『あの小さな場所』
そこは小さな小さな場所でした。
やっと一人で座れるような、小さな場所でした。
・・・今思えば本当に懐かしいかぎりです。
たった一つだけ、何か自分だけの物。
そんな物が欲しかったのです。
少しくもったビー玉、ぼろぼろのぬいぐるみ、表紙の取れた本・・・。
なんでも良かったのです。
その小さな場所を見つけたのは全くの偶然でした。
たしか・・・お使いを頼まれての帰り道。
いつも通らない道を通ってみようかな・・・。
まっすぐ行けば近道なのに、ふと、その曲がり角を曲がってみたのです。
いわゆる住宅地だったので、その曲がり角を曲がったとしても見慣れた風景が広がっているはずでした。
一ブロックいくら、で売っているところでしたから。
でも。
家を建てる前の空地。ただの雑草だらけの荒地のはずなのに。
椅子が一つだけ、ぽつん、と置いてあったのです。前に通りかかった時はなかったのか、気がつかなかったのか・・・。
よく見るパイプ椅子でした。それほど汚れていなかったのを覚えています。
夏だったのでしょうか、私の背丈ほどもある背の高い草の中からちらりと茶色の背もたれが見えたのです。
心臓が、どきん、としました。
スーパーの買い物袋を置いて・・・草をかきわけて・・・。
座ってみました。その感触は何とも言えないものでした。
目の前には濃い緑色のカーテン。頭の上には雲のただよう青い天井。椅子の下にはアリが列をなしています。
私だけの小さな場所でした。
それから晴れている時は何回もそこに出かけては座っていました。
時には本やお菓子を持ち込んだりもしました。
そこで読む本は普段読むのとは内容すら違って思えました。何しろ話の中の小さな家や秘密基地そのものの場所で読んでいるのですから。草の壁も古ぼけた板張りになったり、厳しい寒さから身を守る厚い石壁になったりしていました。
椅子は私が座ったまま、船になったり鳥になったりもします。
本によって変わっていきました。椅子の下が宇宙になったり、大海原になったり・・・。
あそこで食べたお菓子も特別だったような気がしています。ただ美味しい、というより遠足で食べるお弁当のあの、わくわくする感じに似ていました。
本当にあそこは私だけの小さな場所でした。
今思えば周りから見えないわけでもないに・・・恥ずかしくなかったのかな、とは思いますが。
それでも私はその場所が大変気に入ってしまって・・・行く口実を作るためにお使いをせがんだりもしていたように思います。
どう思われていたのでしょうね?
ところが・・・。
冬が来る前に私の家族は引越しをしてしまいました。だから、あの小さな場所にいれたのはほんの二、三ヶ月でしょう。
あの小さな場所に来れる最後の日。
私は椅子の下にそっと石を埋めました。
どんな石だったのか・・・?
残念ながら覚えていません。でも大事に抱えて家を出た思い出がありますので・・・宝物だったのかも知れません。
すごく悲しかったはずのに泣いた記憶すらありません。また来る気だったのかも知れません。
しかし・・・それからあの小さな場所に行く機会は二度とありませんでした。
時々思うのです。あそこはどうなったかな?変わってしまったのだろうか?
行ってみたい、と強く思うこともあります。
たぶん新しくできた家の下になっているでしょう。そうでなくてもあの頃と全く同じように私を迎えてくれるのだろうか・・・?
行ってみたら愕然としてしまうのではないのだろうか?
来なきゃよかった、と思うのではないだろうか?
だから、そっとしまっておくとしましょう・・・。忘れることはできませんから。