福祉協議会】
地域の社会福祉を総合的に推進すうる民間団体として、昭和26年より全国の区域を単位に設置されている。組織構成は、民生委員、社会福祉施設、福祉団体、福祉行政機関や教育、労働、商工などの代表者と町内会、自治会等の住民自治組織代表、ボランティアなどで構成されている。事業は「調査及び福祉計画の作成」「小地区の住民福祉活動」「ボランティア活動の推進」「在宅福祉サービス事業の実施」「相談・情報の活動」「関係機関・団体の連絡、調整」「社会福祉センターの運営」等。運営の財源は、会費、共同募金、市区町村の補助金、委託費、寄付金等。
Q 仙台空港の国際化では多大な貢献をしていらっしゃいますが、日本の国際化についても一言?
「実は今、『シャトル外交激動の四年』という本を読んでいるんです。ベルリンの壁が崩れる前後、アメリカのブッシュ、ソ連のゴルバチョフ、ドイツのコールといった今まで敵だった人たちが、冷戦を解消しようと互いに信頼しあって行動する姿が描いた素晴らしい記録です。ところが、非常に残念に思ったのは日本が全然出てこない。『お金の工面を日本に頼みに行った』とか、人が出てこない。複雑な気持ちで読みました。経済にしても、日本は自分の商売最優先。政治家も、なんとか大臣になることばかり。人類に対してどう貢献するかといった理想が希薄ですね。日本に力はあるんです。たとえば中国を例に取りますと、自動車の排気ガスなどをまき散らして酸性雨を引き起こしています。関西の方はその影響で枯れた林がいっぱいです。環境問題については日本一時期、経験をしていますから、アドバイスできるはずです」
Q 東北の国際化については
「東北6県で人口は約1千万人。総生産はオーストラリア並みです。地形的にはアメリカに一番近いところにありますから、アメリカとアジアをつなぐ場所としても大いに発展できると思います。
Q 趣味は
百名山を全部回ろうと思って50くらいは登りましたが、仙台に戻ってからははかばかしくない。ブナの森を見て歩くことにも、とても興味を持っています。東北のブナ林は世界で一番美しいんです。雪がいっぱい降って湿度があるからです。日本人のルーツは何かといったことにも興味を持っています。日本人の先祖と言われる縄文人も、ブナの森に暮らしていたいんですよ。木の実や山菜、ウサギなんかも豊富でしたから、縄文人たちは平和だったんです。戦闘もしなかった…」
Q 読者の皆さんに、何かありましたら…
ぜひご年輩の方にお願いしたいんですけど、高齢化と並んで少子化が大変な問題になっています。回りを見ていると、男性でも女性でも適齢期を越えても全然結婚したがらない人が多い。この状態が続くと、自分で自分の首を絞めることになるんじゃないかと思います。ご年輩の方は、おせっかいでも嫌われてもいいですから、ぜひ若い方に結婚を勧めていただきたい。僕も、大分嫌われている方なんです…(笑)」
Q 最後に今後の目標を
「東北全体をもっとパワフルにしていきたいと思います。今までは、東京に依存しすぎたと思います。自分で発言して、工場も研究所も作り、東北を誇りのある存在にしていきたい」
【手島典男】
1928年、宮城県生まれ。東京大学法学部を卒業後、国鉄に入社。東京西鉄道管理局長、外務部長と勤め、79年退社。(財)鉄道弘済会を経て、86年に仙台ターミナルビル株式会社会長。現在、仙台経済同友会代表幹事、仙台商工会議所常議員、(社)東北経済連合会常任理事、交通運輸委員会委員長、他。著書に『友と歩む』(金港堂出版部)、『雄飛東日本』(同)
Q 国と医師会の方針が大きく違うようですが…。
「日本では、現金を持っていなくても、どこでも、どんな先生にでも自分の希望した医療機関で、希望したお医者さんに診てもらえます。これがたとえばアメリカだと、診療費が病院によって違うので、金持ちは立派な病院に行けるけれども、お金がないと病院にも行けないんです。他の国から見たら、日本の今の医療システムはものすごく住民や患者さんにとって良い制度です。でも、医療をしている側にとっては非常にきつい制度で、ものすごい医療機関の努力でこれが維持されているんです。何がきついかと言うと、診療をするお金を国が全部決めていること。しかも、医師免許を持ったばかりの医師とベテランの医学博士が同じ値段。この二十年間、国が(値上げを)抑えてきたので、病院の運営費が間に合わなくなっている。つまり、日本の医療制度は、日本に唯一残っている社会主義的なシステムなんです。今では、国立、市立、町村立、県立病院の全部が赤字。国費や県費から補助を出して運営しています。ところが、医療全体の八十パーセントは民間ですから、補助がこない。だから医療側は、ものすごく苦しい状況にあるんです。今年の健康保健法改正で、九月一日から住民の皆さんが余計払わされるわけですが、じゃあ病院も良いのかというと、一銭も病院には入ってきません。事務手続きが大変になるだけなんです。そんな中、僕らは住民にとって最もいい今の制度を何とか守りながら、さらにいい医療を提供するための改革をしていきたいと思い努力をしています。しかし、国は自分の懐しか考えていない。政治家も同じ。そのギャップが大問題。今、言いたいことはそれが最大です」
