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「シングル問題」って何のこと?
私的シングル問題へのアプローチ 私はいわゆる「シングル」。 世の中では「シングル」でいることが、カワイソウ、ガマンが足りない、勝手気ままなど、あまりいい評価を受けていない。逆にいえば、シングルでない=結婚していることが当たり前で一人前とみなされている。 私は「シングル」。自分なりに、仕事をし、子を育て、地域の奉仕活動にも参加している。私の周りにいるシングルたちも、みんなそう。十分すぎるほど「一人前」の生活をしているのに、なぜネガティブな評価をされるのだろうか?対して、「標準」といわれる家族にあっては、これらの仕事を家族で役割分担してやっている。それはフツーに「一人前」。 誤解してほしくないのは、「標準家族」そのものと敵対しようというのではない。 これまでは、誰にとっても「標準家庭」をつくることがあたりまえだった意識や社会制度があった。一定のレールを走るように、学校へ行って、就職して、適齢期で結婚して、子どもを持って・・・。私たちはレールの上を走ってきた。 その結果である「今」を問題にしたい。 離婚、家庭内暴力、育児放棄、数え上げればきりがないが、「一人前」で間違いのなかった家族機能が苦悩し、崩壊している。こうやって家族制度の外に出ざるをえない人がどんどん増えているにもかかわらず、「人生の仕切りなおし」は簡単だろうか。今のままでは苦しいから、と別の道を選ぶ条件がそこにはあるだろうか。(熟年離婚なんて長年どんな悲しみや苦しみが積み上げられた結果なんだろう) 私たちが走ってきたレールは、ある意味、走る人の役割をも決めていた。家族を持ったら男は外で働き、女性は家事・育児・地域を支える。それ以外の関係は想定されていない。この役割分担が完全に夫と妻が逆だったら、一部入れ替えをしてみたら・・そんな多様なありかたが、今の社会では可能だろうか。 戻って、シングルのほうはどうか。 雑多な仕事や家事育児から、喜び、悲しみ、絶望、・・すべてを一人で引き受けながら、それに振り回されて毎日が終わる。私が倒れたら明日の保障はない。体が資本だ。仕事は「子どもがいるから半人前」「子どもがいて急に休むから信用できない」で肩身が狭い。でも仕事があるだけいい。パートを掛け持ちしてしのぐ者もいる。誰かと話す時間もない。おまけに周囲の無理解。頼れるのは自分だけ。自由なんてどこにもない。食事の準備が面倒なときには外食をしたり、夫のパンツを洗ったり、食事を作ったりしなくてもいい「自由」。ランチも旅行も恋愛もしたいけど、そんな条件はない。毎日毎日、小さなハコのなかで子どもと小さく暮らしている。 こう考えてみると、シングルと結婚、どっちも問題がありそうだ。でも、今の社会はまだまだ結婚していることを前提に諸制度がつくられているし、圧倒的多数は当たり前のようにそういう生活を選んでいる(それしか選びようがないようになっている。制度による後ろ盾がないシングルなんて、よほどのことがないかぎり選べないのが現実だと思う)。「ライフスタイルの問題だから、どっちを選んでもいいんじゃない?」なんて主張は現状認識がまったくなっていない。シングルを選べない社会システムになっているのだ。だからシングルでいることはしんどいし、不安定な状況におかれる。 そう思っても、それでもシングルは一人前である。これは一つの生き方である。自分の意志で生きたい(誰かと役割分担して暮らすことを選ばない)誇りある生き方である。カワイソウでも自分勝手でもない。生き辛さもギリギリまで受けて立とう。 ところで、シングルで生きることがもう少し楽だったらどうだろう。結婚することも楽になる。だって、うまくいかなければシングルになればいいのだ(簡単ではないけど)。結婚の持つ重みが違ってくるかもしれない。相手に対する条件を吟味するのではなく、純粋に「一緒にいたい」という気持ちだけでともに暮らすことを選べるようになるのではないかな。 まあまあ、こんな感じで、これを前提として具体的に、シングル、家族、結婚、離婚等々について考え、より自由に生きられる可能性を追求していこうよ、というのがシングルの会がめざしているところ。シングル問題は、シングルペアレントに特有の問題ではなく、およそ今の社会に生きる人が、いかに自分の人生の選択の幅(自由度)を広げられるかという問題だと思っている。 シングル問題 シングルを取り巻く社会制度結婚・家族問題 シングルと子ども シングルと仕事 シングル恋愛事情 |