鏡の中の君


「先生、また残業ですか? いい加減にしないと、体が持ちませんよ」

 声をかけてきた同僚に、わたしは笑顔で答えた。

「いえ、好きでやっているんですから、大丈夫ですよ」

 わたしは惑星ドランの工業大学に、助手として務めている科学者の卵だ。研究テーマは新理論に基づく映像通信技術だけど、講義そっちのけで没頭するものだから、学校の関係者からは煙たがられている。しかし、休講が多いため学生からは人気があるそうだ。

「実験の経費も馬鹿になりませんからね。いい加減にしてほしいものです」

「まあまあ、彼はエリートですから、我々とは考え方が根本から違うんですよ。脳細胞を殺さないように、お酒も煙草もやらないんだから。──僕たちはこれから飲みに行きますけど、先生は行きませんよね?」

 わたしが飲めないのを知っていて誘うのだ。これが嫌味でなくてなんだというのだろう。そんな同僚たちが帰った後、今日もわたしは研究室へとむかったのだ。

 

 わたし専用の実験室にはごちゃごちゃと機材が積まれ、とても居心地がいいといえる空間ではない。実際に使うのは部屋の奥のコンピューターだけで、室内に積まれているのはプリントアウトした紙の束と、実験に使ってそのまま片付けていない機材類だ。はっきりいってしまえば、どちらもいらないものである。

 いらないのなら捨てればいいと思うかもしれないが、わたしのような不精者にはなかなかそれができないのだ。ある程度たまったらまとめて捨てにいこうと思うのだが、そうこうしているうちにとても運びきれないほどの量になってしまう。──結局、運び出すこともできずに部屋の中に積まれていくのだった。

 一時は足の踏み場もなくなって、わたし自身もどうしていいかわからなくなったことがある。ところが、最近の研究室は常に整然と片付けられているのだ。──あの日、彼女が現れたからだ。

 

「まいったな……どうやって研究室に入ればいいんだ?」

 部屋の入り口からコンピューターのコンソールまで続く一直線の通路を残して、研究室の中には大量の機材と資料の山がそびえ立ち、ほこりをかぶっていた。その山がついに崩れて、唯一の通路を遮断してしまったのだ。部屋の中にいなかったのは不幸中の幸いだが、これでは仕事にならない。──コンピューターまでたどりつけないのだ。

「あらあら、ひどいありさまですね」

 ぼうぜんと立ち尽くしていたわたしに声をかけたのは、今年大学に入学したばかりの学生だった。地球出身の彼女は金髪に茶色の瞳を持つかわいらしい子だった。こんな工業大学には珍しいタイプだ。

「片付けるの、お手伝いしましょうか?」

 どうも女性が苦手なわたしが、彼女の笑顔に戸惑っていると、それがおもしろいのかさらさらの金髪をゆらして彼女は笑い出した。

「ほら、そんなところに立っていても、ガラクタはどいてくれませんよ。捨てちゃっていいものと、ダメなものを分類してください」

 彼女はそういって手近なところから片付け始めた。

「みんな捨てちゃっていいものだけど……。奥のコンピューターさえ使えればいいんだから」

「そうですか、それならわたしは書類を片付けますから、先生は重たい機械をお願いしますね」

「は、はい……」

 わたしはいわれるままに、実験用器材を片付けだした。片付けるといっても、どうしていいものかわからず、右から左へ、左から右へと動かしているだけだ。

「わたし先生のこと知っていますよ。ハイスクールの時、なにげなく読んでいた科学雑誌に先生の論文が載っていたんです。──たしか『鏡像による光学通信の可能性』とかいう……」

 散らばっている紙くずや書類をまとめながら、彼女はいった。

「ああ、あの論文か……あの論文のせいで、わたしはすっかり異端者扱いされたんだ」

「でも、研究は続けているんでしょ?」

 その通りだった。半ば意地になって、わたしは全く新しい理論の実現に向けて研究を続けているのだ。

「わたしがこの大学に入ったのは、先生がいたからなんですよ」

 わたしはなんていっていいか、どんな顔をすればいいのか、わからなかった。彼女の表情から察するに、よっぽどおかしな顔をしていたんだろう。

「先生の研究のお手伝いをさせてください。もちろん、まだ一年生ですから、たいしたことはできませんけど、それでもいいですか?」

「う、うん、いいけど……」

 なんだか無理やり押し切られたような気もするが、わたしはそういってしまった。

 この日から、彼女は毎日のようにわたしの研究室に訪れては掃除をしたり、研究の手伝いをしてくれるようになったのだ。

 

