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** シングルのつぶやき[雑記帳] ** 2001.8.7 冷たい心
人との会話でどきっと心が凍りつくことがある。先日、共通の知り合いの子どもの話になったとき、「あそこの家の子どもはマナーがなっていない」と話の相手は声を荒げた。子どもの親はシングルマザー。私がシングルマザーとしての悩みを話せる数少ない相手。子どもは茶目っ気のある、甘えんぼさん。その子がそんな風に思われているなんて、と驚きながらも、ある言葉が出てこないことを心の中で祈っていた。「ま、母子家庭だからな」。私は言葉を失った。 母子家庭だから、か。私の子どもが悪さをしたら、きっとそう言われるのだろう。もう言われているのかもしれない。たしかに母子家庭の親は忙しい。多少子どもとの時間を犠牲にしてもギリギリまで働かなければ、子どもとの生活が成り立たない事情がある。子どもたちはそういう親を見て、何を感じているだろうか。私が知る限り、その子は休日疲れて横になっているお母さんを気遣って、お母さんにアレコレと要求しないで、一人でフラフラ遊んでいるような、優しい子である。懸命に働く母とそれを気遣う子どもたち。一方で、同じ時間に他の子は家族でレジャーを楽しんでいる。(休日になると、いつもの遊び相手が家族とともにいなくなるから、一人になってしまうことが多い) 母子家庭のこと、偏見ではなく、実態を見てほしい。自分と子どもたちの幸せのために、一生懸命生きている。人を押しのけて金儲けするためではなく、ささやかな幸せのために働いている。誰も好き好んで大事なものを犠牲にして働いているわけじゃない。じゃ、もう少し余裕ある働き方はさせてもらえるのか。何も難しいこと要求しているんじゃない。大の大人一人が働き、生活し、子どももちゃんと育てられる環境をつくってほしい。よく目を開けてみて。家の中に、働く夫がいて、補助的に働きながら家事全般を担う妻がいる。夫が自分の生活(食事、洗濯、子育て、等々)をしないでその分仕事ができるのは、そうやって必要な部分をやってくれる人がいるから。妻が低賃金でも生活できるのは、夫が生活に縛られない分仕事をして稼いでくるから。・・・どれかが欠けると生活の安定はどこかに吹き飛んでしまう。夫婦の気持ちが離れて憎しみ合うまでいっても、離れられない人たちをどれだけ見てきただろう、今もどれだけいることだろう。 でも、自分の気持ちと向き合って、危なっかしくガタガタ道を切り開いていくことを選んだのがシングル。シングルでの子育てって、だからとても大変。 母子家庭も、「頑張っている家庭」と見てくれないかな。そんな時代はいつかくる。誰もが自分の意志で自分の道を選択できるような社会になれば。 2001.8.1 吉野家の牛丼 職場の友人が吉野家の牛丼が安い、と話してくれた。金額は忘れたが、「え?!」というくらいの安さだった。笑われるかもしれないけど、海育ちの身にとっては牛肉なんて未だに「ご馳走」。そのごちそうが、そんな簡単に手の届くところにあるなんて。「じゃ、今晩は吉野家の牛丼かな」。牛丼の味が口に染みてくるようだ。少し濃い目の甘辛い味を娘はたぶん歓迎してくれるだろう。私も暑くてぐっすりと眠れない日が続いているので、家事は最小限にして休みたい。 帰宅して私は冷凍庫に眠っている牛のバラ肉を取り出した。レンジで急いで解凍しようとしたものだから、肉の外側の色が変わってしまっていた。それを強引にナベに入れる。 ひどくまずい牛丼のできあがり。世間様から「手を抜いている母親」と思われたくないために、買いに行くことができなかった私。いや、「手を抜かない=母の愛情」という、どこかでまだ自分自身が引きずっている意識がそうさせたのだと思う。 結局、娘はまずいといって食べてくれなかった。私は体の重さに耐えながら、自分の食器を洗った。ばかだなあ。何に自分を縛り付けているのだろう。せめて内面だけは自由でいたいのに。 2001.7.5 「骨太」な方針 小泉内閣の骨太改革が大発表された。その中でのコメントが気に障った。今更、「夫一人に頼るような家族ではだめだ、専業主婦も働きに出ろ」だと。子育てのたいへんな時期を終えて外に働きに出る女性が、一家を支えられるような仕事を得られるか。子育てと労働の両立の条件をつくらないまま放置してきたくせに、何と無責任な、と思った。女性はいつも体のいい、安い労働力として利用されてきた。男性の大サービス残業を支える役割を与えられてきた。役割を果たせる範囲内での労働しか認めない社会。それが嫌なら、男性と肩を張って、仕事一筋になってボロボロになるまで働くか。引けないカードを目の前に並べられて、「どれを選ぶかは自由、あなたの責任において」。改革の目的は女性の、人一人としての自立なんかじゃなくて、もっともっと安い労働力がほしいか、または夫の失業を家族にカバーさせて、ぎりぎりまで政治は責任を持たなくてもいいようにしようというのだろう。 女性も男性も、自立して暮らせる社会に向かって、少しは進歩しているのか、いないのか。どこに向かおうとしているのか。何かに翻弄されながらも、わたしはそれを必死になって探ることで少しは踏みとどまれる気がして、今夜も眠い目をこすって本を貪り読む・・・? 2001.6.10
子どもは社会で育つ |