Q 年寄りが健康に生きるためのアドバイスを…。
「ご老体にとって一番大切なのは、動いていることと人との接触です。それができているご老人は、だいたい健康です。それから興味を持つこと、何でもいいから…。人間にとって一番大切なのは生きがいなんです。生きがいって言うのは時々失いそうになるけど、自分で作れないことは絶対ない。たとえば、石ころを拾ってきて毎日必死になって磨いてニヤニヤして喜ぶのも生きがいです。毎日のように歳を取った方で具合の悪くなった方と話しているけど、少しでも生きがいが残っていると良くなるもんです。自分では無趣味だと思っていたんだけど、実際にはやりたいことがいっぱいある場合が意外にたくさんあるんです。というのも、日本の年寄りは、『こういうことをしたらダメなんじゃないか』と自分を抑えている部分がたくさんあります。こんなことをやったら恥ずかしいじゃないか、笑われるんじゃないか、悪いんじゃないか、と抑えているものがあるはずなんです。それをやってみればいいんだけどね。それが泥棒じゃ困るけど、そういうものを引っぱり出せると非常に生き生きしてきて、身体の調子もよくなるんですよ。また、ボケだしても、早めに医者に相談してもらうと、かなり軽減することができます。完全に治癒はしないけど、少なくても進行を抑えられます。家族が軽く困りだした段階で、相談してもらうことが大切です」
【安田恒人】
昭和3年生まれ。同19年、県立仙台第二中学校(旧制)修了。同20年、海軍兵学校を終戦閉校により退学。同22年、第二高等学校(旧制)卒業。同26年、東北大学医学部卒業。同31年、医師免許証取得。同35年、医学博士の学位を受く。趣味のスキーは1級、得意芸はコンピューター、通勤はオートバイ(※愛車はハーレー)という多才ぶりも発揮。【その他】(財)安田博愛会安田病院院長、宮城県警察本部運転者精神鑑定医、人権擁護委員(法務省)、中央社会保険医療協議会委員(厚生省)、宮城県長寿社会対策推進会議委員、東北医師会連合会会長、他役職多数。
■「宮城県医師会」とは…。
県全体の医療システムをうまく動かしていくためのリーダー的存在。『宮城県地域医療情報センター』を持ち、救急医療の情報管理やベッド数の飽き状況等をコントロール。在宅ケアシステム、訪問看護ステーションといった新しいシステムの指導も行っている。また、『宮城医師会健康センター』では、日帰りドッグや検診の相談も実施。最近では、超高齢化社会においての“かかりつけの医師”の必要性を訴えている。
問 発足したばかりの『県シルバー人材センター連合会』の目的などを…。
「日本全国に、約四十二万人いるシルバー人材センターの会員を、百万人にしようという目標があります。その理由の一つは、会員数の割に国の補助金が多いので、『シルバー(人材センター)だけが特別扱いされている…』と思われないためです。しかも宮城県は、七十一市町村あるうちシルバーがあるのは十六市町だけで、全国的にみても少ない状態です。そこで、結成した連合会が、会員増のために未設置の市町村にシルバーの設置を働きかけたり、各地のシルバーが個々にやっていた技能講習などをまとめて実施したりして、影の力になりたいと思っています」
問 仙台のシルバー人材センターの課題や目標を。「シルバー(人材センター)の運営は、国とか市からの補助金でやっています。やはり実績を上げないと経費が出てこない。仕事をどんどん増やして、事業を拡大していかないと動きが取れなくなります。しかし、仙台の場合、平成元年頃から実績が横ばい。去年あたりから約二十%近く伸びてはきていますが、将来に向けて去年、十カ年計画を立てて、いろいろ頑張っているところです。会員は、仙台地区で七百十人、泉と合わせると千百人近く。平均年齢は、だいたい六十九歳くらいです。六十五歳以上の高齢者のシルバーへの入会率は、0・7%。これを少なくても1%にはしないと…。全国では、シルバーのあるとこの入会率が3%近くいっています。 しかも、これからどんどん高齢者の人口が増えてくるので、会員を増やさないと入会率が下がってしまいます。大きくない市町村だと入会率がいいんですが、政令都市クラスになると、どこもきついようです。また今後は、事務系のホワイトカラーの高齢者がどんどん増えてきます。しかしシルバー(人材センター)では、技能とか特殊な技術を必要とする仕事が多いですから、ホワイトカラーの人たちの行き先が難しい。ですから、就業の開拓に力を入れています」
