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☆本日のsimon says 2009/12/3 ☆
いつの間にか季節は師走。申し遅れました。今年も隅田川馬石独演会を開催いたします!
昨年景気は底を打った、底を打ったといっていたにもかかわらず、二番底なんて言葉が飛び出す昨今。恒例の馬石独演会も、いつにもましてチケットの動きが鈍うございます。不況の波が、いよいよこんな末端にまで波及してきたかと、寒々しい思いを抱いておりますが、こんなときこそ大いに笑って気持ちを晴れ晴れとさせ、来年に向かって新たな闘志を燃やしていただきたいと思う所存でございます。
ここのところいわゆる落語ブームということで、馬石さんも大変チヤホヤされているわけでございまして、この12月13日の独演会も終了と共に新幹線に飛び乗り、浅草で寄席の夜の部に出演するという売れっ子ぶりでございます。そんな馬石師匠を目の前で見られるなんざあ、この独演会をおいて他にないと思います。たっぷり二席ご堪能ください。
今年は、前座に林家はな平さんがこれを務めます。彼は正蔵師匠の弟子でして師匠譲りの話芸が出るや否や。こちらもお楽しみに。
イロモノとしてこちらもおなじみ、猪俣淳行さんが巧みなトークを交えて多彩な津軽三味線を披露してくれます。
さあさあ、御用とお急ぎでないかたは12月13日、福島駅西口そば、コラッセふくしまに足をお運びください!
■■■■■■■■「隅田川馬石独演会 参ノ巻」■■■■■■■■
日時 2009年12月13日 午後1時半開場 午後2時開演 午後4時半終演予定
場所 福島駅西口そば コラッセふくしま 4F
出演 隅田川馬石 林家はな平 猪俣淳行(津軽三味線)
司会 吉川家じゅらく(隈井士門)
木戸銭 前売3000円 当日3500円 シニア(65歳以上)前・当2000円 高校生以下1500円
チケット取り扱い:県文化センター、他チラシ裏広告掲載店
お問い合わせ:アクターズリーグ バセキ事務局 e-mail:zxc05354@nifty.com
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☆simon says 2009/11/9 ☆
さて、11月5日、待望の0号試写開催しました!
集まったのは、地元サポートしてくださった方々、スタッフキャスト合わせて20名ほどの小規模なもの。
ところが!
夜中3時4時までかかっての作業だったので、音も大して出せず、ミキシングの大失態がありました。いざ上映がはじまり、物語の重要な後半部分になると、ずーっと不用意な雨の音、濁流の音が鳴りっぱなし!おいおい、誰がこんな風に入れろ言うたんや!実際のオペをしたカメラスタッフを叱責!いやでも、最後確認してもらいましたよね、…せ、せやな、確かに確認したな。俺もこっくりしてたな。
というわけで、大変申し訳ございませんでした。
しかしその後、すぐにダメだしアンドリミックス!いや、前半は地元の方に喜んでいただきました。こんな風景あったんだなあって。そしてサポーターズクラブ代表に、正直心配してましたが、安心しました、これ大々的に宣伝して試写やりましょう、と声援をもらいました。
まずはホッとしました。これから、さらに女優の再アフレコを東京まで撮りに行く予定です。しかし、出来は上々。
本上映をお楽しみに!
☆simon says 2009/9/15 ☆
ようやくこのコラムに加筆する余裕が生まれました。
まあ想像通りの超過密スケジュール、というか無茶苦茶なスケジュールで撮影を敢行しました。
とにかく8月22日土曜の朝から始まった撮影は、ほんの1時間少々の睡眠時間を除き、24日月曜の朝5時まで続きました。そして漸く3時間ほどまとまった睡眠時間を取った後、9時半から最後の撮影、鯖湖湯に浸かるというシーンでやっと終了しました。この鯖湖湯の撮影では、すでにカメラを回してたスタッフはおらず、チーフ助監がカメラを回していました。カメラマンは会社に行くため5時撮影終了とともに帰宅し、風呂に入って着替えてそのまま会社に出社したそうです。お疲れ様。
その後、本当に終わったという解放感に浸るより、疲れた〜、寝たい〜、のグダグダ感満載の私、ヒロイン、チーフ助監の三人が最後まで残り、11時頃、鯖湖湯前の温カフェで一息ついていると、朝日新聞の記者が取材に行きたいと連絡が。まあ、どおぞ、とそのまま待ち、来る総選挙について朝日に連載しているコラムに絡めて、このTOZNAの取材を受けました。いいタイミングでしたね。政治について話す余裕も出来たとこだったし。その数日後、見事政権交代が実現し、やっとカタルシスを感じることが出来ました。少しはまともな世の中になるはずです。
そして午後3時ごろ、敦子さんが中野不動尊に行きたいとの希望で、帰りのバスの時間も迫ってたけど、ちゃんと辿り着くから見て行こうとお誘いし、拝観。気に入っていただけたようでした。
