『ブレインの独り言』
今日もまたいつもの一日が始まる。
まず風速を確認しなければならない。
すでに風速は規定値以上ある。活動開始に差し支えはない。
一定以上の速さで風力動源装置が回転していれば問題ない。
今日も太陽は赤色だ。
「さて・・・」
この言葉も私のものではない。
すべきことを完了してしまおう。『手』と呼ばれていた器官をモデルに作られた、二本の『アーム』を起動する。
『アーム』は動作に支障をきたさないよう、いくつもの関節でできている。恐らく『手』との違いはほとんどないのだろう。私は『手』を直接視認したことがないから比較することはできないのだが。
『手』・・・変化した動物の前肢。主としてニンゲンの前肢の呼称として用いられる。
なんとも不恰好な物体だ。今、私の前には記憶領域から検索した『手』の立体写真が浮かび上がっている。これなら『アーム』の方が洗練されていて動作も滑らかではないのだろうか。
そうだ、すべきことをまず完了しておかないといけない。
右のアームを操作してまず、第一バルブを開ける。
すぐに第二バルブ、と簡単にいけばいいのだがそうはいかない。
第一バルブから流出する液体の量はその日によって変える必要がある。それを決めるのは他でもない、この私だ。
今日の気候条件と過去の活動記録を照らし合わせて決定する。
風速は規定値以上。ならば算出される分量はこれだ。その値まで流出させて第一バルブを閉じる。
次は第二バルブ。ここから流出する液体は、第一バルブから流出した液体と混合させなければならない。
第一バルブから流出する液体は『A液』。第二バルブのそれは『B液』と呼ばれている。
混合させることによって起きる化学的な変化はゆるやかに、かつ確実に起こさなければならない。
『A液』が多すぎると反応が激しくなり過ぎる。『B液』が多すぎると反応が鈍くなる。
今日は規定値以上の風があるから『A液』が多くてもいい。
昨日まで風は秒速35mしかなかったから過大な活動ができなかった。そういう時は『B液』を多くして反応を抑える。
第二バルブを閉じて反応を待つ。
すべきことはまだある。
『AB反応液』が完全に変化するまでの時間も無駄にできない。
今度は第三バルブを開く必要がある。『C液』を流し込まなければならない。こちらは私が操作しなくてもいい。私はただ、バルブをひねるだけでいい。それだけで必要な分量だけが流れ込む。
まずすべきことは完了した。あとは『AB反応液』と『C液』が流れ込んでくるのを待つだけだ。
奇妙に思われるかも知れないが・・・これが私だ。
『AB反応液』に浮かぶ『脳』と呼ばれていた器官。
ドーム状の『ボディ』に詰まった数々の装置や部品。
『C液』はアームなどの部品を動かすことに使う。それぞれの液体がどういう組成なのか、それは私にも分からない。
風は私の活動を支える重要な要素。何かの動力源なのだ。
「仕事だ」
この声は『スロート』を操作して発する。特に発する必要はない。だが、発した方が勢いづく。
『サーチャー』を操作して私の感覚器を外に飛ばす。
サーチャーとは『アイ』『ノーズ』『イヤー』『タッチ』の四種の感覚器を備えた観測器械。『ヘッド』と呼ばれる部品に全てを収納して『レッグ』という移動用器具に載せてある。微動作用の小型アームまでついている。
ここから動くことのできない私に代わって、AからEまで五つのサーチャーが動いてくれる。
私がここにいるのは過去に存在していたとされる、ニンゲンを調べるためだ。
なぜそれを遂行しなくてはならないのかは分からない。
私はそれをやるためにここにいるからだ。
サーチャーBが何かを見つけたようだ。その信号は即座に私に届く。
いや、むしろ私はそれを視認できるし、触ることもできる。匂いを嗅ぐこともできる。
埋もれていたのは本、と呼ばれていた情報伝達手段の一つだ。この辺りで多数見つかる遺物だ。それほど保存状態も悪くない。
『リフター』を飛ばすことにする。
これはレッグに強力なアームを載せたものだ。サーチャーと連携して遺物を『ストマック』に収納していく。