「──先生の理論は、二重フィルター式の鏡を使うことが前提になっているんですよね」

 研究の合間の休憩に、コーヒーカップを手にした彼女がいった。もちろん、コーヒーは彼女がいれたものだ。その味は、僕がいつも飲んでいる缶コーヒーとは比べものにならず、これだけでも彼女の存在がありがたかった。

「そうだよ。二重フィルター式の鏡では、フィルターのカメラ部とスクリーン部にわずかな隙間がある。そこに特殊なエネルギーのノイズが発生するんだ。それは機械が消去してしまうんだけど、それを取り出して加工すると映像通信のデータとして使用できるはずなんだ」

 二重フィルター式の鏡とは、カメラとスクリーンを兼ねた特殊なフィルターを持つ電気式の鏡のことだ。ガラスを使った単純な反射式と違い、左右が反転しないという利点を持つ。カメラとスクリーンが別々になっている映像式の鏡から発展したものだ。

「……もちろん、カメラから直接データをとってもいいんだけど」

 この理論の最大の弱点がまさにそれだった。そんな面倒臭いことをしなくても、すでに二重フィルター式の鏡を使った通信は行われている。そこにカメラとスクリーンがあるのだから、だれでも通信端末に使おうと考えるだろう。

「でも、これが実現できれば映像データを直接電波として飛ばせるんだ。変換に特殊な機械もいらないし、容量も多分かなり小さくてすむ。僕の計算では、従来の三分の一だ」

「コンピューターの通信に応用すれば、通信料金の節約になりますね」

「まあ、実務的なところはそっちの専門家に任せるとして、僕は理論を完成させればいいと思っているんだ」

「でも、どうしてこの理論を思いついたんです? なにかきっかけがあったんですか?」

「うん、あれは僕がまだジュニア・ハイのころだった……」

 僕はほとんど思い出となってしまった、過去の出来事を話しはじめた。

 

 僕が一四才の時だった。その日、僕は生まれて初めてのデートだったんだ。

 相手は同じクラスの女の子だったんだけど、前日の夜からドキドキして眠れなかったのを覚えている。当日の朝も五時に目が覚めてしまって、どうしていいものかわからなくて、結局二度寝して遅刻しそうになったんだ。

 待ち合わせに間に合わないと思って、朝食は食べなかったんだけど、似合いもしない一張羅のスーツはビシッと着込んで、父親の整髪料を勝手も使って、目一杯おしゃれして出掛けたんだった。

 僕の家にも二重フィルター式の鏡があったんだけど、出掛ける前にその鏡をふとのぞき込んだんだ。ちょっと壊れかけててね、スイッチを入れても画像が出なかったから、思いっきりたたいてみたんだ。

 そうしたら画像が出たんだけど、どうも調子が良くなかったんだよね。ノイズは出るし点滅するし……。

 それでもう一回たたいてみたんだ。そうしたら、どうなったと思う? なんと、女の子の姿が映ったんだ!

 ビックリしたよ。自分が見ているものが鏡だっていう思い込みがあったから、僕が女の子になったのかと思っちゃったよ。思わず自分の頬をつねって、確かめたぐらいだ。

 それが他の場所の映像だってことは、すぐにわかったんだけど、相手の女の子──僕より二、三才年下かな? 金髪の女の子だった──も最初はびっくりしたみたいだった。でも僕より早くなにが起きたかわかったみたいだったな。ちょっと首をかしげて、笑顔で僕に挨拶したんだ。音声はなかったけど、僕には彼女が「こんにちは」っていうのが聞こえたよ。

 すぐにその映像も消えちゃったんだけど、あれは確かにどこか別の場所の映像が映し出されたんだ。見覚えはなかったけど、近くに住んでいた子だと思うんだ。その子の見ていた鏡と、僕の見ていた鏡との間で、なぜかデータの通信が行われたんだ。混線といったほうがいいかもしれない。

 でも、混線するということは両方からなんらかの画像データが送信されて、それがもう片方に受信されたはずだ。それも相手の反応を見る限りでは双方向通信になっていた……。

 後にも先にもこんな話は聞かないし、メーカーでもそんなことはあり得ないといわれたさ。──でも僕は信じてる。絶対に二重フィルター式の鏡には、なんらかの通信手段が隠されているんだよ。