で、ヒロインの敦子さんも帰ってしまったし、もう追加撮影は無理だよな、と言っていた所、すぐに敦子さんからメールが。「今週土曜日行ってもいいよ」…。ほんとに!?もううんざりだと思われたんじゃないかとヒヤヒヤしてたのに、ありがたい前向きな話。それでもって29、30は追加撮影になりました。今回は余裕さ、と思ったのも束の間、結局初日は翌日の5時まで。その朝の撮影は10時開始と少し楽なスケジュールでしたが、敦子さん曰く「また騙された」。
ごめんね〜。
今回の撮影の遅れは総じて照明の電源が原因でした。ジェネを焚くかどうか、いらないと判断した方法が実は使えなかった、など現場の仕切りが悪かった。しかし、無い知恵を絞って何とか乗り切りました。
その日は追撮が終わってから、今度は福島の桃を堪能していただきました。直販センターみたいなとこで一箱1000円なんていうのを買って、その場で包丁借りて剥いて食べました。東京じゃこんな乱暴に桃を食ったことないでしょ、との問いに、うん、桃って高価な果物で、ひとつ買ってそれを愛おしそうに食べるもんだと思ってた、と味もさることながら、価格に驚いていました。私も初め福島に来たときは、桃をこんな風に食べていいんだ、とびっくりした覚えがあります。
で、さらにその夜、チーフの俊君が東京に帰るというのでお別れ会をしている最中、おい、あのシーンとって無かったぞ、あのとき俺傘持ってなかった!など、さらに追撮が必要なことが発覚!お別れ会がいつの間にかスタッフミーティングに!
結局31日夜も飯坂に終結して新たに加わったスタッフ2名を含め5人でひっそり撮り損ねたシーンを撮影。皮肉にもこの最後の撮影が大雨(シュートのときは小雨)になりました。
最後まで付き合ってくれたスタッフのみなさん、撮影に協力してくれた前野屋旅館さん、ありがとうございました。
あれからまだ2週間しかたってませんが、季節もすっかり秋の気配を纏い、なんだか遠い夏の思い出のような気がします。でも、まだまだ編集作業は始まったばかり。
時折、制作日記に記憶の断片を書き込みたいと思います。
☆本日のsimon says 2009/7/25 ☆
そんなわけで、明日いよいよ東京ロケでクランクインです。
準備不足と貧乏が祟り、風邪を引いての強行スケジュールの毎日。しかし、おかげで風邪も抜けました。
明日は早朝出発、深夜帰りとこれまた強行です。でもここまで来たらやるしかないです。
先週末は福島は二本松で、「福島映画塾」なるものが3日間合宿形式で執り行われました。
朝から深夜まで、映画のことだけを考える大変贅沢な企画。
1日目からチーム分け、脚本作り、2日目にそれをすべて撮り切るという超絶ロケ、その晩から編集に突入、睡眠もそこそこに3日目を費やして5分程度のものを創り上げたそうです。ピンクでも斯くまで!というめちゃくちゃな日程です。
参加できた人は本当に貴重だったと思います。
私は、春色の瀬木監督に2日目のキャストを依頼されるも、生憎仕事が入っていて、午後3時からの見学と相成りました。
しかしその僅かな時間でも、つい数日前まで素人だったキャメラや助監、監督らがすごく板に付いるのが見て取れ、瀬木監督も「みんな動きや言うことがそれっぽくなって来た」と舌を巻いてました。傍から見たら、見た目まったくのプロでしたね。
完成作品は観てませんが、出来はともかく、二度とない貴重な時間が過ごせたことが、すごく羨ましかったです。
参加された塾長の前田プロデューサー、瀬木監督他講師の方々、そして今回私の「TOZNA」でもキャメラを回してくれるスタッフも含め30名近い参加者のみなさん、本当にお疲れ様でした。
☆simon says 2009/6/26 ☆
映画「TOZNA」のほうは、色々盛り上がってます。ただし、一番肝心なあたりがまだ固まってないので、最近プレッシャーが増して来ました!ただ、みなさんの熱い思いが伝わって、心強くもあります。
さて、今朝のニュースで、マイケルジャクソンが死亡したとの報がありました。
信じられない想いで一杯です。スリラーの頃は、正に青春を謳歌していたころでした。ディスコ行って、酒飲んで、知り合いの下宿に転がり込んで夜明けまでグダグダしゃべって。絵に描いたような青二才でした。だから、それほどマイケルのこと好きじゃなかったけど、なんか情報は入ってくる時代でした。幼児虐待事件が起こったり整形問題でマスコミを賑わせていましたが、とにかく金はあるんだと思ってましたから、こんなに早く死ぬなんて考えもしませんでした。あらゆる手を使って延命処置をすると思ってましたから。
今は、金が無きゃ生きて行けないと言われる世の中。でも、金があっても生きられない人もいる。この世の儚さを知らしめる出来事でした。
マイケル、寂しき偶像よ、さらば。
☆simon says 2009/5/27 ☆
ゴールデンウィークを首すくめてやり過ごしていたら、いつの間にか5月ごとやり過ごしてしまいました!