『アシッド』これはストマックの中を整理する役割を持っている。必要な物、と私が判断すれば『エンザイム』が全ての情報のみを私のところに送る仕組みだ。
リフターが戻ってきた。ストマックに先ほどの本を運び込む。
エンザイムが必要な情報を抜き出し、あとはアシッドが始末する。
が・・・。
何か異なる情報が送られてきた気がする。私はアシッドに始末の中断を命じた。
サーチャーAをストマックに送る。
エンザイムから送られてくるのは初期確認のための断片的な情報に過ぎない。
・・・しかし、何だ、この不可解な情報は。
本の表紙には「・・・童話」と書かれてある。「・・・」の部分は読むことができない。
今までの本とは明らかに違う。どのキーワードにも当てはまらない。
記憶領域にあるいくつかのキーワード・・・
「カタストロフ」「セカイキボノヘンカ」「ホウカイ」「ゲンシレベルノハカイ」・・・
どれにも当てはまらない。「ドウワ」とは何なのだ。
サーチャーAが本のところに着いた。
手触り・・・材質が硬く変化している。これはあまり長く触っていられる物ではない。意外と劣化が進んでいたようだ。エンザイムに一時的な保存処置を命じる。
不可解な「童話」の表紙をめくってみる。
だが・・・これは何だ。
私はいつのまにかサーチャーAの解像度を最大限に上げていた。
口絵には古代の民族衣装を着た人物が二人。
大きく口を開けているのは捕食のためではないようだ。
顔の造作は根本から作り直してある。『絵』と呼ばれる技法だろう。
しかし・・・なぜ、なぜなのだ。
この口絵を見ただけなのに、なぜ私はどこかへ還りたくなるのだ。
そもそもどこへ『還る』のだ。
私にはここしかないはずなのだ・・・。
少し、休めよう。
リフターに命じてあの本を『インテスティン』に運ばせる。ここはストマックでは処理されなかった遺物が一時的に保管される場所だ。定期的に外部へ廃棄物として搬出される。
しばらくなら大丈夫だ。
通常の作業に戻るとしよう。
サーチャーBからEはいくつかの遺物を見つけてきた。リフターがそれらを運び、エンザイムが情報を抜き出し、アシッドが始末する。
いつもの作業だ。
風速が規定値以下になってきた。そろそろサーチャーを戻すとしよう。風速が規定値以上になる前に、エンザイムから送られてきた情報を私のものにしなければならない。つまり情報を整理する必要がある。
それぞれの情報を分解し、繋ぎ合わせて一つの体系を作りあげる。
単語の持つ意味を類推して類義語を記憶領域の中から探し出す。それらを綿密に比較するのだ。
苦痛ではない。これが仕事だ。私のやらなければならないこと・・・。
作業は一段落した。さて・・・「ドウワ」を整理しなければ。
インテスティンへ慎重にサーチャーAを向かわせる。
なんだろう。この沸きあがる妙な感覚は。記憶領域から類似した言葉を検索してみる。
・・・高揚・・・興奮・・・
ニンゲンの使っていた言葉のようだ。私には分からない。さらに詳しい検索を命じる。
するとこんな言葉が出てきた。
・・・回帰。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「さあ、行こうか」
今日もまた昨日と同じ日だ。
雨の降らない大地は太陽の光を余すところなく吸収していく。
いい風だ。
少し遠くまで探索に行ってもらうとしよう。
サーチャー・アリスはストマックの整頓を。ベンジャミンに遠くまで行ってもらおう。チャーリーをお供にするのもいいだろう。
『名前』をつけるというのも気分がいい。サーチャー達に愛着が湧いてきた。
私は、なぜニンゲンの『手』があれほど不恰好なのか分かる気がしてきた。
あれはまだまだ未発達なのだ。
発達しきってしまえば後は落ちていくだけ。完璧に至る過程を楽しむため不恰好なのだ。
アームはすでに発達しきっている・・・。
ニンゲンがいなくなってから数千年。
私はここで探しつづける。私はどこへ『還る』べきなのか。ニンゲンはどこへ『還って』しまったのか。
時間はたっぷりとある。
今日も風が吹き荒れるここでじっくりとやってみるとしよう。