 彼女は僕の話をうつむいて聞いていた。ちょっと一方的にしゃべり過ぎたかと僕が反省していると、ゆっくりとした口調で彼女は口を開いた。

「……それで、そのデートはどうなったんですか?」

「それが……結局、大遅刻。待ち合わせ場所には、もういなかったよ。電話しても、すぐにきられちゃった。それっきり、ろくに口もきいてくれなかったよ」

「他の女の子に見とれているからですよ。──そんなにかわいい子だったんですか?」

「鏡に映った子かい? あの笑顔は忘れられないな。なんの手掛かりもないけど、もう一度会えるものなら会ってみたいよ。きっと美人になっていると思うな」

「その子は、こんな笑顔をしていませんでした?」

 彼女はちょっと首を傾けて、ほほ笑みを浮かべた。金髪がさらりと揺れて、僕はドキッとした。──でも、この笑顔は!

「そうです。わたしがきっと先生の見た女の子だと思いますよ。わたしが一〇才の時、同じ経験をしたんです。それで、先生の論文を見て、まさかと思ってこの大学に入学したんです」

「そんな……でも、まさか?」

 まるでとびっきりのカウンターパンチが飛んできたような気分で、僕はなにがなんだかわからなくなってしまった。

「わたしも最初は驚きましたよ。わたしとそんなに年が離れていないはずなのに、大学の先生になっているんだもの」

「十歳の時ってことは、僕と四つしか違わないの? でも今年大学に入ったんじゃ……」

「先生は飛び級で大学に入っているでしょ? しかも、大学入学から大学院卒業まで四年しかかかっていないじゃないですか。それに引き換え、わたしは一年浪人して、やっと大学に入ったんです。──ホントに頭のいい人は、どこか抜けてるんだから」

「そうか、自分の年齢を忘れていた……。ごめん、自分の学歴をひけらかすのが嫌なもんで、本当にわからなくなっていたんだよ」

 いいわけするつもりじゃないが、寿命も外見も全く違う他の星の人たちと一緒に仕事をするようになると、年齢という概念がどうでもいいように思えてくるのだ。僕は二三才で青年といえる年齢だが、アセミア人は八〇になっても青年のままだ。カミン人は老人といえる年齢になっても、外見は地球人の少年のようにしか見えない。そんな人たちとごく普通に接している今の時代には、年齢はそれほど重要な因子ではないのだ。

「最初に会ったときも、気づくだろうと思っていたのに……。やっぱり、頭のいい人はどこか抜けているんですね」

 そういわれれば、最初に会った時も彼女は例の笑顔を見せてくれたんだ。あの時に感じた奇妙な戸惑いは、彼女の笑顔に見覚えがあったからなのか……。

「いや、髪形が違うからわからないよ。あの時はおっきなお下げで……」

「もう二十になるのに、いつまでも子供みたいな格好はしていられません。それぐらいわかりそうなもんだけど」

 ちょっと口をとがらせて彼女はいった。

「でも、科学者の先生でも、機械の調子が悪い時はたたいて見るんですね。ひとつ勉強になりました」

「いや、当時は普通の学生で、科学者じゃないから……」

「でも、成績は良かったんでしょ? 飛び級なんて、そうそうできるものじゃありませんから」

「必死で勉強したんだよ。あの日、鏡の中の君を見てから……」

 自分の頬が赤くなっていることを、自分でも感じていた。

「そのう……もう一度、君に会えるんじゃないかって、そう思って……。だから通信工学専門の高校に入って、先生の推薦をもらってこの大学に編入してもらったんだ。それからも勉強を続けて、いつのまにか大学院も卒業していた。他にやることもないんで、教員としてこの大学に残ったんだ」

「やっぱり先生は頭がいいんですよ。わたしも同じものを見て、ずっと鏡のことは気になっていたんだけど、通信工学だとか光通信みたいなことは考えなかったんです。なんだか、おとぎ話の延長みたいなものに思えて……。それが先生の論文を見て、初めて科学的な根拠があったんだって知ったんですよ。わたしが通信の勉強を始めたのはそれからです。わたしは普通科の高校に通っていたので、ここの入試は大変でした。結局、一年浪人しちゃったから……」

 彼女はちょっと涙ぐんでいた。きっと僕もそうだっただろう。こういうのを感動の再会というんだと思う……。

 