更新サボってすみません。
ええと、今この夏に撮影に入る(全くの自主です)準備をしています。例によって探しているのはヒロイン。
今回は地元の温泉街を舞台にした大人のファンタジー。
平たく言うと、千と千尋の実写版(?)といったところでしょうか。
ここにはほどよく寂れた旅館や路地が随所にあって、撮り様によっては、凄く幻想的な画になるんじゃないかと思っています。地元では来たばかりの時に1本ビデオ映画を撮っていますが、そのときは近未来サイバーパンクSFでした。まだ911なんてなかった21世紀成り立てのときに、グラウンドゼロを目指して旅をするサバイバーたちを描いたものでした。
あれから7年。こんどは不思議な大正ロマンを思わせる温泉街で、町をそのまま使って大人のファンタジーを作りたいと思います。
詳しい話はもう少ししたら。なお、キャストスタッフ大募集中!興味のある方は、アクターズリーグまでメールください。
zxc05354@nifty.com
お待ちしてまーす!
☆simon says 2009/4/27 ☆
そんなわけで、「春色のスープ」アニバーサリーフェスにだいぶ遅れて参加してきました。
今回はトークも何も見ることが出来なくて、ユニバーサルデザインの春色上映を前半遅れて観るに留まりました。
ユニバーサルデザインとは、視覚障害者の人も楽しめるよう、副音声をつけてのバージョンです。
これが意外といい。
シーン毎、説明して回るわけだから、上映中邪魔になるかと思いきや、うまーくセリフの合間に的確なナレーションが入るわけです。声のトーンも含め。驚きました。
通常のバージョンで、少し間があるかなという場面も、ナレーションが入ることによってより中身が濃くなる感じです。ナレーションを当ててくれているのは、声優ではなくUD専門のプロだそうで、ツボを心得ていらっしゃる。
監督、愛美ちゃん、栩原くんと半年振りくらいに再会出来、それは喜ばしかったのですが、その後の南会津に同行出来なくて、残念だったです。
ちょっと現場と確認が取れなかったことがありまして、それで行き違っちゃったんですけど、まあ、よくあること。
DVD発売の際は是非買って、最悪TSUTAYAでレンタルして観てくださいね。
さて、ウォッチメンのことを書く間がなくて、ちょっともったいないので少々。
とにかく、あのスケールのでかさとそれを映像化したイマジネーションは凄いの一言!
だって、メンバーの一人が、すでに超人なんですが、地球のことにはもう関心がないといって、火星に飛んでいくんですよ!その火星にはなぜかガラス細工みたいなディズニーにあるような巨大なオブジェが動いてて、地平線の彼方とか、風景がまるで見てきたみたいによく出来てる。
奇想天外なんだけど、人間の欲望の部分はヒーローと言えども持っていることを、理想化せずありのまま描いているのがヒットの一因では。
程よく濡れ場もあり、確かにR15なはずだ。
それでもディテールが作りこまれているから、ただのおちゃらけヒーロー戦隊ものなんかじゃなく、大人のストーリーでした。パラレルワールドですから、アニメで言うと人狼(押井守 作)のような手法ですね。アメリカがベトナム戦争に勝ち、ニクソンが退陣せず2期目を就任する、という、まったく架空のゴッサムシティではないところがミソでしょうか。
SFファンならずとも観ておいて損はない映画です。
グラン・トリノ観ました。
これは観終わってからジワジワきますね。
俳優を殆ど無名、新人で固めて、よりリアルなシーンを作り上げています。
頑固が高じて、遂には無作法な若造に銃を向けてしまうような年寄りを、クリント・イーストウッドが自分の生き様のように演じています。ダーティーハリーが歳をとるとこんな感じかっていう。
一見すると、ヴィム・ヴェンダースの「ランド・オブ・プレンティ」のような話しだけど、秀逸なのは、今のアメリカならどこにでも起こり得るシチュエイションで、しかもありがちな、ちくしょー気に入んねえ、ぶっ放してやる!っていうバイオレンスじゃないところがよりリアルさを増す。こういう狂気は、すぐお隣さんに宿っているものだ。
そして、ハリウッドが扱う中国人像としては、非常に珍しくデフォルメ無しのものだったからそれも好感が持てました。
余計な説明はせず、まさにやってみせる感じです。四の五の言うな、これを見ろってね。
それにしても、クリント、いい年を重ねています。こんなにタフに長生き出来るだろうか。
やっぱハリーだなあ。
☆simon says 2009/4/1 ☆
ちょっと前になりますが、「ベンジャミン・バトン」は凄かったですね。