問 一度、利用した方はまた頼まれるそうですね。また、健康面でも会員さんにはいいそうですが…。「普通のお年寄りと違って、シルバーの会員になっている人っていうのは、ほとんど病院に行っていないし、やっぱり働くっていうのが一番健康にいいみたいですね。名古屋あたりでシルバーの会員と普通のお年寄りを医療費とか比べてみたら、かなり医者にかかる人が少ないというデータが出たみたいです。仕事のPRは、特にしていません。口コミが多いんです。専門の業者さんの三分の一位の値段でやっているので、それがわかると毎年、頼んでくる方もいます。また、東京のシルバー(人材センター)だと、官公庁から来る仕事が五割近くあるんですが、仙台の場合は泉と合わせても11・2%。民間の会社や一般の家庭から来る仕事の方が多いんですよ…」
【束松健一】
昭和10年、仙台市生まれ。東北学院大学経済学部卒業、仙台市役所勤務、青葉区理事兼宮城総合支所長を経て、昨年4月から現職。結成されたばかりの「県シルバー人材センター連合会」の初代会長。趣味の山菜採りやキノコ採りは本格派。理想の老後は、“ボケない老後”…。【シルバー人材センターとは…】
おおむね60歳以上で、働く意欲のある方なら誰でも会員になれる。大工仕事、佐官仕事、清掃、除草、家事援助、集金、一般事務、宛名書き、駐車場管理など、さまざまな仕事がある。8月に県内17カ所にあるシルバー人材センターが一体となって高齢者の就業機会を増やそうと、「県シルバー人材センター連合会」が発足している
■問/仙台市シルバー人材センター214―6262
問 労災病院の中では、ボランティアの方が大活躍しているそうですね…。
「家族をガンで失った時に非常に苦労したとか、ご自分が乳ガンになって死ぬ思いをしたとかいう方が、同じ様な苦しみをしている人たちのために役に立ちたいというので、当院のお手伝いをするようになったのが始まりです。今では五十人くらいのボランティアの方が登録なさって、いろんなお手伝いをしてくださっています。移動図書館みたいに本を車に積んで患者さんに見てもらったり、外来の患者さんのお世話をしたり。若い人もいますが、年輩の方が多いです。シルバーの方が人の為にお世話していらっしゃる姿を見ていますと、非常に感動します。年寄りの方の生き方の模範をお示しになっているんじゃないかと思っているんです」
問 最近よく話題になる「緩和医療」を六年も前に始めたそうですが…。「緩和(ホスピス)医療というのは、お亡くなりになるような病気の重い方をただ命を延ばそうという治療ではなく、むしろその方の人格というか尊厳というか、それを最後まで保っていただくような治療ということです。おもなものは、痛みの緩和、それから心のケアというかな、みんなで支えようということです。当院では、医師、看護婦、ボランティア、ソーシャルワーカー、薬剤師、栄養士、みんなが協力してやっています。将来は厚生省の企画に合ったホスピスも作りたい。今は県立がんセンターにホスピスを併設してもらおうと、運動をしているところです」
問 話しは変わりますが、先生の目標みたいなものがありましたら…。「高齢者の生きがいというか、死生観というか、そういうものをもっとしっかりしたものにしていきたい。私も高齢者の一人だから、仲間のためにもそう思いますね。たとえばね、仙台市に豊齢学園というのがあるんですよ。私も『生と死』というテーマで講師をしているんです。そこで、学園の人たちと話しをすると、みなさん意欲のある人たちだと思うんですけど、生と死の問題はあまり考えていないですよ。死ということは、タブーなんだね。触れたくないから触れない。だけど、それは間違っていると思うんです。なぜかというと、本人あるいは家族がガンになるということは、どうしても避けられないことがある。その時に備えが無いもんですから、非常に狼狽するんです。誰もが迎えなくてはならない人生最後の大事な時期に、パニックのまま過ごしてしまうということがあるんですよ。
それから、ガンの告知という問題があります。教えた方がいいのか、教えない方がいいのか…。これは難しい問題です。大抵の家族は、教えたら可哀想だと思うんです。その思いやりは貴重なものです。でも、患者さんに真実を告げないと、病気は悪くなっているのに『今に治るよ』みたいなことを言っている。すると、だんだん話しが合わなくなってきて、ウソをついているような形になりましてね。愛情から出発したんだけれども、不信感を生じてしまう。家族が支え合って別れを惜しまなければならない時に、不信感が生じて孤独に亡くなっていく…ということが起こるんです。
そういう意味でも普段から、『俺がガンになったら教えてくれよ…』とかって話しがあればいいんですけど。実際になっちゃうとできないから、普段が大事なのです。