「──君の家は僕と同じコンドミニアムにあったんだ」

「ええ、七階の712がそうでした」

「僕は812だ。そうか、真下だったんだ。でも、君みたいな子がいたなんて、全然知らなかったよ。同じ建物なんだから、一度ぐらい顔を合わせてもおかしくないのに……」

「わたしは全寮制の学校に通っていたんです。たまたま、あの日は家に帰っていたんですけど、翌日には学校に戻りました」

「僕はあのあと数カ月で、引っ越してしまったんだ」

「でも、場所が特定できただけでも、大きな発見なんですよね?」

 彼女のいうとおりだった。両側の端末がどのような状態にあったかわかれば、それを再現することができる。

「僕は今まで、電波による通信だとばかり思っていた。でも、同じ建物──それもごく近い場所だったということは、なにかを伝わって電気的な信号が流れたのかもしれない。これがわかっただけでも、大収穫だよ」

 さっそく僕はコンピューターでシミュレイトしてみた。

「やっぱりコンピューターでは、うまくいかないな」

 壁面や金属製の配管など、信号が流れそうなものを色々ためしてみた。しかし、どうしてもうまく流れないのだ。

「実物でやってみません?」

 彼女の意見をいれて、研究室に二台の鏡が置かれた。僕たちは毎日のように鏡とにらめっこをすることになったのだ。

 それを知った同僚たちは、ますます僕のことを変な目で見るようになったけど、かまうもんか。研究の結果がいよいよ出ようとしているんだ。結果さえ出れば、あいつらも文句はいえないんだから……。

「先生のこと、みんなナルシストって呼んでますよ。──毎日鏡ばかり見ているからですって」

 彼女からこれを聞かされた時は、ちょっとショックだった。学生たちからも変人扱いされ始めたのだ。

「早く結果を出して、見返してやりましょうよ」

 彼女はそういうが、実験は少し停滞気味だ。いろいろと試しているんだけど、どうしても映らない。ノイズ除去装置を取り外してみたり、ケーブルの素材を交換してみたり……。思いつくことは全部やってみたけど、やっぱりうまくいかない。予想外の因子がまだなにかあるのだろうか?

「少し気分を変えませんか? このあいだは先生の思い出話を聞かせてもらったので、今度はわたしの話をしますね」

 わたしは全寮制の学校に通っていた──っていいましたよね。しかも幼稚園からなんですよ。そのまんま高校までずーっと寮の中。たまには家に帰りますけど、家族だなんていう実感はなかった。だって、一年にほんの十日ぐらいしか会わないんですよ。そんなの家族だなんていえますか? 友達どころか学校の先生や、売店のおばさんたちのほうがよっぽど仲良かったし、お互いのことも良く知っていました。

 いつもパンを売っているおばさんの息子が勉強しなくて困っているとか、数学の先生の妹が先生より先に結婚しちゃってすっごく落ち込んでいたことも知っていました。でも、わたしの父や母のことはなにも知らないんですよ。

 そんな家に帰っても、楽しいことなんてなにもなかった。わたしがそんな気持ちだったからかもしれないけど、両親もわたしに対してよそよそしかったし……。

 だからあの日も、なにをするでもなく、客間──自分の部屋はありませんでしたから──でぼーっとしていたんです。両親は仕事で家にいなかったし……。そんな時に部屋の鏡の電源が、触ってもないのに突然入ったんです。

 最初はノイズだらけでなにも映っていなかったんですけど、わたしが不思議に思って鏡を見ていたら先生の顔が突然映ったんですよ!

 わたしには魔法かなにかのように思えました。きっと退屈しているわたしの心が、なにかを呼び出したんじゃないか──って思ったんです。

 それで鏡の中の先生に挨拶したんですけど……。先生は「こんにちは」っていう声が聞こえたっていいましたよね。でもわたしがいったのは「はじめまして」なんですよ。

 もしかして、夢を壊しちゃいましたか? でも夢を壊したのは先生のほうが先ですからね。鏡に映った人を、運命の王子様みたいにわたしは思っていたんです。それを科学的に立証しちゃったんだもの、これほど夢を壊すことはありませんよ。

 僕は黙って彼女の話を聞いていたが、その中に気になることがあった。

「ちょっと待って。──いま、なんていった?」

「えっ? 運命の王子様ですか?」

「違う、その前だ。勝手に電源が入った……。そういったよね?」

「ええ、そうです。わたしは全然触っていないのに、突然壁にかけてあった鏡の電源が入ったんです」

 それだ! ついに秘密がわかった!