監督があのデイビッド・フィンチャーだというんですからうなずけます。エイリアン3でエイリアンシリーズを偉大なるシリーズに決定付け、セブンで世にもおぞましい殺人方程式を描き、ファイトクラブで完全にぶっ飛んだフェチともいえる暴力の世界を作り出した、第二のキューブリックともいえる天才です。
この映画の凄いところは、人生には終りがあるということを初めから線を引いて、そこから逆算していくところです。80代の体つきで生まれ出てきたベンジャミンは、すでに人生の長さをおおよそ決められて生まれてきたといえるでしょう。無事に生きながらえても80以上にはならないわけです。なぜなら、ベンジャミンは年老いてヨボヨボになるのではなく、どんどん若返り、最後には赤ん坊になってしまうのですから。
しかし、この作品は良くできています。生まれたばかりの赤ん坊と、年老いて歩くこともままならない老人を同じ視線で捕らえ、この二つの世代を似た者同士として違和感なく共存させました。
考えてみれば、人間は生まれて成長しピークを迎えるとあとは退行していく。次第に走れなくなってきて、物忘れがひどくなり、言葉もだんだん不自由になって、最後には赤ん坊のように寝たきりになる。確かに老人とヨチヨチ歩きの幼児は、似ている。
そして、周りの知人はどんどん老けて行き、死んでいく。その点は、ベンジャミンは若返るのだから、病死という可能性は少なくなることになり、ここにもまるで不老不死になったときの悲しみと同じものが横たわる。自分だけが若返り、まわりの人が老けて死んでいくのをただ見守るだけ。
途中、ケイトブランシェットの若作り(肌はCG合成とみた!)、また後半のブラッドの少年に戻るあのメイクは凄いものがあります。ブラッドは本当に少年のようになりましたもんね。ケイトはちょっと無理があったけど。
そして、なにが泣けてくるかって、本来ならこれから生に向けて一気に花開かせるはずの子供、赤ん坊が死に向かって生きているという設定です。ブラッドから子役にバトンタッチしてからのエンディングは、本当に見事でした。施設に連れてこられたときは、見た目は少年なのに、症状は若年性認知症、やがてベンジャミンはどんどん言葉を忘れていき、歩くのもままならないようになり、最後は年老いたデイジーに赤ん坊として抱きかかえられながら息を引き取る。
この結末は、人生とはなんだろうって問いかけているように思えます。人が死ぬときは財産は墓の中に持っていけないんだよ、とはよく言いますが、赤子になって死んでいくその姿は、正に裸一貫で死んでいく、なにも持って墓には入れないことを象徴しているようでした。そして、持っていけるものは、その人の送ってきた人生を思い返してその死を悼んでくれる人々の思いだけ。
ひっそりと死を向かえるラストシーンは、この一見荒唐無稽なストーリーに途方もない真実味を与えると共に、人が生き、そして死んでいくことは、時間を止められないのと同じで誰も止められないものであり、時の前では誰もが赤子なのだということを教えてくれます。
そして、年齢の逆行というビジョンにより、今生きている我々に、いつまでも生きてられないんだよ、とその当たり前なことをグサリと突きつけられたような気がします。
誰しも、尋ねれば、いやあ明日死ぬかもしれないしね、とはいうでしょう。しかし殆どの人は、ま、実際には明日も朝電車に乗って出勤するんだよねえ、などと明日が来ることを疑ってはいないでしょう。そして、まだまだ長生きするよなあと、定年後のこととか年金のこととか色々考え、老後の心配をしているでしょう。
しかし、もしベンジャミンのような人生だったら、同じ人生のスパンでももう少し生き方が変わるのではないでしょうか。自分は83歳で死ぬんだ、そう初めから決まってたら、その密度も自ずと変わってくるでしょう。
自分のことに置き換えてみると、とてつもない孤独感に襲われます。
しかしそれが、真実なのです。そして、生きる密度を変えられる唯一の視点でもあるのです。
宗教の教えなどなにも絡んでないのに、世の無常を説く釈迦の説法を聞いているようでした。
なにより、生後何ヶ月という赤ん坊の姿になって息を引き取っていくベンジャミンの姿は、私に多くのことを語りかけ、他のどのような死より切ないものとして記憶されました。
☆simon says 2009/3/12 ☆
「おくりびと」を観ました。
死者を生前と同様に扱い、尊厳を持たせてあの世へ送る儀式は、欧米では目にすることの無い、とてもユニークな光景だったのでしょう。故に、アカデミー賞にまで上り詰めたのかと。