それから、もっと大事な問題もあります。死というものは避けられないものですから。見据えて、たじろがないという生き方が大事なんです。
死というものを見ると、生というものがわかるんです。死と生は裏腹ですから。生というものを裏側から見ることができる、つまり多角的に見ることができるんだね。それによってよくわかる。生が、生の有り難さが。生の尊さが…。そして、よりよく充実した生が可能になるんです。
昔は死が身近にあった。子供が多くて、バタバタ死んだんです。お年寄りは家で死んだし。だから死を考える機会があったんだけど。今はみんな病院で死ぬようになったし、死自体が少なくなったから。身近じゃないんです。遠い先の話しで、他人の話しでね、俺の話しじゃないと。
それがいけないっていうか、人生を浅くしか生きられないと思うのです。死の裏打ちのもとに生を見る、そして生の有り難さを噛みしめながら生きるっていう、そういう姿勢が大事だと思うんですね…」【吉永 馨】
昭和3年9月18日生まれ(栃木県芳賀郡芳賀町出身)。
《学歴》昭和25年、旧制第二高等学校理科卒。同29年、東北大学医学部卒。同30年、医師免許証取得。
《職歴》昭和30年、東北大学第二内科副手。同33年、同助手。同41年、同助教授。同48年、同教授。同60年、東北大学医学部附属病院長(兼任)。同63年、東北大学医学部長(兼任)。平成2年、東北大学学長事務取扱(兼任、1カ月余り)。同4年、定年退職。同年、東北労災病院長、現在に至る。
《専門分野》高血圧、内分泌、腎臓病。《その他》趣味の碁は五段。健康法は、なるべく歩くように心がけること。
問 (財)仙台市健康福祉事業団は、どんなことをしているんですか?
「シルバーセンター、健康増進センター、福祉プラザ、この三つが仙台市の健康生きがいづくりと福祉活動の場になっていて、その管理、運営の委託を受けています。三つの施設を中心に、市民の生きがい健康づくりと福祉活動の場を提供するのが、おおくくりの仕事。職員は財団全部で八十人ばかりいます」
問 『健康寿命』を伸ばすことには大きな意味が?
「高齢化社会の街づくりをどうしたらいいかという時に、仙台市なりの豊齢化社会というものの理念を作ったわけです。地域社会で元気に生きがいを持って助け合いながら長寿を全うできる都市づくりをしようという。それで、豊齢化社会福祉計画(サン・シルバープラン)というのを昭和六十三年に作ったんです。事業団はその推進役として設けられました。健康であればお医者さんにかかる費用も介護にかかる費用も少なくて済むわけで、健康で過ごす時間、いわゆる健康寿命を長くすることが財政的な面でも社会システムの面からも非常にプラスになるんです」
問 いろんな事業を展開していますね…。「『豊齢学園』では、仙台市が進める豊齢都市づくりの中核になっていただく人材づくりをしています。今年で六年になりますが、卒業生たちの活躍が大分見られるようになりました。そよ風会、地域福祉研究会、銀の会、歩こう会など、いろんなものが出来てきている。
『健康教室』は年に四期のコースがあり、そこを出ると通年で三階のトレーニングルームで自分に合った健康づくりを継続してやるシステムになっています。エアロビックとかスイミングといった教室もあります。 さらに、相談事業、高齢者福祉関係の啓発事業、杜人などの季刊誌発行。介護機器を扱っている会社、ボランティア団体などの情報提供、各種調査などもしています。
また、この建物だけでは広がりに限界があるので、地域展開も進めています。町内会、老人クラブ、地区体協、市民センター、老人福祉センターと連携事業というのをやっているんです」
問 読者に何か訴えたいことがありましたら…。「シルバーセンターが六年間で利用者が百万人になったんです。増進センターが五年で三十五万人。福祉プラザが五十五万人。これくらい利用していただいているんですが、しかし来た方の感想というのは『こんなにいい施設がこんな近くにあったなんてわかんなかった…』という人が非常に多いんです。ぜひ一度、シルバーセンターに来てみて欲しい。月一回の休館日以外はいつでもいいんです。プールをのぞいてみたり、図書室もあるし、二階の相談コーナーでは何でも相談にのっています。ぜひ来てみて活用してほしい」
■問/シルバーセンター エ(215)3191
【橋本秀吉さんのプロフィール】
昭和9年12月11日生まれ《学歴》昭和33年、東北学院大学卒業《職歴》昭和33年4月、仙台市役所職員に採用される。平成3年4月、仙台市青葉区長。同5年11月、仙台市衛生局長。同7年3月、仙台市役所定年退職。同年4月、(財)仙台市健康福祉事業団理事長就任。現在に至る。趣味は読書。愛読書は歳時記や俳句の本。