「いいかい、勝手に電源が入ったということは、電流の流れがあったということだ。僕の見ていた鏡と君の見ていた鏡とは、電源を通じてつながっていたんだ! 多分、どこかで漏電していたか、ショートしたんだろう。そういえば、あのころ電気工事をしていたような気もするよ。──うん、間違いない。電気だったんだ!」

「もしかして、すごく大切なことだったんですか?」

「ああ、いままで最大の問題は、作成されたデータがうまく移動しなかったことだったんだ。でも、その問題がついに解決したんだ!それは電流に乗って流れていたんだよ!」

 コンピューターを使ってシミュレイトしてみた。──やっぱりそうだ! 電流に乗って映像データが流れて行く。そしてもう片方の端末に入って、映像データとしてふたたび再生される!

「やったじゃないですか!」

 彼女もコンピューターの画面をのぞき込んで、大よろこびしてくれた。

「ありがとう、君のおかげだよ。君がいなかったら、一〇〇年たってもこの理論は完成しなかったよ!」

 僕は思わず彼女の手を取って躍り上がっていた。あとは実際にやって見るだけだ。

「公開実験をしよう。みんなにこの結果を見せてやるんだ!」

 

 二日後、すべての準備を整えて、公開実験が行われた。

「いいですか、このふたつの二重フィルター式ミラーは、通信ケーブルでつながっています。ただし、以前から使われているような、カメラから直結されたものではありません。あくまでも鏡としての機能であるフィルターの映像を、加工せずにそのままお互いの端末に送る仕組みになっています」

 同僚たちは半信半疑でニヤニヤしながら見つめている。

「準備はいいかい?」

 僕は校庭で、彼女は研究室で、それぞれの端末の前にいる。

「こちらは準備OKです」

 音声通信はできないので、トランシーバーから返事が返ってきた。

「よし、電源を入れるぞ」

 電源は連動しているので、こちらだけスイッチを入れれば、むこうの端末にも電源が入る。

「電源、入りました」

 今のままでは両方ともただの鏡だ。両側の映像を交換することができれば、この実験は成功したことになる。

「よし、映像を送るぞ]

「こちらも送信します」

 両方の端末機で、同時にスイッチが入れられた。──だが、彼女の顔が映ることはなかったのだ。そこにはただ縦横に走るノイズがあるだけだった。

「おやおや、どうしたんですか?」

「なにも映りませんね? それとも、この端末の向こう側には、こんな風景があるんでしょうかね?」

 同僚たちはそんなことをいっているが、僕の耳には入ってこない。だって、こんなはずはないんだ! シミュレイションでは、確かに成功したんだ!

「ダメだ、映っていない! そっちはどうだ?」

「こちらもダメです。映りません!」

 やはりダメなのか? でも理論は間違っていないはずだ。コンピューターのシミュレイトでは成功したんだから……。

「そうだ! ……わたし思い出しました! あの時──一二年前に先生を見た時、わたしも鏡をたたいたんです! 画像がおかしかったから、思いっきりたたいたんです!」

 科学者としては、この意見に賛成しかねる。でも今は、そんなことをいっている場合じゃない!

「──せえの!」

 僕と彼女は同時に叫び、鏡を思いっきりたたいた。

 鏡像通信の実現のために欠けていたもうひとつの要素──それは振動だった。

 映像データが電流とともに他方の端末へ移動するには、単にその通り道を作ってやるだけでは駄目だったのだ。

 僕が映像データとして使おうとしたフィルターのノイズは、そのままではなにかに伝わるということがなかった。そのために他の電流に乗せてやることが必要だったのだが、その電流との接触が良くなかったのだろう。──まるでフィルター部に引っ掛かるようにして、映像を送り出すことができなかったのだ。

 そのために画面にはただノイズだけが走っていたのだが、僕たちが端末をたたいて振動を与えたので、ようやく電流に乗ってお互いの端末へと通信できたのだった。

 同僚たちは非論理的だとか、科学者としてあの行動は賛成しかねるとかいっているが、僕の研究成果は認めてくれたようだ。

 でも、僕にはそんなことはどうでもよかった。僕が望んでいたもの、一番見たかったものを、ついに見ることができたからだ。

 僕の目の前の端末機には、彼女の笑顔が──十年以上も前に見た、鏡の中の君の笑顔が映っていたのだから……。

 

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