随所にユーモアがちりばめられ、時代劇ではない、東京ではない今の地方の日本を知るのに良い題材となったことでしょう。
正直、この手の映画がかつてなかったかと言えば、そうでもないと思うのですが、劇中”死人で食ってんだろ!”というセリフで気が付く、人の死を商売にしている職業があって、それは宗教とは距離を隔した、それでいて誰にも訪れる死を丁寧に扱う世界を描いたことで、万国共通の共感を生み出したのではないでしょうか。
唸った点は、山崎努、余貴美子の堂に入った演技。そして山形のローカルな風景。
山崎努はやはり重鎮だけあって凄い迫力でした。そして動作が絶妙なところに収まってる。余貴美子もメチャお茶目なオバハンを演じ切り観客の関心を飽きさせることなくグイグイ引っ張りました。そしてロケハンには時間を掛けたんだろうなあと思わせるロケ地。金の無い現場だったろうに、非常に吟味された風景でした。
いただけないのは広末の芝居。最初に登場したシーンで、あのだらしないしゃべりに唖然としました。あれがいいと思ってやっているのが丸わかりで、トレンディードラマは当の昔に終わってるのに、未だにこんなことやってるのかと驚き、呆れました。
それと所々"?"と思う場面が。
1700万のチェロ?相談するしないの前に保証人とか要らないの?広末の「さわらないで!汚らわしい!」と本木の仕事を知った時の反応。ラストですでに遺体となった峰岸徹がなぜか昔川原で拾った小石を握り締めていた件。それから、広末が妊娠するために伏線を張った台所での濡れ場のシーン。
どれも力業で、そこに至る流れが不自然だった気がします。納棺夫をしているからって、触らないで!って叫ぶ?今まで、アッパラパーな感じで、私わかんなーいって感じで来た広末が、なんであそこだけまともな人格ぶるの?父ちゃんが、昔交わした石文の石を、死の淵でわざわざ握って横たわる?そこまで思ってるなら、本木が叫んだように、なんで会いに来ないんだ、子供を捨てた親ってのはみんなそんな風なのか、だとしたら勝手すぎるよ!ということで、あそこで石を持っていることは予見できたし、持っていること自体少々強引かと。まあ、生まれ出ずる命にリレーしたと読ませるために必要なシーンだったのでしょうが。
そして不思議なのは、腐乱死体を間近に見たりして落ち込んでるときに欲情するかね。いくら妊娠が必要だったとしても。もう少しきっかけを作りこんで欲しかった。
もうひとつ言うと、東京の自宅での広末の本棚。WEBデザイナーならもっとその系統の雑誌や書籍がびっしりならんでるもんや。ところが並んでいたのは、哲学書や小説のような明らかに文系のそれ。滝田監督ちょっとリサーチし忘れたんと違う?
それはないやろ〜というセリフやアクションがちょっとありましたね。
泣けるようには出来てます。
私はむしろ、予算が無い現場でよくあそこまで仕切ったなと。納棺の様式美は、本木君がよく習得したなと感心しました。もちろん、チェロも。
ただ、みんな尻馬に乗りすぎなんじゃないかと思いますね。
観たくない映画ダントツ1位だったらしいですから、公開前は。マスコミだってアカデミー受賞ってなったらいきなり特集組むしね。それまでヤッターマンが凄い!って騒いでたのに。
きっかけがどうあれ、アカデミー効果で未だに観客動員がトップクラスというのは素晴らしいことです。恐らく、受賞はもちろん、動員記録も日本映画史上初の事態でしょう。
これが元で、良質の邦画がもう少し出てくるとよいのですが。
☆simon says 2009/3/4 ☆
おくりびと、凄いことになってますね。
アカデミー賞を取ったということで、上映中の館はもちろん、アンコール上映で再上映されている館も連日大入り満員だとか。山形の美しい風景と相まって、世界の共感を得ることが出来た作品になりました。
かく言う私もまだ見てないですが。
なんでも、上映前は見たい映画ランキング最下位あたりだったというから、ちょっとこの豹変ぶりもどうかと思うのですが。
それより、ここ1年の映画界、ピンク出身の監督が大活躍しているのが凄いと思います。
若松孝二監督「実録連合赤軍 あさま山荘への道程」を始め、瀬々敬久監督「感染列島」、そしてこの滝田洋二郎監督「おくりびと」。
ピンク映画という、1本30万の予算、4日間の撮影日数という限りなく切り詰められた条件の中で、彼らは自分の中で各々のビジョンをじっくりと煮込んでそのときを待っていたのでしょう。
さて、オスカーを取った滝田監督も凄いけど、やっぱり反権力を貫いた若松監督の連赤が、ベルリンはもとより、この日本国内で毎日映画コンクール監督賞を取ったというのは、ひとつの事件といってもいいかもしれない。なぜなら、この映画は反権力の視点から描かれているからだ。
若松監督が、映画「突入せよ!あさま山荘事件」を見て、こんな権力側からの一方的な映画を作られて猛烈に腹が立った、とトークショウで息巻いた。ヨーロッパはもちろん、あのアメリカでさえも自国の恥、権力の横暴を暴く映画が数多く作られ、国内外で多大な評価を得ているにも拘らず、日本では行儀よろしく、国家に刃向うような映画はおおっぴらにすることを憚られる、または制作側がおおっぴらにしない風潮があるが(「YASUKUNI 靖国」がいい例)、そんな中、毎日もよく連赤に賞を送ったと喝采したい。
そんなところからふと連想したこと。
連赤も元々は「チェ」のような正義感から立ち上がった若者なのだろうが、方法論が大きく歪んでしまった。チェを観ていても、どこかで公の正義感と個々人の幸せとの整合性が崩れるかと思ったが、チェは本当に、死んでもその信念は譲らなかった。そして実際に殺された。
ここに真の同志愛、万民幸福思想を見るのだが、連赤の場合、まさにラストシーンで未成年の闘士がこぼした、勇気が足りなかった、が故に誰の共感も得られぬまま敗北してしまった。同志で殺し合うという、醜い権力闘争に明け暮れてしまったのだ。
チェ・ゲバラが本物の革命家だったと思わせる映画を観た。
「きけ、わだつみのこえ」
この映画は戦後間もない1950年に作られた映画だが、とにかく国家という存在のいやらしさがむき出しで描かれていた。南方戦線では、殆どの兵士が飢えとマラリヤで苦しめられ、戦闘より生きていくための生存競争が熾烈だった。それこそ、大岡昇平「野火」に描かれているような、人肉をも喰らわねば生きていけなかった状況だ。
場面はある部隊でのこと。足を失ったり、熱病に侵されたりした病傷兵を抱えるなか、今日の食い物さえ何もないような有様なのに、隊長の鎮座するテントには、でっぷりと太った隊長がごろりと横になって、常に乾パンだかなんかをボリボリ貪っている様子が描かれている。
中盤、空腹に耐えかねた部下が、隊長の馬を屠殺して仲間で平らげるも、それがばれて、危険分子と目をつけられていた、学徒動員でやってきたインテリ兵士を、この件にかこつけて隊長補佐がジャングルの隅で背後から殺してしまうというシーン。
戦況が悪化して営舎を離れるとき、病やケガで動けないものはここに残れと、手榴弾を配っていくシーン。
これが戦争という構造を如実に示している。
上に居るものがなんでも絶対、逆らうものは味方でも殺す。同志愛の欠片も無く、不利となれば仲間を見捨てて自分だけ助かろうとする醜さ。
下の日記にあるように、「例え君が行方不明になっても、我々は見つかるまで君を捜索するだろう」と、捜索に異を唱える部下を窘めるという、チェで観たシーンとどれほどかけ離れていることか。軍隊には尊敬も愛もこれっぽっちもなく、上の者が生き延びるために下の者は死ね、という掟だけがある。
だから、戦争はどんな理由があろうとしてはならないのだ。
酷い目に遭うのは、いつも女、子供、病人といった弱者だ。
チェの思想、行動をより鮮明にしてくれた1本だった。
蛇足ではあるが、「わだつみ」のラストで、私の出演作「追悼のざわめき」を彷彿とさせる瞬間があった。ラストで兵士が戦場で泥まみれになってのたうち回り呻く場面、戦闘が終わって死者から亡霊が立ち上がってこちらに歩いて来る場面が、「追悼」で、死んだ妹を埋葬するときの真一(私)の表情、夏子が廃ビルで幽体離脱するシーンにダブった。
松井監督が意識していたかは定かでないが、私にはこのラストシーンで、突然「追悼」が頭の中に降って沸いた。
それはどちらも、死にいく者とそれを悲しむ者の慟哭が刻まれていたからだろうか。
☆simon says 2009/2/9 ☆
先日、「チェ」2部作見終えました。
凄いですね。チェ・ゲバラという人物が現在でも世界中のヒーローアイコンになっている訳が良くわかります。そして、戦争と、革命における武装闘争との決定的な違いが、この映画には描かれています。
戦争は誰が死のうとお構いなし。自軍が勝利するためには自国民の食料、財産、生命をも奪い、「国のため」という曖昧な言葉でごまかされ続け、しかもそれで良しとされる世界。
しかし、革命は闘っている者のみならず、それに協力する者しない者すべての人の幸せのために闘う。だから、食料を調達するときも農民にきちんと代金を支払い、敵を拿捕しても、君たちは今の生活に不満は無いのか、我々と共に闘わないかと説得し、賛同しない者も解放する。行方不明の仲間があれば、見つかるまで捜索する。たとえ、それが任務を遂行する上で足かせとなる場合でも。これ以上探すのは無駄だ、時間も食料も無くなる、と訴える兵士に、探すんだ、例え君がいなくなったとしても、我々は君を探し続ける、と言う上官。
戦場の軍隊なら、絶対に言わない言葉でしょう。
なんのために闘っているのか常に自覚し、同志をリスペクトし合う。そして、ゲバラが言うように、革命に一番必要なものを一部ではなく全員が知っている。
それは「愛」です。
「なまっちょろいようだが、革命に一番必要なものは愛だ」と。
だから苦しくとも、長い闘いをものともせず貫徹出来るのです。そして強制ではなく、志で人や物や金が集まってくる。かつてのベトナムがそうであり、今のアフガニスタンやパレスチナの戦いが、なぜいつまでも終息しないのかという理由でもあるでしょう。
テロリストを賛美するつもりは毛頭ありません。しかし、アメリカやイスラエルが物量で躍起になって潰そうとしても、生活苦から軍隊に入り、上官の命令だけで戦地に赴いたティーネイジャーの軍隊より、自ら志願して何のために闘うかをはっきり自覚した国民のほうが上をいくのだという証ではないでしょうか。
革命には武装闘争が必要である。
ゲバラはそう説いています。それは、ゲバラが言うととても説得力があります。なぜなら、彼の闘いには、根底に「愛」がしっかりと根づいているからです。
映画終盤、彼の情熱とは裏腹に圧倒的不利な状況に追い込まれ、最後まで仲間を助けるため闘い、拿捕されます。そして、あっけないほど、権力に命を奪われます。
そのあっけないエンディングが、逆に強烈で、無音のエンドロールに席を立つことが出来ませんでした。ゲバラの無念が、なんでもない私に土砂降りのように降りかかってきました。
今、我々が失っているのは、みんなが幸せになる、という思いと、それを貫く「愛」なんだと思い知らされました。
善人ほど早死にする、とはよく言ったものです。
でも、あなたの志は、世界中に広まっています。
チェ、偉大なる隣人よ。永久に。
☆simon says 2009/1/24 ☆
遅くなりましたが、寺山祭、さびしきかもめ、の報告です。
この会は、2部構成で1部は市民が参加してひとつの寺山ワールドを創るというもの。ここに、OLや学生、定年を迎えた年輩の方と様々な年齢層からなるメンバーが参加し、演劇は未経験な人ばかりが懸命にひとつの舞台を創って行きました。
高校生はもちろん、30代、40代、50代の誰もが殆ど知らない、名前くらいは聞いたことある、程度の寺山の周知度でしたが、みんな初めて触れる寺山の世界に、おっかなびっくりから、次第に驚嘆へと変わっていくのがわかりました。私もほんとにその歴史の尻尾くらいしか生で見ていませんが、今まで知らなかったという反応に驚きを感じると共に、あれから随分時が経ったのだなあ、とも感じました。
私の世代以前の演劇人は、ドロドロが当たり前だったけど、今回の演出も実にさわやかな構成劇的な、今っぽいものになってて、へえ、寺山をこんな風にやるんだ、と逆に新鮮な感じでした。演出を担当したいしいみちこさんは、現いわき総合高校の演劇専攻の教員で、維新派が大好きだといってました。うん、たぶんに維新派的なところがあり、私はすごく懐かしい感じでしたね。
意味とか情念とかを脱ぎ去って、言葉を音、記号、として捉えなおし、そこから今度は観客が想像を膨らませる、その材料をつくり晒し出すという作業。そこに、舞踏家、福士正一さんのアングラ的哀愁を背負った姿が我ら読み手間を行き来する。インプロで石塚さん、永畑さんのドラム、ピアノが、ツボを押さえた音色と音数で、一音一音深く染み渡ってくる。
私もちょっと油断してましたが、やってることはプロの劇団並みのことでした。逆に何の気なしにひょいと参加した方は大変だったろうなあと思います。しかし、みんな良く着いて来ましたよ。凄いと思う。だって、普段は仕事や学業がある人が殆どだから、私みたいにどっぷり稽古する時間がある人間なんていないわけですから。
その後の2部も、絶叫歌人、福島泰樹さんの正にドロドロなアンダーグラウンドから噴出するような唸り声も凄かった。そこに、元頭脳警察、石塚さんの贅肉を削ぎ落としたドラム、瞬時に場面を音に変えていく永畑さんのピアノ、そして寺山の情念が乗り移ったがごとくの福士さんの舞。
(上段真ん中、福島さん、右端、新妻さん、左から4人目、私)
(下段左から二人目、石塚さん、三人目、福士さん、五人目、永畑さん)
こんな人たちと同じ舞台を踏めるのは、私でも二度とないかも知れません。
これをサラリと企画して実行した新妻さんもタダ者じゃない。
彼は、こんなことを53回もやっているんですから。
しかも教員として仕事をしながら。
素晴らしい機会を与えていただきました。
みなさん、ありがとうございました。
私もいつか、あの人と共演したんだ、と言われる役者になるよう頑張ります。
☆simon says 2009/1/11 ☆
現在、寺山修司の短歌朗読会の稽古をしています。
ひょんなことから朗読会参加者募集の記事を見て参加しました。
主催は、今まで50回以上もアバンギャルドな活動をしてきた「縄文魂(ソウル)」。
主宰の新妻好正さんは元高校教師。他県から福島県いわき市に教師としてやってきましたが、この街にはなにか足りない、何かを仕出かしたい、という情熱から津軽の文化、津軽の縄文魂を津軽三味線、詩人などのコラボレーションで蘇らせることを図り始め、ついには寺山さんに行きついたそうです。過去何十年と創造現場「風の祭り」を創り続け、昨夏は夫人の九条今日子さんや元天井桟敷の森崎偏陸さんらが参加しました。
今回はいわきを中心とした市民集団「寺山ワールドを創る会」による短歌の朗読劇を繰り広げ、そのバックでかのPANTA頭脳警察のドラマー石塚俊明さん、舞踏家の福士正一さんが即興パフォーマンスを繰り広げる一大実験空間が生み出されます。
演劇をしたことなんか一回もない、という方を含め、ほとんど未経験者で構成されるカンパニーが、物怖じしない新鮮な感性でプロのミュージシャンらに激突します!凄いことになりそうです。
続く短歌絶叫コンサートは絶叫歌人、福島泰樹さんも加わり、その肉体ごと寺山修司にならんと高らかに寺山短歌を謳い上げます。
私の初出演作である映画「追悼のざわめき」を撮った松井良彦監督は、昔から寺山さんを敬愛していて、元々寺山さんも「追悼」に出演される予定だったことを聞いていた私としては、フィルムでは共に収まることはなかったですが、ここで漸く“共演”させて頂くような気持ちです。ありがたいことです。
私も久しぶりに他者の演出家による稽古を重ね、脂汗を流す日々を過ごしています。どこで何をやっても勉強です。門前の小僧となりて、もらえるものはすべて吸収しようと稽古してます。やはりひとつの舞台を作り上げる作業って、プロもアマも関係ないですね。出来ることを限界まで遣り尽くしたとき、そこには小さくても煌く炎が灯されます。
あと一週間です。
どうぞご来場下さい。
第53回風の祭り
《寺山修司 さびしきかもめ》
時:1月17日土曜日 夜6時開演
ところ:いわき市内郷コミュニティーセンター
0246-26-2271
木戸銭:前売り 3500円
当日 3800円
中高生 1500円
チケット問い合わせ 縄文魂:0246-28-1086
☆simon says 2009/1/4 ☆
2009年 明けましておめでとうございます!
遂に始まりました2009年。さあ、今年はどんな年になるのでしょうか。昨年は、春色でなんとか面目を保った感がありますが、もっともっと進まなきゃ話にならねえ!と覚悟を決め邁進して参ります。
見渡してみれば政治はますます混沌の極み。まともにはたらいている人たちがバカを見るような社会制度は根本から壊さなければ直りません。議会政治を維持するつもりなら、まずは自民政治を終わらせなければ始まらない。ジタバタしたって選挙はやらなきゃならないんだから、そのときが自民の息の根が止まる時でしょう。ここまで銭吸い取られて、まだ自民が何とかしてくれるなんて私ら庶民の間じゃ誰が信じますかって。
昨日だか、立川談志の特集やってたけど、やっぱ凄いね。芸の道とはああいうもんだね。妥協は許さねえ、だが正解なんてどこにもねえんだっていう、やりたいようにやりやがれ、やってみろっていう活きの良さ、そして真剣味。これが今の世の中、何処を見ても足りねえんじゃあねえかと、感じた次第でございましてね。
談志師匠も言ってたけど、新聞テレビってのはますます信用できなくなった。だから、師匠の言うとおり、1次資料としての新聞TVはいいにしてもそこから自分で見解を組み立てなきゃ操り人形の出来損ないに過ぎないわけでね。
今年こそ、何処の誰だかわかんねえような奴らに操られないように、しっかりと自分の目で見て自分の耳で聞いて、自分のベロで味わって考えて行きてえなあと感じた正月でございます。
今年もよろしくお願いします。
これより古い☆本日のsimon says☆ログ
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